「よぉ、レオナ。今帰ったぜ!」
「ビクトール。今回は随分長い遠征だった・・・・・・・・・」
 聞き慣れた。だけど、ここ最近聞いていなかった男の声にそう答えながら酒場の入り口へと視線を向けたレオナは、そこに立つ男の姿を目にした途端、凍り付いてしまった。
 全身を身体にピッタリとした黒いレザーの服で覆い、その細く締まった身体のラインを惜しげもなく晒している男の姿に。そして、闇の中にとけ込むような真っ黒い髪の色に驚いて。
「・・・・・・・どうしたんだい?随分とまぁ、思い切ったイメージチェンジをしたじゃないか。」
 呆然としながらそう問いかけると、男は面白がるような笑みを見せた。そして、自分の隣に立つビクトールへと視線を向ける。
「・・・・・・・本当に俺は、その男にそっくりなんだなぁ。」
 クククっと喉の奥で笑いながらそう言葉を発した男の声を聞いた途端、レオナは大きく目を見開いた。
 驚きのために。
 いつもと声が違ったから。
 風邪を引いて声が掠れているとかそんなものではなく、別人のように違う声色だったから。
「・・・・・・・・フリック?」
 訝しむように彼の名を呼べば、彼は意地の悪い笑みを浮かべたまま、視線をレオナへと向け直してきた。
 そして、予想もしなかった言葉を発してくる。
「悪いが、俺はそんな名前じゃねーよ。他にちゃーんと、名前があるんだぜ?」 
「・・・・・・他の名前?」
「ああ。俺の名前はヴァイスだ。覚えておいてくれよ、美人さん。」
 ニッと口角を引き上げながらそう名乗った男は、カウンターのもたれかかるようにしてレオナの顔を覗き込んできた。
 その瞳の色があの鮮やかな青色ではないことに、レオナはそこでようやく気が付いた。抜けるような青空と同じ綺麗な色だった瞳が、今は闇に沈むような深い緑茶色になっていることに。そしてその緑茶色の瞳が、品定めするようにレオナの全身を眺め回す。
「・・・・・ふぅん。こんな美人の女将が居る酒場は初めてだな。ヨロシク頼むぜ?」
「あ・・・・・・・・あぁ・・・・・・・・・・」
「取りあえず、この店で一番強い酒を一本頼む。そいつの払いでな。」
 言いながら、ヴァイスと名乗った男はビクトールへと己の指先を突きつけた。そんな彼の言葉にそれで良いのかとビクトールに視線で問えば、彼は不承不承といった様子ながらも頷きを返してくる。
 ソレを確認してから、レオナは一度奥へと引っ込んだ。
 厨房に入る直前にチラリと振り返ったら、ビクトールとヴァイスと名乗った男が何やら話をしながらテーブル席に向っているのが視界に入った。
 その光景は見慣れたものにとても良く似ているのに、違うモノなのだ。ヴァイスと名乗った男はあんなにもフリックに似ているのに。
 そう思ったが、レオナはすぐに自分の考えを否定した。自分に向けられた男の視線は大分違ったから。
 フリックは今まで一度もあんな視線でレオナのことを見たことが無かった。
 あんな、商売女の品定めをするような瞳で。
「・・・・・本当に、違うの・・・・・・・・・?」
 胸に浮かんだ疑問を口に乗せた。
 造作はこれ以上ない程そっくりだ。あれだけ綺麗な顔の男が二人も三人もいるとは思えない。
 だが、彼が発した声。言葉。口調は、フリックに似ても似つかない。
 フリックはもう少し低い声をしているから。聞いていて心地良い、それを聞いているだけで心が安まるような、優しい声を。
 それに、自分の事をあんな目で見ない。あんな風に称さない。
「でも・・・・・・・・・」
 心に引っかかりを覚えながら、レオナは酒瓶を手に店内へと戻った。軽いつまみも用意して。
「・・・・・・・待たせたね。」
 軽く声をかけながら窺うような視線を向けた。気を付けてはいたが、その視線はあからさまなモノになってしまったという自覚はある。
 だがレオナが思っていた程不躾なものでは無かったのか、男は気にした様子も無く酒瓶とグラスを受け取った。
「ああ。サンキュー。んじゃ、取りあえず俺の活躍に乾杯だ。」
「・・・・・・何が活躍だ。」
 苦々しげにそう呟いたビクトールは、それでも酒を注がれたグラスを受け取った。だがグラスを打ち付ける事はせず、一気にその中身を煽る。
 その様を面白そうに見ていたヴァイスも、同じようにグラスを空にして見せた。
 それを、ビクトールが驚いた顔で見つめている。
 それはそうだろう。そんな飲み方を出来る程弱い酒では無いのだ、この酒は。
 レオナが持ってきた酒は、大酒飲みのビクトールでさえ体調の悪いときに飲んだらひっくり返る程の強さを誇っている酒で、この酒場では『熊殺し』と呼ばれているものなのだ。
 だから、ビクトール同様レオナも驚きに目を見張った。
 そんな二人の動揺にまったく気付いていないのか、ヴァイスは手酌で空になったグラスに新たな酒を注ぎ入れると、再度同じように中身を一気に煽る。
 そして、一言漏らした。
「・・・・・・・・・・はぁ。生き返った。」
 どう考えても死ぬための飲み方なのにそんなことを言われ、ビクトールとレオナは返す言葉を失った。
 そんな二人の事は無視して、ヴァイスはみたびグラスに酒を注ぎ入れ、出されたつまみに手を伸ばす。
「・・・・・・・何ぼうっとしてんだ?」
 先程と違ってゆっくりとしたペースで飲み始めたヴァイスがようやくレオナとビクトールへと視線を向け直し、そんなことを問いかけてきた。
 その言葉にボンヤリとしていた意識を引き戻したレオナは、恐る恐る問いかける。
「・・・・・あんた。そんな飲み方して大丈夫なのかい?」
「ああん?こんなのいつものことだぜ?気にすんな。」
 事も無げにそう言い放ったヴァイスは、顔色を変えずに淡々と飲み続けている。
 その様は普段のフリックと似ても似つかないものだった。普段のフリックは嗜む程度の酒量しか飲んでいないから。だから、こんな風に強い酒を水の様にかっくらうこの男はフリックと別人だと考える方が妥当だと思われる。
 だけど、人前では見せないフリックのザルを通り越してワク。いや、ワクすらも無いような飲みっぷりを知っているレオナの胸の内には、再度疑問が浮かび上がる。
 やはりこの男はフリックでは無いのだろうか、と。
 その疑問を放っておくことは、レオナには出来なかった。だから、彼に問いかける。
「あんた・・・・・・・本当にフリックじゃないのかい?」
「・・・・・・まだそれかよ。」
 レオナの問いに、ヴァイスはあからさまにウンザリしたと言いたげな表情をその端整な顔に浮かべて見せた。
 そして、不機嫌だと言うことを隠しもしないでレオナの顔を睨み付けてくる。
「ったく、どいつもこいつも。違うって言ってるだろうが!それをいつまでもフリックフリック言いやがって・・・・・・・・そんなに似てんのか?そいつと俺は。」
「・・・・・・ああ。顔だけで見たら、同一人物だよ。」
「へぇ。そりゃあ一度見てみたかったな。」
 馬鹿にするような声でそう吐き捨てたヴァイスの言葉に、小さな引っかかりを覚えた。だが、それがなんなのか問いかける前に、ヴァイスが言葉を続けてくる。
「んなにそっくりだって言うなら、そのフリックって奴を演じてやっても良いぜ?仕事としてだから、ちゃんと金は貰うけどな。」
 どうだ、と言いたげにビクトールに話を振るヴァイスに、言われたビクトールは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「・・・・・・てめーにフリックの代わりが出来るかよ。」
「誰が代わりをするって言ったよ、フリだよ、フリ。同じ顔が戦場にいるだけで士気が上がるってもんだろ?」
「・・・・・いらねーよ。俺たちは、そんな柔じゃねー。」
「ふん。そうかよ。ならせいぜいがんばんな。この次に泣いて頼んでも聞いてやらねーからな。」
「誰が頼むか。お前なんかに。」
 フリック相手にじゃれついているのとは違う、心の底から嫌がるようなビクトールの声音に、レオナは密かに眉根を寄せた。誰を相手にしていても大らかなビクトールがこんな態度を取るなんて珍しいと思って。
 この二人の間に何が有ったのだろうか。
 訝しんでいるレオナの事など構いもせずに、ヴァイスはグラスに口を付けながらニヤリと、口角を引き上げた。
「そいつと俺の違いが、そんなに腹立たしいのか?」
「・・・・・・・・んなんじゃねーよ。」
「じゃあ、なんなんだよ。」
「アイツに関係なく、お前のやり方が気にいらねーんだよ。」
「はっ!お前は随分とキレイな生き方してきたんだな。」
「なんだとっ!」
 その心底馬鹿にしたようなヴァイスの言い様に、ビクトールのこめかみに血管が浮かび上がった。ヴァイスに向ける眼差しも射抜くような物で、まともに目にしたら震え上がりそうだ。
 だが、ヴァイスは震え上がるどころか、逆にその薄い唇に笑みを浮かべて見せた。
「違うのか?綺麗事ばっか並べてるから、世の中の薄暗い部分なんか見て来てないのかと思ったんだがな。そのフリックって奴もよ。」
「・・・・・アイツがどんな生き方してたかなんて、知らねーよ。だが、お前なんかよりも数倍マシだ。お前みたいに、無駄な殺しなんかしてなかったからな。」
 自分だけでなく相棒のことも馬鹿にされたからか、ビクトールの瞳にはこれ以上ない位に獰猛な光が宿されていた。その瞳にさすがに戦いたのか、ヴァイスは視線を己の足元へと向けた。そして、肩を小さく震わせる。
 恐怖のあまり泣き始めたのだろうか。そう思い、レオナはヴァイスの顔を覗き込もうと一歩彼に近づいた。
 だが、その足はすぐに止まった。
 なぜならば、ヴァイスは泣いているのではなく、必死に笑いを堪えているのだと言うことに気が付いたから。
 最初は喉の奥でクククっと、声をかみ殺すように笑っていたヴァイスだったが、徐々にその笑いをかみ殺せなくなったらしい。肩だけだった震えが全身に周った。
 そして、堪えきれなくなった笑いをその口からあふれ出させる。
「くっ・・・・・・・・はっ・・・・・・・・・あはははははっ!」
 腹を抱え、目には涙をまで溜めて大笑いするヴァイスの姿を、レオナもビクトールも、そのテーブルの不穏な空気に事の成り行きを見守っていた店内の客達全てが呆然と見つめていた。
 顔立ちがまんまフリックなので、その姿はフリックが馬鹿笑いしているようにしか見えない。そんなこと、彼がしたことは無いけれど。
「くくくっ・・・・・あぁ、もう。腹痛ぇーーーーーっ!」
「なっ・・・・・・・なんなんだっ!言いたいことがあるなら、はっきり言いやがれっ!」
「いや、別に何も・・・・・・くくくっ!」
「だったら、笑ってんじゃねーーーっ!」
 顔を怒りの為に紅潮させたビクトールがテーブルに力いっぱい己の拳を叩き付けた。その音は静かになっていた店内に響き渡り、そこにいた全員の身体がビクリと震えた。
 いや、全てではない。その音とビクトールの剣幕に震えるべき人物だけがただ一人、堪えきれぬ笑いをかみ殺しながらビクトールの顔を楽しげに見つめていた。
「・・・・・・・・お前って、結構夢見がちな奴だよな。」
「あぁ?てめーっ、なに言って・・・・・・・・・」
「ああ、そうか。死人に対する思いだから美化されてんのか。」
 ビクトールの叫びを遮るように割り込んだヴァイスの言葉に、ビクトールの肩が大きく揺れた。
 店内の人間達は、皆何を言われたのか分からないと言いたげに目を丸めている。
「てめぇ・・・・・・・なんでそれを・・・・・・・・・」
「ンな事はお前の目を見ていれば分かるさ。」
 クスリと、小さく息を漏らして笑ったヴァイスは、ビクトールが何か言葉を発する前にその先を続けてきた。
「大変だよな。これからって時に軍の筆頭戦士に死なれただなんて。」
 天気の話をするかのように気軽な口調でそう語ったヴァイスは、空になったグラスに酒を注ぎ、美味そうに飲み下す。そして再び、言葉を続けた。
「俺に感謝して貰いたいぜ、ビクトール。その大変な時期に身近な敵を一掃してやったんだからな。謝礼金を貰いたいくらいだ。罵倒じゃなく、な。」
 グラスを軽く掲げて見せながらニヤリと笑むヴァイスの言葉に、ビクトールがゆっくりと口を開いた。
 だが、彼が言葉を発する前にレオナが言葉を挟み込む。
「・・・・・・・ちょっと、待ってよ・・・・・・・・・・・」
 そのどこか呆然とした声音による問いかけに、ヴァイスはチラリと視線を向けてくる。レオナはそんな彼の胸ぐらに掴みかかった。
「死んだって・・・・それって、フリックがって、事かい?」
「ああ、そうだぜ。なんだ、あんたら知らなかったのか?」
 不思議そうに首を傾げながらそう問いかけてきたヴァイスだったが、自分の言葉に納得するようにすぐに小さく頷いた。
「そりゃそうか。『青雷のフリック』が敵にやられたとなりゃぁお前等の軍の士気は下がるだろうし、兵の集まりだって悪くなるだろうからな。逆に、ハイランドの奴らにはやる気がわき上がるってもんだ。出来たばかりの寄せ集めの軍には、辛い事実だな、こりゃ。」
「・・・・・・いい加減な事を言うんじゃ無いよ。」
 胸ぐらに掴みかかっていた手に更に力を込めながら、ボソリと呟く。
 形が似ていても、フリックとは大きく違緑茶色の瞳を睨み付けながら。
「フリックが・・・・・・・・あの子が死ぬわけないだろうっ!フリックは、そんじょそこらの奴に負けない位強いんだよっ!」
「でも、それが事実だ。なぁ、ビクトール?」
 レオナから視線を反らしてビクトールへと意地の悪い笑みを向けたヴァイスに習い、レオナも視線を動かした。
 そして、ヴァイスの胸ぐらを掴み上げている手を放しもせずに今度はビクトールに睨みを効かせた。
「・・・・・・本当なのかい?」
 問えば、ビクトールは辛そうに視線を反らせた。
 その弱気な態度に、レオナの眦はさらにつり上がる。
「ビクトールっ!」
 怒鳴るレオナの声と店中から向けられる痛い程の視線に負けたのか、口を噤んでいたビクトールがようやく口を開いた。
「・・・・・・・・ああ、そう言う話だ。」
 胸の内から絞り出したようなその声に、レオナも店内に居たもの達も皆、息を飲んだ。そんなレオナ達に、ビクトールは目をつりあげながら怒鳴りつける。
「だが、俺は認めねーーーっ!アイツがそんなに簡単に死ぬ訳ねーっ!シュウやチッチが何を言っても、俺はアイツを見つけ出す。必ず・・・・・・・・・」
「死んだ人間探してもしょうがねーだろ。」
 ビクトールの決意を挫くように、ヴァイスが馬鹿にしきった声でそんな言葉を返してきた。
 途端に、ビクトールの顔に朱が走る。
「てめーっっ!」
「お前がどれだけやる気になっているか知らねーけどよ。時間と労力と金の無駄使いはするんじゃねーよ。」
 からかうような口調に、ビクトールは奥歯をギリギリと噛みしめている。多分、ここが酒場ではなく人の少ない場所であったなら、ビクトールはヴァイスに斬りかかっていただろう。それくらい、彼の全身から発する殺気は凄まじかった。
「・・・・・・・・・俺、シュウさんに確認してくる・・・・・・・・」
 誰かがそう言い残して去っていった。
 それは必要な事だろう。今のビクトールの言葉を頭から信用する事は出来ないし、ヴァイスは存在そのものが胡散臭い。
 見た目はフリックなのに、彼が全身から放つ気配に禍々しさすら感じてしまう。
「お前には・・・・・・・・情ってもんが無いのか?」
 絞り出すようなビクトールの言葉に、ヴァイスは不思議そうに首を傾げて見せた。
「情?」
「ああ。・・・・・確かにてめーの言うことは正しいかも知れねーよ。だけどなぁ、気持ちの部分で納得出来ねーもんが有るだろうがよっ!」
 ガンっと、テーブルが割れるのでは無いかと思うくらいに強く両手のこぶしを振り下ろしたビクトールに、ヴァイスは冷ややかな眼差しを向けていた。その眼差しに薄ら寒いものを感じ、それまでヴァイスの胸ぐらを掴み上げていたレオナの手が、スルリと外れた。
 そして、ヨロリと一歩下がる。
 二人の間に立ちこめる殺気に身体が震えて。
「・・・・・・・・情ねぇ・・・・・・・・・」
 ボソリと呟いたヴァイスは、今まで浮かべていた物よりも更に酷薄な笑みをその口元に刻んだ。そして、馬鹿にしきった声をビクトールへと投げかける。
「そんなもんひけらかす奴に限って、早死にするんだぜ?アイツみたいにさ。」
 そうヴァイスが言った途端、静まり返った酒場にバシャリという音が響き渡った。
 音の出所を見れば、そこには頭から水を滴らせているヴァイスの姿が。
 そのヴァイスが口元に落ちてきた水滴を己の舌先でぺろりと舐め取り、酒浸りになった前髪を左手でゆっくりとかき上げた。
「・・・・・・・・勿体無いことするんじゃねーよ。」
「うるせーっ!その下らない事をほざく口をさっさと閉じやがれっ!」
「下らねーのはてめーの言葉だろ。寝言は寝てから言うんだな。」
 そう吐き捨てるように告げたヴァイスは、己の肩先へと視線を向けた。そして、ゆっくりと眉根を寄せていく。不愉快そうに。
「・・・・・・・ちっ!気に入ってたんだぞ、これ・・・・・・・」
 呟き、おもむろにその場に立ち上がった彼は、着ていたジャケットに手をかけ、躊躇いもせず脱ぎ捨てた。そこに現れたモノを目にして、皆はハッと息を飲み込む。
 透けるような白い肌に、赤と黒を基調とした蛇のような生き物の入れ墨が施されていたのだ。元の肌が見える部分が少ないくらいに、びっしりと。
 腹にも背中にも、そして腕にも余すとこなく、ヴァイスの身体に絡みつくように。
「・・・酒臭さくなったじゃねーか。どうしてくれんだよ。」
 グイッと、脱いだジャケットをビクトールに突き出すヴァイスの動きに、彼の全身を覆う実用的な細く締まった筋肉が動きを見せる。その動きに妙な色気を感じ、レオナの心臓は大きく波打った。
 あの身体に触れてみたいという衝動を感じて。
 それはビクトールも同じなのか、先程とは違う様子で口を噤んでいる。そのビクトールに、ヴァイスは尚も己のジャケットを突きつけ続けた。
「おいっ、聞いてんのか、てめー。きっちり弁償しやがれっ!」
「何をやっているんだっ!」
 ビクトールが言葉を発する前に、酒場の入り口から固い声が響き渡った。
 慌ててそちらに視線を向ければ、そこにはこれ以上無いくらい眦をつり上げた軍師シュウの姿が。
 彼の姿に、店内に居た者達がハッと目を見開き、蜂の巣を突いた勢いで口々に騒ぎ出す。
「シュウさん!副隊長が死んだって、本当っすかっ!」
「そんなの、こいつの嘘ッスよねっ?」
「フリックさんが死ぬわけねーっ!違うって言ってくれよっ!」
 しばらくの間耳に届く皆の言葉を静かに聞いていたシュウだったが、何も答えることはせず、ゆっくりとその視線をビクトールとヴァイスへと向けた。そして、二人のいるテーブルへと、近づいてくる。
 彼の動きに、レオナはなんとなく後ろに下がり、道を空けてやった。
 高い靴音を鳴らしながらヴァイスの目の前にやって来たシュウは、その緑茶色の瞳をギロリと睨み付けた。
「・・・・・・・この騒ぎを起こしたのはお前か?」
「俺だけのせいにされるのは、心外だけどな。」
「・・・・・・・そうか。」
 フウッと、忌々しげに息を吐き出したシュウは、再度ヴァイスに視線を向け直した。そして、顎で酒場の入り口を指し示す。
「話は粗方聞いた。詳しく事情を聞きたいから、付いてこい。」
「あん?付いていったら、俺になにか良いことがあるのかよ。」
「・・・・・・・・それは、お前次第だ。」
 挑むようなシュウの瞳をしばし無言で見つめ返していたヴァイスだったが、その緑茶色の瞳にフワリと笑みの色を浮かべると、口元をゆっくりと引き上げた。
「・・・・・・・良いぜ。つき合ってやるよ。」
「なら来い。こっちだ。」
 吐き捨てるようにそう告げたシュウは、話はそれでしまいとばかりに踵を返し、来た道を戻り始めた。
 その背に、レオナが慌てて声をかける。
「ちょっと、シュウっ!」
 せっぱ詰まった色の濃いその声に、シュウがチラリと視線を向けた。一応話を聞く態度を見せる彼に、レオナは咳き込むように問いかける。
「フリックが死んだって言うのは、本当なのかい?」
 問いかけに、シュウはチラリとヴァイスに視線を向けた。その視線に彼がどういう顔をしたのか、レオナの立っている場所からは分からなかったが、彼の反応にシュウが小さく息を吐き出したのは分かった。
 そしてそのシュウが、どうでも良さそうな、それでいてどこか怒りを含んでいるような微妙な声音で吐き捨てるように頷き返してくる。
「・・・・・・ああ、そうだ。」
 それだけ告げ、シュウは後ろも見ないで酒場から出て行ってしまった。その後をヴァイスがついていく。
「ちょっと!どうして・・・・・・・・いったい・・・・なんでっ!」
 レオナの声に彼は答えてくれなかった。だが、軍師の口から直接聞いたその言葉に、酒場は騒然となった。
 皆が泣いて騒いで。
 その騒ぎが城全体に行き渡るのに、そう長い時間を必要としなかった。










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20061005up










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