ハングリー・フィスト
2.空腹の用心棒
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 日高が急にハンドルを切った。丘の中腹にある廃寺だ。跡継ぎがいなくて五年ほど荒れ放題になっている。境内の玉砂利を踏み鳴らしてバイクが進入していく。
「おおっ、思ったとおりだ。誰もいないはずの寺に人影があるから怪しいと思ったぜっ」日高がどら声を張り上げた。
 確かに先ほどの車がある。もう一台黒塗りの高級車もあった。
 多分、車を乗り換えるためここを利用したのだろう。ナンバープレートを見忘れるほど間抜けとは思わなかったらしい。車に乗りかけていた二人が、バイクを認めて降り立った。
「やいやい、てめえら。勝ち逃げは許さないぜ」日高が二人に突っかかっていく。
「ふん、坊やたち、せっかく見逃してあげたのに。よっぽど死にたいらしいわね」口髭が冷ややかに言った。日高のしつこさ&向こう見ずに少々あきれているふうでもある。
 ああっ、言わんこっちゃない。せっかく拝んだのに御利益のない仏様だ。宗旨替えしちゃうぞ。
「へっ、そう何度もやられてたまるかよ。素手はもうやめだ」
 多少の学習能力はあるらしい。日高は落ちていた木の棒を拾い上げた。太さ約五センチ、長さは一メートルほどだ。
 日高は棒を片手で振り回した。ぶんぶん唸る。
 口髭は涼しい顔だ。退屈そうに眺めている。やな感じだ。
 日高が隙を突いてダッシュし、棒を振りかぶる。口髭の脳天めがけて振り下ろした。
 口髭はよけようともしない。気合とともに正拳を棒めがけて突き出した。乾いた音とともに棒が砕ける。さっき手加減してたってのは嘘じゃなかったようだ。
 さすがの日高も口をあんぐり開けて驚いている。砕けてギザギザになった棒の端をじっと眺めた。次に両端を握って七十センチほど残った棒の中央に膝蹴りを入れた。腐ってないか確かめたようだ。棒はびくともしない。
「さあ、お仕置きしてあげる」口髭が唇の両端を上げてニッと笑った。
 ようやく現実を直視した日高は素早く後ずさった。
「ちょっとやばい感じだな」雅志の横まで下がった日高がボソッとつぶやく。
「ちょっとじゃないだろ。絶体絶命だよ」
 やっと思ったことが言えた。もう思い残すことはない。って冗談じゃない、山ほどあるぞ。
 その時、「バン」と音がして背後にあった本堂の扉が勢いよく開いた。
「やれやれ、てめえらのすることは青臭くて見ちゃいられねえ」
 また変な奴が出てきたぞ。ぼさぼさの長髪で、黒い拳法着に白い帯。段を下りザッザッと玉砂利踏んでやって来た。二人組も攻撃をやめ呆然と眺めている。
「どうだ。俺を雇わないか」拳法着の男は、雅志たちのそばまで来ると腕組みをして言い放った。
 雇えって言われても。雅志の困惑を解消するかのように男は続けた。
「なあに、朝飯食わせてくれりゃそれでいい。ま、こんな仕事朝飯前だがね」大きな口を開けてワッハッハと笑う。
 朝飯って、もう昼過ぎてるぞ。
「てめえらも文句ないだろ。素人相手じゃ面白くあるまい」今度は二人組を睨みつけた。
 二人とも予想外な展開に文句が山ほどありそうな顔だ。
「ふんっ、でしゃばると痛い目にあうわよっ」口髭が毒づく。
「じゃ、商談成立ってことで、やらせてもらうぜ」
 拳法着の男は、ちらりと雅志たちに目配せして二人組みに向かい構えを取った。中段の構えだが、拳は握っていない。
 勝手に話が進んでいくが、雅志たちに選択肢はない。とにかく、こいつに頑張ってもらうしかなかった。
 口髭が殴りかかってきた。拳法着の男は、ひらりとかわし相手の胸めがけて平手を突き出す。軽く当てただけに見えたが、口髭は後ろに四メートル見事に吹っ飛んだ。
 まるで香港映画のスタント・シーン。平手突きでこの威力。雅志は口をぽかんと開けて見守る。
 口髭が呻きながら立ち上がった。形勢不利と見て平家ガニも加勢に入る。
 平家ガニが襲いかかる。拳法着の男はミドルキックを食らわせて弾き飛ばした。続いてローキックで口髭に膝を払う。よろけて倒れる口髭。再び迫ってきた平家ガニに、かかと落しをお見舞いした。
 演舞を披露しているような優美な動き。流れるごとき動作で連続攻撃を繰り出す。
 すごい。格闘技に詳しくない雅志にも男の強さが伝わってきた。隣の日高は、もう感極まった表情だ。
「くそっ、ガキども、命拾いしたな」かなわないと悟った二人は、捨てゼリフとともに駆け出す。
 とっさに乗り換える予定を変え、それぞれが運転して二台で逃げ出した。急発進した車のタイヤが、境内の玉砂利を激しい勢いで後ろに飛ばす。
 あっ、拳法着の男にぶつかる。雅志は思わず叫んだ。しかし、石のつぶては一発も当たらなかった。雅志は目を疑った。石が男を通過して後ろに流れたように見えたからだ。
「やーい、おととい来やがれ」調子づいた日高がこぶしを振り回してヤジる。
 あ、いけない。茶碗を取り返すのを忘れた。雅志は、またドジッたことに気づく。まあ、いいや。怪我がなかっただけめっけものだ。
「おっさん、強いな」日高が拳法着の男に声をかけた。
「おっさんなどと呼ばれる筋合いはない。俺はまだ二十代だ」
 二十代でもおっさんはおっさん。むさ苦しい格好のあんたが悪い。雅志は思ったが、命の恩人にそんな口はきけない。
「じゃあ、名前は」雅志が尋ねた。
「お、おう、名前か」
 男は辺りを見回す。境内の脇に生えた松の巨木にパンと手をついた。
「俺の名前は松木三十郎だ。さっきも言ったとおり、年はまだ二十代だがな」
 ワッハッハと笑ってみせる。なんか、いい加減な奴。
 三十郎の腹がグーと鳴った。
「約束は果たしてくれよ。二日間食ってないんだ。おかげでさっきの闘いも調子が出なかった」
 雅志も日高も目を丸くした。調子が出なくてあれかよ。見た目とは違って実はすごい人なのかもしれない。

 先ほどの廃寺から、ちょっと下った位置のラーメン屋。三十郎は、チャーシューメン、餃子、五目チャーハン、春巻き、レバニラ炒め、肉団子を頬張っていた。
 うまい、うまいと繰り返して目に涙を浮かべている様子は、とても格闘技の達人に見えない。さっきのは単なる思い過ごしだったか。
 三十郎は格闘技の神髄を極めるため武者修行の旅に出て五年、全国をさまよっているそうだ。
「つらく厳しい修行の日々だった」一通り食べ終わった三十郎は、腕を組み感慨深げに目をつむった。
「飢えて倒れたところを、通りがかりの老婆に助けられたこともあった。あの塩むすびのうまかったこと。猿とビスケットを分け合ったこともあった。お地蔵様にまんじゅうをもらったこともあった」
 食い物の話ばかりかよ。
「悪事に手を染める以外は何でもやったな、うん」
 おいおい、お地蔵様からお供え盗むのは悪事じゃないのか。
「そうだ。思い出した」突然、日高が大声を出した。
 三十郎の出現で存在感が薄れていただけに、雅志はびくっとした。
「あのオカマ野郎、どこかで見た顔だと思ってたんだ。あいつ格闘技雑誌に出てた」
 格闘技雑誌だって、やっぱりこいつ格闘技オタクだったんだ。
「あいつは武闘派宗教団体『輝きの拳(こぶし)』の幹部だ。永渕京一(ながぶち・きょういち)とかいったぞ」
 『輝きの拳』は雅志も知っていた。鍛えぬいた肉体のみに神の栄光が宿るっていう教義の体育会系新興宗教団体。でも、テレビで見た教祖は太った中年男だったぞ。
 それにしてもやだなあ。新興宗教団体、しかも武闘派。たしか、あの廃寺の先の丘をまわりこんだ向こう側の裾に総本山と称した五重の塔がある。ここから十五キロほどの場所だ。
「よし、行こう」三十郎が拳を握りしめた。
「へ?」雅志の目に不安がよぎった。
「武闘派と聞いちゃ黙ってられない。さっき聞いた茶碗も、きっとその五重の塔にある。取り返してやるぞ」
 さきほどの闘いが中途半端で欲求不満だったらしい。気合が入りまくっている。日高も目を輝かせてうなずいてる。この二人、雅志には止められそうにない。
 ああ、また危険に飛び込むのか。雅志は我が身の不幸を呪った。
「でもどうやって行くんだ?バイクに三人は無理だよ」雅志は涙を飲んで残ると言うつもりだった。
「なあに、俺は走る。十五キロなら丁度いい」三十郎がこともなげに言った。
 十五キロ走破してから戦うつもりか。雅志はあきれた。でも丁度いいって何が?
「よし、出発しよう。ハンバーガーとポテトフライを途中で買ってくれよ」
 なるほど、腹ごなしに丁度いいのか。