< 座談会 >   新時代を勝ち開け!


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興隆するインドSGI
「友人葬」は時代の最先端
日露友好の「生き証人」も激怒
人類の教科書トインビー対談
東欧でもSGIの大潮流
正義の言論城「聖教新聞」
まず議員と家族が戦え
「塔婆で荒稼ぎ」の邪宗門
関東こそ創価の柱
選挙狙いの難癖は裁判で一蹴


 

 

<51> 興隆するインドSGI
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

正木 いよいよ本年も「後半戦」が始まった!
三井 さっそく全国の、あちらでも、こちらでも、新出発の会合、集いが、意気軒高に行われていますね。
原田 日本だけじゃない。世界中で、広宣流布の新しい前進が始まっている。
西山 その通りだ。なかでも仏教発祥の地・インド! 近年、一段と目覚ましい発展を遂げているじゃないか。
棚野 何しろインド創価学会のメンバーは、この数年で3倍以上にも拡大した。213都市に、3万5000人のスクラムを広げている。しかも、その約半数が青年という若々しさだ。
三井 それにまた、経済界、学術界、教育界など、各界で活躍する一流の人材が多士済々だとか。
原田 有名です。私も最近、思わぬ場面で実感しました。
 先月、南米ベネズエラ・ボリバル共和国の独立記念日のレセプションが東京都内で行われた。
正木 池田先生の代理として、会長が出席したんでしたね。
原田 そこでベネズエラの駐日大使の元秘書が、笑顔で話しかけてこられた。
 「先日、友人の結婚式でインドに行きました。新婦の親族は大変な名家なのですが、皆さんSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーでした」と驚いておられた。
西山 へぇーっ。

マスコミも注目

棚野 インドのマスコミも注目しているようだ。
 たとえば全国紙の「ヒンドゥスタン・タイムズ」。2003年の10大ニュースの一つに「インド創価学会の発展」を挙げていた。
 「上流階級に創価学会の題目が広まる」と大きく報じていた。
中村 さらに近年では、インドの2大新聞「タイムズ・オブ・インディア」と「ザ・ヒンドゥー」が、毎月のように池田先生の随筆や論文を掲載。テレビ局も、SGIの特集番組を幾度となく放映しています。
西山 毎回、とても反響が大きいようだね。
正木 これほどの目覚ましい発展ぶりも、その源流は、すべて池田先生の先見と行動にある。
原田 先生は1961年2月、初めてインドを訪問された。当時、メンバーは一人もいなかった。
 しかし「無数の地湧の菩薩を出現させてみせる」と移動の車中でも唱題され、祈りに祈り抜かれた。すべては、この先生の一念から始まったのです。
三井 今、先生が祈られた通りのインドになりましたね。
 日蓮大聖人が御遺命なされた「仏法西還」の夢! 池田先生の手で、とうとう現実のものになりました。
棚野 何しろインドでは、歴代の国家元首も池田先生の著作を深く学んでいる。
原田 これも有名な話だ。ナラヤナン元大統領も、先生との会見(97年10月)の折、こう語っておられた。
 「私のスピーチは、じつは池田会長の本を読んで、そこからアイデアを引き出しているのです」
 「エリザベス女王の前でスピーチしたときも、会長の著作から引用したのです」とまで語っておられた。
中村 元大統領は「池田会長は『世界にとっての教師』です」とまで讃嘆しておられますね。

世界唯一の詩人

西山 それに先生は詩人としても大変に高名です。
 たとえば、インド・チェンナイに本部を置く、世界的な詩人団体の「世界詩歌協会」。50ヵ国に愛読者をもつ、同協会の機関誌「ポエット」は1979年以来、30年にわたって池田先生の詩を表紙に掲げている。
正木 さらに先生には同協会から「世界桂冠詩人」(95年)と「世界民衆詩人」(2007年)が贈られています。ともに「第1号」です。
中村 さらにまた先生は、アメリカに本部がある「世界芸術文化アカデミー」からも、日本人初の「桂冠詩人」の称号(1981年)を受けておられますね。
棚野 この三つの称号を受章しているのは、世界でも池田先生ただお一人です。
原田 インドは「詩の大国」です。世界詩歌協会のパドマナーバン副会長が語っておられた。
 「歴代の大統領である、ベンカタラマン、シャルマ、ナラヤナン氏などと語り合うと、いつも決まって池田博士の詩が話題になります」
 「博士の詩は、思想を伝える詩であり、人間革命の詩であり、世界の幸福と平和、そして文化へと向けられた詩です。この点に、インドの指導者は皆、感銘しているのです」と力説しておられた。

創大留学の姉妹

正木 インドのSGIメンバーも、本当に皆、真剣であり、懸命だ。
 たとえば、創価大学に留学した、ナムリタ・シャルマさん、リチャ・クーラーさんの姉妹。姉のナムリタさんは一昨年、世界最高峰のロンドン大学で「教育学博士号」を取得した。
三井 そうなんです。本年9月からは、イギリスの名門ノッティンガム大学の研究員に。さらに今秋、権威ある出版社から著作を出版することも決まっています。
原田 立派だ。彼女の原点も、創価大学での、創立者・池田先生との絆にある。
三井 私も伺いました。中秋の名月の日には、先生と奥様が留学生のために、心尽くしの「お月見」を用意してくださったとか……。
原田 ナムリタさんは2001年、池田先生に手紙を送った。その中に、2050年までの目標を、自身の「七つの鐘」として綴った。2008年までの「第1の鐘」では、博士号の取得を誓っていた。
棚野 その最初の誓いを、見事に果たしたんですね。
三井 妹のリチャさんも創価大学に留学。帰国後、ヒマラヤ山脈の麓で、リンゴの大農園を経営する、ご主人と結婚しました。
正木 当初、旧習の深い町にSGIのメンバーは、彼女一人だった。しかし、何としても池田先生に応えたいと、良き市民として信頼を広げていった。
西山 そうした彼女の振る舞いにふれ、友人が次々と入会。10年後の今では、50人の同志が集う「地区」にまで発展した。
 しかもメンバーは地域の名士ばかりだ。

6度の訪印

原田 戸田先生は「インドの広宣流布は、社会の指導者との対話から開け」と遺言された。
 池田先生は、この恩師の言葉通りに、インドを6度にわたって訪問され、各界のトップリーダーと親交を結んでこられた。その行動が、今日のインドSGIの興隆となって結実したのです。
正木 仏教文化研究の世界的権威であり、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士も語っていた。
 「池田先生はインドに、さらに豊かな形で仏教を還してくださった」と心から感謝しておられた通りだ。
原田 まさしく「仏法西還」。人類史に輝く大道を切り開いてこられた。
 その弟子として、先生の大偉業に参加している我々が、どれほど幸福か。使命が大きいか。
 戦おう! 続こう! この偉大なる師の大闘争に!

(2008. 8.21. 聖教新聞)

 

 

<52> 「友人葬」は時代の最先端
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

正木 近年、社会では葬儀の在り方が問われている。自然葬や音楽葬、散骨葬、果ては宇宙葬等々、新しい葬儀の形が模索され、普及しはじめている。
原田 今や、時代は全く変わった。社会全体が賢明に、柔軟に、葬儀を考える時代になってきた。

儀典部に感謝

西山 学会の友人葬が一段と注目されているのも当然だね。
棚野 いや、その通りです。友人葬の流れが始まってから、もう20年近くになりますが、完全に社会に定着しました。
 いまでは「学会員ではないが、ぜひ自分の時も友人葬で頼みたい」という声が多く聞かれるほどです。
三井 友人葬がきっかけで入会する人もいます。山形県の婦人も3年前、はじめて参加した友人葬に感動。以来、学会への理解を深め、本年6月、家族そろって入会しました。
正木 何といっても儀典部の皆様をはじめ、葬儀に携わってくださる方々の誠実な振る舞いが光っている。
原田 いつも本当に、ありがとうございます。心から感謝申し上げます。
 池田先生も「仏の尊い仕事を執り行ってくださる儀典部の方々を、心から讃嘆申し上げたい」「偉大な『21世紀の宗教革命』を成し遂げた大功労者こそ、儀典部の皆さま方である」と最大に讃えておられます。
西山 私の友人の大学教授も驚いていた。
 「清々しい。何しろ、うさんくさい坊主がいない」(爆笑)
 「学会員の皆さんは導師まで全てボランティアでされている。日本の葬儀を、まさしく『革命』されましたね」と賞讃していた。

日顕宗の邪義

中村 だから日顕宗の坊主どもは嫉妬したんだ(笑い)。
 やれ坊主が読経しないと成仏しない≠セの地獄に堕ちる≠セの。気でも狂ったように騒いでいたな(大笑い)。
棚野 本音は「友人葬をやられたら、オレたち坊主の商売は上がったりだ」(笑い)。それだけのことだ。
正木 バカバカしい。そもそも坊主が祈らなければ成仏しない≠ネんて、釈尊も、日蓮大聖人も、ただの一言たりとも仰っていない。仏教の本義とは無縁の大邪義じゃないか。
西山 その通りだ。釈尊の時代、葬儀は在家の信徒だけで行われるのが原則だった。
 釈尊自身の葬儀も、在家信徒によって執り行われた。これが歴史の事実だ。
三井 大聖人御自身が信徒の葬儀を行われた記録も一切ありません。御書にだって一ヵ所もありませんよ。
棚野 これが仏法本来の葬儀の姿だ。学会の友人葬こそ、釈尊の教えにも、大聖人のお心にもかなう葬儀の在り方だ。
原田 葬儀は形式ではない。根本は、どこまでも故人を悼む真心です。
 その意味からも、学会の幹部として、同志として、友人葬に参列する場合は、基本的に香典は必要ない。この点、よく学会本部に個々で質問いただくことですが、改めて確認しておきたい。
西山 もちろん、地域性や遺族の事情、意向など一概に言えない面もあるでしょう。しかし今や社会的にも、儀礼的な香典は必要ない、辞退するというケースが増えている。
三井 「友人葬に香典は必要ない」。これは時代の流れにも即した原則ですね。
正木 もちろん、その場合は、内輪の、いわゆる精進落とし≠フ席などは遠慮すべきでしょう。
 「香典は持って行かない。ご馳走にはなる」では……。どこまでも良識、常識で判断したいものです。
原田 とにかく「真心の題目」こそ故人への「最高の供養」「最高の香典」です。これが学会の精神です。
西山 その通りです。日蓮大聖人は厳然と仰せです。
 「法華経を信じまいらせし大善(だいぜん)()()(ほとけ)になるのみならず父母(ふぼ)(ほとけ)になり(たま)う、(かみ)七代・(しも)七代・上無量生(かみむりょうしょう)下無量生(しもむりょうしょう)父母(ふぼ)(たち)存外(ぞんがい)に仏となり(たま)う」
 「南無妙法蓮華経と(とな)(たてまつ)る時・題目の(ひかり)無間(むけん)(いた)りて即身成仏(そくしんじょうぶつ)せしむ、廻向(えこう)(もん)()れより(こと)(おこ)るなり」等と繰り返し示されている。
正木 この「葬儀と香典」の問題については、実際はケースバイケースでしょう。細かくは、よく幹部とも相談していただきたい。
原田 そのうえで学会の友人葬が定着するなかで「大切なのは故人を思う真心である。友人葬に香典は必要ない」という流れが根づいてきた。これは、まぎれもない事実です。
 この原則を、学会として改めて確認し、一段と強めていきたいということです。

「メール」の問題

棚野 ところで男子部員から、こういう声がありました。
 「学会員同士で、パソコンや携帯電話のメールを使って、情報をやり取りすることがある。ところが時々、自分の知らない人からのメールが『転送』されてくる。なかには学会の指導∞学会幹部が内々で語った話≠ニいったものもある。そういった情報は安易に信用していいのでしょうか」とあった。
正木 私も同じことを聞かれたことがある。結論からいえば、どこまでも学会は、聖教新聞をはじめ、機関紙誌に掲載された指導が根本です。
 「いつ」「どこで」「誰が」がハッキリしない。出どころも、内容も、正確かどうか分からない。そういう情報は、混乱のもとになるだけだ。信用しないことです。
中村 その通りですね。メールは、自分が受け取った情報を、簡単に他人に転送できる。その便利さがアダになって、思わぬ問題が起きることがある。
三井 今や社会でもメールをめぐるトラブルが絶えませんね。
棚野 たとえば、知らない人へ次から次へと転送される「チェーンメール」。いわゆる「不幸の手紙」のようなものだが、これが大問題になっている。
西山 そうなんだ。大阪でも昨年秋、主婦の間で悪質なチェーンメールが広まって、大騒ぎになった。
 「幼児を狙った暴力事件が発生したから、このメールを友達のママに回してください」と煽る事件が起こった。
中村 それに、国会を大混乱に陥れた「偽メール事件」というのもあったな(爆笑)。
棚野 怪しげな情報を鵜呑みにし、踊らされたら大変なことになる。その実例だ。

鋭く、賢明に!

原田 とにかく、情報氾濫の社会だ。情報は賢く、鋭く見極めていくことだ。
正木 だいたい、どこかに特別な指導がある、内々の教えがあるなんて騒ぎ立てること自体、根本の信心が狂っている証拠だ。
中村 坊主は信徒が知らない秘伝、秘法を知っている≠ネんて大ウソをついていた、日顕宗の連中と一緒だよ(大笑い)。
西山 ましてや、出所不明の情報を、無責任に不特定多数に流すなど言語道断だ。
棚野 そういう連中に限って、軽率。おっちょこちょい。我見。大物気取り。目立とう根性。親分子分。学会の指導を真剣に聞けない。聞こうとしない。
原田 そんな情報に振り回されたら、結局は自分が損をするだけだ。踊らされては絶対にならない。

(2008. 8.25. 聖教新聞)

 

 

<53> 日露友好の「生き証人」も激怒
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

三井 「大三国志展」が各地で大反響を呼んでいますね。
 先月まで開催された、東京富士美術館(八王子市)には2ヵ月余りで、実に30万人が来館しました。
正木 与野党の大物政治家も訪れた。展示品を見ながら、感嘆の声を連発していた。
 「これほど中国の国宝が展示されているとは、すごい! 池田名誉会長が創立された美術館にしかできないことでしょう」と驚嘆していた。

国宝≠ェズラリ

西山 同展には、日本の国宝級に相当する、中国の「国家一級文物」が50点以上も展示されている。
 中国の文化人も「これほど数多くの国家一級文物が公開されるのは、国内でも稀です」(河南省文物管理局の李玉東副局長)と断言するほどの内容です。
原田 はるばる東北から来館された市長もいた。こう語っておられたそうだ。
 「実は、私は学生時代、中国について深く研究しました。なぜ、日中国交正常化(1972年)が実現したのか。探っていくと、池田名誉会長の『国交正常化提言』に、たどり着いたのです。
 以来、名誉会長の世界的な御活躍には大いに注目しています」と話しておられた。
正木 そういえば、同展に素晴らしい作品を出展された、絵巻作家の正子公也さん。先日、聖教新聞の対談で秘話≠語っておられましたね。
三井 池田先生と奥様が「大三国志展」を観賞されたときのことですね。
 正子さんの「赤壁」の戦いの絵の前で、奥様が「岩までも、獅子が吼えているようですね」と語られました。
正木 それを伝え聞いて、正子さんはビックリ。実は、作品の岩の部分には隠し絵≠ニして、実際に獅子が吼えるところを描いておられたそうです。
 「パッと見て、作品の奥に描いた心≠見てくださったようで、とても感動しました」と語っておられました。

固い信頼の証し

中村 「大三国志展」は、我が北海道・旭川市でも開催された(先月23日から今月24日まで)。1ヵ月間で約12万人の方々が訪れました。
三井 連日、大盛況だったようですね。
中村 会場となった、北海道立旭川美術館の金丸浩一館長も感激しておられた。
 「中国の文化機関が極めて貴重な文物を出品したことは、中国と東京富士美術館、なかでも日中友好に尽力してこられた池田名誉会長との、固い信頼関係があったればこそと思います」
 「名誉会長の先見性、理想、信念、行動、そして実現力に、深く敬意を表します」と賞讃しておられた。
西山 同展は今後、関西(神戸)、九州(福岡)、四国(高松)、中部(名古屋)、関東(前橋)に巡回していく。各地では、早くも期待が高まっているようだね。
原田 本年は、池田先生の歴史的な「日中国交正常化提言」(1968年9月)から40周年。同展は、先生が長年にわたって両国の間に築いてこられた友情と信頼の象徴だ。
 日中の識者が異口同音に讃えている通りだ。
棚野 中国・華中師範大学の章開?(しょうかいげん)元学長も明言しておられた。
 「池田先生が、劣悪な環境において、勇敢に中日国交正常化を提言されるだけでなく、数十年一日の如くして、数知れぬ友好交流の事業を推進してこられた事実に、深い敬意を表さずにはいられません」と真情を語っておられた。
中村 章元学長は「40年前に踏み出された、池田先生の勇気ある一歩によって、時代は音を立てて変わっていったのです」とも証言しておられますね。
正木 中国だけではない。先生は、世界のあらゆる国に対して、大誠実で民間外交の大道を貫いてこられた。
 各界の指導者と、何世代にもわたって不動の信頼を築いてこられた。

「唯一の日本人」

西山 たとえばロシア。旧ソ連の時代から先生は74年9月の初訪ソ以来、コスイギン首相、チーホノフ首相、ルイシコフ首相等と会談を重ねてこられた。
原田 どれほど先見の行動だったか。
 元ソ連共産党中央委員会国際部副部長のコワレンコ氏が「3人の歴代首相と対話を行った日本人はいない」と明言している通りだ。
三井 さらに先生は、ゴルバチョフ元大統領とは9度にもわたって、信義の語らいを続けておられますね。
中村 それを、先生の偉大な民間外交に嫉妬して、ウソ八百のデマを流す連中も出たっけな。
棚野 まったくバカバカしい。ゴルバチョフ氏との会見にも金で♂]々と、下劣千万な作り話を書いたデマ雑誌があった。
正木 もっとも、あとで編集幹部が謝罪したが(笑い)。
西山 私の知る関西の財界人も呆れ果てていた。
 「バカ丸出しだ。だいたい、ロシア側の当事者にも、学会側にも、まともに取材した形跡が一つもないじゃないか。あんなインチキな記事はない」と激怒していた。

幼稚な島国根性

原田 そもそもロシア側の当事者は皆、この種の愚劣なデマに猛反発し、明確に否定している。
 先日も、ノーボスチ通信社の元東京支局長のドナエフ氏が月刊誌「潮」(9月号)に寄稿していたじゃないか。
棚野 ドナエフ氏といえば、初訪ソから一貫して、池田先生とソ連、ロシアの首脳らの会談を目の当たりにしてきた、歴史の「生き証人」だ。
 先生とゴルバチョフ氏との会見にも同席されている。
原田 そのドナエフ氏が90年当時、日本の雑誌を見て金で♂]々のデマを目にした。その時の記憶を、こう綴っておられた。
 「記事を読み始めた私は、すんでのところで憤りに息が止まりそうになった」と怒りをあらわにしていた。
三井 氏は「ウソと中傷によって人間の尊厳を貶めようとする」ものだとも厳しく糾弾していましたね。
棚野 そもそも当のゴルバチョフ氏本人が大激怒し、そのような事実は一切ないと明確に否定していることだ。
中村 その後、デマを流した当人たちも謝罪した。雑誌社の編集幹部が「申し訳ございませんでした」と明確に謝った。
西山 当然だ。この種の悪辣なデマは、国際問題にもなりかねない。ゴルバチョフ氏に対しても、ロシアに対しても、失礼千万だ。
棚野 そんなことも分からない。要するに「子ども」。だから「島国根性」と世界から笑われるんだよ(大笑い)。
正木 とにかく、どれほど池田先生が日本のため、世界平和のために、偉大な功績を残してこられたか。
 その正義と真実を後世に語り伝えていくことこそ、われわれ弟子の使命だ。
原田 「(ちから)あらば一文一句(いちもんいっく)なりともかたらせ(たま)うべし」だ。いよいよ後半戦だ。破邪顕正の言論戦の「戦闘開始」だ。

(2008. 8.28. 聖教新聞)

 

 

<54> 人類の教科書トインビー対談
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

三井 本年は、池田先生とイギリスの大歴史家トインビー博士との対談が完結してから35周年ですね。
棚野 お二人の対談は1972年5月、ロンドンの博士の自宅で始まった。翌年5月の語らいと合わせ、のべ10日間、40時間にもわたって人類の未来を展望し、縦横に語り合われた。

大学者の驚き

原田 対談の淵源は、その数年前にさかのぼる。トインビー博士は67年11月、日本を訪問し、約1ヵ月間、滞在した。
 その間、出会った多くの人々から創価学会について話を聞いたのです。
中村 当時は、池田先生が第3代会長に就任されて、ちょうど7年。学会は600万世帯を超え、旭日の大発展を遂げていた。
正木 実はトインビー博士は、1929年と56年にも来日しておられた。その時は、学会の名前を耳にすることは、ほとんどなかったようだ。
棚野 ところが11年後、三度訪れた日本は、宗教事情が一変していた。このことに博士は大変に驚かれたようだ。
原田 博士は大学者らしく、英語版の学会の出版物などを読み、深く研究された。
 そのうちに、池田先生の思想と実践に、強い関心をいだくようになった。
西山 そして69年9月、博士は先生に手紙を送った。
 「あなたをロンドンにご招待し、私たち二人で、現在、人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します」と要請されたのです。
中村 先生と博士の語らいは対談集『21世紀への対話』として結実しました。
 今日では、実に世界の27言語に翻訳、出版されている。文字通り世界的な大ベストセラーです。

温家宝総理も

正木 この「トインビー対談」は各国の国家元首をはじめ、世界のトップリーダーに広く読まれている。
原田 たとえば、中国の温家宝総理。昨年4月に来日し、池田先生と再会された。
 その折も「トインビー対談」が話題になった。
 温総理は「世界の調和の道を示す書です」と感動を自著にしたため、先生に贈呈されました。
三井 モンゴルのエンフバヤル大統領も深く愛読されている一人です。
 池田先生とは4度にわたって会談されましたが、その折に「道に迷った時には、この対談集を開き、前進の糧としてきました」。こう述懐しておられましたね。
西山 そのほかにも、チリのエイルウィン元大統領、アメリカのキッシンジャー博士、インドネシアのワヒド元大統領、ブラジルのカルドーゾ元大統領、トルコのデミレル元大統領など、各国の大政治家が「座右の書」としている。
正木 世界の大学者や大作家も、深く学んでいる。
 中国の大文豪・金庸氏も、その一人です。氏は1970年代に「トインビー対談」に出会った。一読して「二人の該博な知識、人類社会の行く末を思う広い心に、深く感動してやまなかった」そうです。
原田 金庸氏は、その時から「池田先生を生涯の友としたい」と強く願っていた。
 そして95年11月、念願がかない、香港の氏の自邸で先生と初めて会談。氏は開口一番、満面の笑みで「トインビー対談」の感想を語られました。

千年を貫く真理

三井 先生とトインビー博士との対談は、まさしく時が経つほど、叡知の光を増し続けていますね。
棚野 中国作家協会の孫立川博士は、こう語っておられた。
 「(トインビー対談は)新たな千年≠貫く真理が、ちりばめられています。いつの時代にあっても普遍な、人類が立ち返るべき原点が記されているのです。人類の教科書とも言える一書です」と断言していた。
中村 モスクワ大学のサドーヴニチィ総長も「トインビー対談は、すでに高い評価の定まった『古典』に入った」と最大に評価しておられます。
西山 2005年10月には、中国の北京大学で「トインビー対談」をテーマに、国際学術シンポジウムが開催された。
 11大学から47人の研究者が盛大に集い、人類の未来を展望し、活発に討議した。
正木 まさしく人類史に輝く「不滅の大著」になった。誰よりもトインビー博士ご本人が喜んでおられるでしょうね。
原田 トインビー博士は対談を終えた後、池田先生に1枚のメモを託された。
 そこには、7人の世界最高峰の知性の名前が記されていた。
三井 ローマクラブ創立者のペッチェイ博士、アメリカの医学・微生物学者デュボス博士、ドイツの教育学者デルボラフ博士などですね。
原田 博士は「可能であれば、この方たちとも、ぜひ対話を」と願われた。
 池田先生に「あなたが、世界に対話の旋風を巻き起こしていくことを、私は、強く念願しています」と熱く託されたのです。
西山 この博士の熱願に、先生は全身全霊で応え抜かれた。全世界を揺り動かす「対話の大旋風」を起こされた。

60以上の対談集

中村 今日までに、先生が対話された国内外の識者は、実に「7000人」を超える。
三井 さらに「対談集」も、現在進行中のものも含め60以上にものぼりますね。
棚野 こうした対談集をはじめ、先生の御著作は、40言語に翻訳され、世界中で読まれている。
正木 この一事だけでも、どれほどの偉業か。
 あの「源氏物語」でさえ、正式な翻訳は20言語に満たないと言われるほどなのに……。
西山 関西の署名なマスコミ人も驚嘆していた。
 「まず間違いなく、40言語への翻訳は『日本一』です。同じ日本人として誇りに思います」と強調しておられた。
原田 先生が積み重ねてこられた一回一回の対話は、今や世界を結ぶ大潮流となっている。
 この秋、われわれも偉大な師匠とともに、対話の大波を巻き起こそうではないか! 「一波が万波を呼ぶ」ごとく!

(2008. 9. 1. 聖教新聞)

 

 

<55> 東欧でもSGIの大潮流
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

棚野 本年も「SGI(創価学会インタナショナル)青年研修会」がスタートした(今月2日)。
 今回は60ヵ国・地域から求道の青年たちが、はるばる来日しましたね。
原田 本年で21回目を迎える。伝統の研修会だ。
 毎年、世界の若きリーダーが池田先生を求めて集い、世界広宣流布の未来を語り合い、真剣な研鑚を重ねている。
三井 欧米、アジアをはじめ、遠くアフリカの国々からも、こぞって参加していますね。
正木 それにまた近年は、東欧諸国のメンバーも集い来るようになった。
中村 まさに世界中からですね!
原田 東欧諸国でも旧ソ連の崩壊後、SGIの友が、一人また一人と誕生していった。
 今日では、バルカン半島を含め、約10ヵ国の国々で座談会が開催されるまでに発展している。
三井 ポーランドの首都ワルシャワでは、婦人部長のマリア・マルケビッチさんのお宅が座談会の会場になっています。
 実は、すぐ近くには科学者キュリー夫人の生家があります。そうした歴史と文化の薫る地でも今、SGIメンバーの希望と幸福の語らいが弾んでいます。
西山 ポーランドでは早くから、各界のリーダーが池田先生の思想と哲学を深く学んでいる。
 1999年には、先生の「トインビー対談」のポーランド語版が出版。以来、国立ヴロツワフ大学をはじめ、最高学府の数多くの教授や学生が、先生の著作を研究している。
棚野 さらに先生は94年12月、来日した、ポーランドのワレサ大統領(当時)とも会談。両国の文化・教育交流などをめぐって、意義深く語り合われましたね。

月氏の先まで

正木 池田先生の「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」「死身弘法(ししんぐほう)」の大闘争によって、今や日蓮大聖人の仏法は東欧の国々にまで広まっている。
 これほどまでの世界広宣流布の進展を、いったい誰が予想できたか……。
西山 誰人も想像すらもできなかっただろう。大聖人の「仏法西還」の御予言も「仏法の月氏へかへる」と、示されたのは今のインドのことだった。
 先生は、インドはおろか、その先の先、まさに「月氏の果てまで」仏法を弘められた。大聖人が、どれほどお喜びになり、讃えておられることか。
原田 今日の東欧広布の広がりも、源流は池田先生の先見の行動にある。
 先生は、早くも1964年10月、海外指導の折、東欧のチェコ(当時チェコスロバキア)、ハンガリーの両国を訪問された。
正木 18日間で、東南アジア、中東、ヨーロッパの10ヵ国を巡る強行スケジュールのなかで、訪問された。
 この時、先生は「社会主義国への第一歩」をしるされた。本年で45年目を迎えます。
西山 もちろん東欧に、メンバーは一人もいなかった。それどころか、日本との交流自体が、ほとんどなかった。ハンガリーでは、大使館員を含めても日本人は数人しかいなかったというほどだ。
中村 そんな時代に、先生はあえて訪問されたのですね。
原田 常人には思いも寄らないことだ。
 しかし、池田先生は「東欧の国々にも、必ず大聖人の仏法が流布する時が来る」と、はるか未来を展望しておられた。
 また「社会主義の理想も、仏法の哲理を根底にしたとき、生きてくる」と深く確信しておられたのです。
正木 この訪問で、先生は社会主義国での人々の暮らしぶりを、つぶさに観察された。
 ハンガリーの首都ブダペストでは、街の庶民の中に飛び込んで語り合ったり、一緒に写真を撮られたり……。
西山 私も当時、同行した幹部に聞いた。先生は「こうした国と早く友好を結んで、幸福と繁栄に貢献してあげたい」と強く強く願っておられたと。

恩師の叫び

正木 ハンガリーといえば、1956年秋の動乱によって、多くの民衆が犠牲になった。それからは「笑顔が消えた国」と言われていた。
原田 当時、戸田先生は深く心を痛めておられた。
 「一日も早く、地上から、かかる悲惨事のないような世界をつくりたいと念願する」「民主主義にもせよ、共産主義にもせよ、相争うために考えられたものではない」と烈々と訴えられた。
三井 その恩師の叫びに応えるために、池田先生は、いち早く東欧を訪問されたのですね。
西山 そして池田先生によって、東欧諸国との友好の絆が幾重にも結ばれてきた。

ブルガリアでも

棚野 たとえば、先生が81年5月に訪問されたブルガリア。
 同国最高峰のソフィア大学と創価大学は84年に学術交流協定を締結。今日までに両大学を合わせて50人以上もの留学生が派遣されています。
正木 今、ブルガリアでは、創大留学生の多くが日本語の翻訳や通訳の現場で活躍している。
 流暢な日本語に「どこで学んだのか」とビックリされる。すると皆「創価大学です!」と胸を張るというね。
中村 池田先生は、ソフィア大学から名誉博士号を受章(81年5月)。さらに94年には、ブルガリア国家から外国人への最高勲章である「マガラの騎士第1等勲章」も受章されています。
原田 また、先生は90年11月、民主ブルガリアの初代大統領として来日したジェレフ氏とも、聖教新聞社(東京・信濃町)で会談。
 ブルガリアの未来を展望し、長時間にわたって親しく語り合われた。
棚野 それにまた東欧の大国・ウクライナ。昨年秋には、先生の「自然との対話」写真展が首都キエフで2度目の開催。大反響を呼びました。
三井 同国の名門大学も相次いで顕彰していますね。
 先生は、キエフ国立貿易経済大学(2002年11月)、ウクライナ国立キエフ工科大学(06年4月)から、それぞれ「名誉博士号」を受章されています。
中村 さらに先生は現在、国立キエフ工科大学のズグロフスキー総長と月刊誌「灯台」で対談も連載しておられます。
 総長は著名な科学者。教育大臣も務めた、東欧を代表する知性のリーダーです。
棚野 その総長が、ウクライナの新聞に掲載された、池田先生へのインタビュー記事に出あい、衝撃を受けた。
 こう語っています。
 「感動し、何回も読み返しました。その後、池田会長が世界の著名な学者、哲学者と綴られた対談集を、心惹かれる思いで読ませていただきました」
 「私は、池田会長の中に新しい人生の師匠を見出だし、それを何よりも誇りに思います」と述懐しておられた。
西山 半世紀近くもの間、社会主義国家だった東欧の国々でも、今、これほどまでに創価の思想が求められている。
原田 これが、池田先生が決然と開いてくださった「広布第2幕」の新時代だ。
 先生によって「一閻浮提(いちえんぶだい)に広宣流布」の御聖訓も、完璧に実現されたのです。

(2008. 9. 3. 聖教新聞)

 

 

<56> 正義の言論城「聖教新聞」
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

紙面が刷新

棚野 最近、聖教新聞に寄せられる読者の声が一段と多くなっていますね。
西山 聖教は、この7月から、文字が大きくなった。カラーのページも増えた。
 そうした「紙面の刷新」に対する、喜びの声が多いようだ。
三井 婦人部の間でも、とても好評です。「今まで以上に、パッと明るくなった」「レイアウトも工夫されている。さらに読みやすくなって嬉しい」と、私もよく聞きます。
中村 さらに聖教新聞社の「新社歌」も誕生しました。まさしく聖教新聞の新時代≠フ息吹を感じます。
正木 もちろん単純に「新しくなったから、いい」というのではない(笑い)。
 新聞の生命線は「中身」だ。紙面の充実だ。

名誉会長の激励

原田 その陣頭に立ち、連日連夜、ペンを振るい続けてくださっているのが、池田先生です。
 とくにこの夏は、スピーチ、小説、贈言、和歌などを、連日にわたって、掲載してくださった。
西山 さらに「わが大切な同志に この言葉を贈る」などの新連載!
 どれほど「勇気」と「希望」を社会に贈ってくださっているか、はかりしれません。
正木 本当に、その通りだ。つい先日も、静岡県の婦人から、聖教新聞社に電話があった。
 この方は学会員ではないが、落ち込んでいた時、先生の和歌を聖教で読み、心から励まされたそうです。
三井 私も伺いました。それ以来、自ら進んで購読。感動した記事は切り抜いておられるそうです。
 「購読料の集金に来られる方も、とても感じがいい。これからも皆さんと一緒に成長していきたい」と明るく語っておられたという話です。
西山 私も、よく学生時代の友人から言われる。
 「聖教新聞は中身もいいが、配達員の方々が実に素晴らしい。あいさつ、笑顔、振る舞いが、とてもさわやかだ」と。みなが称えています。
原田 本当に尊い。心から感謝申し上げます。池田先生は、常々語っておられる。
 「聖教新聞を支え、守ってくださっているのは、全国の配達員の皆様、そして販売店、新聞長、通信員の方々をはじめ、尊き全同志である」と最敬礼しておられます。
正木 雨の日などは、先生は早朝から、販売店、配達員の皆様を気づかってくださる。
 「本当に、ありがとうございます。くれぐれも事故などのないように」「風邪をひかれないように」と御伝言なさることも、度々です。
西山 我々も、聖教を支えてくださる同志の健康、無事故を真剣に祈ろう。
 また、感謝の思いを、率先の行動で示そうではないか。
原田 その通りだ。この夏、先生は繰り返し「幹部率先」の精神を教えてくださった。
 「根本は、最高幹部の皆さんが、率先して行動することだ。
 自分は楽をして皆にうまくやらせよう――そんな気持ちが毛筋ほどでもあるならば、戦いは敗北だ」と厳しく指導された。
 学会精神の拡大も、幹部が先頭に立って挑戦しよう!

壮年部が奮闘

三井 聖教の購読推進といえば、この夏、全国で壮年部の皆さんが奮闘してくださいましたね。
正木 ありがとうございます。普段は断然、婦人部の皆様にお世話になっていますが、頑張りました(笑い)。
 各地で「8・24」の佳節を目指して「聖教10勇士」を合言葉に大前進した。
棚野 聖教新聞の購読を推進する壮年部員を、地区に10人以上、育てようという取り組みですね。
原田 なかでも、第3宮城総県が凄かった。なんと全ての地区で「10勇士」を達成した。なかには「22勇士」という地区まであった(拍手)。
正木 聖教拡大の取り組みとともに、座談会でも、壮年の姿が目立つようになった。参加率が実に8割を超える地区も、各地に誕生しているとか。
西山 大事な教訓だ。聖教の拡大に挑戦すれば、人材も拡大する。その実例だね。
三井 それに何といっても、壮年が立ち上がれば、婦人部も、青年部も心強い(笑い)。
 各部が思う存分、力を発揮できます。
原田 ところで、聖教新聞には、各界の識者からも、共感の声が数多く寄せられている。
 兵庫教育大学の梶田叡一学長は、30年以上の愛読者です。こう語っておられた。
 「どうしても一般紙やテレビなどのマスコミは、社会で起っている事件の表面をなぞっているだけのように思えます。
 しかし、聖教新聞は、現象的な出来事から、人間とは、人生とは、といった問題の本質まで切り込まれている。そこには、日蓮仏法、大乗仏教の深い哲学があります」と高く評価しておられた。
棚野 岐阜女子大学の堀幹夫学長は、聖教を3度熟読するそうです。
 @毎朝、感動した記事に印をつけながら読むAその記事を夜、切り抜き、ノートに張り付けるBさらに必要な時に読み返す。
 「池田名誉会長は、一流の知性と幅広い分野を縦横無尽に語り合い、世界に貢献しておられます。その人間主義の魂が聖教新聞には脈動しています」
 「聖教新聞は『人生の教科書』であると実感します」と強調しておられた。

勝つための新聞

中村 それにまた、プロ野球界のエース・岩隈久志投手。こう力説していた。
 「聖教新聞ほど、勝つことの大切さを訴える新聞は、ないのではないでしょうか。紙面からは、いつも『勝て!』という声が聞こえてくるようです。
 勝負する人間を真剣に励まし、勝つために、自分が変わることの大切さを教えてくれます」と率直に語っていた。
西山 岩隈投手といえば、今期、セ・パ両リーグを通じて断然トップの「17勝」をあげている。
 その大投手が「勝つこと」を、聖教から学んでいる。
三井 これも、ほかの新聞にはない特色ですね!
原田 そして聖教は、何といっても「破邪顕正(はじゃけんせい)」の正義の言論紙だ。この座談会でも、日蓮大聖人の仏法に照らして、あらゆる邪悪を痛烈に責め抜き、打ち砕いてきた。
 そうした論調にも、共感が広がっている。
棚野 先日、新入会の男子部員が会合で語っていた。
 「入会する前、聖教新聞を読んで驚いた。文章に迫力がある。強い信念がある。正義を愛する情熱がある。そのパワーに、ぐいぐい引かれて読みはじめました」と熱弁していた。
三井 千葉県の婦人部員も語っていました。
 「聖教を読むようになって、はじめて『正義は悪と戦ってこそ正義』だと分かった」と深く納得していました。
原田 戸田先生は「信なき言論は煙のごとし」と喝破された。
 我々は聖教を手に、この秋、いよいよ正義の言論を全国に展開しようではないか!

(2008. 9. 5. 聖教新聞)

 

 

<57> まず議員と家族が戦え
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

中村 福田首相が辞任を表明した。今月22日には、自民党の総裁選が行われる。
棚野 マスコミは連日、大騒ぎだ。
 さっそく「次の首相は誰か」とか「衆議院の解散・総選挙は」などと、さかんに政局を論じている。

「生活」が最重要

正木 誰が何を言おうと自由だ。世間の関心も高い。だが、庶民にとって最重要の関心事は「生活」だ。
西山 その通りだ。とにかく今、国民の生活は厳しい。政治が取り組むべき課題は山積している。
原田 生活、健康、環境……。今こそ「国民本位」の政治が求められている。
 我々が支援する公明党こそが生活者の視点≠ナ、国政をリードしてもらいたい。そのために我々は支援しているんだ。
三井 そうですね。それが支持者の切実な願いです。
棚野 その公明党が今、最も力を入れて訴えているのが「緊急経済対策」だ。
 大きな柱は三つ。急激な物価高などから、国民の生活を守るのが目的だ。
中村 まず@所得にかかわらず一定の金額を納税額から差し引く「定額減税」。
 これは全国民を対象に、所得の低い人が、より助かるように家計を支援するものだ。
棚野 次にA年金や生活保護費に「物価上昇分を上乗せ支給」。これは、お年寄りや低所得者を守る政策だ。
中村 そしてB中小企業のために「保証・貸付制度」を、さらに拡充。原材料費の高騰などから中小企業を守るのが目的だ。
三井 こういう政策を打ち出すと、決まって「ばらまきだ」という声がありますね(笑い)。

ムダ遣いを排除

西山 いや、私のよく知っている経済記者が言っていた。
 「税金のムダ遣いを減らさずに、歳出をどんどん増やすのが『ばらまき』だ。公明党の政策は違う」と。
中村 だいたい、公明党は一貫して税金のムダ遣いを叩き出してきたじゃないか。
棚野 その通りだ。専修大学の藤本一美教授が語っていた。
 「(公明党は)特殊法人の廃止・統合、公共事業費の削減、永年国会議員の特典廃止など、一貫して税金のムダ遣い排除に取り組み、その姿勢は働く国民の政党として高く評価されてよい」と強調していた。
正木 それにまた、最近の世論調査を見ても、公明党の政策は有権者に広く支持されている。
 「日本経済新聞」(今月1日付)の調査でも「最も望ましい経済政策」の1位は「低・中所得者向けの定額減税」(36%)。次いで「原油高に苦しむ中小企業対策」(32%)だった。
中村 また、この調査では「定額減税」について「評価する」と答えた人が61%にものぼった。
西山 民主党の支持層でも58%が賛成だよ(笑い)。
原田 とにかく、与党も、野党も「国民のために」働くことだ。この一点を、政治家は絶対に忘れてはならない。
三井 「国民のための政治」――これは、公明党が結党以来、一貫して訴え、国会でも、地方議会でも、実践してきたことですね。
原田 最近は、これがようやく、社会の常識、政界の常識になってきたじゃないか。
正木 私の知る財界人も語っていた。
 「ずっと昔から、公明党と支持者の皆さんが訴えてきた政治の在り方に、やっと日本も近づきはじめましたね。これぞ真の政治改革だ」と喜んでいた。

「支持者が立派」

西山 先日、関西の他党の議員も語っていた。
 「公明党は、何と言っても支持者が立派だ。いつも真剣で一生懸命。正々堂々としている」と称えていた。
棚野 このように語る、政治家もいた。
 「公明党の支持者は、いつも丹念で、きちっとした支援活動をされる。我々から見ても実にうらやましい。
 公明党が、どんな厳しい政治状況でも、票を獲得できるのは、要するに支持者がぶれないからだ」と高く評価していた。
中村 同様の声を、あっちでも、こっちでも、聞くね。
原田 公明の議員は奮闘するべきだ。まず議員と家族からだ。先頭に立って戦え!
 今こそ、支持者の期待に全身全霊で応えてもらいたい。
正木 そういえば、先日の「公明新聞」に、町議会議員の声が載っていた。
 公明党の町議がいない隣町に、国会議員を呼んで国政報告会を開催。
 「こぎゃん遠か所に初めて国会議員が来なはった」と話題になったそうだ。
棚野 僕も読んだ。報告会は大成功で、党への理解が大いに深まったという。それだけに、こう要望していた。
 「(国会議員が)まだ訪れたことのない地域もあるのではないか」「地域住民の切実な声に、もっと耳を傾けてもらいたい。国会議員が動けば、地方議員の何倍もの党勢拡大ができるはずだ」と主張していた。

気迫で勝て!

正木 一方で、こんな声もあった。支持者の集いでの、議員の話についてだ。
 「(集会は)盛況だったが、党の政策、対応を自信なさそうに説明している姿は残念だった」
 「議員は気迫で勝負してもらいたい」と強く訴えていた。
西山 関西でも同様の声を聞くことがある。
 議員の演説に対して「声が小さくて、弱々しい」「何を話しても、言い訳のように聞こえる」「原稿の棒読みのようで、まったく胸を打たない」等々、手厳しい(笑い)。
正木 ありがたい声じゃないか。
 支持者は皆、議員に「立派に戦ってもらいたい」「大政治家に大成してもらいたい」と真剣に願っている。
原田 戸田先生は議員に、それは、それは厳しかった。
 政治家は真剣に国の将来を考えるべきだ。親身になって、国民の幸福を考えるべきだ。
 政治家ならば、国と国民のために生命をかける政治家として戦い抜け!≠ニ厳愛の指導をされていた。
西山 これが、われわれ支持者の声だ。公明よ、今こそ「立党の精神」で戦え!

(2008. 9.11. 聖教新聞)

 

 

<58> 「塔婆で荒稼ぎ」の邪宗門
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、中村北海道男子部長

三井 先日、この座談会で「友人葬」について語り合いました。
 さっそく、読者から賛同の声が数多く寄せられましたね。
正木 私も静岡県の壮年の意見を伺った。
 「真心の題目こそ最高の香典。友人葬に香典は必要ない――大賛成です。大事なことだから、会合でも幹部から改めて呼びかけてもらいたい」と言っておられた。

「彼岸」の意味

原田 もうすぐ、秋の「彼岸」を迎える。本年も、全国の学会の会館、墓地公園・納骨堂などで「秋季彼岸勤行法要」が行われる予定だ。
西山 この学会の彼岸法要も、すっかり社会に定着した。回を重ねるごとに、各地で参加者が増えている。
三井 法要は友人葬と同じく、儀典部の皆様をはじめ、学会の同志によって執り行われます。どの会館でも「厳粛で、すがすがしい。真心にあふれている」と好評です。
中村 学会員ではない家族や親族、友人も多数参加されますね。
 北海道でも「故人の追善供養のために、皆さんで心から祈ってくれるのが嬉しい。これからも、ずっと参加したい」と喜ばれています。
棚野 「彼岸」といえば、先日、若い男子部員から質問された。
 「一般にお彼岸≠ノなると、墓参りをするイメージだが、日蓮大聖人は、どう仰せだったのでしょうか」と聞かれた。
正木 大事な質問だ。大聖人は「彼岸には、墓参りをしなさい」とか「特別に先祖を供養しなさい」などとは一言も仰っていない。釈尊の教えにも一切ない。
西山 その通りだ。彼岸に、墓参りをしたり、追善供養をするのは、江戸時代から定着した、日本独特の風習です。仏教本来の伝統では、まったくない。

「毎日が彼岸」

原田 そもそも、仏教で説く「彼岸」とは、本来は「悟りの境涯」のことだ。また、そこに至る「修行」や「実践」を意味する。
 ゆえに日々、自他共の成仏のために、仏道修行に励む、我々にとっては「毎日が彼岸」「常に彼岸」です。
三井 先祖の供養にしても、私たちは朝晩の勤行で毎日、真剣に祈念していますものね。
 そうして、自分が実践した仏道修行の功徳を、故人に回し向ける――これが「追善回向(えこう)」の本義です。
正木 その通りです。大聖人の時代、曾谷教信(そやきょうしん)という門下がいた。亡き父の回向のために、毎朝、自我偈(じがげ)読誦(どくじゅ)していた。
 それを聞かれた大聖人は「これこそ真実の孝養(こうよう)です」と賞讃されている。
棚野 池田先生も、御書に照らして、こう指導しておられます。
 「学会の法要こそが、大聖人のお心にかなった追善である。また『常盆(じょうぼん)』『常彼岸(じょうひがん)』といわれるように、年に数回だけでなく、皆さまの毎日の勤行・唱題、そして日々の学会活動こそが、何よりの追善となっている」と教えてくださっています。
西山 そのうえで、仏法の本義に違わないかぎり、各地域や時代の風習を尊重すべきであるという「随方毘尼(ずいほうびに)」の法理がある。
 そうした意味から、学会としても春秋の彼岸を一つの機会として、追善の勤行会を行っています。
三井 明快、明瞭ですね。

悪質塔婆商法

正木 この仏法の本義を、まったく無視し、盆や彼岸を坊主丸儲け≠フ商売に利用したのが、あの日顕宗の連中だ。
中村 極悪非道、悪辣千万だったな!
 坊主が祈らなければ地獄に堕ちる≠セの塔婆を立てなければ、追善回向にならない≠セのと脅して、さんざん供養をむしり取り、脅し取っていた。
原田 バカバカしい。そんなことは、大聖人は当然、一言たりとも仰っていない。御書にも一切、書かれていない。一目瞭然の大邪義じゃないか。
西山 その通りだ。大聖人ご自身も、門下のために塔婆を書かれたことは一度もない。
 弟子の僧侶にも「塔婆を書くように」と仰った記録など、ただの一つたりともない。
棚野 かりに、日顕宗の坊主どもの言う通りだったら、大聖人一門は皆、地獄に堕ちることになってしまう(大笑い)。
中村 だいたい日顕宗の中には、その塔婆すら、まともに書かない坊主がいた。まったくインチキだらけだった。
正木 今でも語り草だ。たとえば、あの悪名高い「カラ塔婆」。信徒から供養だけ取っておいて、実際には、塔婆を書かない。立てない。
 そうやって荒稼ぎをする坊主が、ごまんといた。
三井 他宗でも、これほど信徒をバカにした話は聞かない。まるで「悪質詐欺」「悪徳商法」じゃないの!
西山 僕の友人も、わが事のように怒っていた。
 「そんな大ウソつきの坊主がいたのか! これじゃ、信徒の供養だけを掠め取る盗婆≠カゃないか」と呆れ果てていたよ(大笑い)。
正木 もう我々には関係ないが、彼岸を前に、またぞろ坊主どもが動き出しているよ。
 法華講員に「塔婆を立てろ」「供養を出せ」と、脅し上げ、搾り上げている。
棚野 今や日顕宗は、大聖人の御精神に真っ向から違背する邪教団だ。
 そんな坊主どもに回向されたら、悪業をドッサリ回し向けられるだけだ(大笑い)。
中村 まったくだ。大聖人は厳しく仰せだ。
 「まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳(くどく)とならず、かへりて悪道(あくどう)におつる(こと)(そうろう)」等と。
 謗法(ほうぼう)に供養すれば堕地獄(だじごく)である≠ニ、厳然と御断言されている。

日顕・日如が暗闘

西山 その日顕宗だが、あの日顕のやつが退座して、はやくも3年近くになる。
 最近じゃ、日顕坊主、宗門のなかでも、すっかり影が薄くなっているようだな(笑い)。
棚野 僕も関係者から聞いた。
 早瀬日如が、だんだんと日顕と距離を置きはじめている。行事にも、二人がそろって出ることが、めっきり減っているという。
西山 「日如は、日顕が死ぬまで法主をやるつもりだ。自分の権力基盤をガッチリ固めようとしている」と見ている坊主も多いようだ(笑い)。
正木 醜い、醜い(笑い)。これが坊主の世界だ。
 日顕宗じゃ、今や、困窮寺院が300にものぼるというじゃないか。
原田 そんな崩壊寸前の弱小教団で、四分五裂(しぶんごれつ)の権力闘争、いがみ合い。サルが落ちたエサを奪い合っているようなものだ(爆笑)。

(2008. 9.15. 聖教新聞)

 

 

<59> 関東こそ創価の柱
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、阿部関東男子部長

正木 それにしても、今月6日に行われた「埼玉大会」!
 あの熱気、あの感動! 参加者も口々に「埼玉創価学会の底力を見た」と驚いていた。
原田 3万6000人の広宣流布の闘士が、さいたまスーパーアリーナに堂々と集った。
 私も参加させていただいたが、まさに意気天を突く大会だった。
阿部 なかでも主役は男女青年部でした。圧倒的な拡大で大会を勝ち飾った。
 「青年の都・埼玉」との、池田先生の御期待に何としても応えたい。その大闘争の中で新しい人材が、陸続と育った。
棚野 その通りだ。
 男子部では、3000人ものニュー・リーダーが誕生。女子部は1万5000人のともに対話を広げた。
正木 池田先生は、万感こもるメッセージを贈り、祝福してくださった。
 「我らの合言葉。それは、『広宣流布は埼玉から! 今日も意気軒高に!』」「世界第一の鉄桶(てっとう)の団結で、勝ちまくれ!」と、絶大な期待を寄せてくださいました。

川越の御書講義

阿部 埼玉は、先生が若き日より「師弟の魂」を五体で打ち込み、広布の礎を築いてくださった歴史の地です。
三井 有名です。先生は昭和26年から昭和28年まで、埼玉の川越地区に、10回にわたって足を運ばれ、自ら御書講義をなさっていますね。
原田 池田先生は当時、東京・蒲田支部での「2月闘争」(昭和27年2月)をはじめ、各地で激闘を続けておられた。
 その最中に、足かけ3年にもわたって埼玉に魂魄を込めてくださったのです。
阿部 今、埼玉では、師弟の誓いを生命に刻んだ青年が決然と立ち上がった。
 今回の大会を目指して、初めて弘教を実らせたメンバー、聖教新聞の購読を推進した友をはじめ、各地で青年部が拡大の先陣を切っている。
棚野 僕も男子部員の奮闘を聞いた。
 ふじみ野県の地区副リーダーは、目の障害にも負けず、対話に挑戦。聖教を9部拡大し、大会当日は点字で覚えた学会歌を合唱。見事に戦いきった。
阿部 三郷県の女子部の副部長は、仕事と学会活動に、真剣に励むなか、職場を代表して、大手新聞社の取材を受けることになった。
 「職場での受け答えが素晴らしいから」と上司から推薦されたそうです。
 その記事が7月末に掲載されました。
西山 立派だ。模範の姿だね。
三井 反響は、埼玉の婦人部の間にも大きく広がっています。
 「地区の青年が、たくましく成長してくれて嬉しい。私たちも負けてはいられない」。ますますパワー全開です(笑い)。
正木 今回の大会は、9・12「埼玉の日」35周年を記念して開催された。昭和48年の、この日は、池田先生が出席し、埼玉の「第1回県幹部総会」が開催された。
西山 あの有名な「鉄桶の団結」のスローガンが掲げられた総会だね。
原田 総会を前にして、先生は埼玉の幹部に語られた。
 「心がどうか、だ。心で決まる。心に亀裂が生じたら敗北だ」と、厳しく「勝利の要諦」を教えてくださったのです。
阿部 埼玉勝利への不滅の指針です。埼玉は「団結第一」で戦います! 必ず勝ちます!
正木 ところで本年は、埼玉をはじめ関東各県に、池田先生が「県の歌」を作詞してくださってから、30周年を迎えた。
阿部 「常勝の茨城」「攻勢の栃木」「人材の群馬」。ますます勇気凛々です。
原田 茨城の前進も素晴らしい。昨年11月、待望の石岡文化会館が誕生。地元の石岡広宣圏の友は、聖教の拡大でも全関東をリードしているね。
棚野 男子部の戦いも目覚ましい。
 昨年来、10回を数えた「全国青年部幹部会」の結集で、茨城男子部は、何度も「日本一」に輝いた(拍手)。
阿部 栃木では、池田先生が「下野(しもつけ)新聞」に寄せられた、特別寄稿が大反響を呼びました(6月3日付)。
 同紙の創刊130周年を記念して掲載されたものです。
三井 先生は、栃木の風土や県民性に着目されながら地域の絆を強め、人間が輝く郷土に≠ニ念願しておられましたね。
阿部 栃木の同志は今、この先生の思いを、わが使命として戦っている。
 青年部も、この夏、新リーダーが誕生。「戦いは、スタートダッシュで決まる」と、猛然と前進している。

「総立ち」で戦え

棚野 ところで話は変わるが、先日、群馬の男子部員から電話をいただいた。
 「地元の公明の地方議員が頑張っている。ぜひ聖教の座談会で紹介してほしい」と、お願いされた(笑い)。
西山 嬉しい声じゃないか。支持者が胸を張れてこそ、公明党の議員だ。
棚野 こんなことがあったそうだ。
 若い男性が勤め先で騙され、多額の借金を押しつけられた。困り果てていたとき、よく駅前で演説している、公明党の議員を思い出したというんだ。
三井 駅頭に立って、地道に頑張っていたのね。
原田 大事なことだ。議員が街頭や駅頭に立っても、ほとんどの通行人は聞き流す。
 だが「あの人が立っていたな」という印象は、どこかに深く残るものだ。
棚野 男性は、思い切って議員に相談してみた。
 すると、親身になって話を聞いてくれた。警察や県の関係者と掛け合って、見事に解決してくれたそうだ。
阿部 県の関係者も「公明党の議員は、市民のために、ここまで動くのか」と、しきりに感心していたという話だ。
正木 誠実に、粘り強く、一人を大切にする。それでこそ、支持者も胸を張って応援できるというものだ。
西山 その通りだ。国民は、政治家の言動を厳しく見ている。支持者の期待に応えてもらいたい。今こそ「総立ち」で戦う時だ。
原田 それにしても、池田先生は「関東が大事であることは、どんなに強調しても足りない」「関東こそ『創価の柱』であり、『学会の要』なのである」とまで語っておられる。
 この夏も、関東の友を大激励してくださった。いよいよ、関東が重要になってきた。
阿部 どれほどの御期待か。勝って師への誓いを果たします。「歴史」を築きます。

(2008. 9.18. 聖教新聞)

 

 

<60> 選挙狙いの難癖は裁判で一蹴
出席者:原田会長、正木理事長、西山関西長、三井婦人部長、棚野男子部長、阿部関東男子部長

原田 わが学会には、広宣流布の進展を、陰で支えてくださる数多くの同志がいらっしゃる。
 皆様の尊い真心、献身に、ただただ頭が下がります。
正木 我々は、いかなる時も感謝を忘れてはならない。
 とくに勢いを増して前進しているときこそ、幹部は、いっそう心を配っていくことだ。
西山 その通りだ。なかでも、広布の拠点を提供してくださっている皆様! いつも本当にお世話になっています。心から御礼申し上げます。
棚野 各地には、学会の会館がある。
 だが、座談会や協議会など、日常の活動の大半は、個人会館や個人会場を使わせていただいている。
原田 池田先生は、会場を提供してくださる同志に、心より感謝なさっています。
 いつもいつも「最大の配慮を」と呼びかけておられる。
三井 「例えば、トイレをお借りする場合でも、わが家以上にきれいに使うことだ。
 拠点の方の真心を、決して当たり前と思ってはいけない。感謝の気持ちを、言葉や行動で表していくことだ」等と、こと細かに教えてくださっていますね。
正木 先生ご自身が、青年部時代から、ご自宅を会場として提供してこられた。
 だからこそ、拠点の皆さまのご苦労を、誰よりも知っておられる。

具体的に注意を

西山 我々も、もう一度、注意点を具体的に確認しようじゃないか。
 まず@会場の周辺では、私語を慎む。当然、喫煙も厳禁だ。
三井 とくに、いまの過ごしやすい秋の季節は、窓を開けている家庭も多い。
 音が近隣の家の中に飛び込んでいきます。会合中の唱題の声などにも、十分注意したいですね。
正木 A路上駐車はもちろん、周囲に迷惑をかけるような駐輪はしない。これも、皆で注意し合いたい。
棚野 Bあらかじめ会合の終了時間を決め、厳守する。
西山 大事だ。会合自体よりも終わった後の打ち合わせのほうが長くて困る。そういう声を、時折、耳にする。
 拠点を提供してくださっているご家族にも、ご迷惑をかけてしまう。
三井 それにまた、女子部や婦人部は、早目の帰宅を励行していきたいですね。
原田 これは、誰よりも壮年幹部が率先して、声をかけていただきたい。
 とくに女子部や、小さいお子さんのいるヤング・ミセスの皆さんが、早く帰宅できるよう、細かく配慮するべきだ。
阿部 「会合革命」「時間革命」ですね。皆で呼びかけ、注意し合いたい。

会場を掃除する

正木 さらにC病気療養中の家族や、未入会の家族、受験生がいる家庭には十分な気遣いを。
 またD茶菓などを用意する必要はない。
 拠点の負担にならないように気をつけるべきだ。
三井 そしてE会場を汚さない。帰る前には、幹部が率先して掃除をする。
西山 当然のことだ。消しゴムのカスなど、小さなゴミにも十分に気をつけたい。
原田 日蓮大聖人は「教主(きょうしゅ)釈尊(しゃくそん)出世(しゅっせ)本懐(ほんかい)は人の振舞(ふるまい)にて(そうらい)けるぞ」と仰せだ。
 忙しい毎日だからこそ、私どもは常識豊かで聡明な行動を心がけていこうじゃないか。
西山 だいたい、清浄な学会を裏切り、退転していった連中は、礼儀の「れ」の字も知らなかった。のさばり、図にのり、威張り腐っていたじゃないか。
正木 まったくだ。山崎正友、原島、福島!
 どいつもこいつも下劣千万の畜生ども! どこに行っても、鼻つまみだった。
原田 あの恩知らずの竜も、そうだ。傲慢無礼! がさつでケチ!
 東京・品川の地元じゃ、姿を見せるたびに大顰蹙(だいひんしゅく)だった。

選挙狙いの難癖

阿部 竜のやつといえば、以前、学会の支援活動に難癖をつけて騒いでいたっけな。
棚野 「学会の会館は選挙活動に使われているから課税しろ」とかなんとか、意味不明の愚劣千万の言いがかりをつけていた。
 揚げ句の果てには、東京都知事などを相手に裁判まで起こしてギャーギャー騒いでいた(笑い)。
正木 バカバカしい。そんな訴え、当然のことながら、裁判で一蹴されたよ(大笑い)。
阿部 その通りだ。竜側の訴えを全て退けた。
 竜のやつは控訴を断念し、敗訴が確定している。
西山 裏切り者の末路は無残だ。
 何が「学会の会館に課税せよ」だ。判決は竜側の主張を厳しく糾弾しているじゃないか。
 「具体性に欠ける」「推測の域を出ない」等々、一刀両断だった。
棚野 一方で、学会の支援活動における会館の使用実態についてその各会館の利用状況が社会通念に照らしても『専らその本来の用に供している』といえる≠ニ判断し、竜側の一切の請求を厳しく退けた。
三井 要するに学会の会館での支援活動は、法的に問題がない≠ニ、明確に判断を下したわけね。
阿部 その通りだ。
 だいたい、学会の支援活動が問題だというなら、竜のやつは何で議員になれたんだ(爆笑)。
棚野 まったくだ。だったらサッサと辞めればよかったじゃないか。
 それを、何十年も経ってから騒ぎ出した。おかしいじゃないか(大笑い)。
西山 学会の正々堂々たる支援活動に難癖をつけたい。邪魔したい。妨害したい。それだけのことだよ(大笑い)。
原田 結局、バカな騒ぎを起こしたことで、かえって学会の正しさが一段と明確に証明されたというわけだ。

(2008. 9.22. 聖教新聞)