一幕:夜明けという名の帳


夢の中すらも、むさ苦しく寝苦しくなったところで、ありがたくも悲しい、頬に踵がねじ込まれる痛みで目が覚めた。那水の踵を頬にえぐり込まれながら、現況を認識する。眠っていた。と言うよりは、気を失っていたという方が正確だろう。那水は、幸せそうな顔をして眠っている。大口を開け、垂らしたよだれが、「ちゃあみんぐ」だ。そこらの女だったら、幻滅するところだが、那水がすると逆に愛らしく、たれている涎を飲みたくなるぐらいだ。

・・・いや、実際に飲んだワケではない。舐めただけだ(←同罪)。布団をはね除け、一人、逆方向を向いている那水に布団をかけ直す。那水の寝相がこれほどとは思わなかったが、いかせん、五人で住むには、六畳一間のワンルームは狭すぎた。

「やあ、小十郎。今日も早いね。ねむれなかったの。」
意外にも、シーツに皺一つつけることなく目覚めたすずめが、控えめとは言いがたい音量で、挨拶をよこす。声は元気だが、瞳には心配と言う文字が、ネオンサインのように浮かんでいる。
「まぁ・・・ね」
心配させるわけには行かない。朱雀に心配されたら、好意で殺されかねない。かといって無碍にすれば・・・死にたくない。視線を那水へおろす。すずめがクスリと笑う。やっぱり、女の子なんだ。そう実感させるに十分な愛らしい笑顔。
「お兄ちゃん、おはよぉ」
自分の身長ほどもある、イルカの抱き枕にしがみついたまま、むくりと起きあがったあんずが声を出す。そして、また眠りの淵へ。
「起きたのか?、寝ぼけているのかな。」
あんずの柔らかいほっぺたをぶにぶにとつついていると、まゆきがうつろな視線のまま、上体を起こす。まゆきは極端な低血圧で、朝はほとほと弱い。雪女(ゆきめ)なんだから体温は低くく、常に低血圧な気がしなくもないが、まぁ、その辺は男にはあずかり知らぬ、女の秘密と言うところだ。いつもなら三十分は、呆けているまゆきだが、今日は夢遊病者のように立ち上がり、洗面台に消えた。

朝だ。窓から降り注ぐ、透明ながらも、柔らかな暖かみを授けてくれる陽光が、夜の間に舞い降りた埃を光の粉に変える。開け放たれた窓が、光の粉を吹雪に変える。

女手が四人もあれば、朝はなにもする事はない。布団もすずめが上げてくれるし、朝食の準備もバッチリだ。俺のやるべき事は、ただ一つ。今日の朝食当番が、あんずでないことを祈ることだけ。それは、もう心から。

冷や奴に、冷麺に、冷製オニオンスープ。鯉の洗いに、ザーサイ。部屋を埋め尽くさんばかりの料理。この料理を見れば、誰が当番だったったかは、聞かなくても分かる。

とりわけ大盛りにされた冷麺を手に取る。目ですずめに合図を送る。視線を合わせないようにしながらも、それでいてしっかりとこっちをチェックしている、まゆきの後ろに、朱雀が回り込むタイミングを計りながら、料理に口を付ける。
「うん、うまいよ」
フーッ(←まゆき失神)。
絶妙のタイミングで、すずめが気を失ったまゆきを支える。どこぞの出っ歯の芸人の様に、たとえそれが冗談でも、不味いと言おうモンなら、死はまぬがれないだろうな。それだけなら良いけど、地球は氷河期に戻るに違いない。

里にいた頃は、ツアーの団体客なみの食事を一人で食っていた俺だが、こっちに戻ってからと言うもの、全く食欲が無く。五人前しか食えない有様だ。唯一の暖かい料理。ガーリックトーストに手を伸ばす。
「まだ、食欲も戻りませんか、小十郎。」
心配げな八つの瞳。心配はかけたくないが、隠せないし、隠しようがない。
「ああ、なんか疲れが抜けなくてさ」
「大丈夫ですっ、小十郎様。」
まゆきの叫び声。自分の声に恥ずかしくなったのか、真っ赤に頬を染めたまゆきが、うつむいたまま言葉を続ける。
「ニンニクもタマネギもたっぷり使いましたし、すずめちゃんの秘伝の薬も。あんずちゃんちの薬も、入ってます。」
「確かに、毎晩あれだけの精を放てば、疲れも溜まるはずですね。」
「どうする那水ねえ、小十郎にも少し休みを入れる?。」
「ええぇ、あんず早くお兄ちゃんの子供欲しいぃ。」
まゆきも黙って、頬を染める。なうぅぅぅぅ(涙)。

婚礼の約束通り、俺は約束した覚えはないのだが、一晩三十二回。時々、俺も人間じゃないと、思うことがある。愛おしさは変わらないのだが、こうも毎日だと、なぁ・・・。

小気味よい音を立てて、テーブルに包丁が生える。
「小十郎、いま不埒なこと考えませんでしたか?」
一番おっとりした那水が、こう言うときだけは、一番鋭い。なにより、目がマジだ。
「いや、男して不甲斐ないなぁ、なんて思ったりぃ、ね(←新婚にして座布団亭主)。」
あからさまにこびる態度にあきれたのか、それとも、納得してくれたのか、那水は包丁をしまう。ふいぃぃぃ。
「分かっているとは思いますが、ココにいる四人以外には、好意を寄せることすら許しません。」
「小十郎、浮気したら、殺ス。一番、苦しい方法でね。」
「あんずもっっ」
快活な笑顔で空恐ろしいことを、言わないで欲しい。
「小十郎様・・・」
泣くのは一番反則だ。

体が重くて仕方がない。家事なんかは全部やってくれるから良いけど、一人だったらどうなっていたことだろう。物の怪の長たちに対抗するために、脳を直接いじられたり、道とか言うのを刻まれたりして、体に異常なまでの負荷をかけた反動なのは理解している。それにしても、一ヶ月近くたつのに回復しないとは。
「あ゛あ゛っ」
「どーしたのお兄ちゃんっ」
洗い物の当番だったのだろう、エプロンを引きずりながら、あんずが飛びよってくる。
「じーさんたちに、施された術、解除して貰うの忘れてたっ。」
「道刻まれたままなのっ」
「人体強化術を・・・」
「急いで、おじいちゃんたちを呼ばなきゃ」
「お待ちなさい。」
「那水姉ちゃん。急がないと、お兄ちゃんが・・・」
「今、術を解除すれば、小十郎の体力は人間並みに戻ります。となれば、当然夜の方も。」
動きが止まる。おいおい、真剣に考えるなよ。
「死んじまったら、ゼロ回だろうがっ」
「いや、一度死ねば、反魂の法で天狗族として再生できるかも。」
「小十郎さま、冷凍保存していつまでも・・・」
おいおい。



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