墓と副葬品の概要
副葬品が出土した墓は5基で以下のとおりである。
@ 弥生時代中期初頭(2,200年ほど前)の木棺墓から青銅製の銅剣1点
A 弥生時代中期初頭(2,200年ほど前)の甕棺墓から銅剣1点
B 弥生時代中期初頭(2,200年ほど前)の甕棺墓から銅矛1点と銅剣及び青銅製把頭飾 各1点
C 弥生時代中期前半(2,100年ほど前)の甕棺墓から銅剣と銅矛各1点及び勾玉・管玉
D 弥生時代中期後半代(2,050年ほど前)の甕棺墓からは鉄製の戈1点
(※把頭飾は剣の柄の飾りである)
弥生中期初頭が2200年前は紀元前(以降前と記す)2世紀最古期、中期前半が2100年前では前1世紀最古
期となります。ここで問題なのが、弥生中期初頭と前半では実に約100年の年代の開きがでてきていることです。 それなのに、中期前半と中期後半の年代幅は約50年と表記されています。同市教育委員会が考える、弥生中期 初頭や後半の年代観に矛盾が生じていると考えざるを得ません。
ちなみに佐賀県釈迦寺遺跡の弥生中期初頭の甕棺から出土した釈迦寺式銅戈は、前2世紀ごろ盛行の北朝鮮
の貞柏里式・梨花洞式銅戈よりもはるかに新しい型式です。その年代を、前1世紀最古期前後(±30年)と、私は 考えています。
なお、私の弥生中期年代観は前100年(±30年)〜紀元後90年(±30年)という10年以上前の旧説の支持を
とっています。ホームページ以外では次の論文に詳細を記しておきました。ご批判をお願いいたします。
*松澤芳宏「考古学による弥生中期年代観の再考」―細形銅矛MTa・MTb式など、青銅器の再検討を
中心に― 雑誌『信濃』第62巻第10号 通巻第729号 平成22年10月20日刊行
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