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8月8日(水) 広島観光 その1

 

 朝風呂に入ろうと浴場へ。瀬戸内海に旭日がキラキラと輝いて気分がよくなる。昨晩は疲れからか風呂の中で船酔いしそうになり、はじめての経験で愕然としたのであるが、今朝は大丈夫であった。気持ちよく手足を伸ばす。
 朝食はありふれた旅館の朝飯といった感じ。ご飯とみそ汁以外は冷たく、昨晩の料理からみるといささかガックリ。それでもご飯を3杯も食べてしまい、腹に入ればみな同じってことか?

 9時過ぎに宿を出て車で宮島桟橋へ。途中で大野郵便局を見かけたが、後で寄ればいいと思っていた。これが失敗で、結局ここでの旅行貯金は果たせず仕舞い。郵便局は見かけたら寄っておかないとダメということをつくづく感じた。
 宮島桟橋の真ん前にある宮島口駐車場に800円払って車を入れ、目の前にあった宮島口郵便局で55番目の旅行貯金。客の数はそれほど多くなかったが、しばらく待たされる。そして宮島桟橋から9時55分の船に乗る。
 対岸は見えているし、わずか10分ほどの乗船だと思ったのだが、船がダメな私にとって甘かった。というより、以前より船がダメになったよう。ベタ凪なのはわかっているのだが、かなりの恐怖心が襲ってきて、顔が引きつるのがわかる。デッキにいて風にあたっていたが、10分間の何と長かったことか。

 島に着いたら、まず同乗(?)していた軽自動車から下船。宮島桟橋から宮島への航路は小さなフェリーで、車を載せることができる。これは島の人に限定されるわけではないようで、「車で島まで渡れますよ、ただし走るところは少ないですが」と言われたのである。
 宮島に上陸してまず迎えてくれるのがシカの群れ。近くでおじさんがシカせんべいを売っていたが買う人はいない。しばしシカとたわむれてから、案内板にしたがって厳島神社へ向かう。土産物店が集まっている中に宮島郵便局を発見。56番目の旅行貯金。ついでに新潟で買い損ねた記念切手が手に入った。
 さらに歩くと、もみじ饅頭の製造工程が見学できる土産物店があり、しばらく見てから1つ買って食べる。そうやってブラブラと歩いていたら、45分かかって厳島神社へたどり着く。
 大鳥居をながめただけで神社の中には入らず、ぐるっとまわってフェリー乗り場まで戻ってきた。フェリー乗り場の前はシカの群れ。ちょうど小学生ぐらいの女の子がシカせんべいを買ったところだったので見ていたら、シカの群れが一斉に女の子のまわりに集まり、大変なことになっていた。後で聞いた話では、その頃妻が広島限定発売のカールを発見していたらしい。でも買わなかったとか。
 フェリー乗り場に着いて切符を買ったら、ちょうどフェリーが出港するところで、義父にせかされて船に乗る。フッと外を見ると、さっきと違って白波が立ち船はかなり揺れそう。というより、フェリーは時間になっても出港せずに、とまっている船がかなり揺れている。
 乗用車を載せてから出港。船内がすいていることを幸い座席に横になっていたが、思っていたほどには揺れずに無事宮島桟橋まで戻ってきた。とまると揺れるので急いで下船。ホッと胸をなでおろす。

 むかし来た時とは広島電鉄の駅と宮島桟橋の位置関係が変わったように思うが、16年もたっているので自分の記憶が違っているのか、それとも実際に駅周辺が変わっているのか。広島電鉄の駅は確実に変わっているが、桟橋のほうも大きくなったように感じる。
 広電宮島駅で1DAY-PASSPORT(電車一日乗車券)を購入。16年前に来たときにも購入したので、特に何も考えずに今回も買ったのだが、日付はコインで削る方式になっている。料金は大人600円、子供300円。16年前とたいして変わっていない感じがする。
 ホームには電車が2編成停車していて、以前に乗ったことのある古い車両に乗車しようと1本電車を待とうとしたが、駅員より「あの車両はしばらく出ませんよ」と教えられ、あわてて発車ベルのなっている電車に駆け込む。
 今日の今後の予定、というか行きたいところは、「原爆ドーム」 「新交通アストラムライン」 「交通科学館」 「江波山気象館(旧広島気象台)」 「お好み焼麗ちゃん」と盛りだくさん。おまけに「錦帯橋」と「海水浴」も出来たらいいなと思っている。果たしてすべてまわれるか?

 広島駅行きの広島電鉄線は、広電宮島を出ると右手に瀬戸内海を見ながら、己斐までは専用線を走る。今日は残念ながら曇っているので、海もどんよりとしか見えないが、毎日海を見ながら通勤通学できるなんて夢のよう。
 沿線のことについて近くのおばちゃんに聞いていたら、そのおばちゃんから原爆に関する貴重な話を聞けた。それによると、当時のおばちゃんは広島中心部近くの工場に勤労奉仕(?)で働きに行っていたそうだ。広島に原爆が落ちた日は、たまたま休日で実家のある宮島のほうへ帰っていて難をのがれたとのこと。いっしょに働いていた友人たちは多くが亡くなったということであった。
 今回の旅の主な目的が、子供に原爆についてのことを知ってもらいたいことだったので、これから平和記念公園に行くとの話をすると、「本当のところ、当時の状況はあんなもんじゃない。でも多くの人、特に若い人に知ってもらいたい」とのことであった。いつもなら、年寄りの話は半分に聞いているのだが、この日はすんなりと話があたまに入ってきた。おばちゃんは佐伯区役所前で降りていったが、いいタイミングで話を聞けてよかった。

 11時半に広電宮島を出た電車は12時に己斐に着き、ここから路面電車になって広島駅を目指す。それにしても乗客が多く、活気にあふれた車内である。また、電車も数多く走っていて、ほとんど待たずに乗れるといったように見える。

 12時13分に原爆ドーム前に到着。自分はまっさきに降りて、みんなが降りてくる様子をビデオに撮ろうとしたが、なかなか次が降りてこない。後で聞いたところによると、義父らが乗車券の日付をコインで削ってなかったからとか。結局電車は1分以上も停車していて、続行の電車も後ろに詰まるといった状態になってしまった。

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