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April 2003
<3月分日記 21-31>
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21日


22日
旅疲れ

寝て食ってばかりの旅行だったわりには、何やら疲労がたっぷりつきまとっている。
取りあえず荷物を鞄から出して、溜まった洗濯物を回していたらいつの間にか一日が過ぎた。

携帯電話のメール機能。
それは時として、「お使いメモ」となる。
最近、親父がメールを自主的に打とうとしている。
漢字変換やアドレス呼び出しなど、基本的なところは辿々しくとも何とか出来るようになったようだ。
「これ送りたいんだけど」
お使いメモである。宛先は姉である。
『○○頼む 父』
上記の一文であったが、激しく笑えた。
なぜなら、上記文のスペースには絵文字が入っていたのだ。
普通なら笑顔とかその辺りが入っているように思える。
しかし、父が入れたのは怒りマークであった。
恐らく、キラリーンっとさわやかに光っているマークだと思ったのだろうが。
流石にこれは姉怒るよ、別のにしたら、と言ったところ、次の選択も俺の笑いのツボにクリーンヒットした。
失恋マーク(ハートが破れたもの)であった。
彼にはラブリーに見えたのかも知れない。
それ以上訂正するのも自分が辛かった(腹が)ので、そのまま送信したのだが・・・・・。
姉の反応は、一体どうだったのだろうか。
知りたい心と知りたくない心が、激しく揺れ動いた。


23日
直前のあがき

いつものことである。
むしろ、直前にならないと動かない、ということの方が問題はあるのだが。
殆どやっていなかった着付けと髪型の練習を夕飯後からやり始めた。
・・・・なんか、もう面倒くさくなってたんだよねぇ、卒業式に行くこと自体。
だが、ここで
「あ、やっぱ俺明日出ないわ」
などと言ったところで家庭内噴火が起こるのは、火を見るよりも明らかである。
かったるいなぁ。

そんな感じで着付け練習をしていると、メールが届いた。
くえっぽと吹雪からである。
くえっぽからは、明日のゼミ4年飲みの確認の知らせで、吹雪からは明日会うならどうしよう、と言うものであった。
そういや卒業式って、暫く会ってなかった人とも会う確率高いんだよな。
みんな、果たして元気に過ごしているのだろうか。
こんな自分に対して、気にかけてくれる友人がいることに感謝した。
「面倒くさい」から「面倒」に多少、気持ちが浮上したのを感じ、自分の単純さに笑ってしまうところだった。


24日
卒業式

泣いても、笑っても、学生最後の日である。
この4年間、本当に色々なことがあった。
良い仲間にも恵まれ、未だ顔の知らぬ人とも友人となることが出来た。
良い社会勉強になったアルバイト、辛く苦しい勉学、励まし合うゼミの仲間。
未熟な自分を導いてくれた先生や家族。
今、自分は色々な人に支えられながら、巣立ちます―――。

・・・などと、殊勝なことをこの俺が考えるはずもなく。
実にさらっとした一日であった。

朝6:20起床の筈が、起きてみると既に7時を回っている。
俺がぼけーっとしている間に時計の針は忙しく動いていたらしい。
起きて飯食って、髪をセットし始める。
分けて、編んで、巻き上げて、ピンで留めて。
おし、完了。
慣れない化粧で顔をごまかし、着付けを始める。
途中まで自分で着て、帯は親に手伝って貰い、袴を着ける。
全体が整ったところで、簪を刺してもらう。
鼈甲の簪の端に、この間の台湾土産である翡翠の蛙付きストラップをぶら下げて完成。

母親の白地に朱の鶴が舞っている着物、姉の紺一色の袴。
見事に自前は一つも無し(笑)。
巾着に学生証と財布、カメラをぶち込み急いで家を出る。
時刻は9時。
元々の着予定時刻には間に合わないこと確実である。

うちの学校の卒業式は入学式同様、武道館で行われる。
今年は桜が殆ど咲いていなかったが、お花見散歩コースにはこの辺りはとても適しているところである。
地下鉄の出口から地上に上がり、吹雪に電話。
きゅーてぃ☆とSなえちゃんはもう着いているらしい。
居場所を聞き、人の流れに乗る・・・・そして見つけられないまま流され、逆戻りした。

皆さん、艶やかに袴で着飾ってました。
吹雪はおじいさんと来ていて、遅れてきた俺も入れて写真を撮ってもらっていると・・・・その横から見慣れた夫婦がカメラを向けている。
「すみません、アッチもお願い」
俺が言う。
うちの両親だった。
なんつーか・・・これは一応、良いタイミングで現れた、と言っておこうか。

親と別れ、知り合いだーなんだーとゆっくりしていたら、武道館内部に入るのに遅くなってしまった。
3階席辺りにぞろぞろと座る。
既に式は始まっていた。
「学位記、授与」
代表者が受け取るのをじっと見ているだけの欠伸が出るものである。
が。
知り合いがいた。教職を一緒に取っていた人である。すげー、総代か。しかもその後、答辞読んでたし。流石だねぇ。
総長やお偉方の話を眠いだのつまんないだの言いながら聞いていた。
式の後は学校に戻って学位記を一人ずつ貰うことになる。
通り抜けるのに、学校の建物の方向に靖国神社を奥へ奥へと行ったら、袋小路に出てしまった。ちっ、吹雪の言うとおり手前で曲がっときゃ良かった。
校舎に入って生協組合員費の払い戻しを受ける。
横で卒業アルバムも売っていた。もし買った人がいたら、秋葉流を捜してください。少なくとも3枚は存在しているはずだから。
学位記は学部・クラス毎に教室が異なるため、吹雪達と一旦別れる。
出席番号順に渡されるため、いなかった場合後回しにされるので早めに教室に着いていたのだが。
がらがら。渡す事務員も来てないし。
うーむ、ちと早すぎたか。
廊下にいると、友人Mが通った。
「学生証回収されちゃうから、今のうちにコピー取っておくの」
「あ、じゃあ俺もお願いして良い?」
自分で行くのは面倒くさいが、人にやって貰えるのなら構わない。すまんな、ぱしりにしてしまって。

学位記の授与は規定時間から10分ほど遅れて始まった。
初めに授与してくれる教授(刑法2の教授だった)から挨拶があり、5人ずつ呼ばれ、事務的に渡される。
挨拶は要約すると、
「君たちどうせ卒業したら法律なんて使わないと思って忘れてしまうだろうけど、例えば、この学位記を紛失したときに本大学の卒業生であることを証明する方法だとか、債務を負ってしまったときの対処法とか、色々使えることがあるので、役立てなさい」
と言う内容であった。もう既に、授業の内容なんて抜けきっているんだけどね・・・・・。
俺や一緒にいた友人達は第二外国語がドイツ語のため、早く貰うことが出来る。
だが、一緒に写真を撮ろう、と言っていた友人Fはフランス語だったため、後ろの方のクラスであった。
俺が学位記を受け取って席に戻ろうとしたらFが、
「流、流!後で写真撮ろうね!」
後ろの方の席から呼びかけた。微妙に周囲の視線が痛い。
Fよ、そう言うのはもう少し小声で言ってくれ。ただでさえ君が呼ぶそのあだ名はなかなかに恥ずかしいものがあるのに。
思わず、
「もう一寸小さい声で言ってくれ!」
と漏らしてしまい、側にいた友人達に笑われた。
後方クラスに行き渡るまで大分時間がかかりそうだったため、一旦教室の外に出た。
そこでゼミのメンツにも会う。
「写真だけでも残しておこう」
とにわか撮影会が始まる。
F出てくるの遅いなぁ。
大分経ってから電話があった。
「流達何処にいるの?もう下降りちゃったんだけど」
まじですかい。俺等、Fがなかなか出てこないな、って言いながら教室の外で待ってたんだけど。
「え、ほんと?でもまた上に戻るのは、エレベーター混んでるから無理だし」
そうだねぇ。
「じゃ、今回は残念だけど。また今度ね」
またなー。
・・・・・って、これじゃ教室内でのアレ、俺の恥かき損?
まぁいいか。どうせ殆どの人は知らない人だし(涙)。

ゼミのメンツとは夜にまた会うのでここで別れ、待たせていた吹雪達の元に合流する。
「同窓会みたいだね」
ほんとにそうだ。附属校生が集まっていると、卒業式と言うより同窓会と言った方がしっくりくる。
入学式以来会ってなかった人に結構会えた。
多少、ショックだったのは・・・・。
なんで眼鏡外したくらいで俺だってわからない人多いんだ?
そりゃ、確かに普段から「眼鏡は顔の一部です」なんて俺はうそぶいていますけれども。
「おーい」
と呼びかけて近づいて行ったとき、あっさり無視されたのには少々悲しかったっす。

撮ってもらったお礼に他の人のを撮ったりしたのだが、デジカメがかなり普及していた。
扱いに慣れないと撮りにくいわ、デジカメ。小型なのは良いけどねぇ。
誰かが言っていたのだが、
「普通のカメラがやっぱり、一番良い。」
激しく同意。楽だしね。

学位記授与後には各学部で祝賀会があるのだが、俺と吹雪は出ず帰宅。きゅーてぃ☆はゼミの先生が司会をしているらしく、皆で冷やかしに行くらしい。
電車にて吹雪と別れる。吹雪はバイト先に袴姿を見せに行かねばならぬらしい。
家に着いて、学位記と共に写真を撮ってもらう。あ、瞬きしてしまった。
おし、これで袴は終わりだ。
汚さぬうちにとっとと脱ぎさる。
そう言えば、今年は昨年よりも袴率が高くなっていたらしい。皆レンタルできるほど裕福なんだねぇ。
ご飯食べてくつろぐと、すぐに出かける時間となった。

18:40、学校最寄りの天狗前にて集合。
ゼミ飲みで必ず使う場所である。
そこで19時から先生交えて飲んで。
少人数でテーブル囲んでまったりしていたせいで、途中寝ていました。
今回先生とは席が離れていたので、あまり面白い話は聞けなかったなぁ。
解散の際、来年か再来年かに、公認会計士なり、税理士なり、公務員なりが受かったときに、またその人のおごりで飲もう、と言う話が既に出ていた(笑)。

長い、長ーい一日。
久しぶりに色々な人に会えたことが、「卒業」の2文字と共に、嬉しかったなぁ。


25日
派遣会社の仕組み

仮にも、労働法をとっていたので本来はその契約の仕組み等に驚くなどということがあってはいけないのかもしれないが、いやはや。
4月から職無し、というのは些か家の方針としてはまずいものがあり、新聞の折り込み広告見て発見した場所に就業させていただくべく、派遣会社に電話したのが昨日のことである。
まずは「登録してください」とのことで、本日赴いた。
銀行のカードと印鑑、そして履歴書。
行ったことは簡単な筆記テストとタイピングテスト。
タイピング悲惨だったな。幾ら始めが「NumLock」状態だったからだって、デスクトップのキーボードになれていなかったからって、アレはないだろう。日本文だったのにねぇ。
面接はかなり突っ込まれるのかなぁ、と思ったらそうではなかった。
本日のは職回すための条件絞りだったようだ。
ほのぼのしていちゃいけないんだろうが、かなりほんわかしていたなぁ。

今回のこの書類(つーか、俺の履歴みたいな物)を先方に渡して、その後先方と面談だそうだ。
ここに決まってくれりゃ、しばらくの間は安泰・・・・・の筈である。


26日
お電話リンリン

電話の音と言えば、その昔は黒電話のジリリリリ、という非常ベルのようなものが主流であった。
現在の我が家はレトロにも昔のはやりのまま(というより、素直に言えば黒電話のまま)である。

俺が居間にいたとき、携帯が鳴った。
ティロリーン♪チャララララララチャララ〜♪
・・・・ここ最近、目覚ましがわりに携帯を使っていたおかげで音量を最大にしていたので、狭い家の中に盛大に響き渡る。
必殺仕掛け人のBGMである。
わざわざダウンロードしたりするのが面倒くさいので、デフォルトで入っている中でもっとも好みなものを選択した結果、こうなった。時代がかった曲調がかなりのお気に入りとなっている。
ゼミの後輩から28日のゼミ飲みの話を聞き、通話を終了する。
母が言った。
「すごい音ね、それ。必殺仕置き人でしょ?」
「いや、必殺『仕掛け』人だよ。題名もそう書いてあるし。」
「昔は『仕置き』人だったよね」
母が父にそう話を降る。
「確かそうだったなぁ」
あからさまに「まぁそうだった・・・かもしれないな」といった感じの返答である。
「悪い人を懲らしめるのだから、『仕置き』人に間違いないよ」
そう断定する母。
ホントに昔は仕置き人だったのかなぁ?


27日
平穏

ここしばらくで一番心安らかにしていた日のような気がする。
要するに、何も印象に残っていることがなかった日だって事で片づけてしまおう。


28日
最後のゼミ飲み

午前中、派遣会社から電話がかかってきた。
「今日夕方前方と面談あるんですが、大丈夫ですか?」
「はい、空いています」
「では・・・」
夕方から顔合わせらしい。
小心者の自分としては、今から既に緊張モードである。
あ。
時間的にまっすぐゼミ飲みに行くことになるな。スーツでかぁ。うう、やだなぁ。

台湾旅行及び卒業式で撮った写真が今日上がってくるので、それを受け取ってから面談へ。
「面談」と言ってたとおり、本当に俺に対して回されるであろう仕事概要の説明だけであった。
これで、4月1日から一年間、よっぽどのへまをしない限り派遣として使って貰える事になったのである。
拍子抜け〜、と同時に一安心。なぜなら自身に対し、なんのつっこみもなかったから。
だが思ったのは、「派遣会社の信用ってすごいのだなぁ」ということである。
まぁ、「所詮派遣だからすぐに首がすげ替えられる」との考え方も作用しているのだろうが・・・。

思ったよりも早く済んだため、待ち合わせに時間が40分ほど余ってしまった。
さて、どうするか。
今日は迷ったら困る、という心配があったため、地下鉄を使用してきたのだが、派遣会社の人と別れてから地上を見渡したところ、何やら見覚えのあるところだ。
ああ、あの辺りだ。
以前「散歩だ散歩」と称して歩き回っていた付近である。
東京タワー付近にある寺、増上寺がでーんと構えている場所にほど近いところであった。
確かこの辺りに図書館があった筈・・・・おし、あった。
図書館で席を占拠し写真を選り分け、しばし時間を潰す。

再び地下鉄に乗って待ち合わせ場所へ。
東京に住んでいながら、今日ほど地下鉄を駆使した日は初めてかもしれない。
大概は地上で歩き回って事済ませていたからねぇ。
本日ゼミ飲みは3年企画でまたもや天狗にて。
既にうちのゼミ一次会の恒例場所となってます。
先生は、急の飲みだったため来られないとのこと。

今日、ゼミの選抜試験だったそうで、どんな人が来たのか聞いたところ・・・。
「30人くらいだったんですけど、やばいっすよ」
何がだい?
「女の子は10人くらいで結構かわいい子ばっかりだったんですけど」
ふむふむ。
「男はヤバイ。こんな奴らがゼミにいたら、俺出てこなくなると思います」
そんなにヤバイんですか。
「ええ。メガネ率が異常に多かったし。妙に濃い奴ばかりで。」
「ゼミ飲みやっても、4年生だけでやりますよ」
えらい言われようである。
「じゃぁ面接で女の子しかとらないとか」
「でも、去年の例からしても、3分の2ぐらいしか残らなかったから、新3年2人だけとかなって、ゼミが成り立たなかったりして」
笑い話にならない笑い話である。
下らない話の出来るゼミで良かったと、つくづく思う。

お開きになり、帰り始めたところ。
帰り組の俺とゆうひが歩いていると、後ろと大分離れてしまった。
まぁいいか、と向こうが手を振っていたのでこっちも振り返し、さあ帰るべと振り返ろうとしたら、誰かが走ってきた。
2次会から参加の子であった。
互いにすれ違っていたはずなのに、どちらも気が付かなかったらしい。
笑い話であった。


29日
集まりの悪さ

我が道を行く、というか個性的な(むしろ自己主張が強いと言った方が適切か)人が俺の出身高校には多かった。
今回の件もやはり、それが関係しているのかもしれない。
3月の頭ぐらいに「クラスで同窓会をやります」というお知らせが電話で回ってきた。
勿論、俺は不参加である。
今日、Fから電話がかかってきた。

「30日にやる、同窓会の話聞いた?」
いんや、それは初耳だ。16日にやったらしいが。
「何それ。16日のは私のとこ回ってきてないよ?」
出席番号前から回っているはずだけど・・・。中身は先生が撮り溜めていたビデオの上映会と食事らしい。
「今回友達から回ってきたのも同じ内容だよ」
じゃぁ、前のの仕切直しかな。
「そうかもね」
(よっぽど人が集まらなかったのか、どっかで連絡網が途切れたのか。Fは出席番号だと前から3分の2ぐらいに位置するのになあ。)
「で、流、行く?」
勿論行かないって。

この後暫く話してから受話器を置いたのだが、クラスの同窓会、仕切直してまでやるのかぁ。
「クラス」というものにあまり思い入れのない自分としては、結構不思議な感覚である。
F曰くの、
「結局仲の良い人としか話さないんだったら、個人的に連絡取って会う方が良い」
というのに俺は大いに賛同する方だからである。
うーむ。
今更ながら、俺も結構個性的な人間の一人だったのかもしれない。


30日
溜まった溜まった。

パソコン起動を自粛していたところ、色々と溜まってしまった。
本日、前々からすぐに調子の悪くなるIEをver.5.5からver.6.0にあげました。
これで、多少は調子が良くなるか。
NNだと問題なく行くのにねぇ。
もしかして単に、IE立ち上げっぱなしで何時間も放置しているのが悪いのか?
まあいい。どうせ考えてもわからないのだし。
さて、取りあえずは日記の方を打つかぁ。


31日
最後の休日

自分的にはそんな感じだった。
世の中の、明日から社会人になる諸君もきっと、そうであったのだろう。
・・・・が。
メールが来た。
くえっぽからであった。今、静岡にいるらしい。
「もう今日から研修始まってるの。一週間こっちだよ」
とのことであった。
うわ、はやっっ。
確かに本日は月曜だから切りは良いのかもしれないが、やられた方はたまったもんじゃないよなぁ。
うーむ、いかん。
なにやら全てが面倒くさくなってきた。
取りあえず、寝よう、かな・・・。


2003.March
今か今かと春を待つ、3月

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