七月の夢酔
『例えば音楽。現実と最も関係が薄いし、主義主張もなく、全く機械的な意味のない音で、連想も呼び起こしません。
それなのに音楽は、人の魂に直接響くのです。体内の何が、共鳴するのでしょう。
何が単なる音のつながりを喜びに変えて、難のために、私たちを感動させるのでしょうか。
誰のためでしょう。難のためでも、誰のためでもなく、無欲なのですか?。
そんなはずはない、全て必ず価値を持っているはずです。価値と理由を』
−ストーカー「ストーカー(ロシア映画)」
困惑の波動(2002/7/2)
2002/6/23分で、テレフォンアポインターの事を書いたけれど、それを師匠に話すと「相手が困惑していていたのは『コイツ、私の話に乗ってこない?』と言う、今までの手練手管が通用しなかったせいではないか」と言われて、そうやもしれぬ。と思ってしまった(笑)。
六月の段階で書き忘れているけれど「アクアマリンてご存じですか」「はぁ、水色の石ですよね」「そうですぅ、凄くきれいな…」と、突破口を得たかのような嬉々とした波動を受け取ったが、こちらとしては「通常、宝石を「石」と呼ぶ素人はいない」と言うのに、引っかかるかどうかをチェックしていた。やな客(笑)。
大抵、あの手の商法で、店の方に遊びに行くと、話術の卓越した店員と二人で、洗脳に近い商談を行い、ローンで宝石を購入されられるのがオチだ。呼び込みをしていた宝石店と同じく、客引きをするようになっては、その会社は潰れる寸前か、元々、犯罪スレスレの行為をする目的の会社だろう。
しかしまぁ、デート商法や、宝石店の呼び込み商法で、恋愛感情への発展を期待して商品を購入する人間や、最近呼んだ恋愛関係のコラム(「孤独は哀れ」と言う論旨)と言い、どうして孤独をそこまで、嫌悪し、恐れるのか、さっぱりわからん。
例え親子でも、深奥までは理解し合えない。自分以外の存在といることは、確実に遠慮やストレスを呼ぶ。たぶん、そのストレスよりも、孤独の恐怖感が勝っているから、無理にでも恋人を作り、コンパなどで、一人じゃない。と思いこみたいのだろう。
一人の方が好きな人間もいる。もちろん、完全に一人で生きていくことは出来ない。だが、仮初めの、薄っぺらな人間関係の苦しみに曝されるなら、一人の方が気楽と考える人間もいる。そんな人間からすれば、薄っぺら連帯感、しかも傷の嘗めあいでしか、友情を得られず…つーか、友情と呼べるかどうかも分からないモノを、友情と思っている人間の方が哀れだ。
他者の関係からしか、自分を認識できない事の方が哀れだ。そうして、他人に依存している人間に、真の愛情は無い。なぜならば、他人を通して、自分に愛情を向けている自己愛でしかなく、相手がそれに気が付けば、確実に離れていく。自分の発した愛情を反射するモノさえあればいいのだから…愛とは何か…大いなる勘違いと、優しさと言う自己犠牲(笑)。
それが心地よい。と感じさせているのは、種としての本能だろう。情愛無くして、繁殖ナシ。フッ、恋愛感情の稀薄さは、本能からの解脱なのだ。って、マジ?。
捕鯨(2002/7/3)
近所のスーパーで、鯨カツが一枚87円だったので、購入して食す。この安さからして、密漁モノかも知れないが、まぁ捕まるのは、スーパーだ。私が、小学生の頃には、まだ冷凍食品なんかで、鯨カツはよく売られていた。大変、懐かしい味だった。
最近、また捕鯨問題が再燃しているようだが…頭の悪い一部のグリンピースとか、動物愛護協会の過激派には辟易する。捕鯨問題が決着しないのは、感情論に起因しているからで、ヒステリーを起こしている人間に、データを提示しても、理解できるわけがない。
鯨は賢い動物だから、食べるのは可哀想。アホか?。この世に賢くない動物などいない。もちろん、人間の賢いと言う基準から見れば、愚かな動物は沢山居る。だが、それは人間の物差しだ。今現在、生存していると言うだけで、生存競争を生き残っているエリート達だ。各分野のトップクラスであり、そのエリアで生き残るための知恵は、人間など足元にも及ばない。
そもそも、鯨を食べる文化のない欧米人にとって、鯨は鯨油を取って、後は廃棄するだけのモロに消費型文明の極みと言った事をしていた。そんなことをすれば、減るのは当たり前だ。そのツケを他人に回すところも、欧米人らしい。自分達がやったことを忘れるのもそうだ。
日本人にしてみれば、兎を平気で食べる方が、可哀想だし、平和の象徴、鳩を食う人種には、もっと抗議しても良いのではないだろうか。中国人は、犬を食べるし、愛犬家協会は看過して良いのか?。そう言えば、チャウチャウ犬って、中国の宮廷に出すために品種改良された食用犬だと言う話を聞いたことがある。牛は可哀想じゃないのか?、数がいればいいのか?、バカさ加減に腹が立つ。
まぁ、その辺、日本人はよく言えば大らかなので、他国の文化を尊重するため、取りざたしないだろう。ワールドカップでも、そうだったけど、日本人は、平気で他の国を応援できる。大らかなのか、節操がないのか別にして、自分の主張を押し通すだけの欧米人には奇異に見え、また、欧米人が尊崇する「純粋無垢」に見え、畏敬の対象となるだろう。
今はまだ、その地歩をなんとか保てているが、自分の文化・価値観をゴリ押す愚かさを知り、互いに尊重し合うことを知らなければ、欧米に未来はない。つっても、民族的に、征服か服従か、しか知らない民族だからなぁ…
萌え(2002/7/4)
私のツボキャラ(女性)は、一見、豪毅しかしその実、女らしい気配り(優しさ?)が出来る。と言うのに弱い。大抵、このタイプのキャラクターは、大女である事が多いため、大女もツボ。実生活で出会うとどう思うかはわからないけれど。故に、古いところでは、まこちゃん派(セーラー○ーン)であったし、魚屋の姉ちゃん(下級生)だったし、清川(ときメモ)だったわけだ。
最近、これに加えて、嘘臭い日本語と英語で喋る外国人。と言うのもツボであることに気が付いた。舞(ずっといっしょ)、ティファニー(ジャスティス学園)、アリサ(ドキドキプリティリーグ)等々、しかし、これらは作中キャラだから好きなのであって、実生活で会うと敬遠するだろう。
この辺から分析すると、豪毅で女らしい。と言うのは、もろに母性(しかも、甘えたがっている模様)を求めていると思われる。以前、友人(女性)に言われたことがあるのだが、「恋人よりも、家族が欲しいんだねぇ」と言われて、そうやもしれん。と納得してしまった事実であるよ。
実生活での母親が、非常に父権的な女性で、母性が薄かったので、そうした母性的な優しさ(受け入れ、受け止めてくれる優しさ)を渇望しているのかも知れない。通常の恋愛関係では、女性の方が甘えてくるのが通例と思うのですが、そうしてくると、強い自分、頼れる自分を演じなくてはならず、疲弊してしまうのですな。上手く行かない理由はそこでしょうなぁ…。
自分を強く見せるのに疲れているのだわ…「確実に成功しないならやるな」「体裁の悪い」「ご近所(先生)に顔向けできない」「お前が良くても私(母)が恥ずかしい」と言ったコンセプトで教育された私は、一見、他人様には迷惑をかけず、それなりに優秀に見える立場をとり続けたが…結局それは、自分の心を殺し、歪め続けた結果で、精神の瓦解寸前にまで、到達。
自分の行動を、まるで第三者の行動を遠くから見下ろして、監視・観察するかように、淡々と認識し、そうして認識している自分を見ている自分に気がいた。もし、それぞれが名前を名乗っていたら、多重人格になっていたのではないかと思う程。折良く、大学で大阪に転居、親元を離れたために、壊れずにすみましたが…まぁ、そうして他人の目を伺いながら生きてきたので、共感能力が異常発達したのですが…嬉しくないな(笑)。ぬ、もっと軽い話題のハズだったのに…面目ない。
ゲヱム(2002/7/6)
最近、とみに攻略記事を書いてない。つーか、書きたくなるほどのゲームに出会ってないし、やってもいないのだが。
私にとっては、攻略記事は、自分でそのゲームを解くためのメモ書きを再構築するだけの話なので、別段、記事を作ろうと思って作っているわけではない。サイトの売りでもないし。メモを取り、真剣に解きたい、クリアしたい。と情念をかき立てられないと、書かない。
…ゴメン、Theガッツは客寄せ(笑)。
師匠とも話したのだけど、マシンの進歩、技術の進歩、画力の進歩は、著しい。だけど、ゲーム自体は進歩しているだろうか。これは、日本に限らず、テレビドラマスタッフにも言いたいのだけど、なぜ昔のドラマや、ゲームの方が面白いと感じるのか。
角川映画の金田一耕助シリーズは、賛否両論ある。しかし、近年、リメイクされた金田一耕助は、賛否はない。ただ否あるのみ。誰に聞いても、つまらない。と言うはずだ。ゲームも同じ。不条理オチと言う不可解なモノが流行したせいで、その堕落は一気に加速。
今のご時世、全てのゲームはキャラ萌えで成り立っている。自分のツボにハマるキャラクターがいれば、そこそこ楽しめるのだが、居なかった場合、クソゲー扱いだ。その程度の差しかない。制作側もそれを知っているのか、どんどん万人受けするように、キャラクターを丸く、薄っぺらく設定する。残ったのは、結局、人気イラストレーターや、漫画家を原画に起用し、絵だけで持たせる。と言うもの。
ゲームその物を考えさせる事はあっても、その世界や、キャラクター達に想いを馳せることはない。カノンやONEがある。と言う人もいるだろうが、私はあの会社を否定している。高校の同級生が勤めているのだがなぁ。発表作にベタ惚れしてないから、上手くつきあえるのだろう(笑)。そいつと会うときは、その手のゲームネタにしないし。
さて、肢体を洗うは、まだまだ値崩れしてないようで…夏が終わらないとダメかなぁ…
飯(2002/7/7)
ソバの食い方とか小うるさいことを書いたこともあるけれど、最近気が付いた。ソバを美味しく食べるために、ワサビを付けるのではなく、ワサビを美味しく食べるために、ソバを食っていることを。
故に、ワサビが程良いアクセントになるならば、素材は何でも良い。ソバ、そうめん、うどん、豆腐、焼き茄子、刺身、果ては、もろきゅうのミソの変わりに、ワサビを付けていたりする。ワサビが合えば、何でも良いらしい。ただ、溶かし込んで食べるのは、いまいちらしく、うな茶とか、鯛茶などの茶漬け系は今ひとつ、好みではないらしい。
元々、ワサビは、生食するための寄生虫予防の殺菌剤であった。刺身や寿司にワサビを効かせるのは、安全のためで、味のためではなかった…ハズだ。それを考えると、薬味はその名の通り、味の添え物と言うより、殺菌とか安全のための薬だったのかも知れない。最近になって、ワサビの殺菌効果を歌う、商品も出ているし。
ニンニクも殺菌のためらしいぞ?。塩漬けにするのも、腐敗を防ぐためだ。そのため、塩に厄よけ、悪魔払いの効果があるとされた。世界を問わず、塩で厄よけ、悪魔払いをしない国はないだろう。ニンニクは吸血鬼よけだし…真剣に調べたわけではないので、推測だが、ニンニクの魔よけとしての効用も、食事から来ているのではないだろうか。
しかし、ワサビに伝説がないのは不思議だ。まぁ、世界でワサビを食べるのは、日本人だけと言っても過言ではなく(中国の一部で、葉の方を食べるそうだ)、マイナーな食材なのは間違いない。また清涼な水で無いと育たないと言う点も、ナニか伝説が付与されていいはずなのだけど…ともあれ、ワサビの為だけに、日本人に生まれて良かったなと。
批評と評論と感想(2002/7/8)
ごくまれに、新規のサイト巡りをするとゲームのレビューとか評価を見る。すると私との意見や価値観の違いが一目瞭然だからだ。
だが、感想文にすらなっていない、レビューを良く目にする。上手く批評できているサイトはほとんど無い。感想文が載っていれば、ラッキーなぐらいだ。これでは、意見や価値観の差違を計ることすら出来ない。私も他人のことはどうこう言えない感想文レビュワーの一人だけれど、極力、批評をする様に勤めているつもりだ。うんちく話に、終始する事も多いけれど(笑)
ふと感じたのは、日本人にとって、批評とは「難癖、いちゃもん、言いがかりをつける」と同義語になっているのではないだろうか?。批評は、あくまで評価であり、褒めるべきところは褒め、けなすところはけなす。「けなす」と言うと表現が悪いが、個人や制作チームが気が付かなかった弱点を指摘し、さらなる完成度の追求を目指して欲しいとの気持ちである。ここを直せば、もっと良くなる。と言う想いから、至らぬ点を指摘する。
正当な批評無くして、真の発展はあり得ない。その証拠に、今の現状では、同人ソフトと製品ソフトの境界が曖昧になっている。それも低いレベルでだ。ワゴンセールで買い付けたり、知人に借りたりしてみると、ホントに正規流通商品か疑いたくなるモノもある。
MSサーガvol9『Gガンダム雑感』で、松浦まさふみ氏がこう発言している。『日本の業界はアニメブームで手の部分は随分と成長したが、肝心の頭の部分はまだまだかもしれない』。ゲームも同じだ。手、すなわち、実作業レベル、プログラミングであり、原画であり、CG書きである。頭は、創造の部分、企画立案から脚本までの段階。
氏はこうも危惧している。『こういう未来も予想されないか?。技術は進んだにもかかわらず、やっていることは相変わらず人気マンガの映像化だったり、リメイクだったり、昔のアニメは面白かったと言うオマージュばかり…』
この記事は1995年に書かれている。松浦氏の当たって欲しくない予想は見事に的中し、それはアニメ業界だけではなく、テレビドラマ、映画、ゲームと言った創造を必要とするジャンル全てで発生している。実作業は複数であるモノの、創造はほぼ一人で行うマンガだけは、助かっているようだ。
これらはまともな批評家が存在しない事に起因している。最近の評価は、全て実作業レベルでの評価。原画を誰が描いただの、主役を売り出し中のアイドルが演じているだので、作品として評価すべき、創造の部分、脚本やストーリー、シナリオと言ったモノは、置いていかれている。これで、進歩するだろうか?。
貴方のお気に入りのゲームは、本当に面白いのか。好みのキャラクターがいなくても、面白いと言えるのか。考えて欲しい。
松浦氏はこうも言っている『物語の創造と言うのは、決して安易なことではない。だが過小評価され続けているうえ「これがパターンだから」と開き直り、過去の作品の固有名詞を替えただけの無能な脚本家の人材が「この程度で充分」などとうそぶくことには、ここいらでハッキリとNOと言わなければならないし、真剣に物語を創っている人間には、面白かったと言うべきだ』
この痛烈で、痛快な批評に耐えうる作品が、昨今の世間一般で言うベストゲームだとか、バカ売れアニメの中にあるだろうか?。
もちろん、耐えうるゲームも沢山ある。だが、そうした真に褒め称えられるべき作品は、冷遇され、世間からは見向きもされない。まだ手遅れにならない内に、ただしい批評を身につけ、制作側をも刺激し、制作意欲を駆り立てる批評をしなければならない。
批評をただの愚痴だと、流すこともできる。しかし、酷評から何を学ぶか。失敗から何を学ぶか、人間の成長はそこから始まる。と私は思う。エンドユーザーに、まともな洞察力や、考察力、分析力も無いこともあるが、制作側に批評を受け入れる体勢があるだろうか?。誰しも、褒められた方が嬉しい、しかし、さらなる成長のためには、弱点や欠点を補わなくてはならないのだ。批評にこそ、宝がある。
松浦氏は記事をこう締めている。『そろそろ頭(創造)を鍛える準備を始めても良いだろう。今世紀中は切り捨てでも』これは、1995年の記事だ。すでに世紀は変わった…残された時間は少ない。
技術の進歩しているのに、なぜドラマもゲームもツマラナイものが氾濫しているのか。それを考えていたら、松浦まさふみ氏の記事に辺り、慧眼に心酔。答えを出して貰った気分。
あ、ツマラナイと思ってプレイするから、ツマラナイので、どんなゲームにも面白いところはあって、そこを見つけるか、自分なりに楽しめる方法を見つけるべきだ。と言う人もいるかも知れない。
だが、それは間違い。つまらないモノを、面白いと思いこむまで、プレイする。と言うのは、自己暗示であり、洗脳だ。つまらない物は、つまらない。話題作だから。みんなが良いと言うから、面白いと思いこむのは、マヤカシであり、誤魔化しです。
日本はなぜか、一度評価を得たモノを酷評することを毛嫌いしますが、そもそもそれが間違い。マスコミや雑誌は、広告というスポンサーである以上、欠点を告知することは出来ない仕組みになっており、抑止力や、評価機関としては機能していません。
今のゲーム、ドラマ、映画は、危惧すべき状況にあることを認識して下さい。
理由(2002/7/8)
ひどく荒い内容だけど、Je ne sais quoiのトップに同じ主旨の事を書いていた。なんで、改めてこう言うことを書いたかというと、とあるサイトで、ネクロノミコン(フェアリーテール/レッドゾーン/18禁98ゲーム)の評価で、『オリジナルの設定でありながら、これだけ(クトゥルフ神話の)原作世界を忠実に再現しているのは…』と言う論旨の評価をしていた。
冗談ではない。翻案と銘打っているなら、ともかく、完全オリジナルの様な顔をして「インスマスを覆う影」の固有名詞を入れ替え、18禁要素を加えたにすぎない。ディズニーの「アトランティス」を素晴らしいオリジナルと、評価するのと同じだ。
絶対にオリジナルではない。評価すべき作品でもない。同人や、TRPGのシナリオ(いわゆる換骨奪胎シナリオ)で提供されたなら、感心するだろう。それはアマチュアだからだ。プロの作ではない。すでに記憶があいまいなのだが「素晴らしい悪夢をくれたHPLに捧ぐ」と言う書き出しが、翻案の合図だったのだろうか?。スタッフロールに原案「インスマスを覆う影」と入っていただろうか?。
一応、based on story:HPラブクラフトとあるが、これは全てのガンダムと名の付くモノに、原案・富野と名が入るのと同じだ。
エンドユーザーが、こんなモノを「素晴らしいオリジナル作品」と銘打つような審美眼しか無いのならば、制作側も良作を産めるはずがない。ユーザーに受け入れる土壌がないから「絵だけのゲーム」を作るのか、「絵だけのゲーム」しかやったことがないから、ユーザーに審美眼がないのか。
どっちでも良い。どっちも是正しなければならない。
まぁ、経済活動でもあるので、売れなければ仕方ない。と言う点があるかも知れない。そもそも、芸術に経済を持ち込んじゃダメなんだけどね。ゲームは芸術だ。映画の進化した姿と思っている。特にAVGやRPGは。そうなれるかどうかは、制作サイドが頭を鍛えられるかどうかにかかっている。そのためには、末端ユーザーが、正しい批評せねばならない。
批評(2002/7/8)
日本人は、批評が下手だ。それは日本語にも出ている。批評、評論ぐらいしか言葉が無く、この二つに意味の差は、ほとんどない。
しかし、英語には、「comment はある問題・書籍・人物・状態についての説明・解説・批評」「 remark は意見・判断などを簡単に述べたり記したもの」「 observation は観察・経験に基づいてよく考えた意見・判断」 批評全般を意味する「review」などがある。「criticize」は批評という意味だが「 …を 非難する,酷評する, …の あらを捜す」と言う意味を孕んでいる。
言語学では、重要視するものには、単語量が増える。と言うモノがある。日本では、批評は重要視されていないと言うことだ。玉虫色の決着が好きだからだろうし、明確な評価を与えることが美徳とされなかったせいだろうな。
時代劇(2002/7/11)
日本は、封建制以外の制度を体験していないのではないか。と思う時がある。
封建制度は、土地給与制と、いわゆる武家社会の御恩と奉公の主従関係。とする場合と、農奴制による経済的社会制度とする場合があるそうだ。
土地給与、つまり領土を拝領する事は無くなったが、いまだ御恩と奉公は生きており、会社と個人、会社と国家、などの関係は、御恩と奉公以外では説明しづらいのではないだろうか。農奴もいなくなったが、日本での経済活動の主流が農業から、通商になった現在、会社勤めがそうであると言えないだろうか。一昔前まで、転職はかなりの危険な賭だったはずだ。終身雇用制とは、農奴と同じく、会社と言う土地に民衆を縛る鎖ではなかったか。
厳密な区分けでは、異なるのだろう。しかし、大宝律令が制定された時は、天皇が頂点だった。武家社会に移り、将軍が頂点となった。いまは、総理を頂点としているにすぎない。全て、「お上」と呼称されることからも、伺える。
お代官と上州屋の癒着。それは、国家公務員と企業の癒着だ。鈴木宗男の顔が、お白州で、堂々とうそぶく代官に見えて仕方がない。
その提出案そのものを討議する事よりも、料亭で、袖の下(金銭だけでなく、他のことで妥協することも含めて)を渡し、根回しによって決定される。議会にかけられるときには、もはや可決否決が決まっているのは、なぜなんだろう。そこに民意があるのだろうか。
ま、なんちゃら制と言うのは、主に経済活動の主流を区分するためのものなんだろうな。やってることは、ずーっと変わってないのだろう。山吹色のお菓子を、料亭で渡し、日本人形が準備してあるのだ。時代劇がいまも変わらず愛されているのは、そうした役人や商人を、痛快に切り捨ててくれるからだろうか。
斬られる代官は、県庁役員であり、商売敵を姑息な手段で潰すのは、政治家を背後に持つあの会社。黒幕の悪徳家老は、政治家。どこかそんな目で見ているのではないだろうか。
一周忌(2002/7/14)
よくよく振り返ってみると、この夢酔、昨年の七月十一日から始まっているではないか。たしか、サーバーにあげたり、検索エンジンへエントリーしたのは八月に入ってからだったと思うので、厳密には違うのだが、まぁ一周年だ。
そんなこんなで、一周年企画「right−O/h」を立ち上げたが、相変わらず、ろくな事はかけやしねぇ…
時に、再びネットダイブしていたおり、こんな一文を発見「私はどんなゲームも楽しめるので…」。
ふーむ。もしかしたら、私は、常に文句をタレながら、仏頂面でゲームをしていると思われているのだろうか?。まぁ、そう言った面も確かにある。「せっかくの良いシーンなのに、そんな淡泊なセリフで済ますか?」とか「その展開は、ちょっとダメだろう」とか、そう言うツッコミはするが、概ね楽しんでいる。
そもそも、ゲームジャンキーな私は、少なくとも四ヶ月に一度は新作(未プレイと言う意味で、新発売ではない)をやらないと、ストレスが高じて、体調不良、精神不安定になるのだ。睡眠、タバコ、それでもダメならゲームと(笑)。
そんな私なので、折角金を出したのだから、楽しまなければ損だ。ゲームを楽しむことと、正当な評価をくだすこともまた別。それこそ、どんなゲームでも、自分なりの楽しみ方を見つけ、楽しむことは出来る。ときメモなんざ、100メートル走に命かけてたからな(笑)。が、それは正しい評価でも、批評でもない。
もう閉鎖してしまったのだろうか?、超人気レビュー&日記サイト「兄貴の館」(一時大ブレイクした「侍魂」の管理人も愛読)は、数少ないまともなレビューを展開しているところであったが、ネット人格を作りすぎた事が敗因だろう。確かに、あのホモキャラが、会社の同僚にバレたら、イヤだわな(笑)。
侍魂でブレイクした先行者だが、実は2chで遊び尽くされて放置されていた頃に、個人サイトで紹介、ブレイクと言う話を聞いた。が、侍魂は、先行者ではなくて、ヒットマンに狙われる話が一番の売りだと思うのだが…今は、どうしているのだろうか?。ん〜別に二度も行くサイトではないと思っているし、再読したいモノもトクになかったし(笑)。
補遺(2002/7/14)
最近なんで、評価とかレビューにこだわっているかというと、まともな評価をしている雑誌、サイトがないため、情報が集まらない。売場はどんどん狭くなるし、ネット通販では、さすがに「何か」を感じ取ることも出来ない。ハンティングできないのだ。
かといって、過去作のリメイク買っても、なまじストーリーを憶えているために、レベルアップや、フラグ立ての作業ゲームになってしまうので、ジャンキーの飢えは満たされない。
ゲーム批評系の隠れた名作を探る。つー主旨の雑誌で、キャプテンラヴが紹介されていて、そこに『有限会社地球防衛隊』と言うのが紹介されていた。
キャプテンを評価するならば、きっと良いゲームだろうと、目下の狙いは、「地球防衛隊」と「肢体を洗う」かな。「肢体」の方は、シルキーズなので次第作臭いので躊躇中(ヤフオク狙い)…あやよ1−2−3forwinも、欲しいのだが、コレクターズアイテムで、飢えを癒せそうにないしなぁ…防衛隊は、店で売ってないんだよね(笑)
職業病(2002/7/15)
厳密には、違うかも知れないが、テレビだろうが、マンガだろうか、字義に引っかかるようになってしまった。
本日分の「笑っていいとも」で、「スイカは果菜類だ」と、くだものと野菜の中間のような物を指す。と言うような大見得を切っていたが、なにか引っかかったので、調べてみると「果菜類:果実を食用の目的とする野菜」とあり、どう考えても、野菜の細かい区分が果菜類であろう。ちなみに、扱いは、根菜類、葉菜類と同格だ。
つまり、果菜類は、野菜だ。茄子やキュウリ、トマト、カボチャ、そんな物が含まれる。
さらに突き詰めてみると、果物。とは、「植物の実」とあり地上に実を付ける物はすべて、果実(かじつ)と言える。まぁ、考えてみれば、南国では、フルーツはデザートと言うよりサラダ扱いが多いので、果物イコール甘い物と言うのは、勝手な決めつけかも知れない。が、ここまで浸透していると、言葉の方を変えた方がいい気もするなぁ。
フジテレビに訂正のメールでも送ろうかと思ったが…賢しいかなぁ?。だけど、間違った知識を広められても困るしなぁ…きっと安っぽいコラムや、ライトノベルの作家は、ガンガン使うようになるんだぜ…まぁ、その方が仕事増えるかも…
微妙(2002/7/16)
さて、振り返ってみて、一年でやく3000カウント。まぁ、有り体に言うと、3000回誰かが訪問してくれたと。しかし、そのうち1000回は私自身であろう。一年365日、一日一回は掲示板の確認に来ているし、リンクミスのチェックやらしているので。下手すると、更新後リンクミスや誤字脱字に気が付き、再チェック。と言う事もあるので、日に3〜4回は来ることもある。
年間平均が、日に二回だとしても、約1000回。正味の処、1700〜1800回が真っ当な訪問者だろう。イヤ、そのうち100回ぐらいは、検索エンジンの自動巡回だと考えると…やれやれ(笑)。
この間久しぶりに数えたら、最近なんだか、日に20回程度来ている。そのうち、2〜3回は私だ。あと、完全独立しているが、URLが同じなのでカウンターが回る。そちらで3+α(このαは盗用野郎だ)ので、こちらも日に二回と考えて、8。それらを引くと…正味の処、10回か(笑)。全然、変わってねぇジャン。
まぁ、閲覧者が多いのが良いサイトではないしね。ゲームと同じで、良くできたゲームと面白いゲームが別なように、良いサイトと面白いサイトは別だ。ここは、つまらない上に、作りも悪いという最悪ブリ。
読みやすくっていっても、文体は変えられない。背景に色とか画像付けるとかなんだろうけど、重い方が読みにくくない?。それとも、私のマシンが古いからかなぁ?。
FD(2002/7/18)
ファイル管理ツールではなくて、フロッピーディスクの方。ついこの間まで、主力メディアであったのだが、今では捜さなければ、見つけられないほどだ。DOS/V機用の一枚とか三枚とかならば、よく見かけるし、東芝のワープロ用なんかだとまだよく見かけるが、98用となると、全く見かけない。
フロッピーの寿命は、もう切れかけているのかなぁ…98用のソフト資産の為にも、50枚パックぐらいは買っておかないといけないかも知れないな…見つけることさえ困難だけれども。
生粋の生ディスクを購入して、フォーマットするのもなぁ…テープ、5インチ、3.5、HDD、サイクェスト、CD、CDR、いろいろ渡り歩いたなぁ…やっぱり、使い勝手が良いのはCD/Rだね。容量とコストから考えても一番優れている。かな?。MOには憧れたけど、価格とコストが高いからなぁ…
また、何年かの間に新しいメディアが誕生するのでしょうなぁ。DVDは申し訳ないが、今ひとつ寿命は短いと見た。でも、LDが意外と長持ちした事を考えると、10年は持つだろうか?。うーん、価格が安いと良いな(笑)。
オークション(2002/7/19)
ネットオークションでモメる原因の大多数は、傷に対する認識の差だ。コレは価値観の差でもあるので、いかんともし難い。
しかしもオークションは、基本的には中古市場で、完全美品を求める方に非があると思う。骨董屋の店頭ならば、程度の良いモノが選べるが、ネットでは出来ない。と言うかも知れないが、そうした危険を承知で参加しているはずである。
だから、私は機能すれば良い。と言う認識で参加している。美品が来たら、ラッキーだと考えるのだ。中古ショップで買って同程度ならば、充分だろう。美品が来て当たり前と、思うから落胆するのだ。
ゲーム関係のオークションに参加しているのだが、ゲームCDま読みとり面に傷があるだの、言ってクレームを付けて、返品をし、大抵その場合、ケンカになる。中古ショップで買っても、傷ぐらいあると思うのだが…ネットオークションはのみの市や、フリーマーケットだ。それを忘れてはいけないと思う。ギャンブルだとも思う。
コレクション用の美品を捜すのならば、子細にわたり質問するべきであろう。出品する側も、そうした認識の甘い人間や、狭量のマニアを避けるために一文を添えておくべきだ。ま、つまり、双方が自業自得と。
また、評価欄で、長々水掛け論をすべきではない。評価欄をみる第三者が冷静に判断できるように、へりくだりながらも、自分の主張を書いたら、あとは無視を決め込むべきだ。そもそも、価値観の差から生じる、見解の相違を埋めるには、年単位の付き合いが必要となる。どちらに非があるにしても、相手は感情的だ。もちろん、自分の認識が間違っている。世間の常識から外れていることを勉強する機会であることも忘れてはならない。次の出品から「私の傷に対する認識は甘いので、コレクターの方はご遠慮願います」と一文添えるべきだ。
2Chネラーとおぼしき出品者が、明らかに挑発するような評価をくだしているのも見たが、あれも良くない。つーか、どうして2Chネラーは、ドコでも喧嘩腰、つーか、ドコでも2chネラーなんだろうな。ちゃんと、TPOをわきまえて欲しい。2chのノリが通用する場所なのか、ノリで書いていい場所なのか。その位は判断して欲しいものだ。
2chの貢献度も認めるが、マナーやモラルの低下に一役買っているのも間違いない。まぁ、現実世界でも、マナーやモラルは消失しているのだから、匿名性の高いネットで、さらに低くなるのは仕方ないのだろうか?
被験体(2002/7/19)
一ヶ月ぐらい前の、日経新聞で、被験体の一般募集を一般から募集し、その窓口をネットでも行う。と言う記事があった。
被験体と書くと、人体実験のモルモットのようだが、新薬の臨床実験だったり、新しい医療技術のテストケースだったりする…まぁ、悪く言えばモルモットか…しかし、既存の治療法や薬では、快復が見込めない傷病を持った人たちもいる。そう言う人たちが、一縷の望みをかけて、挑戦する。
今までは、たぶん、入院患者や通院患者に事情を話し、そうした臨床実験を行ってきたのだろうけど、ようやく一般から公募と言う形になったわけだ。地方に住んでいる人間には、そうしたチャンスさえ巡ってこず、存在さえ知らなかったことを考えれば、僥倖だろう。医者の方でも、臨床実験に参加してくれる人を捜す手間が省け、その分研究が進む…のかな?。
患者の方は、実験段階で、症状が軽くなればラッキーだ。ぐらいの気持ちで挑んで欲しいし、医者の方も、自分の研究成果とか、名誉のため。は考えて欲しくないなと。思う次第。そう言ったところとは、ボランティアでリンクを張りたいモノだけどねぇ…
私も、腰痛のケースがあれば、応募したいモノだ。まぁ、その前に、MRIとかCTだかで、精密検査する方が先だろうけど…そう言えば、一昔前は、新薬の実験に参加するバイト。と言うのも流行ったが、無くなったのかなぁ…
片山虎之助(2002/7/21)
F1の虎之助でなくて、総務大臣なんだけど、やっぱり大臣になる政治家は、官僚の言いなりなんだなぁ…サンデープロジェクトで、住基ネットの論争をしていたのだけど、やはり、普段、先生、先生と言われて、反論されることがないため、オウムの如くただ同じ言葉を繰り返し、他人の発言中に張り込み、独り言のようなヤジを入れる。しかし、目は泳いでいた。そう考えると、田中真紀子もマシな部類にはいるんだろうか…。
住基ネットは、クローズ。独立している。と再三繰り返す片山大臣は、ナニも理解していない事がよく分かった。まぁ、おじいちゃんと呼ばれる年齢の人たちなので、コンピューターのことを理解させる方が難しいのかも知れない。
日本で数少ない本物のジャーナリスト桜井良子さんが、少し涙目になっていたが、たぶん、あまりの情けなさにあきれ果てていたのだろう。そんな波動が見て取れた。情報の一局管理は危険だという、桜井さんに、大臣は「住基ネットだけで、他のデータはない。分散している」と言うのだけど、国民全ての情報を一元化すること自体、情報の集中管理と言えよう。
それに、データ盗賊は、ネットからだけとは限らない。映画MIAでは無いが、ネットワークのプロテクトは厳重でも、担当部局の端末はお粗末なセキュリティーで、接続したまま、席を立ったりする人もいるだろう。そうした物理ハッカーも必ず出てくる。
また、ハッカー(正確にはクラッカーだが)被害についても「そんなことは、起こらないように努力する」と言った。危機管理が全くなっちゃいない。万が一、もし仮に、それが起こったらどうするか?。を考えるのが、危機管理であり、保険である。片山大臣の言い分は「私は交通事故は起こさないから」と言って保険に入らない様なものだ。
また、ファイアウォールと言うと万能のウォールと思われているが、それを破るからこそクラッカーと呼ばれているのである。ファイアウォールは、ドアに鍵をかけるようなものだ。だが、泥棒は鍵を開けて入ってくる。なんにも分かっちゃいない。
しかし、片山虎之助は討論が下手だ。ヤジ専門だったのだろうなぁ…ますます大臣はお飾りだと実感させられる。そら、官僚が大臣を見下すわけだ。
私は、ネットワーク化は、賛成だ。住民票の手続きなど、愛想の悪い、手際の悪い、市役所で並びたくは無いし、転出、転入もネットでポンと済ませたい。だが、住基ネットは、欠陥法だ。コレもまた、提起したことに意義がある類の法案だろう。日本は、スパイ天国と言われ、その地位を不動のモノにしている。それほど情報に関する関心が薄い。
私なんかは、住基ネット以前に、情報犯罪に対する刑法を設定し、殺人並みに厳罰化して欲しいと思う。あるのかな?。国家公務員の特定情報保守義務ぐらいかな?。ハッキリ言って、レンタルビデオの会員情報の売買なんかも、とっとと取り締まって欲しいものだ。あれも立派な情報犯罪だ。
高校野球(2002/7/23)
世の中は、予選だね。電車に乗っているのと、学生とおぼしき連中が、野球の話をしていた。
パッと見、異常に細くて科学部にいそうな感じだったので「ゲームの話かな」と思っていたら、どうやら、高校野球の予選だったようだ。だったら、応援?。と思ったら、野球部カバンを持っていたし、話の内容から、どうやら出場していたようである。
「○○(金で選手集める有名私立)のピッチャー、ひびっとるわ。牽制の時…」などと言っていたので、ああ、コイツら負けたんだなぁ…と直感しました。それ以前に、自分達との実力差も分かっていないか、あえて、愚痴ることで発散していたか、だな。
本当に、腕がゴボウの様に細い。身体も細いのだが、腕が細い。別にマッチョな太さを要求しているわけではないが、ちゃんと鍛えている選手ならば、細くとも、筋肉の筋が張っているものだ。がりがりのぶよぶよ…私の半分程度しかない腕。
話の内容から、どうやら二年生のようなのだが、あの筋肉の付き方だと、資質は低そうだなぁ…話の内容からも、向上心はかなり低そうで、「なぜ盗塁させなかったか」「他校は大したこと無い」「(同級生二人を上げて)どっちがマシか」論じている。来年頑張ろうな、とか。あのピッチャーを攻略するには、ナニが足りない。とか一切ナシ。
新聞見ると、7−1でした。当選、有名私立の勝ち。とは言え、選手時代は、ああやって、相手を下卑して精神の安定を保つもの。かくいう私もそうでした。あいつは腕力だけ。技術は無い。とか言うてました。イチローとか、そんなこと言わないし、考えもしないのだろうなぁ…凡俗と才のある人間の差ですかね。
政治倫理(2002/7/24)
田中真紀子の審査委員会での答弁を見て(聞いてではない)、田中真紀子の目に輝きが無く、勢いも、精気もない。半ば諦めに似た、澱んだ目をしている。
当人たちも、こんな答えじゃ、答えになってないし、誤魔化すことさえ無理だろうなぁ…と言う波動をありありと感じた。まぁ、答弁の内容は無意味だろうから、まじめに聞いても仕方がない。
しかし、記者会見をしている各党の党首の目にも、覇気がない。まぁ、あの人たちもスネに傷持つ。というか、今のウチに精算しておこう。とか、いろいろ考えている様な気がする。ヒロムちゃんだけは、覇気があったが、彼の場合「俺は対応策バッチリだもんね」と言う感じたろうか(笑)。
ある意味、危機管理が出来ていると言える。しかし、片山大臣と言い「自分だけは大丈夫」と考えている連中に、危機管理なんて出来るのだろうか…疑問だね。
有限会社地球防衛隊(2002/7/27)
こつこつとやっておる訳ですが、やはり、システムの悪さが残念でならない。こういう、使い勝手の悪さが気になるゲームというのは、じっくりとやり込みたくなるからこそ、気になるモノなのだ。
一回クリアすればそれでOKなゲームならば、我慢すれば済むのだけど、やり込みたいのに、使い勝手が悪いとなると、コレはやはり致命的。まぁ、SLGモードの方は、何とか身体が憶えたので、ミスは減ってきていますが、それでもまだ、進行方向のボタンを押すときがある。行動のキャンセルが、□ボタンと気がつくまで、随分とストレスを溜めたものだ。つーかマニュアル読め、俺。
やっぱり、イベント不足だわ…このゲーム。もっと小ネタ仕込んでくれれば、スンゲェ面白いゲームになったと思うのになぁアイドルコンサートやら、舞台やらイベントムービーがもっとあっても良いしなぁ…会社経営とアイドル営業、この二点は、譲れない。PS2でリメイクしないかねぇ?。声優はともかく、主題歌ぐらいはまともな歌唱力のある人、希望ですが。
まぁ、こつこつやります。気が向けば、攻略というか、ガイドライン書くかもしれません。SLGは内部データ見ないと、攻略できないしね。
補足:改めて、主題歌を聴くと、歌唱力は、上手いとは言えないけど、並みであることは事実。ごめんなさい、声優の皆さん。まぁ、二人で歌っているのですが、そのうち一人は、要努力ですが
曲と歌詞があってない。どちらが悪いかは、歌詞に曲を付けたのか、曲に歌詞を付けたのかによるけど。歌詞の方がやや字余りな感じがする。そのため、曲にあわせようと、やや早口にしたりして歌っているので、下手に聞こえるのかな?。歌詞の内容も、イマイチだし。言葉の選び方も悪いので、歌いにくかろうと思う(作詞の名前とプログラマーの名前が同じだったので、そう言うことらしい)。
曲は、格好いいのだけどね。私は好きです。ただ、ゲームのOPなのか、GEOのテーマソングなのか、割り切って欲しかったなぁ。特撮ヒーローノリで、水木一郎のアニキか、佐々木いさおさんとかの方が、キャッチーだったかも知れない。スローで切々と歌うのも格好いいかなぁ…。
以前から言っていますが、ゲームは100時間以上プレイして初めて、本当の面白さが分かる。と言う人も昔はいましたが…今もいるのかな?…そもそも、100時間プレイしたくなるゲームは、30分で面白さが分かるはずだ。
つまらない映画を100回見るのが拷問なように、つまらないゲームを100時間プレイするのも拷問。単なるマゾだし、繰り返しの効果によって、自己暗示(洗脳とも言う)をかけ、面白いと思いこんでいるだけだ。つーか、100時間もやらなくちゃ、面白さに気がつかないのならば、すでに演出として失敗している。
良くあることだが、昔はつまらない。と思っていたモノを今やると「あ、結構、面白いし、良くできてるじゃん?」と思うことがある。コレはどう言うことかというと、現状におけるゲームの出来が低下している事を示している。昔は「つまらない」レベルの出来だったものが、今のレベルと比較すると「面白い」と言うのは、ゲーム業界全体のレベル(偏差値でも良い)が下がっていると言うことだ。
自然も経済も同じで、ブームが起こると類似企業が氾濫し、淘汰されていく。今は、また第四(五?)期ゲーム会社乱立期なので、駄作が多いのも仕方ないのかも知れない。つーか、ユーザーは、もっと目を肥やせよ。
客観視(2002/7/28)
自己を客観的に観察できることは、実は美徳なのだと気がつかされた。私自身は、自己を客観視しすぎて、人格が遊離しかけたので、あまり良いことだとは思っていなかった。まぁ、何でも加減というモノが必要なので、それを逸脱しただけでしょうけど。
自己を客観視できると言うことは、感情の抑制に成功していると言うことで、感情を抑制できれば、事態を冷静に判断できる。感情的になって、感情論で物を言うことが無くなる。
また、自分を客観視できると言うことは、他者からの視点で物が見える。と言うことで、それは交渉ごとや、話術では重要だ。私は、話術は下手だし、交渉も下手だが(笑)。ただ他の人によると、折衝は上手いらしい。要するに相手の妥協ポイントを、ピンポイントでついてくるらしいのだ(笑)。
話がそれたが、事態を客観視し、他者から自分がどう見えているかを感じることは、良好な人間関係を築く上でとても重要だと感じた。私の場合、基本的に私の方が折れる形を取るが、条件面では、ほぼ対等を勝ち取る。ここら辺が、折衝が上手いと言われるゆえんだろうか。体面的なプライドは、ゴミだと思っているし、条件面を妥協しなければ、プライドは保てるとも思っている。取引先での評価は給料に響かない。と言っても良い。逆にやりやすいと思わせておけば、あとあと便利だ(笑)。
掲示板や、ヤフーオークションの評価欄での見苦しい水掛け論を見るに付けて、自分が第三者として見た際、どう映るか、自分がそれをされた際、どう感じるか。大抵、水掛け論をやっている人間は、どっちもどっちで、平気で他人を傷付けるクセに、自分が、かすり傷でも負えば、致命傷のように反応する。お互いにそうなので、水掛け論になるのだな。
落札決定から10日以上放置しておいて、催促のメールが届く前に入金したので、評価取り消せ。と言うのは、あまりに馬鹿げていると思う。落札決定から10日放置した時点でアウトだろう?。評価欄でやりとりしているのが、大学生と言うことで、日本の先行きが不安になる日々だ。「なぜかくも日本人は幼稚になったか」と言う本のタイトルを思い出す。内容は知らないけど。
評価(2002/7/28)
偏差値の中で生きてきたために、そうした評価に過敏になっているのだろうか?。ヤフーオークションで、評価の取り消しを求める輩が結構いるからだ。日本が減点式の評価体勢を取っているからと言うのもあるだろう。ナニもしないことが満点であり、ミスも多いが、結果を残すタイプの人間は評価が低くなる。
学校教育での偏差値教育は必要だと思う。屈辱もあるだろうが、それが闘争心と勝利を生む。評価体勢が云々の前に、減点式の評価を止めるべきだろう。
昨今もめている、新しい評価制度だが、理解度評価と、偏差値評価は並列すべきではないだろうか?。学校教育での必要なことは理解していますが、テストの成績はこのくらいですと。柔道の級位と、大会での成績が別個であるように、相撲で、役職(三役、横綱)と成績が別個であるように、学校教育で、必要なことは理解できていますが、点数を競った場合、このくらいの成績ですよ。と言うものだ。
柔道の級は、自動車学校のそれと似ている。小学生以下の入門者は10級だ。受け身が出来るようになると9級(白)になり、試合が出来るようになると8級(黄帯)となり、あとは随時、昇級試験で上を目指す。いわば教習所の第一段階試験であり、これからの学校の年度末試験だろう。
大会の成績とは別個の存在だ。そして、評価をする場合、級や段でなく、大会の成績を見る。それで良いのではないだろうか?。
ふと思い返せば、従来の成績表という物は、あくまで「クラス全員が採点限度の学習理解を済ませたあとでの相対評価」だったのではなかったか?。学習理解は全員完了した。さて実力を試してみよう。と言うのが学期末試験ではなかったのか。そう考えると、絶対評価は、教師の怠慢…か?。いや、保護者の甘やかしだろうな…トクにPTAなんかやる保護者に、ろくな親はいないからな。
フランカー(2002/7/29)
ウクライナで、Su−27が航空ショウの曲芸飛行中に墜落。と言う事件があって、パイロットの操縦ミスが、濃厚とされているが、墜落シーンを見る限り、左のエンジンから、不完全燃焼の様な薄い煙が出ていた。しかも、機体が左に傾いているので、左エンジンが停止して、上昇できなくなった。
と考えるべきだろう。もちろん、パイロットの操縦ミス、スロットル絞りすぎたとか、その可能性もなきにしもあらずだけど、整備不良、もしくは機体そのものの欠陥と言えるのではないだろうか。
曲芸飛行をするのは、大抵がトップパイロット。しかも、軍人である。操縦ミスをしたのならば、下に民間人がワンサといるのだから、何とか制御を試みるはずだ。あっさり諦めて、脱出しているいるところからも、機体の方に問題があったと考えるべきだろう。
まぁ、ウクライナ軍の忠誠度や練度、志気、あと民族性を知らないので、断定はしないけど。スラブ系の人は、結構、責任感が強いと思うのだけれど。どうなんでしょうね。
安全距離を保たず、観客を入れた軍部に問題があるし、いろいろと掘れば出てきそうだ。入場者や、ショーそのものに保険金がかけてあったりしてな(笑)。
大阪弁(2002/7/29)
いろいろとリンクをたどっていくウチ「ぽちソフト」と言うところへ、たどり着く。DSLの強みで、体験版をダウンロード。ちとやってみる。嘘臭い関西弁のダーク系精神葛藤傷なめ合いゲーム「世界の全て」だったかな。
関西弁が嘘クセェので、関東の会社だなぁ…と思っていたら、なんと住所が大阪ではないですか?。大阪離れて、はや二年。関西弁も、かわってしもたんやろか?。ATOK15で、関西弁変換可能ちゅうご時世や、ごまかそ、思うたら、なんぼでも出来るンやろけど。
ナニが嘘かって言うと、作中に「いい本あるよ」と言う台詞。前後の関西弁残留度からしたら「ええ本あるよ」だと思う。こういう細かい処で、程度や語尾が統一されていないことから、ネイティブもしくは、それに準ずる人ではないのだろう。
シナリオ・脚本が岐阜とか、広島とかと見た。それっぽいけど、微妙に違うんやわ。岐阜かな。大学時代、岐阜出身者がいたが、とうとう4年たっても、おかしなアクセントの関西弁は治らなかったし。
まぁ、声優さんは頑張って、擬似関西弁イントネーションを使っているが、こだわりすぎて、逆に変。余程田舎イカンと、明石家さんま見たいに濃く残ってない。ちなみに「さんま」は奈良人で、厳密な関西弁ではない。みんな、標準語に結構近いアクセントやで、ホンマ。
河内の方言って、ネイティブのおっちゃんとかと、全然理解でけへんけどな。
まぁ、単純に、関西弁や方言を書き文字にするのは、とても難しいので、ついつい、標準語が混じってしまった。だけかもしれない。方言がなかなか抜けないのと同様、手紙や書き文字で、方言を書こうとしても、ついつい標準語(書き言葉)になってしまうものだし。
あ、ゲーム本編の方は、あーゆー精神葛藤不幸体験談みたいなのは、自己体験で持っているので、古傷えぐられるようでイヤだ。兄との比較、成績を残しても、だれも褒めてくれない。まわりを偽り、自分すらも偽り、なんか気に入られようと、いい子を演じ続ける。
恋人や、心をさらけ出せる親友、理解しようとしてくれる教師、そんなのが存在するのは奇跡だ。だから逆に鼻につく。シナリオライターも、経験があって、それを乗り越えたのなら、良いのだけど。このシナリオライター。私と同族の匂いはする。文章表現もやや似通った発送をしているしね。
ただ、体験してないから、ゲームとして、ストーリーとして面白い。と思う人がいるのだろうなぁ…辛いぞ?。戦争映画もそうなのかな。従軍経験のある人たちには、ディズニーのパールハーバーとか、どう映ったんだろう?。
しかし、こういう人間関係だけを切々と描く。と言うのが、やや流行っているようだけど、それをゲームに求めなきゃならないほど、人間関係は稀薄なんだろうか。それとも、ただ好奇心を満たすために、他人の不幸をのぞき見たかっただけなんだろうか?。
まぁ、世界の全ても、最後に愛は勝つ。見たいなノリに持っていくのだろうな。暴行被害、性的虐待…人は愛さえ有れば、どんな不幸も乗り越えられるとか。そんなノリ?。でも、それってテーマとか主題なのかな?。作品を通して、伝えたいことなのかな?。私にはどうしても、「こんな不幸な人間作りました、見て下さいよ」と言う波動しか伝わってこないのだが。
宮崎駿アニメが大流行する裏側には、テーマや主題を求めない。そんなの見たくない。と言うのが、世間の風潮なのかなぁ…
みりん干し(2002/7/30)
私に一番あっている魚料理は、みりん干しのようだ。骨を気にせずバリバリ行けるし、大抵、イワシサイズの小魚がメインなので、オーブントースターでも十分焼ける。その気になれば、焙らなくても喰える。
そう言えば、野宿中は、よくみりん干しを買ったものだ。食べなければ、土産になるし、干物なので保存が利く。味付けもしっかりしているので、酒の肴、メインディッシュと、重宝したものだ。漁村に行くと、大抵どこかで干物を売っていて、その中にみりん干しは必ずある。
イワシが定番だけれど、キスとかフグとか白身っぽい魚で作ると、琥珀色でとても美しい。食べても美味しい。時折、妙な魚のみりん干しもあるが、魚に詳しくないので、忘れてしまった(笑)。
でも一番は刺身だね。ワサビが食えるから(笑)。夕食にイワシのみりん干しを食して、そう思った。
ファースティング(2002/7/31)
医学的な監視の元に行う絶食らしい。詰まるところ、禅や仏教で古くから行っている断食修行だ。元々、懐石料理も、空腹を凌ぐために、暖めた石を腹に乗せる。と言うことから始まっている。
私は、図らずも断食修行と言うか、ただの絶食なんだけどやったことがある。三日から五日の間に、素麺一束のみ。一日目は、空腹でストレスが貯まるが、徐々に身体の方が適応し、逆に体調や感覚器官が鋭くなる。なれてくると、問題なく過ごせるから不思議だ。人間、一週間くらいは、水だけで余裕で過ごせるようだ。だが、カロリーがないと身体が動かないので、仕事をしながらと言うのは無理だろうな。
食事らしい食事をしない高僧が、長生きをするのも、ソコに秘密があるようだ。人間も動物なので、空腹気味の方が生存本能(獲物を捕らなければならない)との意識が働き、気力が充実する。と言う説もある。
世界のどの宗教でも、断食は推奨しており、コレをしない宗教は無いほどだ。しかし、それらは長年の成果で、安全な方法として確立しており(懐石料理とか)、生半可な知識でやると死を招くので、注意されたい。
ともあれ、毎度思うことだが、キャスターの小倉某は、アホだ。ムカツクほどのアホだ。「俺は空腹の方がストレス貯まるし、絶食でストレスが抜けるなら、200日も絶食すればいい」とか言ってた。ガキか?。そう言う固定観念から離脱するから、断食によってストレス(と言うか、ある種の苦悩)から解放されるのである。
食という固定観念から離脱することで、他の固定観念や価値観を崩すきっかけにしているのだ。キャスターの小倉は、餓鬼道にでも堕ちちまえ。
まぁ、あの手の自分は頭良い。と勘違いしているタイプは、手に負えないからなぁ…あらゆる事件に対する各種コメントもバカ丸出しだし、みのと同じで、主婦層に人気があるらしいけど…ドコがいいんだか…ああいうタイプが、一番新興宗教にはまるタイプだ。
しかしまぁ、昔から伝統的にやっている事が、実は理にかなったことと判明されるケースが増えてきている。第二次ルネッサンスなんだろうか?。赤ん坊のおむつを替えるときに、母親が「おむつ替えましょうねぇ〜」とか言いながら替えるのも、赤ん坊が言葉を覚える事に重要な意味があるらしい。テレビだけでは、映像に気を取られ、言葉や音声には無反応になるらしい。
侮りがたし、古代の知恵。