翌日は快晴だった。メリー号のクルーとサンジの再会を祝うように。
 その青空の下で、サンジは慌ただしく立ち働いている。
 メリー号に全くと言って良い程無かった保存食を作るために。
 調味料を大量に買い込み、食材を買い込み、横から伸びてくる手を牽制し、手の主を怒鳴り付けながらも楽しそうに働いていた。
 それは六年前とまったく変わらない風景だ。
 見慣れている、違和感の無い日常だ。
 だが、六年という歳月が過ぎているのだ。全く変わっていない訳がない。
 ルフィの身体は大きくなった。少年臭さが抜けたため、肉をかすめ取ろうと様は昔よりも滑稽に見える。筋力もついたし技も増えたので、昔よりも牽制するのが大変そうだ。
 サンジが六年前よりも細くなったから、余計にそう思うのかも知れない。再会した時は喜びのあまりに気付いていなかったが、良く見たらかなり細くなっている事が簡単に分かる程、細くなっている。以前から細かったが、それ以上に細くなっているのだ。男が一人で子供二人を育てあげる事は本当に大変な事だったのだろう。
 変わったのは身体の細さだけではない。髪も伸びている。腰近くまで伸びているから、男にしてはかなり長い部類に入るだろう。女でもそこまで伸ばしているヤツは少ないのだから。
 その長い髪を緩く一本に編み込んで背中に流していて、彼が動くたびに毛先がピコピコ跳ねている。それが遠目で見ていると尻尾のようで可愛らしい。本人に言ったらもの凄い反発にあって大騒ぎになるだろうから言わないが。
 そして、もう一つ。
 大きく違う点がある。
 タバコを吸っていないのだ。
 体臭かと思うくらいに染みついたタバコの匂いが無くなっていたから不思議に思って問いかけたら、禁煙中だと言われて驚いた。彼は、何があってもタバコだけは手放さないだろうと思っていたから。
 それくらい年がら年中吸っていたのに、答える声はあっさりしたモノだった。なんの未練も無さそうだった。それがちょっと不思議でならない。6年前は、禁煙を勧めるチョッパーにもの凄い形相で反発していたから。禁煙の理由が子供の身体に悪いからだと聞き、すぐに納得したけれど。
 彼が作る料理は、変わらず美味しかった。いや、以前よりも美味くなっていた。そう思うのは六年振りに彼の料理を食べたからかも知れないと思ったが、そうではないだろう。この六年の間に、彼は腕を上げたのだ。メリー号のクルー達が、成長したのと同じように。
 その料理の美味さに、皆夢中になって食べた。ルフィに負けないくらいに。いや、彼に勝てることは無いのだが。
 またサンジが船を下りると言い出しても、絶対に許さないだろう。ルフィだけではなく、クルー全員が。あの悲惨な食生活にはもう戻りたくない。
 そんな事を考えながら、ナミは読んでいた本を開きっぱなしにしたままサンジとルフィの攻防を見つめていた。柔らかな笑みをその顔に刻みながら。そして、ふと流した視線の先に、同じように二人のやり取りを見つめている人間達が居ることに気付く。
 そちらに視線を向けてみると、彼等はどこかボンヤリと。夢や幻を見ているかのような瞳でルフィとサンジを見つめている。昨日見た、生き生きしていた彼等とは別人のように、その顔には精気が感じられない。どこか薄暗さを感じる表情だ。
 自然とナミの眉間に皺が寄る。いったいどうしたのだろうかと。
「セイ、リョクっ!」
 どこか放っておけないモノを感じてその人物の名を呼べば、二人は揃って顔を向けてきた。そして、ナミが自分達を呼んでいる事を確認したセイがヘニャリと笑顔を見せ、駆け寄ってくる。
 そんなセイの後ろから、リョクも重い足取りで近づいてきた。
「なに、ナミさん。何か用?」
 傍らまで駆け寄ってきたセイが、ニコニコと楽しげに問いかけてくる。その顔からは、先程見た精気を感じ取れない暗さは感じない。だが、今見たことは幻でもなんでもない。ナミは出来る限り柔らかな笑顔を浮かべながら静かに問いかけた。
「どうしたの、ボンヤリして」
 問いかけに、セイは大きく目を見開いた。そして、ばつが悪そうに後頭部を掻く。
「……見てたの?」
「えぇ。たまたま見えただけだけど」
「そっか」
 コクリと頷いたセイは、背後に立つリョクにチラリと視線を向けた。それからもう一度サンジの方へと視線を向け、ナミに視線を戻した後、ニコリと可愛らしい笑顔を浮かべる。
「楽しそうにしてたから」
 それは多分、サンジがという意味だろう。だが、なんでサンジが楽しそうにしている様をあんな風にボンヤリと見つめるのだろうか。
 不思議に思ってほんの少しだけ眉間に皺を寄せたナミの表情の変化に気付いたのだろう。セイは困ったように表情を崩した。
「えっと……なんて言ったら良いんだろう………」
 説明出来る言葉が見つからないらしい。視線を宙に飛ばしながら意味をなさない言葉を発したセイは、助けを求めるようにリョクへと視線を向けた。
 だが、リョクにも説明出来る言葉が浮かばなかったようだ。さして表情の無い顔がほんの少しだけ顰められる。
 そんな二人の姿を見て、ナミは心の内で反省した。子供と会話することなんて殆ど無かったから、子供を相手にするような会話運びじゃなかったかも知れないと。
 なので、答えやすいように問いかけ直した。
「サンジ君、今まで楽しそうにしてなかったの?」
 その言葉に、明後日の方向を見て考え込んでいたセイがこちらに視線を戻してきた。そして、眉間に深い皺を刻み込みながら軽く首を傾げる。
「う〜〜ん……この島に移り住んでからは楽しそうにしてるけど、前はいつも辛そうな顔してた。オレ達の前ではいつも笑ってたけど」
「……辛そうに?」
「うん。シェリーと二人だけで話してるときはいつもしかめっ面だったよ」
「………シェリー?」
 初めて聞く名に首を傾げた瞬間、ピンと来た。もしかしたら、それが二人の母親なのではないだろうかと。
 だったら、その人物についてもっと詳しく聞き出さねば。
 そう思い、口を開いた瞬間、突然強い風が甲板の上を吹き抜けていった。
「キャッ………!」
 思わず小さく悲鳴をあげ、風に煽られる髪を押さえて本を閉じた。一瞬で通り過ぎた風だったが、威力は絶大だったらしい。顔をあげたナミの目の前にいたセイの髪がグチャグチャになっていた。
 その感触が嫌なのか、セイは三つ編みを止めていたゴムを取り、手櫛で乱れを直し始める。
 セイが指先で髪の毛を梳くたびに、サンジにそっくりな綺麗な金髪が、陽の光を浴びてキラキラと輝く。
 その様は、セイの整った容姿と相俟って、とても綺麗だ。同じ事を自分がやっても、こんなに綺麗なモノにはならないだろう。
 思わず見とれている間に、セイが慣れた手つきで三つ編みを直していく。
 サラサラと揺れる髪の毛が揺れるのを見ていたら、ソレにもの凄く触りたくなってきた。
 触り心地が良さそうな、綺麗な髪の毛に。
「………セイ」
 ちょいちょいと指先で呼び寄せると、彼は首を傾げたあと、素直にナミの傍らに歩み寄ってきた。そんなセイに、ナミはにこやかに問いかける。
「ちょっと触らせて?」
「え?」
「髪の毛に」
 その要求は思っても居なかったモノなのか、セイは大きく目を見開いた。何度か瞬きを繰り返す。そして、小さく頷いた。
「良いけど。変な事しないでよ?」
「しないわよ、失礼ねっ!」
 態と怒り顔を作ってセイの頭を軽くこづく。そして、近場のイスを引き寄せて彼を座らせ、自分はその背後に立った。
 一度編まれた三つ編みを自分の手で解き、解かれた細い金糸を指先に取る。
 触れた細い毛は、想像通りに滑らかだった。手に梳くってサラサラと流すたびに、金の髪は光を弾き、キラキラと輝く。
「――――綺麗ね」
「ありがとう。でも、オヤジの方が綺麗だよ」
 嬉しそうに答えたセイの顔が、サンジの方へに向けられた。つられてナミもサンジに視線を向けると、セイは言葉を続けてきた。
「オヤジが髪を縛らないでそのままにしてて、風とか吹いて髪がバラバラしてたら、すげー綺麗。だから、オレも伸ばしてるの」
「なに? じゃあこれは、サンジ君のマネッこなの?」
「うん。マネるのは大切な勉強だって、言ってたから。オヤジもクソジジイのマネして料理の勉強したんだって!」
「そうなんだ」
 そう言う教育方針なのかと内心で呟く。
 それはまぁ、確かにそうだ。そう言う学習方法はあるだろう。だが、なにも髪の毛を伸ばす伸ばさないまでマネさせなくても良いのではないだろうか。男の子なんだし。
 そんな事を考えていたら、セイが力拳を振り上げながら元気に言葉を続けてきた。
「オレの目標は、オヤジみたいな格好いい男になる事だから、オヤジの技は盗めるだけ盗むんでやるんだっ! 料理も、蹴りもっ!」
「そっか。頑張ってね」
 力強く宣言するセイの言葉に、自然と笑みが誘われた。
 どうやらサンジは父として十分に尊敬されているらしい。人の親になったと聞いたときには、彼に子供なんか育てられるのだろうかと心配してしまったのだが。どうやらそれは杞憂だったようだ。
 よくよく考えれば、彼は自分勝手な人間が多いメリー号の中で数少ない周りの人間に目を向けられる者だった。ゾロやルフィが人の親にやるよりもよっぽど安心というモノだろう。
 とはいえ、愛情表現の仕方はもの凄く分かり難いところがあったと思うのだが。そこのところは、人の親になって改善されたのだろうか。子供にだけは、ちゃんと分かりやすい愛情を注いでやってきたのだろうか。
 思わずそんな心配をしてしまったが、それは無用の物だろう。彼の子供は十分に親の事を好いているのだから。
 とはいえ、女好きな所まではマネしないでもらいたいわ、と考えたところで、当のサンジの声が聞こえてきた。
「セイ、リョク」
 その呼び声に、ナミに髪の毛を預けていたセイがイスから立ち上がった。そして、歩み寄ってきたサンジの足元に飛びつく。
「なに? 用事? おつかい?」
「いや、自分で行く。お前等は大人しく留守番してろって言いに来ただけだ」
「えーーっ! オレも一緒に行くっ! 良いだろ? 食材は暇があったら見て歩けっていつも言ってんの、オヤジだろっ!」
 抱きついた長い足をガタガタと揺さぶりながら、駄々をこねるようにそう叫ぶセイの言葉に言い返そうと口を開きかけたサンジだったが、結局言わない事にしたらしい。小さく息を吐いた後、コクリと頷いた。
「仕方ねーな。俺の邪魔はするんじゃねーぞ」
「うんっ!」
 これ以上無いくらい嬉しそうに頷いたセイが、抱きついた足に更に強く抱きついた。そんなセイの姿を目にして苦笑を浮かべたサンジが、子供の頭を優しい手つきで撫でている。
 会話をしていたのはセイだけだったが、リョクも付いていく気満々らしい。ジッとサンジを見上げていた。その瞳を受けて苦笑を浮かべたサンジは、一緒に行こうと言う意思を示すようにゆっくりと腕を差し出した。
 だが、その動きを途中で止め、何かに気付いたと言いたげな瞳で二人の子供の顔を見下ろした。
「そういや、お前等に聞いて無かったな」
「なにを?」
「俺と一緒に船に乗るか、陸に留まるか」
 サンジの言葉に、子供二人の瞳は大きく見開かれた。
 ナミの瞳も、同様に。
「え…………?」
「よく考えりゃ、お前等の年で船に……っていうか、海賊船に乗ってグランドラインを渡って歩くなんて、結構ハードな事だろ? だから、お前等が陸に残りたいって言うなら、シェリーに連絡して………」
「いやっ!」
 サンジの言葉は、途中でかき消された。
 その強い声に、サンジは瞳を瞬く。
「オヤジが乗るなって言っても、オレ達はこの船に乗るっ! ルフィが駄目だって言っても乗るっ! オヤジの側に居るっ!」
 セイは、泣きそうな目でサンジを睨み付けながらそう叫んだ。
 その声に、他のクルー達が何事だと駆け寄ってくる。
 心配そうな、不思議そうな複数の眼差しが幼いセイの身体に突き刺さった。だが、セイは気付いていないらしい。周りになど目もくれず、サンジの顔を見つめ続けながら叫び続ける。
「船旅なんて、へっちゃらだっ! 昔はともかく、今は風邪だってひかないんだから、何ともないっ! オヤジと離れた方が、絶対に具合悪くなるっ! だから……」
「あーもう。分かったわかった。俺が悪かったよ」
 言葉を遮るように、サンジがセイの身体を抱き上げた。そして、泣き濡れる顔を己の肩に落として小さな頭を軽く叩く。
「ただ単にお前等の意思を確認しただけだろ? そんなに怒るな」
「確認しなくたって分かるじゃんっ!」
「分かるかよ。俺はお前等じゃねーんだから」
 呆れの色が大いに含まれた。だが、優しさの色が濃く見える声でそう告げたサンジは、セイの身体を力強く抱きしめた。
「おら、もう泣きやめ。泣いてるヤツは、連れてかねーぞ?」
「泣いてねーよっ!」
「そっかそっか」
 叫びながらも、セイはサンジの身体にしがみついて離れない。そんなセイの身体を抱いたまま、サンジは事の成り行きを見守るようにその場にジッと立ち尽くしていたリョクの元へと歩み寄った。そして、その頭を軽く叩く。
 セイのように激しい反応を示していないが、彼もまた寂しがっていることに気付いたのだろう。その手つきは優しい。
 そんな親子のやり取りを静かに見守っていたら、サンジがナミへと視線を向けてきた。いつもと変わらない笑顔を浮かべながら。
「ゴメンね、ナミさん。騒がせて」
「――――それは、良いんだけど…………大丈夫?」
「うん。ちょっと癇癪持ちなだけだから。もう少ししたら落ち着くよ」
 そこで一旦言葉を止めたサンジは、再度ニコリと、笑いかけてきた。
「じゃあ、ちょっと買い出しに行ってきます。出来るだけ早く帰ってきますんで。夕食は腕によりをかけますから、期待してて下さいねvv」
「ぁ………うん。楽しみにしてるわ。気を付けて行ってきてね」
「は〜〜〜いvv」
 いつもと全く変わらぬテンションで軽く手を振ったサンジは振り返り、背後に集まっていた仲間達に軽く手を振った。仕草だけで何でもないと告げるように。その無言の言葉を受けてクルー達が思い思いの行動を取り始めたのを確認してから、サンジはセイを抱えていない方の手をリョクへと伸ばして手を繋いだ。そして、ゆっくりとした足取りで港街へと降りていった。
 一連の動きを見守っていたナミは、三人の親子の姿が見えなくなったところでボソリと呟いた。
「――――台風一家ね」
 ちょっと字が違うけど。
 そんな呟きを漏らしつつ、ナミは閉じていた本を再び開いた。これからの航海は、六年前よりも騒々しくなるのだろうなと、予測しながら。
 だけどそれは、少しも嫌ではなかった。




















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《20051214UP》





















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