ゴツン。
 と言うかなりいい音と、
「痛いっ!」
 と言う未だに幼さの残る少女の悲鳴で目が覚めたビクトールは、座り込んでいた床から慌てて腰を上げた。そして瞳をナナミが背にしていたドアの方へと向けると、そこには驚いた様に瞳を見開いて自分の足下を見つめている昨夜見かけたフリック似の青年が立っていた。
 その足下には、頭を抱えてうずくまっているナナミの姿も見える。
 どうやら、ドアにナナミがもたれている事に気付きもせずに、青年が思い切りよくドアを引き、支えるもののなくなったナナミがひっくり返って後頭部を打ち付けたようだ。
 しばし呆然としながら転がるナナミの様子を見ていた青年は、ボソリと、呟きを漏らしてきた。
「・・・・・・・・・何やってるんだ?」
 その問いかけに、倒れたナナミは恨みがましい瞳を向け、チッチは慌てて立ち上がり、取り繕うような笑みを浮かべて見せた。
「あのっ!あなたを待っていたんです!」
「俺を?」
「はいっ!」
 力一杯頷くチッチの言葉に、青年は不思議そうに首を傾げて見せた。そして、数度瞳を瞬いた後に、再度問いかけてくる。
「何のために?」
「あなたと一緒に旅をするために。」
 これ以上無いくらい真剣な瞳でそう告げるチッチの様子に、青年のみならず、事の成り行きを見守っていたビクトールも言葉を失った。
 自らの呼びかけで仲間を増やしてきているせいか、チッチはちょっとでも気に入るとすぐに口説き落とすクセがある。というか、そんなクセがついてしまった。おかげでおかしな人間が城に増えてしまったのだが、チッチ曰くちゃんと人を見て声をかけていると言う事なので、注意の言葉は右から左に聞き流されている。実際、チッチが連れてきた人間は一癖も二癖もあるような連中だったが信頼に足る人物ばかりなので、口うるさいシュウも何も言えずにいるのだった。
 同じ感覚でこの男の事も仲間にしようとしているのだろうか、チッチは。そう内心で呟きながらジッと事の成り行きを見守っていると、チッチの真剣な眼差しに口を閉ざしていた青年が、不意にその端整な顔に笑みを浮かべて見せた。とても綺麗な。思わず引き込まれるような笑みを。
「なんだ、それ。口説いてんのか?」
「ええ。一目惚れなんです。」
 そこで一旦言葉を切ったチッチは、何を思ったかビクトールに向けて右手の人差し指を突きつけた。
 そして、一言付け加える。
「ビクトールさんが。」
「おいっ!」
 その言葉にさすがにビクトールも突っ込んだ。確かにそれはまったく否定出来無いが、少なくてもこの正体の分からない男に惚れているわけではない。あくまでも、フリックだと思ってトキメイタのだ。
 そう反論しようと青年の方へと視線を向けると、深い緑茶色の瞳とぶつかった。
 造作はこれでもかと言うくらいにフリックにそっくりなのに、そこだけ異質な暗い色の瞳にフリックと彼が違う人間だと言われている気がする。それでも何故かその瞳に引き込まれる。
 フリックの瞳を見つめた時と同じように。
 引き寄せられるようにフラフラと青年の方へと近づいたが、その行動は途中で阻まれた。青年の冷たい一言で。
「こんな餓鬼に告白させるようなヘタレな男に興味はねーよ。他を当たりな。」
 そう言いながら軽く手を振り、未だに倒れ込んでいるナナミを跨いで部屋を出た青年は、話は終わりとばかりにさっさと階下に向けて足を踏み出していた。その青年の腕を、咄嗟の判断でチッチが掴み取る。
 その手を迷惑そうな瞳で見つめ返した青年の顔を覗き込むように、チッチは尚も言葉をかけ続けた。
「ヘタレですけど、腕っ節は強いんですよ!だから、ボディーガードとして是非、側に置いて下さいっ!今ならオプションで可愛い子供が二人つきますから!」
 必死の形相で訴えかけてくるチッチの言葉に、青年は呆れたように問い返してくる。
「・・・・・・・・可愛い子供って、お前等の事か?」
「はい。」
「・・・・・・・・・・悪いな。餓鬼は趣味じゃねー。」
「待って下さいっ!」
 吐き捨てて歩き出した青年を、チッチは尚も引き留めるように腕を引いた。
 いい加減青年の顔に怒りが立ちこめてきたところで、開けっ放しになっていたドアから、穏やかな声がかけられた。
「良いんじゃないの?護衛に付いてきて貰うくらいさ。」
 その声に、その場に居たもの全員がドアの方へと視線を向けた。ようやく起きあがったナナミも。皆のの視線が集まった先には極々平均的な背丈の、取り立てて特徴の無い顔をした男が一人、立っていた。
 その男に向って、チッチに腕を引かれている青年が不快感も露わに言葉を発する。
「・・・・・・・・・シグマ。何勝手な事ほざいてんだよ。」
「別に良いじゃん。その分手間が省けて体力温存出来る。そうしたら、夜の仕事もはかどるってもんだろ?」
 人の良さそうな笑みでそう返すシグマと呼ばれた男に、フリック似の男はこれでもかと言うくらい眉間に皺を寄せ、不快感を表していた。だが、シグマに引く気が無い事を察したのだろう。深々と息を吐き出した後、どうでも良さそうにプラプラと手を振って見せた。
「・・・・・分かったよ。その代わり、何かあったときは責任もってお前が尻ぬぐいしろよ。俺は知らないからな。」
「分かってるよ。」
「・・・・・・・なら良い。先に行ってるぞ。」
 吐き捨てるようにそう呟いた青年は、掴んでいたチッチの腕を力任せに振り払い、振り返りもせずにさっさと階段から下りていった。
 その背を見守っていた一行は、青年が階段を下りていく音が遠ざかってから、ようやくシグマへと、向き直った。そして、チッチは深々と頭を下げる。
「お力添えを頂きまして、ありがとうございます。」
 そのチッチの言葉と対応に、シグマは楽しそうに瞳を僅かに細めてみせた。
「小さいのにしっかりしてるね。」
「小さいって・・・・・・・・・もう十五は過ぎてますけど。」
「まだまだ小さいでしょ。十五なんて。それに、俺が口を出した事が良い事とは限らないから、礼を言われる筋合いは無いよ。」
「そうなんですか?」
「そうなの。着いてきたばっかりに、地獄の三丁目までご案内って事になりかねないからね。まぁ、それでも良いなら着いておいで。」
 シグマの言葉に、三人は顔を見合わせた。彼が何を言いたいのか、いまいち良く分からない。分からないが、だからといってココで引くわけには行かないのも確かな事なのだ。
 だから、誰とも無く大きく頷きあい、その胸の内を代表するように、チッチがこう返した。
「良いです。どこまででも、着いていきますから。」
 その答えに、シグマはクククッと喉の奥で笑いを零した。そして、その面に柔和な笑みを浮かべながら、チッチへと手を差し伸べてくる。
「俺はシグマ。相棒はヴァイスって言うんだ。まぁ、取りあえず、ヨロシク頼むよ。」
「はい。お願いします!」
 元気良く挨拶しながら握手を交わすチッチを見つめていたビクトールだったが、すぐにその視線を反らし、階段の方へと向けた。
「・・・・・・・・・ヴァイスか・・・・・・・・・・・・」
 分かっては居たけれど、違う名前だったことに寂しくなった。
 そして、この見知らぬ男が彼の事をなんの抵抗も無く『相棒』と呼んだ事に、泣きたくなった。









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