●印は、2003.1.10 更新部分です。
★印は、2000.1.25 更新部分です。
■印は、訪問者の意見、感想、疑問などです。
●印は、どんちゃんの説明です。
●みなさんから、たくさんの意見や感想を頂きました。
ありがとうございました!
★以下は、2000.1.25 更新部分です。
■難しい…
一番反応が多かったのは、「難しい…」 というものでした。
自分としては、難しい言葉を使わないで、短い文章にもして、
分かりやすいものに、したつもりでした。
難しい…、というのは、このような言葉の表現上のことではなく、
表(表面意識)では感じない、内(潜在意識)のことを考えたときの、
その捉え方の違いだと思います。
一般的に、潜在意識は、
「知覚できない自分の別な姿」 という認識だと思いますが、
どんちゃんは…
潜在意識は、死後の世界、霊の世界、あの世などと同一の
ものとしています。また、それを、「内」 と表現しています。
この肉体のある地上世界も、霊の世界のようです。
肉体世界と霊の世界は、実際は同居しているようです。
しかし、この地上世界の現実は、表の肉体が中心になって
いるために、本当は、肉体を支配しているのは潜在意識なのに、
表では、そうは感じられなくなっています。
「難しい…」 というのは、そういう情況でのものだと思います。
どんちゃんの伝えたいことを要約し、
次のように簡単にまとめてみました。
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霊という言葉は、「あの世の人」 の意味として使われているが、
実は、霊は、肉体を操作している意識のことで、魂といわれる
ものとも同じもの、つまり、霊=魂=意識=潜在意識。
霊=魂=意識=潜在意識、これを、どんちゃんは
「内」 とする。
内の想いを感じることが、全ての問題の根本的な解決となる。
みなさんも同様に、素直になって内の想いを感じてもらい、
それに従えば、間違いなく、楽しく、充実した人生が過ごせる。
内の想いは、本来の自分であり、それは人間共通の本来の
姿でもある。同時に、自然の姿でもある。
さらに、自然の姿は、宇宙の法則に従った姿でもあり、
宗教的な言い方をすれば、「神」の意思に沿ったものでもある。
すると…
神は宇宙であり、自然の姿であり、当然、自分自身でもある。
…となる。
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みなさん方には、「神」 というものの実態が、地上を含めた
宇宙の自然の姿。と言われれば、きっと、「なるほど!」
「同感!」 と感じる方も多いのではないかと思います。
神という言葉は、宗教的なものを連想させるため、
どうしても抵抗を感じてしまいます。
我々に必要なものは、神の声ではなく、
神である自分の本当の声を聞くことですね!
そのために、することは、ただ一つ
自分の感じるままに生きること
しかし人間は、これを、とても難しいものにしてしまいました。
必要なのは、本来の自分の意思どおりに生きることだけです。
こんな簡単なことでしかありません。
人間は、それぞれの体験の違いによって様々な考えがあります。
しかしそれは、肉体を含めた物質世界からの強い影響によって
大きく歪められています。
自然界の動物のように、感じるままに、動きたいように動くだけ、
それだけで、私達は十分なはずですね!
■何を言いたいのか…よく分からない
これは、前記しましたが…
自分の感じるままに素直に生きることの勧めです。
これは、どんの目標でもあります。
■異言は過去世のものなのか?
わかりません。
でも、たぶん、そうではないかと思っています。
■過去世からのメッセージ、そのように自分が思っているのか?
過去の記憶だと思います。
■どんは 霊媒のような立場なのか?
単純に、感じたままに生きている、一人間です。
霊媒体質だとは思います。
■即興の霊歌というのは現代の、吟遊詩人、のようだが、
過去世に由来するのか?
そうかもしれません。
■教会などでの祈りの中で異言が出てくる人がいるが…
□ まず、祈りについてですが…
祈りは、自分の欲望を満たすためではなく、
他人のためのもので純粋なものであっても、
それは欲望には違いありません。
祈りは、利己的でなくても危険なものですから、
できれば、祈らないことを勧めています。
一般的な願望も 「祈り」ですから注意したいですね。
□ 異言についてです。
どんな情況でも、異言は、その人の状態の、そのときの想いに
連動していますから、もし、その人の想いが不純なものであれば、
異言の内容も不純なものでしかありません。
しかし、教会によっては、異言を語る人を進歩した者としたり、
神に近づいた者とする所もあるようです。
異言が出ても、その人の人格が向上したわけではありませんね。
教会によっては、上記の場合とは逆に、異言を「悪魔の仕業」
とし、
良くないものとして敬遠するところも多いと聞いています。
■異言を話し、それを誇示する人がいるが、どう思うか?
前項のように、教会の信者の中に多いようですね。
でも、それでも、その人には、今は必要なものだと思います。
■どんちゃんの場合は、どういう状況で異言が始まったのか?
神戸の地震の頃に始まりました。
何となく、気持ちが良く、「人のために何かできるといいなぁー…」
という気持ちでいたときでした。
■過去世の言語、ではなく、聖霊によるものだと思うが?
聖書には、異言について書かれているところがありますね。
どんちゃんの場合、自分の潜在意識からのものだとしています。
潜在意識と共鳴する肉体を持たない存在との協調関係も
あるとは思いますが、今のところ、よくわかりません。
■輪廻転生とか、再生は無いと思うが?
輪廻の事実を証明することは、現状では出来ないと思います。
でも、輪廻を否定できるだけの、納得できる証拠もないようですね。
どんちゃんの表の感覚としては、「輪廻はあるだろう…」
です。
■異言について、どんちゃんの姿勢に疑問を感じています。
(以下、この方の意見です)
異言現象は、 かなりよく起こる現象と言われています。
しかし、 この現象は、本人以外には理解できないものです。
また、 周囲の人達にも理解できません。
当然、その異言とは対話も出来ません。
そういうものを公表し、しかも、異言を前面に押し出すことは、
自分が人とは違うのだ、という意識を持って、
自己主張をしているように感じます。
自己主張は、他人を拒絶することにも繋がります。
異言現象を前面におくことには、強い違和感と同時に、
強い抵抗を感じてしまいます。
こういう姿勢は人々から敬遠され、
人格を疑われることにもなると思います。
また、それを承知で自己主張を続けることの、
その意味も理解できません。
(終わり)
□ 異言を前面に出して公表することの意義についてです。
人には色々な型があります。
それぞれの特徴をお互いに出し合い、それを、
お互いに参考にして、共に進歩向上していくのですから、
異言を話すことを公表し、その意味を多くの人に考えて
頂くことには、問題は無いと思っています。
□ 誰も理解できない異言を語ることの意義についてです。
どんちゃんは、異言を人前で話すことは滅多にしません。
しかし、自然に話すときがあります。そのときは、それが
「必要な時」 のようです。必要なときに、必要なことを、
「させられている」 という気もしています。
□ 自己主張について
「自分を知らせる」 という方向で進みたいと思っています。
でも、それが自己主張にならないように気をつけています。
■「どんちゃんは心霊主義者」 という見方からの疑問です。
(以下、この方の意見です。)
目標や希望を持っただけでは実現しません。
その実現に向かって努力するための方法について
何の説明もありません。
ただ希望を掲げているだけのように感じました。
「何も主張がない非現実的な夢」 としか感じられず、
大変残念に思っています。
また、「自分の存在を他人に確認してもらいたい」
と
いうような態度とも受取られるのではないでしょうか。
心霊主義者として望ましい態度とは感じられませんでした。
(終わり)
□ どんちゃんは心霊主義者ではありません。
心霊主義(スピリチュアリズム)から学ぶものは沢山あります。
しかし、その全てについて受入れてはいません。
この種の評判の高い本から得るものは沢山ありますが、
それを、「聖書のように扱って、常に、そこから回答を求める」
というようなことはしていません。
あくまでも、参考にしているだけです。
心霊主義という形には拘らないようにしています。
もちろん、他の宗教、思想、主義などについても同様です。
色々な角度から、冷静な感覚で物事を考えることが、
偏らないための方法として大変に有効だと思っています。
□ 具体的な方法が示されていない、ということについてです。
どんちゃんは、自然な人間の感覚が、何かの信念や教育的な
指針のようなものによって、失われてしまうことを心配しています。
それらの指針や信念のようなものは、
内部から自然に湧きあがったものと一致しない限り、
その人にとっては抵抗を感じるはずです。
どんちゃんの背景(内からの感覚)は…
全ては、その人自身の内にあり、それに素直に従うだけで十分
…というものです。
これは、表で画策された様々な思考によって歪められた
様々な思い込みから離れ、本当の自分の想いを、
内にある冷静で適正な自己から得ることを勧めるものです。
■HPから異言の歌が聞こえるようにしたら面白いのだが?
「音楽だけなら…」 と考えたことはあります。
しかし、伝えたいのは内容です。
音楽に、これを載せても、伝えたい内容を、
聞く側で感じる取ることは、かなり難しいと思われます。
■異言の歌は、お経のようなもの?
日本にはない、変わった歌で、中国風です。
一部に、お経のようなものも出てきますが、
それは、生活訓のようなもののようです。
■異言が実在した言語であったことを証明できるのか?
■過去世があるという証明がほしいが?
これらについては、証明はできそうもありません。
しかし、間接的に証明のようなものが出来る可能性はあります。
異言について詳しく調査し、これが言語体系として確立された
ものであることが認められれば、証明されたことになりますね。
■何か…、あせりを感じるのだが…?
「あせり」 もあると思います。
HPの反応に、期待と不安な時期がありました。
しかし、今は、焦りは、ほとんど無くなったように感じています。
●■「霊歌」 の配布を再開してほしいのですが…
今のところ、そのつもりはありません。
理由は、録音されたものは、我が家での、
その時の情況での、その時の想いでしかありませんから、
それを、環境も、情況も個性も違う人に聞いてもらう意義が
薄いと感じているからです。
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ここは、訪問者の声 の最終行です。