悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
1.闇の出撃
サヴォイ砦指令官室での惨劇から3日が経つ。その間には何の動きも見られなかった。
9人の警備兵も相変わらず立ちつくしたまま。新陳代謝がないので通常の人間ほどではないが、その風体はかなり薄汚れてきている。
時折、蝿がたかっているのを目にするほどだ。目蓋の近くを蝿が歩き回っても瞬きひとつしないのが、なんとも気持ち悪い。
その日の日没が近づく時間になって、ついに変化が生じた。
モーズリット卿の書状によって呼び寄せられたレーニャの一行が到着したのだ。
少しでも早くつこうとレーニャがせかしたため、他の3人と馬はかなりへばった様子。
レーニャは、番兵の薄汚れた有り様に眉をひそめた。サヴォイ砦に赴くのは初めてだが、規律にうるさいモーズリット卿が率いているとは信じがたい。
しかも、まるで生気を感じさせない。濁った目つきが不気味だった。
レーニャたちの到着については、あらかじめ指令されていたらしい。彼女が名乗ると、番兵は無言のまま合図のノックをした。
内側で閂(かんぬき)を抜く音がして門が開く。ほとんど使われなくなっているため、軋みが激しい。苦しみにもがくような音をあげて開いていく。
砦の中に入った一行は、不吉な雰囲気に身動(みじろ)ぎした。駐屯中の兵士たちが訓練できるよう広めに作られた前庭に人けがない。
それどこれか長い間手入れも怠っている様子で荒れ放題。廃墟さながらのすさんだ光景だった。
あちこちに雑草が生い茂っている。中には白く小さな花をつけたものや、ごつごつした穂を膨らませているものもあった。
そこにヒョウと風が吹きつけ、黄色い土ぼこりが舞い上がる。思わず三人は鼻と口を手でふさいだ。ようやく土煙が収まり始めたとき、兵舎の入口に一人の兵士が出現した。
多少収まってきたとはいえ、土ぼこりが舞う中を瞬きもせずに突っ切って来る。これまたどんよりとした目つきの薄汚れた兵士だった。
一行は、その兵士に先導されて砦の内部へと踏み込んでいった。外部と同様、静まりかえって人けが感じられない。空気が淀み、埃と黴(かび)の匂いが鼻をつく。
いったい二千名の兵士たちは、どこに身を潜めているのか。レーニャは気配をうかがいながら歩くのだが見当つかない。
バスティスなどは、あからさまにキョロキョロしている。いつもは豪胆な口ぶりだが、実は小心者。異様な雰囲気にすっかり気おされ、内心ビクついていた。
いや、それも無理はない。さすがのレーニャでさえチリチリとした不安感が首筋に走るのを禁じ得ないでいるのだ。
司令官室にはモーズリット卿が待ち構えていた。レーニャたちにねぎらいの言葉をかける。
おざなりで型通りのものだが、それですら初めてのこと。ジグラスたち男どもは、かえって居心地の悪さを感じたほどだ。
しかも、その声自体には何の感情も込められていない。思わず背筋が寒くなるほど抑揚のない不気味な口ぶりだった。
レーニャは、胃のあたりにズキリと鈍痛が走るのを感じた。外見は間違いなくモーズリット卿その人である。だが、説明しようのない違和感を覚えずにはいられなかった。
「いよいよ時は満ちたのだ。我が大望のかなう日は近い」モーズリット卿は、ゆっくりと話し出す。「そのためには、エルフどもの隠した宝を探し出さねばならない。レーニャ、お前の力が必要なのだ」
レーニャは胸をときめかした。いぶかしがる気持ちを、無理やり心の深奥に封じ込めてしまう。モーズリット卿の口から、一生聞けるとは思っていなかったセリフ。たとえ偽りだとしても構わない気持ちだった。
「やがて王国を手中にしたとき、ともに支配者の玉座に座ろうではないか」
ジグラスは、モーズリットの大仰な話を眉ツバな気分で聞いていた。まさか暗黒世界の魔人が王国の略奪を企んでいるとは夢にも思わない。
それにしても気にいらねえ。モーズリットがレーニャに甘言を弄するとは。いつもは険のあるレーニャの目つきが妙に潤み、頬も紅潮している。
ジグラスは、はらわたが煮えくりかえる思いだ。これまでレーニャがいくら熱をあげようとも、モーズリットは振り向きもしなかった。
それが利用するためと見え見えとはいえ、このような言動を取るとは。
気位の高いモーズリットらしからぬ行動。それだけではない。立ち居振る舞いから発散する空気まで今までとは違っていた。
だが、青騎士モーズリット卿相手では、いかんともしがたいのも事実。
ジグラスにできることといえば、拳を握り締めてキリキリと歯がみすることくらいだった。
ラセリアたちは、レーニャたちの姿を認めたものの、砦の中で何事が起こっているのかは知る由もない。それでも何かが動くという予感はあった。
一行はいつでも行動できるよう準備を始めた。テントをたたみ荷物をまとめ、その夜は毛布一枚にくるまって仮眠することにした。
そして明け方、ついに不死者の軍勢が動き出した。兵士たちがワラワラとサヴォイ砦の前庭に集合してくる。湧いて出るという表現がピッタリの様子だった。
3大隊二千名の兵士が出撃の準備を始めたのだ。余裕を持って作られた前庭だが、さすがにこの人数では一寸の隙もない。
それでも心を失っている兵士たちゆえ、諍(いさか)いの一つも起こらない。あまりにも整然としすぎて不気味なほどだった。
木の上から監視をカーニットは、この様子を見て取った。スルスルと猿のごとき身軽さで幹を滑り下りていく。
報告を受けたシャルムは、不死者どもが進軍する方向を見極めさせるため、カーニットを砦に戻した。
不死者の軍団は、西に迂回する進路を取ってシャンダリアを目指すか、それとも街道を南下してヴルディアを目指すか。
残った5人は、ただちに出発の支度を始めた。荷物はすでにまとめてあるので、使っていた毛布を詰め、繋いである馬に鞍を装着すれば完了である。
侵攻の目標が確認できしだい先回りする腹づもりなのだ。
大隊を尾行してきたシャルムたちは、徒歩でサヴォイ砦に来ている。ラセリアの馬にシャルム、ヴィンスの馬にカーニット、バムティの馬にキリウスがそれぞれ同乗することが、あらかじめ決めてあった。
ヴィンスはゴクリと喉を鳴らした。森の様子が昨日までとは、まるで違っている。空気がピンと張り詰め静まりかえっていた。鳥の鳴き声はもとより、風もハタとやんで木の葉がこすれる音すらしない。
まるで辺境の森全体が不吉な予感に身をひそめているかのようだった。一行はじりじりしながら待ち続ける。
やがてカーニットが梢の間を縫って走ってくる物音がしてきた。さすがの彼も息を切らせている。
「南だ。奴らはヴルディアに向かっていますぜ」肩で息をしながら報告した。
ラセリアの読みが当たったわけである。
シャルムは思わず安堵の表情を見せた。それはほんの一瞬彼の面をよぎったにすぎない。だが、ヴィンスは見逃さなかった。彼は先日の朝以来シャルムの一挙手一投足に目を光らせていたのだ。
残念ながら、その表情の意味を探っている時間はなかった。今は少しでも早くバナウェイを目指さなければならない。
襲撃の目標がヴルディアだとすれば、真っ先にバナウェイが蹂躙(じゅうりん)されてしまう。
ヴィンスの脳裏にバナウェイで世話になった人々の顔が浮かぶ。これまでバナウェイに駐屯していた辺境警備軍は、この地で不死者どもに成り果ててしまった。
現在のバナウェイは、ほとんど無防備の状態。なんとかしてバナウェイの人々を説得してヴルディアに避難させなければならない。
一行は茂みの中、馬をとばす。そして不死者どもから十分な距離を稼いだと確信できたところで街道に出た。
三頭とも二人乗りでの強行軍となる。道を急ぐあまり馬をつぶしてしまっては、元も子もない。
一番土地鑑のあるシャルムが一行を先導して走り、三頭は一路バナウェイを目指すのだった。