四月の夢酔

答えを探せ…キッド。お前自身の魂の檻を突き破り…迷うことはない
−ジュダ『ムーンクエスト(桐嶋たける)』
目覚めよ、魂の檻を突き破り、封じられしその力
−ポーリィ&アナステシア『ムーンクエスト(桐嶋たける)』


魂を檻から解き放て(2002/4/1)
私は今でも人間に限界はないのではないかと思うことがある。100メートルを10秒以下で走り抜けたり、42キロを二時間10分以下で走り抜ける。とてもではないが、普通の人間には出来ない。それを才能、資質と言って流してしまうことは容易い。

面白い話がある。マラソンのトップランナーの乳酸、つまり疲労物質の回復力は、人間では考えられない数値を叩き出しているそうだ。超人と言っても良いほどの数値だそうだ。素手で角材を切る格闘家の拳速は、人間が出せる範囲を遙かに超えているという。

ルーンクエストと言うテーブルトークゲームがある。その中にドラゴニュートと言う種族がいる。彼らは、ドラゴンの幼生で、外見は二足歩行のトカゲであり、リザードマンと言っても良い。彼らの特徴は不死身であると言うこと。ただしそれは「いつかはドラゴンになる」と言うことを信じている限りは…だ。少しでも、ドラゴンになれるかどうかを疑ってしまうと、不死は失われる。ドラゴンにも成れない。

人間にも、似た能力があるのではないか。スポーツドリンクやシューズの進化があるとは言え、2時間7分で、42キロを走れるものではない。マラソンランナーは信じているのだ。走りきれることを。記録を更新できることを。その証拠に、マラソンランナーには、棄権癖と言うものがある。何度も、棄権していると、すぐに諦めて棄権してしまう。つまり、走りきれると信じられなくなったのだろう。

人間にとっての限界は、自分自身がもうダメだ。コレ以上出来ない。と考えたときではないかと思う。自分で自分の限界を勝手に決めて、自分自身を檻に閉じこめてしまう。もしくは、周りの声に囚われて、自分を檻へ閉じこめてしまう。

壁にぶち当たる。スランプに入る。そうした壁もまた、自分自身で生み出しているのではないか。疑うことなく、純粋に信じ、研鑽を重ねれば、人間に限界はない。もちろん険しい道のりだ。嫉妬深い人間が、貴方の純粋さを妬み、うらやみ、堕落の道へ誘うだろう。貴方自身も、知らず知らず、安易な道を求めて、才能がない、資質がない。と言い聞かせ、自分自身を檻に押し込めるだろう。

それでもなお、周りから愚か者と嘲笑されても、研鑽を辞めず、成し遂げた人たちがいるコトを忘れてはいけない。これらを踏まえて、私は言おう。努力は才能である、と。努力をし続けられる人間は、実は意外なほど少ない。みな思い当たる節があるだろう。

四月と言う、進学、就職のこの時期、忘れないで欲しい。魂を檻から解き放て。限界を定めるのは自分自身であり、可能と不可能を分けるのも、自分自身だ。自分のなりたい自分の姿を信じて、努力と研鑽を続けたならば、きっと叶う。

でも、どうせダメだから。理想としては持っているけど、出来ないのは分かっているから。では言おう、君たちに理想を語る資格はない。理想があるならば、なぜ近付こうとしない?、なぜダメだと分かる。まぁ良い。自分自身を檻に閉じこめ、檻の中の自由を謳歌したまえ。苦難に満ちた、されど喜びに満ちた荒野よりも、狭い檻の中を選んだのだから。

苦しんだ分だけ、喜びが訪れる。苦しんだからこそ、達成感がある。数学の難問を解いたときの喜びを思い出したまえ。数学の問題でさえ、あれほどの喜びなのだ。君自身の目的を達したなら、どれほどの喜びとなるか、想像してごらん。苦しみの先の喜び。暗闇の中で見た、一筋の月光の暖かさ。それを知っているからこそ、人は努力を続けられるのだけれど。


平たく言うと(2002/4/1)
難しそうだから、止めた。とか、出来ないから、パス。と言えるのは、まぁ、その程度の興味しかなく、その程度の価値しかないってこと。本当に好きで、心底陶酔しているならば、そうそう諦められる物ではない。

本気の量が足りないとか、覚悟の度合いが足りないとか、いろいろ言葉あるけどね。要約するとこういうコト。
『ホントは好きでもないし、興味もないんでしょ?。だから捨てられるし、諦められるんだ』


チキンカツ弁(2002/4/6)
コンビニ弁当は、ランコストが悪いので、ほとんど利用しない。弁当と飲み物を買うぐらいなら、吉野家なり、定食屋に行った方が、同額以下でさらなる満足感がある。安く済ますなら、マクドナルドの紙粘土バーガーの方がマシだ。

しかし、コンビニ弁当以外では、あまり見ない商品に、チキンカツがある。私は、肉類では、鶏肉が一番好きだ。牛肉は味が単調だし、豚肉も捨てがたいが、カツにおいては、鶏肉に分がある。サクッとした衣に、じゅっわと肉汁があふれ出し、ホロリと崩れる鶏肉…たまらん。

あの、さく、じゅわー、ホロって、感覚が良い。豚カツは、サク、じゅわーで終わるからねぇ…

そんなチキンカツ弁は、不人気らしく、逐次、各コンビニから消えつつある。ここ百年ぐらいの肉のブランドからすると、牛肉、豚肉、鶏肉の順だから、チキンカツって、豚カツの下位互換みたいな世間の認識だからなぁ…哀しいです。

とてつもなくチキンカツが食べたくなって、コンビニに行ったら、チキンカツ弁無くなってて…しくしく。代用品のチキン南蛮にしようかと思ったのだけど、チキン南蛮は、タレに漬かっているから、サクが無いんだよなぁ…まぁ、コンビニ弁当は、そんなにサクッとしないけど。

そうそう、時折無性に食べたい物があるときは、その食べ物を身体が欲していると言う説があるのだけど、本当なのかなぁ…肉類が不足しているのかなぁ…むぅ…と言うより、久々の更新ネタがコレかいッ(笑)


権謀術策(2002/4/8)
とうとう、加藤紘一氏辞任。一部で憶測されているように、この件は奴の陰謀くさい。
もともと、加藤氏とは無縁の秘書の脱税から端を発した今回の事件。この脱税摘発も、タイミングが良すぎて、私は違和感を持っていた。誰かがリークしたに違いないと。鈴木宗男の疑惑の発覚が、奴に取って、うれしい誤算だったのかどうかは、分からないが…。

辻元の摘発も、あまり喜ばしいことではないが、議員ならば、特に新人の活動資金に事欠く議員ならば、誰でもやっており、コレを摘発すれば芋づる式に何人もが摘発されることは分かっていたはずである。それでも自民党は、と言うより奴は暴露した。とても、違和感のあることだ。

ま、自民党にとって、秘書給与の誤魔化しは、はした金だし困るのは弱小政党(派閥)だと言う読みはあっただろうけど。

奴とは誰か。小泉純一郎である。権力の座につくと、とたんに小者になった感のある彼だが、私は当初から嫌いだ。YKKと言われているいわば、自民党の三王子だった訳だが、強面の割にリーダーシップが無く、先頭に立てない山崎氏は置いておいて、加藤、小泉の対決だったのだ。そして、小泉が勝ち、スネオの山崎は、小泉を取った。だから、唯一の対抗馬である加藤氏の排除に走った気がする。

そう言えば、鈴木宗男も橋本派のホープで、いずれは総裁選に…と言う人物だったらしい。田中真紀子、加藤紘一、めぼしい人物の失墜は本当に偶然なのだろうか。加藤、田中の政治的なスキャンダルが暴露された今、次の総裁選に小泉以外のタマがあるか。無いだろう?。

さすがは、一人森派と言う巨大派閥で、耐え凌んだだけの事はあるぞ、小泉純一郎。見事な策士だ。その陰謀術で外交せい。つーか、成果だせや。このまま行くと、英雄面した小者によって日本は崩壊するだろう。そもそも、私は郵政の民営化は反対である。つーか、国家規模の通信事業と林業は、税金でその全ての活動資金を充てるべきであり、なんで独立採算性かな。

そう、つまり郵便局は、貯金や保険部門の黒字で、郵便部門の赤字を埋める格好なのである。林野庁も、ダムの建設などで、資金を得ているわけだ。郵貯があるから、銀行に金が集まらない。と言うのは、でっぷりと太り、民衆を嘗めきっている銀行の怠惰だ。みずほ銀行の失態を見るがいい。まぁ、銀行の大半は、元財閥だしな。企業努力を知らんのも無理はないか…


久々に(2002/4/9)
もの凄い久しぶりに、目を閉じているのに、景色が見えるという現象が発生。いやいや、マジで。厳密に言うと、壁の向こうまで見えたのだが。身体状態としては、金縛りに近い。脳だけが起きていて、身体との神経が切断されている感じ。

全身の認識が、脳の容積分しか感じられない代わりに、パノラマサイズ景色が見れるという状態。脳だけが起きているから、疲労感を異常に感じる。朝から、疲労困憊状態で大変だった。

幽体離脱と言うのも、こうした視点が抜ける現象ではないかと思う。視点が抜ける。と言うより、金縛りとは、脳と身体の接続が上手くいっていない状態。つまり、五感が断たれた状態なので、脳は、好奇心や警戒心から、情報を求めるが、五感がないため、自身の記憶にアクセスする。それが追憶だ。幽体離脱の際、自分が全く知らない景色を見ることはほとんど無い。

見えるのは、自分自身の身体だったり、家族だったり、片思いの相手だったりする。つまり、より記憶に鮮烈に残っているものだ。私の場合も、目を閉じていて景色が見えると言っても、自分の部屋とか、隣の部屋(兄の部屋・現在空き部屋)ぐらいのものだ。

まぁ、ごくまれに、全く見たこともないような景色を見たりするけれども…


(2002/4/10)
まぁ、普通に使うときは「気が滅入っている」とか「落ち込んでいる」と言う意味だろう。まぁ、字義もそうだ。鬱蒼として木々や草が繁っている様に、重く暗く晴れることがない。そんな感じ。

鬱病となると話は別で…学会では否定されるだろうけど…自分が鬱だと思える間は、鬱ではないらしい。これも「マッドウーマンの告白」と言うドキュメンタリー映画の受け売りなのだが。

真の鬱病は「執着心がなくなり、一切の能動行動を行わない」状態であるという。自殺願望は、つまる処、死にたいという、欲求であり、衝動である。そんなモノがあるウチは、鬱病ではない。と言うことらしい。

その鬱病を経験し、告白したのは監督自身なのだが、一切の欲求がなく、ただ呆然としている。子供にせがまれ、食事を作るような日々。食事の支度の最中でも、欲求や自発行為がないため、今切っているモノが、ニンジンでも、自分の指でも関係ないらしい。子供にも「お母さん、指切っているよ」と言われても「ええ、そうね」と答える程度。

そのくらい、生存への欲求がなくなるらしい。それを傍目に見れば、自殺願望に見えるのだろう。だから、憂鬱感に嘖まれ、孤独に取り憑かれ、理由のない恐怖感に襲われても、それは鬱病ではない。無くしたくない自分自身があるからこそ、晴れぬ思いがあり、相手に触れる指があるから、孤独を感じ、生への欲求が、恐怖を産む。それは、強大な不安感でしかない。泣き叫び、酒にでも逃避すれば、忘れられる程度の代物だ。

で、ここまで分析出来ているので、その程度の不安感ならば、問題ない。つーか、不安感なんぞ、その場に立てば吹っ飛ぶ。あれやこれやと考えるから、不安になり恐怖する。目の前のことに集中すればいい。と言うのが、そこそこの大会に出ることで学んだ私のプレッシャー吹っ飛ばし方だ。だから、審判から呼び出しがかかるまでは、私は漏らしそうなぐらいビビるタイプだ(笑)。

ま、そんなことはさておき、今ヤバイのは、真の鬱病の入り口のような、無気力状態なのだ。執着がないっての?。全て「まぁいいや」で済まそうとしてしまう。今はまだ、なんか意志の方が勝っているので、何かとかこなしているが…そのうち全てを放棄しそうで怖い。つーか、放棄できるなら放棄してしまいたいぐらいではある。

むぅ、やはり、旅に出て森に入るしかないのかな…俗世の障気にやられているのか…人のいない森の奥で、自然と一つになりたい…自分を消して、自分の存在を自然の中に溶け込ます。自分を消してしまいたい。これは、精神(魂)的な自殺願望なのだろうか?。それとも、仙人や、聖人のごとき、浄化作業なのだろうか?。


捜し屋(2002/4/11)
腐っても自由業。つーか、腐っているのですが…まぁ、それはさておき、時間だけはふんだんに取れるため、良く知人に捜し物を頼まれます。都会で人気のピークを過ぎたゲームの初回版だったり、都会でコアに人気のある作品だったり、昔のCDだったりします。

まぁ、私も子供時代とか、学生時代…の方が収入多かった気もするが…買えなかったモノを捜していたりします。それらを捜して貰うのと引き替えに、私も捜しているのですが…私の依頼品の発見率は、なかなかのモノの様です。まぁ、私の捜し物は、レアすぎて見つからないらしい。

住んでいる場所が、中途半端な田舎のせいか、都会で密かに人気のゲームは、こちらでは腐っていたりしますので、土地柄というモノもあるのでしょう。依頼品の七割近くは入手に成功しています。

ふと、手数料を取って、商売に出来ないだろうかと考えた。実は、中古屋と言う趣味でレゲー捜しをしている人のページがあったのだが、潰れてしまった。そこそこ機能していた様なので、小遣い稼ぎにはなるのかも知れない(笑)。

そんなわけで、コアでレアな商品は、秋葉原・日本橋に叶うわけはないので、密かに盛りを過ぎたちょっと前のゲーム。とかなら見つかるかも知れない。依頼があれば掲示板へ(笑)。


サードアイ(2002/4/13)
私が大阪の大学へ行っている間に、兄に何があったのか知らないけれど、やたらの新書サイズのムー関係の馬鹿馬鹿しいポップオカルト本がやたらと増えていたのだ。「幸せを呼ぶ紫魔術」とか「奇跡の白魔術」「究極の黒魔術」「超能力開眼法」とか。

だいたい、オカルト雑誌としては金字塔である「ムー」だが、内容は誇張と誤用の多い、パルプ雑誌である。だから、ムー本は、どう足掻いてもトンデモ本だ。ま、買う方もネタ本として買っているならば良いのだが、ラインナップを見ると、どこか心の底で信じている感がある。まぁ、コレは兄だけかも知れないが。

当然、無視していたのだが、あまりにヒマなので、一冊手に取ってみた。「奇跡の超能力。第三目獲得法」と言うものだ。このサイトのサブタイトルでもあるし、師匠から「その三眼は充分に、人間レベルは超えている」と言われたので、ちと気になって。まぁ、内容はヒランヤの体験レポートとか、そのレベルのモノでしかない。

第三眼が開くと、こんな現象が起こります。と言うくだりがあるのだが…私、全て体験済みなんですけど?。当然、修行なんざやってないし、超能力だとも思っていない。なかでも、全周囲警戒の能力とか言って、背後から殴りかかってきたのを事前に察知。とか興奮して書いていたが、そんなモンは、ある程度の格闘家なら、少年の部の子供でも可能だ。寸剄の事も知らないようだし。

私が柔道をやっていたので、柔道を例に取るが、柔道では相手を見ない。足、特に膝の動きだけで、相手がどんな技を、いつ仕掛けてくるかは、分かる。ボクシングでも、拳は見ない。肩の筋肉と相手の視線からパンチを見切る。全周囲警戒など、超能力では無い。視線と思惟を感知するなど、誰にでもできる。ただ、現代人がふぬけ、自身の安全を信じ切り、感覚を閉ざしているに過ぎない。

と、ココまで書いて、確認のためにマトモに著作を読むと同じ様なことが書いてあって、ちょっと安心(笑)。視えてしまう事の不幸についても語られており、実は真っ当な本かも知れぬ。超知覚の反動にも触れられていたし。ムーとか、新書のオカルト本は、安易に呪符や呪文を公開している、小学館のおまじない大百科的なモノがほとんどだし。

時に、超知覚の反動「虚脱状態というのだろうか。頭は霧の帽子をかぶっているようで、思考集中がまったくできない」…身に憶えがある。つーか、常時だ(笑)……もしかしたら、ナチュラルな能力者である私は、無制御であるが故、過剰に他人の思惟に反応して、疲弊しているのだろうか。まさに気の垂れ流し?(と師匠に言われた)。最近、特に酷いしなぁ…夫婦喧嘩に制空権広げているからか?。

人の居ない森へ入ると落ち着くというのは、警戒すべき群衆の思惟に反応せずにすむからか?。って、ムー本を否定するつもりが、感化されているな(笑)。私も、能力を認めてしまって、制御法を学んだ方が良いのだろうか。


制空権(2002/4/13)
人には、制空権がある。心理学では、パーソナルエリアと言われていたかな。全く見ず知らずの人が、ドコまで近寄ってきたら不快に思うか。と言うものだ。男性ならば、経験があるだろうけど、小用便器でなぜか一つあけて使ってしまう。と言うのもパーソナルスペースだ。

電車やバスと言った、公共の特定スペースは別…のハズだったが、一時期電車で些細なことでキレる若者が問題になったが、パーソナルスペースを縮小できなかったのが原因の一つだろう。

この制空権の広さは、人によって違うし、範囲の拡大、縮小も出る。聞き耳を立てるというのも制空権を広げる行為だ。なにかを検知しようと感覚を研ぎ澄ますことで、広げることが出来るし、逆に感覚を閉ざすか、相手の存在を知覚、監視することで制空権を狭めることが出来る。

聞き耳を立てるのは、アクティブソナーで、何らかの気配を感じるのが、パッシブソナーと言える。このパッシブが、上記の全周囲警戒の正体だ。人の気配、敵意、害意、を感知するエンパシー、共感力の防御反応だな。このパッシブを利用すると、人混みの中を、人にぶつからず、スイスイと進むことが出来る。他人の通行しようとする進路が見えるからだ。

このパッシブを使える人間は少ないようで、一般人からすると、超能力に見えるのかな。まぁ、自分に出来ない事。イコール、人間に出来ない事。と言う価値判断をする人は多いので、そうなのかも知れぬ。

パッシブが使える人間は、自身に劣等感を持っている人が多い。私も、師匠もそうだ。「こんな私が出来るのだから、私なんかよりも優れている他の人が出来ないわけがない。」と考える。だから、私は、知らないことや、間違っていることは教えて欲しいし、他人にも教えてあげたいと思う。一般の人は、それを揚げ足取りとか、バカにされたと感じるらしい。向上心のない人たちが多いことだ。


ニリンソウ(2002/4/15)
山形で、ニリンソウと間違えて、トリカブトを食べて、一家三人が中毒。うち20代の息子が死亡すると言う事件が報じられた。大変痛ましいが、ちょっと引っかかる事がある。

実際に、ニリンソウの葉と、トリカブトの葉を並べて、報道していて「そっくりだ」と言ってたのだが、明らかに違うじゃん?。ニリンソウの方が、葉の先が丸い。トリカブトの方が、葉の先端が尖っているし、葉のスジ(葉脈?)が深く、ワサビの葉のような表面をしていた。「まだ花は咲いていないので」とも言っていたが、花で区別を付けなくとも、充分に認識可能だ。ハッキリ言って、この二つを「よく似ている」と言うほど、観察眼がないなら、ジャーナリストは辞めた方がいいなぁ。

ともあれ、ニリンソウもトリカブトも知らない素人が、気まぐれに採取したならともかく、山菜取りをよく行い、近所からもアマチュアながら、スペシャリストと言われているような人が見間違うだろうか?。食べた奴は、変種や亜種で、ニリンソウと見分けが付かないような奴だったのかなぁ。

20代の息子が死に、50代の両親が生き残ったというのも、ちと違和感。息子の生活態度なんかをちょっと調べて欲しいと思ったりした。まぁ、若いから沢山食べたのかも知れないけど。

ざっと調べてみると、トリカブトのアルカロイド含有量は品種によっても異なり、下手すると生えてる場所でも、含有量に隔たりが出るらしい。一概に、トリカブトだから。と毒殺を試みたら、含有量が致死量に届かない。って事もあるようだ。

今までも、トリカブトを食べていたが、含有量の少ないもので「変な味のニリンソウだ…ハズレだな」で、済んでいたのかも知れないなぁ。だとすると、微量に摂取していたせいで、耐性がつくハズだし…まぁ、警察は動かないとしても、保険調査員が動くでしょう。

最近、メンタリティーが刺々しいので、邪推しまくり…ともあれ、一人の方が、亡くなられたことは間違いないので、ご冥福をお祈りいたします。


a chain of Doom(2002/4/16)
ここ一週間、一日一個の凶運が絶え間なく訪れている。つーか、大卒時に、親との軋轢により、とある企業の内定を断ってから、悲運の連鎖は未だ続いているような気がする。って、過去に耽溺していることが、一番の破滅かも知れぬが。

ともかく、来るなら、まとめてきて欲しい。こうもちくちくと、継続して絶え間なくダメージを与えられると、真性鬱病の入り口をうろついている現状では、本当に、全てを放棄したくなる。放棄したいという意志があるだけ、まだ壊れていないようだが、かなりタイトロープ。壊れそうだ。

歯茎の神経が壊死していて、その治療をしているのだが、治療前より遙かに痛むってのはどういうこった。歯痛が、全ての気力を奪う。そのせいか、風邪をひく。頭痛と倦怠感。歯の治療用の抗生物質のせいかもしれぬが。

それだけでも、憂鬱なのだが、PBM会社のテラネッツの不誠実極まりない、客をバカにしたかのごとき対応。交流のために、わざわざ、メールアドレスを公開する手続きをとっておきながら、交流する意志のない参加者。

あまりにも愚かしい返事をよこす今回(MT13R4)の相棒。いくら共同プレイングだからと言っても、二人で同じ行動してもしかたないわけで、作戦目的を統一しておいて、多元的なアプローチで行動するからこそ、意義があるのではないか?。ちったぁ、自分で考えろっての。そもそも、私も指揮官タイプではなく、参謀・副官タイプなのに、無理してんだよッ。

つーか、マスターもプレイヤーも、共同、集団プレイングではなくて、合同プレイングしか知らないのだろうか?。一つの目標に対して、各プレイヤーが、自分の得意分野を活かして、プレイングをかけ、それらのプレイングの統合、調整がうまいプレイヤーもいた。と言うのは、贅沢すぎる好条件だったのだろうか?。戦術ディヴだと言うのに、戦術仕掛けているの二人だけだしな。他はただの戦法。ただの装備選択と、コンビネーションブローの選択でしかない。ばーか。

アクアのキャラクターは、能力値が異常で、コロコロ変わるし。アイテム販売にレスつければ、返事は無いし。出掛けようとすれば、雨が降るし…もはや、雨が降っても腹が立つという、危険な状態。腰痛が悪化。再び、立てないぐらいの激痛が走る。自分で整体施してはめたけど…骨盤付近に異常があるようだ。ずれている感覚が分かったし。つーか、この腰の状態で、山に入ったら遭難できるかも…どうにかして、メンタリティーをプラス方向に持ち込みたいのだが…何をすれば戻るだろう?。いま、人と会うと全てに噛みつきそうで、人には会えないし…


連想力(2002/4/17)
最近、心理療法やカウンセリングの企画をもつ番組が増えた。中でも、ロールプレイをする場合が多い。例えば、問題ある夫婦のばあい、妻が夫役を、夫が妻役を演じ、お互いの立場になって、相手のことを考える。と言うもの。

私に言わせれば、明らかな、連想力や想像力の欠如である。まぁ、会話の流れと勢いで、相手のことを考える間もなく発言してしまい、傷付けることが多々ある私が言えた義理ではないが…自分の言動が、まわりの人間にどう影響するか、自分の行動が、他人から見ればどう映るか。は、平素から考えている。

考えているからこそ、後手を踏み、貧乏くじを引きまくっているのかも知れないけど。他人のことを考えていては、生活すらままならいと言うのが、現代の病巣とも言えるし、人間の基礎だとも言える。

この事を考えるたびに、中学時代の担任の言葉を思い出す。道徳の時間だったか「障害者とどう接するか」を議論していた。クラスメートの一人が「障害者の立場になって考える」と言う回答を出した。私にとっても、これ以上ない完璧な回答だと思った。

しかし、担任教師は不機嫌になり、次々と生徒に回答を求めたが、それ以上の答えは出ず、とうとう激昂し「いちいち、障害者の立場になり、考えないとわからんのかッ」と吼えた。私を含めて、中学一年生には哲学的すぎる答えに、クラスは憮然とし、煙に巻かれた気持ちだった。

この言葉を理解するのは、高校生になってからだったが、中学担任が言いたかったことは『障害者だからと言って特別視するのではなく、相手が誰であれ、障害者であれ、健常者であれ、常に相手のことを考えて言動をすべきだ』と言うことだったのだろう。

理解できたときは「なるほど、そう言う意味だったか」と感じ入ったが、現代人の症状からして、どちらの考え方が正しかったかは明らかだ。まずは、相手の立場を考慮することから始めて、それを常態化するようにしなければならない。まぁ、中学の担任が嘆く気持ちもわからんでもないが…それほどまでに、共感力、相手の痛みを感じ取る感覚が麻痺しているのだ、現代人は。

他者を思いやる。そんな高尚で、聖人じみた気持ちを常に持て。とはとても言えないし、私も実践は出来ないが、自分の言動が相手にどう影響するか、相手がどんな気持ちになるかは、常に考えていたいものだ。

人は、群れる動物である。群れることで繁栄してきた。群で一番必要なこと。それは規律ではない。共感力だ。相手の感情を感じ取り、その場の雰囲気を感じ取る。相手の痛みを感じ取れるからこそ、群は円滑に機能し、互いに信頼しあい、群は一個の生物のごとき群体となる。

人は、群れる動物として一番大切な共感力を失いつつあるのかも知れない。国、自治体、氏族、所属する企業、最小の群単位である家族ですら、共感力が機能しなくなっている。だからこそ、ドメスティックバイオレンスとか、家庭崩壊が叫ばれて久しい。生物として、当たり前にある共感力を失ったならば、人は滅びるしかない。


口腔外科(2002/4/18)
口蓋外科だったかも知れない。変な方向に生えている親知らずが虫歯なので、抜くことになったのだが、この口腔外科の人が行うらしい。要するに歯専門の外科医って感じかな。そこまで専門化しているんだねぇ…そのうち、歯専門の麻酔科も出来たりして。

ともあれ、私の親知らずは、前に倒れ込むように生えているので、難しい部類にはいるらしい。歯ぐきを切り裂いて、あごの骨を削って、抜く。との説明を受けた。つーか、それは抜くと言うより、あごの骨を削って、歯を取り外すって感じかも知れない。

他にも、すでに神経が壊死していて、膿を取っている箇所もあるし…この箇所は、すでに歯ではなくて、顔が痛くなったりする。しくしく。歯痛って、気分をイライラさせるし、痛みで集中もできない。オマケに膿がしみ出てきているせいか、常に妙な味が口いっぱいだ。

まぁ、十年ぶりぐらいだしね、歯医者行くの。検診もしてないから…自業自得ではあるけれども。それにしても、技術の進歩は凄いもので、昔は歯の型を取るのに、10分以上は、バキュームで唾を吸われながら、ぼーっとしていたのだが、今は一分とかからない。すげえや。注射器もサイバーな感じだしね。


地球に優しく(2002/4/20)
環境問題が叫ばれてから、随分と経つ。私が東海大学を受験したときの、小論文のお題が環境問題だった。環境問題と言うと、どこぞのちりめん問屋の印籠が如く「地球に優しく」、呪文のように「地球に優しく」だ。私は、この「地球に優しく」と言う言葉が大嫌いだ。

まるで、人間の方が偉いみたいじゃないか?。人に優しく、ペットに優しく、自然に優しく、地球に優しく。本当はどうでも良いが、うるさい奴らがいるから仕方がない、優しくしてやる。そんな上から見下ろしているようなニュアンスが言外にあるような気がする。

環境問題を論じる有識者も何かが欠落している。それは、自分が人間、生物である。と言うことではないか。人の身分で、地球を意のままに操つけると、思っているのだろうか?。人の力で、環境、つまり地球を意のままに操ろうとしているのか?。

公害とは、結局の処、人間という群生体が排出した糞尿なのだ。プランクトンの異常発生が赤潮を引き起こすが如く、イナゴの大発生で砂漠化するが如く。人の異常発生が公害を産む。たかだか、公害がごとき糞尿で参るほど、地球はヤワでない。ただ、人間が住めなくなるだけだ。人間が滅んでも、地球に問題はない。アリが蟻塚を作るように、人間がコンクリートのビルを作る。それだけの話。

結局の処、環境問題とは人間が住み良い環境を作るだけの話で、地球にはちっとも優しくないし、地球は、人間が地球に優しくするよりもずっと、人間に優しい。何しろ、地球に住むことを許してくれているのだから。まぁ、発生して原始人の時代を入れても、たかだか200万年程度。地球の33億年からすれば…気がついていないのかも知れない。

「地球に優しく」この言葉に含まれた慢心に、人が気がつかぬ限り、どうしようもない。そもそも、環境は常に変わっている。だから、生物は進化する。環境を止めておくことが、果たして正解なのか。まぁ、人間にとっては正解だろうけど。

思いっきり、感情論なので矛盾が多く、支離滅裂でこの文は読むに耐えないと思う。人間に不可能はない。と言っておきながら、出来ないことがあると言う。人は自分を変えることが出来る。だが、世界(地球という空間であって、世界史の世界が指す、人の世界ではない)は変えられない。と考えているからだ。だから、魔法や超能力は信じていないのだ。

今でも、未整理で、論旨のない文しか書けないので、十代の小僧がなにを書けようか。当然、東海大学は不合格だったさぁ(笑)。今なら、少しは理解してくれる教授が居るかも知れない。そう言えば、予備校の小論文の講義&テストで「君の論旨は、非常に奇抜で、着眼点が非常に面白いが、文意が読みにくい」と言われたっけ……進歩してねぇな、オレ(笑)。感覚として捕らえているために、言葉に変換できないのだな。要修行。


狂気(2002/4/21)
再び、兄の書架から、一冊、引っぱり出してきた。「私はなぜ狂わずにいるか(春日武彦著)」と言う本だ。都立精神保養センターの精神科医の著作で、兄の書架には、この人の著作が他にもある。

ハッキリ言って、私は嫌いだし、この本の内容から得るモノは何もない。無意味な本と言っても良い。私の知りたいこと、私の疑問に思っていること、それらには一切触れないし、単語としても出てきやしない。

なぜ嫌悪するのか…自己分析…自己憎悪だ。この春日という精神科医。古今の著作から引用し、解説、分析、批評をするが、自分の意見は全くと言っていいほど、書き表さない。結論めいたことすら著述しない。本のタイトルからして「私はなぜ狂わずにいるか」であり、序文においても「私には狂気となる権利があるのではないか?」と記し、最終章のタイトルは「だから私は狂わない」と、しているにもかかわらず、答えを提示していない。

当人も「結論めいたことを示唆しなければならない」といっておきながら、結局、何一つ、結論めいた事すら口にしない。これでは、精神科医は、質問に対して質問で返して、事態をはぐらかす。と言う定説を裏付けているだけだ。論旨もなく、主張もなく、自ら問うたことに答えも出さない。これがおそらく日本で五指にはいる精神科医の見解だと思うと、哀しくなる。

だが、私もそう言う事を良くやる。結局の処、他者を否定することでしか、自己を擁立できない哀しい存在だ。まぁ、自己を立脚できないからこそ、他人に敏感になれるのだろうけど。強大な自己を持つ者は、芝生を踏みつけるが如く、自分が踏みにじった存在など、気がつきもしない。

ともあれ、何も得るモノが無かった。実費で買っていたらキレる処だ…つーか、立ち読みで価値無しと判断できるだろうけども。

どんなに、精神科医が否定しても、正常と異常は、反義語だ。正常とは、つまり、一般的とか普通。と言う状態であり、その状態も人間と時代が決めるもので、相対的なものでしかない。そうした流動的な価値観に自分を歪め、補正できる人間が正常。と呼ばれる。日本は島国だからだろうか、ノーマライズとか、平均化、均質化に異常な執着を見せる。

「日本の常識、世界の非常識」との言葉があるが、これのどこが悪いのか。日本で暮らす以上、日本でのみ通用する常識に従うのが基本であり、世界の常識に、日本が形を歪めてまで従う必要があるのか。アメリカなど、自国の常識を押しつける国の典型例ではないか。だからといって、日本の悪癖をそのままにしておけ。と言うつもりはないが。

あと、電気ショック治療の現状(機械も進化しているだろうし)を知らないので、言及は出来ないが、『禅とオートバイ修理技術』の著者、ロバート・パーシングは、精神治療のため、電気ショック療法を受け、記憶を失っている。もちろん、断片的なもので全てを失ったわけではないが。それでも、症状は納まったので、治療効果は抜群なのだろう。

ああ。そうか。この春日という精神科医。あくまで治療者であって、学者ではないのかも知れない。機械修理工が、ガソリンエンジンの理論を知らなくても、修理できるように。理論など無用、治ればいい。そう言うことなのかも知れない。彼にとって、答えは必要ではないのだ。仕組みが分かればそれで良いのだ。

人はなぜ狂うのか…私は、狂気を精神の自由解放区とは決して思わない。狂気は、ただの逃避先でしかない。そう考えることが、楽だからだ。そう思いこむことでしか、自分の属している世界を認識できないのだ。春日医師は『物語』と言う単語で現していたが。

しかし、クトゥルフの呼び声の、一時的狂気、不定の狂気、永遠の狂気と言う分類は、ゲームのクセに、実際の、少なくとも日本の精神医学界よりも核心をついているのではないかと思う。きっちりまとめるためにも、もう一回、マッドウーマンの告白見たいなぁ…


均一化(2002/4/21)
上記で、日本は均一化に異常な執着を見せる。と書いたが、実は日本だけではない。人間そのものが、異質を嫌う。アメリカでもWASP(White-AngoSaxon-Protestant)と言う言葉が示すように、排他主義はどこにでもある。つまり、アングロサクソン系の白人で、プロテスタントでないと、出世できないとか、立身しても嫌がらせを受けると言うもの。WASPと言う言葉には、少数民族のやっかみも少なからず入っているようだが…

悪魔や妖怪からでも、それは推察できる。アフリカ等、黒人種の国では、悪魔は白い肌をしていることがあるし、日本の赤鬼、青鬼も、欧米人の肌の色と言う説がある。日焼けして赤銅色だったり、静脈が透過して、青白い肌の白人も多いからね。天狗の鼻が高いのも、鬼の髪がパーマがかかっているのも、欧米人の特徴だし、同じ日本人同士でも、葛や土蜘蛛と賤称したりもする。

ただし、日本人は自分を歪めようとする傾向があり、欧米人は、他人を歪めようとする傾向があると思う。無論、個人差、時代差はあるけれども。概ね、そうだといえると思う。


春日武彦(2002/4/21)
いってはなんだが、若い頃、物書きを目指していたのではないかと思う。人のことはとやかく言えないが、その事もまた、嫌悪の対象だ。それはまた自己嫌悪なのだけど。やたらと、装飾語を重ねたり、小難しい語彙を使用したり、多分、三国志演技とか好きそうだな、この人。

ともかく「私はなぜ狂わずにいるか」「ロマンティックな狂気は存在するか」「人の心に魔物は住むか」など、疑問文で問うているにもかかわらず、本当に答えを導き出さない。意図的に避けているのか、本能的なのか、精神科医としての経験がそうさせるのかは謎だが。

他2冊は兄の書架にあるが、読む気はしない。どうせ答えを、自分なりの結論すら提示しないのだ。私に言わせると、ロマンティックな狂気は存在しないが、狂気をロマンティックに解釈したい健常者は五万といる。魔という定義が出来ていないのに、人の心に魔が居るかどうか、判断しようが無い。魔とは何か…つまり、悪とは何か…正義とは何か…それを未定義のまま、語ることは無意味だ。

私にとって、春日医師の本は「なるほど、そうだったのか」と言う、新しい地平を発見した喜びというより、「やっぱりそうかだったか」と、冒険先から戻って、自分の経路をしるした地図を見つけた感覚だ。

私の師匠が「自分が苦心してたどり着いた境地は、遙か過去にたどり着いている人がいて、人間の結論って変わらないな」と言っておられたのだが、高僧が寝食を忘れ、生涯を費やして得た境地に、アマチュアが自力で、肉薄した凄さは自負して良いと思うのだけど。つーか、たどり着いた境地に「それ昔の偉い坊さんが似たようなことを言ってるよ」と言われて、落胆せずに「やっぱりそうか」と思えるのは、凄いと思うわ。

笑い話かも知れないが、こんな話がある。「欧米の哲学者が、インド哲学に自分達が到達した境地が子細に書かれいるのを見て、『なんとまぁ、二千年も前に、俺達と同じ境地に立った奴がいるとは』」…まぁ、普通、皮肉の一つでも言いたくなるわな。でも、白人は世界の頂点と言う意識がある人達なので、何とも言えない。

ナチスがあれだけ、隆盛したのも看過したからだ。だって、アングロサクソンは優秀なんだもん。ってな。ユダヤ人をターゲットにしなかったら、もっと隆盛していただろうな。ちなみに、ユダヤ人に劣らないくらい、スラブ人も虐殺されているが、誰も何も言わないのはなぜた?。


怒声(2002/4/22)
なにげに道をバイクで走っていると、前に車がいた。それはまぁ、変わり映えしない出来事なんだけど、その車は、でかいマフラーをぷるぷると揺すりながら、爆音を上げていたので、その手の車なんかなぁ…と、思いながら、流れに合わせて走っていた。

車間距離も充分だし、ベタ付きもしていない。やたらと、カーブで無意味にブレーキ踏むし、なんやねん。と思っていたら、T字路での信号待ちするのに、二車線分の分岐があるところで、蛇行すんの。一端、右折のレーンに入ったかと思うと、左折の方に戻ってくる。私は左折だったので「どっち行くねんッ」と心の中で叫びつつ、急ブレーキ。

分離帯の真ん中で、徐行し始めたので、しかたなく追い越したら「おるらぁぁぁぁぁぁッ」と怒声。車内でケンカしていたのかも知れないが、その可能性は低いだろう。どうやら、カーブの入り口、出口での無駄なブレーキングは、嫌がらせだったらしい。んで、信号に引っかかったので、こっちはバイクだし相手が降りてきて、乱闘になったらウゼェなぁ…もう若くないしなぁ…と思っていたら、その気配ないので一安心。

しかし、一般道で、車間距離4〜5メートルあれば、充分だよね。軽自動車なら入れるぞ?。その間隔をピタリ保つ運転されたからって「あおられた」とか「ベタ付け」された。とか感じるようでは、運転技術がなっとらんぞ?。つーか、車体感覚も車間距離感覚もないだろう?。

おかげさまで、無謀・下手くそ運転の車の対処はお手の物で、こちとらバイクをバンクさせているのに、道のど真ん中で、急停車された事もあるし(横向きになって止まりました。タイヤの焦げる臭いと、通行人の視線が痛かった)、相手の車も70q走行しているのに、路注の車にビビって、突然フルブレーキング。オカマ掘る処だったが、路肩に突っ込んだの事故にはならず(相手逃げやがったのよ、そのくらい飛ばせられるなら、路注のすれ違いでビビルなッ)。

そんな経験があるので、カーブの出入り口で、無駄に減速されたぐらいでは、ドキリともせん。急停止したらビビルが(笑)。

峠で、ランサーを千切ったこともあるし、XJRもカモったし、750刀には、さすがにパワー負けしたが、コーナーでは負けなんだ。バイクで逆カウンターあてたこともあるしなぁ…つーか、荷物満載のツアラーに、仕掛けてくんなよ、お前ら(笑)。峠は、旅先でしか行かないのでね。ま、若かりし日の痛い思い出。認めたくないものだな、若さ故の過ちというものは。


音速拳(2002/4/23)
グラップラーバキのアレ(笑)。正拳突きに使用する関節八カ所の同時加速。って、奴なんだけど…骨法で言う「徹し」なんじゃないかなぁとか思ったりする。まぁ、骨法のは、回転運動で、直線運動じゃないのだけど、下半身から逐次加速していくと言う考え方は同じだよね。

で、思い出したら練習するのだけど、さすがに「パシンッ」って、音速を超えた音は出ないけど、ジャッキーチェン映画の拳速の音「ぼ」ぐらいは、出る時があって笑う。ま、衣擦れなんだろうけどねぇ。実際には、加速したところで大したダメージは出せないだろうから、重心と体重の乗せ方かな。軸足に上手く体重を貯めれたときに、音が出るから。

ただ、気が向いたときに、十本程度撃つだけなので、修得するのは来世だろう(笑)。今生で修得したら、大会にでも出るわ(笑)。こないだのK-1、見る気は無かったのだけど、テレビ付けたら丁度、武蔵戦で、セコンドに森やん(大学時代の知人)がいた。髭伸ばしたんだねぇ…ちと懐かしい顔が見れて嬉しかったよ。みんな何やっているのかなぁ?。


本の読み方(2002/4/24)
まぁ、本をどう読むべきか、とか言う話ではありませんので。読書家の一般的な流れを追ってみようかなと。

まず、読書幼年期。読む本、読む本に知らない知識がたっぷりと載っているので、ただひたすら、それを疑うことなく、吸収していきます。たいていの人は、中学生ぐらいで、読書幼年期を脱しますが、人によっては、死ぬまで幼年期の人もいます。

読書少年期。得た知識から、自分の中で認識とか、信条が固まりはじめ、著者の意見、つまり本の内容に疑問を持ちながら、読書をするようになります。ある意味、読書的な反抗期と言えるでしょう。

読書青年期。得た知識から、信念が固まり、誰かに発表したくなります。つまり、自分で本を書きたくなります。かつては、同人誌がメインでしたが、最近は日記系サイト作成に流れているようです。ここで、自分の限界を知り、諦めたり、自己満足の同人で良いや。と開き直ったり、へこたれずに研鑽を続けて、プロデビューに至ったりする訳ですね。

また、自分が一番正しいと思いがちな時期でもあります。そのため、議論(掲示板にレス)したくてウズウズする時期(笑)。

読書熟年期。自分の信念が、良くも悪くも揺るがなくなり、知らないことは知らないことと受け取り、本の間違っているところは、まだまだだなぁ。と目くじらを立てることもなくなります。泰然自若としている感じでしょうか。

私自身、少年期と青年期の間なので、その上のことは分かりません。想像ですね。ただ、少年期でいるよりも、幼年期の方が、一読者としては、幸せでしょう。このセリフ回しはダメとか、この展開のさせ方はダメとか、このシーンは使える。とか考えながら読むよりは、随分幸せです。ただ、間違ったこと、正しくないことを鵜呑みにする危険性もあります。だから、一概にどの世代が一番良いとは決して言えません。

まぁ、サイト持ちのほとんどが、少年から青年期なので、少々の暴言には、寛大で居て欲しいなと。エネルギーが有り余った青年期同士がぶつかって、好転すると、内容ある議論となり、暗転すると、掲示板でのケンカになったりするんでしょうかね?。


(2002/4/26)
広島にも、とらの穴が出来ていたので、ふらりと寄ってみる。まぁ、商品の多数は成人向け商品なのだが、その商業誌の著者に、同人で有名だった人のもあり、こういうのは出世なんだと思うけど、中には、有名どころの少年誌でデビューした人の著作を見つけて、こう言うのは、なんて言うんだろう。

「たいらはじめ」とか「にわのまこと」とか「あろひろし」とかも出していてショック。たいらさんはともかく、にわのまことも、あろひろしも絵が上手いとは言えない、つーか、エロ向きの絵では無いので、売れないだろうなぁ。

別にエロ雑誌を格下に見る気はないが、どうしても楽な方へ逃げた。としか思えない。いわゆる、生きるためのヤクザな仕事、なんだろうねぇ。でも、まぁ以前と変わらぬペンネームで挑んでいるところに好感。つか、名前変えても一発でバレる絵だけどね(笑)。

そんなことを思いつつ、雑プ先生の同人誌「プ」を入手して、ほくほく。あとは、「雑」と「キャプテンラブ」の改訂版かなぁ…夏コミオチを待とう。「雑」は再販されるかどうか、怪しいけれど。


王宮警護隊(2002/4/27)
NHKを見ていたら、イギリスの王宮警護隊つーの?。宮殿警護している毛の帽子かぶってるイギリスの名物の部隊の交代のシーンがあったんだけど、持っている武器が、ブルバップのL85A1だった。さすがに、スコープは付いてなかったけども。

ほとんど観光用の演出なんだからさ、やっぱり、エンフィールドとか、木製の古くさいボルトアクションに着剣して欲しいと思うのです。有事の際にどうこうって言ったって、あんな派手な衣装で、戦闘行為もないだろうし。門の外に立つのは、観光用で、実働隊は王宮内に居るわけでしょう?…実働隊に最新鋭武装させて、観光用客寄せ兵隊は、徹底して演出すべきじゃないかと。

…まさか、本当に馬鹿でかい毛の帽子かぶった軍団だけで構成されているの?。


IT不況(2002/4/29)
歯医者の待ち時間があると、日経新聞を読んだりするのだけど…他に見る雑誌も無いし…クリックタイプのバナー広告の収益がかなり落ち込んでいるらしい。私が、手を出すと不況になると言う疫病神意識に取り憑かれる(笑)。

しかし確実に、不況らしい。フレッシュアイへの検索エンジン登録。もう、三度落ちてます。それに今までになかった「有料の方で登録してくれませんか?」と言う、DMが届く始末。経済に関しては、全くわからないけど…ヤバ目。って言うのは分かる。どうしたもんかねぇ…。

グローバル化のおかげで、面倒になったし。昔の(今の50代が頑張っていた頃)の様に、がむしゃらに良いもの作って、バンバン売れば、みんな富む。と言う時代じゃないしねぇ…各国共に、国内市場は食い散らかしたあとだから…いわば、経済的な帝国主義が限界に到達している。つーことなんでしょうか?。ひいては、資本主義の限界なわけで…っても、共産とか、社会主義なんて、さらに劣るシステムだし。どーすべーかなぁ…

補欠選挙で自民一勝二敗。小泉政権のボロが出て来たのだが…だからといって、鳩山には絶対にやらせたくない。今より、悪くなるのは目に見えているし、土井も、共産なんて論外。表面善人で、内面小悪党の小泉より、表面悪党で、内面小善人のヒロムちゃんの方がマシだって。

とは言え、自分の立場をわきまえているから、総裁選にも出なかったし…加藤さーん、復帰してちょ。っても、加藤さんも、この有事に辣腕ふるえそうにないしなぁ…。


突きとか気合いとか(2002/4/30)
メルドルを見た人は、お気づきでしょうが、今、セガサターンにハマっています。MADムービーの「北斗のメモリアル」から、ときめきメモリアルを引っぱり出したりしています。タイトルはその替え歌なのね。ときメモの主題歌のリズムで歌いましょう。「突きとか、気合いとか、最初にやりだしたのは〜ラオウかしら」(笑)

ま、元々、悪魔全集(女神転生の悪魔閲覧ソフト)で、調べモノをする為にサターンを引っぱり出し、そう言えば、ロボット大戦Fが途中だったな。で、やったらクソでショックを受け、懐かしゲームを引っぱり出して、ときメモを久々にプレイしたら、面白いの(笑)。

いや、画像と、服装のセンス(特に、優美の夏服。あのTシャツは…こっちが逃げたいよ)はともかく、難易度設定とゲームバランスが絶妙で良いね。不満とか不足は感じるけど、それはゲームが面白いから、さらなる発展を見たい。と言う気持ちからでしょう。他社が模倣に走るのも分かるし、模倣に失敗したのも分かる。

難易度調整にかなり時間割いたんだろうねぇ…ときメモは…私としては、ラブコメの定番。ブッキングが起こって欲しかったのだが…デート中に他の娘に会う。好感度が高いと確率アップ。主人公を嫌っていると、ジェラシーから好感度アップとか。

現在出ているのは、ときメモ3だっけ。もう、話題にもならないのね(笑)。そう言えば、ときメモ2で、入力した名前を喋る。と言うのが売りで、どの位の精度で喋るのか、非常に興味があるのだけど…アクセントとか、どの位修正するんだろう。私のように変な名前でも喋ってくれるのかな?。

あ、ゲームには、全く興味ないです。中古で千円切っていたら、買っても良いかな?。希望は五百円だけど。


悪魔全集(2002/4/30)
なんで、悪魔全集見てたかというと、クトゥルフ用シナリオのため。マヤ・アステカテーマの探検シナリオを所望されたので、その下調べ。

クトゥルフコンパニオンを持っている人は知っているだろうけど『中央アメリカの宗教の中のクトゥルフ神話』って記事。非常に出来が良いんだよね。いつか、マヤをテーマにしたいと思っていたんだけど…調べモノ大好きッ子なので、ハマる、ハマる。

コレも、記事にして一発でっち上げようかと思います。探検シナリオもですが、マヤ・アステカ神話におけるクトゥルフってのも。ケツァルコアトルが、イグって言うのが、どうも納得できなくて…まぁ、イグ自体、あまり知られていないグレートオールドワンですから、それだけのパワーのある神。なのかもしれませんが…風と生者を司る。と言う印象は薄いです。



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