【11】

 一通り船の中を見て回った後、キッチンに戻り、オーブンや冷蔵庫。置かれた器財やシンクの様子。備え付けられた棚の中身や置いてある調味料を事細かにチェックしたサンジは、そんな自分の様子を熱心に見つめるウソップに気になる点を告げた。その細かな指示を一つも聞き漏らすまいとするようにメモを取ったウソップは、サンジの言葉に快く頷き、改造するための道具を調達しに飛び出していった。
 そんな彼の背中を見送った後、もう一度キッチン内をチェックして出航までに揃えておきたい調味料をリストアップしていった。そして、倉庫に戻ってその大きさと性能を調べ、積み込める食料の量を割り出す。積みすぎて腐る、ということは、ルフィがいる限りないとは思うが、少なく詰め込みすぎて食い尽くされる事は大いにあり得るので、慎重に。彼の食欲が昔程度ならば良いが、増えていたら今のサンジには綿密な計算が建てられない事だし。
 一日かけてなんとかその作業にめどを付けたサンジは、夜も大分更け、他のクルー達が寝入ってからようやく手近な椅子に腰を下ろした。そして、深く息を吐き出す。
 全身に重苦しい疲労感が漂っている。今すぐ床に寝転がりたくなるくらい、強烈な疲労感が。
「………ちょっと、無茶しすぎたかなぁ………」
 普通の生活をするのには支障はないが、未だに激しい動きは控えている身だ。一日中立ち動くのは、正直身体に堪える。
 もう一度、息を吐いた。動き疲れたためか、喉の渇きを覚えたが、自分のために茶を入れる気にはなれない。シンクに向かって水を出す事すら億劫だ。
 このまま眠ってしまおうか。
 そんな事を考えながらボンヤリと丸窓の向こうに見える夜空を眺めた。そして、ふと思い出した。ガキ共はもう寝たのだろうかと。サンジが忙しそうにしていたからか、必要以上に周りをウロウロしてこなかったのですっかり失念していたが。
「まぁ、さすがに寝たか」
 大人ぶって遅くまで起きていようとするガキ共だが、今日は見慣れぬ海賊船に興奮して大はしゃぎしていた事だし。今頃疲れて眠り込んでいるに違いない。
「って、どこで寝てやがんだ? まさか、ナミさんやロビンちゃんの部屋じゃねーだろうなぁ……」
「ガキ共なら、お前の部屋のベッドの転がしておいたぜ」
 思わず漏らした呟きに返答を返され、サンジはビクリと身体を震わせた。そして、慌てて声のした方へと視線を向けると、そこには意地の悪い笑みを浮かべたゾロの姿があった。
「随分とお疲れみたいだなぁ? 陸に上がって身体が鈍ったんじゃねーのか?」
「うるせぇ。産後の肥立ちが悪かったんだよ」
 からかうようなゾロの言葉に、歯を向いて噛みつくように言葉を返す。そして、怠い身体に鞭を打ってゆっくりと立ち上がった。
「酒だろう? ちょっと待ってろ。今つまみを……」
「ああ、良い。てめぇは座ってろ」
「あ?」
 ズカズカとキッチンの中に入り込んできたゾロは、訝しむように顔を歪めるサンジの肩を通り際に軽く叩き、シンクの方へと向かった。何をするつもりなのだろうかと様子を見ていたら、彼はヤカンに水を入れて火にかけはじめた。そして、手近にあった急須に茶葉を豪快に入れ、湯が沸くのをその場でジッと待つ。
 もしや彼は茶を入れようとしているのだろうか。いや、そんな馬鹿な。調理してある物が無ければ生肉に齧り付きそうな勢いのある彼が、そんな事をするわけがない。
 驚きと動揺で身体を硬直させていたサンジの目の前で、ゾロは沸騰した湯を急須の中へと注ぎ入れた。そして、湯飲みを二つ手にしてクルリと振り返る。
 思わずビクリと震えたサンジの反応にニヤリと口角を引き上げたゾロは、迷いのない足取りでサンジの前の席へと腰を下ろし、湯飲みをテーブルの上へと置いた。そして、急須の中身を注ぎ入れる。
 と、それを一つ、サンジの目の前に突きだしてきた。
「おら」
「え?」
「飲めよ」
「………あ?」
 言われた言葉と彼の行動が理解出来ず、サンジはポカンと口を開けた。そんなサンジの馬鹿面を笑うでもなく。むしろ恥ずかしそうに顔を背けながら、ゾロは素っ気なく同じ言葉を繰り返した。
「良いから、飲め」
「ぁ……あぁ。サンキュー………」
 思わず礼を言って差し出された湯飲みを受け取ると、ゾロの耳が仄かに赤く色づいた。
 その珍しい様相に、思わず視線を釘付けにされてしまった。そんなサンジの視線に気付いたのだろう。ゾロが慌てて言い訳を口にしてきた。
「別に、てめーのために入れた訳じゃねーからな。俺が飲みたかったから、ついでだ。ついで!」
 不機嫌そうにそう告げてくるゾロの様子に、自然と笑みが浮かんでくる。だが、ここで笑おうものならつかみ合いの喧嘩になるだろう事は、目に見えて明らかな事だ。だから、なんとか堪える。今の自分にゾロと本気でやり合える体力がないのは分かっているので。
 とは言え、かみ殺しきれない笑いもあった。それを誤魔化すために、渡された茶を一口含む。
 入れ方が適当なだけに、風味もクソもない。なんとなく茶の香りがして、茶の味がするお湯のようなものだ。コックのサンジから見れば、落第点どころか点を付ける事も出来ないような代物である。
 だが、その温かさは疲れたサンジの身体に染み渡った。
 自然と、ホッと息が漏れる。
「……うめぇな」
「てめーが入れた茶には負けるけどな」
「俺と張り合おうなんざ、百年早ぇーんだよ」
 満更でも無さそうなゾロの言葉に馬鹿にしたような口調で返すと、彼はムッと顔を歪ませた。だが、食ってかかってくる事はしない。黙って自分が入れた茶をすすっている。
 サンジも自然と口を噤み、キッチンの中には静かな空気が満ちていく。だが、気詰まりするような物ではない。とても柔らかな空気だ。そうある事が自然だと思うくらい。
 六年前にもある事はあった空気だが、ほんの時々しか無かった。言葉を交わすとすぐに喧嘩に発展する事が多かったので。喧嘩にならなくても、自分が下らない話題をべらべらと捲し立てて騒ぐことが多かった。だから、こんな静かな空気はあの当時、あまり感じる事が無かったのだ。
 その空気を自然に醸し出せるようになったと言う事は、自分もゾロも大人になったと言う事だろうか。
「まぁ、六年も経っててガキの頃と同じじゃな」
 そう胸の内で呟きながら口元に小さく笑みを刻み込んだサンジの顔を眺め見ていたゾロが、突然大きく目を見張った。唐突に何かを思い出したと言わんばかりに。
 そして、驚いたような口調で問いかけてきた。
「てめぇ。煙草はどうした?」
「あん?」
「いっつも吸ってただろうが。こんな時にはとくによ。止めたのか?」
 その問いかけに、サンジはフンと鼻先で笑い返してやる。
「今頃気付いたのかよ、このクソ剣士。俺はここ数年禁煙中だよ」
 昔、何かある事に禁煙しろと騒ぎ立て、禁煙出来ないまでも本数を減らせと涙混じりに訴えてきた事もあるチョッパーは、すぐにその事に気付いて大喜びしていた。嬉しすぎてその原因について問いただす事を考えつかなかったようだが。
 ナミやウソップ。それにロビンもすぐに気付いた。ルフィですら。
 なのに、今この瞬間までゾロが気付いていなかったという事は、それだけ自分に興味が無かったと言う事なのだろう。ソレはまぁそうかも知れないが、かなりムカツク。
 少々苛立ちを感じて押し黙り、気持ちを落ち着けるために手にしていた湯飲みに口を付けたサンジに、ゾロが不思議そうに問いかけてきた。
「なんでだ?」
「あ? 子供にゃ良い影響与えないだろ。だからだ」
 本当の事だけれども、真実には少々少ない言葉を口にする。だが、ゾロはそれで納得したらしい。小さく頷き返してきた。
「そうだな。母乳をやってる母親が煙草を吸ってたら、赤ん坊のうんこが緑になるとか言う話だしな。良くはねーよな」
「………まぁな」
 そんな影響が出るなんて話は聞いたことが無かったので、ゾロの言葉が真実かどうか分からないが、彼が納得しているので良しとして、サンジは適当に頷き返した。そんなサンジの顔を、ゾロがジッと見つめてくる。
「な……なんだよ?」
 その妙に強い視線に戦き、僅かに身体を引かせたサンジの顔を見つめ続けながら、ゾロは言葉を返してきた。
「イヤ。親なんだなと、思ってよ」
「はぁ? 俺が?」
「ああ。景気よく蹴り飛ばしちゃいたが、ちゃんとガキの事考えてんだなぁって、思ったらよ………」
「思ったら?」
 途切れた言葉の先がなんなのか問いかけても、答えは返ってこない。
 なんなんだろうかと首を傾げたサンジは、もう一度問いかけようと口を開きかけた。
 が、言葉を発する前にゾロの声が耳に届く。
「あいつらの母親って、どんな奴だ?」
「え?」
 不意な問いかけに、思わず身体を震わせた。
 ナミやチョッパー、ウソップならまだしも、ゾロがその事を気にしているとは思っていなかったから。そんな事、聞かれるとは思っていなかったから。
 だから、少し動揺した。
「どんなって、言われてもなぁ………」
 どう答えて良い物か悩み、言葉を濁す。変に偽るとどこかでボロが出そうだから、ある程度本当の事を混ぜ込んで話をした方が良い。話す人によって母親像が変わっても不味いから。だから、ここは当たり障りのない範囲で本当の事を話した方が良いだろう。
 そう考え、サンジは小さく言葉を落とした。
「意志の強い奴、かな。いや、弱い所もあるけど。でもまぁ、大事な事は何があっても投げださねーから、強くはあると、俺は思うぜ」
 そんな風に評してしまう事に少々恥ずかしさを感じて僅かに頬を朱色に染める。
 そんなサンジの言葉と態度に、ゾロは大きく目を見張った。多分、過剰なまでの賛美の言葉が出てくると思ったのだろう。以前ナミに対して見せていたような、聞かせていたような言葉で褒め称えると。
 だが、そんな事が出来るわけがない。
 サンジは、強いゾロの視線から逃れようとするように視線を俯けた。これ以上彼の瞳を見ていたら余計な事を言いそうだったから。
 そんなサンジの態度に何を思ったのだろうか。ゾロは小さく息を吐いた。そして、力のない声で呟く。
「………そうか」
 言葉を発して一呼吸置いたゾロは、ガタリと音をたてて椅子から立ち上がった。
 その気配に反らしていた視線を彼の方に戻し、テーブルの上に置かれた湯飲みをチラリと見てみれば、そこはいつの間にか空になていた。
「もう一杯飲むか? 今度は俺が入れてやるぜ?」
「いや、もう良い」
 軽い調子で問いかけると、彼は小さく首を振って寄越した。
「そっか。じゃあ、酒でも飲むか?」
「いや。今日はもう寝る。………てめぇももう休めよ」
 続けてかけた問いかけにも、ゾロは首を振り返してきた。そして、忠告するように一言発して歩を進め出す。そんなゾロの背中にプラリと手を振り返したサンジは、まだ中身の残っている湯飲みへと、手を伸ばした。そして、中身を一気に煽る。
 少し冷えたそれは少し苦みが強くなっていて、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
 空になった湯飲みをテーブルに戻す。カタンと、軽い音をたてながら。そして、パタリと上半身をテーブルの上に倒れ込ませた。
「………母親かぁ………」
 その事を問われると、大いに困る。
 父親の事を問われたら、もっと困るけど。
「さて、いつまで誤魔化せるのか……」
 妙に勘の鋭い奴等ばかりだから、そう長い事誤魔化せない気がするのだが。出来る限り誤魔化しておきたいと思う。
「取りあえず、ガキ共にはきつく口止めしとかねーとな。まぁ、そう簡単にゲロる奴等じゃねーけど」
 育て方が良かったのか、年の割にはしっかりしているガキ共だから、自分にとって都合の悪い事はどんな脅しにあっても口にしないだろうと確信している。しかし、所詮は子供だから、誘導尋問に引っかかりかねない。この船には食わせ者ばかりが乗っている事だし。
 そう考えたサンジは、目の前に置かれた湯飲みに手を伸ばした。そして、掌の中でころころと転がす。仄かに残る温かさを、掌に感じながら。















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