飯山市静間大久保の静観庵せん(土偏に專)仏









 せん仏とは型に粘土を詰めて取り出し、焼成した大量生産の仏像である。普通は飛鳥時代~奈良時代の
ものが多いが、静観庵本尊のせん仏は、中世に所属するものだろう。古代せん仏は堂塔の内部壁面や須弥
壇にぎっしりと飾られたものと推定されているが、中世せん仏は同笵のものが、大量に各地に配布された
か、持ち込まれた可能性がある。 
 最近、長野県信濃町仁之倉の民家に保存されていた如来形せん仏が、茨城県那珂市北郷C 遺跡出土のせ
ん仏破片と同笵である可能性をつきとめた。同様な同笵せん仏の配布や搬入関係については珠洲焼系せん
仏にも認められるという。
 古代から中世にかけて、せん仏の用途に変化が出た背景には、上流階級者の仏教信仰が中世に庶民信仰
へも移行した情勢が汲み取られる。せん仏が大量配布された供給源については、本山その他の信仰集団が
あったと思われるが、静観庵(じょうかんあん)せん仏が、どこで製作されたか明らかではない。但し、
この仏像は右手に錫杖を持ち、岩座(さらに上に蓮華座もある)の上に立っているので、長谷寺式十一面
観音菩薩立像である。
 このせん仏は江戸時代の文政年間に田草川のほとりの「かんのんひみず」地籍より、六十六部のお告げ
で掘り出されたと伝承され、現在地に場所を替えて、静観庵の本尊となっている。静観庵の前身は十王堂
であり、現在も「じょうど」と呼ばれている。十王堂と十一面観音菩薩は結びつかず、せん仏が新たに静
観庵の本尊となった可能性を示唆している。





 ひみず地籍には江戸前期の「慶安四年静間村検地帳」にも、ひみず・かんのんひみずの地字があり、早
くからの信仰地であろう。地元では、この一帯に七堂伽藍があって、田草川の氾濫で伽藍が埋没したと伝
えている。ちなみに、「享保二年静間村指出帳」には「かやふき上屋在、観音堂石堂(但シ日みづ上屋あ
り)、同断(村支配のこと)」とあり、現在もやや大きな石祠がある。かつてはこの祠にせん仏が安置さ
れていたのだろうか?それが洪水で埋まってしまい再び掘り起こされたものか、事情で現在地に移転され
たものか定かではないが、せん仏には鍬わずらいのあとがある。
 この土地の西に堰があり、田草川から引水し、江戸時代の蓮村田中新田の方角に伸びている。この堰へ
清川流域横目堰の延長の大久保堰が合流しており、ひみず堰はかなり古い堰と推量される。
 田中新田は五位野新田(俗称柳原新田)と同じく江戸時代に蓮村の新田扱いとなっていたが、その前身
は五位野新田(のち伍位野区)と同様に、室町期市河氏領の若槻新庄静妻郷内北蓮(きたはちす)のうち
と推定される。秋津小学校南西端には江戸初期に飯山城代皆川廣照より社領一石を寄進された飯縄社が、
後世に諏訪社(拙著の『やさしい村の歴史いろいろ』とともに存在していた。五位野・北原・田中など
の地籍に広がる田草川尻中世遺跡と静観庵せん仏は大いに関係するかもしれない。
 具体的には田草川尻中世集落すなわち北蓮の人達が信仰していたのが、静観庵せん仏という考え方であ
る。江戸末期から田中新田より大久保組(かつての南静間村で現大久保区)に移住者があり、それ以前、
田中氏も田中新田と関係するのでは、という説がある。


 


 静観庵せん仏は舟形光背を有する独尊像で、光背に左右対称の和様化した唐草文がある。二つに割れて
いる点は残念であるが、江戸時代に補修され、ほぼ完形に近い優品である。高さは約10.8センチ、光
背最大幅は約4.4センチで、色調は煤けていて黒色であるが、裏側や新しい欠け口からみると灰黒色で
ある。
 よく選ばれた精良な粘土で、焼成は良好だが、珠洲焼系陶器ではなく、素焼あるいは瓦質という類であ
る。光背の側面は若干面取りしてあり、前面の像部から面取まで一つの雌型で作成、裏面亀甲形湾曲部を
第2の雌型で作ったことが、側面の観察で明らかである。裏面に「十一面・・・・・・」の微隆起銘文が
ある。
 このせん仏は裏面亀甲形の特徴から中世のものとしてきたが、中世前期か後期か明らかではない。雌型
により繰り返しの製作が可能であるため、近世初頭まで製作されていたことも考慮に入れておきたい。 
  


*参考文献

江口善次編『秋津村誌』(飯山市公民館秋津分館刊行、昭和41年)
松澤芳宏 平成2年「飯山市静間の静観庵せん仏について」『高井』93号に、江戸後期「ひみず」出
土せん仏を本尊として十王堂に静観庵が成立したいきさつを述べた。静観庵が十王堂の建物か否かは判明
しない。
松澤芳宏 平成19年「長野県信濃町仁之倉の小林家せん仏とその存在意義について(茨城県那珂市北
郷C遺跡せん仏と同笵の事例)」『信濃』59の7に、静観庵本尊と同様のせん仏(泥仏)について述べた
義則敏彦 平成2年3月「中世せん仏―西播磨を中心として―」今里幾次先生古稀記念『播磨考古学論
集』に塼仏の先駆的研究が載る。

(平成21年6月記)






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飯山市大字静間の大久保区の祭屋台について
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