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徒然なるままに2005年
50年前に書いた私の作文=亡き母のこと・恩師からのハガキより=(05.12.29)
11月中旬、喪中ハガキの準備に取り掛かりました。
今年の年賀状は5月に母が亡くなったことから年末年始のご挨拶を失礼させていただくことになりました。
ここ数年の我が家の年賀状は私のホームページに掲載した写真の中から新年に相応しい「宮城の四季」を厳選しオリジナルのものを作ることにしていました。今年は母が亡くなったことからそれも叶わず心静かなお正月を迎えることになりました。
日頃ご無沙汰している方への年1回の年賀状は自分の元気な姿をお知らせする良い機会でもありますが、この時期にお世話になっている方の喪中のお知らせを受ける度に心悼む思いがしました。

年1回のご挨拶をさせていただいている小学生時代の恩師(以後、先生と言わせていただきます。)へ喪中ハガキを発送しました。
早速、先生から1通のお悔やみ状が届きました。母を悼むとともに、当時、私が母のことを作文にした内容を覚えておられその一説をしたためていました。
小学3年生と4年生の担任だった先生は50年前のことを覚えておいでだったのです。感激と感動で涙がこぼれました。何度も読み返しました。母のことを作文にした記憶は殆ど無かったのですが、母の姿は先生からのお葉書の通りで母のことを思うたびに浮かんでくる情景でもありました。先生からのお葉書で小学生時代に戻った自分がいました。

先生は授業の他に楽器の合奏にもご熱心でした。オルガン、大太鼓、小太鼓、木琴、カスタネット、トライアングル、タンバリン、ハーモニカー等の楽器を使ってクラス全員で一生懸命練習をしました。その成果を他の学校に行って披露したこともありました。私は小太鼓を担当していました。小学4年生の修了写真はクラス全員で撮った合奏の練習風景でした。

私は放送部に所属していました。顧問はお葉書をいただいた先生でした。私が高学年の時かと思いますが学校の生徒による歌の発表会があり私が司会をやることになりました。私の記憶に間違いなければと思いますが、出場した生徒が歌い終わった後、良かった、頑張ったなど何か一言を付け加えながら司会をしていました。大会が終わった後にその一言が良かったと誉められたことがありました。

先生のご自宅に友人と一緒に遊びに行ったことがありました。先生の家にはおばあさんがいました。小さな子供さんもいたと思いました。おばあさんのことについて大きな思い出が一つありました。それはおばあさんが作ってくれた玉子丼でした。当時の玉子は病気見舞いに持っていくよう貴重なものでした。自分の家の食生活を思うと自宅で丼物を食べることは殆ど無かったかと思いました。丼物は町の食堂で食べる物と思っていたことから子供心にハイカラで何とも美味しいご飯物と思っていました。そのこともあったのか先生のご自宅へ何度か遊びに行きました。

今回、先生のお許しを得て先生からのお葉書を掲載することにしました。そして、その後、短期間の間に先生と交換した手紙の内容を掲載することにしました。
2005年最後の徒然なるままには先生との素晴らしいコミュニケーションで幕を閉じようとしています。


■ 先生からのハガキ

御母上様の悲報に接し驚いています。心から御冥福を御祈り致します。
「僕が夜中に目をさますと母はいつもチクチクチクチクと何かを縫っている……」
という作文を思い出します。
夜も頑張っていたお母様と想像いたしております。
94歳の長寿にあやかりたいものですね。あと9年で私も94歳。あの世とやらでお会いして思い出話などするのも楽しみです。もうすぐです。
御健康を御祈り致します。


■ 私からの手紙

心せわしい年の暮れになりましたが先生にはお変わりなくお過ごしのこととお慶び申げます。

この度は母の死去に際しましてお心のこもったお悔やみ状をいただき、誠にありがとうざいました。

私が小学生のときに書いた作文の一説を覚えておいでになられたことを知り、感激のあまり涙を流しながら拝見せていただきました。
もう50年前のことなので作文を書いた記憶はありませんでしたが、昔、夜なべをしながら裁縫をしていた母の思い出は尽きなく、先生からのお葉書であらためて思い出させていただきました。

先生のお葉書を家内に見せたところ、自分が教えていただいた先生がこうまでして自分のことを記憶に留めていただいているだろうかと驚いていました。私もまた驚きと感激で一杯です。先生から生涯忘れられない素晴らしい贈り物をいただいたことに心よりお礼申し上げます。

亡き母のことは私のプライベートホームページに『93歳で逝った母』と題して掲載していました。その中にも母の思い出として裁縫のことも書き綴っておりました。そのこともあり先生からのお葉書は二重の感激でもありました。
稚拙な文章ですが、私のホームページに掲載したものをコピーしました。勝手に送らせていただきましたので、ご覧になってください。

先生には85歳になられたということでございますが、ますますお元気にてお暮らしになられますようお祈り申し上げます。

 少しばかりでございますが、仙台の銘菓「支倉焼」をお送りいたしました。
くるみが入った白あんの手づくりの美味しい和菓子です。どうぞお茶受けにお召しあがりください。

 季節の変わり目、ご自愛くださいませ。


■ 再び先生からのお手紙

いよいよ年の瀬も迫り心忙しいこの頃となりました。雪国生まれの雪国育ちも今年の一気に積った雪に参っておりますが、今日と昨日は少し晴れ間があり空を見上げる事ができました。御地はいかがでいらっしゃいますか。
この度は、ご丁ねいに仙台銘菓を御送り頂きまして熱く御礼申し上げます。隣近所も大喜びでみんな「はじめて はじめて」とおいしく頂きました。今時のお菓子にしては
アンコが多く皮がうすくて、さすが由緒ある支倉焼とはじめて知りました。ありがとうございました。

徒然なるままに…を何度も読ませて頂きました。
御母上様の最後の御様子を想像しこの世に何も思い残すこともなく安心して旅立たれました事を思うと人間の終えんとしては模範的でなかったでしょうか。周囲に感謝しつつ心安らかに…かくありたいものです。

母上様の残された御言葉「やれば出来るのに…」これには心打たれました。今の子育ての基本のキではないでしょうか。そして、子の一生を支えた一言。親の一言の大切さをしみじみ感じました。心したい事ですね。

職業柄、何千何百の作文を読んできた事になりますが、何故かこの作文だけは忘れられない文でした。自分としても不思議に思っております。私の心を捉える何かがあったのでしょうね。

真心のこもりました銘菓の御礼に何かと思いましたが良い知恵も浮かばす、奥様はどちらの御出身かわかりませんが、ありきたりの横手の柿羊かんと小もの漬けを少々御送り致します。御賞味下さいますなら幸いに存じます。
乱筆乱文は年に免じて御許しくださいます様御願い申し上げます。
では マメデナ。ンダラナ。

《つれづれなるままに》


★ 於:小安温泉吟行会中央講師特選
 軒下に 鬼灯赤き 湯宿かな
 名も知らぬ 虫一つ着く 旅衣

★ 横手短歌会講師選
再びの 戦禍に遭わぬを 希うなり 九条改憲に揺るる 今われ八十四才
山峡の 小さき青田を バスに見て なごりを拓きし 父を憶へり
果つるまで 書き続けたしと 願いつつ 八十五にして 十年日記買う

 ★供養とは思ひ出すこと○○○


■ 再び私から先生への手紙

年の瀬も迫り一段と寒さが厳しくなってきたこのごろです。
雪国横手は一面銀世界に包まれているようですが、仙台は先日降った雪もすっかり解けてしまい穏やかな日が続いております。

この度は横手の木村屋さんの柿羊かんとこもの漬けをお送りいただきまして誠に有難うございました。
実家に帰った折、木村屋さんの昔懐かしいアイスクリームを食べたりチョロギ漬けなどの漬物をお土産に買ってきたりしていました。家内は南三陸の唐桑町出身ですが、いつも横手の漬物は美味しいと言っています。家内も喜んでいました。有難うございました。

私が勝手にお送りした文章をお読みいただきまして有難うございました。
先生のお手紙にもありましたように「供養とは思ひ出すこと…」を心に刻みながら母を偲びつつ元気に生活していきたいと思っております。

先生の歌を拝見させていただきました。
十七文字と三十一文字に込められた先生のお気持ちを思うと歌の持つ素晴らしさを肌で感じることが出来ました。
限られた文字に読まれる歌に想像という大きな宇宙への拡がりを感じることができました。
いつか私も先生のように歌を詠んでみたいと思っております。

先生のお許しを頂きながら私のホームページに先生からのお手紙をご紹介したいと思っております。
先生からいただいた感動を私のホームページにしたためて2005年最後の”徒然なるままに”にしたいと思っております。

寒さが厳しくなりました。
インフルエンザの流行の兆しがあるようですので風邪など引かれませんようくれぐれもご自愛くださいませ。
乱筆乱文をお許しください。
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