【18】
「もっとしっかり握れよ。そんなんじゃ、すぐにすっぱ抜けるぞ」
「はい」
「おら。もっと背筋を伸ばせ。疲れてるときこそ、姿勢に気を付けろ」
「はい」
ひゅんひゅんと風を切る音と、ゾロの声。それに答えるリョクの声が甲板から聞こえてくる。
リョクがゾロに剣の教えを受けるようになってから、一週間の時が経っていた。筋が良いのか、素振りをする様はなかなか様になっている。ゾロと並んで剣を振るう様は、どこからどうみても親子にしか見えない。笑顔でキャッチボールなんてモノをしていたら完璧だろう。
そんなゾロは怖いから願い下げだが。
パラソルの下でそんな事を考えながら鍛錬に励むミドリ頭コンビを見ていたら、傍らのテーブルにコトリと軽い音を立てて丈の長いグラスを置かれた。
それを置いてくれた手の主に視線を向けたナミは、視線が合ったところでニコリと微笑んだ。
「ありがとう」
ひとまず礼を述べ、グラスに口を付ける。その冷たくて美味しいドリンクを一口飲んだところでグラスをテーブルに戻し、改めて傍らに立つサンジへと視線を向けた。
「ホント、そっくりね。あの二人」
その言葉に、盆を片手に持ったサンジがニヤリと口角を引き上げた。
「そうですね。同じ事をやってると余計にそう思いますね」
そこで一旦言葉を切ったサンジは、大袈裟な仕草で息を吐き出した。
「とはいえ、剣の腕はともかく、あのファッションセンスまで似ないで欲しいですね。オレの子供に生まれたんだし。それくらい、オレに似ても良いと思いません?」
「そうね。まぁ、あの子はまだ小さいし。教育の仕方で少しは変わるんじゃないかしら?」
「そう願いたいですね」
苦笑を浮かべながらそう答えたサンジは、ナミの傍らに立ったまま、甲板の上で剣を振るう二人の姿を見つめ続けていた。どこか、嬉しそうな笑みを浮かべて。
子供の成長を喜んでいるのだろうか。船に乗った当初は置物かと思うくらいに言葉を発していなかったリョクが、ここ最近生き生きしていることだし。
「――――親か」
自分もソレになろうと思えばなれるのだが、なんとなく現実味がない言葉だ。
ベルメールの事はちゃんと母親だと思っているけれど、産みの親というモノに縁が無いから、余計に。
自分の腹を痛めて産んだ子は目に入れても痛く無い程愛おしい存在になると言うが、例え自分がソレを産んでもやはり自分は、自分とお宝が一番大事なままだと思うし。
チラリとサンジと見る。
「サンジ君」
「はい。なんですか?」
ニコリと微笑みながら見下ろしてくるサンジは、記憶にあるよりも落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。昔のようにだらしなく相貌をくずしたりしなくなった。
その理由は、再会した日の夜に言われた。
「ナミさんとロビンちゃんの事は昔と変わらず大好きですけど、オレには一番のレディが出来てしまったんです。すいませんっ!」
と。だから、昔ほどラブラブビームを放つことが出来ないのだと。
心の底から申し訳なさそうに告げてきたサンジに、ナミは「ああ、そう」と軽く返しておいた。
自分の夢を掴むために乗った船を下りて子供を産ませて、一人でその子供を育てていた程なのだ。それは当たり前の事だろう。むしろ、その彼女と自分達を同列に考えるのが間違いだと思う。
しかし、その彼女の影をメリー号のクルー達はチラリとも窺うことが出来ていない。
再会してからもうひと月近い時が過ぎているのに。
子供達に聞いても、多くを語ってくれない。「強くて綺麗な人で、大好き」と言うだけだ。サンジが口止めしているのだろう。そうまでして隠されると、どうしても知りたくなる。人のプライバシーを侵害する趣味は持ち合わせていないけれど。
だから、ことある事に問いかけるのだ。手を変え、品を変え。
「子供って、可愛い?」
「ええ、そりゃあもう!」
問いに、サンジはニパッと笑い返してきた。料理を褒められたときに見せるのと同じ、屈託の無い笑みを。
「憎らしいと思うときも沢山ありますけどね。でも、やっぱり可愛くて愛おしいですよ」
「好きな人との子供だから?」
「えぇ」
なんの迷いもなくキッパリと答えてくる。このくらいなら答えてくれる。
その先は、なかなか言ってくれないのだが。
アホに見えてなかなか頭が切れるサンジ相手だと、ゾロやウソップを相手にするときのように簡単にはいかないのだ。
さて、どうしようかと考えていたら、軽い足音が近づいてきた。
「オヤジっ!」
「うん? どうした?」
「今、暇? だったら、足技教えてっ!」
細いサンジの腰に抱きつくようにして飛びついてきたセイの身体を危なげなく抱き留めたサンジは、自分の子供の細い肢体を軽々と抱き上げた。
そして、ニヤリと口端を引き上げる。
「なんだ、セイ。リョクに触発されたのか?」
からかうような言葉に、セイはムッと口を尖らせた。
「そんなことは無いけど……」
「じゃあ、もう少し一人で遊んでろ」
「やだっ!」
可愛らしい声でキッパリと言い切ったセイは、ガバリとサンジの首に抱きついた。そして、恨みがましい、拗ねたような声で言葉を零す。
「――――リョクばっかずるい。一日中一緒に居て。オレは我慢してるのに」
「我慢しなきゃ良いだろ」
「でも………」
「体当たりで向かって行けば良いんだよ。むかついたら蹴っ飛ばして、抱きつきたかったら抱きついとけ。自分勝手な行動をとれんのは、ガキの特権だぜ?」
「うん……」
主語を抜かしているように聞こえる二人の会話は、ナミにはさっぱり意味が分からないものだった。
そもそも、構って欲しがる子供達を邪魔だと言って蹴り倒しているのはサンジだ。そんな事を言うなら、蹴り飛ばさなければいいのではないだろうか。
首を傾げるナミに気付いていないのだろうか。サンジは首筋に顔を伏せるセイの頭を柔らかい手つきで撫でながら、言葉を続けた。
「嫌なことをされたら、俺が報復してやるから。お前等は好きに振る舞っておけ。ガキなんだから、気を使うな。気を使いすぎると、ひねくれた子供になるぜ?」
俺みたいにな、と付け加えたサンジは、顔をあげたセイの白く柔らかい頬に音を立てて口づけを落とした。
そして、抱き上げていたセイの身体を甲板に戻す。
「ちょっと待ってろ。夕食の仕込みが終わったら付き合ってやる」
「うんっ! 見てていい?」
「あぁ。邪魔するなよ?」
パッと顔を輝かせたセイに微笑みかけたサンジが、事の成り行きを見守っていたナミへと視線を向けてきた。
そして、申し訳なさそうな表情を向けながら言葉をかけてくる。
「すいません、ナミさん。お騒がせしてしまって」
「別に、五月蠅く無かったから良いわよ。ソレくらい」
気にしないでと手を振るナミに、サンジはニコリを笑いかけ、優雅な仕草で腰を折った。この場を去ることを、その仕草で告げるように。
そして、ゆっくりと踵を返して歩を進め出す。そんなサンジのマネをしてお辞儀したセイが、小走りにサンジへと近づいて彼の左手に自分の右手を絡ませた。
父親を見上げる表情は明るく楽しそうだ。見下ろすサンジの顔も、同じように。
そんな二人の姿を見つめながら、ナミはボソリと呟いた。
「べた甘よね」
セイに向ける、自分に向けるのとはまた質の違う穏やかで愛しげなサンジの笑み。それは、昔は見られなかったモノだ。
「コレが時の流れってヤツなのかしらね」
ボソリとつぶやく。
そんな変化だったら、悪くはないなと、思いながら。
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《20060512UP》