【4】

 夕食で大量に食料を使うだろう事は予測していたので、その分は隠しておいた。それをみんなが寝静まった頃にこっそりと倉庫に積め直す。そして、詰め込みきらなかった食材で朝食と昼食を作り置きしておく。冷めても、時間が経っても美味しく感じるようなモノを。
 大切な仲間達に食べて貰える最後の料理になるから、いつも以上に気合いを入れて作り上げる。
 さすがに夕食の準備まで手が回らなかった。作ったとしても、昼までにはルフィの腹の中に収まることになるだろうから、作り置きしておくのは昼食までで充分だろう。
 船を下りようと決めたときからコツコツと書きためておいたレシピは、すぐに誰かに気付いて貰えるだろう位置に置いてきた。ウソップやナミあたりが上手く活用してくれるだろう。いや、多分、間違いなく、その役目はウソップが大幅に請け負う事になるだろうが。
 使った機材を洗い上げ、シンクも磨き上げた。そして、ザッと周りを見回して己の仕事を確認する。
「・・・・・・こんなもんか。」
 己の仕事に満足して小さく頷いた。もう、やることはない。
「立つ鳥後を濁さずってな。」
 ニッと口角を引き上げ、濡れた手をタオルで拭いたサンジは、懐から煙草の箱を取り出した。まだ封を切っていない、新しい箱を。
 その封を切って一本取り出し、口にくわえる。そしていつものように箱を懐にしまおうとしたところでふと、動きを止めた。
 考え込むような間の後、サンジはその箱を所狭しと皿が並べられたテーブルの片隅へと、置く。
「しばらく禁煙すっかな・・・・・・・」
 むしろ、した方が良いだろう。今持っている一本を最後に。
「ま。願掛けも兼ねてな。」
 そんな女々しい事を考える自分に苦笑を漏らしながら、サンジはくわえた煙草に火を付けた。
 思い切り息を吸う。慣れた苦みが口中に広がり、サンジは満足そうに瞳を細めた。
 深々と息を吐き、口から出る白い煙をキッチンの中に充満させる。嗅ぎ慣れた匂いが、狭い室内に広がった。自分が居たことを、この空間に刻みつけるように。
 その匂いを嗅ぎ、白い煙が揺らめくのをしばし眺めていたサンジは、フッと息を吐いた後、小さく言葉を零した。
「さて、行くか・・・・・・・・・」
 いい加減船から出て行かないと、誰かが起き出してくるだろう。今更止めには入らないだろうが、見送る彼等の顔を見るのは辛かった。自分の我が儘で下船するから。
 突然の宣言に、皆驚いただろう。今は驚きだけでも、後に怒りに変わるかも知れない。サンジの自分勝手な行動に。理由も語らず船を下りた自分に。ただでさえ少ない乗員数なのだ。一人欠けただけでも他の人間にかかる負担は大いに増える。その事に気付いた時、皆は自分の事を攻めるかも知れない。それでも、そう分かっていても、今下りねばならないのだ。
 皆にとっては唐突な宣言だろうが、下船を決めたのは二ヶ月も前の事だ。それでも迷い続けた。大いに迷った。だが、船に乗ったままではいられないのは、確かなことだったから、ギリギリのラインで下船すると告げた。なかなか言い出せなくて、こんなに時が経ってしまったけれど。
 もう一度息を吐き出した。そして、足元に置いておいた荷物を手に取る。
 持ち出す物はそう多くない。僅かな着替えと包丁セットと財布だけ。財布の中身は餞別だと言ってナミが足してくれた。その重みに胸の中で感謝の言葉を述べながら、財布を尻のポケットの中へと押し込んだ。そして、ゆっくりと扉に向かう。
 船を下りるために。
 キッチンのドアを開ききったサンジは、一度室内を見回した。
 この船の中で一番多くの時間を過ごした場所を。
 一番思い出がつまった場所を。
 煙草をくわえたまま、ゆるりと片側の口の端を引き上げる。
「・・・・・・・・大切に使って貰えよ?」
 小さな自分の城だったソコに、そっと声をかけて部屋の外へと足を踏み出す。
 が、その足をすぐに止めて踵を返したサンジは、手近にあった紙とペンを手にして冷蔵庫へと歩み寄った。そしてその紙を冷蔵庫の滑らかなボディの上へと押しつけ、サラサラとペンを走らせる。
「・・・・うし。」
 書き上がった文字を確認して小さく頷き、紙片をマグネットで止めた。手にしていたペンは元の位置に戻し、今度こそ後ろを振り向かずにキッチンを後にする。
 階段を下りる前に、ザッと甲板を見下ろした。そこにゾロの姿は無い。見張り台で寝ているのかも知れないと考えチラリと上空を窺ってから、サンジは足音を立てないように気を付けながら甲板へと降り立った。
 軽い足取りで歩を進め、船縁に立つ。縄ばしごを下ろすわけにはいかないから、目標を定めて軽くジャンプする。
 地面に降りた衝撃を殺すために膝を曲げて着地したのだが、付いた足裏からその衝撃が全身に駆けめぐった。その事に小さく舌を打つ。
 ゆっくりと身体を起こして己の身体の状況を窺ってみたが、足の裏が痺れている位でどこにも異常は無さそうだ。
 ホッと息を吐き出したサンジは、前方へと視線を向けて呟いた。
「良し、行くか。」
 目的地は決まっている。サンジは迷い無く足を踏み出した。
 くわえていた煙草が、随分短くなった。そろそろ限界を感じたサンジは、フィルターを歯で噛みながら、ゆっくりと煙を吸い込んだ。コレを最後に、しばらく手を付けないで置こうと、硬く胸の内で誓いながら。
 そして、煙をゆっくり吐き出し、吸い殻を地面へと落とす。
 火の始末をするためにギリギリと踏みつけたサンジは、何かに呼ばれた様に顔を上げた。そして、背後を振り返る。
 視界に、白いメリーが飛び込んできた。
 船長のお気に入りが。
 ちょっと間抜けな顔をしたメリーに向かって、薄く微笑む。
「絶対に帰ってくるからよ。そん時まで、元気でな。」
 もしかしたらその時はもう、メリー号では無いかも知れないが。
 それでもそう言葉をかけ、踵を返した。
 やるべき事をやるために。
 そのための場所に向かうために。
 そこに向かう足取りには、一切の迷いが無かった。


























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《20040822UP》