ミトコンドリア1972
第3話 ショッカーの憂鬱(後)
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 声の主は仮面ライダーを演じた役者。青年というには、とうのたった男で、その横には取り巻きとおぼしき二人の女性。
 一応劇団主宰という肩書きを持ってはいるのだが、半素人にすぎない。自称町内一の二枚目俳優。実態は少々間延びした馬面。はっきり言って町内一も怪しいものである。
 取り巻きの二人は、マンマル狸とガリガリ狐。二人とも高級そうな洋服を着ているが、派手すぎて悪趣味な印象。似合わない厚化粧も共通点だ。
 差し入れに手製のクッキーとコーヒーのポットを持参している。
「そうよ、そうよ。ハヤ様のする仕事じゃないわよ」キツネが口をとんがらせて合槌をうつ。
 この売れない役者、芸名を綾小路隼人(あやのこうじ・はやと)という。通称ハヤ様。
 ちなみに本名は田浦吾作(たうら・ごさく)。その名のとおり秋田農家の五男坊である。
 高校時代に出た学園祭の演劇を誉められたことが勘違い人生の始まり。
 田舎にいても五男坊じゃ良い目は見られないと、俳優目指して東京に飛び出したのが15年前。
 決して叶わぬ夢を追ってバイトに精を出してるうちはまだ良かった。
 三文役者に下手な取り巻きがついてしまったために、勘違いがレベル・アップしてしまった今日この頃である。
 ちなみに彼は本名をひた隠しにしていた。そのため運転免許もパスポートも取得しないという念の入れようだ。
 もっとも免許もパスポートも、彼の人生で必要になったことは一度もないのだが。
 ネリは口をヘの字に曲げた。せっかくみんなが頑張っているのに。だいたい子供向けの舞台だからってバカにするような心がけだから、30過ぎても売れないのよ。
 分かりやすい性格なので、考えたことが顔に出る。
「どうどうどう」新一と茂が慌ててなだめにかかった。和夫はといえば、とりあえず隅に避難している。
「なにしろ、俺の目指しているのは、既成の概念に縛られない新しい演劇スタイルだからな」隼人は、ネリたちなど眼中にないという素振りで自慢げに話を続ける。
 新一は、言い返そうとしているネリの耳元で囁いた。
「ガマンガマン。ここで揉め事起こしたら部活禁止どころか自宅謹慎で、部屋から出られなくなるぞ。ほら、座敷牢状態ってやつだ」新一は自分でもイマイチ説得力に欠ける気がした。何しろ思い付きを喋っているだけなのだ。
 だが、部活禁止でくさっていたネリには効果絶大だった。これで新一たちとのバンド活動まで止められたら、身体中にカビが生えて錆び付いて本当に腐り始めるに違いないわ。ネリには珍しく、弱気の虫に取りつかれた。
 ふっと力が抜けて新一たちは一安心。
 こんな馬面を相手にしている場合じゃないのだ。
 とりあえずその場は収まり二人の女も帰っていった。入れ替わりに入ってきたのは盛島だった。
「ハヤさん、またサイン違ってるよ。ちゃんと書いてくれなきゃ困りますねえ」
 仮面ライダー・ショーは各地で開催されている。もちろん仮面ライダーに扮する者も一人ではない。その全員が同じサインを出来るように訓練を受けていた。
 仮面ライダーのサインがいろいろ違っては、子供たちの夢が壊れてしまうからだ。
 もちろん隼人も練習を積んでいるのだが、すぐに自分流に崩してしまうのだ。
「はいっ、申し訳ありません」隼人は、ガラリと態度を変えた。
 いくら偉そうにしていても、仮面ライダーショーは彼にとって数少ない安定した収入源だ。しかも、自分の劇団以外で彼が主役を張れる唯一の場所でもある。
 ちなみに彼の劇団の公演は、だいたい半年に一度地元の公民館で催している。客席はと言えば、劇団員9名の親類縁者で、ただの宴会状態だ。
 隼人は早速大学ノートを取り出してサインの練習を始める。
「次からは、きっちりサインいたします」揉み手でも始めそうな卑屈な態度。取り巻きには見せられない。
 あーあ、こんな態度とるなら最初から真面目に仮面ライダーのサインをすればいいじゃないか。脳ミソ・ミトコンドリアの新一から見ても幼稚な男だ。
 ま、このまま大人しくサインの練習続けてくれれば世話がなくっていいや。新一の期待とはうらはらに、盛島が出て行ったとたん練習をやめて、時々アクビをしながら落書きを始めた。
 そこにショーの司会を担当をしているおねえさんが入ってきた。
「みんな、頑張ってたわね」優しそうな笑顔でねぎらってくれる。
 バイトの女子大生で名前は相川由梨絵(あいかわ・ゆりえ)、放送研究会の所属でアナウンサー志望だという。
 今ほどアナウンサーがタレント化していない時代。報道のあり方とか、けっこう真面目に研究しているクラブだ。発声訓練も一通りしているので、声にも張りがあって良く通る。
「ハイッ、差し入れ」由梨絵はジュースのビンが入ったビニール袋を差し出す。
 まだ高校生の新一たち4人に気を遣ってくれたのだ。
 紺色のブレザーとタイトスカート、司会役の衣装のままだ。きりっとした顔立ちにこのスタイルなので、すごくしっかりして見えるが、大学2年なので実際にはそれほど年が離れているわけではない。
 笑顔は優しそうで、とても親しみやすく感じられた。
「ありがとうございます」4人が声を揃える。
 スーパーの入口に設置された自販機で買ってきたらしい。ビンの栓は抜いてあった。
 コーラ、ファンタ、サイダー。新一たちは思い思いに取ってラッパ飲みする。
「プハー、生き返るなあ。おねえさん、本当にありがとー」ネリが口をぬぐいながら、もう一度お礼を言った。
「アハハ、そんなに感謝されると恐縮しちゃう」由梨絵も楽しそうに笑う。
 ふと気づくと隼人がすぐ脇にやってきていた。いつの間に忍び寄ったのか、ネリの背中にザワッとした感覚が走った。
「ねえ、キミ。さっきの舞台、悪くなかったんだけどね。2、3アドバイスしてあげたいことがあるんだ」隼人はネリのことなど無視して由梨絵に声をかけた。
 親切めかして言っているが、なんだか目つきがいやらしい。口元もニヤついて、下心丸だしというやつだ。
「は、はあ」由梨絵は正直言ってハタ迷惑。とはいうものの、あからさまな態度もとれず返事に窮していた。
 隼人は、さらににじり寄って続ける。
「まず、オープニングだけどね。もっと元気にやった方がいいね。子供たちも、その方が喜ぶし」
 いまさら子供たちのためって言われても説得力のカケラもない。先ほどの言葉は無かったことにしたらしい。
 ネリはカチンときたが、新一はそれ以上にムカついていた。
 1回目のステージが始まったとき、出番の早いショッカーたちは舞台のすそに待機していた。
 しかし、まだ少し時間のあった隼人は、最後の一服をふかしながらビッグコミックを読み耽っていた。風船配りに出る前に、新一は間違いなく見ていたのだ。
 アドバイスとかいいながら、口から出まかせじゃないか。
「それから、仮面ライダーを応援するときの手つき、あれはね」隼人は、回りの険しい雰囲気など気にもかけず続ける。
 いよいよ本領発揮だ。由梨絵の手を掴んで身体を密着させようとする。
「ちょっと、やめてください」由梨絵は振り払おうとするが、隼人はしぶとく離さない。
「遠慮するなよ。演劇一筋15年の私が直々に演技指導してあげようというんだ。光栄なことだぞ」
 自画自賛もいいところだ。誰も遠慮なんかしてないぞ。
 本人はもっともらしく立ち回っているつもだが、はたから見ればあからさまなエロオヤジ状態。セクハラなんて言葉もない時代ではあるが、人前で厚顔無恥にもほどがある。
 隼人は、調子にのって由梨絵の腰に手を回そうとする。
 みかねたネリが、スッと近付き隼人の右手をねじあげた。手首を軽く掴んで後ろに引く、さりげない動作。だが、完全に関節を決めている。
「何するんだ、てめえっ。アタッタタタッ。ヒィッ、お願いやめてください」隼人が情け無い声をあげた。
 まさに涙声。こいつは自業自得だが、もし自分にかけられたらどうしよう。和夫は青ざめて貧血寸前の状態だった。
「さ、おねえさん、行きましょ」
 これ以上こんな奴にかかわってもロクなことがない。ネリは隼人の手をヒョイと離した。
 隼人は床にへたりこむ。目に涙を溜め、鼻水が垂れていた。助かった。もう少しで漏らすところだった。
 5人は、恨みがましい顔付きで右手をさする隼人を残してプレハブを出た。
「ありがとう。でもキミすごいねー」由梨絵は、すっかり感心している。
「あーゆー奴が子供のヒーロー演じちゃいかんよなあ」と茂。
「それにしても、あんな技どこで覚えたんだ?」新一が尋ねる。
「実戦!」ネリは、ドキリとするようなことを事もなげに言う。
 思わず和夫は恐怖で固まってしまった。一人ポツンと取り残されていく。

 スーパー前の歩道で男の子が泣いていた。まだ5、6才だろう。サロペットのジーンズに黄色いトレーナーを着ている。
 傍らで、まだ20代の若い母親が、買物カゴ片手にオロオロしていた。
「ボク、どうしたの」和夫が優しく声をかけた。
 男の子は泣きながら上を指差した。
 見上げると並木のイチョウに青い風船が引っ掛かっている。ブーフーウーの姿で新一たちが配ったやつだ。
「新しいのをあげるから、おいでよ」新一が言った。
「いやだー。お母ちゃんのリボンがついてるのじゃなくちゃ、いやだー」泣きべそが止まらない。
 よく見ると垂れ下がった風船のヒモに青いリボンがくくりつけてある。母親は、ほとほと困り果てた様子だ。
「よっしゃ、オレが一肌脱ぐか」
 言うが早いかネリがイチョウの幹に組みついた。こいつは猿か、と思わせるスピードでスルスルと登っていく。あっという間に風船が引っ掛かっている高さに達した。
 今度は器用に枝をつたい、風船を外す。
 小柄なネリだからこそできる離れ業だ。
 風船のヒモを手に、ネリはヒラリと空中に身をひるがえす。その場にいた全員が肝を冷やした。
「キャッ」由梨絵は思わず悲鳴をあげる。
 本人はスタリと着地して涼しい顔だ。
「ほら、ボク」ヒモを掴んだ右手を差し出す。
 青い風船が陽光をうけてユラユラと揺れる。
 ところが子供は、おびえた様子で後退りした。
 ネリは、首から下ステージ衣装のままだ。
 なにしろ現実とフィクションの区別がつかない子供のこと。親切を装って子供をかどわかし、改造人間にしてしまおうとするショッカー隊員というストーリーが頭に浮かんでしまったのだ。
「どうしたの、徹(とおる)ちゃん。せっかく、お兄さんが取ってくれたのに」母親が善意の追いうちをかける。
 そこにとどめがやってきた。騒ぎを聞きつけて、いつの間にか隼人がのぞき込んでいたのだ。
 首から下は仮面ライダーのスタイルでスッと近寄り、ネリから風船を引ったくる。ネリはキッとにらんだが、徹は大喜びだ。
「ほら、少年。悪の手先から風船を取り返してやったぞ」なんとも偉そうな態度だが、徹は喜色満面で風船を受け取る。
「でも、仮面ライダーのおじさん、テレビと顔が違うね」
 徹の素朴な疑問に隼人は答える。
「ハッハッハッ、テレビ番組の仮面ライダーは世を忍ぶ仮の姿。真のヒーローは、こんなにもカッコいいのだ。それに私はおじさんではない。お兄さんと呼びなさい」
 調子こくな馬面め。全国のライダー・ファンが聞いたらカミソリ送られるぞ。
 ネリは、ひどくプライドを傷つけられた様子だ。唇を噛み締め、白くなるまで握り締めた拳(こぶし)がブルブルと震えている。
 母親はネリたちに深々とおじぎすると、すっかり機嫌を直した子供の手を取り去っていった。すまなそうな表情をしていたが、ほっとした様子でもあった。
 隼人は、フンとばかりにネリに一瞥(いちべつ)を投げ引き返していく。
 和夫は、ネリ以上に悔しそうな表情で目に涙を溜めている。
 普段はおちゃらけている茂もブスッとして目をつりあげていた。
「ほら、元気を出しなさいよ。あの子が、あんなに喜んだんだから、それで良かったじゃない」ただ一人、由梨絵がネリの顔をのぞき込み、励ました。
 確かにその通りなのだが、隼人の態度を見ると、どうしても納得できない。
 新一は、悔しくてたまらずにいた。ネリの悔しさを思うと腹が立ち、仲間を励ます言葉が見つけ出せずに突っ立っている自分が更に腹立たしい。
 そこにダダダッと、むさくるしい集団が駆け込んできた。町内一周を終えた応援団下っ端御一行様だ。
 見ると2回目のステージが、もう間もなく始まる。新一は、とりあえず気まずい時間が終わりホッとした。
 2回目のステージを終えたら、とにかく何でもいいからネリに声をかけよう。ひそかに決心する新一だった。
 ネリは、こわばった表情のままだ。その顔を押し包むようにショッカー隊員のマスクをかぶる。
「ま、ネリのことたから思いっきり身体動かせばイヤなことなんか忘れちゃうさ」茂が、新一の背中をポンと叩いて言った。
 どうやら思いは同じだったようである。
「そうだなあ。あいつは竹を割った性格だし、こんなことでクヨクヨしないよな」新一は、そう言ったものの不安を感じていた。先ほどから妙な胸騒ぎが収まらないのだ。

 そうこうするうちに2回目のステージが始まってしまった。
 ネリの動きは気迫がこもり、その鋭さは1回目のステージを遥かに上回っていた。
 応援団の諸君も、すでにヘロヘロではあったが、町内をもう1周させられてはたまらない。全力を振り絞って暴れまくる。
 結果、仮面ライダーが少しも強く見えないヘンなショーになり果てていた。
 新一の心配をよそに、それでもショーは無事進行する。
 佳境に達し、ショッカー隊員が次々と倒されていく。
 いよいよネリのやられる番がきた。隼人は、張り切って動く応援団員相手で少々バテてきていた。ただでさえドンくさい動きが、ますます遅くなってきている。
 飛びかかったネリは、仮面ライダーのキックをくらったはずみに足を滑らした。と見せかけてライダーの足元にスライディングを決め、隼人の股間に見事な蹴りをかます。
「クキョエエー」仮面ライダーのくせにショッカーみたいな悲鳴をあげる。
 直情型のネリにしては頭脳プレーといえた。やっぱりネリは敵にまわしてはいけない相手なのだ。
 隼人は、両手で股間を押さえてステージを跳ね回り始める。
 最初は顔を赤らめていた由梨絵だが、その姿にケラケラ笑いだしてしまった。それにつられて応援団員の怪人たちも爆笑を始める。
 すっくと起き上がったネリは、どさくさまぎれにVサインを決めた。
 子供たちも大半は大はしゃぎしているが、中にはヒーローの無残な姿に泣き出す子もいて会場は大混乱。
「ネリさん、僕は決してあなたに逆らいません」和夫は、わけの分からないことをつぶやいていた。ついにネリの恐るべき本性を見て、マスクの下の顔は完全に引きつっていた。
「ギャハハ、あのヤロー、股グラ押さえてピョンピョン跳ねてやがる」茂は溜飲を下げて大喜びだ。
 かぶっているニコやかなフーのマスクと同じ満面の笑顔になっていることが伺い知れた。
 あーあ、やっちゃったよ。新一はと言えば、あきれつつも喜んでいた。やっぱりネリは元気印でなくっちゃ。新一は晴れやかな声で言った。
「ま、いいんじゃないの。仮面ライダーって、もともとバッタの改造人間だし」
                            第3話おしまい