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May 2004
<5月分日記 21-31>
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21日(金)
切ない

本日少々遅刻気味であった。
カバンを抱えて飛ぶように走っていく。
駅に駆け込む。
丁度よい具合に、ホームに電車が入ってきたところだった。
この時間帯の電車は常時混んでおり、それに付け加え特急であったためそれこそ寿司詰状態であった。
そんな状態の電車に何とか乗り込む。
電車の揺れに合わせて波のように引きつ戻りつする人の群れ。
カバンも人波に揺られて、水平位置を保っていなかった。

途中駅で人も大分降り、人心地つく。
さて、もう少しで着くぞ。
こんな感じで一寸疲れた朝だった。

昼、いつものように飲食スペースで持参の弁当を取り出す。
今日もお腹減ってるなぁ、よし食べよう。
いただきます。
いそいそとふたを開ける。
きちんと区切られているであろう中身は、今朝方の自分の走りとラッシュで揉まれたために無残にもシャッフルされていた。
・・・。
少しばかり切なかった昼であった。


22日(土)
まんま

そのまま、というのが変化していった言葉であろうと推測。
というか、自分はその意味で普通に使っているし。

本日も普通にDiaryを打っていたのだが、上記の「まんま」を変換したら「飯」と出てきた。
確かにそうだよなぁ。
ねこまんま、等でも使うしな。
だからといって、「そのまま」というニュアンスで書いていた文章の中に「飯」という単語がぽんと出てきたのだから笑えたことこの上なかった。

この程度で笑いのツボにクリーンヒットするとは、自分、また最近笑いが足りないのだろうか。
(何故か今の脳内BGMは笹川美和の「笑」)


23日(日)
雨属性

普段から雨傘を持ち歩いている自分は全天候型である。
急に雨が降ろうが、全く慌てることは無い。
ただ、晴れの日であってもカバンの中には常に折りたたみ傘が収納されているので、少々カバンが重いという弊害はあるが、その辺は隠れた筋力アップだと思ってもらうことにしよう。

今行っている仕事先は、駅から徒歩0分。
つまり、駅直結のビルの上に入っているのである。
外に出なくて良いということは雨が降っていても傘を使う必要は無い。
というか、そもそも外に出ないので、天気すら分からないというのが実状である。

数日前のことである。
ここ最近、夕方〜夜半・明け方にかけて雨の降ることが多かった。
時間的に丁度帰宅時に雨に当たるという感じである。
先日も、先々日も、地元駅に着くまでの電車の中で既に雨は降り始めていて、折りたたみ傘のお世話になった。
さて、本日は。
地元駅に着いてもまだ雨は降っていない。
曇っている様相ではあるが、まだ大丈夫であろう。
駅前のスーパーで買い物をしてから家路に着く。

歩き始めて3分後。
ぽつり、と何かが頭に落ちてきた。
滴のようであった。
暖かくなると店ではクーラーを点ける関係上、室外機部分から水滴が外部に放たれることがあるが、それかなぁ。
一瞬そう思ったのだが、そのすぐ後にもう数滴降ってきた事から、違うことが判明。
雨であった。
ここから家まで普通に歩いて7分少々。
走れば5分弱。
丁度交差点で信号待ちの時であった。

信号待ちの何秒かで雨の降り方が普通量にまで変わった。
ううむ、走るしかないか。
このぐらいであれば、傘を差すまでも無く家につけるだろう。
そう判断した。
しかしその判断が誤りだったのを体感するのは、直後のことだった。

ザバー。
容赦ないスコールが一気に降り注いだ。
あと、ほんの少しの距離だったのに。
上着についているフードを被って、アパートの玄関まで一気に走り入る。
ついてない。
先日、雨女になってしまったらしい(?)吹雪のことを揶揄していたのがいけなかったのだろうか。

家に着いてから、
「雨降ってきた」
と告げたところ、
「あら、じゃあスコールだったでしょ。天気予報で急に降り出すって言ってたから」
・・・正しき発言なのだが、腹立たしきものが何故かふつふつと沸いてきた。
世間様で言うところの「八つ当たり」に近しきものなのだろうが、そんなの俺の知ったことではない(哀愁)。


24日(月)
中身の無さが祟るこの頃

もう少しまじめに勉強していたら、諸作業がもっと面白いものになっていたんだろうなぁ、とうつうつと作業しながら思う今日この頃。

現在やっている業務が、学生時代に勉強したものを思い出させる。
日常生活をしていると、めったにお目にかかることの無い代物たちだ。
「テストのための勉強」
そんな感じで、内容については全く「理解」をしていなかったので、脳裏にこびりついているものが非常に少なかったりする。
しかしながら、こびりついている数少ない知識が、
「確かこんなかんじ・・・だったような」
と頭をもたげてくるので、五月蝿いことこの上ない。
はっきりしないならはっきりしないままで眠っていてくれれば変に中途半端な思い出し感を味わうことも無いのに。
さながら、治りかけのかさぶたを引っぺがしてしまったときのような煩わしさである。

ただ流れ作業的にやるのも楽でよいが、その中身がどういう構造か、どんな風に動いているのか、ということがわかった場合、その作業に対する興味が湧いてくる。
何のためのものかが漠然としたものではなく、具体的な形として想像できたときには、今までしていたものが全く新しいものに見えてくる。

「この辺りもう少し詳しく解れば頭の中こんがらがらずに済むのになぁ」
とか、
「どういった意図の(何に使用する)ものなのか全然見えてこないのでこの作業で良いのかの判断がつきにくい」
ということが多々あって、少々情けない気分になる。
「後悔先に立たず」っという言葉は本当にうまく出来ているものだ。


25日(火)
夢心地

良い感じに晴れの日が続いている。
居間のほうに布団を出しておけば干しといてあげる、と母からお達しがあったので、そのとおりに布団上下を出しといた。

夜、すっかりと干しあがった布団が自分の部屋に戻っていた。
さて、布団整えて寝るかな。
ふかっとした柔らかい触り心地に、程よく染み込んだ太陽の匂い。
くぅ、たまらんねぇ。

あまりの感触の良さに、一気に眠さが大津波になった。
あー、いかん。
きちんと布団直してから寝ないと、また風邪引いてしまう・・・。


26日(水)
そしてまた入り口が一つ

本日は少々腹黒い自分である。
いつもそうではないのか、という突っ込みがどこからか聞こえてきそうだが、それには耳をふさぐとしよう。
聞こえない、聞こえない。

最近行きつけのサイト「MIREのぎゃらいり」からリンクを張っていただきました。
そこは行ってみれば分かるように、来訪者の多いサイトである。
昨今某豆が大繁盛しているので、それを目的に来る人が多いようである。
因みに、俺自身のお勧めは豆というよりも、実録1Pまんがである。
捻くれているとは言う無かれ。

バナーも作っていただいたので、ありがたくいただきました。
棚ぼた万歳。
やっとこれでバナー無しサイトから脱却できるな。
そのうちにLinksページに置くようにしよう。

人の流れとは常に流動的である。
それはネットでの動きも同じ事。
流れる元があるということは勿論、流れる先もあるわけで。
勢いの強いところに繋がっているところは自然にその勢いをいただくようになっている。
しかしながら相手先が繁盛しているからって、自分のところがその恩恵に授かれるとは必ずしも限らないのだが・・・。
たまには漁夫の利を狙うのも悪くない、と思ってみたりする。
芋づる式に流れてくることを願っておくとしよう。


27日(木)
便利なことには裏がある

便利である、ということは素晴らしい。
なんと言っても手間を省け、また手間をかけざるを得なかった時間が短縮される。
良いことだ。
・・・と言い切ってしまいたいが、そうもいかないのが現状である。
見事にその弊害を被っているし。
いや、自業自得といわれても仕方ないことでなのだが。

この一週間の自分の運動量を振り返ってみる。
朝、地元駅に行くのに10分弱歩く。
その後電車に乗る。
立つ事もあれば座れることもあるが、ものの十数分のことである。
途中、他線に乗りかえするも殆ど距離はない。
乗りかえて最寄の駅に着いたらその上のビルが職場である。
職場内でも仕事は殆ど座ってばかりなので、歩かない。
就業時間後はそのまま家に帰っているので朝の運動量とほぼ同じである。
つまり、まともに歩いているのは20分少々だろう。
どう考えても運動不足である。

そのため(だけと限らないのだろうが)、内臓の調子が著しくよろしくない。
この俺が毎食のように胃腸の薬を飲んでいる状態なのだから(無論市販のものではあるが)。
内臓本体の機能低下もあるのだろうが、その周囲を覆っている筋肉も機能低下しているのだろう。
「散歩」という名の寄り道もこの一週間はしていなかったからなぁ。
夜も時間的には寝ているはずなのに、そんなに疲れが取れている感じがしない。
これも恐らく、「体のほうはあまり疲れていないから深く寝る必要は無い」と勝手に判断されていて、その分ゆっくりと精神部分が寝ることができていないからなのだろう(なんかややこしい言い方だ)。

どけち根性からあれやこれやの手段で電車賃を浮かせていた頃に比べ、明らかに体力も落ちた気がするしなぁ。
便利なものを使うのもいいが、やはりある程度は原始に戻る必要があるのかもしれない。


28日(金)
忘れた頃にやってくる

家に帰ってくると、配達記録が届いていた。
一体なんだろう。
A4サイズの茶封筒。
厚みは無いに等しい。
表書きは自分の字で自分の氏名・住所が書かれており、差出人は大学名。
ああ、アレか。

封筒を開けてみると送付状と証書、そして折れ防止の厚紙の計3枚。
司書教諭の修了証書である。

「司書教諭」というとどうしてもあまり馴染みのない言葉のため、「=図書館の司書」と考えられがちだが、厳密には少々違う。
何年か前までは「司書」資格でも教員免許を持っていれば同じ意味を持っていたのだが、近年の履修要項が変わったんだよなぁ。
ああ、恨めしい。
「司書教諭」と「司書」は動きとしては殆ど同じだが、司書教諭の目的はあくまで「学校で行う授業等の補助を担うための図書館」、という事になる。
通常の貸し出し・返却作業以外に、授業で使う類の図書の整備、そして意外に知られていない「図書館そのものの活用方法を教える」という作業が加わる。
「これに使う資料を図書館から探してきなさい」
急にそう言われたところで、図書館そのものを使ったことが無い人にとっては戸惑うだけである。
また、
「このことに関してのレポートをまとめておきなさい」
このような課題を出されても、本の活用の仕方・レポートの書き方等がわからなければ、本をそのまま丸写しにするだけになってしまう。
上記はほんの一例であるが、他にも似たようなものはあるだろう。
当たり前のように課題とされるのに、その課題のやり方と言うのを学んでいない、というものは。
司書教諭とはこれらを図書館機能を通じてサポートするための存在である。

なんとなく非常に広い範囲をカバーしなくてはならない感じであるが、実際のところもそうである。
そのうえ、司書教諭とは厄介なことに、
「学校の教諭の免許状を有する者についてその効力を生じる」
つまり、教諭資格を持っていることが前提である。
これの何が厄介とは、その仕事量の多さである。
司書教諭であると言うことは、通常教諭としての業務を遂行しながら、その上に上記のような司書教諭としての業務も行わなくてはならない。
それ故に「司書教諭」としての業務はおざなりにされがちである。
教諭業務だけでも大変なのにそこまで引き受けていられない、というところなのだろう。
学校側が司書教諭の役割をさして重要視していない所にも原因があるのだが。

そんな感じの司書教諭。
資格取得のための履修修了は無論大学卒業と同時に終わっているのだが、この修了証が届くのは修了一年後。
元からそのような規定になっているらしい。
修了証はこの資格唯一の証明書なのだが、すっかり届くということを忘れていた。
あれだけマメに授業出ていたのに忘れている程度のものだったとはなぁ。
もしかして、やはり自分にとってはそれだけのものだった、ということなのだろうか。


29日(土)
室温

俺の部屋は北側である。
それはつまり、直接には日が当たらず、室温は常に日陰と同じ温度である。
気温変動が少ない代わりに、人間生活の快適さには欠けるという欠点があったりする。

土曜日ということで昼過ぎまで寝こけていた。
昼回っているのだからいい加減に起きろ、と起こされる。
起こすのは構わない(と言っても素直に起きる質ではない)が、腕引っ張って上体起こしておいて途中で手を離すのは止めてくれ。
ベッドではなく床で寝ていたので、しこたま頭を打ち付けられた。
起きるとなんとなく室内がむわっとした感じがする。
開けられた窓の外を見ると、なるほど天気が良い。
室内の換気を更に良くするためにファンを回す。
少しずつ、掻き回された空気から湿度が減っていくような気がする。

温度変化の乏しいこの部屋にも、とうとう初夏らしさがやってきたようだ。


30日(日)
久しぶりにうたた寝


DiaryやLivlyの更新作業等で何故かほぼ一日を費やしてしまった。
読み返せばたったあれだけの量なのにねぇ。

そういえば、更新作業開始時に自分でニアピン4001番踏んでしまったのだが、果たして誰か4000番を踏んでいったのだろうか。<そりゃ誰かは踏んでいるだろう
常連なら結構それらについては書き込みしてくれているから、ひょっとすると通りすがりか?
なんかうれしいものがあるねぇ。
というか、こういうタイミングじゃないとそういうことが実感できないというのもなかなか虚しいものがあるような、無いような。
・・・と思っていたら、身内から
「4000踏んだ」
のメールが届いていた。
ま、そんなもんだよなぁ。

更新も終わって、さて掲示板書き込み等するかな、とマウスをカチカチっとクリックしていたら、すうっと眠りに引き込まれた。
そしてPCの前で小一時間ほどうたた寝。
いやぁ、やはりうたた寝は気持ちよいねぇ。
寝たいときに寝られる。
なんと幸せなんだ。

一時間後にはっと目が覚めたものの、眠さが著しく残っていたためPCの電源を落としてそのまま布団に入る。
お休みなさい。
・・・しまった、掲示板の方読むだけ読んで書き込みをしていない。
ま、いっか。
たまにはね・・・。


31日(月)
一瞬の焦り


自分の意図していたことと、全く違う方向に指が動いた。
そっちに動く意思など全然無かったというのに。
むしろ、絶対に避けたい動きだった。

指だけがあれよあれよという間に目標を押していく。
その結果として目の前に現れたものに、肝が冷えた。
だが、うまい具合に指の動きはそこで止まってくれた。
滑らかに、とまることなく動いた指。
一瞬、自分のものではない、そんな錯覚に陥ってしまった。


・・・何の事は無い、デスクトップパソコンのキーボードを使っていたのだが、何故か左手の小指が滑って「スタートボタン」を押し、これまた不幸なことにその状態で勢いにのった右手中指が「u」を押してしまったのだよ。
さぁ、皆様も是非お試しあれ。
そのままの勢いで「Enter」キーなど押した日には泣きます。
ええ、本当に。
打ち込みのみしていたものではなかったのだが、それでも資料見ながら5時間ほど作業をしていたファイルだったので、かなり焦った。
途中上書き保存等していればそんなに焦ることは無かったんだろうけどな。

似たようなことではキーボードについているマウスの右クリックと同じ働きをするボタン(正式名称不明)で、範囲選択したものを「切り取る」つもりが「削除」を押していたときとかかねぇ。
「T」と「D」の位置が離れていないのが悪いんだ(八つ当たり)。
普段使っているのが「メモ帳」なので、リドゥは一回しか出来ないからこちらも焦るんだよな。
シンプルにはシンプルなりの欠点があるというか<とはいえ、他のEditorに乗り換えるつもりは更々無い

常日頃から保存には気をつけておけ、という教訓にしておこう。


2004.May
気の早い梅雨前線、5月

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