酒場で質問攻めにあったビクトールは、早々に己の部屋へと引き戻った。
 久し振りに戻った自室の空気は妙に冷めていて、なんだか自分の部屋とも思えない。
 その部屋の一角に立てかけられていた一振りの剣に、ビクトールはゆっくりと近づいた。
「フリック・・・・・・・・・・」
 手に取り、その柄をゆっくりと愛しげに撫でながら剣の持ち主の名を呟いた。
 その剣を片手に持ち、備え付けの棚から酒瓶を一本引き抜く。そして、手近な椅子に腰掛けて酒瓶の栓を空け、中身をグラスに注ぐことなく、直接瓶口に口を付けて一気に中身を煽った。
 それなりに強い酒のはずなのに、酔いは全然回ってこない。
「ちくしょう・・・・・・・・」
 酒場に集まっていた者達に、話を聞きつけて新たに酒場に現れた者達に口々に言われた言葉が、脳内でグルグル回っている。
 フリックが死んだって本当か?
 フリックが死んだって本当か?
 フリックが死んだって・・・・・・・・・・
「うるせぇっ!」
 自分を蝕む幻聴に怒りが込み上げ、手にしていた瓶を力一杯壁に叩き付けた。その瞬間、ガラスの割れる乾いた音が静かな室内に響き渡る。
「・・・・・・ちくしょう・・・・・・・・・・・」
「随分荒れてるな。」
 唐突にかけられた声に、ビクトールは全身を震わせた。
 その様が面白かったのか、クスクスと軽い笑い声を漏らしながら、細い人影がゆっくりと浮かび上がってきた。
「ヴァイス。どうしてここに・・・・・・・・・?」
「軍師様に聞いてきた。お前で遊ぼうと思ってな。」
 楽しそうにそう言いながら足音も立てずに近づいてきたヴァイスは、酒場を出たとき同様ジャケットを着ていない。出るときには手にしていたが、今はその手に持ってすら居ない。シュウの部屋に置いてきたのだろうか。
 そんなどうでも良いことを考えながら、ビクトールは月明かりに浮かび上がるヴァイスの裸の上半身を見つめ続けた。
 鍛えられたしなやかな筋肉。月明かりに晒されて白さが増している肌色の面積は、所狭しと彼の身体を包み込んでいる入れ墨のせいで少ない。だが、少ないだけにより一層その白さが目立ち、目を離せなくなる。
 そんな自分に舌打ちをしつつ、ビクトールはヴァイスの身体から外せなくなっていた視線を無理に引きはがした。
「俺には、そんな気ねぇよ。さっさと失せろ。」
 ヴァイスの身体から視線を反らすために見つめた酒瓶を手の中で弄びながらそう返せば、ヴァイスは楽しげに言葉をかけてきた。
「つれないこと言うなよ。お前、溜まってんだろ?」
「何を・・・・・・・」
 言っているのだ、と続けようとした言葉は、途中で飲み込んだ。何の前触れも気配も無く、いきなり捕らえられた顎を無理矢理上向かされたから。
 何事だと目を剥いたビクトールだったが、その瞳はすぐに自分の顔を覗き込んできたヴァイスの顔に釘付けになった。
 どんな高級娼婦よりも妖艶に笑む、彼の顔に。
「・・・・・・アイツ・・・・・フリックって言ったか。そいつ、お前の恋人だったわけ?」
「な・・・・・・・・・・」
「鬱陶しいくらい物欲しそうな目で見てたぜ、俺のこと。今すぐにでも押し倒して突っ込みたいって面でな。」
 馬鹿にするような口調で告げられた言葉に、一気に頭が怒りに沸いた。
「なっ!お、俺は、そんな目・・・・・・・・」
「してたっつってんだろ。その視線に晒され続けた俺が言ってんだ。間違いねーっての。」
 キッパリと言い切ったヴァイスに、ビクトールは返答に困った。そう言う目で見ていた事は確かだったから。
 でも、いつもでは無い。時々彼の中にフリックを感じた時だけだ。違う人間だと思いはしても、顔がそっくりなのだからそれは仕方の無い事だろう。そう、自分に言い訳しながら。
 だからヴァイスの言うことは間違いでは無いのだが、ここでソレを認めるのはプライドが許さなかった。
 一筋縄ではいきそうにない目の前の男をどう誤魔化そうかと悩んでいたら、いきなり視界が流れた。
「うわっ!」
 驚いた次の瞬間には、身体がベットの上に放り投げられていた。
 突然のことに反応出来ずに呆然と瞳を見開いていれば、視界にヴァイスの端整な顔が飛び込んできた。
 その顔を呆然としたまま見上げれば、彼はニッコリと、実に可愛らしく微笑み返してくる。その笑みに状況を確認することも忘れて見惚れていたら、彼はその薄い唇から楽しげな声を発してきた。
「まぁ、良い。お前が誰とつき合ってても俺には関係の無いことだ。ンな事よりお前、溜まってるんだろ?この俺がお前の性欲処理につき合ってやるから、有りがたく思え。」
「え・・・・・・・・・って、てめーっ!何しやがんだっ!」
 腰帯から取り出したダガーを器用に操るヴァイスに着ている物を切り刻まれたビクトールは、顔を真っ青にした。この状況のやばさを今頃になって痛感して。
 慌てて飛び起きようとしたが、それよりも早く腹の上に乗り上げられ、身体を押しのけようと伸ばした手は頭上で取り押さえられた。
「・・・・・・おい。」
「喜べ。俺からこんなに熱烈な誘いをしてやる事なんて滅多に無い事だぜ?」
「誰もそんなこと望んじゃ・・・・・・・・・・っ!」
 文句の途中で唇を塞がれ、ビクトールは思わず息を飲んだ。侵入を拒むために歯を食いしばろうとしたのだが、ソレよりも前にヴァイスの舌が差し込まれ、ビクトールの口内を蹂躙していく。
 されるがままになっているのは腹が立つので、ビクトールはさっさと気を取り直し、すぐに応戦する。
 そのビクトールの動きに鼻で小さく笑いを零したヴァイスが、片手ずつ抑えていた手を両手で一纏めにし、貪るような口づけを与えながら空いた片方の手でゆっくりと露わになったビクトールの身体のラインを撫で上げる。
 突如触れてきた自分よりも低い体温の掌に、ビクトールの身体は自然と跳ねた。その様を瞳を細めて笑ったヴァイスが、胸筋から腹筋にかけてゆっくりと指先で辿る。
 その微かな刺激に、ビクトールの背中にザワリと、震えが走った。
「・・・・・っ!おいっ!」
「なんだ?」
 僅かに唇が離れた隙に声を発すると、ヴァイスは啄むようなキスをしながらも問い返してきた。
 その瞳に笑みが浮かんでいることから、ビクトールが慌てている様を見て楽しんでいるのだと言うことが知れる。
 だからこそ冷静に対応しようと思うのだが、慣れぬ体勢に焦りばかりが募ってきて、上手く気持ちを整理出来ないでいた。
 とは言え、この状況からは早々に脱出しなくてはならない。ビクトールは必死に言葉を吐き出した。
「良いから、退けっ!俺にその気はねーぞっ!」
「嘘付くなよ。こんなになってるくせによ。」
「・・・・っ!」
 与えられた刺激によって既に成長していた物を力強く握りこまれ、ビクトールは痛みのあまり息を飲んだ。
 それでもソレは力を失うことなく姿を保っていて、ビクトールは己の性欲がこれ以上無い程高まっている事を知った。
「素直になれよ。自分の欲望にさ。」
「・・・・・・・・・うるせぇ。」
「もしかして、彼氏に操立ててたりするのか?純情だねぇ・・・・・・・・」
「・・・・・彼氏じゃねー。大事な、相棒だ。」
「ふぅん?」
 ビクトールの言葉に、ヴァイスはキラリと瞳を閃かせた。そこには何かを企むような色があったが、ふて腐れるように言葉を吐き出したビクトールはそっぽを向いていたので、その事に気付かなかった。
「じゃあ、相棒に操立ててんの?もう死んで、この世に居ないのに。」
「・・・・・そう、決まったわけじゃねー。」
「軍師と軍主が言ってるのにか?」
「ああ。」
「自分で死体を見てないから?」
「ああ、そうだ。」
「じゃあ、お前はこの先一生セックス出来ねーな。」
 その言葉にはカチンと来た。だが、先程から自分の気を逆撫でするような事しか口にしない男の相手などまともにしていられない。
 まともに相手をするから冷静さを無くすのだ、と胸の内で呟きながら、ビクトールは静かな声で言葉を返した。
「うるせー。好きに考えろ。俺は信じてるんだ。アイツが必ず生きてると・・・・・・」
 目を閉じれば、彼の姿は目蓋の奥に鮮明に浮かび上がる。怒った顔も笑った顔も、戦っている姿も。
 誰よりも近くで彼を見続けてきた。だから、彼が死んだなどと言うことは信じられなかった。街道の端に切り捨てられていた等と。
 そう考えていたビクトールの耳に、ヴァイスの冷ややかな声が飛び込んできた。
「お前が信じてようが信じてまいが関係ねーよ。本当に死んじまってるからな、そいつ。紋章の力を封じられて、近くを歩いていた子供を人質に取られて、反撃も出来ずにな。呆気ないモノだったぜ?」
「・・・・・・・・え?」
 告げられた言葉にどんな意味があるのか、ビクトールにはしばらく分からなかった。だから呆然と、自分の顔を覗き込むヴァイスの顔を見つめ返した。
 その視線に柔らかく頬笑んだヴァイスは、笑いを含んだ声で告げてくる。
「見たんだよ、たまたま。割って入るのも馬鹿みたいだから事が終わるまで待ってたんだけどな。全てが終わってから近づいた時にはもう、息は無かったな。たまたま立ち寄っただけだし、俺がやったと思われるのもいやだったからそのまま放置しておいた。顔は確認してねーけどよ。あの辺であんな狙ってくれと言わんばかりの衣服纏ってんのはお前の相棒くらいだろ?」
 ヴァイスの口から語られた言葉は妙に生々しく、シュウやチッチの言葉よりもすんなり頭に入ってくる。
 その場に固まり何も言えなくなっているビクトールに、ヴァイスは更に言葉を続けてきた。
「ちなみに、俺が押し入った屋敷にそいつ等が居たぜ?」
「そいつ等?」
「フリックを殺した奴ら。」
 キッパリと言い切ったヴァイスが、遊びの計画を話している時のような口調でビクトールの心に傷を刻んでいく。
「屋敷に入る前に下調べを入念にやるんだが、そこでフリック殺しの証拠も見つかった。お前が殺すなと言っていた男は、間接的にフリックを殺した奴なんだよ。ちなみに、大ボスはまだ生きて、トゥーリバーに居る。」
 ヴァイスがさあ、どうすると言いたげな瞳で覗き込んできたが、ビクトールは少しも気付かなかった。語られた言葉を消化する事が出来なくて。
「・・・・・・・見殺しにしたのか?」
 ようやく吐かれた一言は、掠れて大層聴き取り難かった。しかし、ヴァイスには伝わったらしい。彼は、ゆっくりと瞳を細めて見せた。
 笑みの形に。
「ああ。無駄な事に関わらないようにしてるからな。」
「お前が助けに入ってりゃ、あいつは助かったんだろっ!無駄な事など・・・・・・・・・」
「あいつがやられてた事自体、無駄なんだよ。」
 馬鹿にするようなヴァイスの言葉に、睨み付けるような眼差しで先を問う。
 すると彼は、クスリと小さく息を漏らした。
「言っただろ。情をひけらかす奴は早死にするってな。」
「どういう・・・・・・・・・・・」
「奴らが人質に取ってた子供な。同じ屋敷で働いていたよ。仲良さそうに、自分を捕らえていた奴らと話をしてた。実に、楽しそうにな。」
 ニヤリと口角を引き上げたヴァイスの笑みは、今まで見たどんな笑みよりも酷薄で、嘲りの色が強かった。
 その嘲笑は、フリックに向けられた物なのだろう。まんまと敵の罠にはまり、命を落としたフリックへの。
「・・・・・・お前・・・・・・・・・・」
「あいつらが結託してるなんてこと、端から見ていれば分かるのにな。少しも気付いてないアイツが馬鹿だったんだよ。剣の腕が良くても、使えなきゃただの肉だ。」
「黙れッ!」
 それ以上聞いていたくなくて、ビクトールは腕を振り上げた。
 火事場の馬鹿力とはこういう物なのだろうか。先程はピクリともしなかった腕の拘束をはじき飛ばし、僅かに目を見張っていたヴァイスの頬を思い切り殴りつける。
 殴られた勢いでヴァイスの身体が宙に浮いたが、無様に床の上にヒックリ返ること無く、腕で自分の身体を支え。体勢を整えている。
「・・・・・・・ふん。キレて力で押し通すのか。さすがに獣は単純だな。」
「うるせぇ!その下らない事をほざく口をさっさと閉じろっ!」
 叫ぶなり殴りかかったビクトールだったが、相手は体術の専門家だ。ビクトールの大振りな攻撃が当たるわけもない。
「・・・・・・・ちっ!」
 どうしてももう一発殴りつけたくて仕方の無かったビクトールは苛立たしげに舌を打ち、大きく拳をつきだした。だが、逆にその腕を取られ、床の上に叩き付けられる。
「・・・・・っ!どけっ、この野郎っ!」
 俯せに組伏されて腕を捻り上げられたビクトールは、低く呻いたあと、背後に向って力の限り怒鳴りつけた。
 だがヴァイスにはその恫喝に怯んだ様子がまったく無く、逆に楽しそうに返された。
「俺の口を塞ぎたかったら、てめーの口で塞ぐんだな。」
「・・・・・・ざけんなよ、てめぇ・・・・・・・・」
 そう低く呻いた直後に、捻られて痛む腕の関節を無視して勢いよく上体を引き起こす。
 それにはさすがに虚を突かれたらしい。ヴァイスは後方に吹っ飛ばされ、床に後頭部を打ち付けた。
「・・・・・・・っ!」
 小さくうめき声を上げるヴァイスの隙を付いて、彼の身体にのし掛かる。
 足を完全に押さえる事は出来ないが、腕だけでも封じようと、細いくせに破壊力はかなりある腕を、床に縫いつけるように取り押さえた。
「・・・・手間かけさせんなよ・・・・・・・・・」
「そっちの方が、燃えるだろう?」
「うるせぇっての。黙れよ。」
「黙らせたかったら口を塞げって言ってんだろーが。人間の言葉が分からないのか?」
「・・・・・うるせぇ。俺は・・・・・・・・・・・」
「フリック以外とはやらないって?」
 クククッと楽しげな笑いを零したヴァイスだったが、次の瞬間にはその瞳に冷ややかな眼差しが浮かんでいた。
 そして、感情の見えない声で一言、漏らす。
「俺の知ったことかよ。」
「なっ・・・・・・・・!」
「俺は、今、お前とやりたいっつってんだよ。てめーにお伺い立てた覚えはねー。どうしてもやらねぇって言うなら・・・・・・・・・」
「言うなら?」
「お前の大好きな相棒さんの所に送り届けてやるぜ?」
 自信に満ちた言葉と眼差しに、ビクトールは目を見張った。その眼差しが、フリックが時々見せる顔にとても良く似ていて。
「てめーは・・・・・・・・」
「さぁ、どうする?お前が選べるのは、二つに一つだけだ。死ぬか、生きるか。どっちだ?」
 答えを促すように見上げてくる瞳には、無邪気とも言える光が浮かんでいた。言葉と状況にそぐわない程、楽しげなモノが。
 その瞳に吸い込まれるように、ビクトールはヴァイスの唇に口付けていた。フリック以外の人間に心を動かされる事などないと、思っていたのに。
 それなのに何故か、この男の瞳には抗えない。
 それはやはり、容姿がフリックに似ているからだろうか。
「・・・・・・ンな事ねー・・・・・・・・・」
 ボソリと呟き、自分の言葉を否定した。自分は確かにフリックの外見を好いてはいたが、それだけではない。
 彼と背中を合わせて戦うときの安心感や幸福感。そして胸が躍るような楽しさは、彼の容姿とはまったく関係の無いところから発しているのだから。
 だったら、何故目の前の男に惹かれるのだろうか。フリックを見殺しにしたと言う、この男に。
 考え込んでいたら、唇に噛みつかれた。驚いて組み敷いた男の顔を見やれば、彼は自分の唇を舌先でぺろりと舐め上げながら、ニヤリと、からかうように笑いかけてきた。
「真面目にやれよ。俺を満足させられないようなお粗末な腕してやがったら速攻で殴り殺すぞ。」
「・・・・・・言ってろよ。ぜってー腰立たなくさせてやる。」
「そりゃあ、楽しみだ。」
 かわいげの無い言葉ばかり吐き出す口を、己の口で塞いでやる。
 ヴァイスからの誘いを受けた事によって捕らえている必要の無くなった両腕を解放してやれば、その腕がゆっくりと首筋に巻き付いてきた。
 その筋肉に覆われたしなやかな腕の感触に覚えが有るような気がするのは、気のせいだろうか。
「・・・・・・フリック・・・・・・・・・」
 無意識に口から零れた名前に、組み敷いた男が微かに苦笑を漏らした事に、ビクトールは気付かなかった。










BACK        NEXT







20061006up














[8]