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介護等体験実習・養護学校編
The education practice inside story
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介護等体験実習。
中学校の教員免許を取る人は、1998年入学以降の人からこれを行わなくてはならない(高校のみの場合は不要)。
つまりは、去年から始まった制度である。
盲・ろう系学校に2日、その他の施設(老人ホーム等)に5日の計7日従事し、「確かに参加しました」という証明証をもらわなくてはならない。
2000年の5月22,23日(養護学校)と12月4〜8日(知的障害者施設)の2回に分けて、それぞれ行って来ました。
(内容は旧Diaryからの抜粋・加筆修正したもの)
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2000年5月22日
介護等体験実習報告其の1
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行ってきました、K区の養護学校へ。
なかなかに大きいところで、周囲の環境も広々としていてよいし、施設自体も広いし、人数も多い。
小学校から高校まであって、生徒数230名近く、職員はその半数近くいる。
そこに我々は(他の2校も合わせて)約40名近くで押し寄せたのだ。
9:00に我々は、着替えて会議室に集合。(「活動しやすい服装で来てください」という連絡事項が記載されていたため、殆どの人はジャージ、持っていってたんだよね。俺、「重いし、別に普段着でも(ジーパンにシャツ)活動に支障はなかろ。」と思って、持ってかなかったんだよ。みんな着替え終えてんの見て、「もしかして、ちょっとまずかったか・・・・?」なんて思ったんだけど、実際には、着替えなくって全然ことは足りた。)
はじめに、教頭先生に学校について聞き、その後校内見学。
職員たちは驚いていましたよ。(そりゃそうっすよねぇ。何たって、40名近くが一斉に、自分たちの作業をじっと見守っているんだから・・・・)
その後に、我々は、予め振り分けられたグループへ。
俺は、友人Nとともに、高2グループへ。
(といっても、厳密には教室は障害の重度に合わせて(高校の中で重度1,2,3のように)別れているため、その時入っていったのはそのなかの1クラスである。)
障害のせいなのか、みんなわりと体が小さい。高校生なのに、小学校5〜6年生ぐらいにしか見えない。
だけど、みんな伸び伸びとしていて、すごくいい顔をしており、のんびりとした雰囲気だった。ただ、やはり、余所者の俺たちが押しかけたせいで、それがうれしい反面、かなり緊張していたようだが。
その教室でやっていたのは、先生1人が前に立ち、『みーちゃんのおつかい』(5歳の女の子が、1人で買い物に行く)という絵本の内容を読みながら一人芝居(というか、絵本を持ちながらの紙芝居に近い形)をしてから、子供たちに、室内で実際に買い物に行かせるというもの。だいたい、週に1回ぐらいづつやっていたのか、「今日の買い物に行く人」というのは決まっていた。
このクラスの子は、一人で歩けない子がほとんどで、先生方が車椅子やそれよりも大きい寝椅子のようなものを押して補佐していた。喋れなくても、声はでるし、YES,NOの区別もちゃんとできる。みなさん、他の人のしぐさにわいのわいのと反応しつつ、とても楽しげに買い物をしていました。
後は、トイレの手伝いくらいかな。わりと細かく行く時間区切ってあって、2度ほどお手伝いさせていただきました。・・・・きっと嫌だっただろうな。得体の知れない奴に、手伝われるなんて。
午前中はそれで、お昼のときは食事の介護。(美味そうな給食だったなぁ。思わず小、中学校を思いだしてしまった。)
・・・・となっているが、実際には俺は何もしなかった、というか、する必要がなかった。さすがに重度の子については、先生方が付きっ切りで食事をさせていた。
我々は、今日の食事介護の子(明日の遠足で一緒にいく子)を紹介していただいて、その子と一緒にいた。Yちゃん(高校2年)見かけは小学5年生くらいの子である。脚が少々不自由だが、杖(バギーと言うらしい。ずれないように二の腕に当たる部分にわっかがついている松葉杖のようなものである)さえあれば、一人で十分歩けるし、手もそうらしいが、不器用な子だと言えば、それで納得してしまうくらいの程度である。あまり大きな声でしゃべらないが、それは恥ずかしがっているだけかもしれない。
彼女に対する第一印象。
かわええ。
マジでかわいい。それに素直なんだよう。
こんな妹だったら、ほしいな、と思わせる子である。
また、高校3年生の女の子が、
「兄弟と同じに某大学を受験するの」
と食事後の余った時間に日本史の参考書を広げていた。受験・・・・・懐かしい響きだ。
今日の実習内容は食事時間終了までで、全員の食事が終わったあと彼らと別れ、我々は会議室に戻り自分たちの食事となった。
会議室で食事(弁当持参)しているときの話題は、当然、明日の遠足について。
明日の遠足は動きやすい普段着でよいとの連絡が、職員からあった。
我々が、付き添わせてもらうのは、中学校1年から、高校3年生までだが、全学年それぞれ行くところが違う。
俺担当の高校2年生は、N区の『H公園』。明日は晴れそうなので、とてもよい日向ぼっこになりそうだ。雨天時は『Tデパート』。・・・・この差は一体・・・・?
先生方曰く、「『Tデパート』のときは、お金持ってきて、君達も買い物していいよ。買いたいものとか色々あるだろう?」である。センセ、俺、金無いんすけど・・・・。
明日が晴れることを祈るのみである。
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2000年5月23日
介護等体験実習報告其の2
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晴れた。取り敢えず一安心。これで『Tデパート』に行く心配は無くなった。
本日は、我々は8:50に会議室に集合し、各学年、遠足に行ける状態のものだけ行くのである。高校2年生は17名。学校内ではバギーを使って歩いている子も、今日ばかりは車椅子を使っている。車椅子のまま、バスに乗り込み、先生方はその位置をロープなどで固定する。
9:30に我々を乗せた2台のバスは『H公園』に向けて出発したのである。
現地についてから、お昼までの約1時間はみんなでレクリエーション。皆が輪になって座れるほどの大きなシートを引き、歌を歌ったり、簡単なゲームをしたりした。束の間、幼稚園や小学校時代に戻ったような気分になった。
そして、早くも昼食の時間に突入。昼食は全員弁当持参である。
昼食時間が早いのは、食べ終わるまでに時間がかかる子もいるからである。
友人Nの担当した子は、重度の障害で、一人では食べられない子だったため、職員に食べられる状態に弁当を崩してもらい、その上で一匙ずつ食べさせるなど甲斐甲斐しく世話を焼いてあげていたが、俺担当の子は、昨日書いた通り、食事は自分で出来るので、特にすることがなかった。
他の学校の子達も遠足に来ているらしく、黄色の帽子を被った小学校2、3年生くらいの子3クラス分が、茂った芝生の上を走り始める。引率の先生が、大きなシートの上に、子供達が持参した弁当をまとめて置き始める。
それを見ていたこちらの引率職員数名の会話。
「あれ、お弁当入っているのよね。あんな炎天下に置いちゃってすぐにダメになっちゃうわよ。」
「そうよねぇ。置くならあっちみたいにちゃんと木陰とかにおかなくちゃ。」
普段の気遣いの違いが反映される会話である。
俺の隣にはYちゃんが座り、その逆サイドには以前大阪で教師をやっていた人が座った。
教師時代に思うところあって、福祉関係の今の仕事に就いたそうだ。
公園備え付けの大きな石のテーブルand石のイスにて昼食を取ったのだが、両方とも固定されていたのでなかなか座り心地も悪く、おまけにイスとイスとの幅が無く、イスから出るとき、Yちゃんは足が引っかかってしまい苦労していた。見ると、足と足首をしっかり固定できるようスキー靴のようなものをはいていたため、これが挟まったらしい。
このぐらいの子なら抱えることが出来るだろう。
「一寸ごめんね」
そう言って俺はYちゃんを抱え持った。いわゆるお姫様だっこというやつだ。そのまま少し離れた車椅子まで運んで座らせた。職員が驚いてみていたが、悪意の視線ではなかったので大丈夫だと思う。
その後は、腹ごなし(?)に散歩。俺担当の子と仲の良いCちゃん+付き添いの先生と共に、公園の周囲を車椅子でぐるっとまわった。
野球場が2つ入りそうなくらい広い公園。緑もたくさんある。森林浴にも良い。
付き添いの先生が教えてくれたのだが、この公園の様に、本当に遠足に来やすい施設があまりないそうだ。ここは車椅子用トイレの数も結構あるし、また、駐車場から公園にはいるとき、車椅子も安全に通れるよう軽いスロープになっているなど細かな配慮されていた。
公園の周囲を半周くらい周り終えたときの事だろうか。どうもCちゃんの様子がおかしい。ふくれっ面で、今にも泣きだしそうであまり面白くない、という顔をしている。さすがに、先生は「ちょっと席はずす」と言って、2人は我々のところから離れていった。
・・・・俺にも何となくだが、Cちゃんがつまらなそうな態度をとっている理由がわかった。きっと子供っぽい感情がなしたものだろう。
何故なら、レクリエーションのときには、CちゃんとYちゃん(俺担当の子)が並んで座っていたのだが、CちゃんはMちゃんとも一緒に座りたかったらしい。そのことで、レクリエーションのときにもむくれていた。だが、先生が、「Mちゃんとは食事のときに隣に座ろう。」と言ったので、いったんは機嫌を直した。
食事のとき、確かにCちゃんはMちゃんと隣同士に座れた。だけど、CちゃんとYちゃんの間には、先生と俺が座った。この時にYちゃんと隣同士になれなかったことに悲しくなったのだ。(確かに、俺が食事のときにCちゃんを見ていても、何となく泣きそうな顔をしていた。)
簡単に言えば子供の独占欲、といったところか。丁度気難しい年頃なのだろう。
YちゃんはCちゃんの性格を分かっているらしく、
「この頃は少ししたら機嫌直るから、大丈夫だよ。先生も付いているし。」
と言ってくれていた。俺が励まされてどうする。・・・・そんなに情けない顔してたか、俺。
この後、少し経ってから、我々2人はバスに戻った。帰りの時間が来てしまったのだ。Yちゃんは噴水のところまで行けなかったのと、自分の脚で歩く時間がなかったのを少し残念そうにしていた。
学校に戻ってから、彼らを教室に連れていって、少し疲れをとったあと、解散に。皆はそれぞれ、自分の担当した子を、スクールバスまで連れていった。Yちゃんは学校内では、車椅子を使わないので、バギーで玄関まで行く。俺は単なる荷物持ち。その間、当然CちゃんもYちゃんの傍に居る。
CちゃんとYちゃんの乗るバスは違う。先生が、
「Cちゃん、Yちゃんにさようならは?」
と言っても、中々返事をしない。結局言うまでに、10分くらいかかったと思う。玄関から先は、Cちゃんについていた先生が、
「Yちゃんも私が送りますから。」
と言ってくれたので、その好意に甘えた。いやあ、Yちゃんは最後までいい子だった。
彼らをスクールバスに送り終えた後、我々は証明書(修了証)をもらうために、会議室へ。しばらく待ったあと、教頭先生が一人ずつ渡していった(っち、教頭め、人の名前読み間違えやがって・・・・)。
うちの学校は、反省・感想の類の書類は出す必要がなかったので、証明書をもらった時点で解散だったが、他の2校はその書類を書くために、まだ残っていた。
こうして、俺の2日間の介護等体験実習養護学校編は終わりをつげた。
そして、ここで得たことと言えば。
ほぼ、介護等体験実習をやる前と考えは変わっていないが、例え、どんな障害を持っていても、所詮人間は人間だということ。それを再認識、そして、それが更に実体験により深くなった気がする。
先生方も言っていたが、「重度の子は1から2歳の子だと思って、それ以外の子も、大体幼稚園から小学校低学年だと思っていいです。」ということをまさに痛感した。例えば15歳であれば「15歳らしく」なければ適正年齢の人ではない、という認識を持ってしまっているから、障害に対する(ある意味)偏見となってしまうのだ、と。
そして同時に、「成長が遅いだけで、何ら健常者と変わることはない。」ということも思った。
先程書いた、Cちゃんのことでもそうだが、幼稚園の頃って、なんとなく「これはいけないな」とか「そんなこと分かっているよ」と言うことでも、素直に聞き入れられなかったりする事があるだろう。まさに、それにあたっている時期だ。
・・・・なんて、偉そうに結論付けているが、俺は少々自分を理不尽に思っている。
なぜなら、Cちゃんが敵対意識(?)持ってたのって、ようするに俺に対してである。でも、Yちゃんを座らせ、俺が昼飯時にあの位置に座ったのって、全部先生の指示なんだけど。しかし、その先生の説得に応じたってことは、間に入っていても、先生のみは悪くなかったってことだし。
俺が一体何をした??
ただ単に、2日間Yちゃんのお供を努めるだけの、しがない一学生だというだけなのに。
あー、こういう我が儘なガキって大嫌い。んなんもん、ちょっと我慢すりゃぁ、いーじゃねーか。俺なんかどうせすぐに出ていく人間なのに。
ええい、くそう。これ以上書いても、愚痴しか出てこない気がする。
一寸ばかり気分を害したまま終わった介護等体験実習報告養護学校編でした。
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養護学校編
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