程なくして追いついたチッチとナナミは、建物の影に隠れて何かを見つめていた。
「どうしたんだ?」
 背後から声をかけると、二人はチラリとビクトールに視線を向けた後、すぐに視線を元に戻してしまった。
 いったい何を見ているのだろうかと視線をそちらに向けてみると、そこには大きな屋敷を囲った塀をジッと見上げるヴァイスの姿があった。
 細い路地の中なので、周りに人影はない。その上全身を真っ黒い衣装で包んでいるいるから、目をこらさないとその姿は発見出来ないくらい、闇にとけ込んでいる。
 そんな様子で一体何をしているのだろうかと思っていたら、ヴァイスが手首の辺りから何かを取り出した。と、思ったらソレを空中に放り出し、手応えを確かめるように軽く上空に伸ばした手を引く。
「・・・・・・・・・あっ!」
 小さく驚きの声を漏らしたナナミの視線の先で、ヴァイスはスルリと、流れるような動きで塀に足をかけると、一気に塀の向こうへと、その細身の身体を滑り込ませてしまった。
 慌てて現場に駆け込めば、当然の事ながらその場にヴァイスが居るわけもなく。ただ呆然と、彼が飛び越えた塀を見上げるしか無かった。
「・・・・・仕事って、泥棒だったんだ・・・・・・・・・」
「だから、朝にならないうちに出掛けてたんだ・・・・・・・納得。」
 ナナミとチッチの呟きに、ビクトールも無言で頷いた。男娼にしてはなんだか変だとは思っていたのだが、まさか泥棒だったとは。それはそれで驚いたが、なんとなく納得もする。彼の身のこなしは静かすぎたから。
 それにしても、彼等には何かを盗んだという形跡は一切無かったと思うのだが、街毎に隠し場所でもあるのだろうか。それとも、他に戦利品を運び出す仲間がいると言うことだろうか。
「・・・・・・何にしろ、ちょっとやべーかもな・・・・・・・・」
 同盟諸国の中で泥棒行為を働く奴らと一緒に行動を共にしているというのは、チッチの立場上大変宜しくない。それを同盟諸国の偉い方に聞きつけられたら、何を言われるかわかったものではない。
 まだ結束力が有るとは言い難い同盟軍なのだ。不安要素は無いに越したことはない。
「・・・・・さて。どうするべきかな・・・・・・・・・」
 知らなかったものはしょうがないが、見てしまったら止めないといけないだろか。そうすれば、多少なりとも言い訳が出来る。
 チッチもそう考えたのだろう。気付くとビクトールの事をジッと見上げていた。
「・・・・・・・・・・止めた方が、良いですよね。」
「そうだな。じゃないと、色々不味いことになるだろうな。」
 チッチに軽く頷き返せば、彼も心得ていると言いたげに首肯して見せた。そして、明るい笑みを浮かべて返す。
「捕まえて連行すると見せかけて、城に連れて行ってしまいましょう!戦闘してるのは一回しか見たこと無いですけど、結構腕が立つみたいだし。良い人材になるんじゃないですかね!」
「そうだな。今は一人でも多く仲間が欲しい所だし。」
「そうですよ。それに、上手く行けばフリックさんの影武者をして貰えるかもしれませんし。」
「・・・・・・・チッチ・・・・・」
 彼の言葉から、ヴァイスがフリックである可能性は無いと思っている事が窺えた。それはそうだろう。フリックを知るものなら、彼が泥棒行為を働く等信じられないだろうから。
 あの、くそまじめな青年が。
 例え見目が驚くくらい似ていても。
 まぁ、皆が思うほど彼は真面目では無いのだが。
「・・・・・・そうだな。コレをネタに脅して見るってのもいいかも知れないからな。」
 そう返せば、複雑な思いの混じった笑みを向けられた。
「そうですね。・・・・・・じゃあ、門番に訳を話して中に入れて貰いましょうか。」
「ああ。」
 軽く頷き、ビクトールは門番の立つ表玄関へと、足を向けた。
 夜遅くに訪れた子供連れのあからさまに胡散臭い男に門番は最初警戒心をむき出しにしていたが、チッチの素性を明かし、先程見かけた話をしてやると驚きに瞬いた。そして、少し待つようにと言い置き、その場を去っていった。
 大した時間もかけずに建物の中から戻ってきた門番は、何やら凄く慌てている。慌てすぎて足がもつれるくらいに。
 その様子を訝しく思って軽く首を傾げたビクトールは、まだ距離が有るにもかかわらず、駆け戻ってくる門番に向けて声をかけた。
「おいっ!そんなに慌ててどうしたんだ?」
「・・・・・・死んでる・・・・・・」
「ああん?」
「みんなが・・・・・・死んでるんだ・・・・・・っ!」
「えっ!」
 門番の言葉に、三人はハッと息を飲み込んだ。フラフラになりながら駆け戻ってきた門番は、震える声で、中の状況を伝えてくる。
「・・・・・・・全部見たわけじゃ無いけど、開けた部屋のやつらは、みんな死んでた・・・・・・大声で呼んだけど、誰も、答える奴らがいなくって・・・・・・・」
「・・・・・・マジかよ・・・・・・・・・・」
 呟いたビクトールは、次の瞬間にはその後取るべき手立てを脳内で構築していた。
 だから、すぐさま震える門番へと、指示を出す。
「よし、お前はすぐに自警団のところに行って、状況を話してこい。で、援軍を頼め。俺たちはその間犯人を逃がさないようにしておく。」
「しかし・・・・・・・・」
「大丈夫だって。俺等を誰だと思ってるんだ?」
 ニヤリと笑って返してやれば、門番はほんの少しだけ表情を和らげた。
 そして、小さく頷き返してくる。
「・・・・・・・分かりました。出来るだけすぐに戻ってきますから、お気を付けて・・・・・・・」
「おうっ!任せろって!」
 未だにフラフラとしている門番の背中を力づけるように叩いたビクトールは、それまで事の成り行きを見守っていたチッチとナナミへと、視線を向け直した。
「・・・・・・・・じゃあ、行くぜ。」
「はい。」
 頷く二人を引連れて、ビクトールは屋敷の中に踏み込んだ。
 一見したところ別に何もおかしいところは無い。真夜中なのだから屋敷全体が静まりかえっている事も極々当たり前の事だし、明かりが灯されていないのもおかしくはないだろう。
 だが、皆殺しされていたという門番の話がある。
 ビクトールは気を引き締めた。そのビクトールの張りつめた気配を察したのだろう。チッチとナナミも身体を硬くし、己の武器を握りこむ。いつでも戦えるようにと。
 その瞬間、ビクトールはピクリと眉を震わせた。
「・・・・・・・血の臭い?」
 研ぎ澄ませた感覚に一番先に引っかかったモノは、嗅ぎ慣れた鉄臭さだった。その臭いの発信源だと思われる部屋に大股で近づいたビクトールは、ノックも何も無くドアノブを捻って戸を開け放った。
 途端に、濃い血臭が鼻につく。その臭いの発信源を見やれば、椅子に座った姿勢の初老の男が胸から血を流していた。
 慌てて呼吸を確かめてみれば、既に止まっている。
 ビクトールの後に付いて部屋に入ってきたチッチとナナミも、その様子を見てハッと息を飲み込んだ。
「・・・・・・・・ビクトールさん。まさか・・・・・・・」
 チッチの問いに答える言葉は、ビクトールには無かった。だから、その既に事切れた初老の男から目を反らし、部屋を後にする。
「・・・・・・探すぞ。話は、それからだ・・・・・・・・・」
 吐き出すように発した言葉に、チッチとナナミは声もなく頷く。
 そして、部屋という部屋をあけ、中を窺っていった。
 だが、結果は散々なモノだった。
 皆、眠ったまま一撃で息の根を止められている。命のあるモノは、一人も居ない。
 この屋敷を包んでいる静寂は、一時的な闇ではなく、永遠に続く闇なのだ。
 一階も二階も全滅していた。残っているのは三階。
 多分、この屋敷の主人が住んでいる階だろう。
 三人は階段を駆け上がり、三階部分に足を踏みいれた。
 途端に、闇を切り裂くような悲鳴が屋敷の中に響き渡った。
 まだ、生きているモノが居る。
 そう判断した三人は、悲鳴の発信源へと、駆け込んだ。
「ちょっと待てっ!」
 怒声と共に蹴り破るように戸を開け放てば、入り口に向けて背中を見せていた細身の男がチラリとこちらに視線を向けた。
 その端整な顔に浮かぶ薄い笑みに、ビクトールの背筋に冷たい汗が伝い落ちる。
「・・・・・・・・・ヴァイス・・・・・・・・・」
 確認するようなビクトールの問いかけに、名を呼ばれたヴァイスが僅かに瞳を細くした。
 そして片足を引き、身体を半分だけ、部屋の入り口へと、向ける。
「・・・・・・・・珍しいところで会うな。こんなところで何をやっているんだ?」
「それはこっちの台詞だ。何やってんだよ、てめーは。」
「仕事だよ。仕事。」
 答える声は日常の会話を交わすように気軽なモノだった。だから余計に、ビクトールの警戒心が強くなる。
 この状況で少しも殺気を放っていない、目の前の男に対して。
「仕事?誰かに頼まれたのか?」
「それは言えないな。客のプライバシーは守らないといけないだろ?」
 笑みが浮かぶヴァイスの声に、ビクトールの背はビクリと跳ねた。
 その様を、ヴァイスは実に楽しそうに見つめている。
 妙な緊迫感が室内に流れる。ソレを打ち破ったのは、それまで窓際で震えていたこの屋敷の主人と思わしき男だった。
「だ・・・・・・・だったら、お前が雇われた金額の倍の金を出すっ!だ、だから、命だけはっ・・・・・・!」
 男が発した悲鳴混じりに言葉に、ヴァイスの闇に溶け込むような深い色の瞳がキラリと光った。
「本当か?」
 その言葉に希望を見いだしたのか、男は激しく首肯して見せた。
「あ、ああ!もちろんだっ!百万ポッチでも二百万ポッチでも払ってやる。だから・・・・・・・・」
「それはなかなか美味しい申し出だけどな。」
 ニコリと、じつに楽しそうに笑みを浮かべたヴァイスが、自分の腰元へと、その長い腕を伸ばす。
 そして、引きつった笑みを浮かべる男へと、艶の含んだ声音で、こう告げた。
「俺は金で仕事してないんでね。基本的に。」
「じゃ・・・・・じゃあ、何を・・・・・・何でもするぞ。お前が気が済むように、なんでも・・・・・・・・・」
「俺を退屈させないこと。」
 男の言葉を遮るようにそう短く告げたヴァイスは、すぐに不敵な笑みをその端整な顔に浮かべて見せた。
「・・・・・・・・・・・・お前には、無理だろ?」
 そう言うが早いか、ヴァイスは腰帯に刺さっていたタガーを一本抜き取り、男に向って素早く投げ込む。
「待てッ!」
 ビクトールの制止の言葉は、男の眉間にダガーが刺さった瞬間に室内に響き渡った。だから、男にその声は届いていないだろう。頭蓋骨の硬さなど無かったかのように、投げられたダガーは根本まで突き刺さっているのだから。
 それを確認してからチラリとビクトールに視線を向けたヴァイスが、勝ち誇ったような笑みを浮かべた後、刺さった武器を回収するために既に屍と化した男の元へと、足を踏みいれた。
 その背に、ビクトールが声をかける。
「・・・・・・・お前、なんだってこんなことを・・・・・・・・」
 問いかけに、ヴァイスは手にした武器の血糊を殺した男の服の裾で拭ってから元の位置に戻し、身体ごと振り返った。
 そして、なんの悪びれもなく微笑み返してくる。
「言っただろ、仕事だ。」
「だから、なんでこんな仕事をっ!」
「世の中こういう汚い仕事を生業にしている奴らだって居るだろ?」
「それは、そうだが・・・・・・・・」
 言い淀むビクトールの言葉にニヤリと口角を引き上げたヴァイスは、流れるような動きでビクトールの正面まで歩み寄ると上体を軽く傾げ、下から覗き込むようにしながらビクトールの顔を見つめてきた。
「何?俺みたいな顔の綺麗な男がこんな事するのは、似合わないって?」
 その言葉に、ビクトールは驚きに目を瞬いた。確かに彼の容姿は際だって良い。千人の人が居たら、その殆どの人が彼の事を綺麗だと称すだろう。
 だが、自分の容姿に無頓着だった男と同じ顔の男にそう言われると、なんだか凄く違和感を感じる。それは、無意識に彼とフリックを重ねて見ているからだろうか。
 自分の心の内をそう分析していたら、上体を引き上げたヴァイスが言葉を続けてきた。
「顔と仕事は関係ないだろ?外側になんて、なんの意味もない。大切なのは、中身だぜ。」
「それはまぁ、そうかも知れないが・・・・・・・」
「大体、傭兵のお前に言われたくないね。お前だって、命令されるまま多くの命を屠って来たんだろ?俺とたいして違いはない。」
「大ありだろ!俺たちは見てきたぞっ!こいつとなんの関係も無さそうな下働きの子供までお前は殺してんじゃねーかっ!俺は、そんな無駄な殺しはしないっ!」
 その叫びに、ヴァイスはスッと瞳を細くした。
「・・・・そいつらが何の関係もないと言い切れるのか?」
「それは、分からないが・・・・・・・・」
「誰がどういう情報を掴んでいるか分からない。自分達にとって都合の悪い情報を流されないためには、必要な事だと、俺は思うんだがな。」
「しかし・・・・・・・」
「子供だからって何も知らないわけじゃない。子供だからこそ、知ってることもある。警戒されないから道具に使われる確率も高い。甘く見るな。そいつ等だって、知らない奴らから見たらただのガキなんだぜ?」
 言いながら、ヴァイスは視線をチッチとナナミへと向けた。
 確かに、それはそうだろう。こんな、どこにでも居るような少年少女が今この辺りで起っている戦争の中心人物なのだ。だからヴァイスの言うことは分かる。
 だが、理性で分かっても感情で納得出来ないものがあるのだ。虐殺ほど、自分の心に引っかかるモノは無いから。
「だからって、何もこんなっ!」
 ビクトールが悲痛な叫びを上げた瞬間、ヴァイスの身体がビクリと跳ねた。何事だと驚くビクトールの存在など忘れたように窓辺に駆け寄ったヴァイスは、そこから外の様子を眺め見て、舌打ちを零す。
「自警団の奴らが現れやがった・・・・・・・っ!」
「来たのか?」
 その呟きに問いかければ、今度はヴァイスがその目を見張った。
「お前等が呼んだのかっ!」
「あ、ああ。中の様子を見てきた門番に、呼んでくるように指示したぜ。」
「・・・・・・・なんて事しやがるっ!」
 これ以上無いくらい激しく、ヴァイスの瞳が怒りに燃上がった。ビクトールの背後にいたチッチとナナミが、その瞳を見て恐怖に身体を震わせる。
 だが、ビクトールは真っ向から受け止めた。そんな瞳に戦くよりも、彼が行った行為に許せないモノを感じていたから。
「悪いことは言わねー。ここで掴まって、改心しろ。これだけ派手な殺しをしたんだから、タダじゃすまねーだろうがな。」
 ただで済まないどころか、間違いなく公開処刑だろう。例え彼が、誰かの依頼を受けていたとしても。殺しをしたのは彼なのだから。
「ざけんなっ!そんなこと出来るわけねーだろうがっ!そもそも、ここで俺が掴まったら、お前達だってタダじゃすまねーんだぞっ!俺とお前等が一緒に居る姿は街の大勢が見てる。例え通報を促したのがお前等だとしても、仲間だと思われるに決まってるだろうっ!」
「そんなことを言って言い逃れる気か?・・・・言ってなかったが、俺たちは同盟軍の偉い方なんだ。話をつければ何とでも・・・・・・・」
「だから、余計にまずいんだよっ!」
 吐き捨てるような叫びに、ビクトールは言葉を一旦切った。何か、凄く嫌な予感がしたのだ。
「・・・・・・どういうことだ?」
 問いかける声に、それまで浮かんでいた怒りの色は消え失せていた。変わりに、不安そうな色が浮かび上がる。イヤな予感が沸き上がってきて。
 その問いかけに、ヴァイスは舌打ちを漏らした後、呟くように答えを返してきた。
「この家の奴らは、ハイランドの高官に通じている。そいつに同盟軍の情報を売って、財を得ていたんだ。」
「え・・・・・・・?」
「それを証明するものはもう既に揃ってる。ここにお前等が居たのがばれたら、間違いなくお前等が犯人にされるだろうよ。何しろ、こいつ等に生きていられて一番困るのは、お前等なんだからな。」
 言い切られた言葉に、ビクトールの背中に冷たい汗が伝い落ちた。ナナミはいまいち状況が飲み込めていないようだが、チッチも暗がりの中でもそうと分かる程、その顔色を青ざめさせている。
 それはそうだろう。自分達は門番に身分を語ってしまったのだから。いまさら言い逃れは出来ない。
「・・・・・・・・やべーな・・・・・・・・・・・・」
「だから、最初からそう言っている。こうなったらもう、逃げるしか手立てがない。俺一人だったら余裕だが、お前等みたいなボンクラがくっついているとなると、かなり状況は厳しいが・・・・・・・」
「んだとっ!てめーっ!」
「正しいだろう?お前等がこんなところにしゃしゃり出てこなければ、こんなことにならなかったんだからな。」
「うっ・・・・・・・・・」
 そう言われてしまったら、言い返すことは出来ない。ハイランドの高官と繋がっている人間を抹殺したとなると、ヴァイスに仕事の依頼をしたのは自分達の関係筋だという可能性が大きいのだから。
 自分達は、先走って大きなミスをしてしまったのではないだろうか。
「ったく。久々にこんな仕事をしてみれば、こんなケチが付きやがった・・・・・・・」
 イライラとしたヴァイスの言葉に、少し引っかかりを覚える。
「久々って・・・・・・・・しばらくやってなかったのか?」
 問いかければ、チラリと視線を向けられた。そして、小さく頷きを返してくる。
「ああ。」
「・・・・・・・・そうか。」
 それが何となく嬉しくて、ビクトールは状況も忘れてホッと息を吐き出した。そんなビクトールの反応を訝しげに見つめていたヴァイスだったが、階下から人が駆けつける気配を感じたのだろう。その瞳に真剣な光を宿し、部屋のドアをジッと、見つめた。
 そして、ゆっくりとドアに向って足を踏み出す。
「まぁ、こんな展開になっちまったもんはしょうがねーからな。今は逃げ切る事に専念するか。おい、お前等っ!」
 語気を強くしながら振り返ったヴァイスは、その端整な顔に不敵な笑みを浮かび上がらせた。
 そして、こう告げてくる。
「道は俺が開いてやる。遅れずに付いてこい。遅れた奴は、置いていく。その時は命の保証はしないからな。」
「ついて行ければ、命の保証はするってのか?」
「ああ。」
 自信満々なその言葉に、ビクトールは状況も忘れて微かに笑んだ。
「強気だな。」
「これでも修羅場は色々くぐり抜けてきたからな。」
「で、どこに逃げ込む気だ?」
「一番安全な場所だ。」
「一番安全な場所?」
「そう。」
 そこで一旦言葉を切ったヴァイスは、大きくドアを開け放ちながら、呟いた。
「お前等の本拠地だよ。」
 そして、一気に廊下に駆けだした。その足の早さに度肝を抜かれたビクトールは、数瞬遅れてその背中について駆けだした。チッチとナナミもその後を駆けている。
 どういう逃走経路を取るのだろうか。どこか裏道でもあるのだろうか。
 そう考えたのだが、ヴァイスは何も気にせずに真っ直ぐに屋敷の中央にあるメインの階段へと、足をかけた。そして、一気に駆け下りる。
 そこから、大勢の人の気配が上ってきているのにもかかわらず。
「おいっ!」
 ビクトールの叫びに非難の色を感じ取ったのだろう。ヴァイスがチラリと視線を投げてきた。だが、返事はほんの少し口角を引き上げるだけに留められた。
 本当にこいつに付いていって大丈夫なのだろうか。ビクトールの胸に不安が沸き上がる。
 と、同時に、階下から上がって来た自警団の一団と鉢合わせになった。いきなり現れた敵の存在に、自警団員の顔がサッと強ばり、身を竦ませた。
 戦場ではその一瞬の隙が命取りになる。その隙を付いて斬り込もうと、ビクトールは武器を持つ手に力を込めた。
 途端に、前方から鈍い音と共に人のうめき声が沸き上がった。
 見ると、ヴァイスがその一団の中に飛び込み、その一団を蹴落とすように回し蹴りを加えていた。
 重い鎧を纏った彼等にその攻撃はきつかったのだろう。自警団員達は、次々に階段から転げ落ちていった。
 その折り重なる集団を飛び越えたヴァイスが、階下から軽く手招きを寄越してくる。
「おらっ!とっとと来いっ!うかうかしてたら次が来るぞっ!」
「お・・・・・おぉ・・・・・・・・」
 ヴァイスの鮮やかな身のこなしに目を奪われ、一瞬反応が遅れたビクトールだったが、すぐに気持ちを切り替え、倒れた一団を踏み越えて再び駆けだしたヴァイスの後を付いていく。
 集まった自警団員の数はそう多くないようだ。階段の途中で出会っただけで、その後は遭遇しない。
 もしかしたらこのまま上手く逃げ切れるかもしれない。そう思いながら一階の床板を踏みしめたとき、誰何の声が辺りに響き渡った。
「そこにいる奴!誰だっ!自警団のモノではないなっ!まさか、貴様等が・・・・・・・・」
 団員がそう怒鳴りつけてきたが、言葉は途中で遮られた。何故なら、素早くその懐に飛び込んだヴァイスの蹴りをその腹部に受けたから。
 ヴァイスの蹴りを受けた金属製の鎧が、鈍い音を辺りに響かせる。暗闇の中で目をこらして見れば、そこには信じられない程深く、足跡が刻み込まれていた。
「おいっ、お前っ!そのブーツの中に何を仕込んでいやがるんだっ!」
 そんな攻撃力を誇るブーツは、絶対にただのブーツではない。そう確信しながら叫べば、問われたヴァイスはこちらに視線を向けることなく、呟き返してきた。
「鉄板。」
「板どころじゃねーだろっ!どう考えてもっ!」
 その返答に速攻で突っ込めば、ヴァイスはようやくチラリと視線を流してきた。
「下らないことで騒ぐな。・・・・・・厩舎に行って馬を奪うぞ。早く来い。」
 それだけ告げ、ヴァイスはみたび走り出す。その動きに迷いは全くないので、この屋敷の配置を熟知しているのだろう。
 そのスムーズな動きを遮るように、廊下の向こうから人の気配が迫ってくる。だが、ヴァイスは一向に気にした様子もなく、真っ直ぐに突き進む。
「おいっ!」
「あんな奴らに、俺がやられるわけねーだろうがっ!」
 ビクトールの制止の言葉に僅かに笑みが浮かんでいる声でそう叫び返したヴァイスは、こちらの存在に気づいて武器を構える自警団員に向って、大きく拳を突き出した。
 と、思ったら、兵士の一人が背後に吹っ飛ぶ。その顔面から多量の血液をまき散らしながら。
「この俺を止めたいなら、死ぬ気で来なっ!」
 そう叫んだヴァイスは、たじろいだ他の団員の肩の辺りにその長い足で回し蹴りを食らわせた。
 途端にぼきりと、嫌な音が闇夜に鳴り響く。
 どうやら、鉄板仕込みのブーツに蹴られて骨が折れたらしい。
 団員を蹴りで吹っ飛ばしたヴァイスは、そのまま一歩前に踏み込み、最後に残っていた団員の腹へと、その拳を叩き込んだ。
 ドゴっと、金属が凹む音が響く。その音を訝しく思って視線を向けてみれば、妙な形の穴が鎧に空いていた。
 どうやってそんな穴が開いたのだろうかと不思議に思いヴァイスの拳を見てみると、そこには金属製のナックルがはめられていた。
「・・・・・・・お前、そんなもんいつの間に・・・・・・・・・」
「素手で倒すんだから、これくらい基本だろ。」
「そりゃあ、そうかも知れないが・・・・・・・・・」
 フリックに似たこの細い身体で戦闘スタイルが格闘というのは、なんだか解せない。まだダガーを操っていてくれた方が様になるというモノだ。
 そんなビクトールの胸の内を感じ取ったのだろう。ヴァイスが小さく鼻で笑い返してきた。
「後で相手してやるよ。今は逃げ切る事だけ考えとけ。」
 それだけ告げると、また駆け出す。一人で団員を相手にしているというのに良くもまぁ、息も切らさずに走り続けられるものだ。
 ビクトールが感心している内に、四人は厩舎へとたどり着いた。
 そこには、毛並みの良い馬が数頭繋がれていた。その中からヴァイスが三頭選び、チッチとビクトールにその馬を示してくる。
「チッチはこいつ。ビクトールはこいつに乗れ。ナナミは俺が乗せて行く。絶対に遅れるなよ。」
「ちなみに、敗走経路は?」
「トゥーリバーを突っ切る。」
「馬に乗ってか?」
「ああ。三頭くらいならなんとかなるだろ。そこのゴチャゴチャしたところで多少はまけるはずだ。そして、一気にレイクウエストまで駆ける。休みは一切無い。馬にもな。だから、極力無理をさせるなよ。」
 自分が乗る馬にナナミを乗せたヴァイスは、そう告げてから自分も馬の上へと、身を乗せた。
「街を抜けるまでは俺が頭を走る。抜けたら殿に変わるから、お前等は俺の動きに惑わされないで一切スピードを緩めるな。敵の攻撃は無視して良い。やばそうなのは俺が排除してやる。」
「・・・・・・・・強気だな。」
「やれない事は言わないさ。行くぞっ!」
 掛け声と共に、ヴァイスは馬を走らせた。その後を、チッチとビクトールが付いていく。
 人二人を乗せているのに、前を行く馬はやたらと早い。多分、馬の扱いが上手いのだろう。馬に重さを感じさせない走りでもしているのだろうか。
 門の所に立っていた自警団の見張りが居たが、何かを仕掛けてくる前にヴァイスが投げたダガーを食らって地面に倒れ伏していた。その身体を跨いで、三頭の馬は夜の街へと、躍り出す。
 夜の街に、馬が駆ける音が鳴り響く。遠くで警鐘が鳴っているのが聞えた。傷の浅い自警団員が気力を振り絞って鳴らしているのかも知れない。
 しかし時は既に遅く。街の門を閉め始める前にビクトール達はそこを通過していった。そこに常駐していた兵士が何やら騒いでいたが、気になどかけている暇はない。うかうかしていると、自分の前を走る馬を見失ってしまうかも知れないのだ。
 と、思ったら前を行く馬が速度を落とした。
 何かあったのだろうかと一瞬訝しんだが、さっき言っていたように殿を務めるためにスピードを落としたのだろう。そう判断し、ビクトールはそれにつられて自分の乗る馬がスピードを落とさないよう、手綱を握り締めた。
 すれ違うとき、チラリとヴァイスの横顔を窺ってみれば、彼はその視線を背後へと、向けていた。追っ手がいつやってくるか、気にするように。
 しかし、ビクトールの視線に気が付いたのだろう。ふと、視線をこちらに向けてきた。そして、瞳が合わさった瞬間にニコリと笑む。
 その笑みに、ビクトールの心臓が高鳴った。そんな自分の反応に、フリック以外の男に何をと、思う。自分は決して男が好きなわけではないのだ。むしろ、女の方が好きだと言い切っても良い。
 だが、フリックだけは別なのだ。フリックが男だから好きなわけではなく、フリックがフリックだから好きなのだ。
 なのに、見目が似ているというだけで、その笑顔にときめいてしまう。そんな自分の心の動きが、気にくわなかった。












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