< 座談会 >

栄光の学会創立75周年

 


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出席者:秋谷会長、青木理事長、谷川総東京長、西 東京男子部長、大川 墨田区副総合長、大沢 世田谷広宣区・区副本部長、足羽 板橋総区副総合長、今井 水元池田区区副総合長、岩館 江東総区副総区長、荻谷 村山総区副総合長

青木 ところで今回の都議選でもマスコミは「二大政党化が進む」と報じているようだが。
今井 いや、そんなに単純にはいかないよ(笑い)。
岩館 その通りだ。東京には、北海道から沖縄まで全国各地の出身の人が暮らしている。
 「都民」といっても千差万別だ。
荻谷 都政ほど、一人一人の要望やテーマが多様化している所もない。
 それを、たった二つの器に集約しろだなんて、都民のニーズに全く合わない。都民が怒るよ(笑い)。
西  二大政党制の本家のイギリスでも第3党が躍進している。アメリカも二つの政党だけでは意見を吸い上げきれない。それが政治離れを加速していると言われている。
谷川 僕の知る大学の教授も「国政、地方政治に関わらず、政党は3〜4党あるのが理想だ」と語っていた。

「地域の時代」

大川 それに私は都政と国政の両方で長年にわたって政治を見てきた。その経験からいっても、地方に基盤のない政党、いわゆる「足腰が弱い」政党は、最後は倒れる。
今井 まったく同感だ。識者も言っていた。
足羽 今は「中央」から「地域の時代」に入ってきている。言い換えれば、地域に根ざした「庶民の時代」だ。
青木 「公明党の時代」だね!
大沢 我々は「公明党こそ日本の柱」との自負で戦っている。
 だが「柱」は決して「中央」だけにあるわけではない。
荻谷 その通りだ。公明党は地方に無数の「柱」がある。だから強い。負けない。
秋谷 公明党の地方議員は地道だし、真剣だという声は、よく聞く。
 党に対する信頼の基盤になっている。
足羽 逆に「地方に基盤がない政党」は信頼できない。口先では景気のいいことを言うが、最後は頼りにならないよ。
大川 地方議員にしても、とくに最近は、国会の赤絨毯ばかり夢見てる「おぼっちゃま議員」が多い。
 都議や区議を単なる「腰掛け」と舐めている連中が多すぎるんじゃないのか。

公明の政策実現

岩館 それに公明党は、地方議員と国会議員の連携が実にスムーズだ。だから政策の実現も早い。
大沢 私は世田谷区選出の都議だったが、世田谷区は全国に先駆けて、白内障の手術に補助金を出す条例をつくった区だ。
足羽 そうだった。それでも当時、補助金が適用できるのは片眼だけだった。
大沢 それで、もう片方の眼はどうするんだという話になった。
 さっそく都議会公明党と連携を取り、もう一つの眼は都で補助金を出せるようになったんです。
今井 ところが他の区では都の補助金しか出ないから、結局、片眼への適用のままだった。
大沢 それで今度は、国会で取り上げた。これで両眼とも、白内障の手術に保険が適用されるようになったんだ。
西  初めて聞きました。公明党ならではの迅速な連携と行動だ。さすが「実績第一」「スピード第一」。
大川 これが他の政党だったら、いったい何年かかったか(笑い)。
足羽 これが公明党の身上だよ。持ち味だよ。他党は、どうだい?
 上から下まで派閥で縦割りになっていて連携が取れない政党だの。
 国会に頭数はいるが、地方に基盤のない「根無し草政党」だの(笑い)。
今井 反対に、地方議員はゾロゾロいるが、国会では泡沫扱いの政党だの(大笑い)。
秋谷 地方にも国会にも、強靭なネットワークが張り巡らされているのは、公明党だけだ。
大川 だから、よく言うんだよ。
 地方に基盤もないくせに、国会で「改革」だの「二大政党」だの。そういう政党は「足腰も鍛えずにマラソンに出るようなもの」だって(大笑い)。
荻谷 逆に、国会議員が東京で何かしようとしたって、都議会が動かなければ、何も実現できない。
大川 私が都議の時代も、国会では権勢を誇る他党の代議士が「どうか公園を作ってほしい」と頭を下げて頼みにきていたよ(大笑い)。
今井 公明党が連立与党になって5年。経済、教育、福祉、医療等々、多くの実績を積み重ねてきた。
足羽 だからこそ、いよいよ都政が重要な時だ。

実績横取り政党

西  ところで、あの共産党の新しい本部ビルが完成したと新聞に出ていた。
 総工費は85億円。床面積で自民党本部を抜いて政党の本部で一番になった≠ニか(笑い)。
大川 そうなのかい。議員が減ってるのに、そんな大きい建物なんか必要あるのかね。
足羽 昔、共産党の本部の土地を提供したという人がいたが、ずっと共産党はオレを粗末にしやがって≠ニ恨みごとを言っていたな。
大沢 ああ有名な人だったね。ひどい扱いだったと激怒していた。
今井 一事が万事だ。共産党は「恩を受けた人間を大事にしない」。そういうところなんだよ。
大川 それに「反対だけが実績」「実績の横取り」。共産党のハイエナぶりは昔っからだ。
岩館 私が区議の時代にも、他党の実績を「私たちの実績」とデマ宣伝した。
 頭に来たんで、共産党の控え室に乗り込んで「お前たちがやったという証拠を出してみろ」と詰め寄った。いくら言っても謝らなかった。
 だが、驚いたことに別の機会に、共産党のある区議が私に言ったんだ。「あなたの言うことは正しい。だが共産主義のためには全てを利用するのが党是なんだ。だから謝れない」と言ったんだ(笑い)。
谷川 ひところは「実績の横取り」と「誇大宣伝」でごまかしてきたが、もう通用しない。
 東京の有権者も見抜いているよ。

(2005. 2.11. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、谷川総東京長、西 東京男子部長、大川 墨田区副総合長、大沢 世田谷広宣区・区副本部長、足羽 板橋総区副総合長、今井 水元池田区区副総合長、岩館 江東総区副総区長、荻谷 村山総区副総合長

民主主義の危機

青木 前回は、共産党の「実績の横取り」が、市民から大反発をくらっている話が出た。
大川 今、思い出しても腹が立つことがある。平成7年に宗教法人法改変の問題が出てきた時に「証人喚問、喚問」と騒いだ連中がいた。
 でも、あの時に一番カサにかかって騒いだのは、共産党だよ。
西  その通りだ。平成7年12月に秋谷会長が参考人招致された時に、最も陰湿な質問をしたのは共産党の橋本とかいう議員だった。
大川 橋本も既に引退。共産党自体が、衆議院でも参議院でも議席を減らして、今じゃあ「ミニ政党」だ(笑い)。
足羽 他党の支持団体を攻撃するような政党が、国民から見捨てられるのは当然だ。根本が狂っている。
青木 あの宗教法人法改変の前後には、学会を中傷する事実無根のデマが飛び交った。
西  共産党も機関紙で大騒ぎしたな。
谷川 そのデマを巡る裁判の判決でも「事実的根拠を欠く」「極めて不合理であり、納得させられるところはなく、およそ信用性に乏しい」等々、厳しく断罪された。全くの作り話だった。
秋谷 それをあろうことか政治家が利用し、攻撃の材料にしてきた。
 まさに民主主義の危機だった。
西  しかし学会の正義は厳然と証明された。
 その結果、デマを騒いだ共産党は衰亡。当時の橋本龍太郎総理大臣と自民党の加藤紘一幹事長も学会、池田先生に謝罪したんだ。
秋谷 橋本元総理は2度も謝罪した。
 「私が『名誉会長に、いろいろご迷惑をおかけし、申し訳なく思っています』と述べたことについて、おっしゃっていただくことはかまいません。本当に済まないことをしたと思ったからです」。このように池田先生に陳謝した。
谷川 それに一昨年1月7日には岡山文化会館を訪問。その際「あれは謝るのが当然です」と明確に語っていた。

地獄の革新都政

西  都政の話に戻ります。かつて共産党が与党になった時代がありましたね。当時は、どうだったんですか。
大川 大失敗だった。ひどかった。
 昭和42年に美濃部亮吉都知事が誕生して、社会党、共産党が支持した「革新都政」なるものが3期続いた。
大沢 都民は「都政の夜明け」になるかと期待したが、実際は財政赤字が膨らむ一方だった。
 何しろ美濃部都政下の12年間で都の職員は17万7000人から22万人にまで増えた。年間予算の何と45%までが人件費という異常事態だった。
足羽 当時、東京都は赤字債権団体≠ノ転落する寸前だった。
 これも自分たちの勢力を拡大したい、そのために職員を増やしたいという、共産党、社会党の思惑あってのことだった。
大川 その東京都を赤字団体への転落から救ったのは公明党だ。
 膨れあがった人件費を削減するために、職員のクビを切らずに定数を減らしていったんだ。
大沢 その通りだ。このことについて美濃部氏も回顧録で述べている。
 「1期目から2期目にかけ、私は『議会は地獄』とさえ感じたが、公明党が与党になってからは本当に楽になった。共産党は与党とはいえ、12年間通してみると、反対に回った議案数は自民党と変わりないほど多かった」
 「社会主義者である私と基本的立場は食い違うが、公明党は都議会において政治力があり、いったん約束したことは必ず守ってくれた。起債制限団体への転落を防ぐため、与党のなかで最も力になってくれたのも公明党であった」(「朝日新聞」昭和54年6月15日付)と述懐している通りだ。
岩館 都政の歴史で公明党が、どれほど大きな力になってきたか。結党以来、都政の柱だ。その、ほんの一例ですよ。
荻谷 都議会で公明党がキャスチングボードを握って35年後、国政においても公明党が連立政権に参画した。
今井 平成11年10月のことだ。あの時も日本は深刻な金融危機だった。日本の経済再生のためには政治の安定が不可欠だった。それで公明党は連立政権に参加したんだ。
足羽 その意味では、都政は国政を先取りしていたといえる。

まず候補と家族

青木 今夏の都議選では、公明党から多くの新人候補が出るようだね。
荻谷 全部で9人の新人が立候補する予定だってね。
今井 選挙は、まず「候補と家族」が立ち上がることだ。
 私も新人のときは、死にものぐるいで支持を拡大した。当然のことだが、昼も夜もなかった。
大川 新人は右も左も分からない。だから「誠実ひとつ」で勝負するしかないからね。
岩館 その通りだ。皆が実感していることだ。候補と家族が奮闘してこそ、支持者の皆さんも奮起してくださるんだ。
大川 どこの誰とはいわないが、まだ心のどこかで「支持者に任せておけばいい」なんて思っているのが、いやしないか? 先輩の一人として、心配だ。また、とんでもないことだ。
足羽 支持者に甘えきって、自分の力で新しい支持を開拓しない。できない。そういう苦労知らずのボンボン議員なんか、公明党の恥だ。言語道断だ。
今井 時局講演会など大勢の前で何度も話をするうちにオレには、これだけの支持者を集める力がある≠ニ勘違いする候補もいる。恐ろしい錯覚だ。
青木 何度も言ってきたが、あくまで「選挙は自由」だ。何でもかんでも応援する義務など、我々には一切ない。
荻谷 私は昭和44年に初めて都議選に立候補しました。113票差で辛うじて当選できたんです。
西  大接戦だった。
荻谷 選挙が終わって妻と猛省し、一人一人、開拓しました。今度は「10票を11票に」「100票を200票に」という思いを込めて支持を拡大したものです。
足羽 この座談会でも「議員の家族が戦え」と、幾度も言っていただいている。本当に大事なことです。
大川 とくに要となるのは、政党を問わず議員夫人だ。しっかりしていないと、議員もろともダメになっていく。
 反対に、奥さんがしっかりしているところは、自然と議員も周りから信頼される。支持も拡大している。厳然たる事実だ。
大沢 たとえば身近な地域で「支持者と語る会」などを開く。
 そのとき議員の家の「向こう三軒両隣」の方々が来てくれれば、間違いなく奥さんのお陰だね(笑い)。
青木 選挙に奇策はない。地道な行動と信頼の積み重ねの中にしか、拡大と勝利はない。重要な方程式だ。
 とにかく、この一年。公明党の議員、家族OBの団結と奮闘で、見事な勝利を勝ち取ってもらいたい。
秋谷 支持者が胸を張れる、支持者が「見事だ」と讃嘆できる力闘を期待している。

(2005. 2.12. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長

弓谷 この座談会は、多くの人々に読まれている。会員でない方からも大きな反響がある。
原田 私も、友人、財界人等々、さまざまな人から聞く。
 とくに「まったく日顕というのは極悪だ。本当に悪い坊主だ!」という驚きの声。これがダントツで多い(笑い)。
青木 そりゃあ、そうだろう(大笑い)。
杉山 「この座談会を読んで宗教観が変わった」という人も多い。
 先日も、ジャーナリストが語っていた。
 「今まで、宗教は寛容≠ェ大切だと思ってきた。しかし寛容≠ニは『悪を見逃す』ことではない。『正義の怒り』がなければ、社会は良くならない」
 「『悪との闘争』を叫び続けている聖教新聞こそ、真の意味で『人権を守る新聞』と言えるのではないか」と率直に語っていた。
原田 見る人は、ちゃんと見ているね(笑い)。
秋谷 我々の進めてきた「平成の宗教改革」が、いかに先駆的か。いかに正義か。多くの識者が賛同を寄せている。
弓谷 中国・武漢大学の虞崇勝(ぐすうしょう)教授も、こう語っておられた。
 聖教新聞には「潔さ」という品格がある。それは邪悪な勢力に対する不屈の戦いである。宗教界においては、教義から逸脱し堕落した極悪の勢力に対して、一歩も引くことなく闘争し、清廉(せいれん)公正で、真の信仰心を確立するための手本となっている≠ニ讃嘆されていた。
原田 邪悪を許さぬ痛烈な糾弾。これが、聖教新聞の大精神だ。創刊以来の伝統だ。

創刊当時の寸鉄

秋谷 聖教新聞は、昭和26年4月20日に創刊された。戸田先生は、創刊第1号から、小説『人間革命』をはじめ、社説、寸鉄と、自ら筆を執られた。
 それも最初、担当幹部を決めて寸鉄を作ったが、ダラダラ長くて切れてない。「なんだ、尺鉄じゃないか」と言われて、先生自ら毎回、執筆された。
 私も、創刊当初のころ、記者の一人だったが、先生の筆鋒の鋭さといったら、それはそれは本当に、凄まじかった。
青木 その通りだ。寸鉄にしても、この座談会にしても、たまに「きつすぎるのではないか」と心配する人がいるが、悪に厳しいのは、今に始まったことじゃないよ。経典も、御書も、破折の言葉は痛烈だよ。
秋谷 戸田先生の鋭さ! 厳しさ! 今も忘れない。戸田先生が執筆された寸鉄には、こうある。
 「世間の評価を気にする坊主は生臭(なまぐさ)坊主だ」
 「折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ」
杉山 本当に、その通りですね!
青木 こんな寸鉄もある。
 「尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下にかくれて尊敬されたがって居る坊主は狐坊主だ」
 「御布施ばかりほしがる坊主は乞食坊主だ」(笑い)
原田 これは、創刊第3号の聖教新聞の寸鉄だ。今の日顕宗への破折そのものじゃないか。

8割が坊主斬り

弓谷 僕も昔の聖教新聞を読んでみました。すると毎号のように、坊主の悪行を叩き斬っている。
 創刊号から第50号までだけで、悪坊主を破折する寸鉄は、実に40回にも及んでいる。
原田 実に8割が「坊主斬り」だ。それだけ当時から、宗門は腐った坊主だらけだったということだ。
青木 昔から宗門というのは、どうしようもないところだったんだ。学会があったればこそ、もっていたんだ。
原田 堀日亨上人も今の宗門から創価学会を取ったら、何が残るか。何も残らないではないか≠ニ断じておられた通りだ。
青木 学会も、昔のことを知らない若い人が多くなってきた。こういう本当の事実、真実を語り残しておかないと、いけないな。
秋谷 その通りだ。そもそも牧口先生も、戸田先生も、宗門など全く信用されていなかった。
 つねづね「宗門は、あてにならないぞ」「金を持ったら学会を切ってくるぞ」と言われていたのも有名だ。
弓谷 だいたい宗門は学会の邪魔ばかりしていた。戦時中、軍部政府に迎合して、牧口先生、戸田先生を呼びつけ「神札」を受けるように強要したのも坊主だ。
原田 臆病者の坊主どもが、弾圧を恐れ、大謗法を犯したんだ。だが、牧口先生は「神札は絶対に受けない」と断固、拒否された。
秋谷 やがて牧口先生は獄死され、戸田先生は2年間も牢獄に入られた。牧口先生を獄死させたのは軍部権力だけじゃない。坊主だ。未来永劫に消えない大悪業だ。

戸田先生の慈悲

青木 それでも学会は戦後、広宣流布のために、大きい心で宗門を護った。最大に供養して、興隆させてきた。
 池田先生も、どれほど尽くされたか。宗門を最大に護り、発展させたのは池田先生じゃないか。
秋谷 どれほど深い慈悲か。戸田先生は、当時の寸鉄に「僧侶の中に人材の現われん事を望んで止まぬ」と書かれている。
 どうしようもない坊主どもを哀れまれ、何とか広布の役に立つ人材が出てほしい――広く、大きい心で期待しておられた。
 だからこそ悪坊主は、容赦なく破折された。それが真実の慈悲に通じるからだ。

(2005. 2.15. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長

商売坊主を糾弾

原田 聖教新聞の「寸鉄」は、創刊当初から腐った坊主どもを徹底的に糾弾していた。「正義の闘争」こそ、聖教の原点だ。
 前回、そういう話が出た。
青木 しかし、昔から宗門というところは「商売坊主」ばかりだったな。
 信者から供養をせびることしか考えない。我々も青年時代、幾度となく厳しく注意したものだ。
秋谷 坊主というのは、寺につけたいんだ。学会にいたんじゃ、金にならないから、何とか寺の檀家にしたい。
 そのために「御盆廻り」とか「お経廻り」などと言って、せっせと檀家の家を回っていた。そうやって寺につける。金づるにする。
弓谷 今の日顕宗と全く同じだ(笑い)。
杉山 そんな坊主も、寸鉄はバッサリと斬っている。
 「御盆廻りって何の事かね、檀家の先祖を供養する事かね。それとも供養されることかね」
 「口の悪いのがおってそれはお彼岸廻りではない、お布施廻りだよ、とさ」(笑い)
弓谷 「喰うために寺があるなんて考える奴は風上にも置けんやつだ」という寸鉄もある。
杉山 ほかにも、こんな寸鉄がある。
 「信者をお客様と称し信者をおとくい様のように考えている坊主が居(お)りやしませんか、寸鉄居士(こじ)はそれを心配している」
 「どこの寺の信者がどこの寺に行っていけないとか、信者は寺の持ちものみたいな考えはやめろ」
原田 すごい寸鉄だ。
秋谷 戸田先生は、堕落した坊主を「僧侶なんて呼ぶな。『坊主』でいいんだ」と厳命しておられた。
 うっかり「僧侶が」「あの坊さんが」などと、つい敬語で言おうものなら、厳しく叱られたものだ。
青木 とくに信徒に威張り散らす坊主は、絶対に許されなかった。
 「悪侶(あくりょ)、愚侶(ぐりょ)、弱侶(じゃくりょ)の輩(やから)、御衣(おころも)のかげにかくれて、からいばりする事なかれ」
 「旧信者相手にいばってるくせを学会の人々にお出し下さるな。空いばりには驚かぬのが学会魂だ」等々、師子吼(ししく)された。
杉山 これも今の日顕宗のことだな(大笑い)。
秋谷 この寸鉄の通り、学会は池田先生のもと、いくら日顕が「衣の権威」で脅してきても微動だにしなかった。
 学会には「師弟の精神」があったからだ。金と欲だけの坊主どもには想像もつかない「広宣流布の信心」があったからだ。「学会は学会」だったからこそ、勝ったんだ。
青木 自分は折伏もしない。それどころか、学会員が折伏すると、御本尊授与すら面倒がる「グータラ坊主」もいたっけな。
弓谷 これも寸鉄でグサリだ。
 (学会員の折伏を)喜ばない坊主がいると聞く、そんな坊主は日蓮門下ではなくて天魔門下だ≠ニ叱り飛ばされている。

「狸祭り事件」

青木 「狸祭り事件」というのが、昭和27年にあった。
 小笠原慈聞という坊主が戦前に軍部勢力と結託して暴れ回っていた。身延派との合同まで画策した。
 その後、小笠原は僧籍を剥奪され、宗門から追放されたはずだった。
 ところが、後で分かったことだが、宗門は戦後、早々と僧籍に復帰させていた。
秋谷 昭和27年4月27日、その小笠原を「立宗700年祭」の大石寺で学会側が発見した。
 そして小笠原の非を糺(ただ)し、牧口先生の墓前で謝罪させた。
原田 当時、戸田先生が書かれた寸鉄も、それはそれは手厳しかった。
 「大馬鹿野郎の大インチキ野郎だ。偉そうにしやがって。信者をだまして布施を取る気か。寸鉄居士、寸鉄をもって彼の肺腑をえぐる、これが寸鉄の慈悲だ、喜べ」
青木 いや、この座談会も、今の寸鉄も、戸田先生の寸鉄に比べたら「まだまだ」だ。もっと手厳しく叩かなきゃ!
秋谷 その通りだ。「寸鉄」なんだ。「尺鉄」じゃないんだ。切れなければ、また戸田先生にも叱られる。
弓谷 ところが宗門は、この事件に難癖をつけた。
 宗会で戸田先生に対し「謝罪文」の提出、「法華講大講頭の罷免」および「登山停止」を決議した。
 その一方で、小笠原に対しては明確な処分はなかった。
杉山 坊主どもめ! 同じ坊主仲間が謝罪させられたのが気に食わなかったんだな!
青木 どれほど学会を妬んでいたか。一目瞭然の処分だった。当然、学会は猛烈に抗議した。戸田先生も寸鉄で宗門を厳しく叱責された。
 「忠義を尽くして謗法を責めて御褒美あるかと思ったに、おほめはなくて『登山まかりならん』とおしかりさ。弟子共一同『俺達も一緒に登らんわい、フン』だってさ」
 「折伏も出来ず、御衣の権威で威ばること許(ばか)りを知っとる坊主の学会に対するやきもちだからさ」
弓谷 まったく、その通りだ!
青木 結局、1ヵ月後に、やっと戸田先生に対する処分は取り消された。
秋谷 日蓮仏法の魂は「破邪(はじゃ)」「破折(はしゃく)」だ。「極悪」を責めてこそ「極善(ごくぜん)」と輝く。
 「狸祭り事件」でも、学会は坊主の不当な弾圧に屈せず、戦い抜いた。だから勝ったんだ。後世に正義の勝利の歴史が残ったんだ。

(2005. 2.16. 聖教新聞)

 

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出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長

御書よりも御酒!?

杉山 前回は、昭和27年の「狸祭り事件」をめぐって、宗門が学会を弾圧しようと企んだ話が出た。
青木 そもそも当時、学会は立宗700年を記念して、御書を発刊した。広宣流布の歴史に輝く大事業だった。
 ところが、だ。戸田先生が御書の発刊を提案されると、なんと宗門は協力を断ってきた。学会による御書の出版は認める。しかし「援助はしない」と突っぱねたんだ。
杉山 とんでもない連中だ。じゃあ、宗門はいったい、何をやっていたんだ?
青木 宗門が当時、夢中になっていたのは、大石寺の「梵鐘(ぼんしょう)」作りだった(笑い)。
 結局、協力を快諾したのは、学会を深く理解し、讃嘆されていた、堀日亨上人だけだった。
秋谷 有名な史実だ。大石寺の鐘は、戦時中、軍部に供出して、なくなっていた。そこで信徒から供養を集めて、再び作ろうとしていたわけだ。
弓谷 学会は、日蓮大聖人の御精神を正しく後世に伝えるために、全力で御書の編纂にあたった。
 池田先生も御書発刊という聖業を支えるために、人知れず奮闘された。
 ところが宗門は、御書には見向きもせず、寺を飾りたてるのに夢中だったわけか。
青木 何でも「形」「格好」。何でも「供養」。鐘なんか作って、広宣流布が進むとでも思っていたのかね(大笑い)。
 要するに、これが宗門というところだ。
杉山 当時の聖教の「寸鉄」でも、そんな坊主たちを手厳しく弾劾している。
 「軍部におどされて梵鐘を取り上げられ、軍部が消えたら又作り出す。奥さんの前でヘイヘイして、居なくなればつまみ食いする女中のような坊主だ」
 「つりがねが出来たかい、冗談じゃ無いよ、仏様につるし上げられない様にこっちは一生懸命さ」と痛烈だ(爆笑)。
原田 「御山(おやま)でゴシュ(御酒)は作っても、ゴショ(御書)を作れぬ坊主が居るってね」(笑い)
 「御書が組み上ったときいてビックリした御僧侶があるそうだ。学会の信心が『こしらえ上げる』といったら、必ずこしらえ上げるのを知らなかったらしい」という寸鉄もある(笑い)。

「人を救う言葉」

秋谷 大聖人は、こう仰せだ。
 「たとえ、強く荒々しい言葉であっても、人を救えば真実の言葉であり、やわらかい言葉である。たとえ、やわらかい言葉であっても、人を害すれば偽りの言葉であり、強言(ごうげん)である」と。
 大事なのは「人を救う言葉」かどうかだ。悪に対しては手厳しい破折こそが善の言葉となる。人々を救う力になる。この点を、考え違いしてはならない。
青木 その通りだ。だいたい邪悪というのは、面の皮が厚い。厳しく叩き斬らないと、こたえないんだ。また、厳しく怒鳴り飛ばしてこそ、正体が暴ける。
 学会は昔「ケンカ学会」と言われた。それほど極悪には徹底して厳しかった。だからこそ、今日まで勝利してこれたんだ。青年部の皆さんには、強く強く強調しておきたい。
弓谷 そもそも御書では邪悪を徹底的に痛罵(つうば)しておられる。
 「其(そ)の智(ち)牛馬(ぎゅうば)にもおとり蛍火(ほたるび)の光にもしかず」「糞犬(やせいぬ)が師子王(ししおう)をほへ癡猿(こざる)が帝釈(たいしゃく)を笑(わら)ふに似(に)たり」「彼等程(かれらほど)の蚊虻(もんもう)の者」「畜生に劣(おと)れり」「大悪魔」等々。
 釈尊も、提婆達多(だいばだった)らの極悪人を舌鋒(ぜっぽう)鋭く弾劾(だんがい)している。
秋谷 もしも大聖人が、今の日顕の狂態をご覧になられたら、どれほど厳しい言葉で叱責されることか。
 戸田先生も仰っていた。
 「大聖人様のほうが、ずっと私たちよりひどい。私も弟子であるから、一生懸命まねして(悪坊主の)悪口を言おうと思うのですが、大聖人様の十分の一も百分の一も言えないのだ。よほど気がやさしいとみえる」と言われていた。
青木 その御心が分からず、大聖人の弟子の中にも「日蓮御房(ごぼう)は師匠にておはせども余(あまり)にこは(剛)し」などと、偉そうに批判する者が出た。
秋谷 要するに、師匠の心が分からない。自分が攻撃され、迫害されていないから、分からない。どこまでいっても他人事にすぎない。
 大聖人直結の学会だ。我々も、そんなふがいない、不知恩の仏法者であっては、断じてならない。
青木 日蓮大聖人は「悪を滅(めっ)するを功(く)と云(い)い善(ぜん)を生(しょう)ずるを徳(とく)と云うなり」と、明快に仰せである。
 「悪を滅する」「善を生ずる」――それが真実の仏法だ。

日顕の坊主根性

秋谷 その戸田先生が、一番厳しく叱り飛ばされたのが日顕だった。私ども当時の青年部幹部も、よく知っているが、全く信用しておられなかった。
青木 正体を見抜かれていた。「阿部(=日顕)には気をつけろ。腹黒いものがあるから」と厳命されていた。
秋谷 直接、日顕を叱られたこともあった。日顕本人が自分は戸田先生から坊主根性を厳しく指摘された≠ニ白状しているほどだ(笑い)。
原田 当然だ。何しろ日顕は、戸田先生を批判して、檀徒作りの謀略まで企んでいた。戸田先生が会長に就任される前後の昭和25、26年当時のことだ。
青木 戸田先生の事業が最も苦しかった時期だ。当時、それに乗じて組織を撹乱した悪党がいた。その連中を束ねて、自分の檀徒にしたのが、何を隠そう日顕のやつだ。
杉山 当時の寸鉄に「信心の弱い信者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会くずれを拾って喜んでいる」とある。これも商売坊主・日顕のことじゃないのか。
弓谷 日顕の「C作戦」も全く同じ構図だな。
原田 昭和27年に学会が宗教法人として設立される時にも、いちばん反対したのは日顕だった。
青木 有名だ。日顕本人が自分の口で認めていたことだ。
弓谷 「宗教法人創価学会」の設立が認証されたのは、昭和27年8月27日。このニュースを報じた9月1日付の聖教新聞の寸鉄には、こうある。
 「ダニの様に学会を憎んでくい下がっている者がいるそうな、そんなにねばりがあるなら、そのねばりを何故折伏に使わぬか」
青木 まさしく妬みの塊(かたまり)・日顕のことだ(大笑い)。

戸田先生の先見

秋谷 戸田先生は今日の宗門の狂いをも見抜かれていた。「金が貯まると学会を切るぞ」と、幾度となく言われていた。
 学会の法人を設立されたこと自体、それほどの先見であったか。今日の学会を厳然と守ってくださった。
 日淳上人が戸田先生は、仏様なのです≠ニ言われていたことが忘れられない。
青木 戸田先生が見抜かれた通り、日顕は、偉大な池田先生の業績に嫉妬して学会を切ってきた。それも恐喝事件を起こした山崎正友と結託して学会を攻撃してきた。
杉山 完全に狂乱、錯乱の姿だった。
原田 しかし、全て大惨敗した。日顕は最高裁で2度も断罪。宗門も7度も断罪された。
 山崎は恐喝で懲役3年。不倫事件で賠償命令。ほかの裁判でも2回負けている。
青木 連中が陥れようとした学会は厳然。池田先生のもと、微動だにしない。陥れようとした自分たちが、かえって地獄。これも学会が大聖人直結の「破折精神」で徹底して責め抜いたからだ。
秋谷 広宣流布は正義の言論戦だ。「厳しく」「鋭く」「徹底して」責めてこそ道が開ける。
 大聖人は「いよいよ・はりあげて・せむべし」と仰せだ。極悪を責め倒そうじゃないか!

(2005. 2.17. 聖教新聞)

 

<36>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長

弓谷 あの日顕が、最近、全く姿を見せない。そういう話が大石寺から入ってきた。
杉山 どこに雲隠れしているのか。かれこれ20日間近くも姿を見ない。坊主連中が騒いでいる。
弓谷 大石寺にもいない。つい先日も、蓮久寺(神奈川県小田原市)の坊主が死んだ。ところが、はやばやと「日顕は葬式に出られない」と連絡があったようだ。
原田 16日に行われた誕生会(たんじょうえ)という宗門の公式行事もサボった。丑寅勤行だって20日以上も出ていない。
秋谷 法主たるものが本山を離れ、丑寅勤行をサボり、どこの寝ぐらで寝ているのか。どこかに遊びに行っているのか。
青木 宗門のあっちからも、こっちからも、いろんな噂が伝わってきている。
原田 もう「日顕は引退するんじゃないか」「春になったら辞めるんじゃないか」と囁かれはじめている。
杉山 その通りだ。
 「跡目は早瀬日如(義寛)じゃないか」という噂もある。
青木 次は早瀬?(爆笑)
原田 あの威張りくさったバカか(大笑い)。
杉山 「その次は、日顕の愚劣息子の阿部信彰だ」というんだ(爆笑)。
弓谷 「日顕は、本当は信彰にパッと譲りたいんだけれども、どうも早瀬らしい」という話もある。
杉山 もう皆、次は誰だっていいんだ。誰でもいいから、日顕に早く辞めてもらいたいんだ(大笑い)。
原田 以前から「<次を信彰にする>と密約したうえで、日顕は法主を、いったん<中継ぎ>で早瀬に譲るのではないか」。そういう情報もあったな(笑い)。
青木 バカバカしい!
 誰に譲るとか譲らないとか。もともと日顕には相承がないんだ。ニセ法主が誰に相承しようとニセ法主じゃないか(爆笑)。
弓谷 もし早瀬になったら総攻撃だ。もう万全の準備が、できている。

「法主病」の早瀬

秋谷 早瀬というのは、さんざん池田先生、学会にお世話になった。その大恩を仇で返した極悪坊主だ。今は池袋の法道院(東京都豊島区)にいる。
原田 あの学会破壊の大陰謀「C作戦」の首謀者の一人だ。日顕の直弟子の八木日照と張り合って、次の法主を狙ってきた。
弓谷 とにかく、法主になりたくて、なりたくて、たまらない。御聖訓に「貪(むさぼ)るを餓鬼(がき)」とある通りだ。「法主病」だ(大笑い)。
原田 あいつの親父(早瀬日慈)も法主の座を狙っていた。親子2代の業病(ごうびょう)≠セ。
杉山 出世のためなら何でもやる。自分の結婚すら出世の道具にした。もともと付き合っていた女性を捨てて、元総監の孫娘を取った。そういうやつだ。
弓谷 宗門の庶務部長をやっているが、何の実績もない。人望もない。副部長の阿部信彰と全国の寺を回っては、末寺の坊主や法華講を締め上げるだけだ(笑い)。
杉山 信彰と二人で、鬼のような形相で怒鳴り散らしているという話だな。
秋谷 そうやって、日顕に必死でゴマをすっている(笑い)。
青木 暴力は振るう。ハレンチ沙汰は起こす。折伏もできない。教学もない。それで何が「跡目」だ。バカバカしい! 1万年、早いよ(爆笑)。

夜の街で豪遊

秋谷 とにかく、池田先生に、どれほど護ってもらったか。そのくせ、一番、腹黒いものを持っていた。
青木 その通りだ。早瀬は学会本部の近くの大願寺(東京都新宿区)にいた。これも先生が願主となり、最大に手を尽くされ、学会が供養した寺じゃないか。
原田 あの醜い一族主義! 寺の金も全部、私物化していた。さんざん荒稼ぎしておきながら、自分の女房や、娘にも「寺の従業員」という名目で年間何百万円も払っていた。
杉山 もちろん、娘が寺で働いた形跡なんか全くない。何しろ別の会社に勤めていたんだから、当然だ(笑い)。
弓谷 要するに「ヤミ給与」。大願寺の法華講員も激怒し、総代会で大騒動になった。
青木 一般の会社なら、間違いなくクビだ。
弓谷 それに、あいつの「夜遊び」。坊主仲間と銀座の高級クラブに外車で繰り出す。一晩に軽く200万円は使っていたこともある。目撃者が何人もいる。
杉山 供養した日本酒ですら、酒屋や寿司屋に転売して儲けていた。寺の元従業員の方が明確に証言している。
原田 それに暴力。昔、地元の池袋界隈で「ブクロ(袋)のカン(寛)ちゃん」なんて呼ばれていたほどだ。
弓谷 「俺は暴力団とも渡り合った」と息巻いていた。それほどの暴力性。塔婆が真っ二つに折れるほど殴りつけただの、殴られた所化が、血染めの衣で転がっていただの。そんな話ばっかりだ。
杉山 早瀬が「飛び蹴り」で重症を負わせた所化、殴られて前歯を折られた所化もいる。
原田 注文した寿司が、自分の想像したものと違うとか因縁をつけ、若い僧侶を階段から突き落としたこともあった。
杉山 だから所化たちも、早瀬のところだけは行きたがらなかった。そんな坊主が「跡目」か?
秋谷 知性のカケラもない。腕力だけが自慢の、幼稚なガキ大将じゃないか(大笑い)。
原田 もし法主になったら総攻撃だ。
 あいつの悪行、不祥事は、いくらでもあるからな。

破和合僧の仏罰

青木 いずれにしても、日顕は永久に残る汚点をつくった。
杉山 その通りだ。日顕は、あの「シアトル事件」裁判で完璧に敗北した。あんなハレンチ坊主は歴代法主で一人もいない。古今東西の宗教界にも見あたらない。
弓谷 おまけに日顕は最高裁で2度も断罪された。こんな断罪法主もいない(笑い)。
杉山 「シアトル絡みのデマ事件」では、日顕本人が宗門と連帯して400万円の賠償命令。「改革僧侶への名誉毀損事件」では、50万円の賠償命令が確定した。
秋谷 それに宗門が最大に感謝すべき、大恩ある創価学会を、一言のあいさつも、対話もなく切った。
 これこそ仏法上、最も罪が重い「破和合僧」の大罪だ。法盗人のニセ法主だ。その大罪は未来永劫に消えない。

(2005. 2.18. 聖教新聞)

 

<37>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長

杉山 それにしても、日顕宗。最近も、また裁判で敗訴が確定した。
弓谷 日顕直属の檀徒一味が公明党を中傷する悪質なデマビラを撒き散らした事件だ。
 今月10日、最高裁で100万円の賠償命令が確定した。
杉山 この檀徒らは白川勝彦元代議士の秘書が逮捕された「交通違反もみ消し事件」に絡んで、平成12年4月ごろ、学会がバックにいる≠ネどと悪辣なデマを流した。
 それもビラやインターネットを使って、手当たり次第に垂れ流したんだ。
青木 白川の秘書の事件といえば、その悪質さが、マスコミでも大々的に報道された事件だ。
 あんなデマビラを配るとは、本当に悪いやつらだ。

「もみ消し事件」

原田 平成12年4月当時といえば、衆院選を間近に控えた時期だった。
 あの時、日顕は手下を使って、白川を全面的にバックアップしたんだ。
青木 それで、こんな狂ったことをやり出したんだな。
原田 日顕本人も、大騒ぎして公明党や学会を攻撃していたっけな。
青木 謀略の正体は見え見えだった。
弓谷 日顕一派は翌13年の参院選で白川が新党を立ち上げたときもグルになって騒いでいたじゃないか。
杉山 そうだ。恐喝事件で懲役刑に処された山崎正友や立正佼成会まで絡んでいた。しかも日顕一味は自分たちの「候補者」まで出した。
秋谷 だが予想通り、あっけなく全員落選した(大笑い)。
弓谷 この新党とやらは惨敗。供託金も全額没収され、見るも無惨な負けっぷりだった。
杉山 結局、日顕、山崎とつるんだ白川は大没落。平成12年の衆院選に続き、翌13年の参院選、そして同15年の衆院選と「3回連続」で落選した(笑い)。
弓谷 それやこれやで、計2億数千万円の借金を抱えたという話だ。
杉山 さらに選挙の時に未払いだった印刷代金をめぐって訴えられて敗訴。738万円の支払い命令を下されていた。
弓谷 揚げ句の果ては、違法カジノ店に偽名を使って出入りしていた事実まで発覚。地元の新潟で大顰蹙を買った。
 昨年も、東京の歓楽街をふらついていたところ、不審人物の疑いで警察から職務質問を受けた(大笑い)。
青木 ああ、ニュース番組でもやっていた。僕も見た(笑い)。
原田 元国家公安委員長だよ。みっともない限りだ。
弓谷 かつての支持者も人間、落ちる時は早い。こんなに、あっけなく落ちぶれるものなのか≠ニ驚いていた(爆笑)。
秋谷 とにかく、日顕が仕掛けた選挙狙いのデマ謀略は、ことごとく大失敗だ。そのツケが今、日顕にドンドン回っている(大笑い)。

選挙狙いのデマ

杉山 話を戻そう。
 さっきも言ったように、この「もみ消し事件」について、日顕宗の檀徒らは、あたかも公明党や学会が仕組んだ謀略≠ナあるかのように大騒ぎした。
弓谷 ウソも大ウソだった。白川の秘書が逮捕された事件に、なんで学会が関与する必要があるんだ(大笑い)。
原田 それを日顕の手下どもは、ダミー団体のデマビラを撒き散らした。人数と費用を使い、用意周到にしたうえで、騒ぎを起こした。
杉山 デマビラの内容も、ひどいのなんの。交通違反もみ消し事件は存在しなかった≠セの狙いは白川潰しか≠セの。「狂っている」とは、あのことだ(笑い)。
弓谷 あまりの狂態だ。裁判所も容赦しなかった。1審の東京地裁の判決は「交通違反もみ消し事件については、関係者(=白川の元秘書ら)は、事実関係を認め、有罪の判決が確定しており、交通違反もみ消し事件は真実に存在し、逮捕の理由も認められる」と一刀両断だった。
秋谷 事件を起こした当事者が認めているんだ。この時点で「おしまい」じゃないか。
杉山 そのうえで判決は(被告の檀徒らは)交通違反もみ消し事件について原告(=公明党)が関与したことについて客観的な確証を得ていなかった」と断じていた。
青木 要するに日顕の手下どものビラは事実無根のデマだった≠ニ認定したわけだ。
弓谷 それだけじゃない。判決は、デマビラが日顕宗の寺院などを通じて、大量に撒かれた事実にも着目。
 「組織的に広く配布された」とハッキリ断定した。
杉山 その通りだ。調べによると檀徒らはデマビラを20万枚も印刷。そのうち約13万枚が日顕宗の寺院関係者らにわたっていたんだ。
秋谷 誰が見たって、宗門ぐるみだ。一目瞭然じゃないか。
杉山 それに1審判決は(デマビラ配布が)衆議院総選挙を直前に控えた時期に行われた」と、その狙いも厳しく指摘していた。
弓谷 つまり簡単にいうと、こういうことだ。
 「日顕が管長を務める宗門の一味」は「組織ぐるみ」で「選挙狙い」のデマビラを大量にバラ撒いた。
原田 宗教者にあるまじき大不祥事だ。
 反社会、反民主主義の極みの暴挙だ!
杉山 さらに2審の東京高裁の判決も容赦なかった。この檀徒連中のダミー団体について「学会や被控訴人(=公明党)を批判するビラの作成、配布などの活動をしている団体」とハッキリ認定した。
青木 司法機関からお前たちはデマビラ団体だ≠ニ定義された(笑い)。
杉山 そして今回の最高裁での判決となったわけだ。

嘘を広める悪人

原田 だいたい、日顕一派は、これまで何度も選挙狙いの謀略を仕掛けて、裁判所から断罪されている。
弓谷 その通りです。今回のデマビラをめぐって公明党が訴えた別の裁判でも、ビラをバラ撒いた大阪・岸和田市の日顕宗坊主の近山智秀と檀徒らに、60万円の賠償を命じる判決が確定している。
杉山 このときの1審判決も「衆議院選挙に向け、原告(=公明党)の勢力伸長を阻止するための一種の事前運動」と鋭く糾弾していた。
弓谷 さらにまた今回、最高裁から断罪された檀徒一味は、平成13年の参院選直前に学会中傷の違法ビラを撒き散らした。この事件でも、東京地裁、東京高裁から断罪。賠償金100万円の支払いを命じられている。
青木 要するに、これまで3件ものビラ事件で敗訴しているわけか。「札付き」だ。
弓谷 とにかく日顕は最高裁から2度も断罪。直属の子分も最高裁から断罪。
青木 邪義、邪法の輩は、インチキだから、社会的にも、必ず事件を起こす。暴れて、問題を起こす。ご覧の通りだ。
秋谷 ナチスと戦ったドイツの劇作家ブレヒトは言った。
 真実は戦闘的なものである。真実は、真実でないものと戦うばかりでない。真実でないものを広める人間とも戦う≠ニ宣言した。
 我々も同じだ。デマを生み出し、デマを広め、社会を惑わす悪人は許さない。
 悪は必ず伝染するからだ。悪を放置すれば、そこから毒気が回っていくからだ。

(2005. 2.19. 聖教新聞)

 

<38>
出席者:浜名総北海道長、野村北海道長、佐藤北海道参事、藤原北海道参事、斉藤北海道婦人部総主事、中西北海道婦人部長、羽磨北海道青年部長、村瀬北海道女子部長

浜名 今年の北海道は、一段と雪が多いね。
中西 「今年は暖冬」ともいわれましたが、とんでもない。各地で大雪が続いています。
野村 その大雪をついて「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」(主催=ヴィクトル・ユゴー文学記念館、北海道立近代美術館、北海道新聞社、UHB北海道文化放送ほか)が昨日(20日)まで、北海道立近代美術館(札幌市)で開催された。
 10万人以上の市民が訪れ、大盛況だった。
村瀬 高橋道知事をはじめ、多数の来賓が訪れました。
 来賓や見学者からこうした展示が、北海道で、しかも冬に開催されることに驚きです%凵X、喜びの声が相次ぎました。

師弟有縁の小樽

藤原 雪といえば、昭和30年(1955年)3月11日、あの「小樽問答(おたるもんどう)」の日も、北海道は大雪だった。
羽磨 創価学会の歴史に輝く「小樽問答」から、今年は50年。私たちを含めて、当時のことを知らない青年部員、新入会の友が多くなってきました。
 そこで今回は、実際に問答に参加された3人の大先輩にも出席していただきました。
野村 まず佐藤順良さん。北海道長や厚田墓苑の所長を歴任され、現在は小樽に在住されています。
佐藤 はい。「小樽問答」の当時、私は入会したての青年でした。当時の小樽班で「庶務係」を務めていました。
藤原 私も当時は青年部員。「小樽問答」では、数少ない地元の青年部として、東京からきた幹部と一緒になって、戦いました。
野村 藤原房雄さんは参議院議員を3期、衆議院議員を2期、務めた議員OBですね。
 そして斉藤順子さんは、第2代の北海道婦人部長です。問答には、函館から参加されたとか?
斉藤 その通りです。まだ入会して3ヵ月でしたが、函館から小樽まで、汽車で6時間かけて駆けつけました。
佐藤 何よりも小樽は、三代会長有縁の地です。戸田先生は若き日、当時の商都だった小樽まで仕事で通われていた。
藤原 それに小樽には、かつて牧口先生の本籍があった。牧口先生が十代のころに苦学されたのも小樽です。
野村 奇しくも初代、二代の会長が小樽で青春時代を送っておられた。
浜名 その小樽での問答で、やはり若き日の池田先生が、決然と司会に立たれた。不思議な師弟の縁(えにし)に、深い意義を感じてなりません。

嫉妬が背景に

村瀬 「小樽問答」とは、創価学会と日蓮宗身延派の間で行われた公開討論ですね。
藤原 当時27歳の池田先生が司会として登壇され、身延の邪義を完璧に破折された。学会の大闘争によって、日蓮大聖人の仏法の正義が宣揚された、偉大な歴史です。
浜名 「小樽問答」の背景には、創価学会への他宗教の嫉妬があった。
 北海道でも昭和28年以降、本格的に始まった大折伏が、既成宗教には大きな脅威だった。
中西 なかでも、身延派は信者が減って、寺の経営にも響いていた。学会の発展を特に恐れていました。
浜名 いつでも坊主は「信心」でなく「自分の食いぶち」だ(大笑い)。
羽磨 「小樽問答」の経緯は、小説『人間革命』第9巻に詳述されています。
 昭和30年の2月25日、入会まもない学会員が、身延の坊主にからまれたのがきっかけだった。
佐藤 そこで当時の小樽班の谷紀恵子班長をはじめ婦人部3人組が、即座に急行。
 そこでバッタリ、身延の2人の坊主と出くわした。たちまち激しい破折が始まった。
藤原 谷さんは青森の出身でね。それはそれは気丈な方だった。
佐藤 ところが坊主は、相手が信徒と見て、なめている。まともに相手になろうとしない。法論がしたいなら、僧を出せ≠ニ吹っかけてきた。
藤原 闘志に燃える谷班長は、その場で坊主の挑戦を受けて立った。
 実は、ちょうど2週間後の3月11日に、当時の日昇法主が小樽の寺に来ることになっていた。
佐藤 そこに当時の教学部長の早瀬道応と、布教師だった柿沼広澄が随行する。その早瀬と柿沼に対決してもらおうと思ったんだ。

1週間で準備

野村 ところが宗門は、急に法主の小樽入りの日程を変更するとともに、早瀬が戸田先生のもとを訪れ助けてください≠ニ泣きついた。
中西 だらしない。昔も今も、宗門の坊主は、折伏ひとつ、まともにできない。腰抜けぞろいじゃないの(笑い)。
野村 今、日顕の跡目を狙っている早瀬日如(東京・池袋、法道院)は、法論から逃げた早瀬の息子だよ(大笑い)。
浜名 戸田先生は、すべてを見抜かれていたに違いない。
 「一切は学会で引き受けます」と宗門を守られたのです。
羽磨 そこから法論まで、たった1週間!
佐藤 もう、ただ、がむしゃら(笑い)。
 東京から先発隊が続々と到着する。さあ、会場の手配やら、情報収集やら。てんやわんやだった(笑い)。

愛弟子に託す

斉藤 さて、問答当日の3月11日。小樽公会堂に約1000人の聴衆が集まった。
 午後7時、司会の池田青年室長以下、登壇者が入場した。
佐藤 あの時、戸田先生は、あえて会場の片隅に座を占められました。一切を池田先生に託されて、悠然と見守っていらっしゃったのです。
藤原 私は廊下で役員をしていた。
 戸田先生は、若武者のごとき池田先生の勇姿を、それはそれは嬉しそうに見つめておられました。
佐藤 いよいよ開会となったが、身延側から変ちくりんな司会が出てきたり、身延側だけで陰(いん)にこもった題目三唱をしたり、実に陰々滅々(いんいんめつめつ)の雰囲気だった。
 ところが池田先生が登壇されて、第一声を発した瞬間、場内の空気が一変した。
 勝負は、この一声で決まったんだ。

(2005. 2.21. 聖教新聞)

 

<39>
出席者:浜名総北海道長、野村北海道長、佐藤北海道参事、藤原北海道参事、斉藤北海道婦人部総主事、中西北海道婦人部長、羽磨北海道青年部長、村瀬北海道女子部長

大音声で責めよ

藤原 広宣流布の歴史に輝く「小樽問答」(昭和30<1955>年3月11日)。司会に立たれた池田先生の第一声は、本当にすごかった。まさに「正義の大音声(だいおんじょう)」が場内を一変させた。
斉藤 感動的でした。あの時、私は函館から小樽に駆けつけました。
 先生の声を聞いて、長旅の疲れも、とたんに吹き飛びました。
佐藤 池田先生は決然と叫ばれた。
 「仏法の正しい所以(ゆえん)によって、間違った邪教といえる身延派の信者が、全国にわたって何千、何万と創価学会の信者となったことは、じつに学会が正しいという証拠であります!」と獅子吼(ししく)された。
浜名 青年の大獅子吼が勝負を決した瞬間だ。
藤原 いまだに眼に焼き付いて離れない。
 何しろ冒頭の開口一番から一刀両断の破折(はしゃく)だ。みな「これで勝負は決まった」と確信した。
佐藤 まさに「問答対論(もんどうたいろん)の時は(中略)所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経の大音声(だいおんじょう)を出だして諸経諸宗(しょきょうしょしゅう)を対治(たいじ)すべし」と御書に仰せの通り! 「勝負あった」の大宣言だった。
 あの第一声で学会側の歓喜は爆発した。場内には、割れんばかりの大拍手が鳴り響いた。
藤原 あとはもう、身延は大雪崩だ。有名な学者坊主だったようだが、何しろ、御書も引けない。出てこない(大笑い)。
佐藤 それどころか、まともに声も出ない(笑い)。あまりの坊主の醜態に、会場は爆笑、また爆笑だった。
藤原 結局、身延側は大敗北。室住とかいう坊主なんて、壇上で腰を抜かしたのか、両脇をかかえられて、やっとこさ運びだされていった(爆笑)。
佐藤 最後に池田先生は決然と叫ばれた。
 「創価学会が、誰が聞いても誰が見ても、断固として正しいことは、厳然とわかることです」と。
藤原 会場にいた何人もの身延の坊主が、うなずいていた。「なるほど、学会のほうが正しい」と認めていた(笑い)。
村瀬 すごい歴史です。
藤原 終了後も小樽公会堂は、さながら座談会場だった。あっちでも、こっちでも、身延側の参加者を相手に、折伏、折伏。
斉藤 一番偉いと思っていた坊主が、木っ端微塵。どんどん折伏が決まりました。北海道の発展は、この破邪顕正(はじゃけんせい)の大勝利から始まったのです。

学会本部に凱旋

藤原 皆、大歓喜だった。うれしくてたまらない。創価学会が、どれほど偉大な団体か。みんな、もっともっと知りたくなった。
 そのうち「東京の学会本部に行こうじゃないか」と言いはじめた。
佐藤 そうなんだ。この年の5月3日の第12回本部総会に、飛び込みで参加しよう、ってね。
村瀬 「券なし」どころか「アポ(アポイント=会合などの約束)なし」ですか(笑い)。
佐藤 お金もないのに(笑い)。今となれば、とんでもない非常識だったが、当時は真剣そのものだった。
藤原 旅費もない。泊まるところもない。
 何とか片道のキップだけ買った。帰りは「開きニシン」を売って旅費にあてよう、ってことになった(笑い)。
村瀬 「開きニシン」。
佐藤 そうだよ。北海道からニシンの束を担いで学会本部に押しかけたんだ。そりゃ、みなビックリしてたよ(大笑い)。
羽磨 ニシンは売れたんですか?
藤原 本部の近所の慶応病院の食堂などに持ち込んだが、売れない(笑い)。
 最後は「よく小樽から来た」ということで、戸田先生が全部買ってくださったのです。
斉藤 今では考えられない。時代が時代でしたからね。
佐藤 東京・両国の日大講堂で行われた総会でも、池田先生のご配慮で「小樽法論の小樽班の入場です!」と紹介していただいた。怒涛の拍手のなか、私たちは入場したんです。
藤原 もちろん、あれほど大勢の学会員を見たことがない。本当に感動した。身震いしたよ。

師弟こそ原点

佐藤 翌日にも本部で池田先生に指導していただいた。
 先生は、じっくり一人ひとりの仕事や生活状況を聞かれたうえで「体を大事にして、小樽でしっかり頑張りなさい」と丁寧に指導してくださったのです。
藤原 あの時の上京は、忘れられません。
 初めて本部に伺った時、戸田先生は「何があっても大作についていけ」と厳しく、おっしゃいました。
 戸田先生と池田先生の師弟の闘争ありて、広布はある、と心の底から実感することができた。
中西 初めて伺う話です。
佐藤 その後も「小樽から来た」ということで、私たちは戸田先生から、本当に可愛がっていただきました。本部に行くたびに会長室に呼んでくださいました。
 いつも池田先生が側にいらっしゃいました。
 戸田先生の指示で池田先生が、居並ぶ学会首脳に対して厳愛の指導をなされる。
 そのような姿も幾度も拝見しました。
野村 秘話ですね。
佐藤 ですから、小樽の皆は、ただの一度も「師匠」に迷うことがなかった。
 だからこそ、ここまで信心を貫けたのだと思います。

(2005. 2.22. 聖教新聞)

 

<40>
出席者:浜名総北海道長、野村北海道長、佐藤北海道参事、藤原北海道参事、斉藤北海道婦人部総主事、中西北海道婦人部長、羽磨北海道青年部長、村瀬北海道女子部長

野村 前回は、あの歴史的な「小樽問答」に勝利した小樽班の同志が、東京の学会本部に凱旋した話が出た。
羽磨 心が躍ります。先輩方の築いた、偉大な広布の歴史です。私たち青年部が、後に続きます。
藤原 「青年」。いい言葉です。小樽問答の当時、私たちは青年だった。そして今も、これからも、私たちは青年だ。戦いますよ、池田先生とともに!

「臆病坊主」

中西 ところで「宗門は、小樽問答から逃げた」という事実がありましたね。
佐藤 そうなんだ。私も後年、当時の真相を知って、仰天したんだ。
村瀬 具体的には、どういうことですか。
野村 宗門の機関誌「大日蓮」の昭和30年3月号によると、昭和30年3月、宗門の一行は、11日に小樽に来る予定だった。
浜名 その通りだ。当初は、11日に小樽の妙照寺に来ることになっていた。
斉藤 だからこそ小樽の学会員は、身延の坊主と「3月11日に法論」という約束をしたんです。
浜名 その通りだ。もともと身延側も、宗門の坊主と法論するつもりだったんだ。
野村 ところが宗門は、妙照寺から法論の連絡を受けるや、急に予定を変えた。
 なんと小樽の訪問を10日に前倒しして、11日には札幌に行くことにした。理由は「やむを得ない都合で」ときたもんだ(笑い)。
羽磨 何が「やむを得ない都合」だ!
 法論から逃げただけじゃないか。
浜名 これが宗門だ。坊主だ。臆病。姑息。陰険、陰湿。50年も前から、この実態だった。

驚くべき真相

佐藤 それだけじゃない。本来なら法論に立つべきだった宗門側が、小樽問答のまさにその時、いったい、何をしていたのか。これも明らかになっている。
藤原 その通りだ。なんと札幌の日正寺で「寄せ鍋」を囲んで宴会をやっていたんだ。
村瀬 なんですって!
佐藤 学会が戸田先生を中心に、日蓮仏法の存亡をかけた法論を戦っているさなかに、のうのうと鍋を食らっていたんだよ。
羽磨 驚くべき真相だ。
浜名 証拠がある。日正寺が発刊した「日正寺50年史」に明確に書かれている。
藤原 そこには「ヨセ鍋にて総代世話人と歓迎懇親会、大変うちくつろいだ本当に和やかな会合であり、北海道土産としてソーラン節の踊」云々ともある。
羽磨 小樽で真剣勝負が繰り広げられている、その同時刻に「ソーラン節」か!
佐藤 さらに、翌日の3月12日には、なんと定山渓(有名な温泉地)で一泊している。
羽磨 坊主どもは法論から逃げたばかりか、温泉か。
藤原 こんな宗門をかかえていたら、広宣流布など、とうてい不可能だった。
 今回の宗門事件は、本当に御仏意(ごぶっち)だったと心から思う。

身延への劣等感

浜名 しかし宗門が法論から逃げたのには訳がある。何十年、何百年と身延に対する「劣等感」「コンプレックス」があったからだ。
中西 有名な話ですね。
佐藤 寺の数も信者の数も、何をとっても身延には、かなわない。
 日顕の親父の日開も、身延の学者に論を吹っかけて、惨めに返り討ちにされている(大笑い)。
藤原 身延との法論なんか、逆立ちしたって、できるわけがない。
斉藤 本当に、そのころから、まったく役に立たない、情けない宗門でしたね。
 おかげで私は、坊主のことを「ありがたい」なんて思ったことは一度もありませんよ(爆笑)。

正邪は厳然

中西 とにかく、日蓮大聖人の仏法の正義を社会に宣揚したのは、宗門じゃありません。学会です。
 これは厳然たる事実です。
藤原 その通りだ。あの問答の当時は「日蓮といえば身延」と相場が決まっていた。
 それが今では、創価学会。日本はおろか、全世界190ヵ国・地域の大宗教に発展した。
浜名 身延なんか、いったい何をやっているのか、なんにも聞かない。
 すっかり雲散霧消してしまったじゃないか(大笑い)。
羽磨 その身延から逃げた「身延以下」の宗門も、今では日蓮仏法とは全く無縁の邪宗教――「日顕宗」に成り果ててしまった(笑い)。
佐藤 日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきぶみ)には「巧於難問答(ぎょうおなんもんどう)の行者(ぎょうじゃ)に於(おい)ては先師(せんし)の如(ごと)く賞翫(しょうがん)す可(べ)き事(こと)」とある。
 大聖人の正義を宣揚した学会を、日顕は「賞翫」どころか切り捨てた。仏罰は当然だ。
 いや、これから、今まで以上に大罰を受けていくだろう。
浜名 50年前の身延。今の日顕。民衆を騙し、不幸にし、食い物にする邪悪、邪法、邪坊主を、われわれは断じて許さない。
 これこそが「小樽問答」50周年を迎える北海道の全同志の揺るぎない決意だ。

(2005. 2.23. 聖教新聞)