飯山市大字静間の大久保区の祭屋台について


 飯山市静間の大久保区の屋台は、明治22年、18歳前後の北村直次郎(のちの北村四海)が父親の北村正信
(喜代松)にしたがって、弟子として、平坂八十松らとともに製作したものです。
 現大久保の丸山信之家の先祖の家(お医者さん)に、北村正信(建部正信からの3代正信)らが宿泊しました。
そして、大久保組中央の中立て道の北側、飯山道(旧往還道)の西側やや入ったところで、小屋掛けして屋台製
作に当たっていたと云われています。丸山家には世話になった御礼として木彫を贈呈したという言い伝えがあり、
現在、北村正信の銘が刻まれた矮鶏(ちゃぼ)の木彫が同家に現存しています。
 なお、北畑区の屋台彫物も北村喜代松らが付加したものとされています。静間神社例大祭に奉納される静間区
の3台の屋台は明治中期に揃えられたものですが、大正13年に静間神社として神社合祀があった以前は、それ
ぞれの組(区)の氏神に屋台が奉納されていました。



          特に天井の竜の彫物は逸品であり、注目に値する。































(平成24年9月30日記)


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清川流域の土砂崩れと清川氾濫の危険性について
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