前を歩くサンジの背中をジッと見つめながら、ゾロは黙々と歩を進めていた。サンジの家に、付いていくために。
 最初はそんなつもりはなかった。家に押しかけるどころか、必要以上に近づこうとも思っていなかった。下手に近づいて手を出したくなったら不味いので。
 記憶を無くすと言うことは、それまでの人生もリセットされるようなものなので、全く人が変わったようになる、と言う話も聞いた事があるが、サンジはなにがあってもサンジだった。態度も言葉も立ち振る舞いも、考え方も。そんな彼を目の前にして、記憶がないのだからと言って手を出さずにいられるわけがない。
 身体を繋げれば思い出すかもしれない、等という甘い事は考えていないし、今のサンジに下手に手を出すと毛虫を見る勢いで避けられる事は目に見えているので、絶対に手を出すまいと思っていたのだ。そのためにも、必要以上に近づかないようにしていたのに。
「――――あの男のせいだ」
 憎々しげに、呟く。
 あのアインとか言う男がサンジに色目を使っていたから、不安になったのだ。
 今までは良い友人を演じてきたようだが、自分達が現れた事によってサンジが自分の元から離れていきそうな気配を察し、嫌われるのを覚悟で強硬手段に訴えかねない。
 訴えられたからと言ってサンジがあの男に後れを取るわけがないだろうとナミには鼻で笑われたが、サンジがあの男にやられそうだから心配だという訳ではないのだ。自分以外の誰かがサンジに対して恋心を抱いている事自体が、自分以上にサンジの近くに留まろうとする事自体が気に入らないのだ。
 そう素直に告げたら腹を抱えて笑われそうだったから、言わなかったが。
 そんなわけで、店の前で皆と別れ、サンジが出てくるのをジッと待っていた。
 以前船に乗っていたときほど極端に女尊男卑をするわけではないが、それでもそれなりに男への扱いが乱雑な男だ。確実に嫌がられ、喧嘩になると思っていたのだが、案外簡単に家に連れて行って貰えて拍子抜けした。
 サンジの足は、ドンドン薄暗くて細い道へと向かっていた。ナミからチラリと聞いた話だが、街の奥の方に貧民街、とまでは行かないが、この島の下級層の人間が集まる地域があるらしいから、多分そちらの方に向かっているのだろう。
 軽く眉間に皺を刻み込む。店はそこそこ繁盛しているように見えた。こんな所で生活しなければならない程金に困っているとは思えないのだが。もしや原価ギリギリで営業しているのだろうかと心配になったところで、サンジが軽く振り返りながら言葉をかけてきた。
「いっとくけど、部屋には小さなベッドが一つあるっきりでソファも無いから、お前は床に転がって寝ろよ。毛布くらいは貸してやるから」
「問題ねぇ」
 サンジの言葉に軽く頷き返した。別に毛布無しでも構わない位だ。
 だが、サンジにはただの強がりに聞こえたのだろう。軽く眉間に皺を寄せ、後から文句を言うなよと、付け足してくる。
 辿り着いた部屋には、確かにベッドが一つしかなかった。ソファはおろか、本棚もテーブルもない。寝に帰ってくるだけの部屋という印象の、殺風景な部屋だ。
 唯一物が置かれているのは、台所とは言い難い程狭い台所だ。そこには、所狭しと調理道具が並べられている。どうやら家でも料理をするらしい。
 ゆっくりと室内に足を踏み入れ、部屋の奥にある窓へと近づく。その窓を覆った厚いカーテンを開ければ、そこには真夜中とは思えない程きらびやかな光が溢れていた。
 溢れているのは、光だけではない。騒がしいほどの喧噪も溢れている。この界隈にはまだまだ夜は来ないのだと言わんばかりにうるさい。
 チラリと、室内に視線を向ける。ゾロの事を客人だとは思っていないのだろう。視線の先にいるサンジは、一人でさっさと入浴の準備をしている。
「――――お前、なんでこんな所で生活してんだ?」
 素朴な疑問を口にする。もしかしたらこの問いにも、まともに答えてくれないかも知れないなと、思いつつ。
 だが、そんな疑問を感じるのはもっともだと思っているのかも知れない。サンジはサラリとした口調で返してきた。
「最初は金が無かったんだよ。出世払いで貸してくれるッて奴は何人か居たんだが、あんま借りは作りたく無かったからな。その時の自分でも何とかなりそうなところを生活の拠点にしたってだけだ。で、今は新しい部屋を探すのも引っ越しするのも面倒だからここに住み続けてる。それだけ」
「なる程」
 身なりにはそれなりに気を使うが、基本的に大雑把なサンジらしい回答だ。大雑把になるのは、自分で対処出来る事柄が多いからかも知れないが。
「とりあえず、これがお前の毛布。ベッド以外ならどこででも好きに寝ろ。俺は風呂に入ってくる」
 手にしていた毛布をゾロに投げつけたサンジは、それだけ言うと浴室があるのだろうドアの向こうに消えていった。ソレを見送ってから、その場にドカリと腰を落ち着ける。
 とりあえず、この部屋に他人の気配は無い。その事にホッと安堵の息を漏らした。そして、自嘲するようにクッと喉をならしながら呟く。
「――――心狭ぇな、俺は」
 思わず零してしまったが、そんなのは今更だ。自分が寛容な人間じゃない事くらい、良く分かっている。
 あのアインという男は勿論だが、店に来て、知った風な口を叩きながらサンジと言葉を交わす奴等にも苛立ちを感じてしまうのだから、相当狭量だ。
「だったら、とことん狭量になってやるぜ……」
 ナミやウソップの様に躍起になって記憶を取り戻させようと言う気にはならないが、手放す気は欠片ほどもないのだから。今も、サンジの心も体も自分のモノだと思っているので。
 ニヤリと、口端を引き上げる。そして、サンジが入っている浴室のドアを見つめながら、呟いた。
「覚悟しろよ。もう一回、俺に惚れさせてやるからな……」
 腕によりをかけて。容赦など、全くしないで。
 そう胸中で呟きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。サンジが近くにいると言うだけで、心が安まっている自分を自覚しながら。
 今夜は久しぶりに、五年ぶりに、熟睡が出来そうだ。
 そう内心で呟いたのを最後の記憶に、ゾロの意識は深い眠りの底に沈み込んで行ったのだった。










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《20100810UP》




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