東京鬼祓師鴉乃杜学園綺譚


大半は、己を律するのが精一杯か、それすら出来ない弱者ばかりだ
弱者が扇動され、負の波に荷担する様は………
惨めの一言に尽きる。

-筑紫信維(東京鬼祓師/アトラス)

アバドン王に続いて、名作は未来を読むを立証したセリフ
東日本大震災の後の人為的な争乱は、まさに惨めだった。
 


 

一言で言うならば、九龍妖魔学園記のシステムを踏襲した、アナザー。

ネットでの評価は、わりと低いこの作品だが、私は高く評価している。と言うよりも、本作を貶している人は、九龍をかばうために無理矢理、貶している印象が強い。九龍のレビューでも書いたが、九龍のシナリオは完全に崩壊しており、無茶苦茶と言い切れる。プロットも成立していない。にも関わらず溺愛するのは自由だが、他者をおとしめて自愛するのは無様だ。

その点、本作はストーリーラインはしっかりしていて、個々人の思惑もしっかりとあり、その行動にも矛楯もない。ストーリー展開のさせ方も上手く、近年まれに見るよくできたストーリーラインを持つ作品といえる。各々 、別々の未来を見ていた人たちが、一つの未来を望むように収れんしていくのは、かなり燃えるストーリーだろう。思春期独特の悩みありつつ、深く重いセリフもありつつ、 脚本としても出来はかなり良い。 久しぶりに、納得がいく、満足がいくプロットワークのゲームがプレイできたことは嬉しい限りだ。

ペルソナ4などと違い、ストーリーラインへのコメントが少ないのは、特に問題となるところがないからだ。

若干、展開に疑問符が付くのが鬼印盗賊団だが、無くても良い存在であるのは確か。ジュブナイルの体を繕うためにも、鬼印盗賊団を削って、学園の怪異のような話を盛り込んだ方が私好みだった。怪談がらみ、学園オカルトモノと呼べるのは、最初の二話だけで、三話で鬼印盗賊団が出てくると、とたんにファンタジックな、少年コミック誌の様な様相となる。トーナメント戦にならないだけマシだが。もう少し、札が引き起こす怪異を解決という学園モノを楽しみたかった。

欠陥をあえて上げるとすれば、イニシエへの覚醒(接触?)が分かり難く、突発過ぎる。0話で、隠者の杖で貫かれた瞬間に、バンリが見たものと同じモノを垣間見る方が伏線として良かったのではないかと思う。そうすることで、二度目の接触でバンリが、三乗が望む世界を見せることで、クライマックスへの流れとした方が良かったのではないかと。


オカルト的には、とくに目新しいものはない代わりに、「四角」と言う概念に対する考察は面白かった。確かに四角は人為なんだよね。京の都が碁盤の目のように四角く区切られているからこそ、計画都市なのが分かる。村から自然発生し砦へ塀で囲んだ物とは違う、四角い街。だからこそ、怪異が集うのか。くふふ、ステキ四角…


ダイオキシン問題で閉鎖された焼却炉を怪談に絡めたのはアイディアだが、封鎖からまだ日が浅く、それ以前は使用していた事を考えるとちょっと場が悪い。ただ、他の場所とすると、祠とかは手垢で真っ黒だし、百葉箱は浮いてるしなぁ…地下倉庫的なものだと、避難場所として使えないしなぁ…旧校舎とか残ってないだろうしね、今のご時世。

そうそう、年代を感じたのが、魔人学園の頃は一学年8クラスぐらいあったのだけど、九龍で4クラスぐらいだったか?、この鬼祓師ではなんと 一学年2クラス。少子化を痛感しますなぁ。
微妙なんですが、どうも生徒会VS風紀委員ってのが、速攻生徒会かーいと突っ込みたい…


ゲームとしては、正味の3Dダンジョンものであり、アクションでもシューターでも、SLGでもない。戦闘はあくまで障害の一つであり、戦闘そのものを楽しむモノではない。故に、敵を倒さずにすり抜けるレベルがあったり、1ターン内に封殺システムでAPを増やし駆け抜けていく等が設定されている訳だ。それをまぁ、敵を撃つだけでつまらないとか、PSPは 画面が小さいので狙いにくいとか、言う非難は的から大きく外れている。それを言うならば、殴り合うしかない和製RPGのターンベースなんて顔を上げることすら出来ない。 ターンベースの場合、魔法は魔力での殴打に過ぎないのだ(武器で攻撃するか、メラミで攻撃するかでしかない)。

そもそも、九龍はもっと単調だったわけだし。花札を設置することでトラップ効果を生む。と言うのは非常に上手い。九龍では、APを計算してギリギリまで攻撃して、敵の範囲外に移動。ぐらいしかすることが無く、それすら出来ない狭い場所だと足を止めて、ドンパチしかすることがないよりは遙かに洗練されていると言える。

ただし、AIが非常にマヌケ。と言う誹りは免れない。ノックバック効果のトラップに延々とはまり続けるのはちょっとアホい。が、戦闘重視のゲームでもないので、そのくらいで丁度良いのかもしれないが。 後はまぁ仕方ない面もあるが、使える札とそうでない札の落差が激しい。が、戦闘メインじゃないからなぁ。OrcsMustDieの様にトラップの機能を洗練させる必然性がどこまであるかというと、ちょっと考える。

ラストダンジョンが非常に簡略なのも、日本人にはウケが悪いかもしれないが、物語的な盛り上がりが冷めないうちに、ラストダンジョンを突破し、フィナーレへ突っ走ると言うのも演出としては正しい。むしろ、広大で難解なダンジョンが、常にラストダンジョンというほうが、日本の悪癖と言えないだろうか。ついでに言うと、ボス戦がムービーで終わったり、イベントで強制だったりとか、ラスダン 抜けがラストバトルみたいな作りよりは、遙かに好感が持てる。まぁ、鬼祓師も半分イベントだが。 花札を全部集めていると最強兵器降臨も良い。NPCから脈絡無く投げ渡されたら、どうしようかと思ったが。

むしろ問題は、最終話、トゥルーエンドへの道がかなり狭いと言うこと。0話の何気ない会話がトリガーだったりするのは、ちょっと長すぎる。AVGなら既読スキップで駆け抜けられるのだが、パズル要素有りのダンジョンゲームで、0話の選択を9話で効かすと言うのは、リカバリするには、ちょっと長すぎる。そう言う難度は個別エンドへの分岐ぐらいにして欲しかったなぁ。

と思ったらですね、攻略本を熟読すると、二週目は九話の紅緒戦後の設問を間違えない限りは最終話に行けるとの事。ぬぅ、二週目の途中止 めてて、攻略本買って、選択間違えてたから頭からやり直したのだが…そのまま行けばよかったのか…まぁ、通すことでストーリー再読できたからヨシとする。この辺りの設定も、よく練られている証左だろう。どっかの田舎町のガススタの店員に見せてやりたいわ。



パズル要素に関しても、メインストーリーのパズルはほどよい難度だった。portalなんかをノーヒントで解くような人にはアクビが出るだろうけど。このパズル要素の非難で笑ってしまったのが「結局、他の部屋に行って仕掛けを操作するの繰り返しに過ぎず単調」とかだったかな。

その非難に堪えうるゲームは、この世に存在しない。わざと遠回りしてスイッチを押して、別の部屋の扉を開く。と言う仕掛けのないRPGがあったら、そりゃただまっすぐ歩くだけでクリアできるクソゲーだ。もっと言うなら、格ゲーに対して、結局レバーをがちゃがちゃやるだけ。と言っているようなモノで、そんなに言うならゲームで遊ぶべきじゃない。

本作のギミックは、テレポーターや壁の破壊だけでなく、足場を組むと言った正味のパズル要素も持っている。ただ、ダンジョンを歩き回ってスイッチ押すとか、中ボス倒してアイテムゲットに留まらないだけよく練られている。

ただ、エクストラダンジョンの仕掛けは、あっちこっち飛び回る必要があり、面倒でやめてしまった。まぁ、特にクリアしてもご褒美があるわけでなし。そう考えると、ソウルハッカーズのエキストラダンジョンは上手かったなぁ。クリアすると二週目が始められるという。


ダンジョンとしてみても、洞に札が集まる理由、洞が変質している理由も筋が通っていてよい。まぁ、敵や味方が先にたどり着いているのはご愛敬だが。九龍は、レベルボスがそこにいる理由はあまりなかったし。ダンジョンの構造上、ゲートキーパーの位置としては変だったし。

ネットでの感想で「日本史を感じさせなかった。九龍の方が感じられた」とか言うのがあったが、まぁ、神話とギミックの連動としては九龍の方が上手かったかもしれないが、必然性という前に、根本がおかしいからなぁ 九龍(危険物の封印に謎かけって、しかも解除することを前提としているのとか、あり得ない。仕掛けの解除アイテムもその場にあるってのは、金庫に鍵を貼り付けているようなモノだ)。というか、ギミックへの関連性の付け方としては、そんなに大差ないと思うのだが。謎解きと説話がリンクしてたかの有無の差ぐらいか。

鬼祓師のは、金の鍵やら銀の鍵の代わりのアイテム化であって、毛色を変えるためのモノ。わざわざ日本史と詳細にリンクさせてもそれほど意味がないとの判断だろう。それは正しいと思う。延々と鍵集めでは飽きてしまうが、パーツ集めとすることで毛色を変えることは上手いと思う。

そもそも、カミフダの記録、日本史の残滓が流出して洞が変異したのであって、誰かが史実に厳密な仕掛けを作ったわけではないのだ。つまり、日本史を抽象化して、簡略化されているわけ。そしてラストダンジョンで無機質な造りに変異することで、ダンジョンとしての物語も結実する。さらに、ラストダンジョンには鍵など無く、札をキーとする基本ギミックしかないことも、ダンジョンにおける物語としても考慮されている事が分かる。

ラストダンジョンでは、閉ざされた扉はなく、鍵に当たるアイテムもない。定まらぬ未来に、鍵などかけられないのだ。と言うことだろう。

神話とのリンクにこだわるあまり、ダンジョンとしての本質を見失った九龍との違いもソコにある。



九龍をダメだ。と思った人にほど、本作はやってみて貰いたいです し、九龍を溺愛するあまり、最初から敵視している人にも改めてやって欲しいです。

与太話としては、OPソングはどうにかならないモノかと。最初はいちるの歌唱力の問題かと思ったんですが、EDでは普通だしなぁと思って聞くと、作詞に凝るあまり、曲とのリンクがうまく行ってない。早口で無理矢理納めるとか、そんな感じでなんか、グズグズ気味。ありがち。有限会社地球防衛軍とかも、そうだったなぁ。専門家でない人が、やるとこうなりがちなのかねぇ。

EDもそんなトコがある。んで、絶望を乗り越える、だが、打ち砕くだか歌詞があるのだけど、無理矢理早口で詰め込んでて、あちゃー(カルさんの声で)。歌詞敵にも「絶望を切り裂く札」とかの方が良くないかと。切る札、切り札で、「君という名の切り札」に続けると。お後が…良くないな。

私が気に入ると、大概何かが耳に残る訳ですが、今作では「スワガト・ヘー」でした。