ミトコンドリア1972
第3話 ショッカーの憂鬱(前)
ネリんちでのセッションも3回目を迎えた。
相変わらず演奏と呼ぶのがおこがましい騒音ぶり。
それでもネリは持ち前のリズム感を発揮し始めていた。でたらめな叩き方ではあるが、刻むリズムは正確である。
ドラムごとに音が違うことも、ようやく理解できてきた。気まぐれにではあるが、交互に叩き分けて楽しむようになってきている。スネアドラムばかりドカドカ叩いて、たまにシンバルをジャーンというパターンを脱しつつあった。
新一のコード進行無視のギター奏法は健在だが、ネリのドラムが刻むリズムに合わせるようになってきた。コードを変えるたびにワンテンポ遅れて、オフビートになったりならなかったりするのがご愛嬌だ。
和夫はベースに興味を持ち始めていた。たまたまハモニカの低音部をリズムに合わせてブッブッブッと吹いたら、なんだかベースっぽい。気に入って繰り返すうち、これにハマってしまったのである。
そうなると本物のベースが弾いてみたくて仕方ない。
そこで四人が相談して、なんとかエレキベースを調達しようということになった。ドラムを買わずにすんだのだから、ベースを買ってもバチは当たらないだろうという訳だ。
とはいうものの新一たちは、ベースを売っているところを見たことがない。
駅前商店街のレコード店にも古物屋にも、ギターはあってもベースは置いていない。
やっぱりお茶の水あたりの楽器店に足を運ばなくてはダメなんだろうか。
そんな話になっているところに、ネリが朗報を持ってきた。
父親の音楽仲間が古いエレキベースを安く譲ってくれるというのだ。フェンダーの上級機種に練習用で使っていた小型のアンプスピーカーを付けて2万円。
まあ、実力からいって上位機種のベースなど必要ないのだが、選ぶ基準も分からないのだから渡りに舟。プロが使っていたというのだから物に間違いはあるまい。
ギター同様、当面アンプはなくても、ラジオの外部入力を使えば良いという案も出た。ところがネリの仕入れた情報によると、そんなことをしたらラジオのスピーカーが一発でやられるという。
ギターでさえ無理があるのだから当然のこと。
確かに自分が弾いているギターの音もかなり歪(ひず)んでいる。それにバンドの練習を始めてからラジオ放送で聞くロックの音が割れるようになってしまった。新一は納得せざるを得ない。
というわけで四人が小遣いを出し合ったが少々、いや全然足りない。
「やっぱりバイトしないとダメかあ」茂が頭の後ろで腕組みしながら言った。
場所はネリんちの応接間。両親は今日も留守。神戸でライブがあるのだそうだ。
据え置かれたコンポーネント・ステレオでジャニス・ジョプリンが自らの祈りを歌い上げている。
なにしろウーハー30センチの3ウェイ・スピーカーだ。新一の部屋とは迫力が数段違う。3人は今まで聞いたこともないダイナミックなサウンドに酔いしれていた。
「でも、学校は原則バイト禁止ですよ」和夫は相変わらず気弱な声と発言。
「あにいってんだよ。俺たちはロックやってるんだぜ。ハンタイセイなんだから校則にこだわっちゃダメだよ」茂が訳の分からないこと言ってまぜっかえす。
「うーん、こっそりバイトしてる奴も、だいたい親戚のコネを頼るとか知り合いの店を手伝うとかで見つけてるようだしなあ」新一は溜め息混じりだ。
「誰か心あたりいないか」茂が和夫を向いて言う。
和夫はプルプルと顔を横にふる。
「そういう茂さんはどうなんですか」
「オレは勤労なんてものとは無縁なんだよ」単なる怠け者である。
「しょーがないわねえ。オレが一肌脱ぐか」ネリが瞳を輝かせて言った。
「なんだ、ネリ、当てがあるのか」新一が身を乗り出す。
「子供の頃からバンド関係の人が出入りしてたでしょ。だから芸能界には、こう見えてもいろいろコネがあるんだ」ネリは鼻をヒクヒクさせる。鼻高々という様子だ。
「ホントかよ」ミーハー大王の茂が目の色を変えた。
大丈夫かなあ。ネリは、お調子者だし。新一は不安だったが口には出さなかった。
早速その翌日にはネリがバイト口を見つけてきた。
すっかり舞い上がって要領を得ないので内容はイマイチ把握できない。とにかく3日後の日曜日だという。
「芸能関係のバイトってなんだろうなあ」
その日の放課後、集合した新一たち3人は話し合った。
「コンサート会場の警備じゃないかな。僕、南沙織ちゃんのコンサートが警備したいな」和夫が遠い目をして言った。大ファンなのだ。
「素人に警備員なんてさせるかなあ」今日の新一は現実を見ている。
「じゃあ、裏方でいいや。シンシアちゃんにサインもらえるかなあ」
和夫は、かってにバイト先を決めて、すっかり自分の世界に入り込んでいた。
いよいよ当日、三人は自転車でネリに指定された集合場所に向かった。なぜか隣町のスーパーである。
ちなみに三人は2回目の練習からネリの家に自転車で通っていた。ネリの家は三人にとって学校を越えた反対側に位置しているので定期は使えない。
小遣いの少ない彼らには、毎回電車賃を払うことは贅沢すぎる。というわけで時間はかかるが交通手段に自転車を使うことにした。
金はなくとも時間はたっぷりある連中なのだ。。
「あっ、いたいた」目ざとくネリの姿を見つけた茂が声をあげる。
ネリは、いつもと同じTシャツに紺色のトレパン。Tシャツには、グリコの一粒300メートルおじさんがプリントされている。
新一は、その背後に貼られたポスターを見て仰天した。仮面ライダー・ショーだ。昨年から放送が始まった「仮面ライダー」は、主人公を演じた藤岡弘の負傷により2号ライダーを登場させている。今日のショーは場末のスーパーで予算が足りなかったのか、1号のみの出演らしい。
「まさか芸能がらみのバイトって」言いながら新一はポスターを指さす。
「違う違う」ネリはブンブンと首を横に振った。
ほっと安堵の溜め息をつく新一たち。
「ミトコンたちにライダー・ショーは無理だろ。今日は風船配りだよ。ブーフーウーの着ぐるみかぶって」
「おい、何でだよ、何で俺たちがブタにならなきゃならないんだよ」一番似合いそうな茂が、口をとんがらせてブーたれる。
「いーじゃん、子供たち喜ぶし、顔が見えないからバイトしてんのがバレにくいし」ネリは、ぜんぜん意に介さない。
「俺たち3人がブタなら、ネリは何やるんだよ」ブーフーウーだと一人余る。新一は疑問をぶつけた。
「オレかい、オレは白雪姫に決まってんだろ」
なんでブーフーウーと白雪姫が共演するんだよ。突っ込もうとした新一はネリの顔付きに気付いた。
ニンマリと顔をゆるめて目尻が下がっている。分かりやすいタイプだ。隠しごとはできない。
「なに隠してんだよ」
「えへへ、ショッカー隊員の役貰っちゃった」ますます相好を崩す。コネの使いついでというわけだ。
「そんなに嬉しいか?ショッカー隊員が」アクション演技なんか御免こうむる、というタイプの茂が首をひねる。
「ステージで大暴れして、悪い奴らをなぎ倒してやるんだから」ネリはシャドーボクシングの真似をしながら言った。拳が空を切ってヒュンヒュン鳴る。
「おい、分かってんのかよ。ショッカーなんだろ」新一は心配顔だ。
「冗談だってば。久しぶりに身体が動かせるんで、燃えてるだけだよ」上機嫌のネリは、新一の肩をポンポン叩く。
うらはらに新一の不安は募るはかり。今日のバイトが無事に終わりますように。新一は祈った。神様、仏様、ついでにジミー・ペイジ様。
第1回目のショータイムが近づいていた。
さすがは人気の仮面ライダー。駐車場を使った会場には、かなりの人数が集まっている。
まずは司会のおねえさんが舞台に出て子供たちに元気に挨拶。そこに怪人と手下のショッカー隊員が現れて、おねえさんを人質にする。
おねえさんは子供たちに呼びかけて仮面ライダーの名前を連呼させ、それに応えてライダーが登場、怪人どもを蹴ちらしていくという展開。
最後には仮面ライダーによるサイン会も準備されている。
いよいよ定刻となり、 おねえさんの挨拶が始まった。
ネリたち悪役も、出番が早いので舞台の袖で待機している。
「さあ、君たちも風船配りに出てください」新一たちにも声がかかった。
この現場を仕切っている広告代理店の担当者だ。Gパンに絞り染めのTシャツという出立ち。盛島(もりしま)という名前だ。
まだ20代に見えるが、この業界の人は年齢不詳が多いのではっきりとしない。
新一たちはブタのマスクを被り、ヘリウム入り風船の束を持って楽屋を出た。
舞台を見ると司会のおねえさんが怪人たちに捕まっている。両側からショッカー隊員に腕を掴まれているのだが、それでもニコニコしていた。
「さあ、みんなで仮面ライダーを呼びましょう。イチ、ニイのハイ」と子供たちに呼びかける。
マスクを被っていても、どれがネリかは一目で分かった。
今日の悪役は、ネリ以外全員が大学の応援団のバイトである。団長が植物怪人・人食いサラセニアンで、団員がショッカー隊員を演じるという、まんまの配役。
とにかく揃いも揃って図体がでかい。ネリは飛び抜けて小さく見えていた。
子供たちの呼び声に応え、テーマソングと共に仮面ライダーが登場してポーズを決める。子供たちは大喝采。待ちに待った戦闘の始まりだ。
ネリは、まるで水を得た魚。機敏な動きで舞台狭しと跳ね回る。
仮面ライダー役は、プロの役者が扮していると聞かされていた。この男の動きの鈍いこと。ネリに比べるとスローモーションのようだ。
新一の心配をよそに、ネリはショッカー隊員に徹していた。ひときわ派手なアクションを見せているが、決してショーの進行を邪魔してはいない。
舞台は終盤に近づき、一人また一人とショッカー隊員が倒されていく。
いよいよネリの番だ。
負けず嫌いなネリのこと、仮面ライダーを張り倒しちゃうんじゃないか。新一は心配していたのだが、取り越し苦労だった。
仮面ライダーの足の上がらないキックを受けてネリの小柄な身体が宙を舞う。きりもみ回転しながら床に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
子供たちはド迫力のアクションに拍手喝采。
和夫は、本当に倒れちゃったんじゃないかとブタのマスクの下で蒼白になっている。実のところ、新一と茂もハラハラして見守っていた。
やがてサラセニアンとの最後の戦いも終わり、ネリは何事も無かったかのように立ち上がって舞台裏へと走り去った。
新一は、ほおっと安堵の溜め息をつく。和夫にいたっては、なにやらゼイゼイし始めた。心配のあまり呼吸するのを忘れていたのだ。
あとは仮面ライダーによるサイン会を残すのみである。
新一たちが、ふと気づくと目の前には子供の行列が出来ていた。
仮面ライダーより風船、という年端のいかない子供たち。
新一たちは風船を配り始めた。おどけた仕草を演じようと努力はするものの、端から見ればゼンマイ仕掛けのようなぎこちない動きではあった。
第1回目のステージが終わり、45分間の休憩となった。
楽屋として建てられた小さなプレハブには、新一たち四人のほか、仮面ライダー役の役者と彼のお客さんのみ。
応援団の下っ端は団長に「貴様ら!チビスケに比べて気迫が足りん。町内一周走ってこい」と活を入れられ、飛び出していった。
首から下はショッカー隊員のままである。すれ違う通行人はさぞかし驚かされていることだろう。
言い出しっぺの団長は、悠々と喫茶店で一服中だ。
新一たちは、マスクを外し首から下は衣装の状態で出入口付近にたたずみ涼んでいた。
激しい立ち回りを演じるたネリはもちろん、あまり動いていない新一たちも通気性の悪い着ぐるみのため、かなり汗ばんでいる。特に太めの茂にいたっては、もはや汗だく。一人だけ着ぐるみを脱いでしまっていた。
タオルで汗をぬぐっているネリは、いつになく機嫌が良い。身体を動かすことが楽しくてしょうがないのだ。
和夫が、その姿をまじまじと見つめている。
「なんだよ。ジロジロ見て。何かついてるか」視線に気づいたネリが言った。
「あ、いえ。その、ブラジャーどうしたのかなと思って」和夫は、慌てて目をそらす。顔が真っ赤だ。
ネリは初めて練習したときの事件以来、ブラジャーを着用している。
なにしろ平らな胸でボーイッシュなネリだ。普段は全く異性を感じさせないネリだが、ブラジャーをしていると、なんとか女の子っぽく見える。
和夫は、バンドに紅一点がいると意識できて嬉しかった。それでネリの胸のふくらみ、ならぬブラジャーのふくらみに注意を払うクセがついてしまった。
ところが今日の衣装は身体にピッタリとフィットしているが、ブラジャーをしている様子はない。
それが気になって、つい見つめてしまったのだ。
和夫は口ごもりながら白状した。
「なんだよ。エッチな奴だなあ」
ネリは、こともなげにショッカーの黒シャツをたくしあげる。
「おお」茂が思わず身を乗り出す。
和夫は、両手で顔を覆い、指の隙間から見ている。端から見ると、指で目を広げて食い入るように見入っているとしか思えなかったが。
「ほ、包帯?」新一は、ネリの胸にグルグルと巻かれた白い布を見て素っ頓狂な声をあげる。
「サラシだよ。サラシ」
「ああ、包丁一本、てやつだな。映画で藤純子が巻いてるのを見たぞ」茂は緋桜牡丹を背中にしょって諸肌(もろはだ)脱いだ藤純子の艶やかな姿を思い浮かべた。大人の色気があふれ出している。
目の前のものが、同じサラシとは信じられない。
が、よく見ると茂の視線は、もっと下を向いている。
「ちょっと、どこ見てんのよ」茂の不審な行動に気づいたネリが目をつりあげた。
「いやあ、良い形のヘソしてるなあと思って」
茂がボソリとつぶやく。ちょっと照れ臭そうだ。
こいつ、ヘソフェチだったのか。新一は衝撃の真実を知ってあきれた。だが、人のことは言えない。新一は女性の脇毛に大人の色気を感じて興奮する性癖を持っている。成人した彼が黒木香のビデオを衝動買いしたことは言うまでもない。
ネリはキャッと叫んで、たくし上げていたシャツを引き下ろした。頬がピンク色になっている。
女心って複雑だなあ。新一は感慨深げな表情。胸が透けて見えてもカラカラ笑っていたネリなのだが。
ネリの恥らう姿なんて滅多に見られるものじゃない。新一には、けっこう可愛らしく思えた。
「でも、ネリさん、すごかったですよ。一番切れのある動きだったじゃないですか」和夫が急に話題を変えた。声が震えている。
怒って暴れだすんじゃないかと心配になり、気をそらす作戦に出たのだ。
「でしょう。自分でも会心の動きだと思ったんだから」和夫の読みは図に当たり、ネリは即座に乗ってきた。
「でも、仮面ライダーの動きが遅くて、かなり減速してたんだよ」
「あ、それ、下から見てても分かりましたよ。まあ、ネリさんの動きが早すぎるんですけど」和夫がすかさず持ち上げる。
単純明快なネリは満面の笑みだ。ヘソを眺められたことなど、とうに忘れている。
「それにしても楽しかったなあ。思いきり身体動かせたし。子供たちは大喜びだし。やりがい感じちゃった」ネリは目をキラキラ輝かせる。
新一の大好きな笑顔だ。
「やってらんないよなあ。ガキ相手の仕事なんて」その時、楽屋の奥から聞こえよがしなダミ声がした。