【4】

 夜が更け、日付が変わった頃に宴会はお開きになった。今日の宴会はいつもより酒量が少なかったからか、誰一人酔いつぶれることなく、自分の足で寝床へと戻っていく。そんな仲間達の姿を見送ったサンジは、皆が良い気持ちで寝床に着いた頃、一人で大量の食器を洗っていた。
 今日は誕生日なのだからとウソップとチョッパーが後片付けを申し出てくれたのだが、その申し出をサンジがやんわりと断ったのだ。今日はとても気分が良かったので、最後までキッチリ自分の手で片付けたくて。それに、明日の朝食の仕込みもまだしていない。食器洗いを替わって貰ったところで、まだまだ寝ることは出来ないのだ。
「さてと、明日の仕込みを………うわっ!」
 食器を全て片付け終え、仕込み作業に入ろうと振り返ったサンジは、いつの間にやら背後に立っていたゾロの存在に気付いて、大きな声を上げた。
 人の気配には聡い方なのだが、彼がラウンジに入ってきたことに全く気付かなかった。入ってきた事どころか、1メートル程度しか離れていない位置に立たれていた事にも気付かなかったとは。不覚にも程がある。
 いつもだったらそんな自分の失態を誤魔化すために逆ギレするところだが、驚きすぎたのと機嫌が良すぎたのとで切れるタイミングを逃し、普通に言葉を返してしまった。
「お前……気配消して近づくなよな。ビビんだろうが」
「気ぃ抜いてるお前が悪いんだろう」
「自分の船ン中で一々気ぃ張ってられるかよ」
 軽く眉を上げ、バカにするような口調でそう告げてくるゾロに、サンジはムッと顔を歪めた。だが、すぐに気を取り直す。何しろ、今日は機嫌が良いので。いつもだったら直ぐさま喧嘩に発展しそうな言葉もさほどむかつかない。
 それでも多少は沸き上がってきた苛立ちを解消させるために懐から煙草を取り出し、火をつけながら問いかける。
「で、何の用だ? 酒ならもう出せねぇぞ?」
「酒はいらねぇよ」
「じゃあなんだよ」
 酒以外にゾロにラウンジに来る用事があるとも思えず、首を傾げた。その言葉に、ゾロは逡巡するように視線を流す。
 言いにくいことなのだろうか。思ったことは何でもずばずば言ってそうな彼にしては、珍しいことだ。果たしてどんな奇怪な言葉を発してくるのだろうか。
 滅多にない珍事に遭遇し、良かった機嫌に引きずられるように愉快な気持ちになってゾロの次の言葉を待つ。そんなサンジに、ゾロが真っ直ぐ視線を向けてきた。
「――――やってなかっただろ」
「あ?」
「お前に」
「――――なにを?」
 主語がない言葉の意味がさっぱり分からず、眉間に深い皺を刻み込みながら問いかける。
 そんなサンジの反応が軽くむかついたのか。眉間に数本皺を刻んだゾロだったが、ここで喧嘩に持ち込むわけにはいかないと思い直したのだろう。足りない言葉を継ぎ足してきた。
「プレゼントだよ。誕生日の。他の奴らはやってたが、俺は何もやってなかったからな」
 少しふて腐れたように告げられた言葉は、全くもって予想外のものだった。まさか、ゾロがそんなモノを自分に寄越してくるとは思っていなかったので。
 なにしろ自分達は、顔を付き合わせれば喧嘩を始めるような関係だ。いや、常に喧嘩腰、と言うわけではない。偶には静かに酒を酌み交わしたりもするし、戦闘中にはなんだかんだ言っても息があった戦い方が出来る。お互いの腕を信頼してもいる。少なくても、サンジはゾロの戦闘能力を高く評価している。本人にも回りの人間にも絶対に言わないが。
 ゾロも、戦闘中の雰囲気から考えて、それなりに自分を信頼してくれているのだろうと、判断出来る。自分の勝手な判断だから、本当の所はどうなのかさっぱり分からないが。
 ともかく、端から見るよりも仲良くやれていると、思っている。少なくても、サンジは。
 だが、誕生日にプレゼントを贈るような間柄ではないと、思っていた。そもそも、ゾロは人にプレゼントを贈るようなマネはしないだろうと、思っていたので。だから、彼の誕生日に好物の品を並べること食らいはしても、プレゼントをやろうなどと言う考えには至らなかった。
 意表をつくゾロの行動に、ポカンと口を開けてしまった。今の自分の表情が大変間抜けなモノだと分かっていても、取り繕うことが出来ないくらい驚いている。
「ぁ〜〜……。なんか、くれるわけ? 俺に、お前が?」
「おう」
「そいつは、どうも……」
 冗談も通じないのか、等と言った返しを期待して放った問いかけにあっさり頷かれ、返す言葉に詰まった。だがすぐに気を取り直す。そして無理矢理意地の悪い笑みを形作り、からかうような口調で告げる。
「で? 何をくれるわけ? お前のそのだっさいセンスで、俺を喜ばせるような贈り物が出来るとは思えねぇけど。でもまぁ、折角だ。一応貰ってやるぜ?」
 かけた言葉に、ゾロがムッと顔を歪めた。
 いつもの調子を取り戻すためにむかつかせようと発した言葉だ。むかつかない方がおかしい。だがそれでも、喧嘩する気は無いようだ。いつものように突っかかって来ない。誕生日だからと、気を使っているのだろうか。そんな気の使い方を出来る人間だとは、思えないのだが。
 サンジが内心で首を傾げている間に、ゾロが一歩前に近づいてきた。自然と二人の間の距離が縮まる。元々そんなに離れていたわけではないが、より一層。
 この近距離はなんだろうかと不思議に思いながらも、近づいてきた、ほぼ目の前にあるゾロの顔を見つめる。そんなサンジの腰に、ゾロの左手が回された。
 思わず視線がそちらに落ちる。なんでそんな所を触ってくるのだろうかと、思って。その隙をつくように、頭には右手が回された。
「ちょっ……なに………」
 慌てて視線を上げ、目の前の瞳を見つめ返すと、ゾロはニヤリと、凶悪な笑みを浮かべてきた。
 そして、あっという間に、僅かにあった距離を縮めてくる。
「……!!」
 触れてきた唇に驚き、大きく目を見開く。そんなサンジの瞳を、ゾロが真っ直ぐに見つめ返してきた。瞼を閉じる気配はない。逃さないと言いたげに、サンジの瞳を捕らえてくる。
 何が起こったのか、分からなかった。
 何でゾロが、自分にキスしているのか。
 驚きのあまり軽く開いていた歯の間から、ゾロの舌が侵入してきた。
 自分のそれとは違う、厚みのある舌が。
 それが、口内で固まったように動きを止めていたサンジの舌に、絡みついてくる。
「………っ!」
 与えられた刺激で我に返り、目の前の身体を押しのけようと腕を突っぱねた。だが、頭と腰を拘束されている。それだけではない、いつの間にかシンクに身体を押しつけられていて、蹴り上げる事も出来ない。
 元々筋力はゾロの方が上だ。どれだけ腕に力を入れても、ゾロの身体はピクリとも動かなかった。
 ならばと、今度は胸を拳で叩いてみる。だが、ゾロは少しも気にした様子を見せず、口内を思う様蹂躙してくる。
 ゾクリと、背筋が泡だった。
 コレはやばいと、頭の隅にある冷静な部分が告げてくる。このままでは雰囲気に流されて、とんでもない事になる。
 流されそうになった意識を必死に建て直し、サンジは腕をゾロの背に回した。そして、右手で男の短い頭髪を握り混み、力任せに背後に引っ張る。
「――――ってぇな、てめぇ。剥げたらどうすんだっ!」
 さすがにそれは痛かったらしい。それまで何をしても離れようとしなかったゾロの唇が、ようやく離れた。それにあわせて密着していた身体も少し離れる。その隙をついて素早く足を差し込み、力任せに腹を蹴り上げてやった。
「ッ………てめぇっ!」
「怒鳴りたいのはこっちだっ! クソヤロウっ!」
 軽く吹っ飛び、テーブルにしこたま背中を打ったらしいゾロが怒りも露わな表情で睨み付けてきたのに、こちらも負けじと眉を吊り上げて怒鳴り返す。
「てんめッ………なにしやがんだっ!」
「キスに決まってんだろ」
「そんなこと聞いてねぇっ!」
 それくらい知っているだろうと言いたげなゾロの態度に、心の底から腹が立った。あまりの怒りに、頭の血管がぶち切れそうだ。この止めどなく沸き上がってくる怒りは、目の前の男を殺さなければ収まりそうにない。

 絶対に、殺す。

 揺るぎない気持ちで決意したサンジは、怒りに燃える瞳でゾロを睨み付けた。その瞳を真っ向から受け止めたゾロは、サンジとはうってかわって冷静な表情を浮かべていた。髪を引っ張られた怒りも腹を蹴られた怒りも、あっという間に沈静化したらしい。下らないことで食ってかかってくるゾロにしては、珍しい事だ。
 だが、相手が喧嘩するつもりがなかろうとも、サンジは殺る気満々だ。例え相手が無抵抗だろうと、血反吐を吐くまで蹴りつけてやる。
 サンジがそんな物騒な事を考えているとは思っていないのか、ゾロは平然とした顔でサンジの顔を見つめ返してくる。どんなに殺気を込めて睨み付けても、いつものように殺気を返してくることはない。そんなゾロの様子に、ほんの少しだけ気勢が殺がれた。
 いったいどうしたのだろうかと、内心で首を傾げる。そして改めて、目の前の男を観察した。彼の内心を窺うために。
 そこでふと、気付いた。いつも揺るぎない瞳で前を見つめている彼には珍しく、その瞳に動揺の色が浮かんでいることに。
 何に動揺しているのかは、分からない。だが確かに、彼は動揺している。
「――――どうしたんだ、お前?」
 らしくない姿を目にして、思わず問いかけていた。その言葉に、ゾロはばつが悪そうに顔を歪めた。そしてプイッと、顔を背ける。
「どうもしねぇよ。それより、てめぇはさっさと寝ろ」
「あ?」
 言うだけ言ったゾロは、さっさと踵を返してラウンジのドアから出て行ってしまった。
「――――んだ、ったんだ? ありゃ?」
 理解不能なゾロの行動に、サンジは首を傾げた。気配を消して背後に立っていたと思ったらキスしてきて、なんのフォローも無くさっさと出て行くとは。いったい何事だろうか。
「意味わかんねぇ……」
 ボソリと呟いたのとほぼ同時に、一度閉じていたラウンジの扉が勢いよく開いた。
 思わずビクリと、身体を跳ね上げる。そんなサンジに、戻ってきたゾロが室内に入ることなく、告げてくる。
「おめでとう」
 それだけ告げたゾロは、さっさと扉を閉めてしまった。ズカズカと荒い足音が甲板から聞こえてくる。だが、男部屋に入った音はしない。多分、見張り台に行ったのだろう。
 しばし、ラウンジの扉を見つめながら呆然とその場に立ち尽くしていた。一連の出来事を、脳内で纏めながら。
「ぁ〜〜………っと……………もしかして、あのキスが、誕生日プレゼント、とか?」
 よくよく思い返してみれば、ルフィもキスがプレゼントだと、言って居た。ナミも、ロビンも。
 今年のプレゼントは全員キスを贈る事にしたのだろうかとも思ったが,チョッパーやウソップは普通のモノを送ってくれたから、そう言う事では無いだろう。そもそも、ヤレと言われたからと言ってあの男が大人しく男にキスするだろうか。しかも、自分に。
「――――わけわかんねぇ」
 ボソリと漏らす。いくら考えても、答えなど出てきそうにない。ならばここは、綺麗さっぱり忘れた方が良いだろう。
「うしっ! 犬に噛まれたと思って、スッパリ忘れんぞっ!」
 固く握り拳を作り、天に向かって突き上げたサンジは、さっさと気持ちを入れ替えようと朝食の仕込みへと、のめり込んでいった。









BACK    NEXT





《20070501》