行き当たりばったりでここまで来てしまったが、これ以上フリックを誤魔化す事は出来ないだろう。そもそも、ここまで誤魔化せてきたのが奇跡に近い。
そう考え、ビクトールは決意を固めた。
「フリックっ!」
「うわっ!」
部屋に入った直後に、フリックの背中にタックルをかまして彼の身体をベッドの上に押し倒した。
そして、何がなんだか分からないと言いたげに瞬くフリックに向かって、怒鳴るように言葉をかける。
「すまん、フリックっ!」
「え? 何が…………」
「シュウから伝言があるってーのは、嘘だ。ただ、お前と二人切りになりたかっただけだったんだ。だから、仕事があるというのも嘘だ。嘘をついて、すまんっ!」
「――――はぁ」
雷覚悟で謝ったのに、フリックは間の抜けた声を返すだけでろくな反応を示してこない。
そんな薄い反応に納得がいかず、眉間に皺を刻み込みながらフリックの顔色を窺えば、彼はクスリと小さく笑いを零してきた。
「で、二人きりになってやりたかったことは、コウイウ事なわけか?」
「あ?………まぁ、それも、あるが…………」
「ふぅん……………」
今の自分達の体勢を揶揄するように問われ、ビクトールは歯切れの悪い言葉を返した。そんなビクトールに、フリックは含みのある表情でどう受け取って良いのか分からない相づちを打ってくる。
その表情に、やはり間をおいて雷攻撃がやってくるのだろうかと身構えたビクトールに向かって、フリックは性質の悪い笑みを浮かべて返してきた。
そんな反応が返ってくるとは思っても居なかったので、ビクトールはギョッと大きく目を見張った。
驚きのあまりに、拘束の手が緩む。
最初からその隙を狙っていたのだろうか。フリックが緩んだ隙をついて身体を反転させ、スルリと長い腕を持ち上げた。
その動きを目にしてビクリと身体を震わせた。攻撃されるのだろうと、思って。自然と身体が臨戦態勢に入ったのだが、それは考え過ぎだったらしい。
フリックの腕は、ビクトールの首に柔らかく絡みついてきた。
そしてフワリと、滅多にお目にかかれない類の媚びるような笑みで顔を覗き込んでくる。
「『ソレも』って事は、他にもあるのか?」
直球で問いかけてくるフリックの言葉に、ビクトールはギョッと目を見開いた。
どうやら動揺のあまりにうっかり微妙な言葉を漏らしてしまっていたらしい。
自分の失態に慌てたが、慌てたら負けた。慌てたら、何かを企んでいた事がばれてしまうから。
だから慌てて真剣な表情を取り繕い、目の前にある青い双眸を見つめ返した。
「他なんかねーよ。俺は、お前と抱き合いたかった。それだけだ」
「昼間から?」
「朝も昼も関係ねー。俺は、いつでもどこでもお前とやりてーんだからな」
「――――元気なヤツだな」
ビクトールの言葉を聞いてクツクツと笑うフリックは、本当に楽しげだ。何かを企んでいるときに瞳の奥に浮かぶ鋭い光も見あたらない。
だから、少し気を抜いた。
上手くごまかせたかと。
上手くごまかせ、あわよくばその先に進めるだろうかと。
そんなビクトールの考えを肯定するかのように、フリックの手がビクトールの身体のラインをゆるりと撫で上げてくる。
熱を煽るように、いやらしさを感じる手つきで。
そして、口端を笑みの形に引き上げながら言葉を続けてくる。
「まぁ、この後仕事が入っているわけでもないし。付き合ってやらないでもない」
「え…………っ?!」
期待はしていてもまさかそう言って貰えるとは思っても居なかった言葉に、ビクトールの顔がパッと輝いた。
その素直な反応にクスリと笑みを零したフリックは、背中を撫でていた手をゆっくりと滑らせてビクトールの腰に回し、その腰を撫でながら小さく頷いた。
「あぁ。ただし、条件がある」
「条件? なんだ?」
「コレがなんなのか、素直に吐け」
微笑みながらフリックが目の前に突きつけてきたモノは、ホウアンから貰った小瓶だった。
ギョッと、大きく目を見開く。
慌てて腰の袋に手を伸ばせば、その口はいつの間にか開かれていた。どうやら今のやり取りの間でスられていたらしい。
「お前、スリの技までマスターしてやがったのかっ!!!」
と、叫びたい気持ちを抑え、ゴクリと生唾を飲み込む。そして、柔らかく微笑みかけてくる青い双眸を見つめ返した。
「どうした? 言えない事なのか?」
出来の悪い子供に問いかけるような優しい口調で問いかけてくる。その言葉に剣呑な空気は僅かばかりも混じっていない。眼差しにも声音にも、慈愛が満ちあふれている。
だからこそ、ビクトールの背筋に寒気が走った。
見るからに怒っていそうな時のフリックはさして怒っていないのだ。怒って居なさそうなときほど、この男の怒りは深い。機嫌が良くなりそうな出来事が無いのに機嫌良さそうにしているときは、要注意なのだ。
だから、今のフリックはかなり危険だ。イエローどころかレッドゾーンに踏み込んでいる事は間違いない。下手な言い逃れをしようとしたら、命は無いだろう。
ゴクリと生唾を飲み込み、深く深呼吸を繰り返す。そして、慎重に事のあらましを語り出した。
自分はホウアンの巧みな言葉に乗せられただけなのだと言うことを、さりげなく、だがしっかりと強調しながら。
その説明を静かに聞いていたフリックは、ビクトールの言葉が止まった後しばし無言で考え込んでいた。
何か納得出来るモノがあったのだろうか。小さく頷いたフリックは、こちらに視線を戻してニッコリと、柔らかい笑顔を返してきた。
「分かった。乗せられたお前のアホさ加減にはほとほと愛想が尽きるが、今回は殺さないでおいてやろう」
にこやかに返された言葉にはかなり引っかかりを覚えるモノがあったが、今は突っ込める雰囲気が欠片もない。ビクトールは大人しくフリックの言葉に頷いた。
そんなビクトールに、フリックが言葉を続けてくる。
「とはいえ、落とし前は付けて貰わないとなぁ?」
「おっ…………落とし前…………?」
「あぁ」
子供のような笑顔を振りまいたフリックは、未だに自分の身体を組み敷いているビクトールの身体を押しやり、上半身を起こした。
そして、自分の目の前に座り直したビクトールに、手にしていた小瓶を突きつけてくる。
「飲め」
「――――――――――――あ?」
「飲めと、言っている」
短く告げられた言葉の意味が分からずに問い返すと、フリックは再度同じ言葉を口にした。
先程よりも、強い調子で。
そして、ぎらりと瞳を輝かせる。
「飲むか、死ぬか。どちらか選べ。逃げ道はない。二つに一つだ」
死の宣告のような言葉を、ビクトールは呆然としながら聞いた。
どう反応して良いのか分からず、脳みそも身体も動かない。
そんなビクトールの手のひらに、小瓶が握りこまされた。
フリックの体温で少し暖かくなった小瓶が。
その小瓶に瞳を落としたあと、フリックの顔を見つめる。
そこには、氷よりもなお冷たい青い双眸があった。


飲まなければ、本当に殺される。


本能でそう感じ取ったビクトールは、再度手の中のモノを眺め見た。
身体がガクガクと震えてくる。
コレを飲んだら、自分はどうなるのだろうか。現実逃避をするために色々と想像してみたのだが、想像しない方が良かった光景の数々が脳裏に浮かび、盛大に顔を歪める。

大きく深呼吸を繰り返した。
そして、眼差しにこれ以上無いくらい力を込めて、手の中の小瓶を睨み付ける。





飲む】 【飲まない