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November 2002
<11月分日記 21-30>
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21日
迷う

出かけた。
久方ぶりの堅い服装で正午位に家を出る。
電車に揺られて約50分。
駅を降りた。
近くに大学があるらしく、学生が結構出歩いている。
このまま行くと指定時間よりかなり早く着いてしまう。
でもまぁいいか。
ずんずんと歩き出す。

駅から約7分。
そろそろ着く頃である。
・・・・って、全く着く兆しがない。
明らかにおかしい。
道路沿いにある電柱に、丁目番地が書いてあるのでそれを見る。
・・・・・。
違う路線の隣の駅が近くなっている住所だ。
方向間違ったらしい
やはり地図を持たずにうろついたのは誤りだったか。
でも学校行ってわざわざそれだけプリントアウトしてくるのも面倒だったしねぇ。
それにしたって、全く逆方向にずかずか歩いていたとはお笑いだ。
前にも似たようなこと、やったなぁ(遠い目)。
決して方向音痴ではないです。単に確認しないだけ。
そっちの方が悪いんじゃぁ、ってのはとりあえずおいといて。

予定時間少し前に到着する。
一通り話を聞いて、解散。
帰り道一人の女の子と話をする。
俺 :「ここに来るとき迷わなかった?」
彼女:「迷った迷った。解りづらいよね」
俺 :「『迷ったら連絡ください』って言ってたけど、まさかするわけにもいかないしね」
・・・・流石に言えませんでしたよ、近辺で迷う前に迷ってたとは。
ある意味俺、印象に残ってるらしいですから。
『家が未だに黒電話(ダイヤル式)である』事で(詳細割愛)。

なんだか最近自分のキャラクターについて考えてしまう日であった。


22日
んーと

この日は昼下がりに起きて、郵便局行って、○井(伏せ字の意味無し)の上に入っている100円SYOP冷やかしてきて、詫びの電話入れて。
そんな感じだったかな。


23日
勤労感謝の日

夕飯時の家族の会話。
今日は勤労感謝の日らしいです。
だもんで、今年社会人になった姉が、
「労働者なんだから敬いなさいよ」
と傲然と言い放った。
そしてその直後、
「でも、法律的にはアルバイトでも『労働者』なんだから、学生の時から『労働者』だったんだよね」
と付け加えた。
あー、そう言えばそんなこと授業でやったな。
「1割家にも(というか母個人に)入れてたし」
うんうん。バイトやってたころはそんなこともしてたなぁ(遠い目)。
ここで親父が口を挟んだ。
「アルバイトじゃ俺は労働者とは認めんな」
親父理論炸裂。
いや、親父は認めんでも社会的にはアルバイトも『労働者』なんだってば。
「だけど俺はバイトは労働者と認めん。」
はいはい、勝手にしてちょうだいな。

親父に対しては法律も無効らしい(笑)。
まぁ、「日本に生まれてきた以上、生まれたときから必ず憲法を知っている」ことになっているという法律も無茶苦茶だが。
上記のような会話が、普段での家族の会話だったりする。
はい、疲れる家族でしょ?(俺除く・・・にしておきたい)


24日
学祭

今年大学通いだして4年目にして、はじめて学祭なるものに顔を出してみた。
実は学祭、大学考えるときにすら来たこと無い。
まぁ、付属校上がりだからと言う要素もあるからだろうが、考えたら高校受験の時(付属にあらず)も学祭行かなかったっけ(汗)。姉が行ってたから内部事情はおおよそ知っていたが。
単に怠け者の言い訳だったりして。

こちらのキャンパスでの学祭は、毎年木曜〜日曜のこの時期に開催される。
前日の水曜日は午後から準備休みで翌日の月曜日は片づけ休みとなっている。
時季はずれの長期休みと言うこともあり、この前後に自主休講して旅行等に行く者も少なくない。
授業数を多く取っている俺にとってはこの期間、休みが多くて結構嬉しいものである。

さて、学祭。
サークルに入っているわけでもない俺にとっては「休みが増える」程度の認識しかなかった代物だったが、今回は友人:兼本が学祭のために共同で冊子を発行したというから遊びに行ってみた。
夕方頃、既に訪問者の帰宅の流れが出来ている時間である。
きゅーてぃ☆の所属しているサークルが校門付近でワッフルを出してると本人に聞いていたので、そこで差し入れを調達していざゆかん。

敷地の関係で、各キャンパスに別れている、といってもその中でさらに校舎は散っている。
少し離れにある校舎の6階にスペースを借りているらしい。
初めて来たなぁ、6階。今まで俺が授業で使っていた事があるのは2階までだったので(下の方が大教室)。

室内にはいるとさっぱりとまとめられた飾り付けがされていた。
和風とエスニックのミックスとテイストらしい。
2,3言言葉を交わし、さっそくテーブルに配置されている冊子『路地』に目を通しはじめる。
(冊子内容及びサロン"路地"の詳細についてはサークル『路地』へ)
そんななか、隣団体の代表来訪や、学ラン見回りがあったりと、色々あった。
落ち着ける雰囲気なのはよいが、もったいないよねぇ、こんな離れじゃ。
本日17時までとのことで、撤収作業中も居座って読みふけっておりました(爆)。

18時からファイアーウォール(素直にキャンプファイヤーと言えばよいのに)があるらしく、それも彼らにくっついて見ていくことに。末成氏はその前に帰るとのこと。
眠そうでお疲れの様子だった。どんな4日間及びその前準備だったかは、詳しくは聞くまい。

寒さしのぎに校舎内に入っていると、
「ここは18時までですから」
と言って追い出され、寒い中外で待つ。
待つ。
・・・・はじまらない。
組木近くの大きな木に火が被ったら困ると放水作業したりして、時間がかかる。
俺らが陣取ってた場所は階段の上で、一階部分の高さに当たるところが組木(左前方)があり、校門入った広間で、それより一階分下がったところ(左方真下)に備品として使われた長椅子が積まれているスペースがあった。
暇であったので辺りをきょろきょろ見ていたとき、ガターンと激しい音が左方真下から聞こえてきた。
音につられて目をやると、3段くらいに積まれた長椅子の上から、一人の男がガタン、ガタン、と2段くらいに分けて落っこちた。
うっわ、痛そう。
落ちてしばし体を丸めるようにしていたが、すぐにぐたっと死に体になった。
大丈夫かあぁ。
近くにいた守衛と友人が見守っている。
そのまま1分くらい経過。
学ラン見回り部隊の一人が異変に気づき、慌てて寄ってきた。
すると、
「痛ってー!!」
と言って反動付けてひょいっと立ち上がるその男。
それを見て兼本らがつぶやいた。
「流石うちの学校の人だね」

漸く始まったのが開始予定より30分を回った頃。
それよりも気になっていたのが組木周りの怪しい白衣団体約6名。
白衣着て、ヘルメットを被っている。
一歩間違えば国会殴り込み部隊に見えないこともない。
彼らは火を扱うのだろうが、そんな格好しなくても良いのでは。
そう思っていたのだが、この認識は間違っていたとすぐに解った。

実行委員の合図と共に点火が始まる・・・前に白衣団体が手に持っていたバケツから水(恐らく)をざばっと被った。
寒そうだ。
そして今度はホントに着火した。
ぱちぱちと勢いよく音を立てる木と、燃え上がる火から爆ぜる火の粉。
良い光景だねぇ。
火の勢いが強まると、白衣団体が調節したり、周囲に引かれていた消火用ホースで水をかけたりとしている。
ただ、ホースの役目はこれだけではなかった。
時折、ホースの先は白衣団体に向けられる
頭から水をかけられている。
暑いか寒いかのどちらかしか、彼らにはないようだ。
ぜってーあれ、明日は風邪引いてるな。

ぼーっと火に魅入られてるのもなんなのでそろそろ学校出ようかということに。
ちなみに彼らは本日撤収のため、荷物でいっぱいでした。
その姿はさながら家出少女のよう。
特に中原氏はカート付きのバックで、収まりきらないから上部をガムテープで留めてたし(笑)。
重そうだったなぁ。

駅にて彼らと別れる。
本当にお疲れさまでした。


25日
ネタになるよなことがない

大概、一日一善ならぬ一日一ネタ位はなにか転がっているのだが、何もない。
脳の老化現象、進行中のせいかなぁ。


26日
最近の財布事情

財布の中身が減っている。
そんなに色々買ったっけ。
小遣い帳の締めをまだ終わらせて無いのでいまいち記憶が定かではない。
そういやちょこちょこヤケ食いしてたっけなぁ。
レシートの数が明らかに札の倍以上入っている。
うーむ。
仕方ないのでColumn 麦チョコを書いてみた。


27日
和気あいあい

寝不足のまま、家を出る。
本日水曜日は確定的に知り合いに多く会える曜日である。
授業が同じでないと知人に会えない学校内で、口を開く回数が増える、と言っても良い。
登校途中、吹雪と会った。
俺は本来2限から授業であるが、のそのそ亀のように支度and移動をしていたら、余裕で30分遅刻。
中サイズの教室に後ろからこそこそ入る。
寒かった廊下に比べ、室内は以上に熱い。
人が多いせいもあるのだろうが、熱気むんむんという感じで、空気の熱さが気持ち悪い。
だが、遅れてきた分際で早々と教室を出ていくのは流石に気が引けたので、おとなしく耐える。30分、長かった・・・・。

昼休みに教員免許の一括申請の確認と、学校の図書館では貸し出しされていて且つ地元図書館にも入っていなかった教科書を買い、ゼミ室へ。
飯食った後、授業始まるまで寝る。先生来て起床。
4年の頭数が足りない。
何度目かの正直で、卒業アルバムのゼミ写真を撮ることになっているのだが、人数が前回の時より明らかに減っている。
どうなるんかねぇ。
結局、遅刻なだけだったので、問題なし。
これで漸く4年全員揃った。
授業時間残り20分と言うところでカメラマンが来て授業自体は終了。眠かったので丁度よかった。
前回同様、3,4年全員と、今回は4年のみのを2枚撮った。
話によると、前回のも使ってくれるらしく、計3枚が掲載されることになるようだ。
うちのゼミの人で、買う人いるんだろーか。
撮影後、余った時間で4年で話をば。
内容は卒業旅行と鍋。
どうやら3年が今日鍋をやるらしく、それに触発された形となった。来週、楽しみだねぇ。そして一人暮らしのもとたいちょう、すまんないつも押し掛けて。
チャイムが鳴った後、皆と別れる。
どうせ俺はこの後まだ授業あるのさ。
普通に授業聞いて帰宅。
一週間のうち、ホントまともに口開くのって水曜日だけだと実感した日だった。


28日
生誕○周年

年に一度は巡り来る、誕生日が来た。
とは言ったものの、本人もそんなのすっかり忘れていて朝方入っていたメールでそれに気づく。
覚えていてくれた人、ありがたう。
こんな俺でも並び数字の歳になりました。

それはさておき、昔、「誕生日とはその人を産んでくれた人たちに感謝する日だ」と言うことを聞いたことがある。確かになぁ。
「生まれてきて○年丈夫に育ってこられて良かったねぇ」というのよりはよっぽど説得力があるように思える。
そうはいっても、口に出して
「父上、母上、そして兄様姉様その他親族一同。私めをここまで育て上げてくれて誠に感謝いたしまする」
なんぞというのは口が裂けても嫌だ
肉親に対してってまぁそんなもんでしょ。


29日
なんか

妙に疲れた日だった。
終わり。


30日
一体何時から

人間にはいくつかの顔がある。
友人と話しているときの顔、家族に見せる顔、教師に見せても良い態度etc.。
それぞれ対象によって話したいこと、話したくない事など内容も異なってくる。
裏表の無い人でも多少は違う「顔」を持っているだろう。
少なくとも俺自身、そういう面を持っていると思う。
誤解のないよう書いておくが、けして八方美人というわけではない。
では本題に移ろう。

一人暮らしの兄が週末時々帰ってくる。
布団を占領されたりしてえらい迷惑被ったりする事もあるが、それは置いておこう。
兄が出かけるらしく、言った。
「デスサイズ(自転車のジョーク名)借りてくぞ」
・・・・。
あれ、『デスサイズ』なんて名称、家では一回も発したこと無いのに?
「2輪何時取り終わるんだ?」
これも家族には言ってない話題だ。
考えられる可能性は、ログに残っていたか、2輪の教本見られたかだ。
だがスタートボタンからの履歴は使えないようにしてあるし、2輪教本は漁らない限り解らない位置にある。
だとすると、残るはHPか?
いや、単に偶然(あり得ない)かもしれない。
落ち着けー俺、深呼吸だ。
すーはー。
いざ確認。
「書き込みくらいしていけばいいのに(弱気)」
「いや、下手にあらしと思われたら困るし(意味不明)」
来たなら来たと、足跡くらい残しておけ。
・・・・やっぱりパソコン共有だと個人設定とかしなきゃ駄目なんでしょうかねぇ。
だが、ログオンの際、現状ではパスワード未入力だ。親父や姉が使えなかったら困るから。
うーむー。
違う、論点はそこではない。
第3者に見てもらうことが前提でWeb上に上げているから何もまずいことは書いていないが、それでも身内に見つかったら微妙な気分になるってことである。
面倒くさくても『ホーム』に登録せずに『お気に入り』からいちいち引っ張り出していたというのに。
静かなWeb生活とはお別れを告げそうです(謎)。


2002.November
コート着なけりゃ出られない、11月


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