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August 2003
<8月分日記 11-20>
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11日(月)
室内、ゆったりと

夏休み。
特に今のようなお盆前になると、非常に人が少なくなる。
空く、電車内の人口密度。
減る、道路の交通量。
そして、少ない職場の人数。
人が少なく快適であったが、逆に冷房機効きすぎて寒かった。

胃が悪いのか、腸が悪いのかよく分からないが内臓の具合が変である。
腹の中がすこぶる気持ち悪く、リタイアしたい気分である。
月曜日からこの調子で、果たしてこの週持つのであろうか・・・。


12日(火)
寝心地

北海道でもないのに、夜が非常に涼しい。
特に昨晩〜今朝方は特に涼しかった。
風の流れが絶えぬようにと、窓を開けっ放しにしているせいもあるのだろうが、厚手の布団をこちらの夏場に掛けて寝たのは関東で暮らすようになってから初めてである。
嬉しいほどに涼しい。
秋到来、と銘打っても間違えでは無かろう(むしろこのまま秋に突入してくれると感無量である)。
通常で涼しいだけでなく、本日は雨降りの影響でより過ごしやすくなっている。
部屋を流れゆく少し冷たい風と、布団の暖かな温もりを感じつつ、二度寝した・・・ため、目覚まし時計の音が聞こえなかったのはここだけの話である(遅刻にはほど遠い時間であったが)。


13日(水)
背筋

背筋が痛い。
丁度、背筋の腰少し上から背中の中位までのところが、見事な筋肉痛になっている。
軽く押すと、筋肉痛独特の鈍い痛みがじわりと襲う。
最近、運動と言える運動をしていないため、運動不足による筋肉痛が起こるのは容易に想像できる。
だが、その原因となる「背筋を使うような運動」をした記憶がない。
背筋を使う運動といえば、思いつくものを挙げればスクワット、腕立て臥せに腹筋、前屈、それに重い荷物を持つこと位だ。
挙げながら考えてみたものの、やはり背筋を使うような動きをした形跡はない。
うーむ。

あ。
一つだけ思い当たった。
思いあたったのだが・・・よもや、まさかそれぐらいで背筋に乳酸が溜まるようになったのか、俺。
情けないにも程がある・・・・。

最近、姿勢が悪いなぁ、と思っていた。
パソコンに向かうときは自然前のめりになるし、そう言えば直立不動の姿勢なんて、ここしばらくとったことが無い。
そこで、歩くときくらい、姿勢に気を付けてみようと思い、実践し始めたのが一昨日の帰宅時のこと。

まず、背筋を伸ばす。
するとこれにつれて視線が上がり、顎は軽く引く形となる。
肩を少し後ろ側に引く感じで胸を張る。
これに加えて軽く腹を引っ込めれば上体はまっすぐになる。
おし、歩くか。
ある程度腹筋及び背筋に気を配っていないと、すぐにいつものへたれた姿勢に戻ってしまう。
気をつけて、気をつけて。

とまぁ、こんな感じで二日間続けて行ったのだが、これぐらいしか思い当たることはない。
もう少し続けていけば、筋肉もささやかながら鍛えられて乳酸も溜まりにくくなるのだろうが、現状から考えるにそれは一体何時のことになるのやら・・・。


14日(木)
ゆれるカーソル

静止しているはずなのに、時折小刻みにぴくり、ぴくりとゆれるカーソル。
まったくもって、不思議なものである。
通常のボール式マウスやパッドではこのような事態は起きていない。
これが起きている原因は、このマウスが光学マウスだからだ。
「ボールを利用していないので、ゴミが溜まらず、なめらかに動く。また、内部を分解して掃除する必要もない。」
その辺りが謳い文句だったはずだ。
だが、実際に使用してみると、いささか不都合があったりする。

ここにマウスA(ボール式・not USB接続)とマウスB(光学式・USB接続)の2種類がある。
AはUSB接続ではないため、パソコン本体についているパッドを同時に使うことが出来ない。
また、古いタイプのせいかマウス自体のサイズが大きい。
BはUSB接続で競合させていないため、パッドも一緒に使える。
常時パッド利用者の俺にとっては使いやすい形である。
また、サイズも手のひらにすっぽりはまって使いやすく、ホイールもついている。
一見ならぬ一聞すると、マウスBの方が高性能のように思われる。
だが、やはり落とし穴はあったのである。

職場の机上は大抵の人が想像するように、透明な厚地のビニールシートがひかれている。
その上をごろごろとボールつきマウスAを転がす。
なめらかに、滞ることなく思い通りに動く。
同様に、マウスBを動かす。
いまいち動きが引っかかる。
時折、上下に移動させているにも関わらず全く反応しなかったり、行きすぎたりと結構癖がある。
一枚紙を下にひいてやれば正常に動くのだが。
そうは言うものの、常時パッド及び紙をマウスの下に標準常置しておけるほど広くないため、不便となる。
まぁ、俺自体が使用するときは全てパッドを使っているから問題ないのだが。

びくり、びくりと時折思い出したかのように小刻みにゆれる矢印カーソル。
視界に入る度、何故だが、俺がいじめているようなに思われるのは、気のせいだろうか。


15日(金)
爪が牙をむく(痛み増量中)

実際の所は、「爪が肌を刺す」と言った方が適切なのだろーが。

昨日、足の爪を切った。
適当にばちばちと白いところが有るか無いか微妙なくらいに。
おし、おっけー。
妙な満足感を覚えた。

今日、いつものように仕事に行って、帰ってくるとき足が痛かった。
最近良くある、足裏の親指付け根の丘になっている部分にある骨にダイレクトに響く痛みではなく、刺すような痛みだ。
もしや、昨日爪を切ったのが徒になったのか?

家に帰って足を見ると右足人差し指の爪右側が、肉部分に刺さっていた。
そしてその影響で、指先が赤く腫れかかっており且つ、リンパ液のようなものが滲みだしている。
うわぁ。
どうやら爪の切り方が悪かったらしい。
擬似巻爪と化している。

指の爪は指先から横にかけて、滑らかになるように切っても全く問題はないが、足の爪でこれを行うとときとして文字通り痛い目に遭う。
足指の場合、余分な負荷がかかるため、爪が肉に食い込みやすいからだ。
結果、手指のような切り方をすると、巻爪化へのご招待、と相成ってしまうわけである。
そのため、足指は本来、爪先に対して水平(要するにまっすぐ)なるように切るのが悲劇をもたらさない手法となる。

さて、擬似巻爪化してしまったこの人差し指の処置をどうしようか。
そう言えば、はるか昔に巻爪の処置方法をどこかで見た記憶がある。
確か、爪が肉に食い込まぬよう、両者の間にプラスチックを挟んでいた。
そう思い出し、机の周りをざざっと見渡す。
そんな都合の良いものなんてそうそう見つかるわけはない。
では、代わりの品を。
取り出したるは、メモ書き用に裁断された一枚の紙。
端の方を適当にちぎり、一折り、そしてもう一折り。
厚紙よりは少し薄いぐらいの細い紙が、出来上がる。
そして、紙テープを引き出しから取り出す。
いざ。

爪を強引に押し上げ、肉との間に先程折った紙を挟む。
すかさず、紙テープでもって固定。
簡易処置終了。
・・・文字で書くと一瞬で終わったかのようにみえるが、実際にはなかなか紙が間に挟まってくれなく、何度か痛い目にあった。

今度から、足の爪には気を付けよう。


16日(土)
起きると既に、昼

本日、予定では朝起きて、トルコ三大文明展に行く予定であった。
なんやそろそろ起きんとなぁ、と思ってのそのそと布団から這い出た。
時計を見ると14時を回っていた。
うーむ、今日も無駄に過ごしとるなぁ。
まぁいいか。
今日は一日雨模様だしな。
明日行こ、明日。


17日(日)
トルコ三大文明展/旧岩崎邸

本日は早起き・・・否、早起こされし、東京都美術館へ。
当初の予定では、美術館開館と同時に乗り込む筈であったが、15分ほど遅れをとった。
トルコ三大文明展は、そのタイトル通り、3つの文明という形で大きく流れが区切られて展示されている。
入り口付近が早くも混み始めていたので、姉の提言により、
「ヒッタイト文明はすっ飛ばして、ビザンツ帝国から廻ろう」
と言うことになった。
実際にこの廻り方は正解であった。

・ビザンツ帝国
大理石で出来た大きな胸像。
通常の人間サイズの1.5倍くらいの全身像。
石で出来ているにも関わらず、冷たさは感じない。
ゆったりと体にまとっている布のひだにすら、優しさを感じる。
石の柔らかさを感じさせる作品群。
そんな印象を残した。

・オットマン帝国(オスマントルコ)
刀剣と印章とターバン飾りと壺。
まずは刀剣から。
刀剣といえば、今回このトルコ展での目玉である「トプカプの短剣」。
贅沢にごろんと使われた数個のエメラルドと、その周囲を彩る多種宝石・七宝・金装飾。
エメラルド付きの柄尻の部分には蝶番が付いており、ぱかりと開けると時計が付いている。
サイズ的には25センチ位の短剣だ。
細かい装飾は・・・よく見えない。
というのも、いささか厳重すぎる警戒のためだ。
紐での立入禁止バリアのみならず、容易に持ち出し出来ぬよう、アクリル樹脂で周囲を固めた上、更に硝子ケースに入っていたのである。
紛失は避けがたい事態、というのはよくわかるが、これではいくら有名かつ見応えのあるものであろうとも、気分が萎えてしまうこと請け合いである。
まぁ、確かに綺麗ではあったがね。

刀剣といっても、これだけではない。
この他に、5本ほど来ていたのだが、俺的にこの中で気に入ったのはクルチェ(トルコ語。弯刀(わんとう))。
短剣系はやはり宝飾品としての意味合いが強いものが来ていた。
長剣系を見たら心躍ってしまった。
刃は、日本の直線形とは違い、緩やかなS字カーブを描いている。
細身で、刃自体の厚みもない。
刃の先の方は、背の部分が包丁のようにきちんと付いていた。
突にも切るにも適しているようになっている。
うーむ、合理的だ。
装飾は柄の部分だけでなく、刃の上部にも彫り込みの文字装飾が施されていた。
そして、それ故に実用していたものであったことが判明した。
刃のカーブしている部分の装飾が、薄れて消えていた。
来ていた刀剣の中で、最も装飾性が少ない黒皮張りの刀剣。
ビバ、実用。

次は印章。
印章といっても、実印の「押す」方ではなく、既に紙に押された部分である。
言ってみればスルタンのサインであるが、これがまた面白い。
当たり前の事ながら使われている言語はアラビア文字である。
文字自体に装飾性があり、面白い。
それだけではない。
サインがされている「紙」自体も見所が満載だ。
赤と緑の蔦による文様が紙いっぱいになされており、これとサインが相まって一つのデザインになっている。
・・・まぁ、サイン自体が「文字」として判らないから余計にそうだったのだろう。
一見目は2人して、
「どれがサイン?どっちが地模様だ??」
と混乱していた。
すぐ後にあった押印自体を見て、ようやく判別ついたのだが。

ターバン飾りは・・・まぁ、見ていただきたいという感じだろうか。
形容に難しいが、見る価値はあるな、という雰囲気を受けた。

壺。
まさにツボ。
オスマントルコ後半になると中国(主に)との交流が盛んとなり、中国製の陶器が渡来したりしている。
青磁の皿や香炉等。
ただ、注目すべきは只の「皿」や「壺」ではない、という点である。
通常陶器であれば、焼き上げられた壺なり皿なりの状態のままである。
だがここに並んでいたのは、それに装飾(?)が付加されていた。
金属である。
壺であれば蓋付きにして、蝶番や鎖が付けられている。
香炉であれば、上部が完全取り外しが出来ないように蝶番で結ばれている。
水差しの口の部分は金で覆われ、取っ手は金属で作られていた。
めちゃめちゃ違和感ありまくり
至極、後付け感の漂う作品群である。
妙に、歴史を感じるなぁ。
そういえば、「トルコ」を強調している陶器が一点あった。
こちらも壺である。
トルコの象徴は国旗を見ていただければ判るのだが、「星」と「月」である。
これがプリンティングされたかのように万遍なく施されている壺があった。
それを見た姉が一言。
「ファンシーだね」
うむ。

・(始めに戻って)ヒッタイト帝国
時代が遡るだけあって、彫りやなんかの造形も拙く、荒い。
石ころといっても過言ではない(暴言)。
ただ、古くからの石に彫られた文章の紹介等は興味を引かれた。
人が多かったからしょうがないのかもしれないが、やはり時代物は時代の流れに沿って見ていくべきであると思った。

展示数がそこそこ多く、見応えはあったなぁ。
装飾・造形に深みが出ているオスマン帝国ごろの展示がやはり最も印象に残った。

我々がこの展示を見に行く前に、両親が行ったのだが、奴らはこう言った。
「小さいものばかりでいまいち見応え無かった。メインに出されている『トプカプの短剣』も、あの飾り方じゃねぇ。ターバンの飾りは映えるものが来ていて良かったけど。」
付け加えて言った。
「やっぱり本場で見てこないとねぇ」
そしておもむろに撮ってきた写真達を並べ始めた。
・・・はい、奴らは何年か前に行ってるんですよ、トルコ。
うー、話を聞くと行きたくなるんだよなぁ。
けど財政難が。
しかし、体力のある内しか行けないしねぇ。
パスポートも切れる前に、あと一回以上は使っておきたいしな。
まぁ、そんな逡巡は横に除けといて。

総合していうと、とかく人が多く、想像していたよりもゆっくりと見ることが出来なかった。
『トプカプの短剣』が人を呼ぶ(笑)のか、トルコそのものに惹かれる人が多いのか、それともただ単に「光り物」に弱いだけなのか。
そのあたりの真偽は判らないが。
作品保護のため、照明を暗くしている関係上、2時間ほど後に展示会場から出た後、少々目がしょぼしょぼしてしまった。
この辺の気遣い(作品をより良く見せる、ではなく、展示物保護を優先)が日本ならではなんだよなぁ。
最終的に、展示を見に行く前よりも見た後の方が、現地に行ってみたいという気持ちは強くなったよ、くそぅ。

展示を見終え、入り口付近で流しているトルコ展紹介のための9分ほどのVTRをゆるりと座ってみる。
やっぱり、きちんと照明当ててあると見やすくて良い。
四角い枠の中、ってのは寂しいものがあるけれど。

一息ついたところで美術館を後にする。
外は、秋雨らしく霧雨がぱらぱらと降っていた。

さて、この後は飯にするか、そのまま立て続けて東京国立美術館で「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」を見るか。
だが、国立美術館は特別展でこの「アレク〜」がやっており、同時に特別展のチケットで常設展の方もみることが出来る。
どうせなら特別展と共に常設展も見てこよう・・・というのが普通の心の動きであろう(と断定)。
だが、あそこは広い。
べらぼうに広い。
以前、無睡眠及び成績表を受け取った後かつ、約束していたにも関わらず無断ですっぽかされた挙げ句に文句を言われたという、スバラシイ精神状態で見てきたというのも関係しているのだろうが。
それを差し引いて、かつそれぞれの展示品の良さを加味してもやはり万全の体調で望まないと危険である。

トルコ展で意外にダメージを受けた我々は、前に姉が「行きたい」と言っていた旧岩崎邸(概要案内はこのリンクへ)に向かうこととした。

上野公園、そして忍ばずの池を突っ切っていく。
この時期、既に蓮の花は終わっているはずなのだが、今年は寒かったせいなのか、未だ数えるほどにだがピンク色の花が形を残していた。

旧岩崎邸についての詳細はColumn<旧岩崎邸>にて。

この後御徒町松坂屋で飯食って、そこでやっていた改装前バーゲンに巻き込まれ、帰りに慶屋でAPSフィルムの補充して、帰宅。
ええ、まぁ簡潔に書いた上記一行にも色々あったのですが、その辺りは省略しますよ。

・・・文化的な一日だったなぁ。


18日(月)
富士登山

夏休みを取っていた人が戻ってきた。
どうやら富士山に登ってきたらしい。
懐かしいなぁ。
俺もその昔、登った。
確か高二か高三の頃であったと思う。
あれは夏の、盆に入る少し前のことであった。

一泊二日のツアーで、同行者姉及び母。
ジャージを身に纏い、いざ出陣。
五合目まではバスで行き、そこから八合目までひたすらハイキング。
普通のハイキングコースを歩いているのと変わらない。
確かに、八合目近づくにつれて植物は少なくなり、小岩が増えてきたが。
八合目には少しの売店と、山小屋がある。
ここの山小屋で、夕食(カレー)を取り、体を休める。
・・・とはいうものの、寝る場所がひどい。
二段になっている横長の押入で、戸をはずした状態を思い浮かべていただきたい。
ここに一人の人間が奥側に頭、手前側に足、そしてその横に寝る人間は奥側に足、手前側に頭といった形で互い違いになって寝るのである。
寝れたもんじゃねぇ
いえ、別に繊細ぶっているわけでもなく、「実はそれでも寝ました」という落ちが付くわけでもないですよ。
本当にひどい環境だ。
恐らく、ツアーじゃなければ幾ばくかはマシなんだろうけどねぇ。

御来光が出る時間に合わせて、登山を始める。
幸い天気は悪くなく、星も少し見えているぐらいであった。
真っ暗な中、ひたすら上っていく。
しばらく上ると、「上る」から「登る」に変わってくる。
大岩を手足を駆使して登るようになる。
ここらで若者とそうでない者とで、速度に差が出てくる。
久しぶりに猿になったな。
上の方に行って斜面を下に見やると、点々と光りを放つ列が見えた。

上は寒いから、と言われ厚着及び合羽を着ていったのは正解であった。
本当に寒い。
寒いからと言って、走り回るわけにも行かず、ただただ震えているだけであった。
真冬の気温に感じた記憶があるのだが、一体何度くらいだったのだろう。
30分ほど頂上で待っただろうか。
ようやく空に色が着き始めた。

全くの快晴というわけでは無かったのだが、これが逆に景観を良くした。
上方に少しの雲と、山の上方を残すように広がった2層の雲に、光が映し出された。
暗い、全くの黒い空に透明な光が射す。
空や雲がオレンジ色に染まり、上空が青くなっていく変化は、圧巻である。
緩やかに、だがいつの間にか染め変わっていく様は是非、自分の目で確かめていただきたい。

下りは楽であった。
ただ、大岩の代わりに大きめの砂利が足を取るため、その点には注意しなければならなかった。
後はとにかくどんどん下山して行くのみ。
ひたすら降り、五合目からバスに乗り、昼食場所兼風呂場がある河口湖ほとりの土産物屋に行く。
風呂は只の銭湯の様な場所であったが、適度な運動・そして砂埃まみれだったせいか、非常にさっぱりすることが出来た。
富士を下山してきたら、必ず風呂に直行することをお勧めする(記憶に間違えがなければ、風呂使用は確かオプションだったはず・・・)。

あとは飯食って土産買ってバス乗って帰宅。
バスの中でなにやら「富士登山証明書」なるものをもらった気がする。

一泊二日の富士登山ツアー。
天気が悪いと御来光も望めないらしいが、天気予報をにらみつつ、一度行ってみてはいかがだろうか。
(おそらくは2回目も行こう、という気にはならないだろうが・・・)


19日(火)
秋雨前線

「今年の夏はほんのわずかだった」
そう言っている人がいた。
確かに、本日辺りから天気・気温が回復するようなことを予報では言っていたが、実際にはこの通り(どんより曇り空・時折小雨、そして気温は20度少々)。
天気図を見ると見事な秋雨前線が日本を横断している。
涼しくていいねぇ。

今年の夏は涼しい。
よって、そろそろ布団の位置を戻そうか。
一段布団を下ろすと風が流れ涼しくて良いのだが、今日日の気温では必要ない。
それどころか寝るときには寒いので掛け布団を掛けており、なかなか狭くて現状ではあまり良くない位置である。
・・・だが、ベット部分に色々とものを置いてしまった関係上、それを片づけないことには布団を戻せない状態なんだよなぁ。
早いとこ片づけろってか。


20日(水)
溜めすぎか

8月も半ばを通り過ぎ、月の2/3も過ぎた。
そろそろ更新しなければならない。
書き散らした日記を読めるようにまとめ、上げなければ。
これ以上溜めるとひどいことになりそうだ・・・・。


2003.Augst
中だるみの冷夏、8月

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