Top>>>Diary>>>
December 2002
<12月分日記 11-20>
<<< back Diary menu next >>>
11日
自爆
眠いです。寒いです。どうしようもないです。
天に召されるってどんな気持ちなんだろう。
どんな方法が一番よいのかな。
そんなことを考える日であった。
|
12日
以外
板書は殆どせず、口頭で言ったことをそのまま書き取らせ、且つ、廊下側に座っている生徒を時折ランダムに当てていく先生。普段から笑いや柔和な雰囲気というものとはかけ離れている人物である。
付け加えて言うならば、
「私は大学で教授しています」
と言ったところで確実に
「お前嘘だろう」
と即座に切り替えされても納得のいく格好を普段からしている人である。
あるとき、いつも同様にその先生は教室内をぐるぐる歩き回りながら授業を続けていた。
「じゃあこれは?」
ある生徒が指された。
しばしの沈黙が降りる。
「○○です」
「そう、これは〜」
授業がつつがなく進行していく。
授業終わった後、その時指されていたのが友人だったことが判明。
「以外にいい人だったよ、あの先生。」
友人は続ける。
「わかんなくて困っていると、口パクで『○○だよ』って一生懸命教えてくれてるの」
マジですか?
「びっくりしちゃった」
確かに。俺も驚いた。
なんつーか、厳しい雰囲気の人だから、全く持ってそんなのは俺のイメージ外だったよ。以後、その先生に対するイメージが少し変わった、かも。
|
13日
玉砕
プリンターが届いた。
やはり前のは初期不良だったようで、新品とお取り替え、である。
午前中についたので、電源を入れ、ランプを確認。
・・・・よし、今度は普通に点灯した。妙にどきどきした瞬間であった。2度あることは3度あるって言うしね・・・・。
後は同じ手順なので、楽に終わる。
これでカフェテリアが使えなくなるという問題はクリアした。
さて、学校へ行こう。
3限と4限の授業中に、5限のデータづくりをちみちみとしていた。
絵自体は考えてあるので、その座標を取っていくだけなので割と楽である。
楽であったのだが・・・。
5限。
今週来週で作り上げて来週に提出しなくてはならない3次元のデータ。
玉砕しました。
いや、考える上で奥行きとか取りながら行くと面倒くさいから出来るだけ楽な方法に走ったら、案の定手抜きは手抜きでしかなかったわけで。
箱形の方は問題なかったけど、こちらは回転させないと「箱」という認識が難しいため、もう一回作り直してこようかと。
それと全体的な問題として(というか、むしろこっちの方が問題で作り直しと言った方が正しいかもしれない)、データ数値が細かすぎたことがあった。
3角形の平面を組み合わせて作っていくのだが、これは回転させない固定だったら全くどのような3角形描かれていても問題ない。
だが、回転させる(=コンピューターが座標を割り出して表示させる)と想定していた点の位置からずれていくのは当たり前。つまり、本来塗られるべき3角形の平面の面積が塗られにくい形(=細い)であればあるほど、思ったとうりにはいかなくなる。
つまりは細長い三角形ばかりを使っていたので、絵自体が「絵」と認識されるものになってくれなかったわけで・・・。
一寸悲しかったね(涙)。
そんなわけで、「はじめから回転させなくても3次元のものであることを認識出来るような図形」を作り直してくる事になった。今回の授業で進んだとこといったら、何の数字が何色を表しているのがを押さえてきただけだったなぁ。
来週の授業で終わらなかったら、後期分の点数、もらえないかもしれない。
果たして秋葉の運命や如何に?
次週をお楽しみに(何)。
|
14日
ひなたぼっこ
外は寒い12月。
しかし暖房入っている室内は暖かい。
まして、そこに日が差していればいうことはない。
土曜日に晴れていたのが久しぶりである。
大抵教室に入るのがゆっくりな俺は、通路側の席に滑り込んでいる。そのため窓側の席とは無縁である。また、付け加えるならば、昼間の授業というのを今年はあまり取っていないので、陽によって暖かい思いをすることなど、あまりなかった。
3限、空き時間。
空き教室にて優雅(?)な一時。
しかも丁度良い具合に日差しがある。
カーテンを開け放ち、窓際に陣取る。
あったけー。
思わず光合成をしたくなるような気持ちよさ。
中学以来の感覚であろうか。
大学・高校時は殆ど窓側に座るということが無かったが、中学時代はいつも窓側に座っていた。
それも窓側の前から2,3列辺りが主であった。
窓側は、夏場はカーテンを閉め、窓を開け放っていないと地獄であった(冷房は特別教室のみ完備)が、冬場はカーテンをわずかに開け背中を陽で暖め、足下は横にあるストーブで暖めるという状況が保てる位置であった。暖かかったねぇ。
授業中に見える体育の様子や、隣の幼稚園児の乱入、窓のところで眼鏡でティッシュを焦がしたのもおもしろかったな(「焦げ臭い」と隣人に言われたが)。
・・・・おや、心温まるほのぼのした雰囲気が、微妙なものに変わってきた。
久方ぶりのひなたぼっこであったが、5限の授業が終わる頃にはもうその暖かさも消えていた。
帰り際に某大手古本屋に立ち寄った。
品定めしていると、ジリリリリ、と警報装置が鳴り出した。
3分ほど鳴り続いていただろうか。
止まると同時に誤報であったことを詫びるアナウンスが入ったが、この間慌てて逃げる素振りを見せた人は少なくとも俺の視界の範囲では一人もいなかった。
実際に災害が起きたとき、どうなるんだろうなぁ。
ふと思った。
本日の収穫は「破天荒遊技1〜3」。衝動買いしてしまった。
前からおもしろいとは思っていたが、3巻揃っていてその姿が「買っていかないの?」と訴えかけていたので思わず手に取った模様。
そのうちBooksにあげておかんとな。
家に帰ると紅鮭が届いていた。
勿論、お歳暮である。家に自らそのようなものを買う経済力はない。
本日家にいるメンツは俺、母、姉。帰ってきている兄も、現在旅行中。
・・・・俺がさばくんですかい。
こういったことは大抵親父の役割になっているが、仕事でいないとなると仕方がない。
姉がやればよいのでは、というのもあったが、夜出かけるらしい。
一回ぐらいやってみやがれ。
ああ、労働って尊いな(涙)。
片腕よりも少し小さいくらいの鮭を卸す。紅だからルイベにしよう。
焼くんだったら皮そのままで良いが、刺身なので剥ぐ。
べりべりと音を立てて剥がされるそれを見て、確かに丈夫だなぁ、と思う。
それにしても昔の人はこれを上手く加工して靴やら何やらを作ったんだなぁ。
1時間ほど後、石狩鍋の材料とルイベとマリネが出来上がった。
あー、疲れた。
|
15日
何やら
苛ついていたような覚えはあるのだが、何に対してそうだったのかは明確に覚えていない。
おや?
本日全員揃っていると言うことで、母の誕生日を繰り上げで行うことになった。
とは言っても、単に夕飯を寿司にするだけ。
安直な秋葉家である。
毎年欠かさず父は母の誕生日にバラを買ってきている。
勿論、「年齢の本数だけ」なんぞという大仰なものではないが、忘れたことはないらしい。
こういうところはまめだねぇ、なんて思ってみたり。
|
16日
そろそろ
週一upが習慣っぽくなってきた。
しかも日記だけ。
何か新しいものを導入しようかと検討中。
その前に、今年も年賀状書かずに終わらすか、検討中・・・・・。
|
17日
一句
書いてても 上げてなければ 意味は無し
・・・・昨日書いたは良いが、「後でやればいいや」とうっちゃってたらupするのを忘れてた。
はぁやれやれ。
本日妙に暖かかった。風は強かったが。
このまま暖かくなってくれれば良いのになぁ、なんて冬すっ飛ばす考えを持ってしまった。
いっそのこと南半球に飛ぶか。
本日試験期間中のテスト日程出たので、心も寒いのです。
|
18日
ゼミ
事例研究も提出し、安泰な今日この頃。
ただ、提出プラス発表で評価がなされるので、その発表部分をなすために学校へ。
と言っても単に説明するだけですが。
遅れてゼミに出たところ、俺まで発表回ってこなかったし。
事例研究の枚数があまりにも少なかったからこれで追加部分補おうと思っていたので玉砕か?一応レジュメは配ったから何とかなりそうだが。先生が、
「じゃぁ秋葉のは一月に発表にするか」
なぞと恐ろしいことを言いかけたが、撤回してくれた。一月やったらその日、俺テスト2つあるからかなり厳しかったぁ・・・。
4限と5限の授業中、メールが入る。
『卒旅で乗馬ってどう?』
何故に乗馬?そもそも一体何処へ行くんだ?
謎がいっぱいな卒業旅行計画である。
5限の授業が早めに終わったので、飲み屋の場所を案内させるため、誰かを呼び出そうと携帯電話を取り出したところ、元隊長らに遭遇。良いタイミングだ。
かくして今年もお疲れさまゼミ飲みへと赴くことになった。
うちは18時頃から始めたのだが、時間が早かったせいか客は他になく、がらがら。
19時くらいになり漸く他の団体が入り始める・・・・ってあれ?
複数名知り合いの顔があった。向こうもゼミ飲みらしい。確かにあっちも水曜ゼミだったしなぁ。
人数19名と言うことで2テーブルに別れた。向こうサイドにはゼミ長、こっちには先生がいる。今回も先生の話が色々聞けた。とは言っても、先生との"同行者"の話が主だったが・・・・。
曰く、仕事の関係で行3の先生とフランスに行ったときのこと。
宿泊先が先生の友人の家で、そこは街と言っても村のように住人みんなが顔見知りと言うような街だったそうだ。先生らが戻ってきて暫く後にその友人に電話がかかってきた。
「おい、なんかさっきまで過激派みたいな奴らがうろついてたぞ」
と。過激派と見られたのは先生方、もとい行3の先生のようだ。なんと言っても彼の先生は何時何処であってもジージャン・ジーパン・ばさばさの長髪というスタイルであるからだ(因みにうちの先生は一般的おじさんの範疇に入る)。海外行ってまで怪しい奴に間違われたのか・・・・。
また別の話ではその先生、女に間違われたらしい。いくら東洋人の顔の見分けがつきにくいからといって、あんなにばかでかい女はそうそういないのではないかと思う。
その他、先生の取った自転車レース写真の出来が大層良く、それを見たAP通信社の記者が
「うちの者が撮った写真よりも全然良い。是非使わせてくれないか」
と言ってきたので、その写真を渡したとか。相変わらず楽しい話だ。
あーそういえば「海外に行くなら仕事で行け。確実に言葉覚えるし、コミュニケーションはかれるようになるから」と言うことをずーっと言ってたなぁ。
語学、出来たら楽しいだろうね(遠い目)。
2時間経って宴は終わる。先生と別れてから暫く外でわやわや話していた。
気がつくと俺らより後に入っていった団体がもう出てきている。うわ、1時間近く寒い中立っていたのか。じゃあ2次会へ・・・・と思いきや、元隊長が4年の一人を捕まえて何やら相談している。人生相談っぽい。酒入っているせいか、どうにも壊れているようだ。
今日は俺、元隊長の家に泊まる予定で来ているので、必然的に彼女と行動を共にすることになる。
本日、元隊長の友人にSと俺がノートのコピーをもらう為、元隊長に案内していただくはずが、壊れて半分絡んでいる。うーむ。
この時間で30分ほど潰したような気がする。
2次会はバッティングセンター・ボーリングに行くメンツと、飲みに行くのに別れ、数人が帰宅。俺ら3人は元隊長の友人の家へ。
てっきり学校のサークルが入っているbox棟で受け渡しかと思いきや、学校の近くに一人暮らししているらしい。学校まで徒歩10分以内。全く持ってうらやましい。
部屋につき、俺らも失礼して上がらせてもらう。そこで元隊長、寝る。いくら馴染みの家だからって、そりゃぁないだろう。おまけに2次会や、他ゼミの2次会にも行くと、自分で言ってたのにねぇ。おまけに今夜俺、宿無しですかい?
いくら起こしても起きないので、コピーだけ受け取って、置き去りにすることに。O氏、すまんね。
2次会飲みにいるメンツに電話かけるとそろそろ出るとのこと。じゃあ一応顔だけ出していくか、と立ち寄ったところ、そのまま30分ほど居座ることに。
しかし前にも思ったが、3年生若いねぇ。いや、若いというか純というか。
4年の会話。
「俺インドア派だな。お前は?」
「俺は実家だからアウトドアだね。高いけど」
「まぁ実家じゃしょうがねぇなぁ。」
そこで3年の一人が
「俺絶対アウトドア派っすよ。」
4年爆笑。・・・・意味は各自で考えてください。
そして11時過ぎくらいに解散した。
うーむ、お疲れさま飲みのはずが、あまりぱーっと打ち上がった気がしなかった。大丈夫なんだろうか、元隊長。
それはさておき、上手い具合に電車で座れた。気がついて起きたら降りる駅。そのまますたこら降りてしまったのだが、2駅先で降りる予定の同乗者を起こさずに来てしまった。まぁいいか。乗り過ごしてなけりゃいいけど。
|
19日
寝
いい感じに寝腐ってました。
本日の授業は5限のみ。4限は年明け授業にテストがあるが、既に範囲が終わっており休講。
早めに家を出て、5限で使用する教室に4限のうちから潜り込む。大教室だから問題なし。早くいったのは、5限の授業は受講人数が多く、席確保が困難なためであるのと、明日提出の3次元を描くためのデータ(点)を測り終えていなかったため。
5限の授業は相変わらず時間過ぎても講義続けていた。それに加えて、
「一月の授業までやったら丁度範囲終わるから、一月も講義あり」
だそうだ。まじめすぎるよ、先生(涙)。
|
20日
提出
なにやら頑張って作っていった割には失敗している箇所がどうにも拭いきれず、失敗作のまま提出することになってしまった。どだい90分ではプログラムの整形ぐらいで時間が過ぎてしまい、試行錯誤して修正する時間なんぞないっつーの。でもおかしいなぁ、理論上は確実に塗られている部分なのに、全く表示されてなかったなんて。うーむ。
どのみち、一つの大作ではなく、3つの小作(?)という形で保険はかけたから何とか単位はもらえるだろう。気が向いたらWeb上に画像あげるかもしれない。
これでこの授業は終わり。この授業で作ったプログラム、そのままではwindowで使えないという難点も残っているが、なかなか楽しい講義であった。
・・・・パソコンいじる授業なら何でも楽しいのでは、と言うつっこみはなしである。
|
2002.December
懐寒し、12月
<<< back Diary menu next >>>
|