六月の夢酔

『希望は叶うものだ。信じて欲しい。情熱など頼りにならぬ。
彼らのいわゆる情熱は心の活力でない。魂と下界の軋轢なのだ。
大切なのは自分を信じること。幼子のように無力であること。
無力こそ偉大であって、力は空しい。人が生まれるときは軟弱で、死ぬときに枯れ彼固まる。
木も生長するとき柔らかく、乾き固くなるのは死ぬときなのだ。
硬直と力は死と隣り合っている。弾力と軟弱さこそが、若さの象徴。凝結したモノに希望はない』

−詠み人知らず「ストーカー(ロシア映画)」

『人間が物を書くのは、苦しみ、疑うからだ。自分や周囲に、自分の価値を証明しようとするからだ』
−流行作家「ストーカー(ロシア映画)」


この隙に(2002/6/3)
ADSL移行のために出来た空白で、一気に色々とやってしまおう。ネタとして、ストックしたモノの、更新しなきゃと言う焦りと、時事ネタに押されて、タイミングを逃してしまったネタで、一気呵成だ。


黒鷹墜落(2002/6/3)
ブラックホークダウン。なんだけど、実はけっこう見たかった。監督のインタビューで「この映画は、答えを与えるものではない。皆に考えて貰う材料でしかない」と言っていたからだ。

私は、映画や小説というモノは、そう言うものだと思っている。だから、答えを出した気分になっている映画や小説は大嫌いだ。勧善懲悪、自己欺瞞に満ちた世界は反吐が出る。merdreのデザイアのレビューでも書いたが「自分を正義だと思っている人間以上の、悪党や愚か者はいない」と思っている。自分だけの正義の名の下に、どんな悪党も思いつかない、残虐な事を行う。新興宗教のイカレた教祖を見れば一目瞭然だ。

作家や監督の「私はこう結論づけたが、皆さんはどう考えますか」と言う程度なら許せるが、自分の意見を絶対にして、唯一の真実とされると、それは違うだろうと、反論したくなる、私の悪い性癖だけど。最近増えた討論番組を見ても、自分の意見に固執するあまり、他人の意見を聞かず、他人がどういう心理で、そう言う発言をしたかを、考えようとしない。それでは、討論は進まない。

あらゆる発言はメッセージだ。無意識であろうと、意図的であろうと、何らかの「伝えたいこと」がそこに込められている。伝えたい事、伝えたい想いがあるからこそ、人は想いを言葉に代える。

そんな訳で、みんなに考えて貰う。と言うのは至極当たり前だったのだけど、取り上げられると言うことは、当たり前になってきているのだろう。解釈ですら、他人と意見が食い違うことに抵抗のある世の中なのだろうか?。少数意見は悪ではない。だから、公式設定もいらぬ、公式なエンディングの解釈もいらない。と思っている。

ブラックホークダウンの監督、リドリー・スコットだっけ?の「この事件を皆で考えて貰う映画」と言ったのは、ディズニーの「パールハーバー」への挑戦状だと、私は思っている。


環境問題(2002/6/4)
私は「地球に優しく」と言う言葉が嫌いだ。と言うことは以前書いた。今もその想いは変わらない。「しかたないから、優しくしてやるか」と言うタチの悪いヒモかジゴロの様な意図が感じられる。

そしてそれは自然環境をも、人間はコントロール出来る。と言う傲慢さすら感じるからだ。だからといって、自然回帰運動に賛同するつもりもない。人間が、経済、文化活動と止めたなら、それは人間という存在の全否定だ。だからといって、古代人が、愚かで感受性に欠けるか、と言えば、私は否定する。古代人の方が、感受性は高いと思う。それは、神話を見れば分かる。

さて、機動武闘伝Gガンダムにヒントを貰ったのだが、東方不敗が「人間さえいなくなれば、地球はキレイになる」と言うのに対し、ドモンが「人間もまた自然から生まれたもの、人間を排除するなど、自然を排除するも同じ」と言う主旨で返す。

ここにヒントがあった。カミキリムシは、住処である木を枯らすほど、食い荒らす。立派な環境破壊者だ。しかし、森という植生を考えれば、巨木が倒れることで、日照権が若い木にも与えられ、森の再生につながる。

森は宇宙、地球は森の中の一本の木、人間はカミキリムシ、と考えたなら、宇宙(銀河)としては、地球が滅亡する方が、役に立つのかも知れない。と言う考えを実行すると、スペースオペラになるんだろうね。地球という古木を捨て、新しい木を捜す。地球も、何百万年か前に発見された時は、若木だったのかも知れないしね。


スポーツと武道(2002/6/4)
世間とは、絶対的な温度差があると思うが…K1はスポーツだ。と言うか、競技会を目標にしているのは全てスポーツだ。

私は、「武とは勝敗の向こう側に在るもの」と考えている。勝った負けたで、一喜一憂するのではなく、己を律することに精魂をつぎ込むのが、武である。極真空手の偉い人が書いた「我が武道空手」と言う本の中でも、マス大山(だっけか?)が、世界大会向けのスポーツ選手と、武道としての空手家を分けて考えていたことからも明白。

空手や、弓道をしている人に聞くと、武とは「無我の境地」とか「一射成仏」と言う。ならば問いたい。牛が荷車を引かなくなったとき、あなた達は、鞭で、荷車を打つのか、牛を打つのかと。

無我の境地を体得したから、悟り(武)の境地に立つのではない。武の境地に立ったから、無我の境地を体得したのだ。無我の境地や、一射成仏は副産物である。技術を得るために、技術を磨くのがスポーツ。己を磨くために、己を研鑽するのが武道である。と今の段階では仮定しよう。

そこに、スポーツと武道の温度差があるのではないかと思う。卓越した技術者で終わるか、魂の職人を目指すか、それは人それぞれだ。


寿命(2002/6/4)
映画ハイランダーのレビューでも書いたが、永遠の命なんて、タダの拷問だ。人間の精神、生命サイクルを考えると、1000年以上の老いない肉体は、不老不死と同義だ。1000年を越えたら、不老不死と同じだけの覚悟がいると言うこと。

寿命に対する感覚は、金銭感覚と同じで、100万をはした金と思う人もいれば、一万円を大金と思う人もいる。ココに揶揄があって、1000年や2000年の寿命を欲しいという人間なんぞ、無駄遣いをするに決まっているのだ(笑)。つまり、なんぼ寿命があっても同じだ。

知人縁者を送り出すだけの人生なんて味気ないし、耐えられない。うわべだけの知人で満足している人ならば大丈夫かも。

つまり、不老不死に近い状態に耐えられる精神力は、非常に未成熟な子供の魂をもった人か、神仙の域に達し、もはや人間ではなくなっている。つまり、未成熟のままでいるか、人間を超えてしまうかだ。俺はどっちもヤ。反論があるかも知れないが、自分は20代のまま、嫁や子供は、自分を追い越して、老年、中年になっていく…親しい知人も死に…ひとりぼっち…普通の人間なら、耐えられまい。

自分が70才のメンタリティーで、20代の人間との友情を、そうそう築けるわけもなく、うわべだけの空しい知り合いだけが増えていく。それで満足できるメンタリティーならば、子供と言っているわけ。

それでも、欲しい?。永遠の命。昔話でも、人魚の肉を食って、長寿となった八百比丘尼も隠遁生活を送った。そんなもんだ。夢を追い、密度の濃い生涯を送るには、寿命は50〜60年で丁度良いのではないだろうか?。人生の締め切り日である寿命は…

時に、脳細胞は減るだけだ。3000年と言う寿命の場合、3000年分の脳細胞を初めから持って生まれるか、脳細胞を再生するかだろう。再生した場合、死滅した細胞から記憶は伝達されるのだろうか…それとも、すっぽりと抜け落ち、痴呆症の様相を見せるのか。そもそも、シナプスへの電気信号パターンは、年々変化する。昔のことを忘れるのは、滅多にシナプスが連結されないからだ。

千年を生きる人間の脳細胞や記憶は、どうなるのだろう。まぁ、脳細胞の死滅を現状で照らし合わせたからこうなるのだけど…もしかしたら、100年サイクルで、記憶はリセットされ、イチからやり直すのかも知れない…でもそれじゃ、長寿の意味ねぇじゃん?。もし、古い細胞から、新しい細胞へ記憶の譲渡が行われるのなら、何一つ忘れられず、と言う寿命以上の苦しみを味わうことになる。


弥山(2002/6/4)
なんで、こんなに一気に書いたかというと、山登りしてきました。
神聖な宮島は弥山に…と言いたいのですが、森が持っているはずの清涼感が全く無い。やはり、あれほど人の手が入っていると、ダメなんだろうなぁ…それでも、色々と考えることは出来たので、良しとしよう。

私の方が下界の垢に汚れて、受け取れないのかも知れないけど…でも、神聖性にほど遠く、清涼感すら無い。と言うのは問題だろうな?

あと、寺の坊主の態度が悪かった。御仏に使える人間が、めんどくさそうな顔して応対したらイカンよ。顔つきが、ヤンキーくさかったので、中高とやんちゃしていたが、行き場無く、跡を継いだ。と言う設定を付与して、理性を保った私であるよ(笑)


WC(2002/6/6)
ベルギー戦、隣近所から歓声が上がったので、点が入ったな。と思ってテレビ付けると、その通り(笑)。日本には、嬉しい引き分け。ベルギーには、手痛い引き分けとなったわけだ。ここ一番に弱い日本のこと。ロシアに勝って、チュニジアに大敗し、得失点差で、決勝進出ならず。と言うオチがつく読んだ(笑)。

他のサイトは「おめでとー日本」とか「結集進出、確実だ」とか、うかれポンチな事を書き連ねているのが、ほとんどだろう。テレビがそうなんだから。まぁ、地元だからしかたないと思うけど、日本贔屓の報道が痛々しい。つーか、審判のせいにしちゃイカンよ。主審が、WCデビュー戦だったからと言って、関係ない。それこそ、気合い入れてやっているはずだ。柔道の審判制度とは違い、サッカーの審判制度は、厳しいハズだ。

篠原戦以降、すぐに審判があーだ、こーだ言うのは、見苦しい。確かに、篠原、ドィエ戦は、異常なほど明快な誤審だったが(笑)

見苦しいと言えば、うかれサッカーファン。現状のファンをサポーターなんて呼びたくない。ずっと応援している真っ当なサポーターに失礼だ。大抵、バカ騒ぎしている連中は、平時、サッカーに興味なんて無いし、お祭り騒ぎと、話題性のために飛びついているに過ぎない。引き分けで、なんであんなに興奮できるかな?。

チケット取れなくて、器物損壊で逮捕されたバカ大学生がいたが、アレもサッカー好き、と言う理由ではなく、ワールドカップという話題性から外れ、世間から阻害される恐怖感が、あそこまで追い詰めたのだろう。彼女か、友達かに、ワールドカップを見たと言う一言で優位に立てるからだろう。

これは、ちょっとでも、マスコミがあおった映画に飛びつく現象とよく似ている。内容の善し悪しでなく、話題から取り残されないこと。それだけに、専心するのは、情け無い。と言うか、見苦しいというか…

そもそも、サッカーって見るより、やるスポーツだと思うんだよね。経験者が見たなら、陣形とか凄く面白いと思うんだけど、そうでないなら、勢い個人技だけの凄さだけになって、集団スポーツとしてのサッカーを見てないのではないかと思う。私は、パススペースを潰しているDFの動きを見るのが好きだ(笑)。カメラは滅多に写さないけど(笑)。

あ、あと、FIFA会長とバイロム社は、癒着していると思う(笑)。これほどの不手際さと、それを庇護する会長を見ていれば、一目瞭然。普通なら、会長が率先して怒るよな。


だからお前は…(2002/6/7)
アホなのだぁッ。ちとローカルネタ。2002/6/7付けの中国新聞の社説つーの?。天声人語に当たるところ。

そこで「東京の知人も、遊覧船から見える風景が、護岸とビルばかりと言っていた」と言うのを引き合いに出して、被爆者の絵を飾るだの、被爆都市としての色合いを出せていないだの。分かっちゃいねぇなぁ…誰が、遊覧船に乗ってまで、平和学習したいって思うんだ?。

そんなことを言うんだったら、いっそのこと、市街地を破壊して、投下直後を疑似体験できる、一大被爆地アミューズメントにしちまえ。憤慨するんじゃねぇぞ、今でも、そのくらい恥さらしなことをやっていることに、まだ気がつかないのか?。

平和活動は、平和活動。観光事業は、観光事業。平和運動を観光事業に組み込んでいる現状が誤りであることに、なぜ気がつかない?。観光と平和活動をは、別個のもとして考えられない限り、この県に未来はない。まだ、わからんのか。

上記の東京の人も、単純に「見所のないところを遊覧する遊覧船の矛盾」を言っただけと思われる。嬉しい楽しいで、観光に来ているのに、原爆資料館に入る人間が何人いる?。そんなことも分からないのか?。

平和学習のついでに、観光する人間が何人いると思う?。平和学習のために、自費で訪問する人間が何人いる?。いや、だからといって、そうした事業をないがしろにしろ。と言っているわけではない。観光とは、分けて考えて欲しい。と言っている。

ハワイなんて、真珠湾の戦争記念館と、観光は別個に設定されている。たぶん、他のところもそうだと思う。長崎とか。

そう言えば、平和公園で設備が破壊されたり、落書きなどの悪戯が耐えないのも、半ばアミューズメントパーク扱いで、来園しているからだろう。平和公園は、平和について考える場所でも、死者を鎮める場所でもない。見せ物小屋になっているからだろうな。8/6の式典も、どんどんショーアップされているし…まったく嘆かわしい…

本当、いい加減で、古傷を見せびらかして、哀れみを乞うような真似は止めて欲しい。つーか、気づいて欲しい。新聞社とか、広島で有識者を気取る人間たち。本当に、気がついて欲しい。死者をも食い物にしている事を。

時に遊覧船なんだが、太田川は水量が不安定で、定期的に出航できない。それなのに、通勤の足として活用しようと考えたグループもアホなんだが…また、遊覧船が、小型フェリーみたいなタイプで、情緒もなにもない。せめて屋形船とか、屋根ナシの小型船の方が良いに決まっている。

歴史ガイドの爺ちゃん(被爆の語り部ではなく、ちゃんとした歴史や民話を語れる人)を一人付けて、ランチ付きで、二千円のクルーズだったら、集客できないかな?。ディナーにして、ナイトクルーズでも可。夜は都市に魔法をかける。と言ったのは誰だったかな?。とにかく、人は、昼間は、どんなに小汚い街でも、夜景は美しいと感じるものだ。


オン・ボード(2002/6/12)
自然休戦は終了し、再度奴らの侵攻が始まった。まぁ、奴らと言うのは、ゴキブリなんだけどね。

しかし、ゴキブリって、なんで嫌われているんだろうね。別に噛むわけでもないし、毒があるわけでもない。確かに、雑菌はいっぱい持っているだろうけど、それはハエや他の虫と大差ないと思うんだけど…やはり、室内に出る。つまり、領土侵犯されたという思いがあるのだろう。あとサイズも…国内では大きい方の虫だと思うし。

私も苦手なわけだけど、私はあの足音が嫌い。カサコソ…カサコソ…って言うのが気になる。コンビニ袋のすれる音とよく似ているので、安心していたら、ヤツの姿を発見したわけさ。ようやく、地雷であるホウ酸団子と、メインウェポンのスプレータイプを購入。今までは、コンビニ袋を手袋に、直接捕獲していた(笑)。握りつぶすのもイヤなので、口を縛ってゴミ箱に捨てるのだが、カサコソ音が響くので逆効果…

特に私は虫によく好かれる。なんかこそばゆいと思って、そこに手を伸ばすと虫が捕まったりする。ちなみに、すね毛が静電気でもぞもぞする。と思ったら、あぐらを組んでいる、足にゴキブリが乗っていることもあった(笑)。

虫が寄ってくる、イコール、臭い、体臭がきつい。とか思われがちだが、ちゃんと毎日お風呂入っているし、石けんで身体洗うし…逆に考えると、それだけ虫に存在が悟られていないのではないだろうか。つまり穏行、気配を消せているのだ。と言うことで、自分を納得させよう…桃のボディソープでも使おうかしらね(笑)


ETV(2002/6/13)
深夜に作業するときの友は、NHKのETVの再放送なんだけど、今回は「世界の子育て」と言う番組だったのだけど、そこで「一見して性別の分からない赤ん坊」を、「男の子」と言って渡すと、男の子として扱い、「女の子」といって渡すと、女の子として扱い、「性別を告げない」で渡すと、大人の自分勝手な思い込みで、男女を決めてあやすのだそうだ。

番組は、男女平等教育(男女の学習機会均等ではなくて、性差無く教育する)と言うテーマだったのだけど、確かに、勝手な大人のイメージ、女の子は人形が好き、と言ったイメージを間違いなく、押しつけている。

男らしさ、女らしさと、家事や育児を分担したりと言った生活上の分業とは、切り離すべきではないだろうか。いわゆる伝統的な男らしさ、女らしさ、「女は家を守る」「男は厨房に入るべからず」と言った価値観で、物を見ている時点で旧体制に囚われている。と思う。

料理をすることと男らしさは別物だし、仕事をすることと女らしさは別だとおもう。それらは、民衆の最小単位である家族を支配しやすい様に宗教や政治によって歪められてしまった男らしさ、女らしさで、家事を好む事と男らしさは関係ないし、肉体労働と女らしさも関係ない。

男女平等教育の先進国、ニュージーランドの男女の双子が紹介されたが、同じおもちゃを与えても、男の子は、車が好きだし、女の子は人形が好き。女の子はままごとが好きだし、男の子は体を動かすのが好き。と言う傾向が出る。

肉体的、先天的な性差は必ずあり(無かったら、性別が存在する必要はない)、その肉体的・先天的性差と、支配者が管理しやすいように作り出した、社会的・宗教的な役割分担の性差と混同しているのでは無いだろうか。

結局の処、男女平等教育という物も、社会的な性差に囚われている証拠ではないだろうか。男女を同じように教育するべきか、と言う問いに「NO」と答えた女性学者は「男女で好みは違う、それを無理に同じように教育したなら、歪めているのと同じ」と解答した。確かに一理ある。

が、私が感じたのは、この問いに答えた学者たちの基本条件が一致していない。と言うことかな。YESと答えた学者も、NOと答えた学者も、目指すトコは同じと感じた。パネラーが言っていた、「男女性より個性」と言うことだと思う。yesと答えた人たちは、社会的な性差教育が当たり前の世界に住んでいて、NOと答えた人は、社会的性差の少ない世界に住んでいるのだろう。

じゃあ、本当の男らしさ、女らしさってなんだ。って事になる訳なんだけど…なんだろね。結局は、個々人の理想像なんじゃ無いかなぁ…ただ、その理想像も文化や教育で汚染されているわけで…書物や大人の語る物語に憧れるわけだし…男らしさ、女らしさと言う言葉そのものが、社会的性差の産物なのかなぁ…


なんちぇ〜(2002/6/14)
ちっ、日本勝ってやんの。4−0で、チュニジアと予想した面目が…そう言えば、一位はロシアと予想してたなぁ…でも、主力怪我してたしなロシア。

まぁ、近所から歓声が上がってテレビ付けたら、点が入っている。と言うパターンだったのだが、後半で1−0だったのを見て、チュニジアの2−0で負けたなぁと思っていたのだが…やれやれ。

読みがコレだけ外れると、私談・耳袋に真実みが無くなるね…まぁ、完全にコントロール出来ているわけじゃないし、自分の願望と予想を混同している場合もあるので…どちらも、不意にわき起こってくる物なので、予知と願望の区別は付きにくいのだ。と言い訳しておこう。実際に、誰かからテレパシーが送られてきた場合、いわゆる心の声とか、インスピレーションによる不意の発想、そして空耳や幻聴と認識することの方が自然だろう。一般人にテレパシー送ったって、そんなもん(笑)。

時に、ラモスやカズが主力だった頃と比べると、日本選手も、随分とボールタッチやトラッピングが柔らかくなっている。昔は、一度ボールを弾いて追いかけてドリブルと言うレベルで、欧州の選手は、足にボールがくっついてんじゃねぇのか?、と思ってしまうぐらい、トラップ即ドリブルと言う速さと柔らかさに驚いたのだが、追いついてきているねぇ…

しかし、本当に開催国には、何かが憑くのだろうか、と言うぐらいの快進撃ですな。でも、何となく、ドイツとメキシコと言う気がする。トーナメントの位置を知らないから、何とも言えないけど、決勝戦はドイツとメキシコ。そんな気がする。


座す(2002/6/18)
未だに、すぐに椅子を勧められて困るのだが、骨、神経系の腰痛は、座っている方がツライ。寝ている方が楽だが、座るよりは、立っている方が良い。ので、基本的にはずっと立っている。まぁ、足も疲れていると座りたくはなるが。特にイスは天敵だ。柔らかいソファーになるとなおさらだ。

とは言っても、立って食事をするわけにもいかないので、座るわけだが、最近、あぐら。と言うより座禅の坐り方が一番楽だと言うことに気がついた。さすがは、座宗とも言われるだけのことはある。もちろん、両足を組むとツライので、片足組み(半跏趺坐)。ポイントは、背筋をしっかり伸ばすこと。

実は、正座も腰痛治療の一環であるらしく、背筋を伸ばして、正座することで、背筋が矯正され、脊椎を正しい位置に戻すのだそうだ。しかし、正座は、体重の重い私にはツライ。やっぱ、半跏趺坐だね。


ADSL(2002/6/18)
念願の…と言うと大げさか、さんざん脅されたADSLも無事に接続。しかし、やや接続が不安定。しかしコレは、回線が不安定と言うよりも、パソコン本体が原因のようだ。メモリ不足かも知れぬ。

そんなときは、フレッツスクウェアへ接続してから、通常接続すると上手く行く。ま、このくらいの手間は惜しむまい。最近は、この症状、まったくでないけど

確かに速い。今まで、トイレに行って帰ってきても、まだ画像の展開中だったことは多々あるが、それも改善。本体性能が、MMX233のメモリ128だっけかな、と言うロートルなので、コレを改善すれば、まだ速くはなりそうだ。僥倖、僥倖。


ガウチ(2002/6/21)
イタリアサッカーリーグのペルージャオーナー(だっけ?)、ガウチ会長。あれは、放っておけばいい。
日本で言うところの、大正力とか、ナベツネみたいなモノでしょう。最近は、ナリを潜めているけど(笑)。

イタリアや地元ペルージャではあまり取りざたされていないことからも「またか」と言う感じを受けるし。読売ベルディか、東京ベルディかで、色々、ごねたナベツネと同じだよ。

権力の座に長くいると、子供じみた癇癪を容認される傾向があるのは、世界共通なんだなぁ…つーか、個人の性格の問題か。

そう言えば、イタリアでも、審判の誤審のせいで負けた。と言う風潮があり、これも世界共通なんだなぁ…とか思ったり。


テレフォンアポインター(2002/6/23)
「郵便物の件で」と言う電話がかかってくる。結論として、宝石卸店の電話による直接勧誘だったのだが…宝石買うような甲斐性はない。つーの。で、私の担当と自称したアポインター…話術下手(笑)。特典が、100杯までウーロン茶、アイスコーヒーのみ放題とか言われてもなぁ…献血センターいけば、お菓子まで食べ放題だし(笑)

たぶん、バイトかパートなんだろうなぁ…通常、こちらの関心を引きつけるべく、話術を展開するのだが、雑談始める始末(笑)。ん〜、こっちの仕事内容とか、あんたの取りたい資格の話を聞いても仕方ないし、私の結婚願望の無さとか、恋愛感情の稀薄さの説明をするいわれはないわ…めずらしく、私から話題切っちゃったよ(笑)。資格試験の課題提出が火曜までなんじゃあ〜。おかげで、予定が狂う狂う。

あまりに話しに乗ってこないので「えーん、どうしよう?」と言う思考が流れ込んできて、非常に邪魔くさかった。哀れみ半分、怒り半分でね。しかし、あの分ではノルマは一生達成できないだろうなぁ…時間に余裕のあるときならば、相手しても良かったけど(笑)。絶対に「いぢめられっ娘」だったに違いない。どんくさくて、ちょっかい出されて、可愛がられるタイプであろう。

一番笑ったのが「彼女とかいないんですか」「いませんが」「私もいない人なんで〜」…後ろで、子供番組と二歳ぐらいの子供の声がするのだが(笑)。ま、離婚なりシングルマザーやも知れぬ。と思って触らなかったのだが…バレ無いと思っているのかなぁ…つーか、そんなトコまで、気にしている私がおかしいのかな?。ふふ、子供の頃に読んだ「名探偵になれる本」「名探偵大百科」のおかげかも知れぬ。

時に、1カラットのアクアマリンプレゼント。とか言うておったが、今のご時世でそれは妖しすぎる。つっても、アクアマリンは安い石だから、大したことは無いのだけれど…三月に生まれていたら行ったかもね。Σ(゜U゜;)清美ちゃん3月生まれだった気が…まぁ、宝石送るような間からでもナシ。そんなコトしたら、向こうも退くわ(笑)。「贈る」でなくて「送る」なのがポイントです(笑)。

あ、調べてみたら、アクアマリンとエメラルドって、サファイアとルビーの関係なんだね。緑柱石の亜種なんだ。アクアマリンとエメラルドって。


実は…(2002/6/23)
上記のテレホンアポインターが「えーん、どうしよぉ?」と言う、思考波を発して、おたおたしているのに、ちょっとだけ萌えました(笑)。Sッ気出てきたのかなぁ…


A.O.Z(2002/6/24)
アドバンスト・オブ・ゼータの略で、ホビージャパンかなんかの企画だったかなぁ。まぁ、ガンダムセンチネルの二番企画(笑)。二、三ヶ月は前の話なので、もう本編は始まっているかも知れない。

なんでも、新進気鋭の推理作家を起用して、ティターンズ視点からのグリプス戦役を小説化するらしい。ティターンズは戦後処理に必要だった。と言う論旨を中央に据えるらしい。ティターンズの正当性とか、エリート部隊に採用された青年士官の誇りとかを手段にするとか。ここにすでに間違いがある。

戦後処理、ティターンズの成立は、83年のデラーズフリート争乱以後である。連邦軍の立場からすれば、これは反乱、内乱であり、いわゆるクーデターの失敗で、戦争とは認めていないはずである。事後処理はあっても、戦後はない。

加えて、ティターンズに配給されたモビルスーツは、コロニー制圧モデルであるジム・クゥエル。戦後処理や、ジオン残党狩りを目的とするならば、地上用、特に砂漠用にするべきではないのか。ジム・クゥエルによって30バンチ事件(コロニーに毒ガスを注入)が実行される。コレのどこに、正当性があるというのだろうか。

ティターンズの元ネタは、ナチスの親衛隊ではなく、レームのSA(突撃隊)と思う。親衛隊は、元々私兵で後に正規軍に編入されたと言う経緯はあるが、ティターンズも、発端はどうあれ、ジャミトフの私兵である。センチネルの教導団の様に、ジャミトフから遊離した地球至上主義者の視点なら、なんとかなるかも知れないが…すでにセンチネルでやっているし…

私なら、ミネバ奪還作戦ネタがあるんだけどなぁ…これ書こうと思ったら、79年から書かないと意味がないんだよなぁ…むう…


ベスト4(2002/6/24)
サッカーそのものが、あまり好きではない私は、ほとんど観戦していないのだけど、えらく疑惑が持ち上がっているようで。韓国で行われる韓国戦で。確かに、それらのニュースレポートを読むと、かなり見え見えの悪辣ぶりだ。が、一方的に信用するわけにも行かない。とは思う。

でも、確かに韓国戦では、敵側に必ず退場者が出ているんだよなぁ…うーん、こんな事なら見ておけば良かったなぁ。イタリアで、審判のせいにするのも納得出来るなぁ…でも、ガウチ会長のアレは子供じみていると思う。あと、日本での試合にもちらほら散見…

オリンピックとワールドカップに、黒い霧がかかるのはいつものことなんだけど…ここまで、ひどいと、バイロム社が、日本のスタジアムに空きを作ったのも、意図的で、日本失敗、韓国成功と言う印象を世界に与えるタメじゃないかとか、日本大使館への駆け込みですら、韓国情報部の謀略じゃないかと邪推してしまうなぁ…

まぁ、選手には罪はないわけで、一部の無粋で、経済利益だけを追求する一部企業のトップの人間の一部がぶち壊しているわけだけど…それでも、選手は嬉しいのかなぁ…審判が手心を加えて判定すれば、選手には一発で分かる。

私も、審判のイカサマで負けたことがある。投げられたときに身をひるがえして、ポイントを防いだ。選手二人とも、ポイントが無いことは分かったので(あっても効果程度)、そのまま寝技の攻防に移った。その時に、審判が首を傾げながら、投げ技に対して「一本」を宣告した。勝った相手選手は、複雑な表情をし、私は納得がいかなかった。

控え室に戻ったとき、相手選手がチームメイトに冷やかされ、本人も沈痛な表情で私を見たことが救いだった。確かに、実力差は天と地程の差があり、100回やっても勝てなかったろう。それでも、力一杯やりたかった。

審判が手心を加えたら、選手には勝っても負けても、遺恨が残る。あ〜でも、いたわ。イカサマしても勝とうとするヤツ。自分の顧問やコーチが審判しているところを狙うヤツ。講道館主催の月次試合の予選は、空いた審判のところへ申し込む形なんでね。韓国選手は、そんな匹夫じゃないと信じたい。

韓国の人は、プライドが高いと聞く。ならば、そのプライドに恥じないように、花郎徒(ファランドー)精神に恥じぬ高潔な戦士だと胸を張れるように。

ドイツのコメント聞いてると、リッター(騎士)は死なず。って感じですね〜。武士道は地に落ちたけど(笑)。


一段落(2002/6/26)
ようやく、一段落尽きました。資格試験が終了しました。あとは結果待ちと。特に焦りもないので、合格しているでしょう…たぶん。

色々と、刺激があったので、色々と書きまーす。とは言っても、フリーシナリオがまだだった…(T.T)


ふにゃふにゃ(2002/6/28)
一段落ついて、気が抜けて、やばいなぁ…と思っていたら、やっぱり体調崩しました。まぁ、ここ二、三日、一転して、冷え込んだので、そのせいでもあるのでしょう。風邪を引きやすいのは、ハウスダストやカビのせいだ。と言うのもあるので、掃除しようかな。

つーか、掃除しようかなと言う時点でアウトだよね。いや、商売柄、辞書や資料の類が散乱しているので…しかも、メモ魔なので紙切れを捨てられないと言う…困ったね。別段、家事はキライではないのだけど、掃除だけは苦手。適度に散らかっている方が落ち着くし。

ワールドカップは、優勝国よりも、再選したばかりのFIFA会長の進退の方が気になっております。

今更ながら、ネットオークションに手を出しまして、まぁ、色々と思うところはありますが、日本の民衆にオークションと言う土壌が無かったせいもあって、無知から来る傲慢さに、ちと辟易。通常のオークション(ササビーズとかの高級会場でなくても)で落札したものを、どんな事情があれ、商品をキャンセルしたら、その会場には、二度と出入りできなくなると思う。

いや、結構あってね。落札後のキャンセルに対して「非常に悪い」と言う評価に切れる、落札者が…わかってネェなぁ…と。そう言う人に限って、荒らしのような真似をする。メールのやりとりではなく、評価欄でケンカするのな…

あと、代理で競っただけなので、入金の不備に対するクレームは受け付けない。とか言う落札者とか…バカだ…例え代理でも、落札者が代金を支払い、その後、落札者が依頼者から代金を徴収すべき。多分こういう人が、名義貸しとか、連帯保証人とかで、苦しむのだろう。

高速道路とかもそうだけど、西欧とかで機能しているからって、システム丸ごと持ってきても失敗するよな…そんへん考えないと…野球とかの移籍でもそうだよね。活躍している有名選手をゲットしても、活躍するとは限らない。それは、チームごとのシステムに影響されるからだ。故に、あるチームでは名もない選手だったのが、移籍後、バリバリ活躍するケースもあるわけだ。


レゲー(2002/6/29)
片方はレゲーに入るかどうか、わからないけれど、DCの「もえろ!ジャスティス学園」と、SFCの「ファイアーエムブレム紋章の謎」をプレイしております。FEの方は、知人に勧められたのだけど、その人たちのように、心底はまれてはいない。面白いのは、面白いんだけどね。

どっちが先かは知らないけれど、メガトライブのシャイニングフォースみたいな感じ。武器に耐久度があるのならば、インターミッションで買い物させて欲しかったなぁ…まだ中盤ぐらいだから、シナリオどうこうは、避けるけど…うーん…ま、シミュレーションRPGってのは、キャラ萌えゲームだからねぇ…ツボキャラ、つーかツボを突くほど深いシナリオじゃないんだけど?。

被ダメージの大きさの割にキャラクターの成長率の悪く、クリティカル発生率の高さを考えると、とてもバランスの良いゲームとは言えない。しかも、死亡したユニットは、蘇生しないと言うリアリズム…は良いんだけど、それでゲームクリア不可になるのは、どうなんだろうね。結局、リセットを推奨しているような気がして、なんとも複雑な気分だ。

リアリティを追求することが、良いゲームではない。ゲームは所詮、空想の英雄物語。その爽快感を無くして、泥臭くすることで、楽しさが増すとは思えない。ゲーム的リアリティと、現実的なリアリティを混同してはいけない。

ジャスティス学園は、キャラエディットが出来るというので、購入。やっぱ、カプコンはアクションゲームメーカーだね。せめて、必殺技は、フリー装備にして欲しかったわ。アレを装備すると、これが装備できない。と言うのは、かなりストレスが溜まるし、エディットと言うのは、キャライメージがあって、メイキングするので、イメージ通りに行かないと、非常にストレスが溜まる。

やはり、ミニゲームでポイントを稼いで、そのポイントで、必殺技を購入する形にして欲しかったなぁ。あと、外道高校にして、顔もヤンキー系にしたのに、爽やかボイスでいやぁんな感じ。せめて、何タイプか選びたかったね。

ゲーム本編は、ハッキリ言って、速攻生徒会の逆輸入。一言で言うと、バカゲー。こんな高校生と教師がいたら、怖すぎ且つ楽しすぎ。一般生徒は、困ったもんだね。ザキの「おらぁ」とか、まんま本多愛(笑)。ポリゴン大ブームだった2000年のゲームらしいわ。ただ、ガンパレと同格の画像って言うのは、ちょっとなぁ…DCなのに…プレステと同程度かよ…


神話学(2002/6/30)
学生時代神話学を専攻していたと言う方のサイトを見つける…同じく、Dionサーバーだったので、Dionは濃い人が集まるのかなぁ…とか思ったり。ともかく、日本に神話学学会が無いことを初めて知った(笑)。

そこはまぁ、神話学の概要と言うか、神話学って何?と言うサイトでした。つか、文系学部なんて、全てに哲学や心理学を内包していると思うので、改めていわんでも…と思ったりした。例えば、英文学専攻にしても、著者の意図だけでなく、登場人物がなんの比喩だとか、その作品が世間に与えた影響をも考察するものだと思っている。ドン・キホーテのロシナンテが疲弊したスペイン。向かっていく風車が、強大化したオランダの比喩だったとかね。

最近、師匠から「オッカムのカミソリ」と言う言葉を教えられ、いろいろ調べたりしたが、意味が分からなかった。虚飾を剥ぎ、真実と真意を剥き出しにすることが、考察というもの。改めて「オッカムのカミソリ」と言う言葉を持ち出す必要もないと思うのだが…まぁ、大抵のレビューサイトと歌っているにもかかわらず、パッケージの粗筋や、宣伝文句を丸写しして、レビューとか考察したつもりになっているサイトが過半数を占める現状では、重要なのかも知れない。オッカムのカミソリは。

ちと、話がそれたけれど、とある会合で、死生観について話し合ったまとめが興味深く読んだ…通常、死生観(死んだらどうなる)は、宗教の数だけ、あの世(冥幽界)が存在する。神話学だからと、古事記だけ限定するのは、どうだろうか?。世界の冥府観を列記されてもなぁ…せめて、宗派ごとに、あの世はパラダイスなのか、否か。ぐらいは、考察して欲しかった。

農耕系は死後に苦しみ多く、狩猟系は死後に楽園を見ている気がする。アメリカの黒人奴隷の葬送がパレードのようなのは、奴隷という苦しみから解放された喜びを暗喩しているように、食糧事情が安定せず、狩りの際、死の危険が付きまとう狩猟系は、死後の世界に幸福を求めているようだ。反面、農耕系、シュメール系では、死後の世界には苦しみしかない。と断言していたりする。

ちなみに、死後の世界が、天上、地上、地下、いずれにあるか調べるのもまた楽しい。日本は、根の国(黄泉)や、地獄のイメージのせいで、死後の世界は地下にあると思われがちだが、実際は、地続きだ。

「草葉の陰から見守る」と言う、言葉がそれを証明している。日本は古くから、山岳信仰があり、山は神域、つまり異世界であった。神に善悪はなく、時に優しく、時に荒れる自然神であり、正しく祭ることで、怒りを避けようとしている。

山は、神域で異世界である。この考えを、山中他界観と言う。つまり、村の境界線、山や海の向こうは異世界。カミ、すなわち霊魂の世界である。と言うもの。草葉の陰とは、村外れのあぜ道の手入れしていない方、つまり山側の事である。

こうした観点の宗派では、死とは、ただ住まう、所属する世界が別世界になるだけで、死後は死後の世界で、日常生活が存在すると考えているようである。別に責め苦も、至福の時も無い世界だ。里帰りするように、盆に戻ってくる。そんな感じ。輪廻思想はまだないわけだ。古代宗教の考え方は、多少の誤差があっても、全てここに分類される。

だからこそ、エジプトでは、戻ってこれるように肉体を保存していたし、シュメールでは、戻ってきて暴れないように、死体を縛ったりしている。屈葬や埋葬も、基本的には、化けて出てこないためのモノで、墓石は重石であり、くさびなのだ。

ほら、ちょっと考えただけで、これだけ浮かんでくる(笑)。浮かんでくる私が異常なのかなぁ…


密かに…(2002/6/30)
なんか、見られていそうで非常に怖い(笑)。別に他意はないので、起こらないで下さい。私のサイトでも、密かに神話学って連発しているし、絶対にグーグル様に引っかかると思うので…

講義メモで、自然神>動物神(人身獣頭神)>人間神となって、信仰の進化?。となっていたか…なんかなぁ…ただ、物語性が強まっただけでしょ。科学書から、小説になっただけ。それに、動物神は、部族のトーテムで、神話で神が争った場合、部族(ないし国家)戦争があったと考えて良い。

例えば、アテナとアレスは非常に仲が悪く、敵役はいつもアレス。コレは、アレスがトラキア地方の神で、それをオリンポス(ギリシア)神話に組み込んだ為。と言われている。部族トーテムは、ネイティブアメリカンに顕著だが、トーテムは、いわゆるシンボルマーク。単純に、模倣魔術と言う考え方もあるけれど、部族の結束として、同一の神を信じる事は有益なので、発端がどっちでアレ、差違はない。

あと、件のサイトの掲示板内容だけど、聖数は、3と7だけではない。世界的に安定して好まれているのが、3と7なだけ。数秘術では、1〜10まで、意味があるし、中国では13は縁起が良いとされているそうだ。

数秘術で、7が強大なマジックパワーを持っていると考えられているのは、3+1+3だからだ。3(下位の三要素)、1(人間、自分自身)、3(上位の三要素)の全てを持っているとか、4+3。4(基本的な美徳の4つ)、3(神智学的な美徳)があわせっているからとか考えられている。

最強は9で、3*3であり、3+3+3であり、二乗倍しても、加算しても、9に戻るからだ。9*9=81。8+1=9。9+9=18。1+8=9。
ま、数秘術って、こんな感じ。

フレッド・ゲティングスによると、聖書で、神は七日目に休み、その日を祝福したから。と言うのが理由だそうだ。しかし、聖書を作った人間が、7を特別視した理由があるはずで、そこに真実があるのかも知れない。

まぁ、オカルトや神秘学抜きに、神話は語れないので、機会があれば勉強しておくと良いと思います。表面なぞるだけなら、いらないけど。そもそも、私がオカルトを始めたのは、キリスト教によって、悪魔に組み込まれた神々の実像を探るために、悪魔学に手を出し、悪魔学を理解するために、オカルトを始めたのです。故に、オカルト否定派(笑)。

オカルト、つまり神秘学って、迷信に埋没した科学だし、迷信や戯言の中から真実を見つけだす学問だと思う。昔の人は、何を思い、何を願い、迷信を生み出し、魔術や黒い奇跡を欲したのか。それを抜きにして、資料集めに奔走しても無意味だ。文系学者って、文献データベースを作るのが仕事なのか、とか思ったり(笑)。

そら学会作れないのは理解できる気がする…日本で数少ない神話学の講義をもっている教授の論文がアレでは…



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