3●動かない動きは、静なるものと共鳴する
2005/07/11
時代は、さらに、遡ります。
2850年前のことです。
この時代では、
どんちゃんは、女だったようです。(苦笑)
その頃は、言葉を必要とせず、
意思だけで通じ合うことが出来ました。
その頃の、「生き方の基本」
について、
その想いを、あえて、言葉にしてみます。
これは、その当時、言葉として唱えていたのではなく、
誰もが、自然に、日常で、そのような感覚でいました。
−−−−−−−−
動くものは、いつか動かされ、
静かなるものは、静かなる時を過ごす。
過ちは、いつか解決し、
自然は、過ちを吸収する。
人は、動くときは、過ちと共にあり、
人は、静かな時に、過ちに気づく。
集団を、誰もが嫌い、
集団は、誰をも好む。
動きは、動きによって崩れ、
静けさは、動きによって見直される。
静かなるものは、動きを容認し、
動かざる動きのみが、それを知る。
人は、とかく動きたがる。
されど、人は静かなるものを好み、
人は、さらに、動きと静を求める。
動かない動きのみが静寂を維持する。
静かなるものは、動きと同化できない。
静かなるものは、動かない動きと共鳴する。
人は、動かないことを恐れ、
人は、動くことを恐れる。
人は、動くことを善としたがり、
人は、動くことを欲する。
人の世界は善を強調し、人は善を求める。
動かない動きは、常に、善を求めず、
動かない動きは、常に、人にも善を求めない。
人は、常に、動かない動きと共にあって、
静かなるものと、常に、共鳴し協調し合う。
人は、人として生きることを拒み、
人は、人として生きることを望む。
人間は、人との接触を好み、
人間は、人との接触を拒む。
人は、崩れるとき、大きな動きとなる。
人は、善を求め、欲を持ちたがる。
人は、欲を善としたがる。
人間の言動は、動きたがる動きであり、
人間の動きは、常に、静との共鳴を拒む。
人間は、動きの真の意義から離れることを望み、
動きによって得られるものを、善の結果としたがる。
哀れなり、
人は人間として生きることを望み、
人は、人間の動きに惑わされ、崩れることを知る。
哀れなり、
人の真の動きが、人間の動きに負け、
人の動きは、人間の動きと共に崩れ去る。
哀れなり、哀れなり・・・
−−−−−−−−
この時代では、誰もが、人の真の動きと、
人間としての善の動きとの区別が出来ていました。
しかし、それが、やがて・・・
人の真の動きを忘れ、人間の善の動きを
真の動きだと誤解する世の中がやって来ます。
話は、前回の、どんちゃんが生きた時代に戻ります。
そのときは、
人間の善の動きを容認する時代に成りつつありました。
人の真の動きとは・・・
内に沿った、静と共鳴する動きのことです。
どんちゃん
2●3●4●
始めに戻る
このページを WEB検索で開いた方は、こちらへ!