八月の夢酔

「でも君は、私以上に男らしい」
「それがいい女ってものよ」

−平賀=キートン・太一とアンナ・フサーク=プラマーの会話(MASTERキートン/小学館)


ヘヴィだ(2002/8/2)
縁とは不思議なもので、不可思議だ。どういった縁かは、分からないが、PTSD.infoと言うサイトにたどり着く。有り体に言うならば、生の「マッドウーマンの告白」だ。

どう言ったところで、どういう経歴の人なのか、ぜひ訪問していただきたい。特に、精神疾病に偏見のある人(「あんなモノは、心の弱い人間の逃避先」だとか言う人)や、肩書きだけの精神科医やカウンセラーはぜひご一読願いたい。

犯罪被害歴もあげられているのだが、少々失礼な言い方をすると、ややセルフディフェンスに欠ける気がする…デートレイプ(顔見知り/知人からのレイプ)を何度か受けている辺り、簡単に人を信用しすぎるのではないかと思うのだが…しっかりと、ホームディフェンスはして欲しいと思う。柘植氏の本とか、送ってあげようかとか考えてしまう。

と同時に、犯罪者への怒りがわき上がる。加害者の人権を叫ぶ、阿呆な自称人権擁護家や弁護士に読ませてやりたい。

確かに、犯罪者は弱者である。それは、克己心ない精神的弱者であると言うことで、犯罪者こそ心の弱い人間だ。だからといって、保護する必要なんて微塵もない。心の弱さから、他人を傷付け、情けを情けとも思わず、恨みで返す。そんな連中だ。

PTSD.infoに書いてあるのだが「心の強い、何でも自分で解決しようとする」人間ほど、患う。確かにそうだ。精神的弱者は、理由を自分に求めない。強いからこそ、世界に、現実に自分を合わせようと、自分自身を歪めるからだろう。自分を壊してまで、自分を世界にはめ込もうとしているのだ。

PTSD自己診断も出来るので、興味のある人はぜひ。ただ、冷やかしとかは、勘弁して欲しい。まぁ、あの状況で冷やかせる人間は、何らかの心の病にあると言っても良いだろうけど。

とにかくこの女性、とても強く、繊細で、勇敢な女性だ。犯罪や社会や偏見に負けることなく、戦って、闘い抜いている。ちゃんと会社に勤め、社会生活を送っている。いい女とは、こういう人を言うのだろう。

自分の被害歴を公開するなんて、とてもじゃないが出来ない。特に女性ならば、レイプされた。なんて死んでも言えないだろう。あえて、それをしているのは、負けたくないからだと思う。

一人で悩んでいる人、大切な人が苦しんでいる人、あなたは一人じゃない。私でも良いし、PTSD.infoにいって、悩みを吐露して欲しい。それだけで心は軽くなる。

私は、医者にもかかったことのないごく軽度の人間なので、大したことは言えない。私が解放されたのは、このことを認識し、納得し、受け入れることが出来たからだ。『私は、私自身で居ても良いんだ』と。

反面、自己防衛、セルフディフェンスはしっかりと考慮して貰いたい。女性の一人旅などは、敵の陣地へ忍び込む兵士のつもりで居て欲しい。劣悪なテレビ番組が、海外旅行の一人旅を進めた結果、被害者を増大させている。インドへ一人旅をした女性は、例外なくレイプ被害にあっていると聞く。海外では、いや日本でも、友人だからと言って、気を許すべきではない。

女性は男性に比べて守るモノが多い…とは言え、男性もマッチョゲイに襲われる危険性がないわけではないのですが。


私の場合(2002/8/2)
PTSD.infoの自己診断を試した結果、軽度のPTSDだった(過去形)し、軽度のトラウマ、軽度のバニック障害も内在しているらしい。

だった。と言う過去形なのは、最悪の事態だったときの状態で判断したため。大学進学で、親元から離れたこと、『自分自身で居ていい』と気づいたことで、ほぼ克服しております。完治ではないけど。

ふと、私のトラウマや、PTSDのもとは何だろう。と考えたとき、親のしつけ。だと思う。肉体的な加虐は一切ないが、精神的には、かなり参っていた。なにしろ「失敗してもいいからやってみなさい」ではなく「成功しないなら、するな。手を出すな」と育てられた。そのため、エリートを気取り、優秀なフリをして、自分自身を偽り続けた結果、自己のギャップが大きくなりすぎ、まるで他人を見ているかのように、自分を見ていた。

上空から自分を観察している自分に気が付く。そうすると、観察している自分を観察している自分に気が付き、どんどん増えていきそうになる。あのまま、それぞれが別の名前を名乗り、人格を持っていたら、多重人格になっていたのではないかと思うほどだ。

PTSD.infoによると「ガラス越しに自分を見ている感覚」とか「自分の手が自分のモノじゃない」とかいう感覚は、PTSDの世界観としては、典型例らしい。あと、感情の消失や起伏が平坦になることも。

冷静とか、プラス方向でいわれていたけど、何のことはない、ただの感情の起伏が消えていた子供だったんだ。今もやるけど、尖った鉛筆や、シャーペンの芯を額に押し当てたり、腕に刺したりする。コレも軽い自傷行為なのだろうか。痛みを心地よく感じる時もあるので、そっちの気が…と言う心配はしたけど。

テレビや雑誌で、自分の犯した失敗を喚起するトリガーがあると、それらを思い出し、失敗し恥をかいたと言うトリガーによって、幼稚園時代の失敗まで、記憶がよみがえるのはフラッシュバックなんだろうか…「失敗は許さない」と言うプレッシャーに対するトラウマなのかも知れないな。

他の要員としては、阪神淡路大震災とか安芸灘の体験(直撃ではないけど)とか、小学生の時、交通事故の即死体を見たとか…ホモに襲われたとか(撃退したが)…

パニック障害というより、軽度の引きこもりではあるので、一週間ぐらい部屋から出てないしなぁ…かと言って、屋外に出れないワケじゃないし、一人で野宿ツーリングとかやっちゃってるし、単なる出不精で、それを許容される生活を送っているという事かな?。


揺り戻し(2002/8/3)
ヤバ目です。

私はただ単に時間経過で、封じ込めていただけらしく、PTSD.infoがきっかけで、当時の思考パターンに戻りつつあります。PTSD.infoに付いて、考察しているウチに、波動に取り込まれた模様。コレがあるから、カウンセラーとか断念したんだよなぁ…くそ、この共感力をもう少しコントロール出来ていれば…

と、全て自己責任と考えるのは、危険なので止めよう。

と言うわけで、万人には勧めません。危険因子を内在している人や、時間によって流してしまった人、なんかは、当時の思考パターンがよみがえり、再発の危険があります。私が今、その状態です。

こうやって、自己分析をすることで、かえって客観視が過ぎてしまい、離人症つーか、自分を他人事の様に分析してしまいそうです。つーか、やっちゃってるんだけど…安静にしているのに、心拍数異常とか、頭痛とか、精神疾病は自覚していたが、神経症までか?。いや、コレは思い込みツーか、同化現象だろう…

自己認識がある分、復旧は速い…とは思うんだけど…考察したことを書きたいのだけど…Downward Spiralに入りそうなので、ちと勘弁…


有り難きこと(2002/8/5)
こんな私でも、もしかしたら神様がいるんじゃないかなぁ…と思う瞬間がある。タイトロープ、エッジギリギリのところで、もうダメかも…と思ったときに、必ず、電話やメールが届く。

当人たちにしてみれば、至極当たり前に用事や、単なるタイミングなのだろうけど、私にしてみれば、地獄で見つけた一筋の蜘蛛の糸なのだ。特に電話の方は、幼稚園時代からの腐れ縁で、実にタイミング良く、電話をくれる。当人には、そんな気は一切無いだろうけど。私も、小難しい話はしない様にしている。

私が、壊れずにすんでいるのは、こうした人たちのおかげだ。神に感謝してもいい。だが、反面、私を常に追い込んでいるのが実母であると言う点からも、神を憎むべきだろうな。全く、神様ってヤツは、ナニがしたいのやら。こんな気まぐれな存在に、祈りを捧げ、全面的に心酔する奴らの気が知れぬ。

未だに、安静にしていても、心拍数が高くなるときもあるし、無意味にアドレナリンがでるのも分かる。腹が減ったら、こんな精神状態なのに、腹が減るなんて、なんて卑しい人間なんだ。とか、極端に親の会話がウゼェ、ウルセェ(ま、実際、「暑い、暑い」と私以上にいかれたように大声で叫ぶのですが…で、父に八つ当たり)、口を開きたくもないと思っちゃうとか…

ナニが一番危険かというと、それらを冷静に分析できているのが、一番危険なんです。なるべく、主観を交えるようにしているのだけど…適当な距離なら、自己を冷静に見つめる。と言うプラス方向なんだろうけど、他人事の様に分析しちゃうとなぁ…

もしかしたら、当時の(離人症気味の)思考パターンに戻るのでは…と言う恐怖心から、パニック障害の第一段階である、心拍以上とか、出ちゃったみたい。典型的な強迫観念?。

それでも、峠は越したと思うので、随分と軽くなってます。感謝、感謝。多謝。


ダウナー(2002/8/6)
犯罪被害者は、多いわけではないが、少ないわけでもない。にも、かかわらず、被害に遭われている方は、幼少時から断続的に、被害に遭っている。変質者に連れ込まれたり、拉致されそうになったり、変質的な肉親・縁者に襲われたり、いじめにあっていたりしている。

なぜだろう。と考えると、一つの仮定として、たどり着いたのは「外面的な弱さと、内面的な強さを持っている」からではないだろうか。外面的、つまり肉体的には、脆弱にみえ、反撃される危険性がない。反面、内面が強く、独立心に富むため、被害を誰かに相談しないだろう。

犯罪者は、そう考えるのではないだろうか。サメが血の匂いをかぎ分けるように、犯罪者は、そうした外面と内面の強さがアンパランスな人をかぎ分けているのではないか?。

いじめもそうだ。反撃されないコトが前提にあり、被害を家族や親に言えない人間が被害に遭う。

大抵の人は「やられたら、やり返せばいい」と、しれっと言う。だが、それは「カナズチの人間に、水に入れば泳げる」と言うのと等しい。出来ないから、苦しむのだ。

また、大抵の場合、自分に責任を求め、全てを自己責任として背負い込むタイプが多い。「自分が悪いから、いじめられる。犯罪被害に遭う…」と自分を追い詰めていく。最終的には「自分がいなくなれば、良いんだ。」と言うところにまで行ってしまう。

そんな風に考え、自分を追い詰めている人に「お前が悪いから、いじめられる」と言うのは「お前が存在するから、悪いんだ」と同義に取られてしまうコトは、憶えておいて欲しい。

加えて、神経症になる人を、世間の人は、なぜか「心の弱い人間」と評する。それは、嘘だ。
彼/彼女らは、とてつもなく強い。理不尽な暴力や、犯罪に傷付けられても、それでも負けずに戦っている人が、弱いわけがない。

逆に、心が弱いのは、犯罪者だ。克己心の欠片も持たず、他人を傷付けることで、自己の安定(精神・経済を問わず)を計っている人間の方が、心が弱い。真に病院で、隔離すべきは犯罪者だし、いじめを行う人間たちだ。奴らには、心が欠けているコトを認識し、自分達が歪んでいることを知るべきだ。

よく言われるのだが、犯罪者に人権があるなら、被害者の人権はどうなる。それに、いわゆる人権運動家たちは、答えてくれない。被害者の声を聞いたことがあるのだろうか。被害者の苦しみを、分かろうとしたことがあるのだろうか。自身が、犯罪被害に遭いながらも、犯人の人権を庇護する運動しているというなら、宗教家にでもなってくれ。

私は、重大犯罪を犯した時点で、奴らは自ら、基本的人権を放棄したのだ。と考える。自らの人権を放棄せず、他者の人権を犯すなど、そんな虫の良い話があってたまるものか。殺人・拉致・誘拐・監禁・籠城・暴行・放火、特にこれらの犯罪を、犯した者には、人権なんて必要ない。最初に、刑法を考えた奴らは、犯罪組織とつながりがあったんじゃないかとさえ、考える。

人には、善意が潜んでいる。だけど、人は悪意に浸かって生きている。樽一杯の善意も、たった一滴の悪意で汚染されるのだ。

説法でも、映画でも、ドラマでも、悪人の一度の善行を称え、善人の一度の悪行を厳しく断罪する。これも、過ちだ。どちらも、魔が差したに過ぎず、気の迷いだ。それでも、善人は断罪され、悪人は同情をえる。間違っているだろう?。


報復の連鎖(2002/8/8)
8/6は、広島の原爆記念日だったので、8/7の新聞は「報復の連鎖を断ち切り、和解を」と言う見出しで一杯だ。アメリカの同時多発テロに対する報復を止めろ。と言うことらしい。

ふと、感じ入ったことがある。いじめに対しては「やられたら、やり返せ」と言うのが、一般認識ではないのか?。個人の集合体の最大規模である国家同士のケンカとなると、一転して「殴り返しちゃダメ」って、言うのは筋が通らない気がするのだけど?。

大統領も、一人の人間である。そのため、やられたら、やり返す。と言う価値観を持っていたなら、相手が個人であろうが、国家であろうが、基本姿勢は変わらないはずだ。

正面切って行う戦争が、ケンカならば、テロは、まさにいじめそのものである。「お前の存在が気に入らない」と言う理不尽な理由でいじめられるのと同様、「お前がアメリカ人だからだ」といって、テロの標的にされることに、違いがあるのだろうか?。

それとも、一般の人は、国家と個人では違う。と、割り切れるのだろうか。

しかし、テロによって国民と言う家族を傷付けられ、国土という家をアラされたとき、家長である国家元首が紛糾しないならば、それは、国家元首として、人として、間違っているのではないだろうか。

平時に人を殺せば、殺人。戦争で殺せば英雄。と言う道理もあるが、テロは平時に引き起こされるモノだ。ゲリラ戦はまだ戦争、もしくは内紛状態にある。テロは、宣戦布告もナニもない。闇討ちや、辻強盗に等しいものだ。

強盗とナニを和解しろと言うのだろうか。いじめが、和解で終了したためしがあるだろうか?。


納得いかねぇ(2002/8/9)
長崎の原爆記念日なのだけど、広島で中継したのは、NHKのみ。本当に、平和活動と言うのならば、ちゃんと中継するのが筋なのではないだろうか。結局、ニュースでやっただけ。ちゃんと、現地へ行って取材をするのが筋だろう。協議会を持つとか、個別にやるより、協力した方が良いに決まっている。

ホントに、平和活動する気があるのか?。それとも。やはり観光PRで、ライバルに取られたくないからか?。知名度アップキャンペーンでしかないのか?。そう言えば、長崎、広島で、相互勉強会って話も聞かないな…やってるのかな?

納得いかねぇ、その2
両親を自爆テロで失ったイスラエルの子とイスラエルの攻撃で家族を失ったバレスチナの子や、その他戦災に近い子たちを日本にホームステイさせる。と言う企画がNGOかなんかでやっていて、パレスチナとイスラエルの子が同じ家にホームステイすることにしていたが、結局馴染めず、別の家に。

そらそうだろう。どちらにしても両親の敵の国の子だ。いろいろと心の整理は付かないだろう。つーか、無神経すぎ。かと思えば、国別に平和の絵を描かせていたりと、てんでバラバラ。絵を描くというきっかけがあるのだから、国を問わず、みんなで書かせるべきだった。そこをきっかけに、交流が出来たはずだ。気配りは、日本人の得意技だった時代は、過去のモノなんだろうか。たぶん、あとで展示しやすいからだろう。結局、大人の思惑に振り回されているののかな?。

まぁ、そんな企画に参加しただけでも、凄い勇気だと思う。大人の方が「子供同士だから、すぐに仲良くなる」なんて、甘い考えなのが問題だ。子供同士、くったくなくつきあえるのも事実だけど、大人なら割り切れる問題も、子供には割り切れないことも多い。何を感じ取ってくれただろうか。それだけが気がかりだ。

日本人が、あっさりと受け入れられるからと言って、他の国がそうだとは考えないで欲しいなぁ…日本は、大戦終了直後、アメリカ兵に笑顔向けられるほど、お人好しだからね。よく言えば大らか、悪く言えば節操なし。憎しみという感情を捨ててしまったかの様な民族だからね。


出会い系(2002/8/10)
なぁーんで、一般大衆は、出会いとか、触れあいとかに異常な執着しますかね?。

ま、それはともかく「出会い系」と言う言葉を作った人は、流行語大賞を貰っても良いのではないかとおもう。テレクラが、風俗臭さが染みついてしまったので、その代替品だったのだろうけど。まぁ、テレフォンクラブも、出来た当初は、風俗臭は薄かったのだろうねぇ…

出会い系サイトっても、要はネットでやるテレクラなんだと思うのだけど、両方ともやったこと無いので知らん。

ふと、ネットが普及した原因というのも、出会い系サイトの台頭があるのではないだろうか。実は、アダルトソフト(パソコンだけでなく、映像機器でも)の発売数が、主流機を決めるという話しもある。

ビデオデッキのベータとVHSの闘争も、VHSにアダルトビデオの発売数が多かったからだし、LD、VHDが伸び悩んだのに、DVDが、これほど普及したのも、アダルトソフトが充実しているからだ。と考えて間違いない。パソコンも、NECの98が席巻したのも、アダルトソフトが豊富だったからだろう。タウンズや68000には、ほとんど無いはずだ。まぁ、一般ソフトもほとんど無いのだけど。

デジタルカメラや、その直前に流行したポラロイドカメラも、現像せずにエロ写真や映像が撮れることに気が付いたから。と言うのもあったなぁ。出たての頃、今まで全く興味がなかったのに、デジタルカメラのコトを聞いてきた奴がいて「何に使うの?」って聞いたら「撮影プレイ」って言い切ったからなぁ(笑)。

不況も何もないのが、アダルト産業だし、有史から盗賊と娼婦のいない時代はないとされる。面と向かっては、言いにくいけど、経済の何割かを負担しているのは、アダルト産業だ。家電メーカーも、大手のアダルトメーカーと提携したらどうですかね。裏で(笑)。


政局(2002/8/12)
劇場型政治の結末はあっけないね。惜しまれることもなく、まぁ、一部で惜しまれてるけど、辞職。田中真紀子。

この辞職はどうなんだろうねぇ…加藤紘一に「討ち死にしろ」と言ったことだけは、守った感があるけど…どっちかって言うと、疑惑追及を逃れるため。って感じがするし、私的には、いま討ち死にすることは、単なるバンザイ突撃で、犬死になのではないか。と思う。

今は、生き恥をさらしてでも、堪え忍ぶときだったのではないか。と言う気がする。ちょっと売れた女性アイドルが「疲れた」と言って休養宣言したら、もう戻る場所が無かった。と言う事態が目に見えているな。

だって、劇場型だもん。新しいヒロインは、掃いて捨てるほどいる。物事の流れを掴めない。どころか、読めもしない人間に、どだい政治家が務まるわけもない。再起したとき、何人が歓迎してくれるかな?。見物だ。

今の角栄型の政治を払拭するためには、現状の議員、秘書、提携企業、全てを葬らないと無理だろうな。政治の勉強のために、秘書をしているのじゃなくて、政治家の勉強のために、秘書をして技術を学んでいるのだろうから。上申書の前に、お伺い書、根回し、金の集め方。それを学ぶために、秘書をしているのだろうし。

長野県知事選も先が見えた。石原慎太郎のブレーン。と売り込んだ経営コンサルタントは、落選確定。あの無意味な自信と、嫌らしい笑みは、どこから来るのだろう。女性弁護士もダメ。「脱ダムは、世界的なスタンダード。それを自分の手柄のように言うのは独善」と言ったが、ならばなぜ、誰も公的な場で宣言しないのか。そもそも、「ウチはこれから参加させて貰いますよ」と言う宣言で、独善ではない。つーか、弁護士としての技量も疑問に思ってしまう。

産経新聞の人と、一騎打ちかなぁ…でも「議会や市町村長との対話がない」と言ったが、県民と言う土台の上に、各長は成り立っているので、各長と対話がない。と言うのは…典型的な上からの政治ってヤツ?。それがイヤで、田中康夫に投票したのだろうから、先は見えた感じ。田中康夫が大差で勝たなきゃ、ダメだろうね。僅差だったり、負けたりしたら、共産主義を懐かしむロシアのような、ダメな県民って、レッテル張られちゃうよ?、長野県。

あと、みんな言うけど、知事の信任を問う。のならば、田中康夫が再選したら、県議会は自主解散するんだろうな?。


樹海で発見(2002/8/13)
名古屋で失踪した女性が、樹海で発見…拉致・監禁だろうなぁ…11日間と言う行方不明期間を考えると、自殺のための失踪とは絶対に考えられない。

記憶がない。とも言っているらしいので、拉致され、乱暴されたあと投げ捨てられ、突発的に自殺しようとしたにもかかわらず、死にきれなかった。それならばと、記憶を封鎖しているんだろう。単に言いたくないだけも知れないけど。しかし、刃物類は持っていなかったようだから、監禁先で死のうとしているのを見て、犯人が怖くなって放置したのかも…

どっちにしても、思い出さない方が良いような気もするけど、犯人を逮捕とないと真の心の安静を得られないだろうし。警察の方も、慎重に事情聴取して欲しいと思います。突発的な拉致なのか、それとも、顔見知りによる拉致(デートレイプ)なのか、友達に売られたのか…

駅近くで、強引に拉致されたのなら、目撃者がいるだろうから、大学の同級生とか、食事(コンパ?)の行きか帰りに…ってトコかなぁ…さながら、エロマンガやエロ小説の様な、友達に呼ばれて、待ち合わせ場所に行ったら、野郎の集団が待ちかまえていて…って、ホントにあるらしいから…実際の被害者もいるし…

拉致・監禁・暴行は、殺人罪と同じ重さにしないとダメだよ…やっぱり。


真剣重大チョベリバ(2002/8/14)
NHKの十代討論番組で、他局も真似ているのだが、この手の番組にありがちな現象に陥っており、先は短いだろうな。ただ、NHKだから、だらだらとつづくかも知れないけど。派手さを求めるあまり、人材が低レベル化している。

チラリと見たとき「義務教育は必要か」と言う議論をしていたが、義務教育を取り間違えている。義務教育はいわゆる、、読み書きそろばんの修得であり、発展途上国が伸び悩んでいるのも、インテリとの格差があり、人材が足りないからだ。義務教育がないと、江戸期にまでもどる。つっても、江戸時代でも、寺子屋のおかげで、識字率はかなり高かったらしいけど。

高校生社長が「学校(義務教育)で、学んだことは、社会ではまったく役に立たない」と言っていたが、読み書き、そろばんが出来ないで、起業なんてできやしない。こんな事も分からないのならば、日本の未来は、暗いね。

さらにこの高校生社長「学校では、嘘はいけない。と習うが、実社会、特に営業は、嘘を付くのが仕事」と言った。バカだ。

嘘はいけない。と教えなかったら、どんな社会になるというか?。うそも方便と言う言葉通り、嘘は必要だ。だが、嘘を付くのは悪いことと。でも、必要悪として良心を痛めながら、なるべく嘘を付かないように。と言う訓戒だ。

彼は、学生アルバイト仲介をしているらしいが、契約を取るときに約束した、作業効率をこなす能力をもった人材を送れるかどうかは、微妙だろうが、人材を送り出すことはするハズだ。

嘘を是認するならば、仲介料だけをとり、人材は派遣せず、お宅の会社なんて知らないし、契約したこともない。なんて言うのがオチだ。しかるべき所へ訴えても「騙されるお前が悪い」と言われるような社会だ。社会として、国として、成立しない。

そもそも、嘘を付くな。と言うのは「誠実たれ」と言う意味であり、嘘、すなわち不誠実を繰り返した企業がどうなるか、雪印と、日本ハム、それと大銀行が身を以て示してくれている。

トミノ監督が言っていたが「思考停止した日本人が多すぎる」を実感する次第だ。考えているようで、考えていないのだ。情報の判断が、分析が出来ていない。これじゃ、リーダー不在なワケだ。


続報(2002/8/14)
樹海での事件の続報を見ていると「手首の傷は、犯人が、偽装のために付けたものではないか」と言っていた。確かにそうだ。第一発見者が、気が付かないほど、手首の傷は薄かったようだし。首の傷も思ったより、深くないようだし。

「手首と首に傷をつけ、樹海に放置すれば、誰もが自殺者と思う」とも言っていた。確かにそうだ。ただ、公開捜査に踏み切ったから、犯人が解放した。と言うのは、どうだろうか?。拉致後、目的を果たして、飽きたら捨てると思う。その期間は長くとも一週間だろう。

ずっと監禁しておくつもりならば、ストーカー行為か何かをしているか、幼女にはしる歪んだ性癖のハズだ。大人の女性を狙っている時点で、そうした精神的なつながりは無いはず。と私は考えている。

なんにしても、シャレにならないぐらいタチの悪い犯人だ。やっぱ、拉致監禁は死刑にしようよ。残虐?、当たり前だ。罰が、異常で、残虐で、惨たらしいものでなかったら、抑止力にならないじゃないか。

私の推理もダメだね。歳だからね…エンパシー能力も廃れるってモンでさ…なまじ感覚だけに頼っていたため、ヒゲを切られたネコになっているのかも知れないな。

と思ったら、四日前にも、それらしき人を見かけたという情報が…果物ナイフも発見したとか…刃物の傷は、精神的ショックから、発作的に死を選んだのかも知れないなぁ…慎重に、傷をえぐらないように、頼みますよ、警察。

心の傷は塞げても、癒えることはない。と言うのは身を以て体験したから。


住基ネット(2002/8/16)
うちにも、番号が届きました。家族分まとめて、一通で。

ダメじゃん。

一通盗られたら、家族分まとめて盗られるってコトだし、「個人」情報なんだから、個人ごとに発送しないとダメじゃん?。家族にも、知られたらダメじゃんよ。

情報の保守に対する認識が全くなってない。この分で行くと、ホントに端末機の保全はなって無さそうだ。接続したまま、席を立ったり、操作履歴が残らないシステムなんだろうなぁ…ハァ…虎之助…これで本当に、情報の保全が出来るのか?。たわけがッ。

過去に、役所の職員が、漏洩した事例はごまんとある。何度も言うが、不測の事態、万が一の事態に備えるのが、危機管理だ。そんな可能性を考えていたら、キリがない。なんて考えたヤツは(指定文字削除)だ。

住基ネットの端末室には、隠しカメラ数台と、入室時の身元確認と、入室、退室履歴、端末そのものにも、パスワードロックと、操作者のIDを少なくとも一ヶ月は残し、詳細な操作履歴も残しておくべきだ。スパイ天国ジャパン…このレッテルは剥げそうにない。


言うほど…(2002/8/18)
つらつらと、ネットサーフをしておると、久々に、まともにレビューつーか、評価を下しているサイトに行き着く。ご自身「密かに作家への夢は諦めてない」と言っておられて、評価の基準や「プロが同人以下の商品つくんなや」。と言う価値観は、共感。

ただ、私の感想として「言うほど、シナリオに拘ってないじゃん」って感じです。ゲームの背景事情を気にしすぎてる。そのゲームが、何に対抗しようが、何を意識しようが、そんなことは関係なく、目の前にあるモノを、単品で評価すべきだ。会社の経営状態や、予算がいくら。なんて関係ない。作品として世に出たのだから、それだけを見るべきだ。

そもそも、この作品はアレに似ている。とか言い始めたら、創作業界は成り立たないし、あの作品と比べて、では批評とは言えない。私もやっちゃうけど。デュマ曰わく「アイディアは君のモノだ。だが、私が書いた方が面白い」

だから、正しい批評でなくて、まともに評価をしているサイト。と言ったわけ。ま、点数で評しようと言う時点で違うかな。とは思ったんだけどね。比較評価なんて無意味だからね。

それに、ストーリーと言うより、「言葉」に固執している感じ。プロットが巧みならば、少々の駄文は許されるわけだし、巧みな文章でも、内容がなければ読みにくい。私は、きれいな文章と、良い文章は別だと思ってます。兼ね備えているに、こしたことはないけれど。なんか、綺麗な文に、こだわり過ぎかな。って気がしてます。

当人は「バッド・ハッピーエンド」に、こだわっているらしく…バッドハッピーって言うのは、80年代の「ボディスナッチャー」や「遊星からの物体X」のエンディングみたいなモノらしい。けど、これもこだわるようなお題目か?。私に言わせれば、余韻を堪能できるエンディングが、良いエンド。それ以外の情報(ハッピーとか、アンハッピーとか)は、単なる設定としか認識していない。ま、「めでたし、めでたし」でしか、オチを付けられない、シナリオライターのレベルが問題なんだろうけど。

で、意外って気持ちと、やっぱり。って気持ちが半々なんだけど、視覚情報としての文章って、意外とみんな気にしないんだよね。作家志望なら、こだわって欲しいのだけど…

私の文は、改行が多い。それは、モニター上で文章を読む場合、長くても、4〜5行が限界だと思っているから。視神経の限界がね。だから、二〜三行ぐらいで、改行してブロック分けしている。区域を限定することで、脳も視神経も、認識し安いはずだ。

また、なるべく、文頭の文字が、同じモノが続かないようにも気を付けている。句読点を、多めに打つのも、視覚的に区切るため。「そこにこんなものが」。コレを読むのに思わず、モニターに顔寄せるでしょ。

これは、メールや手紙も同じ。行間を開けるコトはおろか、改行すらしていないメールをくれる人がいるけど、文を書き慣れていないか、読みのことを考慮できない人なんだな。と思う。トクに文章書きを生業にしている人が、ダラダラとした文を書いているのを見ると、こんな読み手の気持ちも察せられない人が、人の心を観察できるのだろうか?。と不安になる。

ま、大抵、そう言う文を書く人は、自己主張は上手いのだけど、相手の気持ちを察するのは下手だね。そう言う人の小説は、お互いの意見をぶつけ合うか、一方的なモノが多く、ちゃんと、意見や感情のやり取りできてないコトが多い…と思うのだけど、どうかな?。


エポックメイキング(2002/8/19)
先日のサイトで、もう一つこだわっていたモノに「エポックメイキング」と言う言葉がある。エポックメイキング。要は「画期的」て「新時代を切り開く」と言うことらしい。

理系(理論や発明)ならば、重要であろうが、創作の世界では、それほど重要ではない。つーか、パフェのサクランボのようなもので、中身がマズけりゃ、無意味だ。革新的なシステムも、革命的なシナリオも、つまらないゲームであれば、どんなに革命的でも、つまらなければ失敗作だ。

アレクサンドル・デュマの言葉を引用したのも、そう言うこと。どんなに優れたアイディアでも、面白い作品に出来なければ、ゴミと同じだ。

もちろん、いの一番に始めたことは、評価されるべきだ。だが、それは、我々が、敬意を表すべき代物であって、当人たちが、自負すべきコトではない。カラオケも、温冷同時販売の自販機も、じつは特許申請していないらしい。ただのマヌケとも言えるが、これらが世界を席巻したのは、当人たちが作った代物ではなく、改良されたモノが評価されたからだ。

トクに創作は、もはや、手垢の付いてないストーリープロットは存在しない。と言っても過言ではない。もはや、どんな小説やストーリーも過去作の何かに批准できるはずだ。最近では、版権が煩いので、最初ッから過去の小説を原作にもってくるのが増えているようだ。

まぁ、この一因は、エセ評価者たちが、すぐにこぞって「何々と比べて」と言う評価を下すからだろう。もちろん、盗作まがいのチェックとして、比較することは重要だけど。ちなみに、盗作は憎むべきコトだが、本歌取りは良いことだ。

つーか、本歌取りは、盗作とは全く違う。それを解しないようでは、作家には、なれないだろうなぁ。本歌取りの真意は、重たい内容なので、別の機会に。

私が一番言いたいことは、オリジナリティーとエポックメイキングは、まったく別物。その方向性も、ベクトルも違う。それだけは、理解していただきたいモノです。


現場検証(2002/8/20)
東京だったかな?。セキュリティーのしっかりしたビルで、男性二人が刺殺された事件。マスコミ報道によると、刺殺された二人の間にトラブルが無かったか、調査中。と言う報道をしていた。

それは無いでしょう。刺殺された二人は、一人は腹を、もう一人は背中を刺されていた。二人で、争ったなら、腹を刺された方が出血をモノともせず、逃げようとする方の背中に刃物を突き立てたってコト?。それはないでしょう。今の日本で、刺されたのに、反撃しようと闘争心がある人間はまずいない。居るとすれば、その筋の鉄砲玉ぐらいなものだ。

…それ系の会社なのかな?

包丁も二本見つかったって言うし、経理のトラブル処理を担当していたって言うから、外部の人間を会社の応接室に呼んで、トラブル処理をしている最中、逆上した犯人に刺された。と言う線が濃厚。単独犯で包丁を二本もっていったのか、それとも二人組でそれぞれが持ち込んだのかは分からない。

一人が腹を刺されて、逃げようとしたもう一人を刺す。刺し傷がどの位あるか分からないけど、結構冷静にやっているようだから、犯人がそっち系の人間かも。恐喝に失敗したとか。

セキュリティーのしっかりしたオフィスビルだから、外部の人間は入れない。とマスコミは不思議さを売ろうとしているが、別にトラブル処理の会場に会社の応接室とか使うのは不思議じゃない。招き入れたのなら、誰でも入れる。セキュリティーというモノは、出るモノへの考慮はされていないものだ。

なんにしても、トラブル処理ならば、誰と会うとか記録が残っているはず(他にも予定を知っている社員が居るハズ)だから、まぁ、すぐに捕まるでしょ。警察が、死亡した二人で争った。と決めつけなければ。だけど。


本歌取りと換骨奪胎と盗作(2002/8/21)
本歌取り:和歌で以前に詠まれた詩の意味や語句を取り入れて、新しくしたもの。換骨奪胎(かんこつだったい):古人の詩文の着想・形式・内容などを真似、語句を少し変えて自分のモノに作り替えること。盗作:他人の作品の構想や文章などを、自分のモノとして使うこと。

辞書に書かれた意味を見ても、字面だけを追ったのであれば、どれも差違が無いように見える。本歌取り、換骨奪胎、盗作と順番に書いたことにも意味がある。この順に、元の作品への依存度が高くなるのだ。

本歌取りは、元の作品の意味を踏まえた上で、さらにオリジナルとして昇華させたもの。換骨奪胎は、いわば既存作をつぎはぎした様なもの、盗作は、そのまま使用したもの。かみ砕けばこうなるだろうか?。換骨奪胎は、アマチュアにだけ許され、プロにはやって欲しくないとは思う。プロが、換骨奪胎をするなら、それなりの責任を取って欲しい。荒野の七人のように翻訳権を買い取ったり、著作権を払うとか。

例えば、荒野の七人は、七人の侍の換骨奪胎だ。まぁ、翻訳権を購入したそうだから、リメイクとも言えるかも知れないけど。牧山昌弘式換骨奪胎シナリオ法で分類すると、「90%いただく方法」に分類される。それにしても「プレイヤー(観客)に分からないほど、巧妙にストーリーをいただく」「結末を変える」は、最低限行うべき、と明示されています。

対して、ディズニーのアトランティスは、不思議の海のナディアの盗作です。

本歌取りと換骨奪胎は、元の作品に触発されて、新たな作品を生み出そうと言う気持ちがあります。盗作にはそれがない。

本歌取りと、換骨奪胎を否定するのならば、今、現在作られている映画やゲームは、全て否定される。映画やゲーム、小説と言った表現技法を模倣した盗作というコトになる。程度問題はあるけれど。本歌取りと換骨奪胎には、元ネタへの敬意と讃辞が込められているように思う。「私はあなたの作品に触発され、私なりの物語を創りました」と言う気持ちだ。

盗作は、単なる模倣である。模写に過ぎない。修練中のモノが、技術習得の為に行うものだ。絵画ならば、自覚もしやすい。文学や映像では、登場人物名を変え、役者を変えたなら、オリジナルと思いこむ輩もいる。換骨奪胎と、盗作に自分自身で線が引けないなら、それは資質がないと言えるだろう。着眼点や着目点をみる目が無いのだ。

日本で、パロディーの意味が少しズレて使われているのも、そうした線引きが上手くできないからかも知れないなぁ。コメディーとパロディーって、同意語だと思ってない?。ま、パロディーには、貶し言葉として「猿まね、下手な模倣」って意味もあるけどさ。フライングハイとかは、正しい意味でのパロディーだと思う。

猿まねになるか、本歌取りとなるか。盗作となるか、本歌取りとなるか。それはひとえに著者の感性に依存する。本歌取りの名人、藤原定家は「毎月抄」でこう記しているそうだ。

『本歌とり侍るやうは…花の歌をやがて花によみ、月の歌をやがて月にて読む事は、達者のわざなるべし。春の歌をば、秋、冬などに読みかへ、恋の歌をば雑や季の歌などにて、しかもその歌をとれるよと、きこゆるようによみなすべきにて候。本歌の詞をおまりにおほくとる事はあるまじき事にて候』

現代語に変えると、「本歌取りとは、花の歌で、花を詠み、月の歌で、月を読むのは、巧みなことだ。しかし、春の歌で、秋や冬を詠みかえたり、恋の歌で、雑歌や季節の歌を詠み、本歌から取りましたと、分かるように詠むべきだ。また、本歌の詞を使いすぎるのは、もってのほかだ。」って感じかな?。

誤解されそうなので、解説するけど、最初の「花の歌をやがて花によみ、月の歌をやがて月にて読む事は、達者のわざなるべし。」と言うのは、やんわりとした否定だ。技術習得、勉強としてやるならば、まぁ良いけど。さっさと、次のステップに進もう。と言っているのだ。

「ホラーのストーリーを組み替えて、ホラーのストーリーを作るのは、低レベルの本歌取り(換骨奪胎)で、恋愛映画のストーリーから、ホラーを作り、元の恋愛映画に敬意を表し、感謝の念を忘れず、元ネタからアイディアを借りすぎないようにするのが、上級の本歌取り」と言っている。

「シティ・オブ・エンジェル」は、「ベルリン」のリメイクだ。コレが未交渉で、シティ・オブ・エンジェルを作ったなら、明らかに盗作だ。しかし、「七人の侍」と「荒野の七人」の様に、国を変え、時代を変えて、ただ基本設定だけを残したなら、本歌取り(換骨奪胎)と言えよう。元々、アウトローが情にほだされて、無垢の民を守る。と言うのは定番中の定番。

着想そのものは、歴史を振り返れば、誰かが思いついているものだ。同じ人間なのだから。日々、感得し、悟ったと得意げになっても、千年も前の僧侶たちが書に書き記しているものだ。エポックメイキングなど、自己欺瞞の産物でしかない。欧米人らしい言葉だ。

なお、この本歌取りに付いての考察は、RPGマガジン42号(93/10)の山北篤先生の「RPGいろはにほへと」と、RPGマガジンの連載企画だった牧山昌弘先生の「クトゥルフ通信」の本歌取りです(笑)。


(2002/8/21)
最近、ちょっと気になるのが「パタリロ」で有名な「魔夜峰央」。

もうネタがないのか、落語のネタや、落語の怪談を盗作してるんだよね。登場人物をパタリロの世界の人間に変えただけという…まぁ、古典落語には著作権は無いし(落語協会がもっているのかな?)、演芸場では、落語家の話術に金を払っていて、落語のストーリーに金を払っているわけではないので…でも、このままだと先は短そうだね。

パタリロ西遊記とかに逃げてるし、西遊記をやりたいなら、ストレートに歴史マンガにすればいい。横山光輝の「三国志」とか、本宮ヒロシの「天地を喰らう」など、少々のファンタジックな展開もマンガならではだろう?。あえて、パタリロのブランド名にすがる必要があったのだろうか?。作家としては、もう限界なのか?

…まぁ、小説からコミック。と言う表現方法を変更した時点で、本歌取りなのかねぇ……かなり疑問だけれど。

こうした、ブランド名異存は、どこの業界でも深刻で、アニメ界では、ガンダムがそれに陥っている。新作の「ガンダムSEED」だが、もはやガンダムの名を冠する必要がどこにあるのか?。内容も、ドラグナーの様だし、メカデザインもそう。模型業界では頑張ろうとしているが、ダメだろうな。

ゲーム界では、ファイナルファンタジーがそう。もはや、なんの関係もないのに、ファイナルフンタジーの名を冠し続けている。

日本人のブランド志向がそうさせるのだろう。この名前さえ付いていれば、買う人間がいる。と言うのも、困ったものだが。出版社や製作会社にしてみれば、少しでも安定した売れ方をして欲しいのは分かるけれども。安易な方向に逃げると、待っているのは、断崖絶壁だ。


(2002/8/22)
さて、スパイダーマンは、スーパーマンに影響を受けて誕生した。本人の意思にかかわらず、超人的な能力を与えられた人間が、仮面で自己を覆い隠し、自身の能力と葛藤しながら、悪人として現れる自己と戦うわけだ。

アメリカンコミックのヒーローのほとんどは、そう言う物語だ。全身タイツに、マントと言うスタイルは、ハンナバーベラの宇宙怪人ゴーストから始まったのだろうか?。

少し話がそれたが、スーパーマンが居なければ、スパイダーマンも、バットマンも、Xメンも、スポーンも居なかった。スーパーマンと、スパイダーマンを比べるだろうか?。スーパーマンは、アメリカンコミックのエポックメイキングだから、そのほかの作品は、格下に分類されるだろうか?。断じて、否だ。

セーラームーンが、五人組戦隊ヒーローの本歌取りなのは、有名なことだ。ま、作品自体の出来は、さておいて、戦隊ヒーローの下に位置づけする人が居るだろうか?。セーラームーンにオリジナリティーが無い。とは言えないでしょう?。

何度も言うが、作品として、世に出た以上、全ての作品は対等である。シェークスピアと、そこいらのライトノベルは立場に置いては、同等なのだ。純文学が崇高で、推理小説が大衆で、そんな事はない。

格付けされるとしたら、鑑賞者の評価でのみ、ランクが決まる。鑑賞者の主観を大いに反映して良い。万人に指示されるレビューなど、うそっぱちの胡麻擂りだ。そして、売り上げは、出来の善し悪しを反映しないことは認識すべきだ。

会社の事情(資金繰りが苦しいとか、スタッフが流出したとか)は、一切関係ない。作品だけを見ればいいのだ。それが前衛的で、今までにない作品であろうが、古典を再解釈したものであろうが、面白い、良くできた作品であれば、それで良いではないか。

時代の先鞭で、今までにない作品が良い作品で、それ以外は格下。と言うのならば、美味い不味いはさておいて、新作創作料理を出す店だけが一流で、絶品の味ながら既存のメニューしか出さない料理屋は、二流なのか?。よく考えて欲しい。

遭難したあげく、南極点に到達した人よりも、南極点を目指して遭難した人の方が偉いと思うのだけど。変なたとえだけど


でもまぁ(2002/8/22)
感銘を受けたと言って、ほぼ丸写しの作品を本歌取りと認識する連中も多いのも事実。

私は嫌いだが、スレイヤーズが世に出たとき、登場人物が、好き勝手に暴れ回る作品が大量に出版社に持ち込まれ、また、同人でも大量に出たそうだが、それらの粗悪な模倣は、本当に考えなしに暴れ回るだけで、登場人物の行動原理が定まってなかったらしい。

また、それをオリジナルと認識する感覚に問題がある。同人ならともかく、持ち込んだ連中は…資質ナシ。中高生ならば、セーフ。

それを考えると、例の評価サイトも、単なる模倣を悪と認識できるだけマシなのかも知れない。でも、本歌取りの真意を分からないのは、どうかと思うよ。BELLDAのシナリオライターが、「小説家になれなかったので、シナリオライターになりました」と言うのに、憤慨していたけど、ゲームのシナリオは、いわば映画の脚本であり、小説とは必要な資質が違う。

あかほりさとるが小説(じゃあ、脚本もずば抜けて美味いか?、と聞かれると困るが)書くの下手なように。小説には向かないが、脚本家としての資質を持っていたという事で良いじゃない?。

チャンドラーだって、樋口一葉だって、詩人としては失敗したが、小説家としては成功した人だし。世に出れない自分の嫉妬であることに気が付くべきだな。

まぁ、ここ、しばらくは更新してないみたいだから、そんなものだろう。本当に好きならば、長期の停滞などしないしね。メーカーページとリンクという売名もやったみたいだし。批評をする人間として、特定メーカーと近い関係になっちゃイカンですわ。まま、人それぞれなんでしょうけどね。

なんにしても、世間にウケが悪い作品であっても、「俺は好きだ」と言って良いと思う。それを言えない土壌が、正しい批評家を生まないのかも知れない…いや、それはまだ言えるのか。本当に言えないのは、世間に(マスコミの操作によって)受けているが、本当は面白くないモノを、面白くない。と言うことが出来ないで居ることが原因か。


ミネルヴァ(2002/8/22)
PS2のプロジェクト・ミネルバ。デジキューブですら一位を取れなかったら、かなり売り上げは厳しいのではないだろうか?。ちなみに、雑誌の売り上げランキングは信用してはいけない(笑)。陰に陽に癒着はある。

鬼武者から思っていたのだが、主人公を、実在する(もしくは、した)役者から作成することに、何か意味があるのだろうか?。話題性をあおり、マスコミを呼び、ワイドショーを呼び寄せて、広告費を削ること?。そんな話題性で勝負せずに、ゲーム本体でして欲しいなぁ…

プロジェクト・ミネルヴァの主人公は、藤原紀香が演じているらしいが、どう見ても、藤原紀香ではなく、デジキューブで進行をやっている「藤川のぞみ」の方に、激似だぞ?。デジキューブ(コンビニのゲームコーナーのCS)では、プロジェクト・ミネルヴァりあとに、藤川のぞみのアップになるので、印象はなおさらだ。

これは、藤川のぞみが、藤原紀香と似たパーツって事なんかなぁ?

なんにしても、思いっきりアジア人、日本人な顔で、アリシアって言われても…入り込めなくなるから、主人公に過剰な設定を付与するのは、止めて欲しいんだよねぇ…

戦術が売り。戦闘にリアリズムを…と言ったって、正面に敵を見つけても、最初の命令を固持するバカ兵士なら、いない方がマシだし、敵の銃口がこっちを向いているのに、双眼鏡構えて、マークしたり…スコープ覗かないと銃を撃てなかったり、敵を発見後、待機し待ち伏せ出来ないし…攻撃タイミングを合わせられなかったり…どこが、リアルで、どこが集団戦闘が売りなんだ?。

リアリティって言うんなら、ジャングルでのゲリラ戦の勉強ぐらいして欲しいなぁ。コンバットリーダーズフィールドガイドとか、せめて、柘植本を読んで欲しいぞ。密集しすぎだ、諸君。移動は素早く、短時間で。敵から銃撃を受けているのに、立ち止まって、手榴弾を投げたり…伏せろよ、お前ら。

何度も言うけど、ゲームをリアリティーだけで作れば、良いゲームになる訳じゃない。爽快感を損なわない程度の現実性。それで十分だと思うのだけど。


娯楽と現実(2002/8/25)
ハリウッドの新作映画で、スタジアムに核爆弾が仕掛けられる。と言う映画があり、その批評や感想を中国新聞で掲載していた。トータルフィアーズね。まぁ、広島の新聞なので、ご想像の通り「核爆弾の破壊力はあんなモノじゃない」と言う意見がほとんどで、逆に専門家や協会の人間の方が、冷静な判断をしていた。

娯楽作品に、目くじらを立てる方が無粋だろう。リアリティーに囚われて、娯楽性を失っては意味がない。

戦隊ヒーロー物や、ウルトラマンシリーズで、科学的検証がどうこう言うのが無粋なのと同じだ。それを売りにした本もあるが、巻数を重ねるに連れて、どんどん無粋に、見苦しくなっているので、止めて欲しいぞ、柳田理科男。第一巻にあった、夢を無くすことなく、科学的に正しいことを…と言う理想は、どこへ?。

話がそれたが、確かに、娯楽作品(と言うか真面目ぶったバカ映画)へ正確な科学的検証を求めるのは、無粋で、みっともない。反面、その嘘っぱちの設定を事実だと認識する視聴者が存在するのも事実だ。それも、かなりの数に上るはずだ。

現に、欧米では、核兵器は、通常弾頭の親玉。非常に破壊力の高い通常爆弾と認識している人間が多い。放射線が出ることさえ知らない人もいるほどだ。

件の映画の中でも、核弾頭が炸裂した直後に、携帯電話を使ったり、そもそも、爆発の現場で、元気に活動していたりする。明らかに、お粗末な認識だ。バカ映画だから。と笑い飛ばすのが一番なのだろうが、それを真実と受ける人間がいることを考慮すべきだ。

スプラッタ映画は、殺人を助長すると騒ぐグループも、こうした間違った知識の流布を警鐘しないなぁ。

新聞では、トゥルーライズやなんかも叩いていたのだけど、ブロークンアローを褒めることはしなかった。地下核爆発で、放射能に脅え錯乱するヒロイン、核爆発時に起こる電磁波パルスで、墜落するヘリコプター。正しく表現しているモノは、褒めるべきだ。ジョン・ウーが、ただ時流に乗って、一流監督の仲間入りをしたわけではないことが分かる。それとも、アジア人だからか?。

間違った知識の流布に警鐘をならし、叩くのであれば、正確な設定がされている作品は褒め称えるべきだ。つーか、核描写だけにこだわることが、もはや部数とインパクトだけを狙っているよな。恥を知れ。

綿密に下調べをし、正確な設定を踏まえた上で、制作された娯楽作品は、名作と呼ばれているモノが多い。そうした作品をちゃんと褒め称え、映像作家たちが、売り上げのために派手な演出をせざるを得ない状況に陥ることを防がねばならない。


とは言え(2002/8/25)
「ボルケーノ」並みの真面目ぶったB級のバカ映画だと思うのだけどね。「トータルフィアーズ」も。トム・クランシー自体が、日本で言うライトノベルとか、架空戦記小説なみの作家だし。海の向こうで、流行作家の意味には、そうした意味もあると思う。ハリウッド映画というブランドに惑わされている気がするよ。

ボルケーノの非道かった。あれほど、溶岩のそばにいたら、熱風によってかなりの人間が焼けただれているだろう。序盤で、謎の死をとげた作業員の死因が、マグマの熱風だったこと考えると、アドバイザーが途中でいなくなったのかも。

ラスト間際、地下鉄の運転手を助けるシーンで、マグマに飛び込み、自身はマグマに溶かされながらも、運転手を投げ飛ばし、文字通り身を挺して救うシーン。なにも考えなければ、それなりにホロリとくる。

が、ふと冷静に考えてみると、地下鉄の坑道と言う、ほぼ密閉された空間に、目視できる距離にマグマが流れ込んできたら、全員焼けただれているだろう?。トミー・リー・ジョーンズの娘も、やたらと硬直するし。

どう見たって、B級バカ映画なのに、真面目ぶって宣伝するマスコミに問題がある気がする。


辛口(2002/8/25)
比較的信用している映画評論に、MSNで連載している『辛口映画評』がある。お前は、映画会社の広報か?、と言うような評論家や、ホンマに見てきたんかい。と言うような評論家が多い中で、しっかりと批評をこなせているので、気に入っている。というか、私にしてみれば、辛口じゃなくて、これで普通と思うのだけどな。

さて、私が気に入るぐらいなので、やはり世間一般からは、少々白い目…まで行かないモノの、理解されにくい観点・視点らしい。

スパイダーマンの批評に対する読者投稿からして、うんざり、げんなりの自分が何言ってるか分かってない連中が多いこと。悲しいね。

ま、別に主観は人それぞれ、解釈の違いで議論をかわすのも、映画の楽しみ方の一つなんだと思ってる。また、帰り際に議論したいと思えない作品は駄作だと思う。しかし…

>小林さんの言われるように「にこっとさわやかに」笑わせたら不自然だと思いませんか?
いや、だから、あれほど不自然の固まりなんだから、最後まで不自然でいこうよ。って事だと思うぞ?
正体を隠しながらでも、つき合おうと思えばつきあえるわけだし、その程度の愛だったんだよ。
他に面白いこと(スパイディとして戦うこと)を見つけたから、恋愛ごっこは必要なくなったんでしょ。

>そこにいかにも映画みたいなシーンを作ってしまうとアニメの世界が壊れてしまいます。
…なぁ、映画も、アニメも表現技法が違うだけで、虚飾の虚構世界の映像表現だと思うぞ。俺は。

>それに現在のヒーロー像というのは小林さんの世代の完璧なヒーローではありません。
いや、自身の人間離れした能力との葛藤は、昔からのテーマだし…スペースゴーストとか、電子超人Uバード、ぐらいまで戻れば別だろうけど、レインボーマンとか、日本の特撮ヒーローでも、「こんな力を持っているのに、人一人救えないなんて」とヒーローが自分の無力さを呪うシーンは多々あるぞ?。なんか、子供じみたアニオタっぽいね、この投稿者。

さて、問題は次だ。

>なぜ、映画にそんなに深い意味やリアリティを求めるのですか?
これ…この言葉、全ての映画関係者、創作関係者にケンカ売ってるよね?。
映画なんて、派手な映像さえあればいい。物語もストーリーも必要ない。ただ、派手なシーンがあればいい。って事でしょ?。脚本も、物語もいらない、そう言わんばかりの言葉だよね?

この人、大義名分を求める人はこの映画見る必要ない。と言ってるけど、アンタは映画そのものを見る必要がないわ。つか、大義名分って言葉の意味知ってる?。

何度も言うけど、虚構世界の住人に、どれだけ現実味を与えるか、創作者たちは常にそれに苦心してるわけ。どんなに現実的な物語でも、人間の創造から生まれた以上、虚構なわけ。

メッセージ性を前面に押し出すと、青臭くなっちゃうけど、登場人物や物語背景にメッセージ性が無いとしたら、それは非道く薄っぺらい物語で、とてつもなく、つまらない映画だ。奥行きのない人間たちの物語を見て、楽しいと思うなら、とても哀れだ。

メッセージ性と言っても、世界平和とか、戦争を無くそうとか、明らかに取って付けた、マスコミ受けを狙ったものではなく、このシーンを作り出したかった。だけで良いと思う。ブラックホークダウンでも言ったけど、答えを出すことがメッセージじゃない。問うことがメッセージだ。そのシーンを見て、何を思うか。それだけで、メッセージだ。

与えられたモノを飲み込むだけの、思考停止した人間だ、この人わ。こういうヤツが、創作を、特に映像分野をダメにする。

>アニメの実写版なのですから
ん〜、なんでアニメだから、映画だから。って差別するのかな?。どっちも映像表現の物語であり、媒体は関係ない。原作が小説だろうが、コミックだろうが、関係ないはずだ。出来た作品を評価すべきだ。

私は、元の批評を見る限り、脳天気なバカ映画にするのか、苦悩する異形のヒーローを描く青春モノなのか、どちらかに徹底しろ。と言う意味に取ったのだけど。ま、なんか自分の好きなもの貶されて、感情的に反論してる感じで、的はずれだわ。読者投稿者は。

あと、ミスタールーキーの回の
>一体どうされたのでしょうか? あれを傑作とは...。
いや、元の批評では一言も傑作。なんて言ってないし(笑)。「面白いもの」と「良くできたもの」は別だってば。単に、久しぶりにパワーのある日本映画だったね。それだけでしょ。マイナーアジア映画の良作並みのパワー。それともっとローカルな、地域密着な、万人受けばかり狙わないでも良いんじゃない?。ンだけでしょ。

そこを評価しているのだけで、別に出来の良い映画とは、一言も言ってない。しかし、読解力ねーなー。ゲームより人口が多いはずの映画がこれだもんなぁ…ゲームの批評が出来るヤツがいないはずだぜ。私を含めて。

映像だけ追ってても、映画は詰まらんと思うよ。この映像によって、監督が表現したいモノはなにか、伝えたいモノは何か。それを感じ取り、考察するのが、観客の勤め。もちろん、楽しめなきゃ、その映画は失敗作だけどね。

逆に言うと、観客に考えさせるようなシーンを、映画が終了して、語り合えるシーンを持たない映画は、全て駄作なのかも。創作物は全部そうかな?。小説でも、マンガでも、印象に残ったシーンで語り合えなきゃダメだよね。


名古屋のタクシー運転手殺害事件(2002/8/26)
第一報から、暴走族が犯人だと思っているのだが…警察はどう思っているんだろう?。

乗客が強盗に転じたなら、ナンバープレートや、車体を凹ましたのは、偽装工作?。それにしても、あれだけ車を潰したなら、結構な物音がするはずだから、近所の人が事故じゃないかと、出てきそうなものだが。マーロウの言うとおり「夜中に人の泣き声がしたら(中略)気の利いた人間なら、窓を閉めてテレビの音を大きくするさ」なのだろうか?。

私は暴走族だと思うな。メーターが支払いになっていた。と言うけど、メーターを倒すぐらい誰にでも出来るし、売り上げを盗むには、メーターを支払いにしなきゃいけないんじゃなかったっけ?。メーターの料金表示が出ていたりしたなら別だけど。

わざわざ、外へ連れ出して殺害したあと、後部座席に戻したり、とてもじゃないが、乗客強盗とは思えない。暴走族だろう。注意されたか、抜かれたので、むかついて…歯止めが利かなくなったのだろう。殺害された人は、タクシー協会の理事をしていたらしいから、正義感も強そうだし。

時に、富士の樹海で見つかった人の続報がないが…報道できない類の事件だとようやく判明したのか?。

あと、北朝鮮の金総書記だけど、公式の場で、派手なサングラスをしているところを見ると、糖尿病でかなり視力をやられているようだ。日中の日差しでも、厳しいのだろう。毎年来てもあと10回だ。と言ったことからも、末期なんだろうな。あの突き出た腹ではなぁ。


日本海(2002/8/27)
なんでも、韓国が「海に一国の名前が付いている例はあまりない」と、国際機関に訴えているそうだが…じゃ数少ない例外なんだろ。の一言で済ませたいのは、日本人の傲慢か?。

それにしても、先進国の仲間入りをした国が「俺たちは子供じゃない」と息巻くのはどの国も同じだが…日本は、戦前はアメリカに随分噛みついたモノだし、帝国主義がそれなりに認められていたので、近隣諸国に多大な迷惑をかけたわけだ。発散場のない最近の国は大変だろうなぁ…と思う、大人の余裕。

しかし、マスコミ報道もかなり曲解した報道をしていた。テンション高い韓国人が、あれだけローテンションで答えていたところを見ると一部だけらしい。その一部が、金ばら撒いて、失笑を買っていることに気が付いて欲しいものだ。ともあれ、何でもかんでも、日本軍統治時代の悪影響で…と逃げるのは止めた方が良い。

あと、日本海の英語表記が「sea of japan」になっていたが、それも間違いだろう?。日本海(にほんかい)なのだから、そのままローマ字表記すべきだ。欧米つーか、英語に気を使いすぎだな。そもそも、JAPANでなくて、日本だしよ。中国だって、日本が「しな」って言ったら、怒るけど、CHINAは、しなの英語読みだし。ま、外交カードってヤツ?


書き込んで見るもんだねぇ(2002/8/28)
大好きな、と言うか敬愛して止まぬ漫画家の「雑君保プ」先生のホームページの掲示板にチョコマカと出入りしているのですが、なにげに書き込んだことが縁で、夏コミの同人誌を直売して貰え、本日到着。

なんと、直筆サインまでして有るじゃありませんか?。うひー家宝よ、家宝。しかも、ご本人直筆の宛名書きよ〜。

手塚おさむレベルまでに達したら、きっと鑑定団にもって行くわ〜

本の内容は、ちょっと物足りないかなと言う気もしますけれど、そこはそれ、もっと読みたい。と思うのはファン心理の常。不味いんじゃなくて、美味いんだけど、もっと食べたかった料理。ってヤツ?。ご飯が食べたくなる、おかずなのに、どうしてご飯が少ないのかな?。って感じ。もっと、くれ。って感じです。

良質の料理がそうであるように、良質の作家は、どこか物足りなさを感じるものかと思います。量的に。内容的にではなく。

と言うわけで、何がきっかけか分からないから、ここでも書き込んでみない?


KDDとDDI(2002/8/29)
この二つ(IDOもあったね)が合併して、KDDIになったわけだけれども、私は、KDDは好きだったが、DDIは嫌いだった。それは今でも変わらない。

元々、電話通信網に強いKDDと、プロバイダー関係が強かったDDIとが手を結んだので、KDDのプロバイダーネームであるnewebは消滅してしまった。その時から、若干不安に感じていたのだが、ネット状勢の変動から料金プランを変更せねばならず、KDDのメールアドレスが残せると言うのもあって、DIONと契約した。

ちなみに、newebアドレスを残すと100円。dionでメールアドレス追加すると、300円…ちょっとな。

初めは何とも思わなかったのだが、URL公開をするようになって、異常に、CGIやその他の付属設定が弱いことに気が付いた。DIONのアクセスログ解析なんぞ、アクセスした時間も分からず、IPも分からず、ただ、使用しているOS、ブラウザ名がカウントされるだけだ。

そんなもん、解析されても意味ねぇよ。もちろん、独自CGIの使用は禁止されており、配給されるCGIは役立たずばかり。

メールの性能もよろしくない。添付ファイルの容量が少ない。1.7程度の圧縮ファイルが送れるないのだ。newebは送れる。また、DIONメールは、なぜかbiglobeのウィルスフィルターに引っかかる。newebは引っかからない。どうにも、別件でも、dionメールが届いていない様なケースが発生しており、もう、信用度はゼロだ。

問い合わせにも、今ひとつ返答が不親切であった。そう言えば、以前、メール受信用のパスワードを紛失してしまった際に、再発行のお願いをしたのだが、10日経っても来ないので、再度連絡してみると、即座に届いた記憶もある。

経営状態もよろしくないのか、やたらと同じ内容の電話がかかってくる「マイラインの登録で、割引が…」可能な割引は全部やっとる。同じ説明を何度かした。同居の身分なので、電話代を分けるために、KDDIを使用していたが、私は県外にしかかけないので、フュージョンに乗り換えようかと、真剣に考えている。ただ、フュージョンも手続きが、ちょっと面倒なので躊躇していたが、良い機会だ。まだ、ハドソン料金なんですかね?、KDDI。フュージョンがハドソン料金だったら、いますぐ移るのに。

KDDには未練があるが、DDIには未練がない。軽く、dionの解約を覗いてみたのだが、解約理由を選ぶと「dionでは、次のような付加サービスを行っています」。それが役立たずだから、解約するんだろうが?。バカか?。

なんぞ良いプロバイダーはありませんかね?。DIONのサーバーに、dionの悪口載せるぐらいなので、移転する気満々です。まぁ、移転するときはちゃんと告知しますので。



ノーマナーとヒール乞食(2002/8/31)
基本的に、オンラインゲームにはあまり興味がない。PSOも言うほどハマらなかったし。私にとって、ゲームって言うのは、世界観やシナリオに浸るのが好きでやっているからして、オンライン型のゲームとは基本的に相性が悪い。これは、単に好き嫌いなので、ナニを言っても無駄だ。

さて、ウルティマオンライン、PSO、FF11、ラグナロクと、どんどん退化して行っているらしい。いや、システムでなくて、人間が。

FF11で、辻ケアル(見知らぬ瀕死者に回復魔法をかける行為)が、流行したため、ラグナロクを初め、「ヒールをくれ」と、物乞いするアホウどもが、増加しているらしい。人間は、一度甘やかすとダメなのか?。妥当なレベルのダンジョンなんかで、瀕死になっているならばともかく、明らかに無謀な事をして、「ヒールをくれ」と物乞う連中も多いとか。困ったもんだ。

危険地域に行くのならば、それなりの準備と対策を練るべきだ。軽装で冬山に登って、携帯で救助隊を注文するような事をやっているのだ。ヒール乞食は。まぁ、現実でも、そうした登山客を救助に行く例は多い。大人(20代や30代でなく50代がやるのだ)が出来ないのに、子供にやれと言っても無理かもね。自己責任ってさ。

して、ラグナロクでは、他人が戦っている所に、一発でも命中させたら、経験値が全員に分配されるらしい。そうして、他人が戦っている所に、入り込むのを横殴り。とか言うみたい。

システム側が、横殴りを禁止事項としたモノだから、魔法や矢が、流れて誤爆した場合、「横殴りだ」と抗議が殺到するらしい。果ては、写真(って画像を記録するだけだけど)を撮って、システムに訴えてやる。とか言う人間が五万といて、システム側のメールボックスが毎日パンク寸前らしい。

普通なら、助太刀感謝。とか言う状況だと思うのだが。そうしたメガプレイヤーゲームならではのイベントを楽しめないなら、オンラインすべきではない。結局の処、仲間内で固まった狭い世界にいたいのだろうか?。つーか、そらみんなが言うように、経験値分配システムを採用した会社側の責任だろ。ヒステリックに叫ぶ連中は、マナーとモラルを混同している気がするなぁ。

丁度良いので、PK(プレイヤーキラー)にも、触れよう。PKって、言うのは…説明いる?…要するに、オンラインゲームの強盗。他人のPCを襲って、金品を強奪する連中。

私は、PK反対派の人間だ。と言うより、PKをやりたいという人間の気持ちが分からん。いや、理解できるけど、やられた側の気持ちを考えると、とてもじゃないがやりたいとは思わない。現実世界の犯罪と同じく、なんの非もなく過ごしているのに、突然襲われ、殺される。そんな理不尽があってたまるものか。

おそらく、中高生がベースであろう(その割には、異常に金喰うけど)FF11なんかで、PKが出来たら、現実世界でも「欲しけりゃ、他人から強奪しても良い」と言う認識を埋め込みかねない。苦労を伴わない快楽など、堕落でしかないのだ。

反面、ヒール乞食や、ノーマナー連中が闊歩するぐらいならば(コイツらも、苦労を捨てた快楽嗜好症の人間だ)、PKは必要かも知れない。と思い始めた。PK側も、初心者(Lv5以下)は狙わない。と言ったモラルを持っていれば、かまわないかも知れない。

一番良いのは、PK可能エリア「修羅の国」を作って、食料は他人の血ぐらいの殺伐したエリアにすればいいと思うのだが。そこならば、入る側も、PKされるのを了解の上で踏み込んでいるわけだし、不意に襲われて腹を立てることもない。自分の不注意が悪いのだ。どうにも、不意のPKは、初プレイの対戦ゲームで乱入され、ボコられる気分なのだ。

まぁ、UOでは、街からでなければ良いわけだし、PKが出現するエリアも決まっていたらしいので、やっぱり、よく考えて作られていたのかなと。単純に流行っているからと、模倣しただけの存在は淘汰されていくのだろうな。

PKの存在も、メガプレイヤーゲームのイベントとして認識すべきなんだろうか。人間が操作するモンスターとか山賊と認識すべきなんだろうか。確かに、モンスターに倒されるのは納得で、PKに納得できない。と言うのも筋が通らない話ではある。

うーん、システム側が「PK出没エリア」みたいなのを、御触書してくれると良いかな。PKKの方が呼びかけるとか。どこそこは、PK多発中。とか。そう考えると、PKもイベントみたいなものか…うーん。イベントとアクシデントは似てるしね(笑)



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