学会創立80周年へ 正義と勝利の座談会

 

<11> またもや日顕一味が大惨敗
<12> 学会は人物本位
<13> 国会議員が模範を示せ!!
<14> 「悪を滅するを功」が仏法の魂
<15> 議員OBは今こそ恩返しだ
<16> 政治家は自分自身を戒めよ
<17> 評伝「池田大作の軌跡A」が好評
<18> 「池田大作の軌跡A」に感動の声
<19> 議員は家族が戒めよ!
<20> 中国の歴代指導者との友誼

 

 

<11> またもや日顕一味が大惨敗
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

山本 あの大恥さらしの日顕一派が、またもや裁判で負けたそうじゃないか(爆笑)。
佐藤 その通りだ。
 以前、創価新報などが日顕直属の檀徒一派が盗聴に関与していた≠ニする記事を掲載した。そのことに連中が難癖をつけて起こした裁判だ。
河西 だが結果は、またまた日顕一派側の大惨敗(大笑い)。
 一審の東京地裁は昨年12月、日顕一派側の全面敗訴を厳しく言い渡した。
佐藤 連中は盗聴に関与していない≠ニ言い張っていた。
 ところが裁判所は連中の言い分を「不自然」「にわかに採用し得ない」等と一刀両断。
 さらに一派が盗聴に関与していたと疑うには相当な理由がある≠ニ断罪したんだ。
河西 その後、日顕一派側は往生際悪く控訴していたが、東京高裁は先月19日、一審判決を支持する判決を言い渡した。あらためて、檀徒側を断罪したんだ。
正木 悪いやつらだ。そもそも、この一派は、あの極悪ペテン師の山崎正友のやつと根深く結託してきた連中だ。
佐藤 これまでも一派の幹部らが悪辣なデマビラ事件で断罪され、100万円の賠償命令が確定している。
加西 ほかにも、年配者を騙して御本尊を持ち去った事件などで、裁判沙汰になっている。

敗北のパターン

原田 結局、今回の裁判も、自分たちのほうで訴えたくせに、逆に自分たちの悪事が認定されたわけだ(大笑い)。
正木 日顕一派の、いつもの大敗北のパターンだな(爆笑)。
金沢 その通りだ。
 日顕の、あの有名な「芸者写真」の裁判。あの裁判でも日顕宗側が訴えて墓穴を掘ったじゃないか。
佐藤 事の発端は、日顕が高級料亭で芸者衆と宴会で遊んでいたのが始まりだ。この事実を「創価新報」が写真付きで報道した。
河西 日顕が法主だった当時の写真だ。日付も1986年(昭和61年)11月22日とハッキリ認定できる。
 日顕が東京・赤坂の高級料亭「川崎」で芸者遊びに興じている姿が厳然と写っている。
原田 この写真と記事について、日顕宗が学会を訴えてきたんだ。
佐藤 東京高等裁判所は、宗門側敗訴の判決を言い渡した。
 さらに04年2月には、宗門側の敗訴が最高裁判所で確定した。

逃げ回った日顕

山本 日顕のやつは、この芸者写真について「覚えがない」「記憶にない」などと、さんざん逃げ回っていた。
金沢 あいつの悪あがきも、ついに「万事休す」だったな(爆笑)。
佐藤 裁判所は判決で、次のように認定した。少し長いが重要な判決なので、紹介しておきたい。
 「これまでの日蓮正宗の歴史においても、時の法主が教義違背を犯したり、個人的不祥事を起こしたときに、宗内僧俗から法主たる資格を問題にされ、退座に追い込まれた事例もあり、むしろそのような法主が退座することは当然とされてきたこと、そして、当代の法主に対して、その資格を問題にする言論をなしたり行動をしたからといって、それは正法を惜しむゆえの、日蓮正宗を想うための行動でありこそすれ、日蓮正宗自体に対する攻撃であるなどとは誰も考えていなかった」と。
 ここまでハッキリ認定されてしまった。
河西 そして阿部日顕個人を弾劾することが、宗門及び大石寺を非難することにはならない≠ニ結論したんだ。
原田 まったく、その通りだ。
 日蓮大聖人は「悪侶(あくりょ)を誡(いまし)めずんば豈(あに)善事(ぜんじ)を成(な)さんや」「如(し)かず彼(か)の万祈(ばんき)を修(しゅう)せんよりは此(こ)の一凶(いっきょう)を禁(きん)ぜんには」と明確に仰せだ。
山本 「破邪」なくして「顕正」はない。極悪坊主を徹底して糾弾しなければ、かえって仏罰を受けてしまう。我々が日蓮大聖人から御叱りを受ける。

檀徒の大ウソ

金沢 それを日顕直属の檀徒連中は、何と言って騒いでいたか。
 芸者写真は「合成写真」だの(笑い)。「首のすげ替え」だの(笑い)。
正木 臆面もなく日顕は、ああいう柄の袴を持ってない≠ネんていう大ウソまでついていたっけな(爆笑)。
金沢 それだけじゃない。わざわざ「撮影した日時、場所をハッキリさせてみろ」と大騒ぎしていた(笑い)。
山本 これも、日顕が言わせていたんだろうな(笑い)。
河西 ところが、だ。
 「私が撮りました」という本人が出てきた(笑い)。もちろん、写真の撮影場所、日時までハッキリした(大笑い)。
金沢 とことんバカなやつらだ。まさに「還著於本人(げんちゃくおほんにん)」の姿そのものだったな!
原田 日顕宗が裁判に訴えたせいで、あの芸者写真は世界中で有名になった(大笑い)。
 御聖訓に「自業自得果(じごうじとくか)のへんは・すくひがたし」と仰せの通りの結末だった。

(2007.10. 1. 聖教新聞)

 

 

<12> 学会は人物本位
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

金沢 先月25日、新内閣が発足したな。
原田 期待する声、厳しい注文の声等々、国民の反応は、さまざまだ。
正木 我が創価学会は、あくまでも「人物本位」だ。
 良識ある政治家、信頼できる政治家とは、広く連帯していく。評価していく。これまでも確認してきた通りだ。
山本 その通りだ。我々は政治団体じゃない。どの政党、どの議員を支持しようが、まったくの自由だ。
 よく考えて、よく話しあって決めていこうじゃないか。
佐藤 当然、公明党の議員であっても、あの学歴詐称の竹入みたいなやつがいたら、絶対に応援しない。真っ平御免だ。
金沢 当たり前だ! バカバカしい!

瀬戸内海の鯛

原田 かつて戸田先生は、学会を瀬戸内海の活きの良い、大きな鯛にたとえて、次のように言われた。
 この大きな鯛の姿(=学会)に、食い入るような目を差し入れた怪物がある。その一つは政治屋である。
 この鯛の、心よき匂いに、むくろまで食いしゃぶろうとして、襲いかかってきている。恐るべきことではないか。
 われわれは、この魔に対して、厳然と、身がまえをしなければならない≠ニ。
 このように鋭く御指導なさった。
山本 恐ろしいことだ。
 仏意仏勅の学会を、あくどい「怪物」や「魔物」から、断じて守らねばならない。
正木 特に、さんざん応援してもらいながら大恩ある支持者を裏切る。逆恨みする。悪党と結託して牙を剥く。
 そういう恩知らずどもとは徹底的に戦おうじゃないか!
山本 いくら調子に乗ろうとも、図に乗ろうとも「権力の魔性」に食い破られた政治屋どもの末路は哀れだ。
河西 かつても、あの山崎正友と結託して宗教弾圧をした議員がいた。
 そういう反民主主義のやつらは皆、没落した。落選し、不祥事を起こし、自滅した。

宗教弾圧の暴挙

正木 政党は政党と論争するものだ。政治家が政党を批判するのは大いに結構だ。
 だが、政治家が他党の支持団体を攻撃するならば、それは「政治参加の自由」の重大な侵害だ。
原田 「政治参加の自由」それに「信教の自由」は、憲法で保障された国民の基本的人権の柱だ。
 それを平然と踏みにじる。まさに民主主義の破壊だ。恐るべき暴挙だ。我々は許さぬ。断固として戦う!
 それが、初代会長・牧口常三郎先生以来の学会の魂であるからだ。
正木 そもそも学会が、日本のため、世界のために、どれほど深い、高い次元から行動してきたか。
山本 私の知っている政治評論家も言っていた。
 「創価学会は、すごい。1974年(昭和49年)には、共産党と協定(創共協定)まで結んだ。
 当時、公明党と共産党とは、激しく対立していた。そんな時に、公明党の支持団体が共産党と協定を結ぶなんて、誰も予想だにできなかった。まさしく驚天動地の手の打ち方だった」と。
 このように感嘆していたな。
金沢 当時を知る元政治家も驚愕していた。
 「池田会長は、あれだけ学会を目の敵にしていた共産党とも協調した。どれほど幅があるか。懐が深いか。本当に学会は大きい」。このように仰天していた。
佐藤 池田先生は当時の共産党の宮本顕治委員長とも対談された。毎日新聞にも連載された。
原田 この対談にしても、協定にしても「宗教と共産主義の共存」という、文明史的意義の上から決断されたものだ。

共産国とも対話

正木 池田先生は現実に、共産主義の中国にも、ソ連にも行かれていた。
 日本の共産党と対話するのも、自然の流れだった。時間の問題だった。
山本 だが政治家たちは、政治のこと、選挙のことしか頭にない(笑い)。
 協定が公表されたのは、ちょうど参院選の直後で、翌年には総選挙が控えていた。他党の政治家たちのなかには「学会は公明党を支援しないんじゃないのか」と勘ぐったのもいたようだ。
金沢 公明党の議員の中にも、学会が応援してくれないんじゃないかと思ったのもいた(笑い)。
原田 その通りだ。とにかく驚き、反発……様々な声や評価や憶測があった。
 それでも池田先生は「いろいろあっても協定は守ろう」と一貫しておられた。
河西 宮本氏の死去に際しても、ただちに池田先生は弔電を送られましたね(本年7月18日)。
原田 相手が共産党だろうと、与党の政治家だろうと、最後まで信義を守られる。それが池田先生です。

(2007.10. 4. 聖教新聞)

 

 

<13> 国会議員が模範を示せ!!
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

山本 それにしても、注目の国会の論戦も、いよいよたけなわだ。
 公明党は、火蓋を切れ! 国民の期待に応えよ!
原田 公明党といえば、全国各地の地方議員は本当に頑張っている。そういう声を、最近も、よく聞く。
正木 公明党には52人の国会議員、3151人の地方議員がいる(10月4日現在)。とくに地方議員は、地道に真剣に戦っている。
金沢 山口県下関市には、創価大学出身の市議がいる。彼は初当選以来、通勤する市民に対して週4回、駅頭で挨拶をしてきた。「一生懸命だ」と地域の評判もいい。
佐藤 愛知県新城市の、新人市議は「支持者、市民のところに、すぐに足を運んでくれる」と評判だ。愛知県でも有数の広大な広さの市を、くまなく回っている。
原田 立派じゃないか。誠心誠意を尽くす。誠実に語る。歩く。回る。
 「大衆の中へ」が公明党の原点だ。大衆のために尽くし、使えぬいてこそ公明党の議員だ。
金沢 東京でも、片手が義手というハンディがありながら、実績をあげている女性区議がいる。
 とくに教育問題に真剣に取り組んできた。
河西 僕も聞いた。それまで、その区では学校給食の食器は2つまでと決まっていた。
 だが「一つの食器に、ご飯、おかず、漬物が一緒にのっている。これでは食事のマナーも学べない」と粘り強く、議会で改善を求めた。
金沢 そして、とうとう食器を増やすことを実現した。このこともあって議会では「給食議員」と呼ばれているそうだ(笑い)。
原田 素晴らしい。かつて戸田先生は、おっしゃった。
 「あくまでも日本の民衆の福祉のために戦うのだ。政治は、そのための一つの手段である」
 このように強調されたことがある。
金沢 まったく、その通りです。政治も政治家も、民衆が幸福になるための「手段」だ。「技術」だ。
佐藤 傲慢で威張り散らす「手段」なんか、いないよ。いらないよ(大笑い)。
山本 地方議員というのは、有権者、支持者にとって一番、身近だ。
 だから、何かあれば、すぐに動いてくれる。要望に応えてくれる。
正木 その一方で、有権者に近いぶん、常に日常の姿を見られている。気が抜けない。
原田 国政選挙でも、自分の地域だけでなく全国を飛び回って支持を拡大している。経済的にも大変ななか、本当に、よくやっている。

議員の報酬額

佐藤 多くの地方議員の報酬は高くない。
 他党の地方議員は社会的に成功し、経済的にも余裕のある人が多い。
 公明党は違う。普通の庶民が、庶民の支援を受けて議員になった。そういうケースが、ほとんどだ。
金沢 いま、地方議員の議員報酬は、どのくらいなのかね?
河西 市町村によって報酬額は違うが、安いところだと月額約15万円のところもある。
山本 国会議員とは大違いだな。
佐藤 国会議員の歳費は月額約130万円だ。報酬額の低い地方議員の実に10倍近い歳費をもらっていることになる。
山本 お金のことだし、とやかく言いたくはないが、これだけ高額の歳費が国民の血税から払われているんだ。
 国会議員は、その額に見合った立派な仕事をしてもらいたいものだな!
金沢 本当に、その通りだ。早くも次の総選挙が話題になっている。国会議員こそ、地方議員の何倍も戦うべきだ。そうでなければ、有権者に申し訳ない。有権者も応援するかいがない。
原田 それが当然だ。
佐藤 国会議員といえば、私の知人が、こんなことを言っていた。
 「どこの党だか知らないが、マスコミ相手に大物ぶって、支持団体の幹部を、あれこれ批判している議員がいた。ずいぶん図に乗った議員がいたものだ」と話していた。
金沢 とんでもないやつだ。公明党には、いないだろうな!
河西 こんな話も、あった。
 「選挙直後だというのに、連れ立って、高級レストランでメシを食っていた」とか、いろんな議員がいたようだな。

厳しく監視せよ

金沢 公明党も、今、いちばん真剣に、懸命に、血相をかえて戦うべきなのは「国会議員」だ。
 公明党の国会議員は、支持者の顔に泥を塗るような真似をするな!
山本 それでなくても地方議員からは厳しい声があるようだ。
 「国会議員は、もっともっと、しっかりしてもらいたい。あれだけ待遇面でも優遇されているんだ。もっと戦ってもらいたい」という声がある。
 とくに、傲慢な振る舞い、言動の国会議員がいたら、報告してもらいたい。
 曖昧な噂や、ただの悪口、告げ口、中傷は論外だが、裏付けのある話は重要だ。
佐藤 大賛成だ。だいたい竹入などの恩知らずどもが出たのも、そういう「監視」を曖昧にしたからじゃないか!
山本 そういえば、かつて公明党から地方議会に一度だけ出馬して落選した人がいた。
 以来、出馬することは二度となかった。だが、彼は選挙のたびに、ずっと後輩を応援し続けてきた。
 「ひとたび応援して頂いたという御恩がある以上、私は一生涯、その恩に報いていきたい」。そう言って、今でも先頭に立って後輩を応援している。そういう人がいる。
原田 地方議会に一度落選しただけの候補ですら、ここまでやっているんだ。
 いわんや、現職の国会議員だ。今の10倍、100倍、死にもの狂いで戦え!
河西 公明新聞には全議員が一人1000軒の訪問対話をしよう≠ニ出ていたな(8月23日付)。
山本 この1000軒の訪問対話も、まず国会議員が率先してやるべきじゃないのか?
金沢 公明党の国会議員52人が全員、1000軒の訪問対話をやりきったのかどうか。誰が、いつまでにやるのか。やったのか。
山本 地方議員は、言われなくても、そのくらいは回っているものだ。しっかり見ていこうじゃないか。
原田 党の勢力拡大も、国会議員に一番、責任がある。支持団体ではない。何でもかんでも支持団体にやってもらおう、やらせようなんていう根性は断じて許さぬ!

議員革命だ

金沢 東京の支持者からは、こんな声があった。
 「参院選前の政治と金の問題についても、公明党の国会議員は、もっと手厳しく糾弾すべきだったんじゃないのか。
 あのバンソウコウをつけた閣僚の事務所費の問題! なんで厳しく声を上げなかったんだ。あんなことでは有権者の支持は得られない」と憤慨していた。
河西 毎日新聞の社説にも書いてあった。
 「(閣僚による)事務所経費問題では『もっと説明を』だけで、進退には言及しなかった。かばい続ける安倍晋三首相に翻意を迫ることもなかった。公明党の『清潔』イメージは後退した」と。
佐藤 そして「(公明党は)党の原点に立ち戻り、政策も政治姿勢も吟味することが一段と求められる。適度の距離感を保ち、連立に埋没することを回避するよう心掛けるべきだ」(8月19日付)ともあった。
山本 政策、政治姿勢もそうだが、何よりも党勢拡大だ。公明党は「革命」するべきだ。そのためにまず、国会議員が生まれ変わるべきだ。「国会議員革命」だ!
原田 謙虚に、真剣に、一生懸命になることだ。戸田先生は、このように御指導なさった。
 「権力を持った議員は、純真なる信仰者の世界を見下し、撹乱するであろう。絶対に彼らを、わがままに放置するな」と言われた。国会議員が肝に銘じよ!
正木 戸田先生はまた「政治家を監視せよ! 議員が、学会を利用するだけになったら、断じて応援するな」と厳命なさった。
原田 我々は、この戸田先生の御指導通りに進んでいく。
 苦労するのは支持者だ。何から何まで応援してやって、威張られて、のさばられて!
 バカバカしいにも程がある!
山本 まず党が戦え! 議員が戦え! 国会議員が模範を示せ!

(2007.10. 8. 聖教新聞)

 

 

<14> 「悪を滅するを功」が仏法の魂
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

正木 それにしても、これからの日本の政治が、どうなるのか。アジアの各国も注目している。
山本 特に中国だ。最近も、マカオ新聞の社説に日本の新首相の訪中を期待する≠ニ出ていたようだ(9月29日付)。
河西 その通りだ。その社説は、池田先生の言葉を引用して両国の友好のために、日本は福田新首相の訪中を実現してほしい≠ニ主張していた。
佐藤 そして「日中両国は、千秋万代の友好を貫いていかねばならない。そのためには、人と人の交流によって『心の橋』を築き、相互信頼を強めていくことだ。これより他に道はない」。
 この池田先生の言葉で締めくくられていた。
原田 中国と日本の関係は「アジアの平和、繁栄」という点からも重要だ。だからこそ中国の人々は、池田先生の英知に着目している。
 池田先生の言葉が引用されているのも、その表れだ。

信頼の証し

正木 中国といえば、今月4日には、中国最大の婦人団体である中華全国婦女連合会の代表が学会本部、聖教新聞本社に来訪された。
河西 6日には、陜西師範大学の学長一行が来訪。創価大学(東京・八王子市)で行われた式典で、池田先生に「名誉教授」の称号を授与された。
原田 これで世界の大学、学術機関から池田先生に贈られた名誉学位は、220になる(現在、222)。文字通り、世界一の快挙であられる。
河西 中国の大学、学術機関から贈られた名誉学術称号も70を超える。
原田 中国を代表する一流の知識人、指導者が続々と来てくださっている。
 中国が池田先生を、どれほど信頼しているか。その証しだ。

受験生も研さん

河西 中国といえば、もう一つ。
 中国では、大学の受験勉強をする人が、よく利用するホームページがある。そこに池田先生の箴言が紹介されていた。
正木 聖教新聞の「声」にも出ていた。
 リンカーン、アインシュタインなど世界的偉人と並んで、池田先生の「働くということは義務ではなく権利である」という箴言が引かれていた。
佐藤 さっそく僕も調べてみた。中国の小論文の受験対策のホームページには、よく「名言集」が出ている。
 僕が見たページでも、孔子などの明言と並んで、池田先生の言葉が紹介されていた。
山本 中国の教育事情に詳しい学者が言っていた。
 「受験生が書く小論文のレベルは年々、上がっている。そこで引用される箴言は、中国の偉人のものが多い。孔子、老子、王安石、李白、毛沢東などです。
 日本人では池田先生の言葉を引用する人が一番多いと思う。他の日本人の言葉は少ない」。このように語っていた。
原田 今や海外の受験生までもが池田先生の言葉を学んでいる。すごい時代が、やってきた。

読者の声から

正木 ところで、この座談会は反響が大きい。
金沢 政治家や日顕宗の坊主も、よく読んでいるようだな(笑い)。
佐藤 最近も、聖教新聞を購読して3年という読者の方から、こんな声があった。
 「私は学会員ではありません。聖教新聞を読み始めた当初は、座談会のページに驚きました。宗教者にしては言葉がきついのではないかと思っていました。
 しかし、だんだん日顕宗の坊主の実態、背景が分かってきた。今では、とんでもないやつらだと実感しています」。
原田 その通りだ!
佐藤 そして「今の世の中は、黙っていては正義は証明されない。だからこそ、堂々と、また厳しく正義を主張する学会の行き方が重要なのだと心から思います。座談会の出席者には、ますます頑張っていただきたい」と。
 このような声を、いただいた。
金沢 正論だ。鋭い。賢明、聡明な読者が多くなってきた。
山本 九州でも「日顕の芸者遊びを初めて知った。坊主の堕落は絶対に許せない」という声。
 「あの竹入が学歴詐称していたとは知らなかった。もっと厳しく糾弾するべきだ」という声。
 こういう読者が、まだまだ意外に多い。
正木 日顕の芸者遊び事件、竹入の学歴詐称事件を初めて知った。そういう人が、いまだにいる。
 極悪の実態は、繰り返し暴き、弾劾することだ。でなければ、人の頭に入らない。後世にも残らない。一歩も退かず、攻め続けることだ。
金沢 その通りだ。御聖訓には「悪を滅(めつ)するを功(く)」と仰せだ。牧口先生は悪人の敵となりうる勇者たれ≠ニ呼びかけられている。
原田 さらに戸田先生は「追撃の手をゆるめるな」と御遺言された。
 前進、また前進! 追撃、また追撃!
 これが日蓮仏法の魂だ。

(2007.10.11. 聖教新聞)

 

 

<15> 議員OBは今こそ恩返しだ
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

河西 ところで、あの極悪の日顕宗! いよいよ没落、転落の一途のようだな。
佐藤 その通りだ。最近も、こんな事件があった。
 大石寺の地元の富士宮市で、日顕宗の檀徒の葬儀があった。隣組の一員として葬儀を手伝ったのが、たまたま日蓮宗の寺の住職だった。
河西 その話なら僕も聞いた。
 なんでも、その住職が、葬儀に来る日顕宗坊主の送迎を担当することになったというんだな。それで、自分の軽自動車を運転して寺に行った。
佐藤 ところが、寺で対応した小僧は、車を運転してきたのが他宗の関係者だとは知らない。
河西 小僧は僧侶を送り迎えするのに、こんな安っぽい車で来るもんじゃないよ≠ニ偉そうに言い放ったというんだな(笑い)。
金沢 うっかりシッポを出したわけだな(爆笑)。
河西 これが日顕宗の坊主の世界だよ。
 見栄っぱり。感謝がない。偉ぶる。他人を見下す。一事が万事だ。
佐藤 その畜生根性が、小僧にまで染みついている。
河西 その日蓮宗の住職が言っていたようだ。
 長年、坊さんをやっているが、こんなことは言わないよ。葬式だって自分でいく。大石寺も学会と別れてから衰亡したな=Bこのように言っていたという話だ。
山本 これも元凶は、あの大恥さらしの日顕のやつだ。
 あいつは最近は、何やってんだ?
河西 めっきり影が薄くなった。その証拠に、大石寺に居座る回数も減ってきた(笑い)。
佐藤 以前は、東京・世田谷区の豪邸よりも大石寺にいる日のほうが多かった。
 それが今は逆だ。大石寺には毎月、1週間ほどしか行かなくなった。
正木 当然だよ。何しろ日顕といえば、最高裁で2度も断罪されたやつだ。そのあげく法主の座からも逃げ出したやつだ(大笑い)。
山本 とうとう大石寺にも、いられなくなったな(爆笑)。
河西 最近は、世田谷の豪邸に引きこもっている。誰だか知らないが、聞こえよがしに窓を開けて勤行してみたり(笑い)。
佐藤 政子の誕生日に、派手に人を集めてみたり(笑い)。
河西 みなに忘れられまいと、パフォーマンスに血眼だ(大笑い)。
山本 あの勤行嫌いの日顕の家で、わざわざ窓を開けて勤行か。
原田 どこまで見栄っぱりか(大笑い)。
金沢 だいたい隣近所に迷惑じゃないか。84歳にもなって、そんなことも分からないのか、このバカ坊主めが!

反日顕派の乱

佐藤 今年の夏には、あの「光久事件」があった。
 宗門の首脳の一人である光久日康が、日顕を真っ向から批判した事件だ。
河西 光久は宗門の衰亡の元凶は日顕だ。日顕が学会を切ったからだ≠ニ批判した。
正木 正しいじゃないか(笑い)。
佐藤 実際、日顕のせいで、末寺は食えない。若い坊主は入る寺もない。
正木 日顕宗の坊主どもには、今や未来も希望も展望もない。お先真っ暗だ。
佐藤 この光久の反乱に、日顕が怒り狂ったの何の。自分の手下を使って、光久を坊主の集まりで謝罪させた。
河西 ところが謝罪も「形だけ」だ(笑い)。
 光久は、その後も、自分の子飼いの坊主を呼んでメシを食ったりしている。何やら企んでいるようだ(大笑い)。
佐藤 宗門では、みな、光久に拍手喝采だ。
 宗門には「監正会」という機関がある。坊主の処分に関する異議申し立てについて調査し、裁決するところだ。
 その選挙でも、光久がダントツのトップで委員に選ばれたほどだ(大笑い)。
山本 光久の動きなどは「氷山の一角」にすぎないということだよ。
原田 「勝負あった」だ。
 正義の学会は堂々と勝った。
 日顕一派は完全に敗北だ。自滅だ。
 御聖訓に「終(つい)にほろびざるは候(そうら)はず」と仰せの通りだ。

議員OBは立て

正木 ところで先日、公明党の国会議員について、この座談会で語り合った。
山本 すごい反響だった。
 「読んで胸がスッキリした」
 「まったく、その通りだ。支持者に甘えすぎている」
 「とにかく現場を回っていない。公明新聞の紙面に出ることばかりが国会議員の仕事じゃないぞ」等々、手厳しい声が多々あったな。
金沢 それもそのはずだ。当然だ。
 何しろ、いま公明党の現職議員は、国会から市町村議会まで含めて3103人もいる(10月4日現在)。
山本 引退した議員OBも約3000人いる。一大勢力だ。
金沢 OBのなかには、もちろん頑張っている人が多い。
 だが、まだまだ戦っていない連中、戦いを逃げている連中がいる。
原田 選挙も、まずは議員と家族だ。これで決まる。
 戸田先生は、かつて御指導された。
 「議員と家族が率先して戦っているところは、気持ちよく勝っている。それをおろそかにして、皆にやらせればいいと侮る。そういう議員や家族は必ず衰亡していく」。このように厳しく指導された通りだ。
山本 実際に、われわれは「衰亡していく」議員と家族の姿を、まざまざと目にしてきたじゃないか。
金沢 あの竹入! 自分も女房も子供も全く戦わなかった。何一つ、ご恩返しをしなかった。
佐藤 その結果が、竹入本人は学歴詐称が発覚。女房の経歴詐称、息子の大学医学部への不正入学疑惑まで露顕した。
原田 御聖訓に「知恩(ちおん)報恩(ほうおん)をいたすべし」と仰せだ。
 議員OBは、今が恩返しの時だ。
 「必ず勝って、支持者の大恩に報いてみせる」。こう心を決めてもらいたい。これが天の声だ。
 戦わない連中、寝ている連中は叩き起こして「なんだ、お前たちは!」と叱りとばして戦うべきだ。

(2007.10.18. 聖教新聞)

 

 

<16> 政治家は自分自身を戒めよ
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

活躍するOB

佐藤 「公明党の議員OBよ、立て! 今こそ戦え!」。前回は、このテーマで語り合った。
金沢 もちろん、みなの模範となる議員OBもいる。全国各地にいる。
山本 九州にもいる。
 たとえば福岡県大牟田市の元市議。7期28年の間、働いた。市議会議長も務めた。
 4年前に引退してからは、学会壮年部の太陽会(平日昼間に活動できる壮年の集まり)で奮闘している。
 何しろ顔が広い。人脈がある。彼の激励によって、しばらく遠のいていた他の議員OBも次々と立ち上がってきた。
原田 嬉しいね! そういう話を聞いてこそ、支持者も、やりがいが出てくるんだ。
金沢 それに儀典部として活躍している議員OBもいるな。
正木 各地で立派に貢献している。
山本 私が先日、お会いした市議OBも儀典長だ。これまで数々の友人葬を担当した。
 議員の経験があるから「その場の空気」が読める。参列者の様子に応じて、縦横無尽に話ができる。地域では名の通った名士だから、遺族も心強い。
正木 そうなんだ。参加者からも「髪の毛も、ほどよくなって、偉ぶった生臭坊主どもよりも、よっぽど有り難い」(笑い)と大評判だ。
山本 議会で鍛えたから、話も、うまい。
 学会活動で鍛えているから、お経も、うまい(笑い)。
原田 引退しても、多くの人に喜んでもらえる。地域からも支持者からも感謝される。
 こんなに有り難い、幸せな人生は、ない。
金沢 一方で、なかには残念なOBもいる。
 現役議員の時代は、調子よく、口うまく振る舞っていたが、引退した途端に何もしない。
山本 「年を取ったから、少し休みたい」だの。「もう引退したから関係ない」だの。いろいろ口実をつけてサボるやつがいる。
原田 とんでもないことだ。信心に引退なんかない。
 それを学会員なのに、活動しない。会合に出ない。
金沢 表で会っても挨拶もしない。支援活動もやらない。
正木 日蓮大聖人は「畜生(ちくしょう)すら猶(なお)恩(おん)をほうず」「知恩(ちおん)・報恩(ほうおん)の為(た)め」と厳然と仰せだ。
 恩を知る。恩に報いる。それが人間だ!
原田 議員は引退してからが勝負だ。一生涯、戦って戦って戦い抜いて、人生の総仕上げを、堂々と勝ち飾るべきだ。

国会議員が動け

河西 議員OBの話が出たが、頑張っているOBから、こんな声があった。
 「最近の国会議員は、隅々まで回らなくなった。少し前までは『こんなところにまで国会議員が来てくれる。公明党は素晴らしい政党だ』という声があった。今では他党より回っていないんじゃないか」。率直な声があった。
金沢 支持者からも、そういう声は多い。東京の有権者からは、こうあった。
 「区議会や市議会議員のなかには、駅頭に立って頑張っているのがいるが、国会議員は見たことがない。
 国会議員こそ街頭、駅頭に立つべき時じゃないのか」とあった。
佐藤 こういう声も聞いた。
 「学会員なのに、きちんと勤行をしない議員がいると聞いたが、本当か」という声があった。
原田 まさかとは思うが、もし本当なら許さない。
 そんなやつは、必要ない。信用できない。応援もしない。
佐藤 それに飲食店に勤める青年部メンバーが言っていた。
 「どこの党だか知らないが女性を連れて飲み回っている議員もいる。周りからは『合コン議員』とバカにされている」等々とあった。
金沢 合コン?
河西 男女のグループが合同でコンパ(飲み会)を開くことだ。
山本 まさか公明党じゃないだろうな。
佐藤 あまりにも議員が傲慢、横暴で、秘書が全然、いつかない。そういう議員もいるようだ。
原田 政治家は国民の模範のはずだ。人格も素行、言動も一流であるべきだ。
 戸田先生が「議員は立派な人間となることである。人格をつくることである」と厳命された通りだ。
河西 中国の周恩来総理も政治家は常に自分自身を戒めよ≠ニ言われた。
山本 また戸田先生は、おっしゃった。
 「あまりに、皆に守られ過ぎて、おかしくなっていく議員のやつらを、絶対にのさばらせてはならない。権力は魔性であるからだ」。この戸田先生の御言葉を、議員自身が胸に刻め!
正木 そしてまた戸田先生は、こうも御指導なさった。
 「議員になると、信心と別世界の、権力と、わがままな世界に入って、自分は偉くなったと錯覚して、信心を無視し、人々を下に見て、破滅していく人間が出るから、気をつけろ」と!
原田 議員を務めるということが、どれほど恐ろしいか。この恩師の御言葉を真剣に学ぶことだ。実践することだ。

(2007.10.22. 聖教新聞)

 

 

<17> 評伝「池田大作の軌跡A」が好評
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

安心できる場所

正木 先日、新潟県の方から、こんな声を頂いた。
 「本年7月の中越沖地震の時に、学会の会館に避難させていただいて、本当に感謝しています。
 建物も奇麗で、役員の方も親切にしてくれました。近くに、こんなに安心できる場所があって、本当に良かったです」
 こういう声が寄せられた。
佐藤 あの中越沖地震では甚大な被害が出た。被害住宅が約4万棟。いちばん多い時で約1万2000人が避難した。
河西 なかでも被害が最も大きかったのは柏崎市だ。学会の柏崎牧口記念会館にも、100人を超える被災者が避難してこられた。
 会館では当然、学会員であるなしにかかわらず、ただちに受け入れを行った。
佐藤 会館の近隣の方も「食料がなくて困っている時に、学会の方から救援物資のおにぎりを頂きました。本当に心強い限りでした」と喜んでおられた。
河西 それにまた会館の近くにある福祉施設の方は、こう感謝していた。
 「お年寄りを多く抱えており、食料がなくて困っていた。行政に連絡してもラチがあかない。
 途方に暮れていたところ、たまたま通りかかった学会の会館は、とても活気があった。思い切って中に入り、施設の状況を話した。
 すると、とても丁寧に対応してくれ、多くの食料も頂いた。あの震災当日の大混乱のなかで、こんなに良くしてくれたのは、学会の会館だけでした」。このように語っていた。
原田 災害など緊急の際はもちろん、学会の会館は、今や地域にとって「なくてはならない」存在になってきた。地域の「安心の灯台」となってきた。
 近年、とみに、そういう声が上がるようになってきた。
山本 その通りだ。私も実感している。以前にもまして、学会の真実の姿が地域に浸透してきた。

門を閉ざす寺

金沢 いちいち引き合いに出すのもバカバカしいが(笑い)、日顕宗の寺は、どうだったんだ?
佐藤 柏崎にある寺(一道寺)は、玄関を固く閉ざしたまんまだった。
山本 宗門は、あの阪神大震災(1995年)の時も、そうだったじゃないか。
 学会は会館を開放し、青年部のバイク隊などが救援物資を運んだ。皆が被災者のために尽くした。
河西 ところが日顕宗の寺は、固く門を閉ざし、被災者に見向きもしなかった。
原田 日顕宗の坊主どもが、どれだけ冷酷、冷血か!
 この一事をもってしても、ハッキリ分かるじゃないか。

公園整備に尽力

佐藤 地域に開かれている会館と言えば、神奈川県の川崎平和講堂(川崎市)も有名だ。
 この講堂の隣には公園がある。講堂が完成した当初は寂しい所で、遊ぶ子供も、ほとんどいない。そんな状態だった。
正木 そこで地域の学会員が町会と一緒になって、清掃に取り組んだ。
 年々、公園は奇麗になり、整備されてきた。
佐藤 桜の名所に≠ニ、町会とともに桜を植樹。今は四季折々の花が咲き、春には桜が爛漫と咲き誇る。公園で遊ぶ子供たちや、散歩する親子連れが数多く見られるようになった。
正木 「学会の皆さんが一生懸命やってくれたお陰です。春には、白い会館の建物に桜の花が美しく映える。きれいで、明るい地域になった。
 これも学会の会館ができたお陰です」。地域の人々も、たいへんに感謝しているようだ。
原田 御聖訓に「日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱(とな)え奉(たてまつ)る者の、住処(じゅうしょ)即(そく)寂光土(じゃっこうど)と心得可(こころうべ)きなり」と仰せであられる。
 学会の会館のある地域が、どんどん発展している。うれしい限りだ。これも、各地域の同志の皆様の努力の賜です。心より御礼申し上げます!

ドラマがある

佐藤 話は変わるが、今月、発刊された、池田先生の評伝『平和と文化の大城――池田大作の軌跡』第2巻(潮出版社刊)が好評だ。
金沢 その通りだ。各界も絶讃しているようだ。芥川賞作家の又吉栄喜氏も賞讃していた。
 「真剣に生きた人生はドラマになる。引きずり込まれるように一気に読みました。生きる希望を与えられた」と語っておられた。
河西 外務省元主任分析官の佐藤優氏も述べている。ロシアについて描かれた章を読んだ所感だ。
 「池田大作氏が日ソ(露)関係でまさにキーパーソンとして重要な役割を果たしていた事実が明らかにされた意義は、とても大きい。
 私自身が目撃証人であるが、1991年4月のゴルバチョフ・ソ連大統領の訪日は、池田氏の尽力なくして実現されなかった」。明確に証言していた。
原田 池田先生の足跡、エピソードが、ふんだんに盛り込まれている。知られざる秘話も多い。先生の実像に迫っている。だからこそ人々の心を深く打つのだと思う。
正木 著名なノンフィクション作家が述べている。
 「なぜ、これほど人気なのか。それは、池田会長に、人間としての多様な魅力があるからでしょう」と語っていた通りだ。
山本 とにかく池田先生の言動を目のあたりにした人々の記録、証言、具体的な事実に基づいている。
金沢 憶測と作り話だらけの、そこいらの雑誌のデマ記事なんかとは訳が違うな(笑い)。

(2007.10.25. 聖教新聞)

 

 

<18> 「池田大作の軌跡A」に感動の声
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

九州で大反響

佐藤 前回は、評伝『池田大作の軌跡A』(潮出版社刊)への各界の声を紹介した。
河西 読者からも、大反響の声が多々、届いているようだ。
山本 九州の青年部員たちからは、こんな声があった。
 「池田先生が九州で、こんなにも多くの識者と会ってくださり、学会への理解を自ら広げてくださったとは。涙が止まりませんでした」
 また「水俣の公害に対して、学会、池田先生が、真正面から取り組んだ事実も初めて知りました。号泣しました」と。
佐藤 「この『池田大作の軌跡』を地域の人材グループで学んできました。池田先生の真実の姿に、皆が感動。爆発的に折伏ができました」
 「青年こそ師の真実を学ぶべきだ」。東京の青年部員からの嬉しい声だ。
正木 第1次宗門事件で苦しんだ秋田県の同志からは、こんな声があがった。
 「宗門事件勃発後、4年の間、私たちは陰険な坊主に苦しめられた。昭和57年(1982年)1月に、池田先生が来てくださって、心の底から安心した。その時の感激を、本を読み返して思い出しました」とあった。
山本 あの「雪の秋田指導」で池田先生は白いオーバーコートを着ておられた。
 そのコートは、後に、坊主に一番苦しめられた地域のメンバーが、代表して譲り受けたという。
正木 秋田の同志は、こうも語っていた。
 「先日の会合でも、誉れのコートが披露されました。秋田と先生の絆を改めて思い出させてくれました」。このように感動していた。

新事実が判明

河西 この「軌跡」で初めて明らかになった事実も多い。
 たとえば、これは中部の読者からの声だ。
 「学会が香典を持っていく≠ニいうデマの火元が、この本で判明した。これは画期的なことです。長年、なぜ、こんなデマが広がってきたのか、理解できなかった。その疑問が一挙に氷解した」とあった。
原田 たいへん重要な点だ。
 昭和45年10月下旬のことだ。当時の「潮」の編集者が、病床にあった、ある著名な評論家を見舞った。
佐藤 そこで、その評論家が、こう語ったという。
 「昭和30年代半ばのことです。全日仏(全日本仏教会)の幹部が泣きついてきた。
 『最近、創価学会という宗教が勢いを増して、我々の信徒がゴボウ抜きのように取られている。このままじゃ、たまったもんじゃない。創価学会は、こんな嫌らしい宗教だ、と言えるような話はないだろうか』」
 このように頼んできたのだという。
原田 全日仏というのは、既成仏教の各派の集まりだ。現在では、全国の寺院の9割以上が所属している団体だ。
河西 そこで評論家は、自分のもとにいた若手ジャーナリストたちに相談した。
 その結果「『創価学会は葬式で香典を持っていく』『位牌や仏壇を壊す』というのはどうか」という話になった。
佐藤 評論家は、そこで「根拠は何もなかったんだが……。これが全日仏を通して、一斉に全国に広がってしまったのです。言論人として、本当に申し訳なかった」と謝罪した。こういう歴史の秘話が明らかになったんだ。
正木 ウソは必ずバレる。長年、流されてきた根も葉もないデマの正体が、とうとう暴かれたな。

博士号を固辞

金沢 デマといえば東京の壮年部員の方からも、こういう声があった。
 「モスクワ大学から、池田先生の名誉学術称号の第1号が贈られた経緯を読んで驚いた。
 当初、池田先生は受章を固辞された。それを先方のためになるならば≠ニ受けられた。今、先生には世界の学術機関から224もの称号が贈られている。その淵源のドラマを知り、深く感動しました」。たいへんに感激されていた。
原田 その通りです。
 1975年5月、第2次訪ソの時だ。モスクワ大学のトローピン副総長は、池田先生に名誉博士号を贈りたい∞大学の選考会議で決定した≠ニ伝えた。
 だが、先生は、これを固辞されたのです。
金沢 当然、トローピン副総長は驚いた。困った。
 何しろ、日ソ両側から、様々な雑音があるなかで、ようやく池田先生への授与が決まったのだから。
原田 それでも先生は「お付き合いも、まだまだ短い。これからの私の行動を見ていてください」と断られた。
正木 トローピン副総長は困り果てた。そこで、様子を見かねた香峯子夫人が「先方が喜ばれるのなら受けられては」と助け舟を出された。
 それではじめて先生は「そこまで言われるならば」と、ついに受けられたのです。
佐藤 先生に対する世界からの顕彰、名誉称号に対して、経緯も何も知らず、妬みとやっかみで騒ぐ輩がいる。
 だが、第1号の名誉学術称号を、先生は丁重に固辞なさったんだ。
原田 重要な事実であり、史実だ。
 われわれは池田先生の真実の姿を、一段と真剣に学んでいかなければならない。語っていかねばならない。
佐藤 その通りだ。「知る」ことが「語る力」になる。師の真実を知れば「戦う力」がわいてくる。
 われわれ青年部も、しっかりと学んでまいります!

議員は甘えるな

山本 この座談会には、その後も続々と反響が届いている。
 なかでも最近、国会議員についての声が、いちばん多い。
河西 関西の読者からは、こうあった。
 「地方議員は、身近なところで支持を拡大している。『ここまでやるのか』というところまで努力している。国会議員は歳費だって大変に高い。国会議員こそが党勢拡大の模範を示すべきじゃないのか」と。
佐藤 これは市議OBからの声だ。
 「この座談会に書いてあること全てが、まったくその通りと思った。私は、学会の会合に行ったり、年間1600人の有権者と、じっくり対話した。
 今の公明党の国会議員で本当に隅々の支持者に会っている議員が何人いるのか。支持者からみて『なじみのある国会議員』が少なくなった。支持者に甘えていると思う」と強い声があった。
金沢 東京の支持者からは、こうあった。
 「参院選では一生懸命に支援活動をやりました。しかし、参院選が終わったあと、議員が地元に顔を見せたという話を聞かない。一度くらい顔を見せに来るべきじゃないのか」と強く語っていた。
佐藤 「どこの党なのか、選挙期間中、支持者が見ている前で、携帯電話機で、ゲームをやっていた」
 「有権者と握手している途中で『疲れた』といって座り込む議員がいた」等々、いろんな声が届いている。
原田 とにかく公明新聞でも議員が党勢拡大の先頭に立つ≠ニ宣言しているんだ。自分たちが言ったことじゃないか。だったら言った通りに実行してもらいたい!
正木 当然だ。どこの党だって、議員は死にもの狂いじゃないか。

(2007.10.29. 聖教新聞)

 

 

<19> 議員は家族が戒めよ!
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

金沢 この座談会は、反響が大きい。最近も、こういう声が寄せられた。
 「国会議員こそ真剣に戦え≠ニいう座談会を読んだが、大賛成だ」とあった。
佐藤 関西の読者からは、こうあった。
 「うちの国会議員は、偉ぶっていて評判が良くない。学会の会館にも滅多に来ない。支持者に対して、もっと頭を下げるべきだ」。このようにあった。
原田 やはり、政治家への声、議員への声が圧倒的に多いようだな。

模範の家族

山本 それに、議員も議員だが、議員の家族に対する要望、厳しい声が多い。
金沢 もちろん、なかには真剣に戦っている家族もいる。
 たとえば東京・北区の区議夫人は、PTAの会長、副会長を6年やっている。夫が区議になる前からだ。
佐藤 私も聞いています。
 他にも自治会の役員、地域振興のためのNPO(非営利団体)の理事、同窓会の幹事。地域のため、友人のために尽くしてきた。
金沢 町会の人々も、その姿を見てきた。だから、彼女の夫が区議に出馬すると聞くと「全面的に応援します」と言ってくれた。
山本 大事なのは、日ごろの姿だ。地道な努力には、かなわないな。
金沢 東京の別の区議の家族。学会員である夫人はもちろん娘さんも、広宣流布の活動に全力を尽くしている。
 娘さんは女子部の本部長。区で一番の友好拡大の結果を出している。その区議の夫人は婦人部の副本部長。毎月のように聖教啓蒙を推進し、地元をくまなく回っている。
正木 大阪には圏副婦人部長をしている市議夫人がいる。毎年、約50部の聖教啓蒙を達成している。
河西 福井県の議員夫人も、素晴らしい活躍だ。毎月、聖教の啓蒙を達成してきた。折伏も、この2年で2世帯実らせている。
正木 議員の家族が真剣に戦っているところは、伸びている。支持者も清々しい気持ちで、スッキリと戦える。
原田 家族が戦っている議員は、議員本人も、しっかりしている。家族がダメな場合は、ほとんど例外なく議員も崩れていく。
 不思議なことだが、本当だ。それが実相だ。

愚痴を言うな

正木 それを議員の家族でありながら、戦わない。偉ぶる。支持者にも地域にも人気がない。
河西 「支持者に挨拶しない。頭を下げない」
 「学会員なのに、座談会に出ない」
 「会合に来ない」
 「たまに来ても、いかにも『来てあげた』『私は特別』という顔をしている」
 「聖教新聞をキチンと読んでない」。厳しい証言がある。
佐藤 なかには、この座談会をやり玉にあげて「なんで、私たち議員の家族にばかり厳しく言うのか」なんて愚痴をこぼしている家族もいるようだ。
山本 本当に真剣に戦っている人は、そんな愚痴は言わないよ(爆笑)。そういうのに限って、戦っていない。
金沢 戸田先生が、おっしゃった通り、権力は魔性だ。その魔性の一番近くにいるのが、議員の家族じゃないか。
原田 家族には、一番、自分を戒め、議員本人を厳しく戒めていく責任がある。
 「権力の魔性」とは、議員と家族が一体になり、一家を上げて戦え!
山本 その通りだ。
 「先生と呼ばれたからといって、調子に乗るな!」
 「ポケットに手を突っ込んだまま支持者と話をするな!」
 「偉そうな顔をするな!」
 「公用車に乗るのが当たり前と思うな!」
 家族が厳しく言ってくれたお陰で「ハッ」と気付く議員もいる。道を踏み外さないで済む。

家族も忘恩

正木 実際、おかしくなった元議員ども!
 議員が狂ったから家族も狂ったのか。それとも、その逆なのか。いずれにしろ、どいつも、こいつも、家族が狂っていたじゃないか。
山本 あの学歴詐称の竹入! 九州の大橋! 大橋の親分の藤原!
 みながみな、女房が異常だった。
正木 竹入の女房なんか、選挙中でも、選挙事務所に、ほとんど来ない。
 支持者にも、挨拶一つしない。
 派手な着物を着て、香水の匂いをプンプンさせて! みんな「嫌なやつだ、嫌なやつだ」と激怒していた。
佐藤 揚げ句の果ては、亭主の竹入の「学歴詐称」に続いて、女房本人にも下劣な「経歴詐称」が発覚した(大笑い)。
金沢 藤原のやつの女房も傲慢で、鼻つまみ者だった。
 公明党の区議が区民相談の件で、藤原の家に電話をした。すると、女房が出てあんたは何なの。うちの藤原は、あんたの秘書じゃないのよ≠ネどと頭ごなしに怒鳴りつけた。
原田 有名な話だ。あの女房のせいで、どれだけ票が減ったか!
金沢 ウチの亭主は、公明党から出なくたって選挙に勝てる。公明党から出てるのは、事務所代がタダだからだ≠ニも言い放っていた。
正木 議員の家族が、一度狂うと、どこまで狂うか。どこまで腐るか。
 後世への戒めだ。公明党議員の家族全員への戒めだ。
原田 戸田先生は、おっしゃった。
 「政治家は、死にもの狂いで働くべきだ。支援者に対しては、真心ある態度で、恩を返すべきだ」と厳然と言い残された。
正木 それにまた「議員、ならびに、その家族は、社会の模範、学会の模範の存在であれ」とも、明確に厳命していらっしゃる。
山本 議員と家族は、この戸田先生の御指導の通りに進め! 戦え!

(2007.11. 1. 聖教新聞)

 

 

<20> 中国の歴代指導者との友誼
出席者:原田会長、正木理事長、山本副理事長、金沢総東京長、佐藤男子部長、河西学生部長

感動の幹部会

佐藤 先日の第2回青年部幹部会(10月21日)に東北から参加した男子部員が感動していた。
 「来日した中国の青年リーダーたちが、心から池田先生を慕い、尊敬している。その姿を目の当たりにしました。感激です。参加できて、本当によかった!」。このように語っていた。
河西 今回の幹部会では、中国雑技団の特別公演のほか、中国青年政治学院から池田先生に名誉教授の称号が贈られましたね。
原田 この中国青年政治学院は、中国の次世代の指導者を育成する、権威ある教育機関だ。中国共産主義青年団(共青団)直轄の機関だ。
正木 その学院から今回、第1号の「名誉教授」称号が先生に贈られたわけです。
金沢 しかも、ちょうど中国では、中国の将来を決める共産党大会が開催中だった。その最中での授与式だった。どれほど、今回の式典が重視されていたか。

将来の指導者と

原田 来日した青年政治学院の倪邦文第一副院長は、帰国の途につく際、こう語っていた。
 「授与式で池田先生は私の手を握り、肩を組んで激励してくださいました。まるで先生が中国の全青年を包み込んでおられるかのような温かな慈愛を感じ、深く感激しました」と。
正木 倪氏は、また、式典に際して言われていた。
 「池田先生に名誉称号を授与させて頂けるというのは、全中国の青年の栄誉です」と感激されていた。
山本 日中に詳しい外交評論家が語っていた。
 「池田名誉会長は、中国の各世代の指導者と友好を結んできた。周恩来総理、ケ小平副総理、江沢民主席、胡錦濤主席と、4世代にわたる中国の指導者と語り合ってきた。
 4世代の指導者すべてに会った日本人は他にいない。世界でも、皆無だろう」と驚嘆していた。
正木 のみならず先生は、いま第5世代の中心者の一人と嘱望されている李克強氏とも、22年前に会われている。
原田 20年、30年も前から、日中友好の未来を遠望して、身をもって行動してこられた。どれほどの先見か。
河西 それに今回、中国雑技団の公演も素晴らしかった。
原田 今回の訪日団の首脳は、実は、これまでも池田先生と深い縁のある方々だった。
佐藤 その通りだ。井頓泉名誉団長は、池田先生との思い出を語っていた。
 「自分が大学を卒業した後、池田先生にお会いする機会があった。その時、先生は『中日友好の希望は、若者にある』『君たちに中日友好を託したい』と言われた。どれほど勇気づけられたか。その言葉に感動して、今まで、中日友好の道で頑張ってこれたのです」と述懐していた。
金沢 王秀雲団長は、ケ頴超女史(周恩来総理夫人)の通訳として、池田先生と幾度も会われている方だ。
河西 その王団長が今回、こう言われていた。
 「先生は中国の著名な指導者と会われた。その合間の多忙ななかでも『青年を、どう育成するか』『女性教育で大事なことは』と、さまざまに意見を聞いてくださった。先生が中日友好を開いてくださったことへの感謝の心で雑技団公演を続けていきたい」と。
原田 一人一人の中国の青年に対して、どれだけ先生が真心を尽くしてこられたか。日中友好のために、どれだけ青年を励ましてこられたか。
 池田先生のご尽力に、ただただ感謝申し上げるしかない。

青年部が大成長

正木 そしてまた広布第2幕の開幕を迎えて、池田先生は学会青年部の育成に一段と全力を注がれている。
 その師の万感の期待に応えようと、青年部が各地で成長している。
佐藤 9月の全国青年部幹部会の席上も、池田先生は東京・世田谷区男子部員の澤野大地さんを大激励してくださった。
原田 感動的なドラマだった。この澤野さんは、陸上の棒高跳びの日本記録保持者だ。
河西 2004年のアテネオリンピックでは決勝に進出。2006年のアジア大会では優勝している。
佐藤 だが今年の夏の世界陸上では、残念ながら予選落ちだった。
 その直後の会合で、思いもかけず、先生が激励してくださったのです。
原田 先生は「真剣に祈りなさい」「必ず勝てるよ」と、渾身の励ましを贈られた。
佐藤 まさに人生の転機の時期に、先生に励ましていただいた。澤野さんは「必ず勝ちます」と強く強く誓っている。
山本 九州でも人材が続々と育っている。
 福岡市東区の女子部副部長は、博多名物「辛子明太子」の老舗メーカーに勤務。今年になって、本店の店長に抜擢された。
 昨年は電話応対コンクールの県大会で上位入賞。会社でも社長表彰に輝いている。
正木 私も聞いています。
 かつては家族のことで悩んでいた。
 ところが、1994年の「アジア青年平和音楽祭」での池田先生との出会いを境に、一家和楽を真剣に祈り、立ち上がった。
山本 仕事に打ち込む一方で、2人の友人に折伏を立派に実らせている。
原田 これまでの苦労と努力があったからこそ、今の勝利の姿がある。
 仏典に「過去の因(いん)を知(し)らんと欲(ほっ)せば其(そ)の現在の果(か)を見よ未来の果を知らんと欲(ほっ)せば其(そ)の現在の因を見よ」とある通りだ。
正木 とにかく青年部こそが「勝利の学会」を築いていく使命がある。
 そのためにも、全員が勝利者となってもらいたい。
佐藤 地域で、社会で、断じて、信頼の旗を打ち立ててまいります!

(2007.11. 5. 聖教新聞)