ゆっくりと意識が浮上してくる。ここしばらく感じていなかった満足感と安心感を胸の中で沸き上がらせながら。
 そして、その思いの元となっているモノを再度確認しようと腕を伸ばしてみたが、己の傍らにそれはなかった。
「・・・・・・フリック?」
 寝起きで掠れた声で傍らにいるであろう男に呼びかけたビクトールは、自分の声で現実を認識し、それまで混濁していた意識が一気に覚醒へと向った。
 そして慌てて上半身を引き起こして室内へと視線を向ける。だがそこには誰の気配も残っていなかった。
「・・・・・・あの野郎・・・・・・・・」
 抱いたのは自分なのに、何故か良いように弄ばれた気がして憎々しげに吐き出す。
 開いたばかりの瞳を刺す強い日差しに窓の外を見やれば、陽は既に真上まで昇っていた。遠征あけとはいえ、随分とまぁ寝過ごしたものだ。
 深々と息を吐き出したビクトールは、床に散らばっている己の服の残骸を忌々しげに見つめた後、新たな衣服を取り出そうと、ベッドの上から床の上へと、足を踏み出した。
 そこでふと、気が付いた。
 有るべきモノがここに無いと。
 頭から一気に血の気が失せたビクトールは、素っ裸のままで部屋のあちこちをヒックリ返し始めた。だが、どこを探してもアレがない。
 昨夜はあった。手にしたから間違いない。ではどこに行ったのだろうか。いや、考えるまでもない。この部屋には昨夜、自分ともう一人居たのだから。自分に記憶が無いのなら、犯人は自ずと知れるというものだ。
「・・・・・やろうっ!」
 下がっていた血が一気に頭に戻る。怒りの為に。
 そのまま駆け出そうしたがさすがにソレはマズイだろうと、ドアの取っ手に手をかけたところで思い直し、慌てて衣服を身に纏った。
 そして、すれ違う人をはね飛ばす勢いで廊下を走り抜け、軍師の部屋のドアを力任せに押し開けた。
 その乱暴な扱いに城全体が揺れたような気がしたが、ビクトールは少しも気にかけなかった。そんな些細な事に構わず、ビクトールは驚きに目を見張っているこの部屋の主の胸ぐらを掴み上げ、唾を吐きかかる勢いで怒鳴りつけた。
「シュウっ!てめーっ、あの野郎をどこにやったっ!」
 突然怒鳴られ、最初は訳が分からないと言う顔をしていたシュウだったが、すぐにビクトールの怒りの意味が分かったのだろう。胸ぐらを掴んでいるビクトールの手を鬱陶しそうにはたき落とし、睨み返してきた。
 そして、どうでも良さそうに一言呟く。
「・・・・・知るか。」
「知るかじゃねーっ!知らねーってんなら、さっさと探せっ!このクソ軍師っ!」
 その罵声にはカチンと来たらしい。ピクリと眉間を震わせたシュウは、持っていたペンと態とらしい程に高い音をたてながら机の上に置き、腕組みしながら噛みつかん勢いのビクトールの顔をジッと見つめた。
 そして、イヤになる程冷静な声で問いかけてくる。
「・・・・・・・何をそんなに騒いでいるんだ。あいつが何かしたのか?」
 どうせ大した事ではないのだろうと言いたげなシュウの瞳に、ビクトールのこめかみに青筋が浮き上がる。
 人のことを馬鹿にする軍師の態度を見て反射的に殴りつけたくなったが何とか堪え、ギリギリと奥歯を噛みしめながら言葉を吐き出した。
「オデッサを・・・・・・・オデッサを盗みやがった。アイツ。」
「オデッサ?・・・・・・・ああ、フリックの剣か。」
 成程、と口の中で呟いたシュウの声はビクトールには届かなかったが、どうでも良さそうな声音にはカチンと来た。
「んなに落ちついてんじゃねーっ!アレは、フリックの剣だっ!他の奴が持ってて良い代物じゃねーんだよっ!だから、さっさと奪い返さねぇといけねーんだよっ!アイツを探してっ!おい、シュウ。どうやったらあの野郎を捕まえられる?」
「さぁな。俺はあの男についてろくに知らないから・・・・」
「大変っ!シュウ兄さんっ!」
 シュウの言葉を遮るように、アップルが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
 その様子に、ビクトールも一旦自分の怒りを抑えて彼女の話に集中する。年の割にはいつも落ち着いているアプルがここまで取り乱すのだから、余程の事態が起ったのだろうから。
「どうした、アップル。何かあったのか?」
 顔色を失うくらいに慌てているアップルとは対照的に、シュウは感情の窺えない平坦な声で言葉を返している。そんなシュウに、アップルは冷静さを取り戻す事無く、言葉を続けた。
「トゥ・・・・・・・・・トゥーリバーに・・・・・・・・」
「トゥリバーがどうかしたのか?」
「トゥーリバーに、我々に対する反乱軍が集結したって、連絡がっ!」
「なんだってっ!」
 その言葉に先に反応したのはビクトールだった。彼の脳裏には数日前の出来事が思い浮かんだ。もしかしたら自分達が暗殺現場に居合わせたせいでこんなことになったのではないだろうかと。
 だとしたらこの事態は自分の責任だ。自分の尻は、自分で拭かねばならない。
「シュウっ!」
「焦るな。アップル、敵の数は?」
「五百人程度だそうです。大した数ではありません。でも・・・・・・」
「同盟者の中から反乱が起るというのは、歓迎したい事態ではないな。」
 冷静な声で呟き、何かを思案しているようなシュウの様子に、その思考を遮らないよう気を使いながらアップルが言葉を続ける。
「そうですよね。もしかしたら向こうに身内が居る人が居るかも知れないですし、今の我々にはその・・・・・・・フリックさんの事もありますし。士気が・・・・・」
「軍の頭になっているのは?」
 アップルの声を遮るように、シュウが突然そんなことを聞き出す。その言葉に驚いた様に目を瞬いたアップルだったが、それでも質問には答えて見せた。
「え?あ、はい。カウゼル氏です。」
「カウゼルか。奴も今、軍の中に?」
「はい。陣頭指揮をとっているという話ですけど・・・・・・それが、何か?」
 不思議そうに問いかけてくるアップルの言葉には答えずに、シュウはビクトールへと視線を向けてきた。
 そんなシュウの行動を何事かと目を見張って見ていると、彼はビクトールの瞳を見つめながら、一言告げる。
「お前が出ろ。」
「ぁ・・・?お、おう。最初からその気ではいるが・・・・・」
 唐突に指名され、ビクトールは少々驚いた。そんなビクトールに構いもせず、シュウが淡々と言葉を続けてくる。
「フリックと付き合いの深いモノを三百人集めて隊を組め。傭兵隊の連中だけでも良いというならそれでも構わん。」
「あ?なんでだ?いきなりそんな。大体、そんなん、隊のバランスってもんが・・・・・・・・」
「主犯はカウゼルだ。」
 何の脈絡も無く唐突に突きつけられた言葉に、ビクトールは一瞬口を噤んだ。
 だが、すぐにピンと来る物だあった。
「・・・・まさか・・・・・・・・・」
 自分の考えが正しいのかどうか瞳で問えば、シュウは力強く頷き返してきた。
「そうだ。フリック殺しの主犯だ。直接手を下してはいないが・・・・・・・・・計画を立てたのは奴だ。だから、そいつの始末はお前に任せる。アイツの仇を取るのは、お前の役目だろう。」
 キッパリと言い切られた言葉に身体が小さく震えた。
『仇を討つ』という言葉に、『フリックの死』という現実を否応無く突きつけられて。
「アイツの弔い合戦だ。良く動きそうなのを選べよ。人数は出せないからな。」
 シュウが含みのある笑みでそう言葉を発した。
 普段のビクトールならそんなシュウの笑みの裏に有る言葉を探っていただろうが、『フリックの死』という現実に捕らわれているビクトールには、周りの様子に気を向ける余裕は無かった。











BACK         NEXT







20061007up











「10]