「―――サンジ」
名を呼ぶと、サンジはキョトンと目を丸めた。知らない言葉を聞かされたと言わんばかりの表情で。
だが、そんな表情など気にせずに肩に回していた腕を動かし、細い身体を抱きしめた。
「ちょ、おいっ!」
抱きしめた途端、サンジは慌てたように声を上げた。
放せと叫びながら背中を叩かれたが、気にせず抱きしめ続ける。今放したら、彼はまた、自分の前から居なくなる気がして、放せなかったのだ。
「なんなんだよ、てめぇはっ! 変質者かっ?!」
どこからどう聞いても本気としか思えない怒りの色が混じった怒声とその言葉に、五年ぶりくらいに会ったというのに、随分とつれない事を言うなと、思った。もっと感動の再会みたいな感じになっても良い物をと。
だが、サンジはそう言う男だ。嬉しいことがあっても、滅多なことでは素直に喜びを表に表したりしない。いや、女相手の時には大げさなほど喜ぶが、ゾロや、他の男連中を相手にしているときは滅多なことでは嬉しそうな顔などしないのだ。
何か言おうと思った。心配した、とか。生きてたのなら連絡を寄越せ、とか。だが、何を言えばいいのか分からず、ただただその身体を抱きしめ続ける。
「ちょっ……なんなんだよ、マジでっ! 放せってっ! はーなーせーよっ!」
耳元でギャンギャン騒ぐ声をうるさいと思いつつも、自然と口角が引き上がる。
もう聞くことが出来ないと思っていた声を聞くことが出来たのだ。嬉しくなって当たり前だろう。
そうだ。さっさと他の奴らにも見せてやらなければ。彼の死を悲しんでいたのは、今でも悲しんでいるのは、自分だけではないのだ。誰も、彼以外の人間をコックとして受け入れていないのは、自分に気を遣っているだけではなく、皆の傷が癒えていないからなのだから。
そんなことを思いながら、抱きしめていたサンジの身体を肩に担ぎ上げた。
昔と変わらない軽い身体だ。いや、昔よりも軽いだろうか。そう感じるのは、自分の筋肉が付いたからか、彼の体重が落ちたからか。
後で全身を調べてやろう。
決意し、頷いたゾロは、そのままゆっくりと足を動かし始めた。
「なっ……! どこに連れて行く気だっ! 放せよっ!」
「決まってるだろうが。船だ」
「フッ……船ぇっ?!」
ゾロの言葉に、サンジは素っ頓狂な声を上げた。そしてより一層激しく暴れ始める。
「じょっ………冗談じゃねぇっ! なんで俺がお前の船になんかに連れていかれねぇとなんねぇんだよっ!」
そんなサンジの言葉に、眉間に深い皺を刻み込む。何でそんなことを言うのか、分からなくて。
もしかしたら、何年も迎えに来なかったから怒っているのかも知れない。だったら、自分から連絡すれば良かったモノを。いや、ここまで怒っているのだ。連絡したのに手違いでその連絡がこちらに届かなかった可能性もある。だとしたら、サンジがここまで怒りを露わにしているのも納得がいくというものだ。
そんなことを考えながら歩いていたら、後頭部を思い切り殴られた。
「―――てめぇ」
「放せよっ! 放さなかったら、次はこんなもんじゃすまさねぇぞっ!」
手加減など一切指定なさそうなその攻撃に眉間に皺を寄せ、殺気をほとばしらせながら背後に視線を向ければ、サンジはゾロと同じくらい強い殺気をほとばしらせ、少したれ気味の瞳をこれ以上ないほどつり上げながら怒鳴り返してきた。
それでも肩に担がれた状態のままで居るのは、ゾロがガッチリとその身体を拘束しているからだろう。少しでも隙を見せたらすぐにでも逃げ出すに違いない。
サンジの身体を拘束する腕に力を込めた。
軽く瞳を見開く。元々さして肉付きが良くなかったサンジの身体が、より一層薄くなっていることに、驚いて。
自然と眉間に皺が寄った。彼のこの数年の生活が、決して楽なモノではなかったことに気付いて。
「おいっ! 放せっつってんだろうがっ! マジ殺すぞっ!」
凄く痩せたのに、昔よりも体力も筋力も落ちているだろうに、それでもこんな強気な言葉を吐いてくるのは、サンジがサンジたる所以だろう。サンジは、どんなに弱っていても弱音を吐くような男ではない。
少しくらい、吐いて貰いたいのに。
そんなことを考えつつ、サンジの身体を担ぎ上げ、拘束している方の手とは逆の手に、軽く拳を握る。そして、ギャンギャンと騒ぎ続けるサンジへと、言葉をかけた。
「少しは黙ってろ。クソコック」
「―――え?」
何に驚いたのか、サンジは頓狂な声を上げ、暴れるのを一瞬だけとめた。その隙を突くようにサンジの腹に握りしめていた拳をたたき込めば、サンジは小さなうめき声を上げた後、クタリとその身体から力を抜いた。
暴れるのを止め、柔らかくなった身体を肩からおろし、いわゆるお姫様だっこという状態で持ち直した。どういう持ち方をしてもサンジ程度の体重など屁とも思わないから、少しでもサンジが楽な体勢で運んでやろうと、思って。
完全に意識を失っているらしい。サンジはされるがままにゾロの胸にその身体を預け、その小さい丸い頭をゾロの肩に乗せてきた。
軽く眉間に皺が寄っている顔を見つめる。記憶にあるものよりも多少年は取っているが、昔とさして変わりない。眠っていると年齢以上に幼く見えるところも。
胸の奥がホカホカと暖かくなってくるのを感じる。口元は自然と綻んだ。
コレが、幸せというモノなのだ。
忘れかけていた様々な感情が胸中で渦巻き始めた。
サンジの姿を見た、その瞬間から。
それだけでも、自分がどれだけサンジの事を好きだったのかが知れると言うモノだ。
「もう、隠したりしねぇからな……」
気を失っている男に、告げる。以前サンジが船に乗っていた頃は、小さい上に。乗組員の数が少ない船の中で大っぴらに付き合うのはまずいだろうとサンジが言ったので、二人の関係は周りの人間に言って居なかった。聡い奴はうすうす気付いていただろうが、自ら吹聴しては居なかった。
だが、今後はしっかりと自分たちの関係を宣言しておこう。どうせもう、バレて居ることだし。サンジが死んだと思った後の、自分の様子で。
そんなことを考えながら船に向かって大股で突き進んでいたゾロは、殺気に似た強い気配に気付いて足を止めた。
ゆっくりと振り返ると、そこには今にも襲いかかってきそうな程怖い表情を浮かべた女の姿があった。
「―――なんだ?」
目の前の女からそんな瞳を向けられたことは無かったが、そんな眼差しで見られる事には慣れている。だから平然と問い返した。
その言葉に、女は一瞬傷ついた表情を浮かべる。だが、すぐにより一層険しい表情を浮かべてきた。
「―――そいつは、誰?」
サンジをそいつ呼ばわりされ、カチンと来た。女のような、流れに乗って世間を渡り歩いている様な奴に下に見られるような男では無いのだ。サンジは。
そんなふうに言う奴に教える気になれず、小さく鼻を鳴らした。そしてさっさと女から視線を反らし、足を踏み出す。
「ゾロっ!」
引き留めようとしているのだろう。悲痛な、叫びにも似た声をかけられた。だが、無視して歩き続ける。
「どこに行く気?! その男を、どうするつもりなのよっ!」
声をかけてもゾロの足を止められないと悟ったのか。駆け寄ってきた女は、ゾロの腕を掴み、その場に留まらせようとするように強い力で引いてきた。だが、所詮素人女の力だ。ゾロの動きをとどめることなど、出来るわけがない。
女の腕を振り払う事もせず、歩を進め続ける。大股で、迷い無い足取りで。
そんなゾロの腕に取りすがるようにしてなんとかその動きを止めようとしていた女は、何かに気付いたらしい。ハッと小さく息をのんだ。そして、叫ぶような声で言葉を放った。
「まさか、船に連れて行く気?!」
「決まってんだろうが」
女の言葉に、内心でそう答える。女相手にわざわざ言葉を放つのも面倒くさかったので。
ゾロの言葉にしなかった考えを読み取ったのだろう。女の眦は更にきつくつり上がった。
女が何かを言いかけるように口を開いた。だが、その口から言葉を放つことなく、噤む。何をどう言ってもゾロの気持ちを変えることが出来ないと、分かったのかも知れない。
だが、一言言わずにはおれなかったようだ。鋭い眼差しでゾロの顔を睨み上げながら、言葉を放ってきた。
「―――案内なんて、しないわよ」
「あぁ?」
全くもって予想外の言葉を突きつけられ、返す声には自然と険を帯びさせてしまった。
その声に一瞬ひるんだ女だったが、すぐに気を取り直したらしい。かすかな怯えが滲む瞳で睨み付けてきた。
「そんな、どこの馬の骨かも分からないような男を連れている限り、船に連れていったりしないわよっ!」
「―――なんだ、そりゃ」
思わずそう言葉を返していた。いったいそれはどういう脅し文句なのだと、思って。そう言ったら、自分が本気でひるむと思っているのだろうか。
思っているのだろう。どう見ても女は本気で言っているようにしか見えないから。
確かに自分は方向音痴だ。一度船を下りたら思ったようには帰ってこられない。女が船に乗り込むようになってからは余計にそんな傾向が強くなった。それは、心の隅で帰りたくないと思っていたからだろうが。
だが、今は真っ直ぐに船にたどり着ける自信がある。
何しろ、サンジが戻ってきたのだ。船に戻れば美味い飯が食べられると、分かっているのだ。仲間達に無いと言われ続けている帰巣本能も発動すると確信している。だから、女に案内して貰う必要など欠片もない。そもそも、女の案内で船に戻りたいなんて事は思ったこともないのだが。
だが、そんなことをわざわざ教えてやる義理もない。ゾロは冷ややかな眼差しで女の顔を射抜いた後、直ぐさま視線を反らし、迷い無い足取りで歩を進めだした。
「てめぇの案内なんているかよ」
と、素っ気ない口調で告げながら。
その言葉に女が何かしら叫び返してきたが、言葉を耳に入れることはしなかった。仲間だと思っても居ない女の事を気にする趣味など、持ち合わせていないので。
いや、相手が女でなくても、ナミやロビンでも反応は同じだっただろう。今のゾロの頭の中は、腕の中にいる男の事で一杯だから。
「早く、てめぇの作った飯を食わせろよ」
意識のない男に向かって、呟く。
真っ直ぐに、住み慣れた船へと向かいながら。
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《20081111》
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