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January 2003
<1月分日記 21-31>
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21日
卒業旅行、漸く決定

バリ島だー、白馬だーなんだと二転三転した卒業旅行先、漸く確定。
日光・鬼怒川です。
近場で温泉まったり旅行になること請け合い。
2月12〜14日で2泊3日で行って来ます。
宿泊先をどうするかで本日学校に集まったのだが、その時の会話。
「絶対露天風呂のあるところがいい」
「景色みれるもんね」
「いや、雪に裸ダイブしたいから」
「氷点下だから、暫く手とか動かなくなるよ」
(ぱらぱらパンフレットがめくられる)
「ここなんかよさそう」
「ああ、ここの食事はおいしかったよ」
(日光・鬼怒川に行きなれている人が解説する)
「ここのホテルは源泉引いているよ。立て札にホテル名記載されていたし」
「じゃあそこ候補決定」
あっさり一つ決まる。保険として後2つ決めておくことに。
「○○ホテルはやめよう」
断言するような声が挙がった。何故?
「風呂が銭湯っぽいから。」
その分宿泊費安くなっているのだと思うが・・・。
「貸し切り風呂ってないかな」
「いーねー、貸し切り。」
貸し切ってどうする。
「あ、ここ予約さえすれば無料で貸しきれるって」
「どれどれ」
いや、だから貸し切る意図は何処に?
疑問はさっくり流されてしまった。
「食事うまいといいねぇ」
「それよりこれは一体?」
その声にパンフレットを見ると、『びっくり鍋』なるものが書かれている。しかも「イメージ写真」という注釈付きが、なにやら違和感がある。
「気になるねぇ」
そこに泊まったならば一体どれだけの人が『びっくり鍋』を頼むのだろうか。気になるところである。
パンフレットの写真については『クイックマッサージ』も物議を醸したのだが、ここでは割愛する。
一時間ほどで一応の予定は立った。
後は、いつの間にやら卒業旅行担当を引き受けてくれたS氏が申し込むだけである。
「料金は30日の飲みの時に集めるから。」
・・・・銀行から卸しておかないとな・・・・。


22日
ようやく完了

たった今、教育実習裏話を書き上げた。
以前書いていた部分の終わりの方は、「とりあえず書いておくか」という感じのものであったため、かなり内容が抜けていたので、今回加筆した部分もある(その前の部分にも加筆・修正した記憶がある)。
おまけの介護等体験実習に関しては、あまりにも読みづらい部分を修正した位で昔の文章そのまま使用しているので、続けて読むと文体や内容の密度に少々違和感があるかもしれない。

これで教育実習関係で書こうと思ったことは全部終わりである。
実習終了から裏話全部を書き終えるまで、長かった。
それにも関わらず、一端内容読み返してから続きを書き始めると、以外と色々思い出してくる。
それだけどれも印象の強かった事なのであろう。
ふう、これでようやく教育実習時の資料一式を全部しまえる。ざっくり勢いよく捨ててしまう事のある俺でも、流石にこれらは捨てる気にならん。何年か経てば別かもしれないが。

久しぶりに時間を忘れるほど打っていた。
さぁて、寝よう・・・・。


23日
学年で?

夕飯を食べ終わってまったりしていると、電話がかかってきた。
「○○高校卒業生のえんどぅーですが、流さんいらっしゃいますか」
俺宛だ。
「本人です」
懐かしーなー。なんの用だろ?
「連絡網でね、大学の卒業式の前日に学年でパーティーみたいなのやろうって話らしい。」
何故に学年?
「出席番号順で回してくれって。おかげで後でまた他の人にかけなくっちゃならないし」
そういやえんどぅーと俺の間には何人かいたはずだ。
「出欠は××さんにしてください」
これで連絡事項は終わりである。
「流は行かないよね」
・・・・流石です、えんどぅーさん。ええ、俺行きませんとも。どうやら彼女も行かないらしい。曰く、
「高校時代の友達でわざわざその場で会いたい人っていないし。」
だそうだ。まぁ俺も似たようなもんか。
それにしても一体、誰発起のどんな企画なんだか。クラス単位ならまだしも、ねぇ。

電話を切った後、本棚の奥から卒業アルバムを取り出した。後ろの方にある住所録をめくる。
次の人に連絡事項を回した後、アルバムを終う前にもう一度見る。
あー、先生やっぱこのときに比べて大分歳取ったんだなぁ。
クラスメイトなんかも変わってないようでいて、以外と変わってるもんだ。
何か機会がない限り開かないアルバム。例え写真写りが悪かったとしても、たまには見るのも悪くないかもしれない。


24日
こうない大惨事

左下前方にクレーター発生。右下前方にも同じくクレーター発生。
右上最奥にて大クレーター発生と同時に、鈍いうずきを伴った痛み、そして腫れが起きた。

ええ、口内大惨事です。
口内炎が3ヶ所出来て、内一ヶ所が親不知の成長と重なったらしく、あまつさえ風邪の菌とも平行して居るらしく、全く閉口である(寒)。

普段話したり口を閉じたりしている分においては全く支障がないのだが、困るのは欠伸と食事だ。
欠伸をするくらいに口を開けると、あご(と言うか奥歯)辺りにじわりとした痛みが出る。うっかりいつもの調子で欠伸をすると、ずきずきじわりと痛みがうわあごを這う。痛まないように下顎を押さえながら欠伸をするため、ひたすら変な顔になる。
食事は口内炎もあるため、塩分のあるものは天敵だ。特にしょうゆとトマト。一気にちくちくざくっと痛みを運んでくる。ただ、今回はそれだけではない。欠伸同様、あごの開け閉めがここでも問題となった。
箸でものを食べる。この最低限の動作(口に入れる・ものを噛む・ものを飲み込む)全てが痛みへとつながるのである。
どないせぇっちゅうんじゃ。

とりあえず改善策としてビタミンBとCを飲んでみた。早く効くといいな。


25日
テスト終了

朝一のと昼一の、2つあった。
どちらも全て持ち込み可。だが60分といささか時間は短かった。
一つ目のテスト教室に行くと、見知った顔が居た。
「あれ、これ取ってたんだ?」
「うん」
他の授業では毎度顔を合わせてたのに、この授業では一回も会っていない。
「一回も出なかったから」
なるほど納得。たんに俺も殆どでなかったから、というのが理由だったわけではないようだ。
彼女は同じ高校出身者のため、しばし一昨日回ってきた連絡網の話をする。
そして試験を互いに受けた。
試験後、彼女も本日2教科あるらしく、空き時間は図書館で潰すという。俺は前回同様、上の方の階に行った。
さて、暖かい部屋でのんびり復習でもしますか。
そう思いドアノブに手をかけまわす。
ガチャ。
開かなかった。
なんですと?一歩身を引くと、ドアの隙間からはっきりと鍵がかけられているのが見えた。
使ってるのかな。
他の教室に行こうと思い、隣の教室のノブを回す。
結果は同じであった。
うーむ、締め出しか。
一フロア全部がそうだったので仕方なく一階下に降りる。ここで一ヶ所開いている教室があったので、ここに潜り込んだ。
暖かな室内と、うららかな日差し。昼寝には丁度良さそうだ・・・・・等と抜かしている状態では無いので、教科書を広げおもむろに読み始める。
30分ばかり経っただろうか。清掃のおじさんが入ってきた。お、ご苦労様。
「すいませんが、明日の入試のためにここ掃除して鍵閉めるんで出てもらえますか」
・・・・・はい、そういうことね。
他の教室も鍵閉められてたのはそう言う理由らしい。ここが開いていたのはさっきの時間に試験で使っていたからか、はぁ。
「他の教室も全部鍵閉まっているんですか?」
聞いてみた。
「5階まではそうですよ」
ありがとうございます。かくして階を降りていき、先ほど試験を受けていた部屋に戻った。
おし、目論みばっちり。
試験部屋であった事については気分が少々うずくが、開いている上誰もいない。ここで次の時間まで時間を潰した。

それにしても政治学科の科目って、持ち込み可のものが多いのかねぇ。俺の取った科目だけなのか、それともその性質からそうなのか。法律学科であればどちらかと言えば暗記重視で、良くても六法可位だし。どうなんだろう。

さて、テストも終わったことだし。
・・・・寝よう。


26日
のんびりまったり

一日ごろごろ。
ゆったり。
というか、風邪っぽい?
テスト疲れ(うそ)かねぇ。


27日
とある日の会話

「曲がっている親から産まれたから子も曲がるんだよ」
姉が言った。
どうやら、母が「曲がっている」らしく、その為姉も「斜め」であり、ついでに言うと俺は「屈折」しているらしい。
ここで(やめときゃいいのに)親父が口を挟んだ。
「俺はまっすぐだぞ。素直だし。」
速効打ち返された。
「そうだね、猪突猛進だね。」
肯定しているのか、ある意味全否定しているのか。
心温まる家族の会話、募集しています。


28日
友、寝込む

午前中に電話が来た。
何故か俺の自室は非常に電波状態が悪い。
体を軸にして腕を10度ほど左右に動かしただけでも、電波の本数が一気に変化する。
おまけに自分の机の所がその中でももっとも悪いという、かなり使えないものがある。
そのため、部屋で電話を使う際には外の廊下に面している窓付近で使わなければならないという、とても不便な状態である。
さて。
「今大丈夫?」
おや、電波の状態が悪いのかな、大分声がひどい。
「風邪引いちゃって」
お大事に。
用件は30日の飲み会で代わりに4年から旅費を集めて、振り込んでくれとのこと。
それぐらいはお安いご用です。それよりも大丈夫かねぇ。今年の風邪は長引くらしいから。俺かて、漸く治ったかな、ってとこだし。
「旅行までには治すから」
さよか。
ゆっくり休んでやー。


29日
朝、起きぬ

姉が起きるのは7時。
ここしばらくその時間に合わせて(いたわけではなく何故か)起きていた。
のだが、今日は8時頃に、物音で起きた。
すると、
「行くときだけ起きてきて。弁当もゴミも間に合わないじゃん」
となぜか怒られた。
いや、まぁうちの場合仕事行く人に合わせてそれらをセッティングする、ということになっているからこんな発言が出てくるのだろうが、なんか理不尽。
そのまま寝てりゃ良かった。

夕方頃外に出る。
今日は風が無く、本当に暖かい。
銀行から金をおろし、懐のみ冷える。
「お札には羽が生えている」というが本当だねぇ。


30日
爪、割れる

午前中、親父が言った。
「仕事してたら爪、割れてさぁ。」
年だよ、年。ただでさえ(爪なんて)労るような性格でないのに、それに年齢が加われば、多少の衝撃でも割れますって。

昼食べてから家を出る。
今日はゼミ飲みである。
夕方からの飲みの前に、任意でボーリングをやる。
ボーリング。
大学一年の頃に、友人等と行ったのが最後であっただろうか。
それ以来行っていなかったため、この間友人と話をした際、ボールの穴の「何処になんの指を入れるか」を忘れていた。
うーむ、これはいかん。やれば思い出すのだが。
そんなわけで今回は前哨戦から参加することにしたのだが・・・・。

集合は学校掲示番前14時。
珍しく時間より早く着いたので、ホールの奥にて暖をとり、時間を待つ。
定時に掲示板に行くと、3年生の女の子一人しか居ない。
おや?
こういうのには絶対に来そうなメンツが来てないねぇ。
「きっと遅刻するだろう」という推測の元、15分ほど先ほどのホール奥で時間を潰す。
その間、3年生にいくつかの電話が入る。
「現地に先に行っている」「まだ電車の中」「飲みからに変更」等々。係りになると大変やねぇ。
結局、「まだ電車の中」と言うやつが未だ着きそうにないので、先に現地に行くことに。
一応連絡入れておくかと電話する。
「もしもし」
「あ、流。まだ電車の中なんだけど」
「で、何処の電車?」
(ここで3年生笑う)
「えっと、」
「どれぐらいかかる?」
「後一時間くらい、かな」
「じゃ先にボーリング場行っているから、着いたら電話して」
切る。
『後一時間』でさらっと『まだ電車の中』っていわんでくれ(苦笑)。まぁ確かに彼女は学校まで軽く2時間以上かかる人だけどさ。

隣の駅のボーリング場に着くと、現地集合の人が2名。因みに4年。ボーリング組計4名。
4年率が多いのは・・・・まあ深くは考えないでおこう。

一人3ゲーム靴尽き1100円。
ゲーム、開始。
いやぁ、燃えましたねぇ。
3年生は「最低スコアが40台」と言っていたのだが、投げ方がおもしろい。
ボールがほぼ必ずカーブする。左曲がり、右曲がりどちらにも。
始めはあまりスコア良くなかった(と言っても60は出てた)が、最後は80くらいまで伸びてたね。
で、残る4年。
一人は今日テストが終わったらしく、学校の食堂で昼にビール飲んでから来たらしい。
その為、一ゲーム目は(本人曰く)
「酒が残っていたからスコアが良かった」
と言っていた。確かに、一ゲーム目は一位であったが、その後は下降。最終ゲームは3年生に負けてました(笑)。終わった後にもらうスコア表、一読しただけで即捨ててた。
っち、飲み会のネタにするつもりだったのに。
それにしても毎回ボールの重さ変えるとは、落ち着きの無いやつじゃ。
で、残る一人と俺は。
あー、悔しかった。
結局負けたんだよなぁ。
初めのゲームはお互いにスコア100でタイだったのだが、2ゲーム目は負け、最終ゲームはかなり良いところまで行ったのだが、最後に逆転されてしまった。
あの一ピンさえ倒せていればなぁ。
ハイスコア150也。自己新記録更新だ。

ボーリング中、手に異変があった。
ボールサイズは9-22で丁度良く、重くは無かったのだが、2ゲーム目やっているときに右手親指に鈍い痛みを感じた。
見ると、親指から血が流れているではないか。流れるというか、にじみ出している感じだ。爪の上部から約三分の一、右から約三分の一が、ぱっくり折れていた。
剥がれているわけではないので、刺すような痛みはない。
爪の縁に付いた血が既に黒くなり固まっていたので、結構早い段階になっていたようだ。

どうやら投げるときにボールが爪に引っかかっていたらしい。
あまり爪伸びてなかったのにねぇ。
これでは父のことを笑ってなぞいなければ良かった。
一瞬絆創膏かテーピングでもしておこうかと思ったが、感覚鈍りそうなのでやめた。
こんなもんで伸びているスコアを潰すほど、自分は達観しちゃいない。

ボーリング後、時間潰す為に下のゲーセンに。
タイピングやらユーフォーキャッチャーやってるのを見学してました、はい。
しかし女子高生が結構出入りしているのだねぇ。あのばち捌き(太鼓ゲーム)の上手いこと。一体いくらつぎ込んでいるのだろう(違う)。
その後に飲み会。

待ち合わせはいつも同様、学校の掲示番前。だが、飲み屋自体は駅前。
殆どの人は試験も終わっており、当然駅から現地直行する人もいる。
俺等もそうだったわけで。
隣の駅だから歩いていった。
「どっち集合だったっけ」
という元隊長からのメールに
「掲示番前」
といって、そっちで待たせていたのは俺です。
いや、先生に対するメールも当初どうり、「掲示番前」になっていて、その時点では先生からなんの打診も無かったものですから。
少し後に掲示番前組の方に、「先生15分ほど遅れる」と入ったので、すぐ来てもらいましたが。

飲みはいつも通りに・・・・というか何故いつも2テーブルになるのに、いつも先生と同テーブルになるのだろう。先生のおもしろい話聞けるからいいのだけど。
運動でのど乾いていたせいか、一杯目のビールが初めて美味く感じた。
そういや料理でおもしろい物が出た。
揚げ物のジャガイモや軟骨とともに、クワイが出てきたのである。
親指の先ぐらいのそれは、素で揚げており、軽く塩がかかっていた。
皆一同、
「これなんだろう」
「ぱさぱさした食感」
「あまり好きじゃないかも」
ってな感じ。俺はわりと好きかも。ニンニク揚げたみたいな食感であった。
遅れてきた先生に、
「これなんですか」
と聞いたところ、クワイ、とのこと。
流石、関西出身。あちらでは正月おせちの煮物には欠かせないそうな。
だけど、
「飲み屋で出てきたのは初めて」
だそうだ。正月で大量に余ったのかねぇ。

茨城の地元から「手みやげです」と先生に酒を持ってきた人がいた。
それを受けて先生、
「賄賂はいかんな」
といいつつも御満悦。
そこで一つ話が出た。
うちの学校では4年生だからと言って、先生に「成績どうにかして下さい」と言う嘆願は近年無いそうなのだが、講師として出向いている他校では毎年何人かいるらしい。
どこからか電話番号調べてきて、
「4年です。就職も決まっています。どうにかしてください」
と、あるらしい。
その度先生は
「大変だねぇ。自分で何とかしたら」
とあしらうそうだ。
本人曰く、
「公正な成績の付け方しているのだから、それでおかしいところは何もない」
とのこと。
俺等が「偉いなぁ」なんて思った矢先、
「でも学生時代は数人で先生の家に押し掛けて嘆願したんだけどね」
と笑っていった。単位は貰えたらしい。
全くお茶目な人だ。

20時頃にお開きとなり、一本締めの後先生を見送った。
・・・・・のだが、この前にも一回、そしてこの後にも二回、トイレに走りました。
ええ、お恥ずかしい話、throwing upしましたよ。
普段の飲む量と同じだったのにねぇ。
運動後だったのが悪かったのか、風邪の気がまだ残っていたせいなのか。
とにかくひどかった。
なんとか家には辿り着きましたけどね。
友人曰く、
「顔白いとおり越して青くなって」
いたらしいですから。
帰って即行寝ましたよ。

帰り道の空、雲一つなくオリオン座がくっきりと綺麗だったな・・・・。


31日
体、痛む

睡眠をしっかり取ったので万全の体調と思い、朝起きた。
午後に銀行振込しに行って、愕然とした。
今日は月末だったのだ。
15時に30分前位だったらそんなに混んでいないだろう、と思っていったのだが、甘かった。
なんとか時間外手数料がかかる前に用事を済ませる。
買い物して家に帰った・・・・のだが、帰り着いてから何か腹の調子が悪い。
む?内臓関係は昨日で綺麗になったはずでは。

ところがどっこい、その認識は誤っていた。
胃と腸の連動をすっかり忘れていたのである。
胃は終わっても、腸はまだその反抗をやめていなかったようだ。
ううう、これはもしや風邪、再発かも。

また、内臓関係ばかりが痛んでいたわけでもなかった。
夕方頃から、右手親指の付け根や背筋、腿の裏の筋肉などが「ワシは疲れたんじゃ!」と抗議の声を上げ始めた。
要は筋肉痛である。
普段運動しない人が急に使うから・・・。
体の中といい、外といい、壊れっぱなしだなぁ。


2003.January
心寒々、1月


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