ミトコンドリア1972
第2話 リトル・ドラマー・ガール
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「そうだ。お前、ネリと同じクラスだっただろ」唐突に茂が言い出した。相変わらず素っとん狂な声だ。
 新一の思いつきでロック・バンドを結成しようということになったものの、音楽の知識などろくにない三人。ギターとハモニカ、ヴォーカルでいく案も出たが、やっぱりドラムを入れたい。
 ところが三人ともドラムなんて売ってる場所すら見たことがないのである。さてどうしようかと思案していたところだった。
「ああ、そうだけど」ロック・バンド結成の打ち合わせ中に突然話題が変わり、新一は戸惑いながら言った。
 ネリというのは新一のクラスメート根島理香(ねじま・りか)。中学まではリカと呼ばれていた。ところが千人町高校の同じクラスに理香がもう一人いた。そちらがいかにもリカちゃんっぽいお人形みたいな女の子だったので、無事リカを襲名。根島のほうはネリと呼ばれるようになったのだ。
「あいつの親父、プロのジャズ・ドラマーじゃないか」
「あっ、そうか」今度は新一が素っとん狂な声。
 確かにネリの父親はスペンサー根島という芸名のジャズ・ドラマーだ。リーダー・アルバムこそないが、参加しているアルバムは多数ある。グループ・サウンズ・ブームの頃には、ドラムの教則本も出したらしい。
 母親もジャズ・シンガーだと聞いた。まあ、こちらのほうはステージに立つことはあっても、レコードを出すほどの人気ではないらしいが。
「すっかり忘れてたなあ」新一は頭を掻いた。
 ネリはスポーツ万能少女として校内でも名高い存在。陸上、バレーボール、バスケットボール、水泳、テニスと5つの部を掛け持ちしている。音楽家族の一人娘という印象は全くない。それにスポーツをしない新一とは接点がなかった。
 天下無敵の怪力少女。実は格闘技が最も得意という噂もあるが、あいにく千人町高校には女子の参加できる格闘技系クラブがない。
 ところが、この噂を実証する事件が発生してしまった。ネリは今、暴力事件を起こして半年間の部活動停止処分を食らっている。
 本当は千人町高校の生徒をカツアゲしていた不良ども四人に、たまたま出くわして蹴散らしただけだ。ほめられてもいいくらいなのだが、まずいことに二人ほど骨折させてしまった。本人の弁では、あくまでも手加減したつもりらしいのだが。
 さらに運悪く、この不良どもの父兄がバリバリの過保護。学校に押しかけてピーピーまくし立てた。
 竹を割ったような性格のネリはチマチマ言われるのが一番の苦手だ。とうとう頭に来たネリが「あのくらいで骨折なんてだらしなさすぎるわ。カルシウムが足りないんじゃない」とやってしまったので収拾がつかなくなった。
 何が何でも事態を穏便に済ませる方針の学校側は、一方的にネリに対する処罰を決めてしまった。
 というわけで有り余るエネルギーの発散場所を失ったネリは、このところご機嫌ななめだ。
「ネリに聞いてみればドラムのことを教えてもらえるんじゃないかな。なにしろプロフェッショナルの娘だろ。いろいろ知ってるに違いないよ」茂が自分の思いつきを提案した。
 和夫は、まさかと息を飲んで成り行きを見守っている。何しろ下級生たちにとってネリは伝説的存在だ。逆らうとアバラの2,3本へし折られるとか、言葉の代わりにゲンコツで会話するとか、本人にとっては不名誉なものばかり。都市伝説一歩手前である。
 心ある者はこんなホラ話聞き流すのだが、今回の事件で信憑性アリと早合点する生徒も下級生の中には少なからずいた。小心者の和夫も、その口なのである。
 新一は考え込んだ。同じクラスとはいえ体育会系バリバリのネリとは、ほとんど口を利いたことがない。まあ、その点はいい。奥手な新一ではあるが、女っぽさを感じさせない分ネリは声を掛けやすそうな気がした。
 ネリは整った顔立ちだが、ショートカットに太くはないがくっきりした眉、きりっとした目つきをしている。美少女というよりは美少年のイメージに近いかもしれない。高校生としてはかなり小柄で、胸も含めて丸みのない体型をしている。
 そのためラブレターも女子ばかりから来る。大会で大活躍した直後などは下駄箱があふれるほどだ。
 今回の事件に恐れをなしたのか、このラブレターもパッタリ途絶えた。そっちの趣味がないネリにとっては、今回の事件で唯一の恩恵といえるかもしれない。
 それにしてもネリがドラムのことなんか知ってるのだろうか。音楽に興味ありそうな素振りは見たことがない。ま、いいや。どうせ聞くだけならタダだし。やっぱり、お気楽な新一、決して深くは考えないのだ。
「ああ、いいよロック・スピリッツのためだからな」
 何気なく言ってのける新一を、和夫は尊敬の眼差しで見つめる。虎の尾を踏む勇者を目の当たりにした心持ちだ。
「メイク・マイ・デイ!」茂はニンマリ笑って親指を上に突き出した。
 春休みから使い始めたマイ決めゼリフだ。少し前までは「ンー、マンダム」だったのだが、一年以上使ってさすがの茂も飽きてきた。 そこに大ヒットしたポリス・アクション「ダーティハリー」を観て、クリント・イーストウッドのセリフを借用することにした。意味は良く分かっていないが、まあフィーリングというやつだ。

 翌日、授業が終わって帰ろうとするネリを新一は追いかけた。ネリの足の早いこと。部活動の出来ない学校なんて少しでも早く出たい、という意思表示のような歩調だ。
 ようやく下駄箱で追いついた新一はネリに声をかけた。キッとした目つきで振り返るネリ。
 新一が思わず一歩下がったほど気迫のこもった目つきだ。三度の飯はともかく、勉強の一万倍は好きな部活動を停められて少々気持ちが荒(すさ)んでいた。
「何か用?」口調も少しとがっている。
 別に新一に恨みがあるわけではない。というよりスポーツをしない新一は、これまでネリの視界に入る存在ではなかった。
 今日はやめとこうか、一瞬考えた新一だったが不審な動きを見せたら攻撃されそうな気がした。これで逃げ出したら後ろから飛び蹴り食らわされるんじゃないだろか。意を決して口を開いた。
「いや、根島んち、親父さんドラムやってただろ」
「そうだけど」ネリは一呼吸おいて続けた。「サインだったらダメだよ。ツアーに出たばっかりで、しばらく戻らないから」
「そうじゃないんだ。実は僕たち、今度バンドを始めることにしたんだ」新一は、あわてて手の平を横に振りながら言った。「だけどドラムがないもんだから。根島に聞いてみようと思ったんだ」
 神妙な顔つきになるネリ。考え込む様な仕草をしたが、次の瞬間表情がパアッと明るくなった。
「なんだあ、そうか、それでオレのことを追っかけてきたのかあ」
 ネリは先生と部の先輩以外に対しては自分のことをオレと呼ぶ。突っ張っているわけではない。屈託のない言い方で不自然さはなかった。
 急にテンションの上がったネリに圧倒され、ただ頷く新一。
「お前、運がいいぞ。普段なら音楽なんか絶対やらないんだけどな。今は部活を停止されてるからヒマなんだ」
 根が単純なネリは、自分にお誘いがあったと信じて心底嬉しそうな顔つき。
 とても早トチリなどと言い出せる雰囲気ではない。それに機嫌を損ねて暴れだされたら一大事だ。
 新一がどうしたもんかと考えている間に、ネリは一方的に話を進めていく。結局、明後日の土曜にネリの自宅で集合することを決めて去って行った。
 先程とはうって変わった軽い足取り。ほとんどスキップ状態。感情が顔に出る、というのを通り越して全身に出るタイプだ。
 なんか俺以上にマイペースな奴。新一は、ため息をつきながらネリの後姿を見送るのだった。

 その日の夕方、三人は新一の部屋に集まっていた。戦果を聞くためである。
 ザ・フー「フーズ・ネクスト」A面2曲目の「バーゲン」が響いている。
 話を聞いた茂と和夫の様子は対照的。お調子者の茂は単純にドラマーが加入したことに大喜びしている。しかも一応は紅一点。
 一方、和夫のほうは戦々恐々。一人歩きしているネリの噂に惑わされていた。
 だが、新一によれば断われる雰囲気ではなかったという。新一に断われないものを自分にどうにかできるはずはない。ネリの参加は確実のようだ。
「そ、それじゃあ練習中は暴力禁止っていうルールを作ろうよ」和夫は震える声で提案した。本気で怖がっている。
「まあ、ロックはラヴ・アンド・ピースだからなあ。でも、わざわざルールにするのは不自然でないかい」新一は腕組みをして言った。
「それにさあ、ロックってやっぱりハンタイセイだろ。最初から最後まで上品にってわけにもいかないんじゃないか」茂が混ぜっ返す。
 ポリシーなど全くない茂にかかると、反体制も薄っぺらなカタカナ言葉になってしまう。流行り言葉としてとらえているだけで、具体的な思想などないのだから仕方がない。
「いや、でも音楽で表現するのと実力行使するのとでは全然違うよ」和夫も今度ばかりは譲らない。
「分かった分かった。暴力禁止、それで行こう」このままでは埒が明かない。新一は和夫の意見を尊重することにした。
 確かにネリはガサツな性格ではあるが、むやみに暴力を振るったりしない。頭では分かっている新一だが、下駄箱で振り返った時の鋭い視線が脳裏にちらつく。
 やっぱりクギ刺しといたほうが安全かな。そうも思えてきたのだ。
「これで決まりだな。いきなりドラマーが加入するとは幸先いいぞ」茂が声を張り上げる。
「それにしてもネリがドラムを叩けるとは知らなかった」と新一。
 なにしろネリはスポーツ一筋、音楽どころか勉強する時間も惜しむタイプだ。
「そりゃ、お前、親父さんがプロだからな。トンビがタカを生むって言うだろ」言葉の使い方間違ってるぞ、茂。
「そうか、そうだよな。もしかしたら子供のときからプロドラマー養成ギプスとか使ってたかもしれないな」新一、「巨人の星」じゃないぞ。
「うーん、それで噂に高い怪力が身に付いたわけですね」和夫は、どうしても力のほうに話題を持っていきたいようだ。ホントは殴られたいんじゃないのか。
 まあ、とにかく、新一たちの名もなきバンドは、これで4人になった。

 そして土曜の午後、新一たちはネリんちに集合した。
 新一の家から行くと、千人町高校のある駅を越えて4っつ目の駅。改札を出て5分ほどの一等地だ。
 豪邸というのは大げさにしても白壁の瀟洒(しょうしゃ)な建物。3人は、さすが芸能人とわけもなく感心してしまった。
 両親がツアー中なので、ネリは住み込みの清(きよ)というお手伝いさんと二人で暮らしている。その清さんは買い物に出ているということで、三人は気兼ねなく上がらせてもらった。
 新一たちは初めてのロック演奏で意気込んだが、特にそれっぽい服は持っていない。それでも一番上等な服を着込んでいた。
 それに対して迎えるネリはTシャツにトレパン。まあ、スポーツ第一のネリにとっては、これが正装ということなのかもしれない。
 とりあえずジュースでもということなりダイニングルームに通されたが、やけに広い。バンド仲間が集まって飲み食いできる広さということなのだろう。
「こんな広い家に二人で寂しくないかよ」三人兄弟で六畳間に弟と二人で暮らす茂が半ば羨ましそうに言った。
「別にぃ、小さい頃からこうしてるから気にならないわよ」ネリは少し口を尖らせて言う。
 今はともかく、幼い頃には寂しい思いをしたこともあったのだろう。
 和夫は、うつむいたままストローをくわえ続けている。ネリに警戒を続けているのだ。時々上目づかいにキョロキョロと様子を窺う。挙動不審状態だ。
 ジュースを飲み終えて人心地つき、いよいよバンドの練習を始めることになった。
 ドラム・セットはガレージの中だった。自家用車2台は余裕で納まる広さ。フェアレディZ432と並んで鎮座ましましている。
 このガレージは練習場を兼ねている。防音処理が施され思い切りドラムを叩いても構わないようになっていた。
「おおっ」生まれて初めて間近でドラムを見た3人が思わず歓声を上げた。普通の高校生ならフェアレディに群がるところなのだが。
 よく見るとかなり年季の入った古いドラム・セットだ。新一たちには分かりもしないが、これでもパール社初期の逸品なのである。
「これがスペンサー根島の練習したドラムかあ」
 和夫はメガネのツルを持ち、焦点でも合わせているかの仕草で、つくづくと眺めている。
「そうよ、私の小さい頃から、ここに置いてあるの。好きなときに叩いていいぞって言われたわ」
「へえ、ドラムの英才教育か」茂は勝手に納得している。
「じゃあ、ドラムを始めて随分長いんだな根島は」新一も期待に目を輝かせた。
「ネリって呼んでいいよ。最近はその方がピンと来るから。それにスティック持つのは今日が初めてだよ」そっけなく期待を裏切るネリ。
「え」三人揃って口をあんぐり開けた。
「今まで部活を五つかけもちしてたでしょ。勉強だってないがしろにしてたんだから、ドラム叩く時間なんてあるわけないじゃない」ネリは胸を張って言い放つ。こらこら、ドラムはともかく勉強ないがしろは自慢にならないぞ。
「あなたたち運がいいわよ。オレにスポーツ以外で時間が出来たのは12年ぶりなんだから」
 こいつ幼稚園児からスポーツ一筋だったのか。三人は沈黙した。
 メンバーが増えて、年代物とはいえフル・セットのドラムが使えるのだ。ラッキーというべきなのだろう。しかもネリが音楽に興味のないことは、ある程度予想していたことだし。だが、その反面もしかしたらという期待も抱いていたので、ダマされたという気分に陥ったのだ。
 そんな三人の気持ちなど気づきもせずに、ネリはスティックを持った右手をかざしてポーズをつけた。決まってはいるが演奏にのぞむミュージシャンというより、刀をかざす赤城の山の国定忠治といった風情だ。
「さあ、ここんとこ、溜まってたから思いっきり発散させてもらうわよ」
 ウサ晴らしにロックするのは邪道だろうか、新一の頭に疑念がよぎった。ま、いいか魂の叫びだって似たようなもんだろ。細かいことは気にしないのが取り柄である。
「よし、それじゃ練習開始だけど、その前に一言」新一はコホンと咳ばらいした。
「練習中は安全第一、暴力は禁止で行くぞ」
 突然の言葉にネリはキョトンとした。和夫は慌てて目をそらす。
「なーんだ、お前ら、ヘンな噂信じてるだろ」ネリは気を悪くした様子もなく、いたずらっぽい目をして言った。
 新一はホッとした。和夫の頼みとはいえ、なんだかあてつけがましいようで気が引けていたのだ。
「安心しろよ。オレは悪い奴以外には絶対手を出さないからね」
 和夫は少し安心した顔つきになった。新一は、なんだか落ち着かない。いやな予感がした。良い悪いったって、結局はネリの価値判断なのだ。
「ま、そういうことで、いっちょう音を出してみようぜ」茂が景気いい声を出す。
 楽譜も何もない。まあ、あったところで読める人間がいないのだから無用の長物なのだが。
「メイク・マイ・デイ!」茂の叫びを合図に演奏を開始した。
 が、その実態は演奏という言葉の定義に当てはまるかどうか、はなはだ疑わしいものだった。
 ネリは、部活を停止させられて溜まりに溜まったパワーを一気に放出させるかのような勢い。ほとんどスネア・ドラムばかりをガムシャラに叩いて、たまに思い出したようにシンバルをバシーンとやる。
 叩き方はでたらめだが、小柄な少女とは思えない力強い音ではあった。
 新一は、適当なコードを次々に弾いていく。ドラムのリズムは無視、というか圧倒的なパワーのネリが突っ走るので追いつくことは不可能だった。
 フォークギターに取り付けたピックアップをラジオの外部入力に直結して音を増幅させている。おかげで滅茶苦茶に歪(ひず)んでいるのだが、本人はファズを使ったロックギターのつもりである。
 和夫はといえばこちらもマイ・ペース。頭の中ではリック・ウェイクマンのキーボードを表現しているつもりなのだが、なにせハモニカ。プープカプーと場違いにのんびりした音を奏でている。
 どれをとっても演奏とは言いがたい内容。これが三位一体となると、それはもう恐ろしい大騒音だ。ガレージに防音処置が施されてなかったら、警察のご厄介になったことは間違いない。
 パンク・ロックなんて呼び名のない時代のパンクな演奏ではあった。
 茂は、この怒涛のような音響をバックに、これまたマイ・ペースで歌い続ける。知っているロック曲のサビの部分だけを、出まかせのインチキ英語で叫ぶ。サビだけだから目まぐるしく曲が変わるし、もともとのテンポも完全無視の状態。
 こうして新一たちのハチャメチャな初演奏は20分あまり続いた。
 終わりの頃は全員汗でびしょびしょ。なにしろクーラーはまだ贅沢品の時代。電車に乗ってもクーラーは全車両のうち2車両にしか付いていなかったりする。庶民にとって一部屋一台など、まだまだ夢なのである。
 さすがに両親が芸能人のはしくれであるネリの家では主な部屋それぞれにクーラーを取り付けてあった。とはいえ、さすがにガレージまでは手が回っていない。しかも防音のために完全な閉め切り状態である。
 茂は、とっくに覚えているロック、ポップスのレパートリーを歌い尽くし、懐かしのグループサウンズ・メドレーを経て、アイドル歌謡にまで及んでいた。
 少し太めの茂は、人一倍汗をかいて喉もカラカラ。すでにトランス状態に突入していた。声をかすれさせながらも歌い続ける。
 この修羅場にピリオドを打ったのはネリだった。ひとしきりドラムを叩きまくって満足した様子だ。ドドドドドッと激しくスネア・ドラムを連打して最後にシンバルをバシンと思い切り叩いて演奏をやめた。
 他の連中は、ドラムが音がやむと一斉に演奏をストップした。一瞬、憑き物が落ちたような顔つきで皆がポカンとしている。
 普段スポーツをしない新一にとっては、かなり激しい運動。ハアハアと大きく息をついているが、心地よい疲労感でもあった。
「ぷはー、久しぶりにすっきりしたあ」後ろからネリの声が響いた。
 開放感にあふれた様子だ。新一が振り返ると、ネリはスティックを握った両手を挙げて大きく伸びをしていた。流れる汗があごから滴り落ちている。目をキラキラと輝かせて、溌剌とした笑顔。
 新一は思わず息を止めた。男とか女とか関係なく、生命感にあふれたネリの表情に惹きつけられたのだ。
 視線を下に移す新一。今度は心臓まで止まりそうになった。汗にぬれたネリのTシャツが透けて、乳首がくっきりと浮き出て見えたのだ。熱かった汗が一瞬で冷や汗に変わる。「いけない」と思うのだが目がクギ付けになってしまう。
 さすがに鈍感なネリも、新一のあからさまに不審な態度に、その視線の先を見た。
「あー!このスケベ。どこ見てんのよ!」
 叫ぶが早いか右手に持っていたスティックを新一に投げつけた。ヒュンと空気を切る鋭い音。スティックは見事新一の額に命中した。コーンと歯切れのいい音がガレージの中に響く。
「おっ、良い音」和夫が思わず叫んだ。
「さすが中身が空洞だけあるな」すかさず茂が茶々を入れた。
「イテテテテッ」新一がオデコを押さえてかがみこむ。「暴力は振るわないって約束だろ」目に涙を浮かべて抗議した。
「ヘヘーンだ。これは暴力じゃないわよ。正義の鉄槌(てっつい)って言うのよ」ネリは両手を腰にあて胸を反らしてカラカラと笑う。上機嫌だ。
 ちきしょう。胸を見られることなんか何とも思ってないじゃないか、このオトコオンナめ。新一は思ったが、もちろん口には出さない。脳ミソ・ミトコンドリアの新一も、命は一つしかないことを知っていたのである。