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February 2003
<2月分日記 01-10>
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1日
焦った

朝のんびりと起きた。
腹の調子は昨日のまんま。
「何があっても腹だけは丈夫だ」と変な自負を持っていた自分としてはなかなかショックなものがある。
今日はおとなしく外出せずに、溜まってしまった日記でも打とう。
そう思った。

姉は旅行、父と母もそれぞれ用事で今居ない。
久方ぶりに狭い自分の机の上ではなく、広い(自室に比べると、だが)居間で打つことにしようか。
ログインする段階まで立ち上がっていたノートパソコンを、ログオンさせつつ抱えて居間に移動した。

プラグをコンセントに差し込み、パソコンの蓋を上げる・・・・・真っ暗だ。
ふと思い、ランプを見ると電源ボタンが消えており、充電ランプだけがこうこうと付いていた。
おや?
いつの間に電源落としたんだろうか。
首を傾げつつ、再び電源ボタンを押す。
暗い画面にゲージが一本表示され、ゲージが溜まり始めて少し後、何故か電源が落ちた。
仕方なしにまた電源を入れる。
待つ。
・・・・待つ。
先ほどと同じゲージのみが、出ている。
今度は電源落ちることなく、そのままの状態で止まっている。
というか、もしかして固まっているのか。
どきどきしながらCtrl+Alt+Delを押す。
ひとまず、青い画面で「ビジー状態です」の表示が出る。
これで一段階クリアだ。
・・・・これすらも出ないときもあるからねぇ。
さて。

二度目に電源入れたときには「OS自体」の読み込みがなされていなかった。
つまり、下手すりゃ中身全部が飛んでいて、OSから入れ直し。面倒である。
いやさ、それより問題なのはHDの中身を一部しか外部保存していないことである。
日記やなんかは昨日保存したから大丈夫だとは思うが、その他が全部パーかも。
うわぁ。
想像するだに恐ろしい。
現実にならなきゃ良いが・・・・。

深呼吸して再びCtrl+Alt+Delを押す。
画面が変化し、通常の起動画面が出て滞り無く動き出した。
よかったぁ。
しかし何が問題だったんだろう?

恐ろしげな先ほどの現象を打っている今、まだ充電ランプがついている。
画面右下のタスクバーにも充電状態のアイコンが表示されている。
カーソルをそこに合わせてみた。
「残り12パーセント(充電中)」
・・・・・・。謎は全て解けた。
単に「パソコン立ち上げ途中にプラグ抜いたから」というのが理由であったのだろう。
ノートの場合、ちゃんと外部電源ある時と無いときで、使う電力の量が異なる。
それにも関わらず、「フルで電力使える状態」であるときに「もっとも電気を使う立ち上げ」を行い、その最中に「電力供給を絶つ」なんていう暴挙に及んだのである。
止まりもするよなぁそりゃ。
自業自得、ってやつでしょうかねぇ。

冷や汗かいたが良い勉強になったよ・・・。


2日
試写会

朝7:20頃に起きる。
珍しく目覚ましを使っての起床だ。
今日も寒いなぁ、なんて思いながら家を出る。
訂正。
激寒であった。
どうして陽すら射してないのだろうか。
そんなこんなの不平不満を思いつつ、一路Tokyo International Forumに向かう。

本日試写会である。
題目は「007 DAI ANOTHER DAY」、007の最新作で、20作目にして40周年記念というものらしい。
主題歌がマドンナと言う点でも注目を集めているらしいが・・・・・。
何はともあれ楽しみである。

何故試写会に行くことになったか。
事の発端は姉のミスであった。
彼女は映画が好きで良く試写会の応募なんかを出していて、且つ(何故か)当たる確率もそこそこ良い。
今回もいつも同様に出して、そして当たりハガキが我が家に届いた、のだが。
自分が旅行に行っている日程であることをすっかり忘れていたらしい。
そこで暇人している俺に、姉は泣く泣く譲り渡した、というのがこれまでのお話である。

朝っぱらから試写会。
そうはいっても開映自体は10:30からである。
では何故に朝の早くから家を出たのか。
International Forumでの試写会では毎度そうなのだが、ここの場合あらかじめ当たりハガキを指定席と引き替えておけるのだ。
その開始時刻が8:00から。
そこが定期圏内にばっちり収まっている俺は、
「それぐらいはやってくるよ、ねぇ?」
という謎の脅しに屈し、一端引き替えるためだけにForumに向かったのであった。
朝早いためそんなに人はいないだろう、と思っていたのだが、敵もさるもの。
引き替え開始20分経過時点で31列目であった。
この時間でももうかなりの人数が引き替え終えていたのである。
だが、ここで驚くのはまだ早かった。
どうやらこのホール、午後15時からも試写を行うらしく、その時間の引き替えのために既に(数人ではあるが)人が並んでいたのである。
その心意気や天晴れ、としかいいようがない。
恐るべし映画愛好家魂。
俺も普通の試写会では会場一時間前くらいからなら並んでいるが、流石にこんな早い人を見るとは。
引き替えた後にその辺のデパートや茶店で時間を潰すのだろうが、いやはやいやはや。
彼らを後にして俺は一端家に帰る。

一時間ほど後、今度は母と共に再び同じ道を辿る。
時間ぎりぎりに駆け込み、席に着く。
おお、以外と良い位置だ。
映画館でいえば、丁度指定席辺りに位置するだろうか。
早くに変えてきた意味、あったなぁ(ほろり)。
入り口で渡された袋を見ると、パンフレット、化粧品サンプル数点が入っていた。
後でゆっくり見よう。
さぁ、開映だ。

(以下少々あらすじ。微妙にネタばれありなので見たい人だけどうぞ)
北朝鮮で仕事を行っていた007(ピアース・ブロスナン)。だが、任務の最中に何者かに密告され、辛くも任務完遂はしたが北朝鮮側に捕らえられてしまう。
そして行われる拷問。(この背景を用いて主題歌が流されていた)
14ヶ月にも渡る拷問の後、口を割らない007に対し刑が執行される・・・・かと思いきや、007が今回殺したムーン大佐(ウィル・ユン・リー)にもっとも信頼されていたザオ(リック・ユーン)と人質交換が行われたのであった。
こうしてMI6に戻されたボンド。だが待っていたのは”00”ナンバーの剥奪であった。
ボンドと入れ替えにMI6から解放されていったザオは、諜報員数名の殺害を行っていたため、”M”はボンドに対してこう言った。
「あなたと引き替えに自由にするにはその代償は重すぎた」
また、諜報員に関する情報が流れたのはボンドが「口を割ったため」だと認識されており、ボンドは処分の対象になっていた。
裏切り者が内部にいる。自分の手で犯人を挙げてみせる。
ボンドは自らのため、ザオの行方を追い始めた・・・・。


いやー、やっぱいいっすねぇ、007。
長さは2時間ちょいで元々長くはないのだが、そのスピード感をもって一瞬で終わってしまう感じが爽快だ。
今回、いつもより車シーンが多くて自分的にはかなり御満悦。
現実の方が技術が進んじゃってる世の中でもやはりアイデア作品はおもしろいです、”Q”氏。
また、歴代に登場した様々なシーン、物を思わせる部分がちょこちょこ登場しているのでその点でも注目である。
あー、楽しかった。


3日
節分

今年もやってきました節分。
元々関西の一地方で行われていた「その年の恵方を向いて太巻きを丸かぶりする」という行事、我が家に取り入れられて約3年ほどになるだろうか。
今年の恵方は南南東、部屋内でいえば丁度エアコンが設置されている向きである。
一本の、全く包丁の入っていない状態の太巻きを、一心不乱に食べる。
途中しゃべったりお茶を飲んだりしてはならない。
とにかく一端食べ出したらそのまま食べ続けなくてはならないのである。
毎年、母は食べ終えるのに苦労しており、
「別に一本であればいいわけだから、最初から半分の長さでもいいよね」
と言うことを言っているのだが、今年もでん、と長いままのそれが皿に4本、置かれていた。
「やっぱり長いままじゃなくちゃ」by制作者:父
だがそうは言っても、海苔の巻く方向を短くするなどの工夫は一応したらしい。
そんな工夫はされていたのだが。

エアコン方向に向かって、もしゃもしゃと食べ続ける秋葉家一同。
2,3口目であることに気が付いた。
おや?噛み切れない。
・・・・これではインターバルをとることもできないじゃぁないか。

さて、食べているものは勿論太巻きである。
中身は当然の如く、卵やかんぴょうなど柔らかい物ばかりであるが、一つだけ例外があった。
野沢菜である。
しゃきしゃきとして歯応えがあり、箸休めとして自分も結構好きな漬け物の一つである。
太巻きの具としてもアクセントとしてやはりおいしい。
だが、父よ。
長いのを切らずにそのまま巻くのは、いささか食うのに問題があるぞ。

節分と言えばもう一つ、豆まき。
鬼を追い出し福を呼ぶため豆を撒く、あれである。
玄関手前で落花生を手に持ち「鬼は外、福は内」。
近所の家からも同様のかけ声が聞こえてきていた。
母の小さい時分は季節・場所柄的に雪が降っていたため、
「外に撒いた豆は回収不可能だったから食べなくてすんだ点だけは、良かった」
そうだ。
今うちで撒いている落花生ではなく、大豆を使用していたからだそうだ。
まぁ確かにあれをぼりぼり食うのはどうもねぇ。
落花生のからを割りながら、そう思った。

今年も何か良いことが舞い込んできますように(他力本願)。


4日
トランプ

「外ならばいざ知らず、家の中で「失せ物」というものが出るはずがない」
そんな持論に基づき、机の中を引っかき回して探していたときのこと(物は後ほど見つかった)。
トランプが出てきた。
夏のゼミ合宿に持っていき、梅酒で香り付けされたカエルのトランプが一つ。
幼稚園卒園時にもらった、缶に入ったお子様トランプが一つ。
昔習っていたピアノのクリスマス会で、プレゼント交換で回ってきたサンリオキャラクターのトランプが一つ。
JR東日本一周年記念のトランプが一つ。
計4つである。
何故にトランプばかりこんなにあるのだろう。
そろそろいくつか処分すべきか。
とりあえず、最後に出てきたJR記念トランプだけは捨てられない。
別に「電車が好きだから」という理由からではない。
自分にとっても記念品なのである。

小学校の頃、春だか秋だかの季節の良いとき、全校写生会をやった事は恐らく同世代であれば誰でもある経験だと思われる。
学年により、低学年は校内で、高学年になると近所の公園まで画板と絵の具片手に引率されて絵を描きに行った。
低学年の頃、狭い校内に乗り入れた消防車をスケッチしつつ、ホース部分だけはやけにこだわって描いた記憶がある。
高学年の校外スケッチでは、まともに絵の具を使う段階まで描いた事がない。大抵は、戻ってきてからの美術の時間に適当に脚色して提出していた(別にさぼっていたわけではない)。

あれは小学校一年のときであった。
全校写生会の一環(に併合してJR一周年記念のを絡めたのか?)で課題が「電車」であった。
種類は何でも構わなかったように思う。
このときは確か、校外に見学に行った気がする。
住んでいる地域的に、よく見かけていたのは、のっぺりとした黄緑で塗られた山手線と、これまたのっぺりとしたくすんだ水色で彩られた京浜東北線であった。現在の、銀のボディーにその線を表すカラーを一本入れる装丁とは異なり、本当にまるまる全体これ「黄緑(ないし水色)」であった。
当然、子供達はこれらのどちらかを描くことになり、また、何故だか山手線の方は人気があり、描かれた絵が張り出された廊下は黄緑一色になった。
そんな中で紅一点ならぬ水色一点があった。
・・・・つまるところ俺の絵である。
何故、水色の方を選んだんだろう、俺?
今思い出そうとしてもさっぱり覚えていない。
ともかくもまぁ、そんなわけでこれらの絵の中の数点として選ばれ、トランプの記念品を頂いたのである。
はっきりいって自分、模写は好きだが絵は下手である。
選考基準は明らかにバランスだろうな、黄緑色と水色の。

話がずれてしまった。
こうして捜し物の途中に見つかったトランプであるが、彼はトランプタワー又はトランプ飛ばしと言った用途にしか未だ使われたことがない。
果たして「トランプゲーム」として使われる日は、来るのであろうか。


5日
ふと

かまくらが作りたくなった。
雪も降っていないのに明らかに無理な話である。
もしかしたら、鍋を囲むくらいの暖かな人間関係が欲しくなっているのか、俺。
・・・・等と言いながら生息時間帯は夜にシフトしている。


6日
この時期

世間一般では受験だなんだと騒いでいる時期である。
自分にもそういう時期があったかと、ふと振り返ってみた。
高校受験で「自分の成績では無理そう。でも一応出してみるべか」と散々騒いだのは12月の頃の話で、その年のこの時期は既に、暇そうに毎日中学に行って日々の課題だけもらって帰ってきていたな、という記憶が甦る。
大学受験に関しては・・・・あ、そう言えば、この時期か。
希望の学部に入れるか否かが決定したのはこの時分であった。
「指定された一週間ほどの期間には必ず家にいて下さい」と言われていたにも関わらず、池袋の郵便局にバイトに行っていたっけ。
懐かしい思い出だ。

昨日発売日であった本を買ってきた。
コンテンツの一つ、Booksにも書いている「っポイ!」の21巻である。
彼らは作中で中学3年生、受験目前の時期である。
そう言えばこのマンガ、俺が中一ぐらいの時に始まって、未だ”受験前”をキープしているんだよなぁ。
何となく、読みながらピーターパンシンドロームになっている自分がいた日であった。


7日
16回忘れるまで・・・・

母が気に入ったらしく、時折言う言葉である。
「16回忘れるまでやれ」
何処かで聞き覚えたらしく、意味としては『16回忘れるぐらいまで何度も繰り返してやれ』ということらしい。

夕飯後、話しているときに袴の話になった。
姉が昨年自分の卒業式のために買った袴を、俺が借りるため寸法直しを早いうちにしておけ、ということらしい。そこで急遽、着物と袴を引っ張り出してとりあえず長さだけ合わせることに。
着付けの本等、未だ借りてきていないかったため、母や姉の去年の知識を総動員して始める。

微妙にクリーム色がかった白地に朱の鶴が飛んでいる着物を着て、着物の丈は袴を付けるため膝丈辺りになるようたくしの長さを調整する。
ここまでは自分でやる。
過去に浴衣を着なければならない状態に陥った為、浴衣の着方は一応覚えていたのだ。
「浴衣ぐらいは着れるよ。着物は無理だけど」
・・・・・などと言わなければ良かった。
基本はどちらも同じで、たくしで長さを合わせた後は勿論帯を結ぶのだが・・・・帯の方は覚えてなかったんだよねぇ(意味無し)。
おかげでしっかり、
「浴衣もだめじゃん」
全く着れない姉に言われたよ、くそぅ。
帯は、普通に着物を着るときより小さめに蝶の形にし、これに被せるように袴を付ける。
白地に朱の鶴が舞う着物に、黒地に朱の模様が入った帯でアクセントを付け、紺一色の袴で締める。
これでモデルが良ければなかなか良い雰囲気である。
姉と自分の身長差のため、数センチ程裾を上げなくてはならない。
暫くお針子をしなければならないなぁ。
しかし、自分で借りるよりはましだ。
友人に幾らぐらいかかるのか、以前聞いたのだが、非常に高かった記憶がある。
しかたない、頑張るかぁ・・・・。


8日
針子

昨日の袴を裾あげするべく、ぶすっぶすっとまち針で裾を留めていく。
立ち姿だけ見るとそんなに裾が広く見えない袴だが、実際はひだを伸ばすとかなり広い。
身をもって体感した。
縫っても縫っても終わらねぇでやんの。
それなら面倒くさいついでに、スーツズボンの裾上げもしてしまおう。
どうせどちらも縫った後アイロン掛けしなけりゃならないのだし。
同じ手間なら一緒に、ってね。

ズボンの両裾をまち針で紅白に彩り終え、片裾を持って縫い始める。
縫っている最中、肩及び首の凝りをほぐすべく、軽く後ろに反って伸びをする。
膝掛けがわりにしていた毛布の上に、未だ縫っていないズボンの裾が落ちた。
何気なくそのまま落ちた裾を持ち上げようとして、俺は固まった。
・・・・・絡まってるし。
縫っていない裾には当然、まち針が付いている。
俺がこのとき使っていたまち針は、針の背の部分に申し訳程度に留め玉が付いているものだった。
膝にかけていた毛布にはカバーが掛かっており、その上面は毛布の柄が見えるように、六角形の細かな蜂の巣模様であったのだ。
蜂の巣の中に、まち針が頭を突っ込み引っ張られる。
当然、このまま裾を持ち上げればまち針は抜け、布団カバーの中に紛れてしまうわけで・・・・。
慌てて両者押さえましたよ。
まち針を抜きつつ、絡んでいるところを無くしていく。

ふう、これで全部かな。
毛布とズボンの裾を剥がし終え、見直す。
・・・・・一本足りない?
等間隔で打っていたはずのまち針だが、その通りにもう一度打ち直すとどうしても一本足りなくなる。
うーわー。
とっさに足下の安全を確認する。
ここにはない。
でもこの付近及び、布団カバーの中には必ずある。
そろそろと布団カバーをはがし、おそるおそる布団自体に刺さっていやしないか、触っていく。
こちらはクリアー。
すると、布団カバーの中に落ちている?
刺さると嫌だなーと思いつつ、カバーの縁に当たる部分を手でくしゃ、くしゃっと潰して確認していく。
あれ、ここにもない。
一体何処に行ったんだ、まち針よ。
もう一度探しても見つからなかったので、「もしかしたらその部分だけ等間隔には打ってなかったのかも」、と探すことを放棄した。
留め玉付いていない縫い針と違って、刺さって知らない間に心臓まで達してました、なんて事はないからひとまず安心(?)。
本当に、刺し忘れただけ、だよなぁ?


9日


「まち針や針の数は、作業を始める前と終わった後必ず数えましょう」
小学校5年生の時、家庭科を教えていた先生の言葉を思い出す。
本当だね、先生・・・・・。

いつものようにイスに座り、いつものように膝に毛布を掛ける。
いつものように足で毛布の裾部分をならす。
そして、いつものように針が刺さる・・・って、痛てぇ。
昨日いくら探しても見つからなかったまち針、見つかりました。
足の裏に刺さるという暴挙に及ぶ事で。
2度も刺すのは嫌なので、反射的に離した足の位置を確かめ、その部分を持ち上げる。
毛布カバーの端から銀色に光るそれは、飛び出していました。
触診までしたというのに、一体何処に隠れていたんだか。
苦々しいそれは今、既にしまってしまった裁縫箱に入れられるために、机上段部の確実に見落としがないところに刺してある。


10日
灯油と牛乳と魚

ちゃらら〜ん♪ちゃららら〜♪
この冬から毎日曜、灯油トラックが巡回してくるようになった。
今までも来ることは来ていたのだが、おおっぴらに定期的には来ていなかった。
音楽が聞こえてくると空のポリタンクを持った人が数人、トラックのいる方に集まる。
似たようなものに、牛乳があった。

小学校の低学年頃まで、牛乳トラック(と言ってもタンクではない。きっちり製品にパックされた物である)が毎週決まった曜日に来ていた。
TDLの「イッツ・ア・スモールワールド」のテーマが聞こえてきたらそれは牛乳トラックの来訪である。
牛乳の他チーズやヨーグルトなどの乳製品を載せたそのトラックは、子供の目で見ていたせいからかもしれないが、大きかった。後部荷物搭載部分におじさん(お兄さん?)が乗っかり、そこから商売していたはずである。
牛乳の買い出しはいつも兄の役目であった。自分と姉は時折付いていくだけであった。
それにしてもあの牛乳トラック、いつ、何処に消えてしまったのだろう。

消えた巡回トラックにはもう一つある。
魚屋である。
こちらは小さな巡業トラックと言った風体であったが、きちんとテーマソングもあった。
かわいいかわいい魚屋さん♪どうしてそんなにかわいいの♪
あれは一度聞いたらなかなか耳から離れないメロディーである。
お魚天国など目ではない。
それだというのに、いつの間にやら聞くことが出来なくなってしまった。

時の流れというものは、世知辛いものよのぉ。
・・・・等と書いておきながら、実際に利用していたのは牛乳トラックだけであることを、一応記しておく。


2003.February
いつかは春が、2月


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