その日の夜、見張りだったゾロは、皆が寝静まったのを見計らって見張り台から降りた。
キッチンの明かりはまだ点いている。サンジが翌朝の仕込みをしているのだろう。子供達の事が心配なのか、六年前よりも早く床に就くようになったサンジではあるが、それでも他の人間に比べたら十分に遅い時間まで働いている。
フラリとキッチンの扉に近寄った。そして、勢いよく開く。自分の心を鼓舞するために。
「――――おう、どうした? 見張りが堂々とサボって」
「うるせぇ」
部屋に入った途端にかけられた六年前と変わらない憎まれ口に、何故かホッとしている自分に気付く。
憎まれ口を叩かれて怒りを覚えるのなら分かるが、何故ホッとしているのだろうか。
自分の心の動きが理解出来なくて首を傾げながらも、ゾロはドカリとイスに腰掛けた。
「――――酒」
「へぇへぇ。畏まりましたよ、アル中剣士様」
クククッと喉の奥で笑いながらも、サンジは素直に棚を開け、酒瓶を一本テーブルの上に置いた。出航して間もないから、ストックが十分にあるのだろう。
「今つまみを作るから。ゆっくり飲んどけよ」
「おう」
軽く頷き、酒瓶の封を切る。一気に飲みたいところだが、そうするとこの場から立ち去らねばならなくなる。それだと話が出来ないまま退散する事になりかねないから、ゾロは普段から比べると舐めるように、チビチビと度数の高い液体を飲み進めていった。
そうしている内に食欲をそそる匂いが鼻孔をくすぐりだす。いったい何を作っているのだろうかと気になり始め、空腹を感じていなかったはずの腹が小さく空腹を訴えだした。そのタイミングを見計らったように、目の前に皿が置かれる。
「ほらよ」
「あぁ」
礼変わりにコクリと頷き、箸を取る。彼が作るモノに不味いものは無いだろうと分かっているが、その美味さを舌で感じるたびに自然と頬が緩んだ。夜に出させるつまみはゾロ好みの味付けになっているから、余計に美味く感じる。
そのつまみの美味さに。酒の美味さに力を得て、翌朝の仕込みを続けるサンジに向かって言葉を発した。
「あのよ」
「あん?」
「ちょっと、こっち来て飲め」
「――――はぁ?」
軽快なリズムで食材を切り刻んでいたサンジがその音を止め、素っ頓狂な声を上げた。
その提案は全く予想していなかったのだろう。向けられた彼の瞳は、大きく見開かれていた。
「――――なんだよ、突然」
「良いから。今日はそう言う気分なんだよっ!」
「なんで切れ気味なんだよ――――まぁ、良いけどな。ちょっと待ってろ。後少しで終わるから」
怒鳴るように声をかけたゾロを怒るでもなく、むしろ呆れたように眺め見たサンジは、不思議そうに首を傾げながらも同意の言葉を返してきた。そして、残っていた作業を手早く終わらせて空のグラスを一つ手に取り、イスに腰掛ける。
「――――で、何よ? オレに聞きたい事でもあるわけ?」
席に着くなり直球をぶつけられ、ゾロはグッと息を飲み込んだ。なんで分かったのだと瞳で問えば、サンジは馬鹿にするような笑みを返してくる。
「そんな態度で来られたら馬鹿でも分かる。――――で、なんだ?」
「聞いたら、素直に口を割るのかよ」
「質問にもよるな。とりあえず、言ってみれば?」
からかうようにニヤリと口端を引き上げてみせるサンジの表情は、六年前に良く見せていたモノのと大差ないが、その口端にタバコが無いだけで多少の違和感を感じる。
その違和感が自分の知らない六年の間で培われてきたものだと思うと、無性に腹立たしくなったが、今はそんな腹立たしさ感じている場合ではない。ゾロは自分の胸の内に気付いていないふりをして、ゆっくりと口を開いた。
「ガキ達が、話してた」
「何を?」
「お前が、リョクの父親じゃないって」
何も言葉を取り繕わずに発すると、サンジの表情がスッと無くなった。
怒るでも悲しむでもなく。
ゾロが次に何を言ってくるのか、警戒するような瞳で見つめ返してくる。
「――――お前に直接言ったのか?」
「いや。二人で話してるのをたまたま聞いた」
直ぐさま否定してやれば、サンジはホッと息を吐き出した。その様を見て、ゾロはグッと眉間に皺を寄せる。
「――――本当なんだな」
「なにがだよ」
「あいつの父親がてめーじゃないって事がだよ」
「プライバシーの侵害だぜ、クソ剣士」
不敵な笑みを浮かべてそう返してきたサンジは、ゾロの前にあった酒瓶を取り、自分のグラスに酒を注ぎ足した。そしてそれを一口飲み込み、小さく息を吐き出してから再度ゾロの瞳を見つめ返してくる。
「あいつの父親が誰だろうと、てめーには関係無い事だろ。人の家庭の事情に首突っ込んでくるな」
「――――んだと」
「リョクがオレを父親だと思えない事は分かってるし、了承してる。そう思えと強要してもいない。人前では『親父』と呼べと言ってはいるが、呼びたくないなら呼ばなくて良いとも言ってある。なんの問題もねーんだよ。てめーがしゃしゃり出てくる必要は、一切ねー」
「なんの問題もねーとは思えねーから言ってんだろ、このクソコックっ! てめーがそんなんだから、アイツ等はあんな風にコソコソと話あってたんじゃねーのかよっ!」
「うるせぇよっ! 何をどう聞いたのかしらねーが、一々口挟んでくるんじゃねぇっ!」
互いに怒鳴りあい、座していたイスから立ち上がってにらみ合う。その瞳だけでも相手を殺せそうな程、きつい瞳で。
そのままつかみ合いの喧嘩になるかと思いきや、そうはならなかった。それ以上の言葉をどちらも発せずに、キッチンの中に嫌な沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、ゾロだった。
「――――あいつは、自分の父親の事を知ってんのか?」
「……てめぇには関係ねー事だろ」
「良いから、それだけでも教えろ」
揺るぎない瞳で続ければ、サンジの瞳が僅かに揺れた。
ゾロの瞳の強さに気圧されるように。
そんな自分を見せたくないのか、サンジはスッと視線を俯け、小さな声で言葉を返してくる。
「あぁ、知ってるぜ。生まれたばかりの時から、ずっと話をしてやってるからな」
押し殺したような声で、答えるのが屈辱だと言わんばかりの声で返されたその言葉に、ゾロはほんの少しだけ力を得た。
そして、もう一つ。どうしても確認したかったことを問う。
「――――オレか?」
「あん?」
「オレが、アイツの父親か?」
ナミが何度もサンジに向かって発していた言葉だ。そのたびに軽く交わされていた問いを耳にしたことはあっても、ゾロが口にしたことは無かった。
答えを聞くのが怖かったのかも知れない。「そうだ」と言われたらどうしたらいいのか分からなかったから。
リョクが気に入らない訳ではない。むしろ気に入っている。ただ、彼の母親とサンジの間にあったあれこれを考えると、怖かったのだ。何がどう怖かったのだと問われたら、答えられないのだが。
サンジは、ゾロの問いにこれ以上無い程大きく瞳を見開いた。そして。一気に顔を紅潮させる。
「なっ………てめっ……………」
動揺のあまりにか、怒りのあまりにか。どちらにしろ声が出せないらしいサンジに、ゾロは己の考えがあたっている事を確信した。
ならばこの先、リョクに対する態度を改めねば。父としての威厳を示す為に。
そんな事を考えながら、ゾロはさらに問いを重ねた。
「で、どこのどいつだ」
「…………え?」
「あいつの母親だ。どこの島の女なんだ?」
記憶を探っても思い当たる節が全くなかったので問いかけた。その名を知ったところで今更なにも出来ないし、日々借金が嵩んでいる身だ。慰謝料を払う財力もないのだが。だが、自分も子育てに参加する心づもりくらいは知らせておいても良いかと思ったのだ。
だから問いかけたのだが、その言葉を発した瞬間。真っ赤だったサンジの顔から一気に血の気が去り、怖いくらいに青ざめた。
「――――クソコック?」
尋常ではない変化に心配になって声をかけたゾロの目の前で、顔を青ざめさせ、呆然としていたサンジの身体がフルフルと震えだした。
ゾロを見つめていた顔が己の足元に落ち、震えはより一層大きくなる。
「おい、てめぇ…………」
「………そうか」
大丈夫か、と問う前に、サンジが言葉を発してくる。
その言葉の先を問うように首を傾げてサンジの顔を見つめれば、彼はブルブルと身体を震わせながら、低い押し殺した声で呟き続ける。
「――――そうか、てめーには、心当たりがあるのか………そうか、そうか…………」
ブツブツと呟く彼の身体の震えは、より一層大きくなる。爆発しそうになる何かを、必死に押しとどめているかのように。
「おい、コック…………」
あまりにも尋常じゃないサンジの様子に、チョッパーを呼んできた方が良いのではないかと思い始めたゾロは、その前にもっと良く彼の様子を見てみようと、一歩前へと踏み出した。
その瞬間。
ビクリと身体に震えが走り、その場に固まった。
向けられた青い瞳の中に、この世のモノとは思えないほど強烈な怒りの炎を発見したために。
何故いきなり怒り出したのか。そんなにも怒りを示しているのか、ゾロにはさっぱり分からない。
それは分からなかったが、確実に分かる事が一つあった。
それは、この場にいたら殺されるだろうということだ。
身体が本能に従って逃げを打つ。
が、どうやら一歩遅かったらしい。
キッチンの中に、割れんばかりの怒声が響き渡った。
「一度死ねっ! このクソヤロウっ!」
強烈な蹴りを腹にまともに食らったゾロが、キッチンのドアをぶち破って宙を舞った。
流れる星に目を向けながら、ボンヤリと思う。
「そういや、アイツに蹴られるのは6年振りか?」
と。
壊れたドアの向こうに立つ金髪の男の姿を視界に捕らえる。
全身からこれ以上ない程強力な怒気を放っている男の姿を。
そんな彼の姿を目にして、ほくそ笑む。
子供を相手にしているときの穏やかな彼の表情も良いが、やはり彼はこうでなくてはと、思って。
そんな事を考えながら、ゾロは冷たい海水に着水したのだった。
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《20060107UP》
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