<61>
出席者:青木理事長、上田離島部長、千原関西離島部長、船津宝島本部長、高島婦人部本部長、杉山青年部長
青木 関西の離島というと、あまりなじみがないが(笑い)、関西の島の友の活躍も目覚ましい。意気軒高だ。
千原 ありがとうございます。
上田 淡路島は別格ですが、ほかに和歌山県の大島、兵庫県の淡路島の近くの沼島(ぬしま)。
それに姫路の南西18`にある家島町(家島、坊勢(ぼうぜ)島、男鹿(だんが)島、西島)等があります。
千原 大島では皆が地域に根ざして頑張っています。沼島は小さな島で10世帯ほどしかメンバーがいませんが、本年は、なんと3世帯も弘教が実っています。
杉山 一気に3割増!
皆が知り合い
千原 きょうは関西の離島の代表として、家島町の宝島本部・船津章本部長、婦人部の高島久子本部長にも参加してもらいました。大いに語ってもらいましょう。
船津 はい!
わが家島町は人口約8000人。姫路港から高速艇で25分ほどのところです。
高島 他の島も同じと思いますが、島は狭い社会です。会う人、会う人が、みんな知り合いです。
船津 顔を見れば、どこの誰で、家族構成から、親族が誰かまで全部、分かっている。
私だって、島の住民は、みんな「創価学会の船津」と知っています(笑い)。
高島 だから隠し事なんか、できません(笑い)。
杉山 良いことも悪いことも全部、アッという間に伝わってしまう。
千原 そうなんです。だから、一人一人の日常の姿で実証を示していかなければならない。
厳しいといえば、厳しい生活です。
青木 しかし、だからこそ、成長もできる。広宣流布に戦う功徳も大きい。
日蓮大聖人は四条金吾に対して「強盛(ごうじょう)の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人(じょうげばんにん)乃至(ないし)日本国の一切衆生(いっさいしゅじょう)の口にうたはれ給(たま)へ、あしき名さへ流す況(いわん)やよき名をや何(いか)に況や法華経ゆへの名をや」と仰せであられる。
まさに、この御聖訓の通りの実践じゃありませんか。
生活直結の党
杉山 家島町では、われわれが支持する「公明党が強い」という話ですが。
高島 ここ2回の参院選の比例区では、公明党が堂々の第1党です。
船津 家島町の坊勢(ぼうぜ)島では、天理教の人も仏教の他宗派の人も、選挙になると公明党を支援してくれます(笑い)。
上田 すごい地域ですね!
杉山 それにしても、なぜ強いのですか。
船津 もちろん一番の理由は、私たち支持者の戦いがあるからです。
青木 そうだ!
高島 家島は、もともと国政選挙については、無関心な人が多かったんです。それが公明党の支持者から話を聞いて、国政選挙に関心を持つ人が増えてきた。
青木 政治、選挙への無関心な人が多くなっている。今や全国的な問題だ。
それを公明党の支持者の力で大きく改善している。
素晴らしいことだ。偉大なことじゃないか。
船津 それに、もう一つは公明党の実績です。「実際に生活に直結する政策を実現してくれた」という実績がある。だから信頼してくれるんです。
千原 「反対だけが実績」の政党なんか、誰も信用しない(笑い)。
上田 テレビ映りばかり気にしている「口先だけの政治家」、現場に行かない「ブラウン管政党」も失格だ。
高島 国政レベルもそうですが、地方レベルの実績が大きい。
たとえば「出産一時金」。これは出産した後に30万円もらえるという制度ですが、私たちの町では、一定の手続きをすれば、24万円まで事前にもらえます。
杉山 それだけ入院時の費用が助かる。
高島 これも町議会で公明党が勝ち取った実績です。
船津 また、家島町からは姫路港まで船で行って通学している高校生が多い。その高校生のための専用の駐輪場が港の近くに設置された。これも公明党の実績です。
千原 港は姫路市にある。これは、姫路の市議会はもちろん、県会、国会に人脈のある公明党の議員だから実現できたことだ。
他党と違って、国会と地方議会をつなぐ幅広いネットワークがある。これも「公明党の強み」です。
青木 どれも日々の生活に根ざした実績だ。
公明党は「大衆政党」だ。その自負と誇りを忘れないでもらいたい。
上田 「大衆とともに戦えば、支持も広がる」。家島は、その実例だ。
現場に足を運べ
青木 とにかく公明党は幸せだ。これだけ献身的に戦ってくれる支持者がいるんだから。
杉山 我々は「支持者の恩を知る政治家」を支持する。これだけ応援してもらっているんだ。裏切るやつが出たら、許さない!
懸命な支持者を騙したんだ。罪は重い。草の根をかきわけてでも追撃する。
高島 だいたい政治家、とくに国会議員は、数日でもいいから、ぜひ島で暮らしてみればいいんですよ。
千原 本当だよ。島での生活の実態をよく見てもらって、小さな社会から大きな国政を見直してもらいたい。島から、よくよく政治を見直してもらいたい。
船津 家島にしても、選挙の時に候補者本人が来たなんてことは、ほとんどないよ。
高島 これまで2回の参院選では、島に来た候補者は、公明党の候補だけでしたね。
船津 参院選では選挙区の候補も候補者本人は誰も来なかった。せいぜい秘書が回るぐらいです。
模範の聖教拡大
上田 それに家島では、友人を招いても「友好の集い」も、昨年までに7回、開催してきた。
千原 毎回、400人を超える参加者で大盛況だ。
船津 それに平成13年には島で、池田先生の「自然との対話」写真展を開催させていただきました。
高島 これには1500人もの人が来場された。
「学会員の皆様が、地域の発展を願う献身的な努力に深く感謝します」
「身近な学会員が、明るく元気に島民の幸せのために行動している姿に勇気づけられた」等々と大好評でした。
船津 町の2割もの人々が先生の写真展に足を運んだ。私たちにとっては歴史的でした!
千原 家島は聖教でも、頑張っています。学会員の世帯の2倍の部数が購読されている。
高島 聖教新聞は、家島でも市民権を得てきました。
10年くらい前までは、いかにも「付き合いで新聞をとった」という感じの家があった。
船津 しかし今では、そういうことは全くありません。
学会に対する理解が深まるとともに、新聞も重宝されるようになったのだと思います。
千原 同じ家島町の男鹿(だんが)島では、島の約3分の1の世帯が聖教を購読している。これも以前では考えられなかったことだ。
青木 かつて戸田先生は「聖教新聞を日本中の人に読ませたい」と言われた。今や日本の津々浦々にまで聖教が届く時代になった。
上田 これも島の同志が真剣に購読を拡大してくれるからだ。また配達してくださる「無冠の友」がいるからだ。
青木 離島の同志こそは、学会の宝だ。「宝友(ほうゆう)」だ。
(2005. 3.23. 聖教新聞)
<62>
出席者:青木理事長、上田離島部長、畠山沖縄離島部長、新垣久米島本部長、糸数婦人部本部長
畠山 沖縄でも、久米島、渡嘉敷島、座間味島、粟国島、渡名喜島、南大東島、北大東島など、島の同志が大変に頑張っている。
上田 今回は、久米島の新垣直樹本部長、糸数洋子婦人部本部長に代表して、お話をうかがいます。
新垣、糸数 どうぞ、よろしくお願いします。
ブロック1突破
新垣 久米島は沖縄本島の西約100`にある島です。昔から「球美(くみ)の島」と呼ばれ、琉球諸島の中でも美しい島です。
上田 久米島といえば、先月、プロ野球の新チーム「楽天」がキャンプをやった。全国的に話題になりましたね。
青木 久米島の同志の活躍も素晴らしいそうだね。
糸数 今月8日の入会記念勤行会でも、3世帯の御本尊流布ができました。さらに20日には、4人の友が入会。今年の折伏は、早くも「ブロック1」を突破しました。
上田 すごい勢いだ。
新垣 先月、芸術部のアルベルトさんを招いたセミナーも大盛況だった。
サトウキビ畑が広がる久米島です。この時期は「製糖期」で忙しい。その中で、友人が約30人も参加し、対話が広がりました。
糸数 今年の婦人部総会も、9割以上の婦人部員が参加し、多くの友人を交えて賑やかでした。
香典泥棒のデマ
新垣 久米島に学会の一粒種≠ェ誕生したのは、昭和34年です。
しかし旧習が強い。学会も、まず「内地≠ゥら来た宗教」と見られる。折伏に行っても、棒で追われたり、石や瓦を投げられたり‥‥。
青木 まさに法華経に説かれる「杖木瓦石(じょうもくがしゃく)の難(なん)」だった。学会員が、どこにあっても如説修行(にょせつしゅぎょう)の実践を貫いてきた証拠だ。「難こそ誉れ」だ。
糸数 小さな島ですから、孤立しては、何もできない。島の広宣流布はありえない。そういう思いで、地域行事にも積極的に参加してきました。
新垣 葬式では香典泥棒≠フデマが根強かった。
「香典は全部、学会が持っていく」と、大ウソが島中に広がった。私も「どうせ新垣が全部、持って帰るから、香典は少なくていい」。今でこそ笑い話ですが(笑い)、ずいぶん根も葉もないデマを流されました。
畠山 バカバカしい!
だったら「いつ」「どこで」学会が香典を持って行ったのか。「誰が」「いくら」持って行ったのか。証拠があるのか。何一つないじゃないか。
新垣 先日も、壮年部員が、こんな話をしていた。
ある男が「学会の葬式は金がかかる」「祭壇を置いただけで20万円も取られる」などと言い触らしているのを聞いた。
「それは、いつ、どこであったのか」と問いただすと、急にシドロモドロ。最後は「世間の噂だ」と言い逃れをする始末だった。
青木 どこに行っても、デマの正体は一緒だ。初めは、まるで自分で見てきたかのように言う。だが「いつ」「どこで」「誰が」と具体的な事実を詰めると、途端にウソとバレる。
糸数 「百聞は一見に如かず」です。久米島でも、友人葬をやるたびに、学会に対する無理解や偏見が一掃されていきました。
学会員の誠実と真心に感動した∞よく分かった。香典泥棒の話が、いかにデマだっただ≠ニ、未入会の家族や友人も、呆れています。
友人葬の先駆
新垣 ちなみに久米島には日顕宗の寺がない。ですから島では宗門事件が起きる前から、ずっと「友人葬」でした(笑い)。
糸数 一般的にも葬儀に坊主なんかを呼ぶ習慣はなかった。
だから、学会員の葬儀は、設営・運営から読経の導師まで全部、学会員の手でやってきた。
上田 友人葬の先進地域≠セった。
糸数 私たちにとっては友人葬が一番、自然です。
だいたい日顕宗の坊主なんて、初めから全く信用できなかった。
新垣 その通りだ。宗門事件の以前は、沖縄本島の光明寺(那覇市)の坊主が、授戒などのたびに久米島に来ていた。
でも、いい加減な坊主ばかりで、見向きもされませんでしたよ。
畠山 久米島会館の起工式でのことだ。光明寺の川瀬慈証が来た。
ところが、なんと御本尊を持ってくるのを忘れる始末(大笑い)。
新垣 よく覚えている。川瀬が「御本尊がない」と言い出したので、私が大慌てで、わが家の御本尊を、お持ちした。それで、やっとの思いで起工式をやったんです。
上田 川瀬か。あいつは学会寄進の光明寺も昭和63年9月、火事で焼いた。御本尊も一緒に焼いてしまった坊主だ。
畠山 信心の「シ」の字もない証拠だ。海外初の出張御授戒で、トイレに御本尊を置き忘れた、あの日顕にソックリだ(大笑い)。
新垣 我々は坊主に世話になったことなど、全くない。だから宗門事件の時も、全く微動だにしなかった。一人も退転することなく、日蓮大聖人直結の信心を貫いてきた。
離党初の祭典
畠山 今では、久米島は「広宣流布の模範の島」だ。聖教新聞も、購読世帯全体の4割以上が友人読者だ。
新垣 実は昔は、学会員以外の友人に聖教新聞を読んでもらうなんて、発想すらありませんでした。
大きな転機になったのは、昭和54年です。
この年の8月、歴史的な「久米島フェスティバル」が開催されました。離島で初のフェスティバルとして行われたのです。
畠山 当時の村長をはじめ来賓、友人ら約1000人が集った一大イベントだったね。
新垣 琉球舞踊やコーラス、ダンスなどの演目を、関西などから来てくれた芸術部の方々の指導のもと、一生懸命に練習した。
当日は、3歳の子どもから、お年寄りまで、全員が出演。婦人部は子どもを抱きながら、年配の壮年も勇気をふりしぼって(笑い)歌った。
糸数 島中が拍手喝采でした。村長も感激して素晴らしい催しですね。学会の皆さん、ぜひ毎年やってください≠ニ語っていたほどです。
新垣 大成功だった。あの時、久米島の同志は「やれば何でもできる」と確信した。
それから一段と自信をもって仏法を語り、弘教、聖教新聞の拡大が進んだのです。
畠山 島には平成3年3月に落成した、美しい久米島会館があります。
新垣 会館を地域に開き、地域とともに進むなかで、広宣流布は幾重にも広がる――そう実感しています。
糸数 地域の方々も「学会の会館ができたってね」「すごくモダンな建物だ」と喜んでくださいました。
畠山 久米島では、会館ができた翌年から、毎年の新年勤行会に友人や近隣の方々も招待して、ともに新年を祝ってきた。今では「島で一番の新年行事」だ。
新垣 今年も300人以上の友人が集って盛大だった。
特に島の「伝統音楽協会」の方々には毎年、お祝いの古典演奏をしていただいている。これが、また大好評なんです。
糸数 皆さん、毎年、張り切ってくださっています(笑い)。本当にありがたいです。
新垣 久米島を日本一の幸福の島に! 世界の憧れの島に!
これが、私たちの永遠の願いです。
いよいよ戦います! 島と共に発展し、栄えるために!
(2005. 3.25. 聖教新聞)
<63>
出席者:青木理事長、上田離島部長、綾部九州離島部長、新納奄美光城県長、俵県婦人部長、由元九州青年部長
上田 好評の離島座談会。いよいよ「奄美光城県」です。
綾部 「奄美の新時代」の構築です。奄美大島、喜界島、沖永良部島、加計呂麻島、与論島、徳之島、請島、与路島。各島が団結して前進している。
新納 「今や奄美の柱は、学会以外にない」。学会員以外の人々も、口々に言っています。
突破口は学会歌
上田 自治会の区長、民生委員等々、地域の役職を担っている人も多い。奄美のために責任を持って貢献している。
新納 だからこそ、信頼も厚い。「全世帯の8割が学会員」という集落もあるほどです。
青木 8割か!
新納 こんな話もあった。
それまで、なかなか理解の広がらない宇検村の集落があった。近隣の目を気にして、聖教新聞を購読したがらない。地元の支部長、地区部長も悩んでいた。
俵 そこで、音楽隊のメンバーが、学会の真実、素晴らしさを伝えようと、村内の障害者施設の慰問をはじめました。これには施設の理事長や村長も大喜び。
それから、音楽隊と村との正式な交流がはじまった。
新納 ある時、村役場から「村民体育大会の選手入場で音楽隊に演奏してもらいたい」という要請があった。
音楽隊のリーダーが「学会歌以外は演奏できない」と言うと「それで構わないから、ぜひやってもらいたい」(笑い)。
由元 それで、全曲が学会歌の体育大会が行われました。いちばん偏見があった集落の真ん中で学会歌が響き渡った。
新納 痛快だった。住民の見る目も一気に変わった。無理解に悩んでいた地元の学会員も三色旗を持って飛び出したり(笑い)。なかなか活動できなかった人も、とうとう打って出はじめました。
綾部 それ以来、この地域では、弘教も、機関紙啓蒙も、支援活動も、全て伸び続けている。
弾圧を越えて
青木 奄美といえば、学会への人権侵害事件が横行した島だ。
それが、御書の通りの「三変土田(さんぺんどでん)」を成し遂げた。
俵 その通りです。
草創の方々は、村八分等の迫害を一身に受けてきた。
新納 それが一変しました。たとえば学会批判の「デモ行進」まで行われた地域があります。今や町議会議長も、自治会の区長も学会員です。
由元 2年前の衆院選では公明党が「第1党」になった。
綾部 当時の迫害の背景には、宗教的な思惑と政治的な思惑の二つがあった。
青木 そうなんだ。迫害事件、弾圧事件には必ず裏がある。いつの時代も変わらぬ謀略の構図だ。
新納 その通りだ。もともと奄美は「ノロ」「ユタ」といわれる呪術的な信仰が根強かった。迫害は、その中心地で起こった。
俵 昔は「あの集落でお茶を飲むな。呪いがかかっていて殺される」なんて真剣に言われたものです(笑い)。
由元 そのぐらい旧習の深い場所だった。
俵 そこに学会員が切り込んだ。
地元の草創の婦人が言っていました。
「仏壇が買えないから、ソーメンの箱だとかリンゴの箱に御本尊を安置した。朝夕の勤行の後に、戸田先生の『青年訓』『国士訓』を声を出して読んでは折伏に歩いた。正しい宗教とは何かを訴えていった」と。
新納 また、こうも言っていた。
「当時は『あの学会の女子部に入っているなんて。宗教狂いで結婚できるわけがない』なんて、ずいぶん言われた。ところが幸福な結婚ができたので、がぜん折伏が実っていった」(笑い)。
俵 そうした草創の同志の情熱で、奄美の学会は7年あまりで6000世帯を一挙に超えた。これにノロやらユタやらの嫉妬が集まった。
真の民主主義
綾部 そして、政治的思惑だ。公明政治連盟(当時)の大躍進への嫉妬。それが迫害への引き金になった。
新納 宗教弾圧の多くが、初めて公政連が県議選に挑戦した時期に起こった。
俵 しかし「誠実」にかなうものはありません。
もともと、奄美の選挙というのは、それぞれの集落にいる有力者が、自分の都合や思惑で票をまとめる。それで「おしまい」。選挙とは名ばかりの実態だった。
綾部 だから、選挙の宣伝活動なんてものもなかった。ところが、公政連は、オートバイに横乗りしたウグイス嬢が宣伝をして回る(笑い)。一対一で奄美の未来を真剣に語り合う。
何から何まで「奄美の開闢(かいびゃく)以来、前代未聞の出来事」だった。
由元 今では「奄美の各島に『真の民主主義』を打ち立てたのは学会員だ」。そう指摘する識者も出てきた。
綾部 多くの人は権力が怖くて、迫害に加担させられただけだ。学会員も誠実な態度、奄美を思う心に賛同が集まるのも事件の問題だった。
今から見れば、村八分の時代があったなんて全くの夢物語だ。
俵 今ではノロを信仰していた人も、学会の婦人部員です。
新納 何よりも、草創の同志の方々が「難を呼び起こす信心」を全うされた。それこそ奄美の誇りです。かけがえのない歴史です。
青木 御書に「難(なん)来(きた)るを以(もっ)て安楽と心得可(こころうべ)きなり」と仰せの通りの壮絶な戦いの姿だった。
勝利の祝賀行進
綾部 勝利を決定づけたのが、奄美での聖教新聞の「現地印刷」の開始です。今年は20周年になる。
俵 昭和58年です。奄美圏(当時)の初代圏長だった積山武一さんが「奄美全体で1万部になった時に現地印刷をお願いしたい」と学会本部に要請した。池田先生も最大に応援してくださった。
新納 「現地印刷が実現すれば、奄美の広布が一段と進む」。
奄美のメンバーは団結して1万部を達成した。その10年前には3800部だったのが、そこまで拡大、前進した。
綾部 そして、昭和60年4月22日付から現地印刷が始まった。名瀬市の南海日日新聞社と聖教本社を結ぶ「ファクシミリ(=模写電送装置)」が開通したんだ。
俵 奄美での「現地印刷」は、本土の他の一般紙が何年かけても実現できなかったものです。まさしく史上空前の快挙でした。
綾部 奄美全体の喜びだった。この日、名瀬市内で「聖教愛読者大会」が開かれた。そこには、名瀬市の市長をはじめ、各市町村長、そして200人もの来賓が一堂に会して行われたんだ。
新納 みなが感動したのは、音楽隊・鼓笛隊の記念パレードが、市中で堂々と行われたことです。
それは十数年前、学会弾圧のデモ行進が行われたのと、全く同じ道での「祝賀の行進」だった。
青木 仏法に偶然はない。日蓮大聖人が奄美の同志の勝利を讃嘆して、晴れの舞台を用意してくださったんだ。
完全勝利の証じゃないか。
(2005. 3.26. 聖教新聞)
<64>
出席者:青木理事長、上田離島部長、綾部九州離島部長、新納奄美光城県長、俵県婦人部長、由元九州青年部長
由元 前回に続いて今回も、奄美の同志の活躍について語りましょう。
新納 これほど奄美が強いのも、池田先生に直結して広宣流布に前進してきたからです。奄美には「師弟の魂」があったからだと私たちは確信しています。
綾部 その通り、その通りです。昭和38年6月21日、池田先生は奄美の地に第一歩をしるされた。魂魄(こんぱく)をとどめてくださった。
新納 どのように先生が動かれたか。どこを歩かれたか。誰を激励されたのか。
当時、まだ生まれていなかった今の青年部のメンバーも、先輩から教わって、みな知っている。語り継がれている。これが奄美の強さなんです。
綾部 当時の奄美は、アメリカ軍政下から日本に復帰して10年。皆、日本に返還されれば、いい時代がくるにちがいないと信じていた。
ところが、そうじゃなかった。生活は依然として、貧しく、苦しい。若者たちも次々と島を出ていく。
俵 誰もが希望を失いかけた時に、先生が来てくださった。日本の政治家など誰も見向きもしてくれない時代に。奄美の宿命が変わりました。
奄美までの船旅
新納 今なら東京から奄美大島へは、飛行機の直行便で2時間程度。当時は全く違う。1週間かかる時もあった。とにかく遠かった。
俵 まず鹿児島まで行き、飛行機で徳之島へ。さらに徳之島から船に乗る。船だけでも6時間かかります。
新納 船旅といっても、池田先生が乗られた「あけぼの丸」は400d程度の小さな船でした。揺れもひどい。それに、船内のオイルの臭気がきつかった。健康な人でも体を壊してしまうような、過酷な行程だった。
俵 先生が、こんな小さな島に来てくださった――まず、その事実に皆が感動しました。涙が止まりませんでした。
綾部 名瀬の港に到着された当夜から、先生は電光石火でした。
その一つが、到着された翌日に行われた「総支部結成式」です。それまでの1支部体制から、一挙に1総支部3支部に大発展した。
新納 6000人の結成式が終わると、ただちに部別の会合になった。男女青年部の会場は、数`先の民間の会館。当時は車もバイクもない。皆、そのまま全力疾走(笑い)。
俵 会場では、息つく間もなく、隊長、区長クラスの人事面接が立ったままで行われました(大笑い)。
新納 すさまじい勢いであり、スピードでした。池田先生を中心として、エンジンが一気に回転した。これが奄美の広布伸展の原点です。
上田 昭和43年にも、池田先生は再び奄美を訪問された。
新納 そうです。「5年後に来るよ」との約束通りに来てくださいました。
俵 先生は高等部員の激励に全魂を込められた。28人のメンバーと会われ、記念撮影をされた。
新納 その時、先生に激励された高等部員が、今日の奄美広布をリードしてきたんです。
現在も、総県婦人部長、県総合婦人部長、圏(ゾーン)長、圏婦人部長、圏副婦人部長等々、中核の中の中核として指揮を執っている。
青木 不思議な縁(えにし)だ。
この2度目の訪問で、先生は「奄美は30年後、40年後には、日本の広宣流布の理想郷になる」と激励された。まさしく、30年先、40年先までの手を打たれた。
新納 先生のおかげで、ここまで奄美は強くなることができました。「次の50年」に向かって、今度は私たちが未来部を育て、励ます番です。
宗門は壊滅寸前
上田 それにひきかえ、奄美の日顕宗の、ていたらく。
新納 立安寺という寺がある。坊主は谷口正応という。最近は寺に4、5人の檀徒しか集まらない。
俵 かたや奄美全体の1割が学会員です。正邪は明白ね。
新納 谷口については、我々も責めに責めた。今や寺の地元は、4人に一人が学会員。聖教新聞は3人に一人が購読している。
俵 臆病な谷口は、学会員の追及が怖いのか、近隣の集まりにすら出なくなったようだ(笑い)。
新納 このままでは、まともに暮らしていけない。だから未活動≠フ檀家の家を回ったりしているようだ。
綾部 しかし、動けば動くほど、かえって恥を晒(さら)している。学会員と出会っても、何も言えない。正義の追及に反論もできない。いまにも泣きそうな顔で黙って下を向いているだけだ(笑い)。
俵 それに徳之島には海王寺という寺がある。あそこも壊滅寸前ね。
新納 実は寺の両脇の道路を、島が新たに拡張することにした。その結果、島側から立ち退きを要請されているという話だ。
俵 この寺にも、ほとんど檀徒はいない。そんな惨状なのに、つい最近も沖永良部島の檀徒の中心者と、坊主の大竹希道が大ゲンカして決裂した(笑い)。
新納 そう、そう。大竹が、その檀徒を皆の前で罵倒した。それが引き金になったというんだな。
上田 「同士(どし)討(う)ち」だ。御書に仰せの通りだ。
傲慢無礼の坊主
綾部 宗門事件当時には、人のいい会員が、ずいぶん利用された。騙された。いじめられた。さっき言った立安寺には、宗門事件当時も、本当に悪い坊主がいた。
新納 岩切仁道だな。
綾部 とにかく傲慢。とにかくインチキ。
「袈裟を着たら日顕と同格だ」なんて言い放って、何と日顕同様、伏せ拝までさせていた。
新納 昭和62年頃には、こんなことを学会員に言い放った。
「迎えにくる車は、それらしい車であること」「着替える場所を用意すること」「葬式では一言も発してはならないこと」「出す茶は熱からず、温からず」「蓋つきの茶碗で茶を出すこと」なんて言っていた。
由元 ふざけるな。何様のつもりだ!
俵 青年部と同じ茶碗で茶を出そうものなら、手が付けられないほど逆上した。
綾部 こんなこともあった。
当時、学会員の支部婦人部長が経営する美容室があった。この美容室は寺で結婚式があるたびに出向いて、新郎新婦の髪を整えたりしていた。
新納 ところが、その日に限って、櫛が足らなかった。そこで庫裏に入って、櫛を借りた。それを知った岩切が狂ったように激怒した。
俵 「もう寺には来るな!」なんて喚き散らした。「○○美容室は立ち入り禁止」という紙まで張り出したんです。
綾部 晒(さら)し者にされた。
新納 寺の従業員だった人も証言していた。表面上、岩切は、しょっちゅう「学会のおかげ」と言っていた。
俵 ところが、その従業員に対しても陰では、いつも「聖教新聞の配達をやめろ」「学会の役職をやめろ」なんて、しつこく言ってきたそうです。
新納 あいつの二枚舌、インチキ性については、まだまだ証言がある。いつも「質素に暮らしている」なんてウソをつき、わざと冷蔵庫を空っぽにしていた。見せつけていた。
綾部 ところが、皆の見えないところでは、ウナギの重箱だの寿司桶だのが、年がら年中、積まれていた。
新納 庫裏の蔵には酒瓶がギッシリ詰まっていた。寺の行事の後には、庫裏を閉め切って誰も入れない。
なかでは岩切が供養袋を引き裂いて、女房が指をなめなめ、金を数えていた。目の色をかえていた。目撃談があった。
綾部 奄美の同志は本当に宗門を守ってきた。それを、あの坊主は「自分に人気がある」と勘違いした(笑い)。
由元 調子に乗って、学会を批判しはじめたとたん、皆からソッポを向かれた。正体が割れて、わびしく転落していった。
綾部 末路も悲惨だ。寺の予算の不透明な実態が発覚して、震え上がって奄美にいられなくなった。仏罰は厳然だ。
青木 「追撃の手を緩めるな」。それが学会精神だ。
いよいよ容赦なく、手厳しく、邪悪を攻撃しよう。攻めよう。奄美広布の未来へ、快進撃が始まった。
(2005. 3.28. 聖教新聞)
<65>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長
原田 今年も「春の彼岸法要」が厳粛に行われた。学会では3月17日から23日までの7日間で、全国各地の墓苑に13万人を超える墓参者があった。
青木 先日の聖教新聞にも出ていた。彼岸の中日の20日だけで5万5000人が墓参した。
杉山 四国池田記念墓地公園(香川県三木市)でも、19日に来園者が通算30万人を超えました。
弓谷 来園された方の喜びの声が数多く届いています。
学会員ではない方々からも「すがすがしくて、公園のようだ」「あらゆるところに、手が行き届いている。学会への認識が一変した」等々と、たいへん好評です。
杉山 「何と言っても、学会の墓苑には金目当ての生臭坊主がいない。実に安心だ」という声もあった(笑い)。
市民の憩いの場
青木 先日、茨城県城里町の「ひたち平和記念墓地公園」に「ひたち常楽納骨堂」と「第3休憩棟」が完成したね。
原田 私も竣工記念の集いに出席しました。
来賓の方も「ひたち墓園は、城里町が掲げる人と自然が響きあい、ともに輝く住み良いまち≠フモットーにふさわしい、憩いの場です」等と、皆さん、称賛されていた。
杉山 介護に携わる名士の方も「お墓というと暗いイメージがありますが、お年寄りを、ひたち墓園に案内すると『ここは、すごく明るいねー』と、みんな大喜びです」と語っておられました。
秋谷 これほど各地の墓苑が賑わうのも、学会の広宣流布の前進が仏法の本義にかなっているからこそだ。
故人の広宣流布への功績を讃(たた)え、心からの追善回向(ついぜんえこう)する。その信心の真心が根本にあるからだ。
青木 その通りだ。
日蓮大聖人は追善回向の本義について「自身仏にならずしては父母をだにもすく(救)いがた(難)し・いわうや他人をや」
「我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし」等々と、明快に仰せであられる。
秋谷 ですから、自分自身が「御本尊根本」「唱題根本」で広宣流布に邁進(まいしん)する。その功徳・善根を故人に回し向ける。これが回向の本義です。坊主に祈ってもらったり、塔婆を何本も立てることが回向ではない。
坊主の稼ぎ時
青木 だいたい、隆々たる学会に比べて、あの日顕宗の暗さ、醜さ、薄汚さ(笑い)。年々歳々、年を追うごとに「陰々滅々」じゃないか。
原田 宗門からの情報によれば、彼岸の中日の20日、大石寺には、なんと800人くらいしか来なかったようだ(笑い)。
青木 「学会は5万5000人」「日顕の膝元には800人」か。どれほど正義の学会か。一目瞭然じゃないか。
杉山 彼岸といえば、坊主どもにとって「供養の書き入れ時」のはずだ。その絶好のチャンス≠ノも信者が寄りつかないんだからな。
原田 法華講にも、坊主たちの卑しい魂胆が見え透いている。完全にバレている証拠だ。
弓谷 どれほど檀徒が坊主を忌み嫌っているか。
大石寺の墓のあちこちでは、坊主が書いた塔婆ではなく、スーパーマーケットで買った「ミニ塔婆」が散乱していた(笑い)。今年は例年にもまして、とくに多く見られたという話だ。
原田 「ミニ塔婆」。スーパーとかで「1本100円程度」で売っているそうじゃないか。
弓谷 坊主に頼む塔婆は「1本2000円」。「ミニ塔婆」のほうが、はるかに「お得」だ(笑い)。
青木 これが皆の本音だよ。内心は坊主の金儲けに、ほとほと嫌気が差している。
杉山 この「ミニ塔婆」の大流行に大石寺は大慌てだ。坊主と檀家との間でも、ひと騒動あったほどだ。
弓谷 平成9年8月には、塔中(たっちゅう)の住職の坊主どもが文書をつくってミニ塔婆は謗法(ほうぼう)∞罪障(ざいしょう)を積む≠ネんて騒ぎ出した。
杉山 ところが年々、ミニ塔婆は増える一方(笑い)。檀徒は完全に「面従腹背(めんじゅうふくはい)」だ。
原田 わざわざ大石寺に墓参している檀徒ですら、この有り様だ。全国の末寺の法華講は「推して知るべし」じゃないか。
秋谷 そもそも御書には彼岸の時には塔婆を立てるように≠ニは、ただの一ヵ所たりとも書かれていない。宗門や坊主は、必死で言い訳をしているようだが、事実は一つ。大聖人は、ひとことたりとも仰せになっていない。
ミニ塔婆だろうが、普通の塔婆だろうが、成仏とは無関係だ。むしろ、坊主に塔婆なんか頼んだら大謗法だ。
原田 その通りだ。だいたい、あそこはニセ法主の日顕本人が大御本尊を否定しているほどの大邪教だ。それに宗門は2年余りで最高裁から7回も断罪されている。
そんな坊主に拝まれたんじゃ、故人も、遺族も、迷惑千万だ(笑い)。たまったもんじゃない。仏罰を受ける。
振り込め供養
杉山 檀徒の面従腹背といえば、こんな話もある。
実は、宗門が4月1日から供養を現金振込で受け付けることになった。しかも今度から「末寺への供養」と「大石寺への供養」を別々に取ることになった。
弓谷 そうそう。この振り込め供養=i笑い)に、大石寺の地元の檀家が猛反発しているというんだな。
杉山 地域の有力者の檀徒は自分たちは昔から塔中坊の檀家だ。塔中坊ならともかく、大石寺に世話になった覚えはない。坊には供養しても大石寺にはビタ一文、払わない≠ニ吐き捨てていた。
弓谷 こんな話もある。日顕は見栄っ張りだから、大石寺で行事があるたびに大量に信者を、かき集める。
青木 ずいぶん前にも、6万人集めるとか言って大失敗したっけな(笑い)。
杉山 だいたい、それだけの信者がいないんだから、集めようがない(大笑い)。
原田 それで、一人の信者が何度も行ったり来たりして、数合わせをさせられている。
弓谷 それでも足りない。そこで付(つ)け御開扉(ごかいひ)≠ナ数を合わせているという話だ(爆笑)。
原田 付け御開扉=B今の人は知らないだろうが、実際に登山しない人も登山したことにして御開扉≠申し込むことだ。
青木 それだったら、いくらでも数を水増しできるじゃないか。これまたニセ法主の見栄と金儲けのせいだ。何と哀れか。
まるで独裁国家
杉山 とにかく「坊主が上」「信徒が下」。日顕宗の世界≠ヘ異常そのもの。
3月に出た法華講の機関紙には、時代錯誤のメチャクチャな規則が、ワンサと並んでいた。
弓谷 そうなんだ。たとえば、日顕の説法の時のルール≠ニいうのがあった。
日顕の入退場の時、拍手はしない。合掌して迎える
説法の終了後も拍手はしない=i笑い)。
杉山 これが法華講の集まりの時だと微妙に変わる。
法華講の集まりの場合は、日顕が入退場する時は盛大な拍手をする
日顕が話す時は、拍手はしない
ただし、日顕が呼びかけたら拍手で応える=i笑い)。
青木 何が何やら。訳が分からない(笑い)。
原田 自由にさせたらいいじゃないか。まるで、どっかの独裁国家みたいだな。
秋谷 どうせ、日顕が言わせているんだろう(笑い)。
杉山 それに法華講員の手帳≠ニいう、バカバカしい手帳がある。これにも頓珍漢(とんちんかん)な規則が満載だ(笑い)。
弓谷 ここには供養袋≠フ書き方が詳細に載っている。
「通常の供養袋」だの「日顕への供養袋」だの「葬式の供養袋」‥‥。
杉山 それに「結婚式の供養袋」「大石寺や末寺への供養袋」。
それぞれ全部が全部、書式が違う。ご丁寧にも図解入りで出している(笑い)。
原田 邪教は面倒くさいな(笑い)。まったくゾッとする。
青木 昔は、いくら法華講でも、そんなことはなかった。日顕が法主になってからだ。
杉山 あまりの異常さに、今では末寺の総代クラスの脱講も相次いでいる。あっちでも、こっちでも、法華講が逃げ出しはじめた。
原田 日顕は完全に宗門を潰したな。
(2005. 3.29. 聖教新聞)
<66>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長
公明が「完勝」
青木 我々が支援する公明党は「連戦連勝」だ。先日(27日)の地方選挙でも、各地で完勝だった。
杉山 来月から政令指定都市に移行する静岡市。公明党は3つの選挙区(葵区、駿河区、清水区)で7人全員が当選した。得票も「5400票増」だ。
弓谷 一方、共産党は「5500票減」だったな(笑い)。
原田 東京・小金井市議選も、圧倒的な拡大で過去最高得票をマーク。念願の「1議席増」を果たした。
弓谷 小金井市では共産党のみならず、民主党も大きく票を減らした。
杉山 そのほか茨城県北茨城市、奈良県香芝市でも、過去最高得票で1議席増やした。完璧な大勝利だ。
弓谷 埼玉県富士見市、長野県飯島町でも定数減のなか、見事、全員当選。
三重県伊賀市、広島県廿日市市では合併後初選挙の混戦を勝ち抜き、全員当選を果たした。
杉山 これで公明党は、統一外地方選挙で「109ヵ月連続勝利」だ。
平成8年3月から9年以上も、全国で一つたりとも落としていない。
青木 すごい大記録だ。他党の政治家も心底、羨ましがっているよ(笑い)。
秋谷 全国の支持者がどれほどの思いで応援してきたか。
公明党の議員は、心の底から支持者に感謝しなければならない。すぐ行動だ。
原田 その通りだ。議員は一人残らず、全身全霊で働いてもらいたい。
「選挙の後」が、本当の勝負だ。支持者の期待に立派に応えてもらいたい。
ウソつきの末路
青木 ところで、あの「極悪ペテン師」の山崎正友。とうとう最高裁で3回目の断罪だ。
杉山 先日の座談会でも語り合った。埼玉県大宮市(当時)の公明党元市議が山崎を訴えた裁判だ。
最高裁判所は今月10日、山崎の上告を棄却した。これで慰謝料30万円の支払い命令が確定だ。
弓谷 山崎は平成13年ごろにデマ本を出した。その中で、この元市議の実名を明らかにして、プライバシーを侵害した。
杉山 これを知った元市議が裁判所に提訴。
1審のさいたま地裁も、2審の東京高裁も、山崎を厳しく断罪した。
弓谷 判決は厳しく山崎を追及している。
「違法であり、不法行為に該当する」(1審判決)、「原判決は相当であり、(山崎の)本件控訴は理由がない」(2審判決)等とバッサリだ。
原田 そして今回、最高裁で敗訴が確定したわけだ。
弓谷 山崎は同じデマ本で、ほかにも2件の裁判で負けている。
杉山 あいつの本というのは、情報が古い。売れない(笑い)。
弓谷 以前、3冊まとめて叩き売りされていた。それでも売れない。
山崎のデマ本を出した出版元が「騙された。売れると言われたから出版したのに」と怒っていたほどだ(爆笑)。
青木 揚げ句の果てに、あっちからも、こっちからも訴えられて負けてばかりいる。
原田 「あんなのを使ったら看板に傷が付く」「危険で仕方がない」。出版業界の大手の幹部からもバカにされる始末だ(笑い)。
秋谷 とにかくウソはダメだ。ウソは必ず露見する。あとで大変なことになる。ごまかそうとした分だけ、いよいよ惨めな醜態を晒す。その実例だ。
反省の態度なし
原田 それにしても山崎のやつ、これで合計、何回、断罪されたんだ?
青木 ひと通り、確認してみようじゃないか。
杉山 まず、今回の「プライバシー侵害事件」だ。
@1審のさいたま地裁(平成16年3月25日)A2審の東京高裁(同年9月14日)B最高裁(平成17年3月10日)で断罪。慰謝料30万円の賠償命令が確定。
弓谷 あの凶悪な「恐喝事件」。
C1審の東京地裁(昭和60年3月26日)D2審の東京高裁(昭和63年12月20日)E最高裁(平成3年1月22日)で断罪だ。
青木 山崎に対する「懲役3年」の実刑判決が確定した。あえなく刑務所に送られた。
原田 あの時、山崎は判決文で「幾多の虚構の弁解を作出」「虚偽の証拠を提出」「全くの虚偽」「とうてい信用できない」「全く反省の態度が見られない」「犯情が悪く、被告人(=山崎)の罪責は重大」等と糾弾され、50回以上もウソつき≠ニ断罪された。
杉山 この事件の判決は重要判例≠ニして法律専門誌『判例時報』(1160号)に収録されている。
今後、数十年、数百年にもわたって、法律家のテキストとして読み継がれていく。
弓谷 東京地裁判決の日には、読売、朝日、毎日の3大紙をはじめ、新聞各紙が、その日の夕刊で大々的に報じた。
こうした記録も、当然、永久に残っていく。
秋谷 後世の歴史家や法律家、言論人たちも、どれほど悪辣きわまる大悪党がいたことかと驚き、呆れるに違いない。
女狂いの正体
杉山 次は、下劣きわまる「不倫事件」だ。
F1審の大分地裁(平成13年10月26日)G福岡高裁(平成14年9月19日)H最高裁(平成15年2月18日)で山崎が敗訴。損害賠償300万円の支払い命令が確定した。
原田 ひどい事件だったな。
杉山 かつて不倫関係にあった女性の夫から訴えられた裁判だ。
弓谷 山崎は女性から多額の金銭も巻き上げていた。最初から計算ずくで近づいたんだ、あいつは。
杉山 結局、1審の大分地裁で「被告(=山崎)と女性の関係は不貞関係」「女性の夫である原告に対する不法行為を構成する」等と認定されて惨敗。
弓谷 その後、2審の福岡高裁でどうしても証人申請したい人間が1、2人いる≠ネんて言い張ったが、最後まで証人を出せなかった。
原田 いるわけがない(笑い)。例によって例のごとく「架空の証人」「架空の証拠」だ(笑い)。
弓谷 万策つきて、あいつが何をしたか。とうとう裁判所相手に、下手な芝居をうった。
杉山 まったく傑作だったな。
「静かに人生を過ごしたい」「私の心は大層傷つきました」等々、サル芝居を演じてみせた(爆笑)。
青木 バカバカしい!
何が「静かに人生を」だ。平穏な家庭をブチ壊したのは、山崎! お前だろうが!
弓谷 とにかく、一連の不倫裁判で、山崎の「女性狂い」が公に認定された(笑い)。
かつて山崎は自分で下半身をコントロールする自信がない≠ニ言い放っていた。その通りの下劣な本性が、誰の目にも明らかになった。
地獄また地獄
杉山 さらにまた、さっきも話題になったデマ本がらみの裁判だ。あいつは好き放題、勝手放題にデマを書き殴っては連敗している。
弓谷 その通りだ。静岡県伊東市の元公明市議への「人権侵害事件」でも敗訴した。
原田 あいつは、デマ本のなかで、この元市議を「ひき逃げ犯」呼ばわりして騒いだ。これがまた真っ赤なウソ。
弓谷 I1審の静岡地裁(平成16年3月17日)J2審の東京高裁(同年9月13日)と厳しく断罪。
杉山 山崎は、高裁の判決に服して上告を断念した。これで慰謝料30万円の支払いを命じる判決が確定した。
弓谷 何しろ、自分で何の確証も裏付けも取らず、市民を「ひき逃げ犯」扱いしたんだ。
杉山 とんでもないデマだった。判決も「名誉毀損行為に該当することは明らか」(1審)、「手持ちの限られた過去の資料に基づき、(中略)安易に判断し、本件記述に及んだ」(2審)と鉄槌を下している。
弓谷 そのほかに、別の公明党元市議への名誉等侵害事件がある。
これは東京地裁での裁判上の和解手続きで、山崎が元市議に公式謝罪した(平成16年11月4日)。山崎の実質敗訴で終わった。
原田 山崎は謝罪するとともに、今後、同様の記事を一切書かないと約束した。
弓谷 山崎は、自らの非を認めて「原告にご迷惑をおかけしたことをおわびする」と公式に謝罪している。
この内容は判決と同じ効力を持つ。公式文書として裁判所に保管される。
青木 ざっと、これまでの断罪、敗訴の記録を見ただけでも、どれほどの大ウソつきか。どれほど悪辣なデマ男か。これが何よりの証拠だ。
原田 しかも今なお二十数件もの裁判を抱えているという話じゃないか。
青木 当然の末路だ。
日蓮大聖人は、五逆罪を犯した極悪人について「(計り知れないほど)久(ひさ)しく無間地獄に住(じゅう)して大苦(だいく)をうくる」と断じておられる。
秋谷 「訴訟地獄」「敗訴地獄」「断罪地獄」。まだまだ「これから」だ。
(2005. 3.30. 聖教新聞)
<67>
出席者:秋谷会長、青木理事長、原田副理事長、杉山青年部長、弓谷男子部長
青木 それにしても、極悪ペテン師の山崎正友は「最高裁で3度も断罪」された。
こんな断罪男は、あんまり聞いたことがない(笑い)。
原田 いや、もう一人いる。あの「ニセ法主」の日顕だ。
山崎の弟子・日顕
杉山 日顕のほうは「最高裁で2回断罪」されている。
弓谷 その通りだ。
日顕は@「改革僧侶の池田託道住職への名誉毀損事件」A「『シアトル』絡みのデマ事件」。この二つの裁判で断罪が確定している。
山崎には1回およばない(笑い)。
青木 やっぱり「山崎が師匠」「日顕が弟子」。断罪の数でも分かる、分かる。
秋谷 一宗の法主たるものが、個人で2度も最高裁から断罪された。古今東西、前代未聞だろう。「除歴」は確実だ。
原田 最高裁で2度断罪され、追い詰められた日顕が擦り寄っているのが、最高裁で3度も断罪された山崎。
青木 二人あわせて5回断罪の「断罪兄弟」か(笑い)。
原田 それにしても、山崎。あんなインチキは、いない。
墓苑工事で何億円もの裏金を握ってから、見る見る堕落、転落していった。
青木 金と女と遊びに狂ううちに、宗門を乗っ取り、学会を乗っ取るという妄想にとりつかれた。
原田 とにかく、大物ぶっていた。周囲に大きく見せたがっていた。
すぐ、それと分かるカツラを被ったり、ハイヒールをはいたり(笑い)。
青木 そうだった。恐喝裁判が始まった昭和56年当時、マスコミでも書き立てられていたじゃないか。
大物気取り
杉山 山崎が通い詰めていた高級クラブの従業員の証言だ。
「一流品好みで、背広、ネクタイ、靴はもちろん、下着まで一流メーカーのものを着ていた」
「裏を返せば、彼は背の低いことにコンプレックスを持っていて、それを一流品で補おうとしていたわけさ」(爆笑)。
原田 しかも口を開けばどう、オレってすごい?∞オレってビッグ?=i大笑い)。
青木 妄想に狂い、見栄に狂った揚げ句、あの男は一儲けを狙って、冷凍食品会社を勝手に経営しはじめた。
だが、放漫経営がたたって、たちまち会社は45億円もの負債を抱えた。
原田 資金繰りに困り果てた山崎は、金欲しさで昭和55年4月以降、3億円の恐喝事件と、さらに5億円の恐喝未遂事件を起こした。
そして翌56年1月24日、警視庁に逮捕された。
青木 この恐喝事件の裁判で、山崎は「懲役3年」の実刑判決を受けて服役した。
逃げ回る山崎
秋谷 この頃の山崎は、学会を脅すために宗門を利用し、週刊誌を使ったんだ。
原田 山崎のやつは、当時の日達法主に取り入り、反学会の感情を煽り立てた。
その一方で週刊誌にデマを書かせたり、宗門に自分で書いた怪文書を送りつけたり。ありとあらゆるインチキな工作をやった。
弓谷 当時、一部週刊誌に出たデマ記事も、火元、ネタ元は、ほとんどが山崎だった。
後になって、暴かれている。
青木 山崎は、自分が恐喝事件の裁判から逃れるために必死だった。なりふり構わなかった。
何と当時、学会が告訴していた「月刊ペン」裁判にも首を突っ込んできた。
これも学会のイメージを悪くして、自分の恐喝裁判を有利に進めようという魂胆だった。
弓谷 「月刊ペン」事件というのは、『月刊ペン』(廃刊)という雑誌が事実無根のデマ記事を掲載した事件だ。
ウソ八百のデマ記事を書いた編集長の隈部大蔵が逮捕され、刑事裁判の結果、当時最高額の罰金刑で決着している。
青木 こんなデマ事件にも手を出すほど追いつめられていたんだ、山崎は。
原田 山崎は退転者や脱会者を狂ったように、かき集めて、いっせいに偽証をやった。やらせた。
しかし、ウソは、どこまでいってもウソに決まっている。判決は、山崎一派の偽証を、ことごとく退けた。
杉山 「供述は、全体に、時期、機会や居合わせた人物の特定などの面で漠としている点が多く、(中略)反論しようとしても具体的にはなし難い」
「証言を額面どおりに受け取ることはできない」等々、20数ヵ所にわたってウソつき≠ニ認定された。
青木 当たり前だ。
原田 山崎のもくろみも空しく、『月刊ペン』の編集長の隈部は有罪。
まったくのデッチ上げ記事だったことがハッキリした。
弓谷 そして山崎は自分の恐喝事件の裁判でも有罪。刑務所に入った。
デマ本でも墓穴
杉山 その後、山崎は、出所後も学会を逆恨みし、動き回った。時の政治権力にまで取り入って、宗教弾圧の陰謀に狂奔した。
弓谷 しかし、どれもこれも全部、大失敗。山崎に利用された政治家も落選したり、謝罪したり、さんざんだ。
今じゃあ山崎なんて、どこの政治家からも相手にされない。
杉山 すると今度は、デマ週刊誌と結託してウソ八百を流したり、自分でデマ本を出したり。しかし、これもまた全て法廷で完膚無きまでに打ち砕かれた。
秋谷 山崎の「敗北」「惨敗」「自滅」の人生。これが仏法の厳しさだ。
誰びとも、妙法の因果から逃れることはできない。ましてや悪人は、なおさらだ。絶対に免れない。
(2005. 3.31. 聖教新聞)
<68>
出席者:青木理事長、正木副会長、松本副会長、山中副会長、杉山青年部長、栗原創価班委員長、原田創価班書記長
正木 「青年・拡大の年」の本年。全国各地で青年部の活躍が一段と光っている。
学会の先頭には、常に情熱みなぎる青年がいる。だから強い。
青木 青年部の皆さんは、仕事に、学会活動にと多忙だ。その中で、創価班、牙城会、白蓮グループをはじめ、広宣流布の最前線で会員を守り、学会を守ってくださっている。
どれほど尊い戦いか。改めて感謝申し上げます。
結成30周年へ
栗原 創価班は明年、結成30周年を迎えます。「史上最強の陣列」「圧倒的な拡大」を目指して意気軒高です。
原田 それだけに皆、今こそ創価班の歴史を学ぼう、使命を果たそうと真剣です。そこで、ぜひ先輩方に創価班の歴史と使命を教えていただきたいと思います。
青木 大事なことだ。今回は、創価班の歴代委員長の代表にも来てもらった。
正木副会長も、創価班の委員長だったね。
正木 第7代の委員長でした。昭和61年9月から昭和63年1月まで務めさせていただきました。
松本正さんは第9代、山中二三雄さんは第10代の委員長です。
松本 私と山中さんのころは、ちょうど第2次宗門事件が勃発した直後だった。当時、創価班は大石寺にも着任していた。
池田先生が、どれほど宗門に尽くしてこられたか。どれだけ学会が宗門を外護(げご)してきたか。
山中 その大恩を、日顕は卑劣にも仇で返した! 「正邪」のすべてを目の当たりにしてきた我々だ。
杉山 私は第13代委員長でした。現在の栗原委員長は第16代です。
今や、大石寺に着任した経験をもつ創価班メンバーは、ほとんどいません。大石寺に行ったことのない青年部員も多くなってきた。
青木 いや、今の青年部は幸せだ。あんな邪教の巣窟に行かずにすむんだから(大笑い)。
総代夫婦も脱講
山中 それにしても第2次宗門事件が勃発してから15年。「正邪」「勝劣」は完全に決まった。
学会は全世界に大興隆。かたや日顕宗は壊滅寸前じゃないか。
栗原 その通りだ。最近じゃあ、法華講の幹部までもが日顕を見限りはじめた。あっちでもこっちでも脱講している。
青木 全国的な動きになってきたな。
原田 つい先日も、広島・府中市の長妙寺(佐藤記道)で、現職の総代夫婦が脱講した。
元総代は、法主を詐称し、正本堂を破壊した日顕の悪行におかしい。間違っている≠ニ感じていた。
ちょうどそのころ、学会員が真心をこめて対話。正邪をハッキリと悟った。
栗原 元総代は2月20日、寺の記念行事の場でこんな上意下達(じょういかたつ)の世界では、広宣流布はできない≠ニ、宗門の実態を鋭く追及。その場で、総代の辞職と脱講を宣言し、席を蹴って出たんだ。
杉山 痛快だ。これが今の日顕宗の実情だ。
青木 宗門というところは、戸田先生の時代から、学会あっての存在だった。学会こそ、宗門の柱であり屋根だった。その学会を、嫉妬に狂って切ったんだ。
柱を切ったら、家が倒れるのは当たり前だ。
激闘の登山運営
松本 我々も先輩から、よく話を聞いたものだ。戦後の宗門は荒れ果てて、誰も見向きもしない田舎寺、貧乏寺だった。あんまり食いつめたものだから、大石寺を観光地にする動きまであった。
青木 その観光地化に断固、反対したのが、戸田先生だった。
そして宗門興隆のために、昭和27年10月、学会による「月例登山会」をスタートされた。学会が宗門を救ったんだ。
栗原 創価班の前身である「輸送班」が誕生したのは、この時ですね。
正木 その通りだ。登山者の輸送と、無事故の運営のために結成された。
以来、学会は平成3年6月、嫉妬に狂った日顕が拒絶するまで、39年間も登山会を行った。参加者は延べ約7000万人にものぼる。
青木 池田先生も登山会が始まった当初から、運営の陣頭指揮を幾度も執られた。池田先生が、今日の創価班の原点と伝統を築いてくださったのです。
山中 39年間、大きな事故は、ただの一度たりともない。これほどの長期間にわたり、これほど大きな規模の行事運営を無事故で行った。奇跡的な大記録だ。
松本 この大恩! 日顕をはじめ坊主どもは、学会に感謝してもしきれないはずだ。それが血の通った人間だ。
青木 日淳法主は池田先生に「本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を永久に忘れてはなりません」と言われていた。
正木 日達法主も明言していた。
「一大和合僧団(わごうそうだん)創価学会に対し、実(じつ)にもあれ不実(ふじつ)にもあれ謬見(びゅうけん)を懐(いだ)き謗言(ほうげん)を恣(ほしいまま)にする者ありとせば、其籍(そのせき)、宗の内外に在(あ)るを問はず、全(すべ)て是(こ)れ広布の浄業(じょうぎょう)を阻礙(そがい)する大僻見(びゃっけん)の人、罪を無間(むけん)に開く者と謂(い)ふべし」等と厳命している。
松本 日顕は、この歴代法主の厳命に背き、学会を一方的に切ったんだ。
山中 だが、学会は微動だにしなかった。結局、日顕は自分で宗門を破壊しただけだ(笑い)。
正木 それにしても学会員は、毎月毎月、日本全国から登山した。どれほど大変だったか。
我々は大石寺で直接、運営に携わってきたから、よく分かる。
松本 当時、創価班は「本山担当」と「輸送担当」の二つのグループに分かれて着任した。
学会員は、飛行機、列車、船、バスなどを乗り継いで登山する。その行程に同行し、無事故の運営を行ったのが「輸送担当」グループです。
山中 本当に大変だった。たとえば、沖縄からは登山船で往復1週間もの日程になる。当然、船酔いする人が何人も出る。だが、創価班は不思議と誰一人、酔わない。
松本 そうなんだ。何しろ創価班は気分が悪くなった人の介抱もした。食事が喉を通らない人には、オニギリをこしらえて、配った。要するに、船に酔ってる暇もなかったわけだ。
正木 列車輸送も大変だった。夜行列車を借り切るのだが、途中、何回か駅に止まる。その時に、登山者が車外に出て戻って来なかったり、関係のない人が乗り込んだり‥‥そういった事故を起こしてはならない。
山中 だから、デッキで警戒しながら仮眠する創価班もいた。また、そうすれば一席でも、登山者が体を伸ばせるスペースが空く。そういう気遣いでもあった。
松本 まったく瞬時も気の休まる暇のない激闘だった。
正木 列車は時間キッカリに発車する。一人でも乗り遅れたら、登山会全体の運営に響いてくる。だから創価班の伝統は、まず第一に「時間厳守」だった。
人材育成の伝統
栗原 その精神は、今でも受け継がれています。「今の若者は、時間にだらしない」と、よく言われるが、創価班に入ったら一変する(笑い)。
家族や友人から「変わったね、変わったね」とビックリされるケースも多い。
正木 私たちの時代も、同じだった。
あまり学会を知らない人でも「学会は青年を立派に育てている」という認識だけは持っている。
松本 そういう人が自分の子どもに「学会に入って、鍛えてもらえ」と勧めたり(大笑い)。
青木 学会は幾十万、幾百万の青年を、鍛え、育ててきた。社会のあらゆる分野で活躍する、立派な人材を輩出してきた。学会の誉れの伝統だ。
正木 なかんずく創価班は、次代の広宣流布を担う勇将(ゆうしょう)だ。「学会の宝」の人材郡(ぐん)だ。
(2005. 4. 1. 聖教新聞)
<69>
出席者:青木理事長、正木副会長、松本副会長、山中副会長、杉山青年部長、栗原創価班委員長、原田創価班書記長
創価班は人材城
杉山 前回、語り合った通り、創価班は、広宣流布の次代を担いゆく人材を、陸続と輩出している。
松本 それにまた創価班のメンバーは、社会的にも大きく貢献している。
栗原 その通りです。東京・町田市の富塚清彦さんは昨年末、会社への出勤途中、川で溺れている人を発見。
即座に駆けつけ、凍えるような寒さの中を、岸に運び上げて消防署に通報した。
原田 さいわい、その方は、富塚さんの迅速な対応で一命を取りとめることができた。
杉山 富塚さんの勇敢な行動を称えて、町田消防署から感謝状も贈られている。
栗原 富塚さんは「体が自然に動きました。創価班での訓練があったればこそです」と語っていた。
青木 いかに普段の薫陶が役立っているか。その証明だね。
原田 こんな話もあります。
ある高等部のメンバーが進路指導の教員に「創価大学を受けたい」と相談した。
ところが、はじめは教員は、あまりいい顔をしなかったそうです。
杉山 しかし数日後、その教員のほうから学会について真剣に聞いてくるようになった。
栗原 不思議に思った高等部員が尋ねると、教員は帰宅するとき、いつも地元の学会の会館の前を通る。
その時、青いブレザーを着ている男性が、必ず元気に挨拶をしてくれるのを思い出したというんです。
山中 創価班だ(笑い)。
原田 教員も、学会の青年部だと気がついた。そして「挨拶ができない若者が多い昨今、いつも向こうから声をかけてくれる。しかも任務に就く人が代わっても、みな挨拶してくれる。立派だ」と感動したそうです。
杉山 結局、教員は高等部員に対して「きっと、素晴らしい青年が集う大学を目指しているんだろう。頑張りなさい」と応援してくれるようになったというんだ。
青木 創価班メンバーの真剣な誠実の振る舞いが、学会への見方を変えた。素晴らしい話じゃないか。
命がけの厳護
正木 話を戻すが(笑い)、創価班は登山会の輸送担当のほかに「本山担当」といって、大石寺の各所を警護していた。
この本山担当には、首都圏、静岡県のほか、関西、中部からも創価班の精鋭が着任していた。
松本 当時の創価班は、まず地元の会館での任務に着任する。次に、学会本部や地方の中心会館の着任を経験したうえで、はじめて登山の輸送担当に着任。そのうえで、最後に、本山担当に就くんだ。
まさに精鋭中の精鋭で大石寺を守っていた。
山中 実は、私も最初に本山担当の面接を受けた時に落ちてしまった(笑い)。
理由は「輸送担当を経験していないから」。本当に厳格でした。
青木 一時が万事だ。創価班は、学会の会館以上に力を注ぎ、人材を選抜して大石寺を守り抜いた。
正木 池田先生が赤誠(せきせい)を尽くされ、最大に宗門を外護(げご)されたからこそ、皆も宗門を守ったんだ。
青木 宗門は、その大恩を忘れてしまった。
いや、信心がないから、学会の赤誠も理解できなかったんだ。
松本 本山担当は、通常で、1日に100人以上が着任した。大石寺で行事がある時は、特別警備体制を取る。200人、300人が出動することも、しょっちゅうだった。
正木 とにかく「大石寺で絶対に事故を起こさない」。皆、凄まじい緊張感で着任していた。大石寺内の、ちょっとした段差の位置も全部、記憶していたほどだ。
山中 その通りだ。階段の段数まで覚えていた。足元が暗い時、登山者に「この階段は何段あるのか」と聞かれても、即答できるようにしていたんだ。
正木 坊主なんかより、よっぽど大石寺の中を知っている人もいた(笑い)。
松本 いざという時には、いつでも大石寺に行けるためのお金だけは、きちんと用意して、仏壇の引き出しに大事にしまっていた――そういうメンバーもいたほどだ。
正木 本人はもちろん、家族も真剣に題目をあげて創価班を送り出していた。
だからこそ、のべ7000万人もの登山会をはじめ、一切の行事をスムーズに運営できたんだ。
青木 日達法主も宗門は学会の登山会のおかげで復興できた≠ニ明言していた。その通りだ。皆、どれほど真剣だったか。
登山を金儲けの道具としか考えない日顕宗の坊主どもには、とうてい分からないだろう。
陰々滅々の登山
原田 今の大石寺はメチャクチャだ。登山者が迷子になったり、参加者のマナーの悪さに、地元・富士宮の市民からクレームが出たり。
烏合の衆の物見遊山じゃないか。
栗原 それも、すべて「数合わせ」。なかには一人で十数回も往復させられた檀徒がいるという。
青木 哀れな法華講だな。
杉山 何しろ坊主の目当ては、ただ一つ。「供養」「金」だけだ。
原田 だから法華講の登山は供養地獄、供養地獄≠ネんてバカにされるんだ(大笑い)。
正木 学会が登山していたころには、絶対に考えられないことだ。昔は清々(すがすが)しい登山会だった。要するに宗門には「信心がない」。だから、そうなるんだ。
松本 本当に坊主というのは、昔っから信心のカケラもなかったな。信心がないから、皆の真心も分からない。創価班にも学会にも感謝の「カ」の字もなかった。
山中 私も、何年も大石寺に着任したが、坊主たちは登山会に対して学会が勝手にやっている≠ニ言わんばかりの、傲慢な態度だった。「供養さえ持ってくれば、あとは関係ない」――冷酷千万の実態だった。
栗原 この恩知らずめ! 学会の登山のおかげで、宗門は「命拾(いのちびろ)い」したんじゃないか。
食い詰めたあげく、観光地にして人を集めようとしていたのは、どこだ。大石寺じゃないか。
杉山 地元の富士宮の有力者も言っていた。
「大石寺を連日、何万人もの登山者で興隆させたのは誰のおかげだ。全部、学会のおかげじゃないか。日顕という坊主は、とんでもないやつだ」と激怒していた。
青木 まったくだ。堀日亨上人も今の宗門から創価学会を取ったら、何が残るか。何も残らないではないか≠ニ断言しておられた通りだ。
(2005. 4. 4. 聖教新聞)
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出席者:青木理事長、正木副会長、松本副会長、山中副会長、杉山青年部長、栗原創価班委員長、原田創価班書記長
敗因は相承詐称
正木 あの日顕! われわれ創価班も、どれだけ守ってやったか。
松本 だいたい、あいつが相承(そうじょう)詐称の「ニセ法主」だったせいで、創価班も大迷惑だったんだ。
原田 と、言いますと?
松本 日顕が法主になったのは、昭和54年7月22日。宗門の一部の坊主が日顕に公然と敵対した。
杉山 正信会(しょうしんかい)を名乗った一派だ。
青木 その通りだ。正信会の坊主は「日顕はニセ法主だ」と主張して、裁判まで起こした。昭和56年のことだ。宗門は大騒動になった。
松本 これに対して日顕は、正信会の180人以上の坊主を片っ端から処分していった。
正木 そのさなかの昭和56年10月、大石寺では日蓮大聖人の「第700御遠忌大法会(ごおんきだいほうえ)」が行われた。
この時も、正信会の坊主約200人が、バスで大石寺近くまで乗りつけ、大騒ぎになった。
青木 よく覚えている。一触即発の状況だった。ところが、当の日顕は、皆の前では威張っていたが、実際は脅(おび)え切って、逃げ回るだけ(大笑い)。
坊主どもも、宗務院の中に閉じこもって、全然、出てこない。そんな情けないやつらばかりだった(笑い)。
小心者の日顕
杉山 臆病者めが!
もとはといえば日顕のニセ相承が原因じゃないか。それを追及されて正信会のクビを切ったのも、日顕だ。全部、自分の責任だ。
自分が正々堂々と出ていって、話し合えばよかったんだ。
青木 無理だよ、あんな小心者(笑い)。
この時も、日顕は、ただオロオロと学会に頼るだけだった。
結局、池田先生が一切の矢面に立たれて、厳然と日顕を守ってくださったんだ。
松本 私も、当時の創価班委員長だった中上副会長に、その時の様子を聞いた。
先生は、行事があった9日間、ずっと陣頭指揮を執られた。毎日、朝に、昼に、夕に、創価班に対して、警備態勢をはじめ、ありとあらゆる報告、状況を直接、聞かれ、時々刻々と手を打ってくださった。
正木 創価班も皆、真剣だった。
松本 この間、創価班は延べ約5000人も出動した。「とにかく事故がないように」と、総動員で厳戒態勢を敷いた。
ところが、坊主の中には創価班に感謝するどころか、やっかんで目の敵(かたき)にする連中もいた。
正木 そうだったな。当然、創価班は警備のために出入りする人間をチェックする。
それを何で、こんなことをするんだ∞面倒だ≠ネんて食ってかかる坊主が何人もいた。
栗原 だったら、お前たちで警備しろ! お前たちで寺を守れ! 本当は坊主がやることじゃないか。それを文句を言うとは何事だ!
山中 この時の警備態勢にしたって、日顕が初めに坊主たちに説明すれば済んだ問題だ。坊主全員に「創価班が厳重に警備してくれている。皆、感謝して協力しろ」と言うべきだった。
正木 当然だ。それが筋だ。全部、日顕が蒔いた種じゃないか。
松本 だが、日顕は震え上がってダンマリのまんま。周りの坊主も「瞬間湯沸かし器」の日顕を恐れて、誰も何も注意しない。
すべて学会頼み
青木 結局、この問題も、池田先生が一切の責任を取られた。
大法会を前に、学会と宗門が運営、警備全般の最終の打ち合わせをした。そこで先生が「私から(日顕に)説明します」と言われ、翌日、日顕と話し合われたんだ。
原田 そこまでして宗門を守られたんですね。
松本 この打ち合わせには、この間まで総監だった藤本日潤や教学部長の大村日統らがいた。
坊主も皆、胸をなで下ろしていた。
「ありがとうございます」「池田先生から言っていただくしかありません」とハッキリと言っていた。
青木 その通りだ。それでやっと日顕が、厳戒態勢への協力を宗内に徹底し、行事を進めることができたんだ。
正木 一事が万事だった。当時は、ずっとこうだった。
宗門は何から何まで学会に「オンブに抱っこ」だった。
坊主たちも「池田先生がいらっしゃるから、行事ができる」「すべて先生のおかげです」「学会の運営がなければ、宗会すら開けない」と口々に感謝していた。
次も「ニセ法主」
青木 その最大の恩人である学会を、日顕は一方的に切ったんだ。まさに「天に唾(つば)する」行為だ。この前代未聞の愚挙、暴挙!
今のあいつの醜態も、その忘恩、不知恩の当然の末路だ。
山中 まったくだ、まったくだ。結局、日顕が必死で隠し通していた「ニセ法主」の正体も、今や誰もが知る事実だ(笑い)。
杉山 何しろ、日達法主から相承を受けたという、客観的な証拠が何もない。裁判でも何も出せない。
栗原 だから宗門は、寺の明け渡しをめぐる裁判でも、最高裁で3回も負けた。これは決定的だった。もはや言いのがれができない。
青木 先日、日顕宗でバカバカしい人事があった。
さっそく宗内では跡目は新しく総監になった早瀬日如だ∞いや、やはり日顕の息子の阿部信彰だ≠ニ騒いでいるようだ。
山中 下らない(笑い)。結局「ニセ法主」から相承を受けるんだから、誰がなろうが「ニセ法主」だろ。
正木 この先、ずっと宗門は「ニセ法主」だ(爆笑)。
(2005. 4. 5. 聖教新聞)