何で今さらと思う人があるかもしれませんが、 かつて、四隅突出型古墳の名称とその存在が登場した時代があり ました。最近はこれが弥生時代を中心に存在することが判明し、弥生墳丘墓名称とタイアップして、四隅突出型墳 丘墓なる名称が大流行となりました。 私は古代の墳丘ある墓所をすべて古墳とする説を提唱していますので、 四隅突出型墳丘墓の呼称は、受け入 れがたいのです。 この類の墓所には、地方の我々が古墳と呼んでいる古墳時代の小規模墳丘墓所の大きさをは るかに越えるものがあります。 つまり、 感覚として四隅突出型墳丘墓は古墳なのであり、 難しい理屈はかえって世界の古墳名称を混乱させ、 日本だけが、一人よがりの珍名称が横行するようになっています。 墳丘墓と墳は世界の言語に訳せば同じ意味と なります。 古墳は単に古いという字が付いただけのことであり、墳を古代に限定すれば古墳ということになります。 また墳丘墓は 低墳丘とか多重埋葬とかも 関係ありません。 古墳の中にも、でっかい古墳 ちっちゃな古墳や多 重埋葬 ・単埋葬があるし、 規模や内部構造に関係なしに墳は墳であるし、 その中に弥生古墳 ・古墳 ・中世墳な どがあるのです。 古墳をある一 定の規格性に求めようとした時代に、 仮説として古墳以前に 墳丘墓名称が登場しましたが、そも そも墳と墳丘墓がおなじ意味があることの哲学的考察が、不充分であったのです。 最近の矢藤治山古墳 ・ホケノ 山古墳などの、墳丘墓か古墳かの論争は、 墳と墳丘墓が同じ意味であることの単純な問題から発生しているので す。それを無理に、埴輪や内部構造 ・前方後円形の、墳とは関係のない問題に、定義を拡大しましたので、大論 争となるのです。 古墳を、 ある一定の規格性に求めることは断固反対します。そういう時代は去ったのです。東アジア全体の古墳 築造が、 日本ではやや遅れて伝播し、 その中に日本の前方後円( 方 )墳があるのです。前方後円墳が古墳の発 生ではないし、前方後円墳の波及が古墳文化の波及ではないのです。 東アジアの古墳を墳丘墓とする必要はな いし、 日本の古墳が前方後円墳だけではないのです。 中学生にも理解できる言い方をすれば、古墳は世界の古代におけるすべての墳丘のある墓所でよいのであり、 以前申しましたように、弥生時代と古墳時代の線引きについては 全長80m以上の複数古墳の登場をもって古墳 時代の始まりと定義し、 いわば時代を象徴する大古墳時代が古墳時代と簡単に定義しています。 古墳時代以前 は弥生時代であるので、その時代の古墳は弥生古墳でよいと思います。 つまり本題に戻り、四隅突出型墳丘墓は 四隅突出型古墳でよいのであり、 それが弥生時代に属するのならば、 四隅突出型弥生古墳となることはお分かりかと思います。 ただ一つ抜け道を記すと、 四隅突出型古墳は四隅突 出型方墳でもよく、それならば弥生時代でも 古墳時代でも使える用語でしょう。方墳は 文字通り方台状の墳であ り、 いまでもスムーズに使える言葉でしょう。 2009. 8.5記 総目次に戻る
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