<座談会> 人権と平和と社会を語る 

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<21>
出席者:秋谷会長、森田理事長、藤原関西長、八尋副会長(弁護士)、松村副会長(弁護士)、高柳婦人部長、迫本青年部長

藤原 それにしても、今年は年頭から、全国で弘教・拡大が大きく進んでいる。
 各地で「過去最高の世帯数」「過去最高の弘教」の記録を更新している。
 学会は、素晴らしい、新しい時代が開き始めた。
秋谷 その通りだ。驚くほど、すごい前進だ。
高柳 未曾有の前進、未曾有の発展ですね。この7月も、猛暑の中、皆さんの奮闘に頭が下がります。
松村 その一方で日顕宗は、「凋落」「衰退」する一方だ。そういう話が全国から入ってくるな。
藤原 当然だ。とにかく宗門は「暗い」「卑しい」「仲が悪い」(笑)。
八尋 それに「坊主丸儲け」「閉鎖的」で「時代遅れ」。
 あれじゃあ、誰だって嫌気がさすよ。

迫本 最近、日顕は自分に「相承がない」ことを、よっぽど気にしているようだな。
藤原 そりゃ、そうだや(笑)。だいたい日顕宗は今年に入ってから、日顕の「相承疑惑」が理由で、3回も最高裁で敗訴している。
松村 その通りだ。この裁判は、宗門を離脱した僧侶に対し、日顕宗が寺院の明け渡しを求めたものだった。
八尋 これに対して離脱した僧侶側は、「日顕には相承がない。したがって離脱した住職を辞めさせる権限はない」と主張したんだ。
迫本 その結果、日顕宗は全面敗訴。結局、全部、日顕の相承疑惑が「最大の敗因」で負けたんだ(笑)。
森田 もう登座して23年だろ。本当に、みっともないやつだ(笑)。
藤原 それで先日も日顕のやつは、わざわざ坊主たちを集めて、言い訳の文章を書かせていたな(笑)。
迫本 その通りだ。そこで何が言いたいのかと思えば“日顕以外に「相承を受けた」と名乗る者が誰もいなかった。これが日顕に相承があった証拠だ”というんだな(大笑)。
森田 バカバカしい! そんなの証拠になるか。
 証拠というのは「いつ」「どこで」「誰がいて」相承が行われたか。その裏付けをハッキリと示してこそ、証拠と言えるんだよ。
 それがないのは全部、インチキだ。
藤原 その通りだ。当然の道理だよ。だから裁判で負けるんだよ(笑)。
高柳 結局、「誰も『相承を受けた』と言わなかったから、自分が法主の座を盗み取った」と自分で白状しているようなものじゃありませんか(爆笑)。
森田 これこそ「ニセ法主」の動かぬ証拠だ(大笑)。
高柳 だいたい「日顕に相承なんかない」と真っ先に大騒ぎしていたのは、あの元恐喝犯の山崎正友じゃないですか。
迫本 その通りだ。あいつは昭和54年7月の、日顕の登座直後から、週刊誌でも「相伝をいつわって登座」「法主僭称」等々と、さんざん書き立てていた。
秋谷 その通りだ。皆が、よく知っている。しょっちゅう週刊誌に出ていた(笑)。
迫本 それに山崎は、かつて手玉にとっていた、正信会の浜中和道に、こう言っていた。
 “オレは週刊誌に「日顕には日達から相承がなかった」ことを書いておいたよ。オレは、その生き証人だからな”と電話していた。浜中が明確に証言している。
藤原 それだけじゃない。最近も山崎をよく知る人物が告発している。
 “山崎は「オレは日達法主が死ぬ間際まで一緒にいた。日顕に相承がないということは、オレが一番、よく知っている」と断言していた” − このように真相を暴露している。
八尋 ところが、そこまで日顕を罵倒していた山崎は、平成7年になって、日顕宗の機関紙に登場。突然、「日顕の相承を認める」なんて言い出した(笑)。
迫本 あれは山崎が、あの凶悪な3億円恐喝事件で服役して刑務所から出てきた後のことだったな。
藤原 当時、日顕は学会に対抗するために、元恐喝犯の山崎と結託し始めた。それで山崎も日顕と取り引きして「相承を認める」なんて言い出したんだよ(笑)。
秋谷 バカバカしい(笑)。「キツネとタヌキの化かし合い」だ(大笑)。
藤原 日顕も日顕だ。もし、本当に相承を受けているんだったら、こんな大ウソつきの元恐喝犯で、わざわざ相承を認めてもらう必要が、どこにあるんだ?(大笑)
森田 その通りだよ。元恐喝犯に「お墨付き」をもらって喜んでいること自体、やっぱり「相承なんか、なかった」という何よりの証拠だ(爆笑)。
秋谷 その通りだ。そうだよな。
 とにかく日顕のやつは、自分だけが「受けた、受けた」と喚いているだけで、明確な「証拠」「証人」「記録」が何一つない(笑)。
 この話は、次の機会に、また詳しく語ろう。

藤原 宗門は脱講者も相次いでいるな。
迫本 秋田県では、この4ヵ月間だけで、約100人が脱講している。能代市の正境寺では先月、寺の総代だった婦人まで脱講した。
秋谷 寺の総代や法華講の講頭が、次々と脱講 − そういう流れが全国的になっている。
高柳 その婦人は、地域の婦人部幹部が真剣に対話した結果、脱講を決意した。
 そして自分で「脱講届」と「総代辞任届」を寺に送りつけて、「今後、寺とは一切関係ない」と宣言したそうです。
森田 坊主は相当、慌てたようだ(笑)。
八尋 坊主の桑水流は、気違いみたいになって、当り散らしているようだ(大笑)。
迫本 この婦人は、“電車で長時間かけて寺に行っても、労いの言葉一つない。いつも供養ばかり要求された”と激怒しながら証言している。
秋谷 日顕宗の坊主は、信徒の顔も金にしか見えない(笑)。本当に卑しい、さもしい、最低最悪の邪宗教だ。
森田 日顕を見れば、よく分かるじゃないか(笑)。
迫本 秋田市の妙華寺では、地元の教宣部のメンバーが7年間、対話を続けた結果、寺の副婦人部長だった女性が脱講した。
八尋 その後、この婦人は学会の会館に行って、「寺の暗い雰囲気とは大違いだ」と目を見張っていたそうだ。
松村 青森県でも、専妙寺の沼田凡道一家の正体を知って、どんどん法華講が脱講しているようだな。
森田 ああ、仕事そっちのけで、しょっちゅう海に潜っては、ウニやアワビを密漁していた坊主だ。
松村 密漁は違法行為だよ。とんでもない野郎だ。
迫本 その沼田の息子どもがまた、親父にソックリの「ろくでなし」ときている。
 長男は本山にいたが、万引き事件を起こして追放処分(笑)。
八尋 二男も坊主になったが長続きせず、青森に逃げ帰ってきた。
迫本 法華講も、そういう沼田一家の下劣な姿に、ほとほと愛想が尽きたようだ。
藤原 昨年末に脱講した壮年も、「聖教新聞の座談会で、沼田の密漁疑惑が本当だったと知り、怒りが込み上げてきた」と怒っている。
森田 そうだろう。あんな品性下劣な極悪坊主の正体を知ったら、誰だって、縁を切りたいと思うよ。
藤原 関西でも脱講の勢いは止まらない。今年に入って、全関西で1万2000人以上の法華講員が脱講している。
森田 1万2000人か! すごい勢いだ。
秋谷 「正」と「邪」が、いよいよ明確になってきた。
 今こそ「チャンス到来」だ。徹底的に悪を責め、勝負を決する時だ。

(2002年7月27日付 聖教新聞より)

 

<22>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、迫本青年部長

高柳 先日、話題になった、あの日顕の「相承疑惑」! 婦人部の方からも「もっと詳しくやってほしい」という声が数多く寄せられますよ。
迫本 今の多くの青年部のメンバーからも「当時のことを我々は詳しく知らない。
 我々のためにも、後世のためにも、もう一回、明確にしてほしいですね」という強い要望があった。
藤原 宗門の坊主も法華講も、みな真相を知りたがっているんじゃないか(笑)。
秋谷 その通りだ。 だいたい、相承問題を一番、気にしているのは日顕自身だ(笑)。
 最近も宗門の機関紙を使って、躍起になって言い訳をさせているじゃないか(大笑)。
 矛盾だらけだ(大笑)。
原田 ウソは、どんなに巧妙に書いても隠せないよ。
 無理だよ(笑)。
森田 よっぽど気になって仕方がないんだなあ(大笑)。
秋谷 そうだ。
 何しろ根本的な問題だから。
森田 もう一回、この際、後世のために、相承問題の経緯を明確にしておこうじゃないか。
秋谷 みんな、どんどん論じたほうがいい(笑)。

藤原 第一に、そもそも「日顕が相承を受けた」という証拠はあるのかどうか?
原田 実は一切、ない。何一つない。証拠も記録もなければ、証人も誰一人いない。
森田 だから登座して23年もたつというのに、いまだに、いつも問題になる(笑)。
 誰も納得しない。今でも、みんなが不審に思っている。
高柳 日顕本人は、どう言い張っているんですか?
原田 まず私から一言。大前提を話させていただきます。
 昭和54年7月22日午前5時、日達法主が亡くなった。
 そして午前11時10分、本山の東奥番室の奥にある応接間で行われた重役会議の場で、日顕は突然、こう言い出した。
 「今日まで、どなたにも秘してきたが、実は昨年4月15日、総本山大奥において、猊下と自分と二人きりの場において、猊下より自分に対し、内々に御相承の儀に関するお言葉があり、これについての甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する」と言いはじめたんだ。
高柳 はあー? 「実は昨年4月15日」。ずいぶん変じゃありませんか。
 だいたい亡くなってから言わないで、その前に言えばいいじゃないですか(笑)。
藤原 突然、考え、思いついたように「昭和53年4月15日」「総本山大奥で」「日達法主と二人きり」の時に、と言い出したわけだな。
 大事な「時間」が入っていないじゃないか。午前か午後か夜中か分からない(笑)。
森田 一日といったって長いからなあ(笑)。
 具体的な時間は何時何分だったのか。誰がいたのか。誰か見たのか。
 全然、ないじゃないか。
原田 その通りだ。この日顕の発言を裏付けるものは何もない。公式な証拠も記録も証人も何もない(笑)。
秋谷 あるのは日顕が一人で「あった、あった」と騒いでいることだけだ(大笑)。

高柳 ほかには、何か言っていますか?
原田 ただ、この一回だけだ。
迫本 おかしなことだ。公式には、ほかに何も言っていないじゃないか。「公式」が大事なんじゃないか。
藤原 ずるがしこく、うまく、自分に都合がいいように、思いついたことを言い放ったことは、すぐ分かるじゃないか。
森田 バカバカしい。だいたい「大奥」というのは法主の住居だが、部屋だって、いっぱいある。その「大奥」の、どこなんだ? 具体的に「何時何分」「大奥の、どの部屋」で、相承があったんだ?
秋谷 誰だって、そう思うに決まっている。ところが日顕は、そういう具体的な点は一切、明らかにしていない。
 この23年間、ずっとダンマリを決め込んだまんまだ。
森田 それ自体が、インチキの証拠じゃないか(笑)。

迫本 実は昭和56年に、日顕にクビを切られた正信会の坊主たちが「日顕には相承がない」といって堂々と裁判を起こした。
 みな確信をもっていたからな(爆笑)。
原田 その裁判でも日顕は、「相承があった」という明確な証拠を法廷に何一つ、出せなかった。
 具体的な事実関係も、まったく説明できなかったな。
森田 みな、日顕が何て言うかと思ったが、何もなくて爆笑したっけな(爆笑)。
 「あのキツネ日顕」と、宗内外を問わず、みなが笑っていたっけな(笑)。
藤原 これは驚きだよ。最も大事な裁判で証拠が出せなかったというのは! やっぱり大ウソをついて法主の座を横取りしたということだ。
秋谷 日顕に証拠があれば、当然、堂々と裁判に出したはずだし、出せたはずだ。ところが何も出せなかったんだ。
迫本 当時の裁判記録を詳細に読んでも、日顕側は「相承があったかどうか」について、何一つ証明していない。何の証拠も出していない。
高柳 へぇー。裁判記録を詳細に調べても、なかったんですか。
迫本 ないよ。だいたい、もし、ちゃんと証拠があるなら、そもそも訴えられるはずがないよ(笑)。
森田 その通りだ。
 裁判でも何一つ、証拠が出せない。これこそ、「相承がなかった」という何よりの証拠だ(笑)。

原田 それに憂宗護法同盟の僧侶の証言によると、日顕は、山崎正友や正信会が「相承がない」と騒ぎ出した当時、本山の坊主の前で、こう言っていた。
 “自分の日記には「昭和53年4月15日に相承を受けた」と書いてある”と明言している。
迫本 この日顕の、証拠となるべき重大な発言は、幾人もの坊主が、明確に聞いていることだ。
藤原 そんな明確な「日記」があるというんだったら、堂々と出せばいいじゃないか。
秋谷 その通りだ。出すべきだ。それが出せないんじゃないか。
原田 裁判でも、最後の最後まで、その「日記」とやらは出てこなかった(笑)。
藤原 おかしいじゃないか。なぜ出せないんだ? あるんだったら公開すべきだ。責任がある。重大な責任問題だ。
迫本 その通りだ。裁判沙汰にまでなったんだ。天下に公表すべきだ。
藤原 「出せない」ということは、これまた「全部、ウソだ」と自分で認めたことだ(笑)。
原田 その通りだよ。宗内の坊主たちも「日記なんて、いつもの日顕の『作り話』に決まっている」と、みながバカにしていたな(笑)。

(2002年8月2日付 聖教新聞より)

 

<23>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、迫本青年部長

迫本 日顕の「相承疑惑」だが、やはり誰が、どう見ても、日顕のやつが「ニセ法主」なのは、明々白々だな(笑)。
秋谷 「相承があった」という証拠は、何一つない。出せない。ところが「相承がなかった」という証拠は、山ほどある(笑)。
原田 その通りだ。それは、裁判でも明確になっていることだ。

迫本 そもそも日顕は“日達法主から「昭和53年4月15日」に「本山の大奥」で相承を受けた”と言っている。
 ところが不思議なことに、憂宗護法同盟の僧侶の証言によれば、その当日、本山で日顕を見た人間は、誰一人いない。それを裏付ける証拠もなければ、証人もいない。
高柳 ああ、そうですか。それが本当だったんですね。
迫本 当時、日顕は東京の墨田区にある常泉寺にいた。
 日顕は“4月15日は日達法主の誕生日で、祝賀のために本山に行った”と言っている。ところが、そんな記録は、どこにも残っていない。
原田 日達法主の当日の行動は、詳細に記録に残っている。
 もちろん、誰が祝賀に来たかについても、克明に記録されている。
森田 その通りだ。
迫本 記録によると、日達法主は、その日の午前零時から丑寅勤行を行った後、大奥に戻って就寝。それ以降、朝まで無断で出入りした人間は誰もいないとハッキリしていた。
原田 当日の朝は午前6時半に起床。7時から御影堂で法要。8時から大坊で塔中の住職たちから誕生日の祝賀を受けた。
迫本 やがて日達法主は大奥に戻り、朝食をとって休憩。
 その後、午前9時半から11時ごろまでの間に、何人かの人と会っている。
高柳 誰と会っていたんですか?
迫本 9時半から10時までは、大石泰成、三宅統道、山口範道の3人が会った。
原田 さらに10時からは、原田篤道と婚約者、それぞれの両親、それに日達法主の長男で媒酌人を務める細井珪道ら計8人が、結婚の挨拶に訪れている。
 「誰と会ったか」は明確に記録に残っているんだ。
迫本 ところが、日顕の名前なんか、どこにも出てこない(笑)。
高柳 じゃあ、午前11時以降は、どうだったんですか?
原田 日達法主は、午前11時には本山を出発している。その日の夕方に東京・千代田区のホテル・グランドパレスで行われた誕生パーティーに出席するためだ。
 そして文京区西片の大石寺出張所(当時)に入っている。
藤原 なるほど。日顕は“大奥で相承を受けた”と言っている。
 しかし、その時間帯は、当日の午前9時ごろから11時ごろまでの、わずか2時間の間しか、ありえないわけだな。
迫本 ところが日達法主には、その時間帯に11人もの来客があった。
藤原 わざわざ、その忙しい来客の合間に、一番重要な相承をやったとでもいうのかね(笑)。
秋谷 バカバカしい。「作りごと」は、みんな矛盾が明確に分かってしまうものだ。
迫本 しかも、誰にも見つからずに、コッソリ相承をやったことになる(笑)。
原田 そう、そういうことなんだよな。バカバカしくて、話にならない。
森田 透明人間じゃあるまいし(大笑)。そんなことは絶対に不可能だよ。
高柳 本当に、そうですよねえ(笑)。
原田 そもそも、誕生祝いで行ったなら、日顕は日達法主に正々堂々と会っているはずだ。記録にも当然、残っているはずだ。
 現に、他の来客の名前は全部、ハッキリしている。おかしいじゃないか。

迫本 他にも大きな疑惑がある。日達法主の車両記録を調べたところ、なんと「4月15日」の部分だけがないというんだ。
高柳 へぇー。切り取ったんですかね。まずいから破ったんですかね。
藤原 奇怪千万だ。他の日の記録はあるのに、どうして、その日だけがないんだ?
森田 大事な記録じゃないか。紛失したというなら、警察に届けるべきじゃないか。
藤原 その通りだ。なぜ捜さなかったんだ? なぜ警察に届けなかったんだ?
原田 これまたインチキの証拠だな(笑)。

(2002年8月3日付 聖教新聞より)

 

<24>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、迫本青年部長

原田 前回、前々回と話題になった日顕の「ニセ法主の証拠」だが、まだまだある。
 前も話が出た通り、日顕が“日達法主から相承を受けた”とウソをついている昭和53年4月15日。
 日達法主は、東京・千代田区のホテル・グランドパレスで誕生バーティーをやった。
迫本 そのパーティーには、日達法主の家族や親戚縁者、宗門の最高幹部など30人が出席した。
 ところが日顕は、そこにも行っていない。
原田 日顕が行っていないことは、日達法主の子息で、パーティーに出席していた細井琢道住職も断言している。
森田 日顕のことだ。また伊豆の温泉にでも遊びに行ってたんじゃないのか(大笑)。
藤原 本当に相承があったのなら、一番大事な弟子を、大事な宴会に呼ばないわけがないじゃないか。おかしいじゃないか。
高柳 その通りですねえ。誰が見たって、その通りですよねえ。
迫本 だから宗門の坊主も、口々に言っていたそうだ。
 「もし日顕が誕生祝いに行ったのなら、日達法主の気性からいって、『じゃあ、お前も来い』とパーティーに連れて行ったはずだ。
 まして、相承していたら、なおのことだ」と言っている。
秋谷 そうだ。本当に、その通りだ。
藤原 要するに日達法主は、日顕なんて、まったく眼中になかったということだな(笑)。

秋谷 だいたい日顕というやつは、日達法主に迷惑をかけっ放しだった。日達法主も日顕を全然、信用していなかった。
 当時を知る坊主なら、誰だって知っていることだ。
 我々も、日達法主が「阿部は臆病者だ。ずるがしこい」と厳しく言っていたことを、目通りの時に、よく、うかがった。
 名誉会長、北条会長、森田理事長をはじめ、何人もの最高幹部が、うかがっている。
森田 そうだった。なかでも、あの「妙信講事件」の時の話は有名だ。
原田 これは昭和45年ごろから、妙信講という法華講の一団体が、正本堂の意義をめぐって、宗門が禁止した「国立戒壇論」を蒸し返したりして、大騒ぎした事件だった。
迫本 その後、妙信講は日達法主に公然と反旗を翻した。それで結局、妙信講は昭和49年8月、「講中解散」処分になった。
原田 その後も妙信講の連中は、日達法主に対して狂ったように攻撃しはじめた。
藤原 「本山に乗り込んでやる」とか「殺しに行く」なんて、さんざん息巻いていたな。
秋谷 裁判沙汰にもなった。
 当時、学会は日達法主と宗門を、まさに身を挺して、必死で守り抜いたんだ。
森田 その通りだ。ところが、本当なら日達法主を一番に守るべき立場にあった日顕は、シッポを巻いて1ヵ月もの間、雲隠れしちゃった(笑)。
原田 昭和47年、宗門が一番、大変だった時、あいつは早瀬日慈と一緒に、兵庫県の有馬温泉にコッソリ逃げ込んでいたんだ。
秋谷 これは有名な話だ。我々も、よく知っている(笑)。
森田 日顕は早瀬の子分だったからな。
 早瀬と日顕は、昔から日達法主と、しょっちゅう衝突していた。宗門の坊主の間でも大変に有名だった。
秋谷 こういうこともあった。事件の渦中の昭和48年12月のことだ。
 大阪の中之島公会堂で行われた学会の第36回本部総会で、日達法主は“創価学会と池田先生の一層の外護を、お願いします”“私を守ってください”と発言した。
森田 東京の日大講堂での本部総会でも一ぺん、ありましたね。
 これも日達法主が、早瀬と日顕に、完全に追い込まれていたからだ。
藤原 それにしても当時、早瀬は宗門の総監、日顕は教学部長じゃないか。
 陣頭指揮を執るべき二人が、1ヵ月も有馬温泉。呆れ果てるよ。卑劣なやつらだな。
原田 日顕というのは、それぐらい臆病なやつなんだよ(笑)。
 日蓮正宗改革同盟の吉川幸道さんも証言している。
 「日達法主が困っていても、日顕は絶対に自分が矢面に立たないように逃げ回っていた」と言っていたな。
森田 よく分かるよ。そうだったな。正信会問題の時も、同じだった。
 日顕は日達法主から「対策をするように」と言われても、臆病風に吹かれて逃げ回ってばかりだったじゃないか(笑)。
秋谷 当時、日達法主は学会首脳に「早瀬(=日慈)と安部(=日顕)は臆病で、本当に卑怯者だ」と怒っていた。私と森田さんが証人だ。

原田 日顕も日顕で、しょっちゅう日達法主の悪口ばかり言っていた(笑)。
迫本 当時の様子は、改革同盟の工藤玄英さんと大橋正淳さんが詳細に証言している。
 昭和53年5月、日顕が工藤さんと大橋さんを、すき焼き屋に連れ出した。
原田 何の話かと思えば、日達法主の悪口雑言ばかり。
 「猊下から正信会の問題をやれと言われているが、矢面に立つのはバカバカしい」
 「こういう時は、何もしないほうがいいんだ」と、さんざん悪態を付いていたという。
迫本 しかも、これは日顕が「日達法主から相承を受けた」と言い張っている、その直後のことだよ(笑)。
高柳 そうですか。どう考えても奇妙な話ですね。誰が見ても、「相承を受けた次期法主」が言うような言葉じゃ、ありませんね。
藤原 その通りだよ。
迫本 それに、日顕の腰巾着の河辺慈篤の「極秘メモ」。
 あのメモにも「相承があった」と称する直前の昭和53年2月に、日顕が日達法主を罵っていた事実が書かれている。
原田 そうだったな。明確に書いてあった。
 「G(=猊下、日達法主のこと)は話にならない。人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の事ではGでは不可能だ」とバカにしきっていた。
秋谷 いや、我々も、この書きもののことは、よく知っている。
 当時の日達法主の言動からいっても、「次は日顕」なんて、絶対にありえない。
原田 その通りだ。宗門の坊主たちの証言によると、「相承があった」という後も、日達法主は日顕を軽くあしらっていた。
 「宴会などでも、人前で日顕を『オイ、お前、ひとつ歌でもうたえ』といった感じで呼んでいた」というんだな。完全に小僧扱いだった。
迫本 日達法主は「阿部はダメだ。早瀬の子分だから」と厳しく言っていたようだ。
森田 そうだよ。評判だった。
 日達法主は、最後まで法道院の早瀬日慈と日顕を忌み嫌っていた。日顕も日達法主を憎み抜いていた。
 それほど憎しみ合う二人の間で、相承なんて、あるわけがない(大笑)。

(2002年8月5日付 聖教新聞より)

 

<25>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、迫本青年部長

原田 だいたい、「相承(そうじょう)を受けた」と言っているのは大ウソつきの日顕だけ。
 誰も見ていない。何の証拠もない。
迫本 だいたい「受けた」という証拠があったら、前にも話が出た、あの正信会(しょうしんかい)の裁判で、堂々と出せたはずだ(笑)。
藤原 そんな「ないないづくし」の「相承」なんて、あるわけがない(大笑)。
秋谷 その通りだ。言うまでもないが、大聖人も日興上人に、二つの「相承書」を書き残されている。有名じゃないか。
森田 大聖人の相承にも、明確な「証拠」が残っている。
迫本 その通りです。一般に「二箇(にか)相承」と言われているものだ。
 一つは、法門の一切と一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊を日興上人に付嘱された、弘安5年9月の「身延相承書」。
原田 もう一つは、大聖人が入滅される直前、日興上人を身延山久遠寺の別当(=住職)に定められた、弘安5年10月13日の「池上相承書」だ。
秋谷 この二つの「相承書」は『御書全集』にもキチッと収録されている。
 「日蓮一期(いちご)の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)日興に之を付嘱す、本門弘通(ほんもんぐづう)の大導師たるべきなり」(身延相承書)
 「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり」(池上相承書)と仰せであられる。
高柳 実に明快、明確ですね。
秋谷 大聖人は「我が門弟等此の状を守るべきなり」とも仰せであられる。
藤原 相承というのは、コソコソ隠れてやるものではないんだな(笑)。

迫本 それに、日興上人から日目上人への相承。
 これも「日興跡条条事(あとじょうじょうのこと)」という文書に明確に残されている。
藤原 これも明快だ。こうした宗門古来の伝統からいっても、日顕みたいに、「一つも証拠がない」なんてことは、ありえない(笑)。
原田 当たり前だ。明確な証拠、記録がなければ、勝手に「法主」を名乗る人間が、いくらでも出てきちゃうじゃないか(大笑)。
森田 だから歴代法主の相承の儀式も、記録に事細かに残っている。
迫本 その通りだ。
 たとえば、日達法主の場合。先代の日淳法主から相承を受けたのは、昭和34年11月16日のことだ。
原田 その前日の午後、連絡を受けた日達法主は、本山から、まず病床にあった日淳法主の自宅(東京・大田区池上)に駆けつけた。
 その後、池袋の常在寺に戻り、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して身を清めてから、相承に臨んだ。
森田 これも有名な話だ。
迫本 相承が行われたのは、16日の午前0時10分から、約1時間半。屏風を開いて四方を囲み、重役や庶務部長をはじめ、塔中(たっちゅう)住職たちの警護の中、儀式が行われた。
藤原 時間も明確。証人も明確。「コソコソと二人だけ」じゃあないよ(大笑)。
原田 この相承については、11月17日付の宗門の「公式文書」でも、宗内に通達され、徹底されている。
高柳 秘密でもなんでもない。
 「いつ」「どこで」「誰がいて」相承があったのか。全部、明確だったわけですね。

森田 それだけじゃない。日淳法主は、日達法主に相承したことを、信徒の代表を招いて、きちんと伝えている。
秋谷 相承が行われた16日の午後のことだった。
 宗門側から学会本部に、池田先生に「来てほしい」との緊急連絡が入った。
 それで、池田先生(当時、総務)と小泉理事長(当時)が、池上の日淳法主の家に行かれた。
森田 そこで日淳法主は、枕元で池田先生に「今度、常在寺(=日達法主)にあとをまかせることにしたから、よろしく」と明確に言われた。
原田 これは、同月20日付の「聖教新聞」にも、克明に掲載されていることだ。
秋谷 その時、日淳法主は、こうも言われた。
 「戸田先生のおかげで、創価学会のおかげで、大法は清浄に、今日までまいりました。本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を永久に忘れてはなりません。こう、細井(=日達法主)に言っておきました」と遺言されたんだ。
 日淳法主は、その翌日に亡くなられている。
原田 当時の「聖教新聞」に明確に残っている。
秋谷 その通りだ。厳然と残っている。これが「相承」の儀式というものだ。
高柳 日淳法主は、きちんと礼儀を踏まれて、池田先生を相承の「証人」とされたのですね。
森田 まったく、その通りだ。
原田 当時、日淳法主の「奥番」として、側で仕えていた、日蓮正宗改革同盟の工藤玄英さんの証言も残っている。
 その証言によると、池田先生は、日淳法主の枕元で、もう弱々しくなられた法主の言葉を一言も漏らすまいと、法主の口に耳を近づけて、聞かれておられた。
迫本 「それはそれは厳粛な、お二人の姿だった」と、工藤さんは述懐している。
森田 工藤さんは、日淳法主に常随給仕していた。我々も、よく知っている僧侶だからな。
藤原 これは重大証言だ。明確なる記録だ。
森田 当時のことは、池田先生からも、われわれ最高幹部が鮮明に聞いている。一言の間違いもない。
秋谷 それに日達法主からも、池田先生に全部、報告があった。日達法主は、法主になった直後、先生に直接、相承の経緯について伝えられた。
森田 これも当時、池田先生からも、小泉さんからも、即座に最高幹部に報告があったことだった。
高柳 つまり、日淳法主から日達法主への相承の時は、その両方から、池田先生に報告があったわけですね。
秋谷 その通りです。よく我々は知っています。記憶しています。重大な事柄ですから。
森田 それが当然だよ。一番大事な信徒の代表に、一番大事なことを伝える。当たり前のことじゃないか。
秋谷 そのことを知っている日達法主が、自分の時は宗内の誰にも言わない − そんなことは考えられない。
 また当時、学会の会長であり、法華講の総講頭であり、宗門興隆の最大の大功労者である池田先生に伝えないわけがない。これで日顕の、ずるい行動が、よく分かるでしょう。
高柳 その通りですね。

(2002年8月6日付 聖教新聞より)

 

<26>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、迫本青年部長

森田 そもそも日達法主は、日淳法主が、その前の日昇法主から相承を受けたときも、庶務部長として警護に当たっていた人でしたね。
高柳 ああ、そうなんですか。明瞭に儀式を踏んでいることが分かります。
原田 しかも日達法主は、自分で宗門の機関誌に、その様子を克明に残しておられる。これが日蓮仏法の本来のあり方だ。
藤原 そうだよ。日顕はメチャクチャだよ(笑)。
森田 素性が素性だからなあ。
迫本 大事なことですから、日昇法主から日淳法主への相承の件について、明確にしておきたい。それは昭和31年3月のことでした。
森田 ああ、そうだな。そうだったと思う。ぜひ、当時の本山の機関誌でもあれば、披露してくれないか。
迫本 持ってきております。それによると、機関誌で、日達法主は、こう書いている。
 “3月30日、午前2時、総本山大石寺大客殿において、丑寅勤行に続いて日淳法主へ相承が行われた”
 “大客殿の内陣に金屏風で席がしつらえられ、客殿内には総監、周囲を執事が警護して、厳粛に行われた”と、明確に書き記している。
藤原 日顕、この事実の荘厳な儀式を、お前は、やってないじゃないか。書いて残されてないじゃないか。誰も見てないじゃないか。
原田 そのほか、この機関誌には、前日29日午前10時45分に日淳法主が客殿に入ってから、翌30日午前2時に相承が行われるまで、刻一刻と儀式の模様が書き残されている。
迫本 相承の模様は4月1日付の聖教新聞にも、克明に書き残されている。
原田 日昇法主から日淳法主への相承についても、「記録」「証拠」「証人」が全部、揃っているよ。
迫本 このときの相承については、改革同盟の渡辺慈済住職の証言にもある。
高柳 ああ、あの方は「戦後の宗門の生き証人」といわれる人ですね。
森田 日昇法主が退座の意向を発表されたのは、昭和31年1月のことだった。
 実は、その少し前、丑寅勤行が終わった後、日昇法主が、渡辺住職の父を訪ねてきた。そのとき日昇法主は「次は日淳法主だ」と明確に話されたそうだ。
迫本 渡辺住職は、こう話している。
 “当時、後任候補は4人いた。日昇法主は、広布の未来展望を考え、今後の僧俗和合を願って、学会を最大に理解されている日淳法主を次に決められた。それで、宗内に影響力の大きかった父の意見を聞きにきた”と証言している。
藤原 重大な証言だ。永遠に、歴史に残していくべき証言だ。

秋谷 歴代法主が、どれだけ学会を大切にしてきたか。その明確なる証拠だよ。
 それを日顕は踏みにじった。先師に対する冒涜であり、日蓮大聖人に対する反逆だ。
森田 本当に、その通りだ。恐るべき魔性の坊主だ。
原田 ともかく、日昇法主から日淳法主への相承にしても、日淳法主から日達法主への相承にしても、「いつ」「どこで」「誰が一緒にいて」相承が行われたかが、一つ一つ、すべて明確になっている。
藤原 日顕とは大違いだな(大笑)。まったく話にならないよ。
原田 そりゃ、そうだよ(笑)。
 天才的ウソつきの日顕は、「相承を受けた、受けた」と、ただ自分が喚いているだけ。あとは何一つ、証拠もない(大笑)。
森田 誰が見たってインチキだ。幼稚な「作り話」だよ(爆笑)。仏法は厳しい。因果の理法は厳しい。
原田 だいたい、誰にも連絡しないなんて、こんな怪しいことはない(笑)。
 普通だったら、すぐに我が学会にも、法華講にも連絡があるはずだ。
秋谷 その通りだ。まして自分への相承のときは、池田先生に直接、報告した日達法主が、日顕への相承だけ黙っていたなんて、絶対にありえない。笑止千万だ(大笑)。
森田 その日達法主が亡くなった時も、すぐさま早朝に本山に駆けつけたのは、池田先生だったじゃないか。
秋谷 これも、明確に記録が残っている。
原田 日達法主が、身体の不調を訴えて、富士宮の「フジヤマ病院」に緊急入院したのは、昭和54年7月19日のことだった。
 その3日後の22日午前5時5分、逝去となった。享年77歳だった。
高柳 日達法主が亡くなった時、先生は、神奈川文化会館におられましたね。
原田 その通り。先生は同会館で、20日に幹部との懇談会、21日にザンビア大使と会見されている。
迫本 当時の記録によれば、先生のもとに日達法主逝去の第一報が届いたのは、7月22日午前5時55分だった。
森田 報告を聞かれた先生は、ただちに電光石火で、指示を出された。
 それは「すぐに車の用意をすること」「学会の全首脳に連絡すること」「学会の役員会を開いて、事態に対処を」「握り飯を、たくさん作ること」の四つだった。
秋谷 先生は午前7時10分に神奈川文化会館を出発。午前8時40分、富士宮の扶桑センターに到着され、そのまま、本山に向かわれた。
 8時55分に本山着。すぐ故日達法主が安置されている「大奥」へ通され、焼香されています。
森田 その場には日達法主の夫人がいて、「お世話になりました」と、丁重なあいさつの言葉があった。

原田 そういえば、憂宗護法同盟の僧侶の証言によると“日顕は日達法主の見舞いに行った時間もごまかしている疑いがある”と言うな。
迫本 そう。宗門の機関誌では、日顕が7月22日午前4時35分に、早瀬日慈らと同じ時間に病院に到着したと記録してある。ところが、これまた「ごまかし」があるようだと言うんだな。
森田 いかにも、ありそうなことだよ。
高柳 日達法主が亡くなる前日(昭和54年7月21日)にも、池田先生の奥様が、フジヤマ病院に、お見舞いに行かれたと、うかがいましたが。
原田 その通りです。
秋谷 本当は、池田先生も、お見舞いに行きたい心情だった。しかし、それを行かせなかったのが、あの山崎正友だったんだ。
森田 そうなんだ。実は当時、山崎は先生に、こう言っていたんだ。
 “法主と会わないほうがいいですよ。医師も会ってはいけないと言っている。本人も、誰にも会わないと言ってますよ”と。
藤原 そうやって山崎は、先生と日達法主を引き離そうと狙ったんだな。
原田 それでも先生は、せめて法主夫人にだけでも誠意を尽くしたい、お見舞い申し上げたい、と言われ、奥様に行っていただいたのです。
森田 その通りだ。記録によれば、その日の午後6時すぎに、奥様は、法主夫人をお見舞いした。
 法主夫人からは、「おかげさまで元気になりました」とあり、奥様は、「それはよかったですね。どうか、お大事に」と、あいさつして帰られた。
高柳 先生ご夫妻が、どれだけ最大の礼儀を尽くされたか。本当に、よく分かりますね。
秋谷 そして歴代法主は、その先生の真心を受け止めて、本当に学会を大事にされた。それは、今まで話の出た相承の様子を見ても、明確に分かるじゃないか。
原田 ところが日顕は、大恩ある学会を、何の失(とが)もないのに、一方的に、何の相談もなく、切った。
 あまりにも恐ろしい、陰湿な、ドス黒い、暴虐な人間だ。学会の人たちは当然のこと、外部の人たちまで驚いた。この宗門のやり方について、呆れ果てていたな。
藤原 その揚げ句、宗門を大衰亡させてしまった。
 この狂乱自体が、日昇、日淳、日達法主から、何の相承もないという、明確な証だよ(笑)。
森田 まったくだ。「ああ、あれは『天一坊』だよ」と宗門の坊主が笑っていたのを聞いたよ(笑)。
 宗門史上、最低最悪の「相承捏造のニセ法主」だ(大笑)。

(2002年8月7日付 聖教新聞より)

 

<27>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、迫本青年部長

高柳 「日顕に相承がない」ことは、よく分かりました。
 じゃあ日顕は、どうやって法主の座を盗み取ったんですか?
原田 憂宗護法同盟の証言がある。
 それによると、昭和54年7月22日午前7時ごろ、日達法主の「枕教」の導師をすることになっていた日顕が、遺族の細井珪道、琢道、菅野慈雲らが話しているところに入ってきた。
迫本 3人の顔を見るなり、日顕が不安そうな顔で口を開いた。
 「あと(=相承)のことは、どうなっているのか?」と聞いたんだ。
藤原 要するに、誰か相承を受けていないか、探りを入れたんだな。
原田 その通りだ。そこで菅野が、「総監さん(日顕)じゃないんですか?」と指さした。すると日顕は、「そうかぁ・・・・・・」といって黙り込んでしまったというんだ。
迫本 これは、その場にいた、細井琢道住職が、明確に記憶している。
藤原 これは重大だよ。本当に相承があったなら、他人に確かめるなんてことは、ありえない。その場で即座に自分から言うはずじゃないか。
原田 その通りだよ。
 とにかく「誰も相承を受けた人間がいない」と踏んだ日顕は、いよいよ作戦を開始した。
迫本 午前11時からの緊急重役会議の場で、早瀬日慈と重役の椎名法英に、“昨年4月15日、総本山大奥で相承を受けた”云々と口から出まかせの大ウソを言い出した。
原田 いや、あいつは、うまいからな。「ウソつきの名人」だからなあ(爆笑)。
高柳 そうやって、まんまと法主の座を横取りしたわけですね。

森田 だいたい当時の日顕には、宗門の法律である宗制宗規上、そもそも法主になる資格がなかったんだよ。
原田 というのも、宗門の宗制宗規には、こうある。
 「法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる」とある。
秋谷 能化というのは、「日号」を名乗れる坊主だ。ところが当時、日顕は能化でも何でもなかった。
 ということは、はじめから法主になる資格がなかったことになる。
藤原 何だ何だ、完全に「宗規違反」じゃないか。
 日顕は「宗規にも違反して登座したニセ法主」か(笑)。
森田 それだけじゃない。だいたい、日顕が言うように、日達法主から相承を受けていたとすれば、日達法主は、その時点で日顕を能化にしていたはずなんだ。
藤原 そういえば、その通りだ。これは気がつかなかったな。重大問題だ。
原田 それにまた宗規には「次期法主の候補者を学頭と称する」ともある。
 ところが日顕は、「相承を受けた」と称する昭和53年4月15日以降も、学頭になっていない。
森田 宗門の老僧も、かつて、こう陰口を言っていたよ。
 「普通は、相承されたら、すぐ学頭に就く。能化になる。ところが、日顕は、そのどっちにもなっていない」と言っていた。
藤原 これまた「相承はなかった」という厳然たる証拠だ。
秋谷 そもそも相承を受けたら、すぐ坊主たちに伝えるはずだろう。披露するものだろう。それが相承だ。
 ところが伝え聞いた者は、誰一人としていない。
原田 だから当時、多くの坊主も疑っていた。しかも日顕が法主になって初めて坊主たちと面会した時の第一声が、こうだ。
 「ワシの血脈(けちみゃく)のことでガタガタ言っているようだが、じゃあ、ほかに相承を受けた者がいるのか。いたら手を挙げてみろ!」と喚き散らした(笑)。
藤原 何だ、「誰も名乗り出た者がいないから、オレが盗み取った」と白状しているようなものじゃないか(大笑)。
高柳 それも法主就任を披露する、めでたい席です。よっぽど後ろめたかったんですね(笑)。

原田 それだけじゃない。日顕のやつは、坊主の前で、こんなことも言っていた。
 “相承がなかったとしたら、日達法主が法主として不適格者になってしまう”なんて言っていた(笑)。
森田 だったら、終戦前の昭和20年6月に、本山の大火事で死んだ日恭法主は、どうなんだ? 相承もせずに焼け死んでいるじゃないか。
秋谷 その通りだ。法主が相承しないで亡くなった例なんか、歴史的にも、いくつもあるだろう。
迫本 だいたい日顕よ、お前は宗制宗規を読んだことがあるのか? 法主が相承をせずに死んだ場合のために、ちゃんと手続きが決まっているじゃないか。
原田 その通りだ。宗規には「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して」とある。
 この「やむを得ない事由」というのは、法主が急死したり、危篤状態にあるなどの緊急事態を指すんだ。
森田 それを何が“日達法主が不適格者”だ。要するに、これまた自分のウソを取り繕うために、日顕のやつが捻り出したごまかしだよ。
 それほど大ウソに大ウソを重ねて、法主の座をネコババしたんだ、あいつは。
藤原 悪いやつだ! 完全に“泥棒”だ。

(2002年8月8日付 聖教新聞より)

 

<28>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、迫本青年部長

高柳 それにしても日達法主は、本当は誰を法主にしようと思っていたんですかね?
迫本 「当時の仲居(=法主の秘書役)だった光久諦顕じゃないか」という坊主もいる。
原田 「娘婿の菅野慈雲に譲ろうとしていた」という話もある。
森田 日達法主は菅野を格別に可愛がっていたからな。まあ、菅野だったのかもしれないな。
秋谷 日達法主が誰を跡目に考えていたにしろ、いっぺん自分が法主になってしまえば、誰も手が出せない。「法主絶対」で、誰も何も言えない − それが日顕の狙いだったんだ。
迫本 その日顕を、一番、脅してきたのは、あの極悪ペテン師の山崎正友だ(爆笑)。
原田 その通りだよ。山崎のやつは、日顕が法主になった直後から、「手続き無視で誕生した現法主」「相伝をいつわって登座」「法主僣称(せんしょう)」と、さかんに週刊誌で書き立てていた。
藤原 山崎のやつは、刑務所から仮出所した直後に日顕に宛てた手紙でも、「相承」について日顕を脅していたじゃないか(笑)。
原田 そう、そう。“週刊誌に書いた内容は、4割にすぎない”“日顕がニセモノだという証拠は、まだまだある”と、さんざん脅しをかけていた(笑)。

迫本 ところが、だ。平成7年2月になって突然、あの男は「日顕の相承を拝信」だなんて、日顕一派の機関紙に書きはじめた(爆笑)。
原田 当時、日顕のやつは、平成2年に、あの陰険な「C作戦」で学会を切ったものの、全然、自分の思惑通りにいかなかったからな。
森田 日顕のやつは「学会員のうち20万人くればいい」とぬかして学会を切った。ところが、学会は微動だにしない(笑)。
迫本 そこで追い詰められた日顕は、平成3年1月、山崎に“ウソつきと言って悪かった。勘弁してください”と頭を下げて、助けを求めたわけだ(大笑)。
原田 そのあたりの裏の事情については、ずっと山崎と一緒だった正信会の浜中和道も証言している。
迫本 そうなんだ。そのころ、山崎は浜中に、こう話したというんだ。
 “日顕のやつが謝ってきたよ。「あんたはウソつきだと言って、申し訳なかった」ってな。今さらオレのすごさがわかったんだ。オレに、ひれ伏したんだよ”と高笑いしていた(笑)。
原田 それに、こうも言っていた。
 “日顕が「悪かった」と謝ったので許す気になった。そうしたら日顕のやつ「頼むから、オレに相承があったと認めてくれ」って言ってきた”というんだな(大笑)。
高柳 驚きましたね。日顕は山崎に謝っただけじゃない。「自分に相承があったと認めてくれ」と、すがりついていたんですか。
 これは重大な発言ですね。
秋谷 まったくだ。本当に相承があったのなら、山崎に「ひれ伏す」必要なんか、なかったはずだ。
森田 そうだよ。本当に、その通りだ。これこそ「日顕に相承がない」ことの「動かぬ証拠」だ(大笑)。
高柳 それにしても、日顕は、「相承がなかった」と言われることを、よっぽど気にしているんですね(笑)。
森田 そりゃそうだよ。正真正銘の「ニセモノ」なんだから(爆笑)。

藤原 日顕は最近も、坊主に命令して、下らない「反論」とやらを書かせたそうじゃないか。
原田 日顕のやつは、「ニセ法主」ということで一生を終わったら、死んでも死にきれないんだろう。
 それで必死に言い訳を書かせているんだろうよ(笑)。
森田 先日も、宗内の関係者が「『天一坊』の日顕は、躍起になってウソの辻つまを合わせようとしている。
 きっと今ごろは山崎に『ご指南』を受けているんじゃないか」と、せせら笑っていたよ(爆笑)。
藤原 その日顕宗では、最近、「誰が日顕の後釜か」という噂で持ちきりになっているようだよ。
森田 そうだろう。もう日顕も、今年で80歳だからな。とっくに引退して、跡目を譲らなきゃならない年代だよ(笑)。
藤原 そうだよ。それが、いまだに未練がましく、しがみついている。最後まで、みっともないやつだ(大笑)。
原田 それでも、やれ「後釜は、あの暴力坊主・早瀬義寛だ」とか、やれ「日顕の愚劣息子の信彰だ」とか、いろいろ聞こえてくるな。
秋谷 誰が跡目になろうが、もう我々には関係のない話だ。
 だいたい、「ニセ法主」の日顕が誰に相承したって「ニセ法主」だ(笑)。
森田 「ニセ法主」の法灯連綿だ(爆笑)。

(2002年8月9日付 聖教新聞より)

 

<29>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、杉山男子部長

藤原 小泉首相が、訪中を延期したそうだな。
秋谷 朝日新聞に出ていたな。今年は日中国交正常化30周年で、「この9月に訪中」という話が、以前からあった。
原田 ところが、8月に入って、急に延期ということになった。
 「靖国神社参拝問題について、また中国側から言われるから、逃げたんだろう」。そういう評論家の声があるな。
森田 小泉首相は昨年も靖国問題で、中国、韓国はもちろん、東南アジア各国から猛反発を受けたじゃないか。
藤原 その通りだ。
森田 それにしても、この一番、大事な年に、日本の首相が行けないなんて、情けない話だ(大笑)。
原田 中国側は冷静に受け止めているようだが、こんなことではアジアの真の信頼は、とうてい得られない。

藤原 そういえば、先日の産経新聞に、アメリカと中国の国交正常化についての極秘記録が載っていた。みんなも読んだと思うが。
杉山 その通りだ。1971年、国交正常化交渉のために、周恩来総理とキッシンジャー大統領補佐官(いずれも当時)が極秘会見を行った。その内容が詳細に公表された意義は大きい。
森田 そうだな。あれは歴史的な会談だった。当時、「犬猿の仲」だったアメリカと中国が接近、交渉した − 世界中が驚いたニュースだった。
秋谷 周総理も、キッシンジャー氏も、池田先生が、お会いになられた方だ。
高柳 その米中会談は、どういう内容だったんですか?
杉山 ここに、その新聞があります。会談では、まずキッシンジャー氏が“最も気になる日本の問題から始めましょう”と切り出した。
 すると周総理は“日本は経済的に発展した。しかし、軍備拡張が心配だ”と語ったようだ。
藤原 その通りだよ。率直に言って「日本の右傾化」「軍国主義化」だよ。これは池田先生が、何十年も前から危惧され、提言をされ、世界中の指導者と語ってこられた焦点だ。
杉山 そして周総理は“日本は物の見方が偏狭で、まったく奇妙だ。島国の国民だ”とも語っていたと出ていた。
高柳 「島国根性」「島国国家」 − これも池田先生が、「こんな島国根性では世界では笑われる」と、よく強調しておられることですね。
原田 そうだよ、その通りだ。これは指導者の責任だ。
 周総理に対してキッシンジャー氏も“日本は部族的視野しかもっていない”“自己中心で、他国に対する感受性に欠ける”と言い切っていた。二人の日本観は、一致している点が多かったな。
森田 その通りだよ。鋭いな。「日本は視野が狭い」「島国根性だ」 − これが米中の指導者の見方だったんだな。

原田 幾たびとなく池田先生は、この点に対して常に厳しく、日本の「右傾化」、偏狭な「島国根性」に警鐘を鳴らして来られた。
 この一貫した姿勢は正しかった。だから反対勢力から、あらゆる攻撃、迫害を受けてきた。
秋谷 その通りだ。それはもう、みんなが知っている通りだ。
 当初から高次元の日中観、世界観、平和観を堅持された。先生は、本当に偉大だ。
原田 そして、このままでは日本はアジアからも世界からも完全に孤立化することを心配されていた。
 そして中国とも友好を結ばれてきた。ありとあらゆる手を打たれてきた。
藤原 それが、どれほど偉大な先見か。
 今回、公開された、周・キッシンジャー会見の記録は、その一つの厳然たる証明だよ。
原田 そうだよ。本当に、そうだ。周総理も、キッシンジャー氏も、池田先生を平和の指導者として讃嘆していた。
 世界は「正視眼」で見ている。日本は「邪見」で見ている。
森田 世界は、その一民間人である池田先生の行動に対して、最大に称えている。各国から22の国家勲章がおくられている。
藤原 中国から先生が受けられている名誉学位だけでも、北京大学、復旦大学をはじめ45にのぼる。こんな日本人は、いないだろう。
 この一点だけでも「島国根性」は恥ずかしい。「焼きもち根性」は惨めだ。
秋谷 本当に、そうだ。この国交正常化30周年の今年の秋も、中国科学技術大学、浙江大学をはじめ各名門大学から名誉教授が贈られることになっている。すごいことだ。
森田 皆、異口同音に「井戸を掘った人の恩を忘れてはならない」と、先生の日中国交回復への貢献を最大に称えられていますね。
秋谷 その通りだ。私たちが、どれほど偉大な指導者とともに戦っているか。ますます実感する昨今だ。

(2002年8月13日付 聖教新聞より)

 

<30>
出席者:秋谷会長、森田理事長、原田東京総合長、藤原関西長、高柳婦人部長、杉山男子部長

高柳 あの極悪ペテン師の山崎正友の「手下」の乙骨が、またまた裁判で訴えられたそうですね。
藤原 またか!(笑)
原田 あいつは最近も、“北新宿で学会が地上げをやっている”なんて大ウソのコメントを『週刊新潮』に出して、6月に東京高裁で100万円の損害賠償の支払い命令を受けたばっかりじゃないか。
秋谷 そうだ。その通りだ。今度は、どんなデマ記事を書いたんだ?(笑)
杉山 実は今年の3月、身延の坊主が3億円もの所得を隠すという事件が発覚した。
藤原 ああ、あったな。
 読売新聞にも「日蓮宗総本山のとんだ僧侶」と、大きく見出しが出ていたな(笑)。
原田 ところが乙骨は、この脱税事件の摘発に、なんと学会が絡んでいるかのようなデマ記事を、雑誌に書いたんだ。
藤原 バカなやつだ。何で身延の坊主の脱税に学会が関係あるんだ?(大笑)
森田 それも「学会が仕掛けたとも言われている」なんて、いつものように「出所不明のコメント」を並べていた。
原田 何が「言われている」だ(笑)。「誰が」「いつ」「どこで」学会が仕掛けたなんて言ったんだ?
秋谷 学会は誰からも、どこからも、「何も言われていない」よ(大笑)。
森田 これまた、全部、極悪ペテン師の山崎正友のサル真似だ(笑)。
 具体的な証拠は何一つない。ただの「空想話」「妄想話」ばっかりだ(笑)。
杉山 実は、この雑誌というのも、乙骨本人が発行人になって出している「デマ記事」なんだ。
高柳 へぇー。もう、まともなマスコミには相手にされないから、自分でデマ雑誌を出したんですね(大笑)。
森田 これは極めて悪質なデマ事件だ。
 そこで学会は8月1日、発行人の乙骨を相手取って、1000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地裁に起こしたんだ。
原田 当たり前だ。デマ記事は社会を撹乱する元凶だ。断固、厳しく断罪するべきだ。

杉山 乙骨のやつは、今年の6月にも悪辣なデマで『週刊新潮』と一緒に断罪された。 それだけじゃない。あいつは、他にも訴えられている。
原田 その通りだ。あいつは平成11年8月、和歌山県下津町の、他宗の坊主らの集まりで大ウソをついた。 その事件でも訴えを起こされている。
藤原 ああ、関西の和歌山の人たちは、よく知っているよ。
 「また、あいつか」「また、あいつか」と言って、怒っているよ。
杉山 その坊主の集まりで乙骨のやつは“学会が北海道の厚田墓苑の用地を購入した際、二つの「幽霊会社」を使った。そこで儲けた金を学会の裏金としてプールした”という大ウソをついたんだ。
秋谷 まったく、どれもこれもバカバカしい話ばかりだ。
 学会が「裏金」を作る? 「いつ」やったんだ。
 「どこで」「誰が」やったんだ(笑)。
森田 まったく、呆れ果てる。よくもよくも、こんな下らない妄想話ばっかり、デッチ上げられるものだ(笑)。
藤原 空想マンガの読み過ぎか、もともといかれているかの、どっちかだな(爆笑)。

杉山 それにしても乙骨のデマというのは、どれも親分の山崎がやってきたことばかりじゃないか(笑)。
高柳 その通りですね。
 今回の「身延」云々のデマにしたって、しょっちゅう身延に出入りしていたのは、山崎じゃないですか(笑)。
原田 有名な話だ。
 山崎は、身延の坊主どもと温泉で宴会までやって、陰険な学会攻撃の陰謀を巡らしていた。
杉山 身延のインターネットのホームページに、わざわざ、その時の写真まで載っていたよ(大笑)。
森田 身延と関係が深いのは、乙骨の親分の山崎だよ(爆笑)。
秋谷 結局、乙骨というのは、山崎のやり口、手足を盗み取ってデマ記事を作っているだけだ。
杉山 要するに親分を真似して、卑しく小銭を稼いでいる「小僧」だ、あいつは(爆笑)。
原田 当然、今回、訴えられた裁判でも、その下劣な正体が、一段と暴かれていくに違いないよ。
 これは「見物」だよ。面白いぞ(大笑)。

(2002年8月14日付 聖教新聞より)