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8月8日(水) 広島観光 その2

 

 電車を降りた後、まずは相生橋から原爆ドームをみる。16年前に比べて、ドームが小さくなったように感じる。道を渡って公園内へ。原爆ドーム前には碑があって、募金の箱も置いてある。誰に言われたわけではないが、子供たちは自主的に募金をしている。
 そんなことをしているうちに、今までのどんよりとした雲の間から強烈な日差しがさし始めた。肌にピリピリとくる暑さに、汗もどんどん出てくる。原爆の落ちたあの日も、こんな暑さだったのだろうか。もしそうならば、この暑さの中で原爆による大やけどを負ったとなると、その悲惨な状態は想像を絶することであったろう。大やけどに汗となると、どういったことになるのであろうか。

 大汗をかきながら公園内をめぐる。原爆記念日から2日しかたっていないためか、園内のいたるところにあるモニュメントに、千羽鶴などが多くかけられている。気持ちもだんだんと神妙になっていくが、子供にはどう感じられているのか。いつもなら「ちゃんと見ておきなさい」などと口うるさく言うのであるが、今回は子供の感じたままであればいいと、努めて口うるさくしないようにしている。
 元安橋を渡って広島平和記念資料館へ向かう。原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)に書かれている「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」という文字は何度読んでも心に突き刺さる。小泉総理大臣の顕花など、花や千羽鶴にかこまれている碑を見ながら平和資料館へ。

 資料館の内部は冷房が効いていて生き返るよう。入場料は大人50円なのだが、ここ数日間は子供の入場料は無料。まずは映像によるガイダンスがあり、原爆の全体像を知ることができる。そして当時の世相がわかる展示や、平和公園周辺の原爆投下前の模型と、原爆投下後の模型など。
 その中でも注目したのが、新潟に原爆投下の指令が出たということを示す展示。新潟が投下目標になったことは以前から知っていたのだが、投下除外になったのは何と広島に原爆が投下された数日前であったとのこと。

 展示を見ていたら、息子がやってきて「何か書くものがない?」ときかれる。子供心に何か感じることがあったのか、これを夏休みの研究課題にしたいとのこと。予定などを記入していたノートを渡すと、熱心にメモをとり始めた。
 義父からは何回も「早くしろ」と急かされたが、特に急がせたりはせずに見守る。これがことのほか時間をくい、ほかへ観光でまわるのをあきらめた。

 前半は原爆に対する一般的な研究のようなものであったが、渡り廊下を通って行くと、今度は広島の原爆投下の日の惨状を物語る被爆資料の展示となる。右の写真は原爆が炸裂した1秒後の火球の状態。この展示の横では、被爆者の方であろうか、当時の様子を話してくれている婦人の姿もあった。
 その他、ぼろぼろになった三輪車や熔けた鉄骨、大やけどを負った人の写真など、以前見ているはずなのにすべての物が迫力をもってせまってきた。もっと世界中の人が見に来て、戦争の恐ろしさを知ってもらいたいと感じずにはいられなかった。

 外に出ると、午前中の曇り空がウソのように晴れ渡った空。暑さのほうもなお一層きつくなった感じ。近くの売店でペットボトルの飲み物を買って、飲みながら公園内を散策。汗が止まらず。今の時刻は午後2時過ぎ。一日でいちばん暑い時間。じりじりと皮膚がやけるのを感じる。
 元安橋の近くに、なぜだか一羽のペリカン。平和の泉、原爆の子の像、平和の鐘などをゆっくりとながめつつ相生橋に向かう。橋から振り返って見た原爆ドームはやはりとても小さく感じられた。

 広島市民球場の横にある原爆ドーム前の電停から、ふたたび路面電車に乗って今度は広島駅へ向かう。電車内は結構混んでいるが、途中での乗り降りもかなりあり、すぐに座ることができた。車内の冷房には助けられ、汗がすっとひいてゆく。
 それにしても走っている路面電車の数が多い。これだけ頻発しているからこそ気軽に乗れるので、広島には路面電車が存続しているのだろうか。
 14時半に広島駅に着く。路面電車の発着場も駅ビルもすっかり変わってしまった。次の目的はお好み焼きの「麗ちゃん」。以前は駅ビルの3階か4階にあったはずなのだが、ビルの案内板をみてもそれらしき店名は見当たらず。

 

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