普及初期におけるメディアの噂

b携帯電話と電話を事例としてb


The Rumor of the Media on the Early Stage in Diffusion
bThe Analysis of Rumor about Cellular Phone and Telephoneb

                              松 田 美 佐
                              Misa MATSUDA

1 はじめに


 「ケータイ」という平板なアクセントによって語られることの多くなった携帯電話は、すっかり我々の日常生活に浸透したように見える(1)。実際、携帯・自動車電話の1996年11月末での加入数は1692万であり、複数持っている人を割り引いたとしても、すでに全人口の1割を超す人が使用している(2)。その一方で広まっているのが、「携帯電話が出す電磁波が人体に危険である」との噂であり、しばしばマス・メディアでも取り上げられている。例えば、『週刊文春』1996年6月27日号は「携帯電話でガンになる」という見出しのもとで、電磁波労働災害を申請した人物を紹介しつつ、電磁波の人体への影響についての記事を掲載している。
 メディアが新しく普及する過程においてこのような噂が流布することは少なくない。例えば、「写真に撮られると手が大きくなる」との噂から袖に手を隠して写真に収まった女性の姿を明治期の写真に見ることができるし、狸が汽車に化けた話は民話として定着している。従来このような噂は、人々の「新奇なものに対する恐れ」を表したものであり、「迷信」として類型化され理解されてきた。しかし、佐藤健二が述べているように「それを『迷信』と名づけてしまうことと、その存立の構造を解読することとは別の知的な営み(佐藤, 1995:18)」なのであり、この種の噂を可能とするような人々の「新しい」メディアに対する意識こそ検討する必要があると思われる。
 では、このような噂はなぜ広まったのであり、この現象をどのように解釈すればよいのか。本稿は携帯電話にまつわる噂を明治期の電話にまつわる噂と比較しつつ検討することで、携帯電話及び電話というパーソナル・コミュニケーション・メディアに対する人々の意識を浮き彫りにすることを試みるものである。ゆえに、本稿は噂の科学的・医学的真偽 についての議論を目的とはしていない。すなわち、例えば「携帯電話の電磁波が危険である/無害である」といった言説の真偽を問うのではない(3)。むしろ、電話や携帯電話に関して噂が語られること、別の言葉で言えば、パーソナル・コミュニケーション・メディアに関する言説の社会的意味を読み説くことによって、そのメディア・イメージを探ることが目的である(4)。まず次節では電磁波と携帯電話にまつわる言説を、第三節では初期の電話にまつわる噂の背景を検討する。その上で四節では、両者の比較から電話と携帯電話のメディア・イメージの違いを仮説的に描き出すことで結論に代えたい。

2 「電磁波」をめぐる想像力・・携帯電話をめぐる言説をきっかけに


 さて議論を始める前に、本稿で取り上げる「携帯電話と電磁波」にまつわる噂について限定を加えておきたい。ここでは「携帯電話の出す電磁波が直接人体へ影響を及ぼす」といった噂のみを取り上げるのであって、近年同じように頻繁に語られている「携帯電話の出す電磁波がペースメーカーなど医療機器の誤作動を引き起こす」といった話は取り上げない(5)。なぜなら、ここでは「人間の身体」と「メディア」との関係を語る噂から、人々の抱くメディア・イメージを検討することを目的とするからである(6)
 「携帯電話と電磁波」を扱う噂はさまざまである。「携帯電話の出す電磁波は人体に有害である」といったものもあれば、「携帯電話やコンピュータ、電子レンジなどが出す電磁波が危険」などとさまざまな電子機器から出る電磁波一般の危険性を中心におくものもある。しかし、その中でも携帯電話の電波は「脳を直撃、脳腫瘍になる」ため特に危険であると語られることが多く、さらに電子レンジとのアナロジーで「携帯電話を使っていると脳がチンされる」といった妙に想像力をかき立てるような噂もある。
 実は、電子レンジの「危険性」に関する噂は昔から流布している。ただし、「電子レンジの電磁波が危険だ」といった内容ではなく、「洗ったペットを乾かそうと電子レンジに入れたところ、すっかり調理されてしまった」という話である。都市伝説研究で著名なジャン・ハロルド・ブルンヴァンは合州国ではこの話を1976年頃から耳にするようになったと述べており(Brunvand, 1981=1988:102-106)、ヨーロッパの都市伝説を蒐集したロルフ・ヴィルヘルム・ブレードニヒはこの「電子レンジとペット」の話は現代の都市伝説のあらゆる古典的アンソロジーに収められているという(Brednich, 1991=1992)。噂(=口伝えの話)とは言いがたいかも知れないが、日本でも例えば1983年4月21日号の『女性自身』には「ご注意・電子レンジでネコは乾かせません!」との記事も見られる。
 では、電子レンジの「危険性」が電磁波との関係で語られるようになるのはいつ頃からなのであろうか(7)。人々に語り継がれる噂の次元でこの質問に答えることは難しい。一つの可能性として考えられるのは「電磁波の危険性」自体がマス・メディアでしばしば取り上げられるようになってからではないかという回答である。マス・メディアの取り上げる「話」と人々の間で語り継がれる「話」が相互に影響を及ぼし合っていることは多くの論者に指摘されており(Bird, 1987; Schecter,1988=1991)、あるテーマがマス・メディアで多く取り上げられると、それだけそのテーマが噂として人々に語り継がれる可能性が高くなることは充分考えられる。しかし、マス・メディアの内容と噂のテーマが相互に影響を及ぼし合っているとしても、それでは、何故ある特定のテーマがマス・メディアに多く取り上げられ、かつ噂のテーマにもなるのか、言い換えれば、どうして特定のテーマがアクチュアルになるのかに答えることはできない。考察すべきは「電磁波が危険であるとの噂がどこから出てきたか」といった原因ではなく、「電磁波が危険である」というモティーフ自体を可能にするような心性であり、その語られ方である。

 まず、そもそも電磁波とは何か。電磁波、すなわち電場と磁場の変動が空間を伝わることによって生じる波動現象は、1861年にマックスウェルによってその存在が予言され、1888年にヘルツにより確認されたものである。具体的には、ガンマ線やX線のように、いわゆる放射線と呼ばれるような波長の短いものから、紫外線、可視光線、赤外線など光の仲間、さらにはそれらより波長の長い電波などを含む。これら電磁波のうち放射線や紫外線など波長の短いものについては、以前から人体への有害性が取り上げられてきた。しかし、現在噂となっている電磁波はそれらとは異なり、波長の長いもの、一般には「電波」と呼ばれているものである。
 では、電磁波はどのように危険であると言われているのか。電磁波により起こると言われているのは、疲労や筋肉痛といった「病気」の境界領域にあるものから、異常出産・流産といったある種の「正常でない」とされるもの、さらにはガン、脳腫瘍、白血病、白内障のような「病気」までさまざまであって、ある特定の病気になるというのではない。頭の近くで使用される携帯電話の場合、脳腫瘍や白内障が特に危ないと言われる一方で、モニターからの電磁波の危険性が取り上げられるパソコンの場合は白内障の危険性と同時に、長時間パソコンを扱う女性が異常出産や流産を起こす危険性があると言われる。
 しかし、その因果関係ははっきりしていない。電磁波の危険性が問題視されるようになったのは、1990年7月『ニューヨーカー』に合州国のコネチカット州ギルフォードのメドウ通りという地域の住民に脳腫瘍や白血病、その他のガンが多発しているというルポルタージュが掲載されてからである。この記事ではその地域にある変電所や送電線が病気多発の原因と見なされた。ところが、その後さまざまな場所で同様の調査が行われたが、電磁波は人体に悪影響だという調査結果もあれば、影響なしとの結果も出ている。すなわち、現状の疫学的調査では電磁波の影響は定かではないのである。さらに、どのようなメカニズムで電磁波が人体に影響を及ぼすのかといった生物学的研究は本格化したばかりで、これまた電磁波の人体への影響は白黒つけられない状況にある(8)。要するに、電磁波が死に至ると考えられる病気を発症させるとは言われながらも、今のところは「よくわからない」のである。「よくわからない」以上、今後電磁波の危険性が証明される可能性ももちろんある。このような電磁波自体の曖昧さと死に至る病気というテーマの重要性は噂となる条件を充分満たしている。
 しかし、電磁波の曖昧さはそれだけではない。電磁波は「身体によい」場合もある。例えば、近年さまざまなタイプの磁気治療器や高周波・低周波治療器が発売されているが、雑誌には以下のような高周波治療器の記事が見られる。

OAの普及による目の疲労やストレスなどから、肩コリを訴える人が増加し、マッサージャーなどの健康器具への関心が高まっている。(中略)『**(商品名)』は世界初の充電式高周波治療器である。毎秒900万回の高周波パルス(電波の一種)を患部に直接照射、肩コリや痛みを和らげる。(以下略) (『DIME』1989年12月21日号 p179)
  あるいは、「大病にこの最先端治療」という見出しのもと、厚生省の進める「高度先進医療」を紹介する雑誌記事は、ガン治療法として電磁波温熱療法を紹介している。(『週刊読売』1995年7月2日号、p20-27)
 さらには、1995年の二大事件b阪神大震災とオウム真理教をめぐる一連の疑惑bの報道の中でもこの電磁波が登場する。震災後「空が光った」とか「動物が異常な行動をした」との地震の前兆と思われるような現象が語られた。これらの現象は本震の前兆として岩盤が崩れ、そのショックで電磁波が出たことが原因であるという。このため、震災を契機とした地震予知への関心の高まりの中では、この本震の前に出現すると言われている電磁波異常を捕らえることが一つの可能性を持つ予知法として語られている。また、オウム真理教がマイクロ波(電磁波のうち、電子レンジや携帯電話に利用されている比較的波長の短い電波)によって遺体焼却を目指していた、あるいはすでに遺体を焼却していたとの話が一連の報道の中でなされている。

 このようにさまざまな(時には矛盾する)電磁波の語られ方をどのように解釈すればよいのか。解釈の一つとしてここで示したいのは、このモティーフを「不可視の電気や磁気が人間(生物)の身体に何らかの影響を及ぼすのではないか」といった18世紀末から続く想像力の系譜の中に位置づけることである。
 吉見俊哉は、18世紀末から19世紀末にかけて、電気や磁気は人間と自然を媒介し、病気を発生させたり、反対に治癒させたりする力として全世界的に人々の想像力を喚起し続けたと述べている。その一例は、1780年代のフランスにおけるメスマーによる動物磁気療法の流行である。それは人体をいわば磁流の集合として捉え、この磁流の乱れが病いであり、乱れを補正することで治療ができると考えるものであった。アカデミズムが執拗にメスマーの治療法には科学的根拠がないことを証明したにも関わらず、また、この磁気治療法が今日から見ればいかさま医者の見世物的なパフォーマンスとしか思えないにも関わらず、一般の大衆はもちろん多くの知識人の関心を集めたことに着目する吉見は、このような理論や実践は、電気や磁気が半ば科学的で、半ば魔術的でもある不思議な力を備えた流体として、西欧の大衆娯楽的な世界の一部を占めるようになっていた状況の中では決して突飛なものでも特異なものでもなかったと述べる。さらには、その1世紀後の19世紀末においても、電気はさまざまな仕方で治療効果や健康の概念と結びつけられていたという。その例として、高周波の電流が糖尿病や痛風、リウマチ、肥満の治療に有効であるとの1896年のフランスの科学アカデミーの報告や、1888年の電気光によって黄熱病の毒が消散するとのケンタッキーの内科医の助言などを挙げることができる。シヴェルブシュが指摘したように、清潔、無臭、それに形のないエネルギーである電気は、一種の体によいビタミンのようなものとして受け入れられたのである。(吉見,1995:36-64)
 日本でも電気療法器械は流行している。例えば、1922(T11)年2月2日の読売新聞には以下のような記事が見られるという。(天笠,1996:146)

此頃種々な電気療法の家庭用機械を効能書を並べ立て、医者が見放した病気が治ったなどと云っているものさへある。・・・専門家の眼から見ると一つも真の働きをする力あるものがないと云っても過言でない。・・・最近の例として茨城県の太田町で、或婦人がその種の電気療法器械を買って自分の身体に試験をしてみたところ、たちまち全身麻痺して人事不省に陥ったということがあった。そんな訳でよくよく注意をしないと危険である。・・・
   これは、医学博士による電気療法器械の効能を否定するものではあるものの、この頃この種の器械が流行したことを示すものであるだろう。
 もちろん、一方では電波(電磁波)という目に見えないものによって気づかぬ間に体が蝕まれるのではないかという想像も見られる。日本でラジオ放送が正式に開始されたのは1925(T14)年3月22日のことであるが、同年の東京朝日新聞の記事には電波に対する畏怖や危惧の気持ちがさまざまな形で現れている。(山本ら,1984:110-112)例えば、
世界中の無線放送はどんなにかおびたゞしい数か知れないが、それらから放送する強弱いろいろな電波が、吾々の前後左右上下から、ほとんど絶えず通りぬけてゐるのかと思へば、あんまりいい気持ちはしない。神経衰弱めいた頭になるのも、そんな所為ぢゃないかなどと、妙な愚痴さへ出てくる(T14.8.22)
  といった「学芸・緑陰一話」への河竹繁俊の寄稿があったり、放送局の電力アップの義手への影響を尋ねる市井問答(T14.6.2)が見られたりする。また、直接電波を取り上げてはいないものの、「ラヂオ病」として「幻聴による精神病患者が続出」との以下のような記事も見られるのである。
◇ラヂオ病者が市内に十余名 幻聴患者として続々松沢病院へ送らる 地方人にも盛んに続出
注目すべき現象としては最近ラヂオの発達に伴れ幻聴患者と称する精神病者が増加した事で、本月に入ってこの患者だけが十余名を数へて居るがこれは東京だけの数を示したものでその他地方にもかなりこのラヂオ病が増加したものと認められる(T14.10.24夕刊)
   このような資料を検討する限り、不可視の電気や磁気、あるいは電磁波が人間(生物)の身体に何らかの影響を及ぼすのではないかという想像が、18世紀末以降さまざまな形で語られ続けている(9)。ならば、現在電磁波の人体への効能と悪影響が同時に語られていることは、「科学的」真偽はともかく、電気や磁気、電磁波についての想像力の系譜に則ったものと考えられるのであり、そう奇妙な現象ではない(10)

 では、なぜ今「携帯電話の電磁波」がことさら危険だと言われるのか。電磁波は電気のあるところにはほとんど常に存在する。ならば、すべての家電製品が危険なのではないか(もちろん「電磁波が危険であるとすれば」の話であるが)。もし、頭のそばで使う点が特に危険であるならば、ドライヤーやひげそりなども同じように危険であると言われてもよいのではないか。もちろん、電磁波の危険性についての雑誌や新聞での特集記事では、携帯電話と並んでさまざまな家電製品の出す電磁波の危険性も取り上げられている。しかし、その場合でも見出しになって大きく取り上げられるのは携帯電話であって、家電製品ではない。ならば、携帯電話自体に噂になるような「特質」があるのだろうか(11)
 その一つとして考えられるのは、1994年以降の携帯電話の爆発的な普及である。1993年度末に200万を超えたに過ぎなかった携帯電話加入数は、翌94年度末には433万、95年度末には1020万と毎年倍増以上の伸びを見せた。このため、街角や電車の中、店内などさまざまな場所で携帯電話を使用している人を実際に見かけることが非常に増加している。家電のように家庭という一定の場所で使用されるものの場合、その普及を実感するのは難しいのに対し、名前の通り個人に「携帯」された携帯電話はどこででも使用可能であり、常に使用が目に入る。爆発的な普及が文字どおり「見える」のである。また、同様の携帯メディアであるポケットベルの場合、呼出音が鳴ったとしても本人が確認すればメディア使用は終わりである。しかし、携帯電話の呼出音はメディア使用の始まりにすぎない。このような携帯電話の「見える」時間の長さも、その普及を実感させているであろう(12)。ゆえに、携帯電話が噂になりやすい一つの要因は、急増する新奇なメディアへの関心からくるものと考えられる。
 だが、問題は新奇なメディアへの関心といったレベルには留まらない。携帯電話の「見える」時間の長さは、公的な場所に私的な空間を持ち込む長さでもある。渡辺潤が(固定)電話について述べているように、電話をしている人は目の前にいる相手と電話の相手の双方との間に同時に二重のフレイムを持つことになり、この二重性が対面的な場に成立していたはずの状況の定義を不安定なものとするのである(渡辺, 1989)。ならば、携帯電話は「電車の中で大声で話す」といった公共の場所でのマナー違反が批判されることが多いが、むしろそれまで成立していた「公的空間」という状況の定義を揺るがすようなメディア特性自体に違和感が持たれているのではないか(13)。携帯電話が「どうせ嫌われもの(川浦, 1992)」であるのは「新奇な」メディアに対する恐れや反発からだけではない。携帯電話のメディア特性自体への反発も大きいのである。ならば、家電の電磁波ではなく、携帯電話の電磁波がことさら危険だと噂されることも、ある意味では納得できる(14)
 しかし、「携帯電話」と「病気になる危険性」が結びついているのは、新奇性や反発といった理由にのみによるのではない。次節では、明治期に電話が登場してきたときに流布した「電話がコレラを伝播する」という噂を検討することによって、電話というコミュニケーション・メディアと病気を結びつける想像力についてさらに考察したいと思う。

3 電話を通じて伝播する病気をめぐる想像力・・創業期の電話をめぐる噂


 電話機が初めて日本に入ってきたのはアレクサンダー・グラハム・ベルによる発明の翌年、1877(M10)年である。しかし、その後10年ほどは宮中、官公署、鉄道などで専用電話的に用いられたため、一般に開かれた形での電話事業は1889(M22)年での東京熱海間での公衆電話実験、さらに翌1890年4月からの東京・横浜での交換開始を待たなければならなかった。
 その一般交換開始前後に流布したのが、「電話がコレラを伝播する」という噂である。例えば、1890年2月3日の『郵便報知』には以下のような質問が掲載されている。
電話は非常に鋭敏にして能く音声を伝ふるものなるが、もし加入者に虎列刺病等ありし場合には其病毒を各加盟者に伝ふることなきや
また、年額40円という高額な使用料金もあって当初加入者数が伸びず、さまざまな宣伝が行われた訳だが、その一環として5月に銀行集会所と米商会所、株式取引所などに電話機を設置したところ、参観者の中から
かくまで敏捷にかつ明晰に通話を媒介するものなれば、虎列刺病をも媒介伝播すべし。恐るべきものなるかな。加入せざるにしくはなし(通信協会雑誌第29号・若宮正音「電話創業の回顧」『東京の電話・上』p46)
と声が上がったという。
 もちろん、これらの資料からは「電話とコレラ」の噂が実際にどれほど流布したかはわからない。資料を忠実に見る限りでは、電話によってコレラが伝染するのではないかと考えた人がいたらしいことだけが伝わってくる。しかし、本来は無関係な「電話という新規なメディア」と「コレラという病気」を結びつける想像力が人々の間で働いたとだけは言えるのではないか。さらには、このような記事が新聞に取り上げられることによって、電話とコレラを結びつける想像力が改めて人々の間に広まったとも考えられる。ならば、この噂を読み説くことによって、電話が社会に登場した明治中期に人々が電話に対して抱いたイメージの一つを見ることができると思われる。
 さて、実はこのような噂は電話についてのみ広まった訳ではない。1869(M2)年に開始された電信は「処女の血を塗っている」「切支丹ばてれんの邪法」とされ、「血税一揆」のきっかけの一つともなった。また、1891(M24)年1月20日未明には竣工して二ヶ月経っていない帝国議会議事堂から出火、その原因が漏電とされたために、「電灯が火事を起こす」との噂が広まり、さらにその類推からか「電話からも出火するのではないか」との噂も流布したという。このように、明治初期に新しく社会に登場したメディアには、軒並みそれらを排斥するような噂が流布している。
 しかし、これらの噂は新奇なものに対する「無知な」人々の恐れであり、文明開化期の奇妙な一つのエピソードとして片づけてしまう訳にはいかない。これらの噂はその担い手に何らかのリアリティを感じさせるものであったのである。例えば、吉見俊哉は明治初期の士族反乱から自由民権運動にいたる各地の反政府運動と天皇の地方巡幸、さらに全国的な電信システムの確立という三つの出来事の同時性に着目し、電信が明治政府による地方支配のための戦略的装置としての性格を持っていたと述べる。その上で彼は、電信にまつわるさまざまな噂やそれらをきっかけに起こった電信建設作業への妨害・暴動などは、近代科学の不思議さに驚いた迷信深い人々のなせる業などではなく、電信というテクノロジーの政治的な含意を人々が読みとっていたからであると主張する(吉見,1995)。
 同様に考えれば、電話が「新奇な」メディアであったというだけでは、電話とコレラを結びつける噂は成立しえない(15)。むしろ、電話にまつわるイメージとコレラにまつわるイメージの交差点を探らねばならないのである。

 この時期コレラにまつわる噂は多い。例えば、コレラ発生による騒ぎはしばしば一揆にまで発展しているが、その具体的なきっかけには、消毒薬を井戸に入れる役人を見ての「役人が井戸に毒薬を流し込む」といった噂や「避病院に入ると西洋人に生き肝を抜かれる」といった噂の流布があったという(松山,1993)。もちろん、このような噂が流布した原因の一つは、実際にコレラが明治中期まで周期的に大流行し、多くの死者を出したことであろう。この時期のコレラ罹患者の死亡率は75%に近く、1877(M10)年に八千人を超す死者が出て以降、1879(M12)年に十万六千人、1881(M14)年には六千人、翌82年には三万四千人、1885(M18)年には九千人、1886(M19)年には十万一千人を超す死者を数え、電話一般交換開始の1890(M23)年にも三万五千人を超える死者が出ている(福田,1995:28)。この時期は他にも赤痢やジフテリア、腸チフスなどの急性伝染病が猖獗を極めていたが、コレラの流行にはそれら他の急性伝染病とは異なる点があった。他の伝染病が極めて安定したペースで毎年多数の犠牲者を要求し続けたのに対し、コレラはある年には十万を超える死者を出したかと思うと、翌年には数百人程度に激減するというような気まぐれさがあったのである(村上,1996:17)。他の流行病ではなくコレラに関する噂が多く流布した要因の一つには、このようなコレラ流行の「わかりにくさ」あるいは「曖昧さ」があると考えられる。
 このようなコレラの「曖昧さ」「わかりにくさ」は、今日の電磁波にある意味でよく似ている。すなわち「コレラに感染して死ぬ」あるいは「電磁波によって、ガンや脳腫瘍など死に至ると考えられるような病気を発症する」といった危険性が身近に感じられるにも関わらず、因果関係は明瞭にはわからないのである。
 しかし、コレラは「曖昧な病気」だけではなかった。コッホがコレラ菌を発見する1883(M16)年以前からコレラが伝染性の病気であることは知られており、さまざまな防疫体制が政府の手によって進められた。しかし、消毒にかこつけて家屋や家財道具の焼却が警察の手で行われたり、患者は「避病院」へ送られ、治療されることなく、生きながら死者として扱われたりしたのが実状であったという。また、コレラ患者が出た家には病名がわかるように紙を貼ることが義務づけられたりもした。このような警察権力を後ろ盾にした強圧的な防疫態勢が、民衆の激しい反発を招き、コレラにまつわるさまざまな噂を生み出す土壌になったことは想像に難くない(松山,1993)。ただし、これらの噂の背景には「強権的な権力の発動や、棄民に等しい施策への民衆の反発とともに、国家の方針によって、医療の形態が根底から変わって、西欧的な態勢に移行しつつあることへの、民衆の戸惑いと混乱とが働いていた(村上,1996:28)」ことが重要である。あるいは、川村邦光によれば、コレラ流行をきっかけに、「民俗の知」をなしていた漢方やさまざまな民間医療を「迷信」として医療カテゴリーから排除しつつ、西洋医学が「真理」の体系として排他的に医療の領域を独占していったという(16)。しかも、この「迷信」を西洋医学の対極に位置づけることによって、西洋医学は全国均一の医療イデオロギーとして制度化されたのである。(川村,1990:37-60)
 よって、コレラにまつわる噂の多さは「致死の病気」に対する恐れからだけでもないし、強権的な権力の目に見える形での発動への人々の反発や抵抗だけでもない。わかりにくさ、曖昧さを持つコレラという病気の大流行にあたって、それまでの「民俗の知」の中での「病と養生」イメージが強権的に解体され、未知の「わかりにくい」西洋医学体系下での「病気と治療」が強制されることへの抵抗や反発といった側面もまた強かったのである。
 ただし、留意すべきなのは、噂が集合的な過程である以上何らかの単一の刺激から噂が生じる訳ではないことである。コレラに関連した、あるいは一見無関係にみえるさまざまな心性が言語化され、語り継がれる過程が噂なのであり、その噂が今度はそれの担い手となった人々の心性を再構成するのである。ならば、このような背景を持つコレラが人々の想像力の中で電話と結びつけられた理由、言い換えれば「電話でコレラが伝播する」という噂の流布した理由も単一ではない。コレラの大流行と電話一般交換開始が時期的に重なったことは、「電話でコレラが伝播する」という噂の大きな動因となったであろうが、それが唯一の動因ではないのである。

 では、一方で電話はどのようなメディアであったのか。
 西林忠俊は明治文明開化期に外国から輸入されたさまざまな「文明物」の中で、電話に関しては後世に残るような珍談奇談が数多く残っている点に着目し、離れたところの人と話ができる電話は他の「文明物」に対する驚きとは質的に異なった不思議さがあったのではないかと述べている(逓信総合博物館監修, 1990:10)。「目に見えない相手と会話ができるのであれば、目に見えない病気であるコレラを伝播しても不思議はない」。このような想像力の現れが先に引用した『郵便報知』での質問であった。明治期コレラは死亡率の高い伝染性の病気であり、電話は離れた場所の人との会話を可能とした通信メディアであった(17)。同時期性を除くと無関係に見える電話とコレラは、「不可視のコミュニケーション」というイメージで緩く結びついていたのかもしれない。
 この「不可視のコミュニケーション」を体現していたのが、電話の場合電柱や電話線といった具体的な「モノ」であった。『東京繁昌之図』に電信柱や電灯線が写実されるべき必須のものとなった明治中期であっても、高さ六十尺もあろうという「節なし曲なし」の見事な「棒」(電話柱)を都大路に次々と建て連ね、数十条の細銅線をクモの巣のように張り渡していった電話交換線の建設工事は、物見高い江戸っ子たちの目をみはらせずにはおかなかったという。特に、巨大な電話柱は良材を使用しており、船の帆柱としても充分だとして「必要以上の官設流儀」と批判されている(『東京の電話・上』p47-50)。
 このように初期の電話ネットワークは人目を引きつけつつ街中に張り巡らされていった訳だが、加えて電話事業がはらんでいた政治性も重要である。先に述べたように、日本に電話が輸入されてから公衆電話事業開始までは十年以上の歳月が経過している。この間、電話事業を官営にするか民営にするか、工部省(但し、1885年以降は逓信省)と太政官の間で議論が繰り返されている。民営論を支持する後者の根拠が、莫大な資金を必要とする電話官業の創始は松方デフレ政策遂行の元では不可能であることや旧武士階級の持つ秩禄・金禄公債を保護するためこれらの資本化をはかろうとしたことなど主に経済的な理由からの主張であったのに対し、1885年に出された工部省の建議書には「民間では電話事業にかかる莫大な費用をまかない得ない」といった経済的な理由と同時に、以下のような政治的な理由が官営論の根拠として挙げられているのである。

・官庁・警察の事務上の機密を守るためには、絶対に会社線と接続通話すべきでない。
・電信条例に違反して治安を妨害し、風俗を壊乱すると認められる通話を、禁止あるいは停止し、これらを厳密に取り締る必要があるのであるが、民営ではこれを確実に実行することはできない。(『東京の電話・上』p20)
  この議論に、当時工部省が官庁・警察・軍事目的の専用電話の実用化を専らとしていたことを考え合わせれば、電話官営論の背景には、郵便や電信同様、電話をもって国家機能を強力に推進しようとする意図が存在することが自ずから見えてこよう(同、p14-29)。明治期の電話は、単なる「新奇なメディア」でも「透明な」コミュニケーション手段でもなく、国家的な産業政策であり、国民管理のための装置であったのである(18)。このような電話事業の政治性も、コレラが国家による国民管理の契機となっていたことと親和性を持っている。
 このように検討すると、「電話によりコレラが伝播する」という噂は、単に新奇なメディアに対する恐れを表しただけであるというよりも、もっと重層的なイメージを喚起させるものであったと考えられる。「見えない相手との会話を可能とする新奇なメディアによって、見えない致死の病気が伝播する。しかも、あの(街中で特に目立っている)電話柱と電話線を伝わってくるのだ。」このようなイメージだけでも充分人々を惹きつける。語り継がれるに充分なモティーフを持っていたであろう。加えて、コレラ防疫を契機に国民管理を進める国家は、電話ネットワークの整備を強力に推進することによっても国民把握を進めていた。ならば、電話とコレラを結ぶイメージは「コレラが張り巡らされた電話線を伝わって伝染していくように、国家による管理の触手が人々にあまねく伸びていく」といったものではなかっただろうか。
 以上のような「電話によってコレラが伝播する」という噂が喚起するイメージを比較対象としながら、次節では「携帯電話と電磁波」の噂について再検討したいと思う。

4 ネットワーク的な固定電話(19)と個別選択的な携帯電話


 「(固定)電話とコレラの噂」と「携帯電話の電磁波の噂」を比較すると、固定電話についてはコレラ、携帯電話についてはガンという、その時点において「新しい」コミュニケーション・メディアに、同時期で関心を集めている病気が組み合わされていることが最初に見えてくる(20)。しかも、それらは死に至るような病気であるため、それらをもたらすメディアは「危険」であり、「利用しない方がよい」といった排除のメッセージを噂は持っている。それぞれの噂が単に「新奇なものに対する恐れ」を表すだけではないことは繰り返し述べてきたが、「病気」と結びつけることにより「新しい」メディアに対する恐れを表明したり、その排除を試みたりする共通点を見過ごすことはできない。
 だが、前節で述べたように「(固定)電話によりコレラが伝播する」という噂は、もっと重層的なイメージを喚起させるものであった。ならば、「携帯電話の電磁波は人体に有害である」という噂も、「新しい、嫌われものの携帯電話を排除する噂である」といった単一の解釈ではなく、「携帯電話」と「電磁波」それぞれの社会的意味が出会って構成されるさまざまなイメージから解釈する必要がある。
 しかし、現在流布している「携帯電話の電磁波の噂」を「(固定)電話とコレラの噂」のように分析、解釈することは難しい。なぜなら、コレラについての言説は定まっているが、電磁波についての言説は未確定であるからだ。既に定まっている創業期の固定電話のメディアとしての様態を描き出すために、同時代的な別の社会的事象と照らし合わせることはできても、現在、そのメディアとしての様態を定めていきつつある携帯電話について同様の分析を試みることは不可能である。だが少なくとも、噂から読みとれるようなイメージを携帯電話が纏っている、あるいは纏いつつあると考えることはできる。よって、ここでは、二つの噂の比較を通じて固定電話と携帯電話のメディア・イメージの違いを仮説的に提起することにしたい。
 その際注目したいのは、「(固定)電話によってコレラに感染する」という噂と「携帯電話の電磁波によってガンや白内障などを発症する」という噂では決定的に異なる部分があることである。すなわち、固定電話が「伝染病」をもたらす一方で、携帯電話は「病気を発症させる原因」とされている。携帯電話では病気は伝染しないのである。これ自体は、固定電話が有線のメディアであるのに対し、携帯電話が無線のメディアであることを反映した違いであるとも考えられる。あるいは、「衛生」概念が自明となり、伝染病自体の意味が解体したこととも大いに関係しているであろう。スーザン・ソンタグが『エイズとその隠喩』の中で述べたような「社会に対する審判として外からくる疫病」から「個人の病気としてのガン」へといった病気観の変容も大きいかもしれない。しかし、この違いを現在萌芽的に見られる新たな携帯電話利用のあり方と照らし合わせると、現状で固定電話の延長上に位置づけられている携帯電話のメディア・イメージが、固定電話とはかなり異なる/今後異なってくる可能性を示唆しているように思われるのである。

 若林幹夫が述べているように、固定電話は「網目」として空間を覆ってゆくメディアである。ただし、物理的な電話回線網は網目状なのではなく、いくつかの階層を持った樹状の構造を持っている。だが、それを用いた個々の通話は、ほとんど無数に存在する端末間の任意の接続として現象している。すなわち、階層的な樹状の回線のおかげで個々の通話は多くの端末から文字どおり「網状」に自由になされているのである。さらに、若林は以下のように述べる。

(固定)電話が文字どおりネットワークとして人々をつなぐメディアであるということは、受話器を手にするとき、人はどこの誰にでも関係の回路を開く可能性を手に入れることができるということを意味している。(吉見、若林、水越, 1992:34 括弧内引用者)
 これは、電話回線網に覆われた空間中では、場所を超えたコミュニケーションや見ず知らずの人とのコミュニケーションが可能になったことを「電話のない社会」との比較で指摘するものである。
 しかし、「携帯電話のある社会」を考える際には留保が必要である。すなわち、固定電話のネットワークがもたらしたのは「特定の場所にいる誰か」との関係の回路を開く可能性であって、「移動する誰か」や「どこにいるかわからない誰か」との関係の回路を開く可能性ではない。確かに、固定電話は場所を超えた人と人とのコミュニケーションを可能としたが、それでも「ある場所にいる人」と「別の場所にいる人」を結んでいるにすぎないのである。だからこそ、固定電話で話す二人は離れてはいながらも、お互い相手のいる場所や状況を思い浮かべやすい。相手の表情は見えなくても、相手がいるのは自宅なのか会社なのかといった漠然とした場所は想起しやすいのである。固定電話で電話をする二つの身体は物理的な空間は共有していないが、「固定電話のある場所」のどこかで出会っている。ゆえに「電話線をたどっていけば相手と出会うことができる」といった想像が可能である。ある意味で、人々は固定電話のネットワークによって「物理的に」結ばれている。この「物理的なつながり」こそ「コレラが伝染する」といったモティーフをリアルにしていたのではないか。
 一方、固定電話のネットワークの存在を前提として生まれた携帯電話は、物理的な場所と場所ではなく、個人と個人を直接結びつける。携帯電話にかける場合は、相手がどのような状況にいるのかはかけてみないとわからない。これは携帯電話への電話が躊躇われる理由の一つであるし、逆に利用し始めの人は居場所を告げてから会話に入ることが多いといった傾向にもその影響が見られる。もちろん、携帯電話の電話回線網も固定電話同様、複数の階層を持った樹状の構造を持っており、その構造が携帯電話ネットワークを可能としている。しかし、携帯電話網が文字どおりの「網」であるのは、無線基地局までである。基地局から個人の持つ端末までは通常切れているのであり、通話するときのみ「無線によってつながる」。無線によるつながりは物理的には切れているのだから、たとえ電話線をたどっていっても相手に出会うことはできない。固定電話との比較で言えば、物理的なつながりが背後に全く感じられず、相手の声だけが電波によって届く携帯電話によるつながりはテレパシー的である(21)
 しかも、そのつながりは切れやすく、切りやすい。移動しながら携帯電話で話していると、しばしば電波状態が悪くなって突然電話が切れることがある。会話途中であっても、電波の悪化という外的な要因によって会話が終了させられるのである。これ自体は奇妙な現象であろうが、話し手の都合に合わせて利用することが可能となるのだ。シェグロフらが観察しているように、電話での会話終了時には一定の儀礼的な会話の交換が必要とされる。しかし、携帯電話の場合、話したくない相手からかかってきたら、電波圏外に行くか「電波の調子が悪くなってきた」と言うことにより「即切り」が可能である。すなわち、受け手はかかってきた「迷惑な」電話には儀礼的にもつき合う必要はない。しかも、電話を切る理由を「電波状態が悪い」という外的な要因が帰すことができるため、相手との関係までは断ち切る必要はない。携帯電話は一般的には固定電話以上に受け手の状況を選ばずにいつでもどこでもかかってくる暴力性を持っていると考えられているが、固定電話のように常に物理的につながっているのではないため、受け手が相手を選択することが可能であるのだ。
 同じような例を岡田朋之は「話さないための携帯電話」として述べている。それによれば、近年増加している若い年代の携帯電話ユーザーでは、オプションで設定されている留守番電話サービスがよく利用されているという。このサービスは本来、電波の届かないところにいる時や電源を切っている時にかかってきた電話を受け取るために設定されている。しかし、若者たちの中にはこのサービスを通話を受ける相手の選別に使っている者がいるという。つまり、わざと自分の携帯電話の電源を切っておき、かけ手にメッセージをいれてもらう。受け手はそのメッセージをまめにチェックし、すぐに話したい相手には折り返し電話をするのである。このようなポケットベル的な利用方法は、ほしい連絡を確実にキャッチし、応答したくない通話をやり過ごすには優れた方法である(「話さないための携帯電話」『産経新聞』1996年1月26日夕刊大阪版)。
 このような利用が可能であるのは、携帯電話が固定電話と異なり「常にはつながっていない」からである。携帯電話は固定電話のようにネットワーク的に人々をつなげるメディアであるというよりも、個別選択的なつながりを用意するメディアなのである。個人が携帯しているがゆえにいつでもどこでも受信・発信できると同時に、「受信をしない」という選択も可能となるのである。先の若林の言葉を借りれば、一時的とはいえ携帯電話によって人との関係の回路を閉ざす可能性をも手に入れることができるのである。
 携帯電話と比べると固定電話はパーソナル・コミュニケーション・メディアとは言いがたい。時には受信をしないという選択が携帯電話において可能であるのは、それが個人専用の電話であるからだ。固定電話は一人暮らしや個人専用回線を除けば通常、家庭や会社など設置されている場所にいる人々に共有されている。ゆえに、かかってくる電話は自分以外の人のためであるかもしれず、その人に不利益を被らせる可能性があるなら、電話に応答しないことは躊躇われる。しかし、携帯電話にかかってくる電話はすべて自分に向けられたものである。ならば、自分の都合だけに応答/非応答の選択を合わせることが可能である。さらに、固定電話の利用には否応なく電話端末がある場所の人間関係が入り込んでくる。例えば、家庭で長電話をしていると他の家族から邪魔されるといった話をしばしば耳にする。あるいは、家庭に電話した場合、自分が話したい相手が出るとは限らず、別の人が出ると話したい相手を呼び出してもらう必要がある。これは、固定電話の普及率が低く、呼出電話が一般的であった頃はもちろん、各家庭に固定電話が設置されている現在でもあてはまることである。このようなことは個人専用の電話である携帯電話の場合は考えられない。固定電話は確かにパーソナルなコミュニケーション・メディアであるが、固定電話のある場所の人間関係からは切れていないのである。
 「(固定)電話でコレラが伝播する」といった場合、ネットワークを伝わってきた病気は電話で話している人だけでなく、その場にいる人はもちろん、そこを拠点としてさらに伝染していくといった広がりを想起させる。電話機の利用形態もそのような人間関係の広がりを持っている。しかし、個人メディアである携帯電話の場合、携帯電話の後ろ側の人間関係が想像しにくいように、「病気が広まっていく」とは想像しづらい。噂において組み合わされた病気の違い(伝染病なのか否か)は、「固定電話は場の人間関係を背景に感じさせるが、携帯電話の背景には人間関係が感じられない」といった、それぞれのメディア・イメージからくる部分があるのかもしれない。
 いずれにしても、「(固定)電話で病気が伝染する」のは、固定電話が背後に物理的なつながりや人間関係が感じられるメディアであるからであり、同じパーソナル・コミュニケーション・メディアであっても、テレパシー的・個別選択的なメディアである携帯電話の場合は「個別に病気が発症する」のである。携帯電話は固定電話以上に、それまでの物理的・人的なネットワークから切れた、あるいは切れることのできるメディアであり、電子空間における新たな人間関係を作りつつあるメディアなのではなかろうか。

 本稿は明治期に電話が登場したときの「電話によってコレラが伝播する」という噂の重層性を比較対象としつつ、現在流布している「携帯電話の電磁波が危険である」との噂の社会的意味を読みとくことによって、それぞれの噂を可能とした人々のメディア・イメージの一端を考察してきた。
 ただし、携帯電話が他の「新しいモノ」と比べて、なぜ病気と結びつけられやすい傾向にあるのかはわからないままである。つまり、他の家電製品ではなく携帯電話の出す電磁波が危険だと特に噂されるのはなぜなのか。一つ考えられるのは、携帯電話が他のものより身体化されやすいメディアなのではないかという仮説である。携帯電話による身体の変容、感覚の変容が他のものよりも感じられやすいからこそ、身体に悪影響を及ぼす病気とも簡単に結びつけるのではないか。この問題についてはさらなる考察が必要であるが、最後にその方向性として現在考えていることを二つ述べておきたい。
 一つは電話、あるいは携帯電話というメディアを利用し始めた人々が感じる身体的な感覚変容と照らし合わせて噂を再解釈することである。例えば、初めは携帯電話利用に違和感を感じていた人も1〜2ヶ月するとすっかり馴れて携帯電話というメディアの利用を「身体化」するという(松田,1996)。その「身体化」の過程は具体的にどのようなものであり、他の「新しいモノ」とはどのように異なっているのか。その違いが電話や携帯電話が病気と結びつけて語られやすいことの一つの原因になっているのかもしれない。もう一つは、先に述べたように「携帯電話の電磁波が危険である」という噂は、携帯電話は「危険」であり、「利用しない方がよい」といった排除のメッセージを持っている。では、具体的に何を排除する噂なのか。排除されるのは単なる携帯電話という「新しい」メディアではなく、普及を推奨する人々や早くから利用し始めたイノベーターであるとも考えられる。では、排除の対象とされる人々と年齢やジェンダー、階層といった差異の構造はどのように関連しているのか。以上の切り口からのアプローチを今後の課題としておきたい。


(1)携帯電話やPHS(簡易型携帯電話システム)の具体的な利用状況については、中村(1996)、松田(1996)などによる調査を参照のこと。
(2)同月末までのPHSの加入数は462万であり、この数字を加えると移動電気通信端末の普及率はさらに挙がる。
(3)本稿で取り上げる噂(特に、携帯電話の出す電磁波をめぐる噂)については、「それは噂ではなく、事実である」といった見解があるように思われる。しかし、「噂」と「事実」は必ずしも矛盾するものではない(松田,1993)。本稿で「噂」としてこれらを取り上げるのは、事実関係が定まっていないこともあるが、より積極的にはこれらが人々の間で語り継がれていることを重視しているためである。
(4)技術と社会の関係を論じる議論には、「(新しい)技術が社会を変える」という技術決定論や、逆に「ある社会の文化的論理、文化的エートスの現れとして(新しい)技術を捉える」兆候論がある一方で、技術を社会的な関係性の中で構成されていくものとみる「技術の社会的構成主義」という視点が存在する(吉見,1994)。本論は「技術の社会的構成主義」の立場に則り、メディアと社会の関係性を捉えることを念頭に置きつつ、噂からうかがえる人々のメディア・イメージを探ることを試みるものである。
 ただし、筆者は前二者b技術決定論、及び兆候論bに、マクルーハンが『メディア論』の中で揶揄しているような、行為主体決定論とでも名付けることのできる議論=「技術自体はニュートラルであり、問題はそれを使う人間にある」といった幾分次元の異なる見解を加えた三者との対比の上で「技術の社会的構成主義」を捉えており、また技術とメディアを同等に扱うことは必ずしも適当ではないと考えているが、ここでこの議論を展開することは本文の主題から外れるため行わない。
(5)この件については、実際に実験が行われた結果、携帯電話の出す電波(電磁波)によって医療機器の誤作動が起こる場合があるとして、多くの病院で携帯電話の院内持ち込みを禁止する動きが出てきている。
(6)さらには、高圧線の電磁波(電磁場)の問題もここでは取り上げない。
(7)例えば、近藤ら(1995)が日本での都市伝説を蒐集した『魔女の伝言板』には、1994年10月21日に小平市の三十代の主婦が編著者の一人に話したとして、「電子レンジは電波兵器開発過程で生まれたものであり、危険である」といった話が収録されている。
(8)このことは、ガン発症自体のメカニズムがはっきりわかっていないこととも、もちろん関係する。ただし、白内障に関しては電磁波のうちのマイクロ波(電子レンジに使用されている)の持つ発熱作用によって起こるのではないかと言われている。
(9)なお、普及初期のテレビに関しても似たような話が囁かれたようである。例えば、1949年生まれの大平健も子供の頃の話として以下のように述べている。
日本に戻ってしばらくして田舎でまでテレビが見られるようになって、ブラウン管から出る放射能で体が変になるだのテレビばっかり見ていると頭が悪くなるだのと大の大人たちが言っているのを聞くと・・・(以下略)(大平,1996:98)
(10)しかも、このような想像力は「科学の発展」と無関係ではなく、むしろ「科学の発展」と密接に関連している。この点に関しては松山(1993)を参照。
(11)また、先に述べたように電磁波の危険性は「送電線の電磁波」の人体への影響を疫学的に調査したところから注目され始めた訳だが、これらの疫学的調査は「送電線」の電磁波の人体への影響について行われているのであって「携帯電話」の電磁波について行われたのではない。電磁波にはさまざまな種類があることを考えれば、たとえ「送電線の電磁波」が危険であったとしても「携帯電話の電磁波」が危険であるとは必ずしも言えない。
(12)もちろん、ポケットベルは発信できないが、携帯電話は発信可能であるといった違いもある。このような携帯電話のメディア特性(メディア使用の可視性)は、ポケットベルや携帯情報端末(PDA)など他の移動体通信メディアよりもウォークマンやディスクマンなどに近いのかもしれない。
(13)電車の中での携帯電話の話し声が気になるのは、電車の中で成立している「不関与の規範」をかき乱すからと述べるのは富田英典である。(『産経新聞』1995年12月3日)
(14)この点に関しては、「電磁波の危険性」が携帯電話と並んで語られることが多いパソコンと電子レンジとの比較検討が必要である。パソコンについてはその新奇性とメディア・イメージの観点から、電子レンジについてはメディア(商品)・イメージとその「危険性」が長く語り続けられてきた点から検討を加えると興味深いと思われるが、本稿の目的からはずれるためここでは行わない。
(15)吉見(1995)は電信の含意していた政治性について論じた部分に続いて、公衆電話事業のゆるやかな拡大に比べて、警察や官庁、鉄道駅などの間を結ぶ私設電話システムが迅速に発展したことに着目し、明治初期の電話にも「国家による国民の管理」といった政治性が含意されていたと述べている。
(16)明治前期の衛生制度を検討した橋本(1965)は、明治初年における衛生行政の最大のねらいは近代医学に立脚した医師制度を確立することにあり、その過程がコレラの流行と重なったこともあって日本の衛生行政の原型はコレラ防疫が軸となって作り上げられたと述べている。また、「衛生」という語自体、長輿専斎が明治八年にhygieneの訳語として用いたものであり、明治十年のコレラ大流行の中で一般化したという(福田,1995:108)。明治期の伝染病については、佐藤(1994)の第三章も参考のこと。
(17)日本において電話は長く、用件を伝達するための「通信」的なメディアとして捉えられていた。吉見、若林、水越(1992)、第一章参照。
(18)公衆電話事業の開始以降もこの傾向は続く。注(15)参照。
(19)固定電話という言い方は日常的ではなく、本論文でも3節までは単に「電話」と言い表してきた。しかし、4節は従来からある「電話」と近年増加してきた「携帯電話」の比較を目的としており、文意をわかりやすくするために、家庭や職場におかれている電話を「固定電話」、個人が持ち歩く電話を「携帯電話」という語で表すことにする。
(20)ガンは1981年以降死因のトップであり、その発症のメカニズムは詳しくはわかっていない。その社会的意味についてはソンタグ(1978=1982)を参照。ただし、先に述べたとおり、電磁波の引き起こす病気とされているのはガンだけではない。本稿で電磁波によって発症する病気自体(ガンや白内障、流産など)の社会的意味について検討しなかったのは、噂になる病気や「異常」が複数であるがゆえに、かえって電磁波自体の危険性に噂の焦点が当たっていると考えたためである。
(21)このようなテレパシー的なつながりに関して同時代的に興味深いのは、オウム真理教の機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』に連載されていた小説の中に出てくる敵のジャーナリストが携帯電話で人を洗脳するという話である。大澤(1996)はこの話は彼らの身につけていたヘッドギアPSIのほとんどパロディであると言い、オウム真理教において電磁波には、彼らが獲得を目指している直接的コミュニケーションを通じて共鳴する身体の様態が投影されていると述べている。

参考文献