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November 2003
<11月分日記 11-20>
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11日(火)
届け物

本日朝からなにやら体調が悪かった。
遡って思い出すと、昨日昼辺りから腹の中が変な感じはしていたのだが。

昼過ぎに、他関連2社に書類を届けに行くために使いに出された。
行きはタクシーで帰りは地下鉄使用。
雨降りではあったが、足回りも楽々万全だ。
・・・そう楽観視していたのだが、これがなかなかそう上手くは行かないものであった。

昼過ぎという時間に雨降りという条件が重なると、それは道路が混み合うという答えに導かれる。
そう、まず呼び出していたタクシーが待ち合わせ地点に来るのが遅かった。

次に、自分の体調。
元々が乗り物に酔いやすい体質であり、且つ昼食後。
これに加えて、渋滞状態の道を走るタクシーは、少し走る→停まる→少し走る→停まる、を繰り返し、この走り方はそこはかとなく寄せては引く波のようであった。
つまりは酔ったのである。
ものの20分ほどの行程で、花畑を垣間見た気がした。

タクシーを降りてから、一件回って二件目行ってという「歩き」の行程がどれほど自分にとって救われたかわからない。
だが、やはりこの近代化した社会の中、タクシー及び地下鉄という乗り物以外にも、敵はいたのであった。

エレベーターである。
よく、地上○階まで上がるような高速エレベーターでは、
「上がるとき及び停まるときの浮遊感が気持ち悪い」
と言う人がいる、ということを聞いたことがあるが、自分はそのような状態になったことがなかった。
それにも関わらず、普通のエレベーターで酔いが増進されるとは。
微妙に情けなかったりする。

帰りの地下鉄は最悪であった。
幸い(?)にも乗り換え・乗り換えであったので、揺られている時間は少なかったのだが、このまま家に帰れたらなぁ、と思うくらいには弱っていた。

使いをするのなら、直帰できる時間にさせて欲しいと本気で思ってしまった。


12日(水)
磁気の威力

冬がやってまいりました。
風邪の時期もお供をしてくるようになりました。
これらにつれて、肩こり・首こり・腰痛が押し寄せる波の如く、くるようになりました。
こら、そこ。
年寄りだとか言うのはやめなさい。

久々に貼ったピッ○エレキバン。
あ〜効く〜。
凝っていたせいか、頭の奥まで一気にざわっと広がっていく。
布団にくるまり、ガウスの力に身を任せる。
ああ、これぞ冬の醍醐味(違)。


13日(木)
地震

太く頑丈な大木と、弱々しく揺られる柳の木。
さて、どちらの方が暴風雨に対して耐えていることが出来るだろうか。

正解は後者の柳の木である。
一見、頑健な大木の方が暴風雨に耐えられるように見えるが、「耐える」、つまりその分の負担を全て吸収しなければならないのである。
柳は押し流されそうであるが、「流される」、つまりその分の負担を全て流しているのである。
こういう理由で、柳は大木よりも暴風雨に耐性があると言える。

「力を受け流す」、というのはビル等の耐震構造にも用いられている技術である。
ビル自体に震動をそのまま伝え、ビル上部に向かって力を放出する。
そういう形を取っている。
今現在、俺のいる職場は耐震構造が済んでいるビルである。

ここ数ヶ月の内に2,3度、震度4位の地震が起きた。
その度に(偶々だが)自分は職場にいた。
そして昨日も同様、職場にいた。
耐震構造のビルの中。
その揺れ方は、まさに柳のようであった。

ゆらりゆらりと震動が伝わってくる。
明確な揺れであれば、
「あ、揺れている」
と感じられるのだが、小刻みな判るか判らないか位の揺れの場合、地面がまるで船の上のようであった。
若しくは、「酔ったときに地面が歪んでいるように感じる」と言った方が通りがよいかもしれない。

アルコール摂取していないのに、また、地上の、乗り物でもないところで酔ってたまるか。
微妙にそう思ってしまった。


14日(金)
終わらぬ旅(・・・の日記)

一つ一つぼんやりと思い出しながら打っていると、なかなか終わらない。
現在の書き終わった率としてはおそらく7〜8パーセントくらいでは無かろうか。
思い出したその時点から打ち始めるから、書こうと思った事をすっ飛ばしていたことに後から気が付いたり、終わりが尻切れトンボになったりする。
うーむ、年内には終わらなそうだ(早くも弱気)。

まぁいいか。
教育実習裏話だって終わってから実施後から半年以上経ってようやく書き上げたのだし。
気楽に行こうな、自分。


15日(土)
当たり前だと思いつつも突っ込みたくなる一瞬

近年、チラシやスーパーの売り場に行くと、よく見かける謳い文句がある。
「○○さんの作ったセーター」
「××さんが育てた牛」
このように、既に「ブランド」の域を超え、「個人」に走っているものである。
まぁ、それ自体は別によい。
ふと俺の目を引いたのは、それらの文言の横に添えられていた文字であった。

「△△さんの育てたブリ切り身 (養殖)」
・・・。
誰かが育てたのだから、そりゃ当たり前に養殖だろう。
天然なわけがない。

自分で突っ込んでおいてなんだが、ちょっぴり悲しくなった。


16日(日)
ものぐさ太郎

DiaryやColumnが大分溜まってきたので、どこかのリングに登録してみようかと思い立った今日この頃。
久方ぶりに目的を持ってネットに潜り込む。
んーむ。
んー・・・。
むぅ・・・。

なかなか思うものに見当たらぬ。
やはり少し本腰入れて探さないとならぬかなぁ。
検索条件が曖昧すぎるのが悪いのか、ヒット件数が多すぎる。
口コミ(や知り合いHPのリンク)から広がっていくのが多いの、納得だ。
自分で探し出すのは面倒くさい。

・・・適当に、知り合いが加入しているところから、そのうち引っ張ってこよう。


17日(月)
お好み焼き

昼食に誘ってもらい、久々に外食をすることに。
お好み焼きが美味い店らしい。
うちの職場は仕事の関係であちこち現場視察のようなものをしに行かねばならないらしく、そのためにそれらについての様々な話を聞けてなかなか楽しかったりする。
ぼかした書き方になっているが、まぁその辺りは気にしないで頂きたい。

地下に潜ってすぐにある店の暖簾をくぐるとそこは昭和一桁代の雰囲気が漂っている。
壁には月光仮面のポスターがあったり、古めかしい日本の歌謡曲が流れている。
室内はコンクリートではなく、くすんだ木材が使われており、テーブルと椅子も然りだ。
昼食、という区切られた時間でなければこのまま時間を忘れてぼけっとしていたくなる。

注文してから大分経ってからお好み焼きが運ばれてくる。
荒削りの鰹節が元気良く踊っている。
それだけで食欲がそそられる。
ソースとマヨネーズで見目良く飾られている。
小手で切り分け、「頂きます」。

マヨネーズでとある話を思い出した。
「マヨネーズは邪道」という話である。

昨今、色々な料理で用いられているマヨネーズ。
以下は、これが許せない(というか、マヨネーズ入りは食べられない)という方々の主張である。
「小さい頃、食事中に野菜を食べていなかったら、『ほら、食べなさい』と大量にマヨネーズのかかったブロッコリーを無理矢理食べさせられた。それ以来トラウマである」
「パンにマヨネーズをのせたりつけたりするのは邪道」
「上にのっているのはチーズかと思ってピザを頼んだのだが、実はマヨネーズだった為食べられなかった」
「ご飯にマヨネーズなど、理解出来ない」
そして結論。
「昔日本にはマヨネーズなんか無かったじゃないか」
らしい。

美味かったお好み焼き。
そして、それにつきものとして登場する、マヨネーズ。
一回で2度美味しい話であった。


18日(火)
衝撃

職場からの帰り道で出会ったこと。
あれは雨の降っている日であった。
しとしとと降り続く長雨。
やむ気配を一向に見せない。
霧雨のようなその雨粒は、駅のホーム端を歩いていると容赦なく降りかかってくる。

いつものように電車が入ってくるまで、ホームの端を所定の位置まで歩いていた。
ざくざくと、足早に。
緩やかに電車が入ってきて、ホームに停まった。
ぷしゅう、という音と共にドアが開き、乗客が降りていく。

その様を横目で見つつ、なおも俺は歩いていた。
そしてある瞬間、衝撃が走った。

その衝撃は、まさに電撃が走ったかのようであった。
見事にヒットしたと言ってもいい。
かかとに一蹴り入れられたのである。

後ろから歩いてきていたおじさんも、停車している電車に乗るべくざかざか歩いていたようで、その勢い良いつま先が、俺の靴のかかとにヒット。
それに加えて、当たり所が悪かったらしく、かかとの底が取れた。
ぶらりぶら下がる靴底に、おじさんが一言。
「すみません」
一応謝ったから良しとしておこう。

底を外されて一踏み目に、かかとは上手いことはまってくれたから良かったが、今後この靴はけないなぁ。


19日(水)
特段気になったことの無い日

だったような気がする。
何も記憶の底にこびりついていることが無いなぁ。
あ。
一つだけあると言えばある。
「日記がまた溜まってきた」
・・・これだけ。


20日(木)
容量

メール本文プラス添付ファイルの総容量が0.5MBまで。

この、いじめと思えるほどの容量の少なさ。
泣きたくなります、マジで。
何が悲しゅうてこの大容量通信時代に0.5MB。
某フリーメールでも、総容量2MBはOKなのに(ただし、添付個数は3つまでとの制限あり)。

仕事の関係で、一太郎・Word・Excel・ロータスを入り乱れて使っている。
いい加減統一して欲しいところだが、フォーマットになっているのが一太郎やロータスだと面倒なのでそのまま使ってしまったりしている。
社内パソコンは大抵双方入っていたりするので、これら関係で問題が生ずることは多くはないのだが、問題は外部との交換だ。

勿論、外部の場合WordとExcelが主流だ。
Macでも然りである。

今回、ロータスで作成したファイルを渡すためにExcelにして、先方にメール送付した。
言葉で書くと簡単である。
そして、実際にも簡単な筈であった。
だがしかし。
ここにこうやって書かれると言うことは、あっさり塩味で済むものではなかったということなのである。

ロータスで作ってあっても、ある程度Excelに対して互換がある(それぞれの特性を活かす機能についてはきちんとした形で保存されないが、単なる「表」である場合、問題なく使える)。
アイコンがロータスで、拡張子が".xls"でないと「Excelファイルではない」と受け取られそうだが、Excelを立ち上げて、そこから「開く」をすれば使用できる。
先方がMacだったから対応していなかったのか、この方法を採ってくれなかった(通常通りにファイル自身をダブルクリックして開けようとした)のか定かではないが、
「開くことができなかったから、".xls"形式で再送してくれ」
というメールが返送されてきたことが容量overの発端となる。

形式を完全にExcel形式保存(拡張子".xls")にして、添付・再送。
ここで問題が起きた。
しばらくして
「メールが容量overで送ることが出来ませんでした」
とサーバーから送り返された。
ここで判明したことなのだが、ロータスの表を、単純にExcel形式に直しただけで、その容量は約2倍になると言うことに。

今まで送れたものが送れない。
前回も同じ事があったのだが、そのときには先方がこちらに足を運んでいたときだったため、FDDで渡すことが出来た。
だがしかし、今回は電子メールのみで送らなければならない。
付け加えれば、最終期限ぎりぎりまで先方に待ってもらっているので、「これから郵送」だの、「次会うときに渡せばよい」という手法は採れない。
斯くなる上は!!!

フリーメールで送りました。
ええ(虚)。
前述した某フリーメールに自分のアドレスを持っていたので、果てしなく失礼ながら、最終手段として使わせて頂きました。
仕事の物を。
こんな形で。
もう、涙がちょちょぎれて止まりませぬ。

フリーメールでさえある程度の容量が確保されているというのに、この少なさ。
色々と(他にもウイルス検索ソフトの使用期限が果てしなく切れる直前である等々)特にパソコン関係に関してなんとかしてほしい。
マジで(切実)。


2003.November
本格冬支度、11月

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