二人の母親は謎なまま、メリー号は大海原を突き進んでいた。
最初は慣れなかった子供特有の甲高い声にも慣れてきた。元々同じ年頃の子供達に比べると分別があるらしく、二人の子供はクルーの邪魔になるような事は一切しない。唯一サンジだけは己の作業を邪魔されたりしているようだが、それは自分の子供のやることだから仕方あるまい。ある程度は許容し、本気で邪魔になったらキッチンから蹴り出すという日常を繰り返している。
子供達も、蹴られるまでは近くにいても良いと思っているのか、それまではじゃれついたり手伝いをしたりしている。蹴られた後は大人しくキッチンの外に行き、二人で遊んだり、他のクルーの元に行って遊んで貰ったりしている。
子供達が積極的に近づいていく確率が高いのは、構ってくれる率が高いウソップやチョッパーだ。とくにウソップは色々と玩具を作ってくれるから懐いているらしい。一日一回は必ずウソップに近づいている。
ルフィとも遊んでいるが、彼は力の加減をしてくれないので、頻繁には近寄らない。ロビンやナミには、何か用事があるときにしか近づいていないようだ。サンジにでもきつく言われているのかも知れない。レディの邪魔をするなとかなんとか。
ゾロの元にも、頻繁にやってくる。鍛錬しているときは傍らからその様を眺めているだけだが、寝ているときには容赦なく腹の上に乗ってきて起こそうとする。根性で寝たふりをしていたら鼻と口を押さえられて、危うく窒息死させられそうになったこともあった。
どうやら、寝ているゾロには何をやっても良いとサンジに言われているらしく、その行動に容赦はない。そんな所も父親譲りだなと密かに考えていた。
同じ事をサンジが、もしくは他のクルーがやろうものならすぐさま刀のサビにしてやるべく攻撃を仕掛けるところだが、相手は十にも満たない子供だ。刀を抜くわけにも行かず、だからといって邪険にするのも忍びなくなる程嬉しそうに懐いてくるので、なんとなく遊んでやったりしている。
最初は普通にウソップが作った玩具で遊んだり、ルフィやウソップも巻き込んで鬼ごっこをしたりしていたのだが、ある日突然、何を考えたのか、ママゴトをせがまれた。
さすがにそれは頂けないと思い、こめかみに血管が浮かび上がらせて猛烈な勢いで断ろうとしたのだが、そんなゾロの顔を涙を浮かべながら見つめてくるセイの顔を見たら断れなくなってしまい、結局付き合ってしまった。
それ以来、玩具で遊ぶよりもママゴトで遊ぶ機会が増えてしまった。というか、何故かゾロはママゴト要員になってしまっていた。いつの間にか。
しかも、役が毎回同じなのだ。「酒ばかり飲んでいる駄目亭主」という役を、毎回言い渡される。イヤだと言ってもやらされる。そんな役をやれと言うならママゴトに付き合わないと脅しても、やらせようとしてくる。最終的には泣き落としをかけられ、結局付き合うことになってしまうのだ。
そんなゾロに、ナミが突然近づいてきたと思ったら、
「あ〜〜ら、アンタにピッタリの役どころね! むしろあんたにしか出来ない役だわ。酒ばっか飲んでる駄目親父ってヤツ? ってことは、サンジ君はお母さんかしら。働き者の良い妻を持てて、幸せ者ねぇ。駄目亭主!」
などと言って大笑いしていた。その言われっぷりがもの凄く屈辱的で、直ぐさま食ってかかりたかったが、口で言ってかなう敵ではない。結局は苦い思いをしながら口を噤んだ。
それで余計に子供達が増長してきたので、ママゴトに誘われるたびにナミに殺意を抱いてしまうのは、仕方ないことだろう。
「……ったく。なんなんだか」
ゾロは渋面を作って呟いた。なんであんな遊びのターゲットにされねばならないのだろうかと、胸の内で呟きながら。
とはいえ、本気で嫌がっているわけではない。対応の仕方に困ってはいるが、遊びに付き合わされる事自体はそれ程嫌ではないのだ。周りのなま暖かい目は嫌なのだが。
そんなゾロの姿を見て、ナミは「二人はゾロが港の娼婦を孕ませて生まれた子供」説を本気で唱えだしたようだ。そんな覚えは全くないとは言えないのが辛いところだが、だったらなんでサンジがその子供を育てているのだという疑問にぶち当たる。そんな妙な気の使い方をして貰わないといけない間柄でもないし、それならそうで硬く口を閉ざす意味が分からない。どうにかして閉ざされたままの口を開かせねば、この胸の内にわだかまるモヤモヤは消えてくれないだろうと思うので力ずくで聞き出そうかとも思うのだが、それも実行に移せない。
サンジの全身に、「聞くな」というオーラが漂っているから。
「――――たく」
深々と息を吐き出した。自分の思考を振り切るために。
鬱々と考えるのは自分らしくない。サンジがゾロの子供では無いと言っているのだ。自分が気にすることではない。人の家庭の事情に首を突っ込むような悪趣味を持ち合わせていないのだから。
例えそれが、嘘だとしても。自分を関わらせたくないと思っているのであろうサンジの意を汲んでやった方が良いだろう。
「うきゃっ!」
船尾に寝ころびながら鬱々とそんな事を考えていたら、可愛らしい悲鳴が青空の下に響き渡った。どうやら、子供達がキッチンから蹴り出されたらしい。ということは、しばらくしたら彼等は自分の元にやってくるだろう。ママゴトをしに。
いつもならなんだかんだ言いながら付き合ってやるのだが、今日は先程まで考えていた事が引っかかって気が乗らない。内心でそっと子供達に詫びを入れたゾロは、気配を消してミカン畑の奥へと入り込んでいった。
六年前より成長し、種から育てた木も大きくなり始めた畑は、上手く隠れれば向こうから姿を見えなくさせる事も出来るようになったので。
古参のクルー達にはその事が知られているのでここに隠れてもすぐに見つかってしまうが、メリー号に乗り始めたばかりの子供達には分からないだろう。
そう確信して、畑の奥に入り込んで身を潜ませ終えたすぐ後に、軽やかな足音が二つやってきた。いつも同じ場所に寝ているわけではないのに確実にゾロの居場所を突き止めてやってくる子供達に感心しながら息を詰めていると、困惑したようなセイの声が聞こえてきた。
「アレ? おかしいなぁ………確かにここに居たのに。逃げられた?」
語尾に少しだけ寂しそうな色が混じったことに気付き、ゾロの胸がほんの少しだけ痛む。
が、今更出て行けるわけもない。今出て行ったら、せっかくの隠れ家がばれてしまうので。
なので、ここはこのまま隠れ続けようと内心で決意したゾロの耳に、セイの声が届いた。
「まぁ、居ないならしょうがないか」
どうやら諦めが早い子供らしい。小さく呟いた後、フッと息を吐き出した。
と思ったら、トスンと軽い音が響く。セイが腰を下ろしたのだろう。そして、同じような音がもう一度響いた。それは、セイの隣にリョクが腰を落とした音だろう。どうやらしばらく、この場に留まるつもりらしい。
ゾロはほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。これでは昼寝の続きが出来ないなと、思って。
さっさとどこかに行ってくれないものだろうかと思っていたら、何かを考え込むようにしばし無言で居たセイが、小さく力無い声を発してきた。
「――――このままで、良いのかな」
その声に、リョクがセイの横顔へと視線を向ける。その視線に気付いたのだろう。セイもまたリョクへと瞳を向け、軽く首をかしげた。そして、ゆっくりと言葉を発する。
「母さんは母さんで、父さんは父さんなのに。このままで良いのかなぁ?」
「――――仕方ないだろ」
「仕方ないとか言って……オヤジの事を『オヤジ』とも『父さん』とも呼んでないのは誰だよ」
「だって、父さんじゃないだろ」
キッパリと言い切られたリョクの言葉に、ゾロの心臓がドキリとなった。
我が耳を疑ったゾロだったが、そんなゾロの動揺に気付くことなく、子供達は淡々と会話を続けていく。
「頑固だな。オヤジがそう呼べって言ってるんだから、呼んでやれば良いだろ」
「父さんじゃないものを父さんとは呼べない。俺の父さんは一人だけだ」
「だからってなぁ……」
「だから、人前では呼んでないだろ?」
主語の無い会話は分かり難かったが、リョクが言ったのは、サンジの事をリョクが父と呼んでいないという意味だろうと理解する。
確かに、彼の口からサンジを呼ぶ言葉を聞いたことはない。呼ばなくても、彼の視線に気付いたサンジが彼の傍らに歩み寄っていく姿を度々見かけていたから、彼等の絆を疑った事はなかった。例え血が繋がっていなくても、彼等はれっきとした家族なのだと思っていた。
だから、子供達の発言はゾロに大きな衝撃を与えた。サンジの事を親と認めていないかのような発言が、ゾロの胸に大きく響いた。
そんな事に気づきもせずに、二人は会話を続けている。
「まぁ、オヤジがそれで良いって言ってるから、良いけどさぁ………」
語尾を濁したセイが傍らのリョクの顔を覗き込み、縋るような瞳を向けながら問いかけた。
「母さんは、後悔してるのかなぁ」
「してないだろ」
「本当?」
「あぁ」
「オレ等の事、愛してくれてる?」
「じゃなきゃ、死ぬ目に合ってまで産んでくれなかったろうし、育ててくれなかっただろ。母さんがどれだけ苦労したか、お前だって知ってるだろ」
「………うん。そうだよね」
リョクの言葉に、セイは小さく頷いた。そして、告げられた言葉を噛みしめるような間を開けた後、力強く頷いた。
「うん! 愛してくれてるよね。じゃなきゃ、オレ達は今ここに居ないよね!」
「あぁ」
セイの言葉に、リョクは力強く頷き、二人は改めて互いの顔を見つめ合った。そして、小さく笑い合う。
「――――よし! 手伝いに行こう!」
「さっき蹴り出されたばかりだけどな」
「もうソロソロ、作業が終わる頃だから」
「皿出しとかがあるはずだ」
次々とテンポ良く、まるで一人だけが口を開いているかのような感じで言葉を放ち続けた後、リョクが飛び跳ねるようにその場に立ち上がった。そして、まだその場に座り込んでいるセイの手を掴んでその場に立たせると、掴んだ腕をそのままに、二人仲良く手を繋いでその場から駆け去っていった。
その動きを研ぎ澄ませた神経で感じ取りながら、ゾロはゆっくりと畑の中から身を滑らせた。
「クソコックは、アイツ等に、親だと認められてないのか……?」
先程聞いた会話を整理して導き出した答えを口にしたゾロだったが、すぐにその言葉を打ち消すようにフルフルと首を振った。
いや、そうは言っていない。サンジを父と認めていないのは、リョクだけだ。それに、どう考えてもセイはサンジの子だろう。あんな巻き眉、他にあるわけがない。色味も全てそっくりだ。あれで血の繋がりがなかったら驚くなんて言葉が生ぬるく感じる程に驚くだろう。
だから、サンジの子供ではないのはリョク一人だろう。ナミやウソップが考えたように、血の繋がりは無かったのだ。
だとしたら、彼等が言うようにリョクは自分の子供なのだろうか。
ゾロは六年前の記憶を探り出そうと深く考え込んだ。その時期に買った娼婦の事を思い出そうと。
だが、名前どころか顔すらも思い出せない。その頃は一時期に比べると、娼婦を買う機会が随分と減っていたのにも関わらず。
「――――なんなんだよ、クソコック………!」
胸の内でわだかまる思いに顔を顰め、言葉を吐き捨てる。
今までのように生ぬるいことを言っている場合ではない。何がなんでも問いつめてやらねばならない。
そう強く決心して、ゾロは深く息を吐き出した。
【15】